また前提について書いてみたい。
作品を作るペースみたいな事についてかな。
その昔、ロックバンドというものは、アルバムというものを作っていた。
1970年台とか、80年代には、著名なロックバンドは毎年アルバムを出していた。バンドにもよるけど。
1960年代の、たとえばThe Beatlesは、もっと早いペースでアルバムを出していたようだ。
それがいいことなのか、どうかはわからない。
僕は根っからのインディーズ主義の音楽家だ。
そういう意味では、世の中の音楽業界とか、世の音楽業界のやり方とか、そういうものを信じた事はない。
ただ、ミュージシャン、ソングライターにとって、作品というものは人生そのものの表現であり、人間そのものの記録であると考えている。
だから、生涯を通じて、作品を作り続けたいという思いがある。
また、こんな事を言うと笑われるかもしれないが、自分は無名のインディーズミュージシャンであっても、創作という点だけについては、かつての偉大なトッププロというのか、そういうトップの人たちと同じ水準でやりたいと思っている。(言葉にしながら自分で苦笑しているが)
もちろん、様々な面でのクオリティが追いつかない事が多いが、せめて志はそこに置いておきたいという事だ。
自分はずっと個人で音楽を制作している。
世の中の商業的な音楽のプロというものは、基本的にチームで、組織で音楽を制作していくものであると思う。
もちろん現代では様々なテクノロジーの恩恵によって、あらゆる面において個人で音楽を制作する可能性は現実になっているが、それらのひとつひとつのテクノロジーを使用する選択をする事は、演奏家としての肉体性をひとつひとつ放棄していく事でもある。僕はそのあたりにおいては、かなり頑固に、意地みたいにして拒絶して、古いやり方にこだわり、その結果、自らの肉体の限界と不器用さに向き合う結果となってきた。(そして時間、予算、環境の制約に向き合うこととなってきた)
世の中で、ロックバンドがアルバム、レコードといったものを作らなくなったのは、単純に売れないからだろう。
ロックの時代はとうに過ぎ去り、昔のようにレコードが売れないから、今ではもう、かつての著名なバンドもアルバムを作らない。
また、90年代くらいを境にして、ロックバンドがアルバムをリリースする頻度というものは遅くなってきた。
ソングライターにも色々なタイプがあるが、僕は自分自身の表現、自分自身のバンドにおける表現というものが基本にあって、それは自分個人の人生に基づいたものである。そして、僕は一生懸命考えて曲を作る方ではなく、なんかしらんがポコポコと勝手に曲ができてしまう方だ。(適当とも言う。)
そういう意味で、どんどん作品を作りたかったし、そこを商売とか、世間とか、環境とか、そういったものに制約されたくはなかった。別に無名のインディでも、バンドがなくても、ライブがなくても、売れなくても、誰も聞いてくれなかったとしても、とにかく作りたかった。そして実際、そのとおり、勝手に作った。自分勝手と言われるかもしれないが、そこは構わない。
その昔、ロックバンドがレコードを作るということは、たぶん大変な事だった。
そして、それをリリースし、宣伝し、売るという事は、きっともっと大変な、大掛かりな事だった。
音楽業界というものが華やかだった時代に、ロックバンドが毎年のようにレコードを作ってリリースするという事は、すごい事だったのだと思う。そして今、そんな事をやっている人はいない。たぶんあまりいない。
個人でインディでやっていて、ある程度の頻度でそのように作品を作り、それをリリースし、売るという事は、考えてみるととんでもない事だ。無茶という言い方もできるが、ほとんど不可能なミッションだとも言える。
今の僕について言えば、歳を取ってきたから、という点はある。
若い頃はもっと出来ていた、という事も言える。
だが、ここ数年、ライブ活動を頑張ってやってきたけれど、ライブバンドとしての活動、ライブバンドの維持というだけで、精一杯だった感がある。
新しい作品(アルバム)、”Coming Back Alive”のリリース(発表)は、来年早々、2025年の2月と決めた。本当は頑張って2024年の年内に出したかったけど、現実的に難しいと判断し、12月から1月にかけてシングル曲を先行していくつかリリースする事を選択した。
個人でやるとプロモーションみたいな事も限界がある。宣伝をする、という事自体が苦手であるが、今回は予算をかけない、という方針で考えている。プロモーションにも時間をかけたいが、かといって、ゆっくりやるよりも、さっさとリリースして次へ行きたい。「次」へ行きたい。
前のアルバム”Nabeshima”をリリースしたのが2021年の事である。だから2025年のリリースというと、「ああ、4年かかっちゃったか」みたいに思う。オリンピックじゃないだから。ワールドカップじゃないんだから。
かといって、その間、何も作っていなかったわけではない。空白の4年間だったわけでは、全然ない。
“Nabeshima”の録音制作をしたのは、2019年後半から2020年前半にかけてだが、僕は(僕らは)その後、アコースティックのEPを1枚(リリースはNabeshimaより前の2020年12月だが)、サイドプロジェクトであるDakeno KakariのEPを2枚、Patreon用に一年半の間に15曲くらい制作し、それを元にしてEP “To Rome”を2022年にリリースした。
“Bloody Acoustics”からは”One Sheep”という「プチ・ヒット」が生まれたし、”To Rome”も聖書アニメの主題歌に使われて「プチ・ヒット」となった。
だから、決して”Nabeshima”の後に何も作っていなかったわけではない。むしろ結構たくさん作っていた。(考えてみればNabeshimaというアルバム自体、2枚組のボリュームのある作品だ。)
それに、2021年から始まった[Tone, Marie, Shinryu]体制によるライブバンドとしての活動も、数々の国内遠征や、首都圏での充実したライブ活動、2度のアメリカ遠征を実現し、十分に実りのあるものだった、一介のインディバンドとしては、一定の成功というか、成果を挙げたと言っていい。
そういう意味では十分に頑張って活動してきたのが、それでも”Coming Back Alive”のリリースの年号が2025年という数字を見ると、「あー、4年かかっちゃった」と思うのである。
僕らのバンドが、もっともプロダクティブ、生産的だったのは、やはり[Tone, Hassy, Jake]時代の10年間だったと思う。自分の音楽人生の中で、10年間その体制が続いたのは、とても幸運だったと思っている。
ライブバンドとしては、最新のラインナップである[Tone, Marie, Shinryu]の方があらゆる意味で上だったと思うけど、良い形で作品を作ってくることが出来た、という意味では[Tone, Hassy, Jake]時代がやっぱり実りが多かった。
毎年、とは言わないまでも、2年に一枚を上回るペースで作品をリリース出来たし、その出来にも満足がいっている。(商業的な作品という意味ではなく、インディバンドのありのままの姿を記録した作品という意味で)
しかも、それらの作品を、ちゃんとバンドで、チームで作ることが出来たのだ。
まだ若かったから、それが出来たのだろうか。そういう面も、きっとあるだろう。
思い出して列挙してみると、
“Victory In Christ”の録音をしていたのが2009年秋から2010年初頭。
“Japan Metal Jesus”の録音をしていたのが2011年いっぱい。
“Heroes EP” (EPといいつつ7曲入ってる)の録音をしていたのが2012年夏。
“Revive The World”の録音をしたのが2014年の夏。
“Jesus Wind”の録音をしたのが2016年の前半。
“Overture”の録音をしたのが2017年の秋から暮れにかけて。
である。あれー、6枚しか作ってないね。笑。
記憶によると、”Victory In Christ”なんかは、確か曲を書いたのが2009年の7月か8月くらいにだいたい書いてデモにした記憶があって、で、その年の11月くらいにはもうレコーディングに取り掛かっていた。なんでそんなペースでやれたのか、今振り返るとさっぱりわからない。でも、ちゃんとバンドでリハーサルを重ねた上で、録音を始めてるはずなんだよね。
基本的にだいたい全曲、バンドで演り込んでからレコーディングするわけで、今考えてみると、とても贅沢な事だと思う。
たとえばバンドマンというものは、20代とか若い頃には、毎週リハスタに入ってバンド練習するとか当たり前だったわけだ。なんならそれ以上のペースでやっていたりもした。
それが歳を取ると、大人になるからなのか、二週間に一度になったり、やがて月一になったり、とか。
不思議だけど、人生の中で音楽というものの優先順序が下がったり、生活上の色々な理由があって、そういうものなんじゃないかとも思う。
しかし、これがかつてのロック黄金時代のトップのバンドであれば、毎日演奏して、毎日作曲して、どんどんギグをこなして、すごいペースで活動していくのが当たり前だったのではないだろうか。
現代のロックバンドには、そんなペースで活動し、創作していく事は、ほとんど不可能かもしれない。
しかし、ソングライターとしては、芸術家としては、それでも、本当はどんどん作っていきたい。
僕はもう若くはないので、かつてのように生活していて、勝手に頭の中で曲が溢れてきて止まらないとか、そういう事はない。
ここ2、3年は、曲を書くこともかなり少なくなったと思う。(書けと言われれば、だいたい書けるが、昔のように、勝手に湧いてくる、ということはない。)
僕はもう、一生ぶんの曲は書いたと思っているので、これ以上曲を書く必要はないんだけど。
(書いたといっても音楽だけで、歌詞は書いてないから、それはこれから人生の中で勉強しつつ書くぞ)
でも、自分の人生が残りどれだけかわからないし、もっと言うと、いつまでもこんなふうにインディで自分勝手に音楽作れるとは限らないから、だから、生きてるうちに、やれるうちに、できればどんどん作りたい。制作したい。
でも、個人で、制作、リリース、宣伝、PR、そういった手続きを全部やってると、そこにはもどかしいくらい限界がある。
なぜなら、僕はもう若い頃のように物事をテキパキとやる事は出来ない。マルチタスクも非常に苦手だ。
その限界に苦しみ、バンドマンを長年やってきたことの、様々な後遺症みたいなものに苦しみながら、毎日もがいている。
その中でさらに二足や三足の草鞋を履こうとすれば、それはもう大変だ。ほとんど無理だ。
自分は最初から、欲張りだったと思う。
音楽家、ミュージシャンとしては欲張りだったと思う。
しがない現代の無名のインディでありながら、黄金時代のトッププロに負けない基準で制作していきたい、というのは、欲張り過ぎであり、過分な望みだ。
でも、ここまでそれが、割と良いペースでやれたことは、とてつもない幸運だったし、幸せな事であったと思う。
さて、来年早々、”Coming Back Alive”をリリースして。
その後、また5、6曲くらいのEPを作りたいと思っている。(EPっていうのか?)
そしたら、その次のアルバムは、何年かかるか。
もう若くないから、10年後、ってなってもおかしくない。
でも、残り時間が無いかもしれない、そう思うと、いや、待つ必要はない、すぐにやってやるぜ、なんて思う。
幸か不幸か、Shinryu師範が脱退してライブ活動が止まっているから、制作に向き合うことは、今ならわりと簡単に出来るのではないかと思うのだ。
だからこれはチャンスなのだ。
神様、どうか、
自分の中にある創造性を解き放って、
音楽でも、その他の分野でも、人生の中においても、
自由にどんどん創造していける勇気と活力と、環境と、
そして出来れば、時間を、
どうか与えてください。
そしてそれによって、新しい世界を切り拓き、創造し、
あなたの天の王国に寄与せんことを。
In Jesus’ name.