世界が見えたが奈落も見えた

今のところ、水面下での新ラインナップの準備はスローペースで進んでいる。
僕としてはもっと速いペースで進めたい、という気持ちはもちろん強いが、一人で出来ることはたくさんあるし、僕にも生活上の限界というものがある。

創作に集中すべく、生活上の色々なことをひとつひとつ準備しているが、
それにはまだまだ、時間がかかる。
なので、これでいいのかな、と思ってゆっくり進めていくしかないと思う。
たとえば二年後、三年後に、より音楽活動や創作に集中できる生活をやれるようになっていればいい。(わからんけどね)

 

この3人(未だ、嫁さんを含めるのに違和感はある)で揃ってのリハはやっとこれが3回目だったわけだけれども、

個人的な家庭の事情で仕方なかったとはいえ、うちの嫁さんの力量の無さが露呈した状態でリハに臨んで、大丈夫だろうか、どうなるだろうか、ここで「やっぱりこの計画は無理。やめましょう。じゃあ僕は来年海外逃亡します。」となるのか。「こんなんじゃ無理。人生終わった。さようなら。」となるのか。

わかってもらえないかもしれないが、これらはそれほど大袈裟ではないことなのだ。
もし疑うのであれば、「日本のクリスチャンヘヴィメタル」を君もやってみたらいい(笑)

どちらにしても、波乱含みでリハーサルに臨んだが、
結果としてそこには良い事もあり、どちらにしても、本当に「無理」となるまでは、やれるところまでやってみよう、と希望を残してリハを終えることが出来た。

 

ひとつは、(未だ名前も正体もここには書いていないものの)、ドラマー氏の演奏であって、
それは、カバー曲は除いて3曲目として取り組んだその曲は”Unlimit”だったのであるけれど、

結果的にジェイクが叩いていたレコードのバージョンとは少し違うパターンでの演奏になっているのだが、
そこでのグルーヴが非常にSmashing Pumpkins的だった(笑)

そんでもって、やっぱそれは90年代的なノリで言えばThe Stone Rosesみたいだった。

ドラマー氏は、基本的には70年代を中心としてアメリカンロック大好きな人で、それはVan Halenが大好きでやっぱりアメリカンなノリの陽気なロックに憧れる僕の趣味とはぴったり一致する。

そしてジャパメタ出身の人なのでヘヴィメタル、ハードロックのドラマーであることに間違いはない。

けれども、僕はずっと、自分にとっての理想のドラマーは、ファンクっぽい踊れるノリが叩ける人だと言ってきた。
つまり、ツーバスが叩けるメタルドラマーだけど、The Stone Rosesのレニみたいな柔軟なグルーヴも叩けるドラマーが理想だ、といつも言ってきた。

そしたら、この日合わせてみた、Unlimitの一歩間違えれば当時のマッドチェスターみたいなグルーヴは、まさに理想じゃん。

もちろん、ロックドラマーの理想型と言えば、かのJohn Bonhamとてかなりファンク的な要素はあったのだから、必然性の無いことではない。

でも、一発でこのノリに帰結したってことは、やはり今回のこのドラマー氏、限りなく僕の望む理想のドラマー像に近いことをやはり再確認した。(年齢以外は、笑)

近いうちに(ちょっとだけよ)の動画をアップすると思う。

 

あとは悪いことを言えば、やはりお忙しいこともあって、現在ドラマー氏には楽曲の細部までは準備をしてもらってないのだけれど、
そこの部分における現場のその場での一発ノリが、非常にPumpkins的なノリになってしまっている。

これは、悪いことでもあるけれど、良い意味でもあって。

 

僕は今年、ちょっと90年代をRevisitする中で、Smashing Pumpkinsにあらためて今さらはまっているが、
今回の僕が[バージョン5]と呼んでいる、この現在水面下で準備中のImari Tonesは、Smashing Pumpkinsに近いものがあると思っている。

音楽的に多彩で独裁主義っぽいギターヴォーカル、凄腕のドラマー、シャープなルックスの女性ベーシスト、という意味で。
そしてもちろん、情報量の多さと、メタルとポップの狭間で揺れる音楽性もそうである。

これにあと東洋人のギタリストが入ればもろにスマパンになってしまうが、そもそも僕らは最初から東洋人であるので、ここは必要ないかもしれない(笑)

あとは僕がハゲればいいだけだ(笑)

 

で、音楽的な分析は文字にするとめんどくさいが、基本的に当時のスマパンは感性一発、ビリー・コーガンとジミー・チェンバレンの二者の間でのグルーヴ一発みたいなところがあるので、
スタジオでさっくり合わせると、そんな感じのスマパン的なノリに近くなってしまうのである。

で、そのグルーヴは十分に殺傷力があるものなので、
あとはそこにうちの嫁さんのベースがどこまで食いついてきてくれるか、そこにかかっている。

バンド、アンサンブルってのは不思議なもので、個人の技量が必ずしもアンサンブルの相性というのか、結果に直結しない。

個人的にはアンサンブルというのは人間関係そのものである、と思っているが、

何度も言っているが今回うちの嫁さんを起用してみよう、と踏み切った理由にも、リズムを引っ張れるドラマー氏がいて、楽曲の骨格と色付けができるギタリストがいれば、残りの一人は自分でリズムが取れない人であったとしても、二人に付いていけば大丈夫だろう、と踏んだ、その計算がある。

そしてたぶんこれがもっとも重要なこととして、人間的な相性、そして体質的な相性として、僕の刻むリフに対して、うちの嫁さんはばっちり付いて来て食いついてくる、そのリズムの相性はかなり悪くないのである。これは自宅で二人で合わせてみればすぐにわかることだった。それは、なんといっても、ほら、夫婦だからである。

うちの嫁さんは音楽の才能はやはり皆無であって、この日のリハにおいても、リズム、グルーヴの点ではちゃんと食いついてきたが、かといって、お話にならないような凡ミス、力量不足の点も多い。

なんとかここを克服できれば、本当に凄いバンドになるかもしれない。

実際、この日、音を出す中で、このグルーヴとサウンドで世界を制覇できるかもしれない、という手応えは確かにあった(笑)

 

けれども、そこにはいろんな「瀬戸際」がある。

その「瀬戸際」から、ひとつ滑り落ちてしまえば、もうこの計画は挫折してしまうだろう。

祈るしかない。

祈りながら、やれるところまでやるしかない。

 

もうひとつ僕が考えているのは、レコーディングのことだ。
つまりはこれから立ち向かわなくてはいけない「鍋島」のレコーディングのことだけれども、

これについて、僕は来年、つまり2019年に、この22曲(プラス、インスト2曲)のドラムの録音を終えてしまいたいと思っている。

ドラマー氏は力量の上では、鍋島を叩けるということに問題なく、技術的に疑いはないが、
果たして、スケジュール的に、また、アレンジ的に現実的に可能だろうか。

そしてまた、僕の書く楽曲は、ドラムのパターンがちょっと変わっていて、オーソドックスでないパターンやアレンジであることも多い。

 

前任者のジェイクについて良いことを言えば、彼は、そこのアレンジについては忠実に叩いてくれた。
つまり、僕が作ったドラムのパターンに対して、基本的にそれを再現してくれていた。

もちろん、それは僕にとっては時に「物足りない」ものであって、その僕が作ったパターンから、更に独自のものに仕上げてくれよ、という思いはあったが、逆にアレンジ上、進行の上での大きな問題が生じることなく、効率よく作品を作れたことも事実である。

ジェイクにせめてもう少し、人並みのリズム感があれば。
あるいは、ジェイクにせめてもう少し、周囲の音を聴き、能動的なアンサンブルを鳴らすことが出来れば。(演奏だけでなく、人間的にも)
そういったことは、何度も愚痴のように「惜しいな」と言っていたことだったが。

 

おそらくは、スケジュール的な問題だけでなく、リズムパターンやアレンジの面でも、今回のドラマー氏に叩いてもらうのであれば、時間がかかるような気がしている。
つまり、これはバンドであり、スタジオミュージシャンではないのだから、文句があるのであれば金を払ってスタジオミュージシャンを雇え、という話である。

そして、もちろん、上記のまるでストーンローゼズかスマパンか、といったようなグルーヴに見るように、ライヴバンドとしては、この方向性が正しい。
ドラマー氏と、うちの嫁さんと、3人でスタジオの中で、ライヴバンドとしてのアレンジとグルーヴを作っていくことに異論はない。
なぜならそのグルーヴの中でこそ、ついに本物のバンドが生まれるのであり、そしてそのサウンドをもって、僕らは世界を席巻することが出来るからだ。

 

けれども、レコーディング、録音制作においては、また少し話が変わってくる。
ましてやこれから作る作品は、非常にこだわりの強い「鍋島」である。

だから、僕はもうこれは、神からの試練であり宿題と受け取った。
基本的に、「鍋島」のドラムは自分で叩け、ということである。
レコーディングでは、ね。

ジェイクだったら、きっと僕の指定どおりのドラムを叩いてくれただろうけれども、けれども色々な理由により、彼では無理だ、この3人では鍋島は作れない、という判断で、[Tone – Hassy – Jake]のラインナップを終了させたのである。

そんなドラムを叩けるやつは、いない、っつー話である。
だから僕が自分で叩くしかない。

 

思えば2005年に[Tone – Minetti – Harrati]による「最初の黄金時代」のImari Tonesを解散させた後にも、僕は一人で大量の制作をした。自分でドラムを叩いて、である。

その時の僕のドラミングには、技術的な未熟さもあり、よくやったという面もあるが、後悔も多い。

だけれども、あの時と同じように、
また、あの時の再挑戦のように、
この「鍋島」は、やはりたった一人で、立ち向かうべきものなのかもしれない。

それは、やってみればわかる。
成り行きにまかせる。

神の御心ってやつ。

 

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