[クロスロードと地上の天国]
天国に行くってどういうことだろうなと思う。
地上の天国という言葉は結構好きだ。
そして、この地上において神の国を現そうという願いもとっても好きだ。
キリスト教でいちばん有名な「主の祈り」には、「御心の天に成るごとく、地にも成させたまえ」とある。
また、イエス・キリストは「天の国は、あなたがたの間にあるのだ」と言った。
そんなふうに、この地上にありながら、天の国の栄光を現す、っていうのは素敵なことだ。
また、Heaven on earthみたいな感じで、それはとてもロックンロール的な事でもあると思う。
なんたってイエス・キリストは「心配するな。私はすでに世に勝ったのだ」って言ってるのだから。
人生にはあきらめが付き物だ。
人間は、すべてを手に入れることは出来ない。
ある程度生きていると、「ああ、だいたいこんなもんかな、俺の人生」みたいに思うことがある。
「しょせん人間の世界なんて、だいたいこんなもんだよな」みたいに思うことがある。
そんなふうにして、人はいつのまにか、物事の中に限界を見る。この程度だという限界を、気持ちの中で設けてしまう。
それは、人間というものは「限りある存在」であるので、仕方がない部分だ。
僕だってそうだ。
ずっと前からそんな感じであるけれど、たとえば、インディのバンドマンやってても、「あと何年音楽がやれるかな」とか、もっと言えば「あといくつ、あとどれくらい作品が作れるだろうか」みたいに考えている。
そして僕ももう若くはないので、そのうち自分の寿命とか考え始めて、「ああ、たぶんこれくらいが限度だろうな。それ以上は、時間や命が足りないだろう」などと考えている。
たとえば、僕はといえば、”伊万里音色” “Imari Tones”と名付けた自分のこのバンドの名義で、たくさん作品を作ってきた。
一人で作っていた時代の”Kodoom Metal”であるとか、バンドになって初めて作った”Hero Of The Light”であるとか、ドイツでレコーディングした”Japanese Pop”であるとか、クリスチャンバンドとしての実質のデビュー作である”Victory In Christ”、代表作であり、日本の歴史をテーマにした力作のコンセプトアルバム”Jesus Wind”、そして自分のすべてを込めた2枚組の”Nabeshima”。
最新作では、「ハッピーエンドアルバム」と呼んだ”Coming Back Alive”まで作ることが出来て、それだけでも幸せである。ここまで来れただけでも相当な幸運だ。
これから、フルアルバムではないけど、6曲か、7曲くらい入るEPの”Godman EP”(仮)を作ろうとしている。
そして、来年か再来年くらいに、またも歴史をテーマにした時代劇アルバム”Christian Samurai”(仮)が作れたら、それはもう、到達も到達。完全到達と言えるだろう。(もちろん、その後のプランや、さらに多くの曲や、やりたい事のアイディアはいくつもあるのだが)
だが、そうは言っても、人間には寿命がある。そして限界がある。
時間も限られている。
そして、死ぬ時には思うだろう。
ああ、俺がこの地上でやったことは、いったいどれほどのものだっただろうか、と。
振り返ってみれば、それはきっと、人類の歴史や、人間社会の営みの中では、吹けば飛ぶような取るに足らないものに違いない。
(いいんだけどね。人間、別に立身出世するために生きているわけじゃない。人生を楽しく、幸せにやれたら、それで一番なのだから。)
人にとって幸せがあるとすれば、それは「大きな何か」を信じられることだろうと思う。
かくいう僕もキリスト教徒であり、「ゴスペルミュージシャン」のはしくれだ。漢字で書けば「宗教音楽家」の一員であると思っている。
だから、人類史上、「キリスト」「十字架」「愛」その信仰を持って、「ゴスペル」の大きな歴史の中に、自分も飛び込んだのだと思えば、それは幸せなことだ。
たとえ、自分自身の存在はほんのちっぽけなものであったとしても。
人間には限界があるのだから。
人の命には限りがあるのだから。
だが、本当はそんな限界は無いのかもしれない。
僕が思うに、天国にお金は持っていけない。
財産とか、この世の地位や名誉も持っていけない。
物質も持っていけない。
でも、魂とか、精神とか、概念は持っていけるんじゃないかと思っている。
つまり、本質は持っていけるのだと思う。
物質というのは、仮のものだ。
それに対して、目に見えない概念こそは、本質だ。
いわゆる仏教で言うところの色即是空というやつだ。(しらんけど)
そういった本質の芯(真、心、神)の部分は、持っていけるのではないか。天国に。
芸術、そして音楽というものは、その「概念」に含まれるものかもしれない。
だから、あるいは、この地上で作った音楽、この地上で鳴らした音、この地上で築き上げた概念は、天国にも持っていけるかもしれない。
天国がどんな場所かは知らん。
だが、きっとこの地上よりはマシな場所だろう。
いや、はるかにくらべものにならんくらい素晴らしい場所のはずだ。
そんな場所で、さらに音を鳴らすことができるとしたら。
俺たちの音楽活動は、この地上で終わりではなくて、さらにその続きがあるのだとしたら。
いや、むしろこの地上はあくまで準備期間であって、天国に行ってからが本当の本番なのだとしたら。
「クロスロード伝説」の意味が、あるいはわかろうと言うものだ。
十字路で、ギタリストは悪魔に出会い、魂を売る代わりに、現世での成功と、超人的なギターテクニックを授かる。
ギタリストの間で語り継がれる、ロバート・ジョンソンなどで有名な「クロスロードの悪魔」の伝説だ。
つまり、悪魔の狙いは、才能のある音楽家を誘惑し、この世で成功させる代わりに、魂を奪うことによって天国での音楽活動を阻止することなのだ。なぜなら、本当に大事な「本番」は地上ではなく、天国にあるから。
そう考えれば、make senseする。(筋が通る、納得がいく)
おおお、ちょっと待てよ。
死んで終わりじゃないのかよ。
続きがあるのかよ。
もっともっと、音を鳴らせるのかよ。
もっと大きな場所で。もっと大きな世界で。
もっとすげえギターで、もっとすげえアンプで、想像もできないような音響設備で。
そして、想像もできないようなすげえオーディエンスを相手に。
また、想像をはるかに超えるようなミュージシャンたちとセッションしつつ。
もっと広大な世界の中で、俺たちのこの音楽の究道の旅を、続けることが出来るというのか!!!???
そう考えたら、ドキッとした。
胸の中に、大きなワクワク感を感じた。
もっともっと、いろんなことが出来るじゃないか。
Eternity そして Infinity
可能性は無限にあるのじゃないか。
おい、だったらやるぜ、俺は。
肉体や命の限界なんて関係がないぜ。
最後の瞬間まで、曲を作り、技術を磨き、向上してやるぜ。
そして、大きな何かを理解するために、最後の最後まで、心を開いていくぜ。
人に、愛に、そして神にだ。
ちなみに、今住んでいる近所に、あるんですよ、その「Crossroads」が。
あ、そうか、ここで魂を売って、悪魔と契約するんだな、っていう、伝説の十字路。
近所で見つけたんです。
アメリカ南部のミシシッピ州のどこかだと聞いていたけど、横浜市保土ヶ谷区の某所で、俺はそれを見つけてしまったんだ。
(もちろんオイラは魂なんか売らないけどね〜)
そのネタは、また次回。-(たぶんソーシャルメディア上のたわいもない投稿にて)