ありがとうプラマイ

先月、ニューヨークのインディバンドである+/-{plus/minus}の来日コンサートを見た。
僕は自分のバンドの日本語ウェブサイトは、気軽な日記帳や雑記帳のごとく、個人ブログ的に使っているので、またもこのような記事を書いている。

 

一年ちょっと前に、+/-{plus/minus}、以下プラマイ、の新譜についての感想をざっくりと書いたと思う。

その記事に僕は「さよならプラマイ」と書いた

 

+/-{plus/minus}は、僕にとっては人生の中で最上級に夢中になったバンドのひとつだ。
自分の人生の中で縁があり、本気で惚れたバンド、アーティストという意味で、僕の中では5本の指には入る。ひょっとしたら3本の指に入るかもしれない。

また、結構聴きやすい音楽性だったこともあって、自分の人生でプライベートでいちばん多く聴いていたのも、ひょっとすると+/-{plus/minus}だったかもしれない。
(たとえばブッチャーズも同じくらい好きだが、ブッチャーズの場合は音楽性もメッセージも重い感じがするので、たまにしか聴かない、みたいなところがある。ていうか、聴くとだいたい泣いてしまうので、おいそれと聴けないところがある。)

 

だが、どんなに好きなものであっても、卒業する時が来る。
卒業っていうのはおかしいかもしれない。
別に、ただの音楽なわけだから、今後も好きなだけ聴き続ければいいのだ。

だけれども、自分に縁があって、本当に好きだったのは、本当に夢中だったのはここまでかな、みたいな時が来る。
そして、いつまでもそれにこだわっているのではなく、先へと進むべき時がやってくる。

僕にとって、昨年発表された+/-{plus/minus}の10年ぶりのフルアルバム “Further Afield”は、「もうプラマイから卒業しなさい」と言われたような、そんなアルバムだった。音楽の中に込められたメッセージから、僕はそのようなものを受け取った。あくまで個人的な感想である。

 

+/-{plus/minus}の音楽は、最先端のロックであったと思う。
それはデビューアルバムから、2000年代を通じてそうであったと思う。
これよりも先を行っている音楽を知らない。
そう言えるくらいの存在であると思う。
そんな音楽を、一般的には無名のインディバンドが鳴らし、成し遂げたことが何よりも凄い。

僕はそんな彼らの音の鳴らし方に夢中になった。
彼らの音楽、ということもあるが、音の鳴らし方自体が素晴らしかった。

 

しかし、2010年代に入ると、そのようなインディロックの手法も陳腐化した。
かといって、本当の意味でプラマイよりも先にある音を鳴らすことのできたミュージシャンがいるかと言うとわからない。むしろ疑わしい。いるなら教えてほしい。とてもとても教えてほしい。

そして、僕は次第に、新しいものよりも、伝統的なロックに惹かれるようになった。
そしてロックの歴史を掘り下げていくと、伝統的と思われる昔のバンド、ミュージシャンたちが、実はより先を行く、よりぶっとんだものをとっくに作っていたのだ、よりぶっとんだ音をすでに鳴らしていたのだ、という事実に次第に気が付いた。

僕がプラマイを卒業する、という事は、そのような気付きの延長線上にある事だと言っても、それはあながち間違いではないと思う。

 

基本的に21世紀に入ってから、メインストリームではロックは死んでおり、本当に意義のある音はアンダーグラウンド、インディバンドによって鳴らされてきたと、僕は考えている。ロックの本質という意味で言えばそうだと考えている。

1990年代に青春を過ごしたオルタナティブロック世代の僕たちにとっては、メジャー、メインストリームではなく、インディペンデントなバンドが、より素晴らしい音楽を鳴らすというのは、ロック本来のあるべき姿であり、理想だと言える。

かといって、現実にはそんなバンドは少ない。
本当に才能のある人間は少ない。
また、ロックバンドなんてものは儚いものだ。
よほど運良く成功しなければ、お金にもならないし、いくら苦労しても報われないものだ。

そんな中で、本当に質の高い、本当の意味で新しい音楽を作り、またそれを長いスパンで本格的に続けてくれるようなミュージシャンは稀有だ。

 

僕は大人になり、21世紀になってから、好きになったミュージシャンはいっぱいいる。
無名のインデイバンドであっても、好きになったバンドはたくさんある。

だが、大抵彼らは、アルバム1枚か2枚でいなくなってしまう。
多少商業的にチャンスを掴んだとしても、アルバム2枚を発表した後は、彼らはいなくなってしまうのだ。

だから、作品をいくつも作り、人生の旅路や、人間としての成長や円熟まで聴かせてくれるようなアーティストは稀有だ。

そして+/-{plus/minus}は、そのような理想を実現してみせた稀有なインディバンドのひとつだったと思う。

アーティストとしてのメッセージ、姿勢、作風、そういったものも一貫して素晴らしいものがあった。

 

彼らは2008年に4枚目のアルバム”Xs On Your Eyes”をリリースした後、確か日本企画のEPを出したり、レア曲を集めたコンピレーションアルバム”Pulled Punches”を出したりしていた。

そしてまた、2011年の東日本大震災の折には、僕が知っている限りでは、ベネフィットのコンピレーションアルバムのために2曲発表している。
その2曲が、非常に素晴らしく、僕にとってのプラマイはそのあたりが頂点であったように思う。

 

2014年に、前のアルバムから6年空けて、やっと5枚目のアルバム”Jumping The Tracks”が出た。それはブッチャーズの吉村氏が亡くなった翌年のことだったから、それもあって僕はかなり感情的にそのアルバムを受け止めた。

そしてそのアルバムの中には彼らの限界が示されていたと思う。
内容は素晴らしいものだったが、僕はそのアルバムを手放しでは喜べなかった。むしろ落胆した。実際にアルバムの中に流れていたテーマも切なく悲しいものであったから、ふさわしい感想と言えなくもない。

人生の中の状況、家庭といった事情もあり、プラマイの音楽活動はスローダウンしているのだろう、ということは言えた。むしろほとんど停止していただろう。
だが、問題は活動のペースが落ちるということだけでなく、もっと本質的なところだ。さらに先を切り開くような音を鳴らす意気込みや、覚悟のようなものが感じられるかどうかだ。

確か2019年に久しぶりにEPが出たように記憶している。
その内容は、もちろん悪くなかったけれど、僕としてはやはり「スロー」なものだと感じた。

2020年のパンデミックに際して、パンデミックEPのような形で、限定EPのようにして3曲発表された。スポンティニアスに作られたものだからだろうか。むしろ僕はこの3曲の方が、本来のプラマイらしいと感じた。イージーな録音だが、結構好きだ。

 

そして、昨年2024年。実に10年ぶりとなるフルアルバム、6枚目となる”Further Afield”がリリースされた。
もちろん悪くはない。
けれども、それはもう僕が夢中になれるようなものではなかった。
ただ個人的に、これはいいなと思う特別な曲はひとつふたつあり、今の僕にはそれで十分だった。

僕は「プラマイの音楽から卒業しなさい」と言われたような気がした。

そして、それを確かめるために、僕はライブを見ることにした。

昨年、2024年は、僕にとって音楽的な意味でひとつの転機でもあった。
それは小さな転機だ。
だがそれは、音楽を鳴らす者としても、音楽を聴く者としても小さくない示唆だった。

ここ数年、自分のバンドで音を鳴らしてきたことも踏まえて、僕は答え合わせをしたいと思った。
そのためには、現場に行くのが一番だ。

 

残念ながら、スケジュールがわりと厳しくて、複数公演を追っかけしたり、地方まで見に行くというわけにはいかなかった。
東京公演が2本あった中で、僕は追加公演の最終日渋谷を選んだ。これもスケジュールの関係で仕方なかった部分がある。東京公演の2本のうち、どっちの方が出来がよかったのかはわからない。

だが個人的には、最終日の追加公演を選んで得したような気がしている。個人的にだ。昔からのファンとしては嬉しい内容だったからである。

 

ウェブサイトの日記には、+/-{plus/minus}のライブを見た時には、いつも記録を書いていたし、過去にこの思い入れのある素晴らしいバンドについて書いたことも何度もあるはずだ。
だから、前にも言ったことがあると思うが、
僕が初めてプラマイを見たのは、2007年のテキサス州オースティン、SXSWでのライブだ。それが僕がプラマイの音楽に触れた最初だった。結構劇的な出会いだったと言える。
大ファンであるbloodthirsty butchersと共演しスプリットアルバムを出したバンドということで、名前だけは聞いたことがある、という程度の認識だったからだ。

あの時、僕は、このオースティンでのSXSWでミュージシャンとして掴むものが何もなければ、もう音楽をやめようと思っていた。
しかし最終日、僕は+/-{plus/minus}に出会い、衝撃を受けた。ぶっとんだ。そして、これから自分がどのような音を鳴らせばいいか、そしてどんな場所を目指せばいいのか、それがわかった気がした。

 

それから、数少ない来日の際には毎回見ていたはずだ。そしてだいたい、複数公演を見ていたはずだと思う。

2008年の渋谷で見たプラマイは、まさに脂の乗った絶好調の時期であり、その時のライブは僕が人生で体験したライブの中でもベスト3に入る。あるいは、一番かもしれない。それくらい感動し、強烈に記憶に残っている。もちろんライブは、それを受け取る自分の状態やタイミングも大切だが、それも込みでの話だ。

確か、前回プラマイを見たのは、2017年のことだ。
これは、まだ覚えている。わりと鮮明に覚えている。
東京と名古屋を見たと記憶している。
2014年に出した”Jumping The Tracks”の来日公演が2017年に行われたのだから、いかに彼らの活動がマイペースかという事がわかる。
この時の東京公演を見て、その場にいないはずのブッチャーズ吉村秀樹氏の存在を強く感じたことが、何より印象的だった。ブッチャーズは偉大だという事だ。
そして僕としては、ずっと複雑な思いで聴いてきた”Bitterest Pill”を生で聴けたことが収穫だった。まあ泣くよね。

 

来日公演の際には、James Baluyutにはだいたい声をかけていたと思う。自分もバンドをやっているから、少しは音楽についての会話もしたと思う。
しかし今回の来日は、さよならを言いに来たのであるから(心の中で)、むやみにでしゃばって声をかけたりせず、黙って見て帰ろうと思っていた。

しかし、ちょっと早く会場に着いたら普通に目の前に居たので、少しだけ声をかけた。
最終日の追加公演であるが、新譜の中でも好きな曲である”Gondolier”をやってほしいと伝えた。僕にとってその曲を聴くことが、ショウを見に来た目的だったからだ。「わかった。それならアンコールでやろう」と返事が返ってきて、実際にやってくれた。
そして、その後にエレベーターで並んでいた時にくだらないジョークを伝えた。「おい、お前もプラスマイナスを見に来たのか?クールなバンドだからチェックした方がいいぜ」って。

 

この日、気のせいか、彼も感情的になっていたように思う。
最終公演だったからだろうか。
“Bitterest Pill”を歌うJamesは明らかに涙を流していたように思う。まあ、そういう曲だしね。
Jamesはたどたどしい日本語で、ブッチャーズへの謝辞をきちんと伝えていた。
そして、Gondolierを生で聴けて、僕は無事にプラマイにさよならを言えたように思う。

 

+/-{plus/minus}は相変わらず素晴らしい。
そして、たとえメインストリームとは程遠い、一般的に見れば無名のバンドであったとしても、優れたインディロックのバンドとして、ロックの歴史に名を残す素晴らしいバンドであることは間違いない事実だと思う。

けれど、今のプラマイには、かつてのような切れ味と気迫に満ちた音を鳴らすことはもう出来ないのではないだろうか。

もちろん、今の彼らにそういった面を求めるのはフェアではないし、また、状況から考えても完璧な演奏を求めるのはフェアではない。

そして、僕はきっと多くを求めすぎているだろう、それも事実だ。

けれど、振り返るとね。
たとえば彼らが”Jumping The Tracks”を出して以来、また”Summer 2019″を出して以来、自分が歩いてきた道のり、歩いてきた旅路、鳴らしてきた音、出会ってきた人々、乗り越えてきた事、それらを思うとね。
僕は今の彼らの音には満足できないと感じる。
もっと先があるんだ。きっと。
それがどんなものであれ。

 

僕はこれからもプラマイの音楽を聴くし、最高に好きになった音楽のひとつであることに変わりはない。
作品が出れば聴くし、来日公演があればきっと見るだろう。

だけど、かつてのように夢中になることは、おそらくないだろう。

それでも、彼らの音楽が、僕の人生のかけがえのないサウンドトラックだった事実に変わりはない。
彼らの音楽に出会えて幸福だった。

ありがとう+/-{plus/minus}。

 

 

 

ラブレターはここまでだ。

だけど、ここは自分のバンドのブログであるので、ちょっと面白い企画として、僕の、自分のバンドの曲で、+/-{plus/minus}に影響を受けた曲というのを挙げてみたいと思う。

先述のとおり、僕が彼らの音楽に出会ったのは2007年のことだが、それ以来、僕は無意識のうちに、いや明らかに、彼らの音楽に影響を受けてきたと思う。

それ以前にも多少は変拍子を使った曲は書いていたけど、僕がおかしな変拍子を使った場合には、だいたいプラマイの影響と言っていい。僕らはハードロック系、メタル系のバンドであるから、スリーピースであることや、僕のヴォーカルの声質もあいまって、だいたい「ああ、RUSHが好きなんだね」と言われてしまうのだが、事実は違うのだ。(もちろんRushだって好きであるが。)

 

僕らはいまいち、メタルバンドと言いつつも実際には妙に幅の広い、ポップ、パンク、オルタナなどに平気で振れるバンドだ。それは僕が、伝統的な70年代、80年代のハードロック、メタルの文脈で音を鳴らすのであれば、もっと自由に幅広く鳴らすのが本来の姿だと考えているからだ。

だから、サイドプロジェクト以外にも、自分のバンドであるImari Tones (伊万里音色)名義の曲でも、インディロックっぽいサウンドの曲はちょくちょく出している。

もちろん、僕らは二流のバンドで、手垢の付いた音しか作れないので、偉大な+/-{plus/minus}と比べれば完璧なサウンドとは言い難いが、そこは恥をしのんで、紹介してみたいと思う。

 

Love Is To Do Something No One Dares To Do
うちの代表曲のひとつですが、「インディロックバラード」って呼んでます。

 

Co-In
最近の曲ですが、これはわりとそれっぽいんじゃないかな。

 

Cat Licks
後半にUnderfootを人力で真似したみたいになってるパートがありますね。Underfootは今回見たライブでもアンコール最後にやってくれて嬉しかったよ。

 

How To Save The Multiverse
もっと軽快な音に仕上げたかったんだけど、思ったよりヘヴィに混沌としちゃって。

 

 

Precious
変拍子の使い方はやはり影響されてると思う。

 

 

17years
曲自体はそれっぽいのですが、本来ソフトな曲をハードなギターで弾いちゃったパターンですね。

 

 

 

Ai No Iro
ゴスペルソングですが、曲の構造としてはこれもわりとそれっぽいかもしれない。

 

 

God Kids
ヴァース部分のリズムが「Xs On Your Eyes」っぽい気がします。

 

 

You Key
これも影響下にあるリズムとソングライティングと言っていいだろうか??? (ビデオは微妙だけど)

 

Jidai
自分なりのプラマイ的な変拍子の解釈かな。

 

Redemption
これもプラマイ的なソングライティングを自分なりの解釈でハードロックに取り入れてみた感じ。

 

 

One Sheep
これは曲そのものはプラマイって感じじゃないけど、ソフト路線ってことで。

 

Changing Sky
サイドプロジェクトで作ったものだとこれなんかもろにそうだね

 

サイドプロジェクトだとわりと好き勝手やれるので、プラマイ大好きっていうのが全面に出てる気がします(笑) 趣味全開のサイドプロジェクト”Dakeno Kakari”は、まさに僕がプラマイになりたくて始めたという感じですね。

Hypothesis

Magic Now

World Forget

 

まったく注目されてないけどサイドプロジェクトDakeno Kakariもよろしくお願いします。
そのうちまた作りたいと思ってますので。

 

 

こうやってみると、意外と線引きが難しいというか、しょせん自分のバンドの曲は「プラマイの影響は感じられるけど、サウンドとしてはハードロック」みたいな曲が多いので、「モロにプラマイっぽいインディロック路線」みたいな曲は思ったより少なかったですね。

プラマイ縛り、っていうのでなければ、インディロック的な方向性の曲はもっとある気がするので、また別途、プラマイどうこうでなく、「Indie rock songs by Imari Tones」っていうプレイリストを作ってみようかな、って気になりました。
喜んでくれるファンの方もいるかもしれないしね😉

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

トップに戻る