I still believe in…

…and you can call me crazy.
インターネットというよりはソーシャルメディアってものを信じていないこともあり、
ネット上であんまり政治的な発言はしない。少なくとも最近はしていない。
もっと現実にどう生きるかの方が大事だと思っている。

けれど香港のことが気にかかる。
たとえば中国においてキリスト教徒の人たちがひどい迫害を受けているという話を折に触れて伝え聞くが、そんな時、どうしても拳を握りしめてしまう。
そしてそれは、イスラム教徒である少数民族の人たちが迫害されているという話にも、もちろん同様の怒りを覚える。

世界中ではいろいろな不正や迫害や悲劇が起きている。
自分は無力だと感じる。
かといって、もし世界政府の大統領になったとしても、やはり同様に無力を感じるだろう。

民主主義ってものがあるとしたら、それを守るために、何をしなければいけないのか。
戦わなきゃいけないものは、とても多い。
絶望的なくらいにたくさんのものと向き合わなくてはならない。

僕は政治ってものを信じていなかったとしても、
民主主義ってものを信じている。
そこには宗教的な「救済」みたいなものが同義にかぶさってくると感じているからだ。

それを本当に実現するためには、
どれほど絶望的なまでに、これから様々な困難と課題を乗り越えなければいけないことか。

香港のことはまったく他人事ではない。
別に軍事のことを言っているわけではない。
日本だって状況は大して変わらないと思うからだ。

子供の頃、北の国の様子がテレビで流れると、おかしな国だと思っていたが、
歳を取るにつれて、自分の国も大差がないことに気が付いたからだ。

これから世界はどうなるのだろう。
アジアはどうなるのだろう。
そして日本はどうなるのだろう。

人間というものは自由というものを、自ら放棄するものだと思う。たとえばお金、たとえば安全、たとえば地位、たとえば安心。それらのものがかりそめの偽りであったとしても、人々はそのために「自由」を喜んで放棄する。「自由」なんていう形のないものよりも、目の前のいくばくかのお金の方が、ほとんどの人にとっては大切だ。

そうやって妥協を重ね、音楽というものは、ロックンロールというものは、つまらないものになっていく。そうやってそこにあった「本質」を、「自由」を忘れていく。
今のこの国だってそうだろう。

世界中の人が「自由」なんてものを忘れてしまう、その時のために僕らは今、何物にも、政治にも金にも力にもおもねることのないロックンロールを鳴らしているのではないかと、そう思うくらいだ。
なぜなら音を鳴らすというたったそれだけの行為でさえ、それを自由に鳴らすということは、信じられないほどに難しい。

たとえそうであったとしても、
僕はやはり民主主義を信じている。
自由というものを信じている。
人々の選択と、それが持つ力を信じている。

自由を奪われるくらいだったら、死を選ぶと自分は思っている。
もっともこの手の中にはほんのちっぽけな自由しか持ち合わせてはいないが。
実際にその時が来たら、本当に勇敢に死を選ぶことができるかどうかはわからない。
おめおめと生き延びるかもしれない。

血なまぐさいな、この世界は。
でも、その流された「血」ってやつに向き合うのが、本来昔からのキリスト者のつとめだったじゃんよ。
だいたいみんな殉教するんだけど。
そんな世界で生きる勇気が、死ぬ勇気が、君にはあるか。

俺にはとても、そんな勇気はない。
ないけれども、こうして生まれてきてしまった。
自由の歌を歌う勇気なんか持ち合わせちゃいない。
けれど、もう歌ってしまった。

人間は弱い生き物だ。
誰だってそうだし、自分だってそうだ。
だからこそ、
今こうして、勇敢に行動を起こしている香港の人たちのために、祈らずにはいられない。

 

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