最近では歳をとったせいか、とみに愚痴っぽくなってしまい、
過去のように、日々、日記パッドに諸々の生活所感を書く余裕もまたなくなってしまった。
日々、逐一web上の日記パッドに所感を書き付けるという行為は、無駄なようでいて、やはり脳内、頭の中の感情や情報を整理するためには大いに役立っていた。
つまりそれは、祈りや瞑想という行為と似たようなものだったと思う。
ここ数年、次第にそれが出来なくなってきたのは、日々のタスクが増えてきて、書いている余裕がなくなったこと、単純に年齢のせいで体力や気力に余裕がなくなってきたこと、それもあるが、一番の理由は、情報がより大きくなりすぎてしまったからだと思う。
日々の所感を書くだけで、毎日のように長編小説や、長めのエッセイを書くわけにはいかない。
時々、落ち着いて振り返り所感を書くと、どうにも愚痴っぽくなってしまうのは、そうした事情もあり、様々な感情が自分の内部にたまってしまっているからのように思う。
けれども今日は、ひさしぶりに振り返って、近況の報告とともに書き記してみたい。
近況の報告って、誰に報告するのか。
それは、自分のこんなまどろっこしい文章を、読む人はそう多くはないのを知っているので、
(しかし、昔からいつも、「いつも読んでます」とか「君の日記のファンだよ」と言ってくれる人は一定数いるのだが、そうはいっても、実際には読んでないだろ、といつも思っているが、苦笑)
だから僕がいつも、このような所感や心象風景を、逐一書き記していたとすれば、それは神さんに対する報告なのだ。なぜって、やっぱりそいつが大元締めだからな。
今年は、自分の音楽人生そのものの集大成と言える作品「鍋島」(Nabeshima)を作ると決心している。
そのために、色々の準備をやっている。
しかし、この作品を、「作ろう」と言える場所に来るまでにも、ずいぶんとかかった。
昨日、スケートをするべくあの場所に赴いて、ふと振り返った。
「鍋島」(Nabeshimaと表記するべきか)の楽曲を書き上げたのは、ほぼ2015年の前半だ。
2015年の夏に、”Not of This World”という曲を書いて、その曲について、これこそまさに、自分が人生で最後に書く曲としてふさわしい、と感じた。
もちろん、それが現実に人生で最後に書いた曲になったわけではなく、その後も曲を書いているけれども。
あの時、あの夏の日、某食品工場で働いた後に、やはりあの場所で、確かに頭の中にそのギターのリフが鳴り響き、象徴的なメロディが浮かび、インスピレーションを感じて、”Not of This World”という曲が完成した。
それで僕は、よし「Nabeshima」の楽曲は、これですべて書き終えたな、と感じた。
実際に、「Nabeshima」の楽曲は、2015年の前半に書いたものが一番多い。2014年に書いたものもそれなりにあるし、それ以前に書いたものも混じってはいると思うが、2015年に書いたマテリアルが一番多いと思う。
そして、自分の音楽人生の集大成であるこの”Nabeshima”を書き上げた以上、僕にはもう曲は書けないだろう、と感じた。
そして、実際に、その後、書けない時期が何年も続いた。
(しかし、今年に入って、インスピレーションを得て、その先にある音を、見つけたように思う。その話は、また別の機会だ。)
とは言っても、現実には、創作のヴォルテージというものは、スイッチを切るようにいきなりゼロになるわけではないので、「残り物」を吐き出すようにして、2016年の前半までは、「鍋島の残り物」と言えるマテリアルをいくつか書き上げることが出来た。
そして、その中から、後でデモの形にまとめる時に、実際に”Nabeshima”のプロジェクトにincludeされた曲もある。(たとえば、リリース前だから誰も知らないが、bのつくあの曲、ごめん、曲名がすでにネタっぽいから、曲名すら書けなかった、笑、が、そうだ)
そしてその2016年になってから書いた「鍋島の残り物」のマテリアルは、やがて「Overture」アルバムに収録されることになった。
2016年はそう思って振り返ると、かなり忙しい年だったのであり、
つまり、”Jesus Wind”のレコーディングという、恐ろしくインテンスな作業を行い、(またそれと同時期に例のStryperの来日に関するあれこれがあり)、その後に、「鍋島デモ」を制作した。さらに「鍋島の残り物」は「しましまデモ」という名称で追加されていた。
そして秋になって、さらにそこに何曲か加えて、”Overture”の青写真が完成することになった。
秋には4年目となる、最後のXTJ (The Extreme Tour Japan)を、チリのクリスチャンバンド(Chilean Christian J-Rock bandと言うべきか)であるVictorianoを迎えて行い、
そしてそれが終わって、落ち着いてから、2016年の晩秋から”Overture”の楽曲のリハーサルに取り掛かった。
その時点で、この”Overture”を、はっしー&Jake体制で作る最後のアルバムだと決めていたので、そこからの”Overture”を作る過程、その時間というものは、彼らと過ごす、あの3人で過ごす最後の日々、最後の時間である、とわかって、共に過ごし、あの”Overture”アルバムを作ったのである。
それは、やはり切ないものであったし、それはまた、大事な時間でもあった。
“Ovreture”の楽曲をライブで演奏する機会は限られていたが、あれはとても貴重だった。
その”Overture”をレコーディングしたのが、2017年の年末。
書き上げた時系列で言えば、鍋島の残り物、である”Overture”を、Hassy&Jakeと作る最後の作品として作り上げる必要があったので、
また、メンバーチェンジ、いったんバンドの解体、そして、どこでどのようにして作るのか、といったことを模索しなければいけなかったので、時間がかかるのは当然のことであるのだけれども、
2015年の夏を基準にすれば、”Nabeshima”の楽曲を書き上げてから、もうすぐ4年の月日がたってしまうことになる。
デモの形にまとめたところから考えると、それは2016年の8月だったから、もうすぐ3年、ということになる。
もっとも、歌詞を書いたのが2016年の9月、仮歌をのっけたのが2017年の正月のことだ。
仮歌をのっけてヴォーカルのメロディを決定したところから数えれば、まだ2年と少し、ということになる。
しかし、どちらにしても時間がかかっている。
Hassy&Jakeと一緒に10年活動をしてきたわけだが、その中で、これほどまでに時間がかかったことは今までになかった。
逆に言えば、
もちろん、2014年以降、つまり、彼らと一緒にやったうちの「後半の5年間」は、諸々の内部の事情、またメンバーの都合などにより、思ったようにライヴ活動が出来なかったわけだが、
そうは言っても、制作は非常にハイペースで行っていたのであり、
書き上げた作品を1年かそこらでレコーディングしてアルバムを作り続けることが出来たのは、やはり非常に幸運なことだったのだ。
もっとも、”Jesus Wind”は大作だったから、あれはさすがに、かなりの時間を必要としたのだけれども。
やはり基本的に、「Tone-Hassy-Jake」の3人のImari Tonesは、あの”Jesus Wind”を作り上げるために、集まった3人だったのだと思う。
あれが頂点だったし、最後に作った”Overture”はおまけのボーナスみたいなものだ。でも日本語でああいうスタイルでやれたことは、とても大切な意味を持つことだった。
基本的に、”Jesus Wind”を作り上げた時点で、[Tone-Hassy-Jake]のバンド体制は、限界に達し、その使命を終えていたのだ。
僕は、音楽を始める最初のところから、いわゆる世間的な「成功」は考えていなかったし、またそういった「成功」から、最初から前提としてほど遠いところに居た。
だからある意味、「成功」は求めていないし、そこに自分たちの音楽の本質があるけれども。
いつでも過去の作品を振り返ると、その時、その時で、十分に突き詰めた音楽をやれていると感じる。つまり、世間的に「売る」ためのwhat it takesは、いつもそれなりにちゃんとあったと思う。
けれども、それらの音楽をもって、世界に出ていき、しっかりコミュニケーションが取れたかというと、それが出来たことは、あまり無かった。これは、自分の音楽の音楽性や文化的背景、メッセージ性などが、どうしても海外向けになってしまい、海外で活動しなければどうにもならないが、かといって、諸々の事情がそれを許さない、という理由が、どうしてもある。
どちらにせよ、僕たちは最初から世間と非常に距離が遠く、また、10年間、メンバーとして共に活動してきたHassy&Jakeも、多かれ少なかれ、そういったタイプの人間だった。(というか、Imari Tonesのメンバーは、過去にも、歴代、そういった人間がほとんどだった)
だから、最初から世間との距離が近いバンドであれば、こうした作品を作るうちに、もっと早い段階で、世間とのコミュニケーションに注力できるのだろうけれども、僕たちには、それが許されなかった。
そう思って、過去の作品を聴いてみると、どれもその時点で、十分に「未来の音」を鳴らしてはいるが、この世界における、「本当の自分」「本当の自分たちの姿」「本当に鳴らすべき音」というものは、まだまだそこではなく、もっと違うところにあったのかもしれない。
それを、たとえバンドの外向きの活動が停滞していたとしても、その点についてはrelentlessに、ずっと突き詰めてきたのであり、その答えが「Nabeshima」であるはずだ。
だからこそ、今、バンドは新しい形を取ろうとしている。
今度こそ、世界とコミュニケーションすることを、神が許してくれるといいのだけれど。
これについては、いよいよ祈ってもいいのかもしれない。
それらの自分たちのルーツについて、突き詰める作業が、しっかりと出来たこと。
エレクトリックギターや、楽器やサウンドの面も含めて、自分にとっての答えを見つけることが出来たこと。
また、その「鍋島」の作曲が、2014年から2015年、また引き続き2016にまで及んで書き上げることが出来た、ということは、
やはりHassy&Jakeと過ごした「後半の5年間」は、無駄ではなかった。
たとえ、対外的な活動や、ライブ活動が思うようにできず、我慢を続ける数年間だったとしても。
つまり”Jesus Wind”をひとつの頂点として、またそこからさらにそれを踏み台として、”Nabeshima”を書き上げることの出来たあの時期は、あの年月は、やはり自分にとっては、とてつもなく重要なかけがえのない時間であったと言うことが出来る。
振り返れば、そう感じるし、もっと年月がたってから振り返った時、よりそのことを実感できるのに違いない。
話はそれたが、どちらにせよ、基本の作曲を終えてから、4年近くも経過して、やっとこれからレコーディングに取り掛かる(まだ、取り掛かってすらいない。そのための準備をしているところなのだ。)なんてことは、ほとんど初めてのことだ。
だから、時間の経過に、正直、あせってしまっているところがある。
10年続けた[Tone-Hassy-Jake]体制を終わらせたこと。
その後、どのように活動していくのか、祈り、探し求めていたこと。
どのように、いつ、どこで、誰と、どのようにして”Nabeshima”を作ればいいのか、神に問いかけ、模索していこと。
その答えは、神に示されたと思っている。
だから、今、こうして準備を整え、2019年、元号も変わってしまったが、これからそれを作ろうとしているのである。
自分の人生において、今、いや、もうこの何年もの間、つらいことのひとつは、
それはやはり、何度も書いていることではあるが、bloodthirsty butchersの吉村秀樹氏の死去以降、自分の中で「音楽的に」時間が止まってしまっていることだ。
もちろん、新しいバンドも、少しはつとめて聴くようにしているが、やはり、あまり感銘は受けない。
ひとつふたつ、気に入ったバンドもあるし、たとえば、自分をすごく新鮮な気持ちにさせてくれたPWR BTTMというバンドがいたが、それはスキャンダルでつぶされてしまった。好きになったものが無くなってしまうのは、本当に、僕にはよくあることなのだが、何なのだ、と神に嘆きたくなる。
だから、それ以降、古い音楽にインスピレーションを受けることが多くなった。
Peter Green (初期Fleetwood Mac)や、古いブルーズはその最たるものであるし、また自分の世代であるところの90年代をrevisitしているのもそうだ。
また、この何年もの間、ずっと自分を勇気づけ、インスパイアし、方向を指し示してくれたのは、ロックの歴史上において、ソングライターとして過剰なまでに圧倒的に職人的な存在であったXTC(アンディ・パートリッジ)を、ずっと夢中になって聴き続けているのもそうだ。
この2年ばかり、わりと気に入っているのは、これも決して新しいバンドではないが、イギリスはマンチェスターのインディバンド、The travelling band(なんつーありきたりなバンド名だ)だが、これも、すごくエキサイティング、というよりは、悟り切った後の、あきらめにも似た最涯の音という感じである。しかし、それが自分にとってはやすらぎであるのだが。
(そう思うと、いまだにSuedeの音楽がリアルタイムで良い、というのは、ほとんど奇跡的なことだけれどね。自分にとっての好きなバンドの中で、もはや唯一の生き残りのように思う。)
会う人、会う人、いつも言っているが、もし新しい音楽で、良いものがあったら、教えて欲しい。自分をその気にさせてくれるような若いバンドが、いたら、そういう音楽に出会うことが出来たら、それは本当に、僕を生き返らせてくれるのだから。
やはり自分にとっては、吉村秀樹氏の死去とともに、ロックンロールは終わってしまった。
そして、21世紀のインディロックも、やはり終わってしまった。
2010年前後のイキのいいインディバンドも、あらかた活動を停止してしまっているし、また僕の大好きだったニューヨークの+/-{plus/minus}も、かつてのように新鮮な驚きをもってカムバックすることは、おそらくはないだろう。
気に入っていたいくつかのクリスチャン系のバンドたちも、正直なところ、定型を繰り返すだけの作品しか作れなくなってしまっている。そしてこれは言うまでもなくほぼすべてのベテランやレジェンドと言われるバンドにも当てはまる。
焼き直しでない音楽があるのであれば、ぜひ教えてほしい。
そして、今の時代にあっては、音楽に限らず、どんなものでも、食べ物やお酒であっても、インターネット上でバズることを価値基準として制作されているだろう。
だから、本当に価値のある新しいものは、絶望的なまでに、もう出て来なくなってしまった、ように、思っている。Prove me wrong. Please, please prove me wrong.
自分の音楽人生にとっては、これらの「終焉」は確かに必然性のあることであり、
たとえば僕の永遠のAll Time FavoriteでありヒーローであるVan Halenが、最後のアルバム、およびあの東京ドーム公演、そのライブアルバム化によって、自分にとってのそれがVan Halenという音楽の非常にパーソナルな帰結となったこと。
また、ロックンロール、それは僕にとってのクリスチャンロックというテーマに、「ロックンロールのゴッドマザー」であり事実上の創始者であるSister Rosseta Tharpeという回答が時を越えて示されたこと。これは本当に啓示以外の何物でもないのだけれど。
そういったことをもって、この人生におけるロックンロールにおける答えが、ほぼかなり、きわめて最終的に示されてしまった。
だから、おそらくはもう、出会えない。この地上では、出会えない。
だからこそ、僕は、近年では、遠藤周作をひとつのきっかけとして、文学や小説の世界にインスピレーションを得るようになってきたわけだ。
その先に、確かに僕がこれから、さらに先に行って鳴らすべき音が、あると信じているが。
昨年の3月末をもって、10年間続けた[Tone-Hassy-Jake]のImari Tonesをいったん解体し。
そこから、「鍋島」を、どこで、どのようにして、誰と作るのか。
模索する中で。
そしてやはり、今年2019年を迎えるにあたっても、今年こそナッシュビルの地を訪れよう、だとか、カリフォルニアに居るあの人たちに会いに行こう、だとか、そういう事も考え、現実的に予定に入れていた。
だが、結果的には、今年もまた、僕はまだ旅には出れそうにない。
3月に行こうとも思っていたのだが、ひとつには、今更、こんな時代になってSXSWを訪れる気にならない、興味がわかない、ということもあった。
待っていてくれる人は、決していないわけではない。
でも、今、重要な地は、世界的に、スピリチュアル的に、カルチャー的に、また政治の面から見ても、重要な地は日本であり、東京であるということも言える。
一番の理由は、今年、鍋島を作りなさい、ということを神に示されたために、
動けなくなってしまったのである。
そしてつまり、この「鍋島」を作り終えるまでは、死ぬ訳にいかないし、
それを作り終えるまでは、とてもじゃないが、のうのうと安心してどこへ旅に出ることも出来なくなってしまったのである。
つまり、作品を作らなければいけない、創作とは、呪いであり、僕はその呪いに、人生の大半を苛まれている以上、そこに自由というものは、悔しいほどに存在しない。そしてその苦しみは、決して他人にはわかるまい。でもこれは、子育てと同じ意味合いのことであるし、実際の子育てに比べれば、それでも百倍は楽なことだろう。
作り終えたら、今度こそ、今度こそ、今度の今度こそ、旅に出たいと思っている。
いつ、作るのか。それは、今年、2019年。令和元年。それは僕にとってはヘヴィメタル元年だ。
誰と作るのか。自分で作るのだ。
それは、新たなバンドの形を昨年、示された時に、それは皮肉なほどに何のジョークかと思うほどに祈ったとおりの巡り合わせだったのだから、それを神からのメッセージと受け取った。そして、バンドの形を示された上で、自分で作れと、言われたのだ。
どこで作るのか。
今、自分が住んでいる横浜である。そして、それはどちらかと言えば、嫁さんが一番しあわせでいられる場所、それはつまり、あのオレンジ色をした猫のいる街だ。
そしてそのために、この”Nabeshima”を作るために、おそらくは僕らは今年、引越しをせざるを得ない状況になり、実際に転居したのである。あのオレンジ色の猫のいる街に、ほど近い場所へ。
今年、僕がまだ、旅に出られないことについて、待ってくれている人たちへ、申し開きをするとともに、これがその理由であり、現状の報告だ。
そして、今年、これから、自分は全力を注いで、自分の音楽人生の集大成であり、自分が鳴らすべき「本当の自分の音」である”Nabeshima”を作り上げるのだ、という、決意表明だ。
どうぞ、お祈りをよろしくお願いいたします。