Choose your illusion

どこかの少女が国連で演説したことに対して、色々な意見があって、
日本の人たちのタイムラインを見ると、8割の人が賞賛していて、
アメリカの人たちのタイムラインを見ると、8割の人が批判しているように思えるので、
ふと考えを巡らせた。それだけの記述。

今回のことだけじゃなく、ずっと前から思ってたこと。

(自分のバンドの現時点での最新作”Overture”では、こういうテーマは扱っていて、そうだね「Cat Licks」という曲のビデオを、作りたいなぁ。Fake Newsなんて言葉が出て来る前に、すでに書いていた曲なんだけどな。)

 

インターネットを見るといろんな人がいろんな事を言っている。
ソーシャルメディアってやつは、いまどきとてもポリティカルになって、見てると気分が悪くなるので、あんまり見ない方がいいかもしれない。

いろんな立場の人がいろんな事を言っているので、普通に考えたら何を信じたらいいのかわからないくらいだし、ぶっちゃけ何も信じられないくらいだ。
立場ってやつも単純ではなく、典型的なことを言えば、たとえば外国なりアメリカなりでいわゆる右の人が言っているようなことは、同じようなことを日本では左の人が言っていたりする。

(繰り返すが、僕は自分はわりとリベラル側だと思っている。なぜか。それは、自分の尊敬するアーティストが、みんなだいたいことごとくリベラルかつ反体制な立場の人だから、かもしれない。)

そして、何人もの人が、同じことを言っていて、似たような話を、何度も何度も見たり読んだりしていると、そのうちそれが「事実」で、「真実」であるように思えてくる。
人の考えを「上書き」する、つまり、人を洗脳する、なんてことは、案外と簡単なんだなと思える。

インターネット時代にあっては、そういう状況を作り出すことは、非常に簡単で、有効なことだろうと思う。なにしろ、みんないつでもスマホを見てるしね。

手法としては「宗教にはまる」のと同じ状況であるが、現代ではそれがおおっぴらに、大規模に、日常の中にある。政治だけじゃなく、ビジネスもそんな感じだと思う。

問題は「誰が」それをやってるのか、っていうことだ。
そして「誰が」それで得をするのか。

ソーシャルメディア、そしてインターネットというのは、「誰が」語っているのかもわからないし、「誰が」「なぜ」「どこで」すべて偽装することが可能だ。そしてどんな「物語」でも作り出すことが可能だ。

漫画や映画のような物語は世の中にあふれているのだから、それに似た物語を作り出すことは難しくないし、そうしたおなじみの物語に似ていたら、むしろ人はそれを信じやすいだろう。コンピュータデバイスの画面に表示されてしまえば、それがフィクションであれ、エンターテインメントであれ、虚構と現実の区別はつかない。

右も左も、そういった「物語」を駆使し、利用して、人々を自分たちの思惑どおりに動かそうとするのは、当然のことだと言える。

皆が喜ぶ「物語」を提供する、ってことにかけては、エンターテインメントも世論操作も変わりない。

結局のところ、人々はなんらかの「物語」を信じている。
その「世界観」は、言ってしまえば、好みの問題、趣味の問題であろうと思う。

キリスト教の人はキリスト教の世界観を信じているし、
仏教の人は仏教の世界観を信じているし、
無神論の人は無神論の世界観を信じている。
右の人は右側の物語を信じているし、左の人は左側の物語を信じている。

その物語の中では、世界の成り立ち自体が、ぜんぜん違っている。
だから、それぞれの立場からは、世界はまったく違って見える。
見ているものが違うのだから、言うことや、そこから導きだす答えも、変わってきて当然だ。

人は、いつのまにか、自覚することなしに、そういった「物語」を信じ込まさせられる。
それは、環境であったり、文化であったり、教育であったり。
それが、国や、立場や、時代によって違うってだけだ。

多くの日本人の人たちは、自分は無神論で、何も信じていない、と考えているかもしれないが、実際には「日本人でいること」の価値観を信じている。それはだいたいやっぱり立派な宗教だ。
それはビジネス、勤勉、お金、従順、平均、等の要素があり、
また、そこにある大切なルールのひとつは「ガラスの天井の外側は、決して見ない、考えない、口にもしない」ということだろう。

もちろんガラスケースの外側では、放射能が流れていたり、もっと醜い現実がたくさん起きているわけだが。

相手の嘘を見破った、と思っても、やっぱりそれも嘘。
仕掛ける側は、自分が相手に対して優位に立ち、居心地の良い場所と景色を作り出すものだから。
得意満面になっている人は、たぶんきっと騙されている。
なんにせよ、人は誰かを見下すことで、自分を満足させるのだから。

俺は全部、それも、これも、嘘だと思う。
残念ながら、だいたいそんな感じで生きてきた。
「オーバーグラウンドには何にもない」
しかしアンダーグラウンドにはこれほどにも豊かな恵みがあるものか。
You just have to dig deeper and deeper…

全部嘘だったとして、じゃあ自分は何を信じるのか。
それらの「物語」が、全部、誰かが作った作り話だったとして、じゃあ自分は何を信じるのか。

人の本質はそこにあるし、
信じるっていうことはたぶんそういうことだ。

Do you really believe in “it”?
Or are you subscribed to the “story” just to feel good?

君は本当にそれを信じているのか。
それとも、その「物語」の信者になることで、気持ちよくなりたい、優越感を得たい、あるいは楽になりたいだけではないのか?

立場に関係なく、みんなに対して言っている。

やっぱネットとかスマホとか、なるべく見ないようにした方がいいかもしれない(笑)

 

一応、自分はキリスト教徒やってるつもりだから、
「十字架」ってやつは信じている。

どこかの有名な牧師さんや、説教師さんの言ってることはあんまり信じてなくても、「イエス・キリストの十字架」は信じている。信じているっていうことは・・・難しいから省略だ。「わかってたまるか」ということだ。

信じるってことは、そいつは言葉になんて出来ることじゃない。
ましてや耳当たりのいい宣伝文句になんかなりはしない。

ロックンロールを信じてみろよ。
本当に信じてるやつなんか、誰もいない、ってことがわかるだけかもしれないが。

どちらかと言うと、物語を信じたかったんじゃなく、何も信じられなかったクチだった。
It’s all between me and God.

自分の物語は・・・・自分で紡ぐ。っていうと、そういう言い方はクリスチャンの人たちは気に入らないだろう。
でも、そいつは「神と俺の間だけのことだ」。

最初っから、それだけはずっと変わらない。

神さんと付き合うってことは、そういうことだ。
偉そうなことは言えないが、俺はカミさん、とは、長年うまくやってるだろ、同じことなんだけどな。

こういう時代だからこそ。
雑音に惑わされ給うな。

でもたぶん、もう世界中手遅れなんだろうな。
自分、なんてものを失わずに保ってる人って、どれだけ残ってる?

 

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