写真は、Combat Guitars製のヒロヤモデル。
ギターの話はしないでおこう、僕は好みが偏ってるし、長くなるから。
でも、かっこいいよね。
年の瀬に、急に思い立ってとあるジャパメタのセッションに参加してきて。
いや、ヴォーカルが足りないって書いてあるのをフェイスブックで見て。
ヴォーカルの修行の良い機会だと思って参加してみた。
今ではこういうセッションイベントもあちこちで行われているし、普通のコンサートだけでなくこういった参加型のイベントの方が需要もあるし大事になってるのは皆さんもよく知っていることだと思う。
僕は引きこもりと出不精を直そうと思い、まぁそれは色々の状況が変わらない限りは治らないんだけど、それでも頑張って出かけていこうと思い、そしてまた当然ながら修行のつもりで出かけていった。
それは、そのセッションイベントが、僕が好きなジャパメタのギタリストの方のイベントだったから。
だから、これは単純に、いちファンが憧れのギタリストのイベントに参加して楽しかったです、っていう日記。
僕にとって「ジャパメタ」っていう言葉をやっぱり一番象徴するのはAnthemだ。
このAnthemというバンドについては、来年、うちのバンドの新ラインナップを発表するにあたって、きっとあらためて、僕の思い入れを書くことになるだろうと思う。なぜなら新ドラマーさんは、Anthemにゆかりのある人なので。
それはそれで不思議な偶然ではあるのだけれども。
僕がガキの頃。つまりロックを聞き始めた思春期の頃。わかりやすく言えば中学生だった頃。
いちばん聞いたバンドは、たとえばJudas Priestであったり、Ozzyであったり、Mr.Bigであったり、Van Halenであったかもしれない。
でも、日本のバンドでいちばんたくさん聞いていたのは、それは間違いなくAnthemだった。
だからAnthemの曲には、その頃の思春期の頃の思い出が重なる。初恋とか(笑)
もちろん、90年代キッズである僕らにとっては、それはすべて「後追い」であったけれど。
アンセムのHiroya氏は、たぶん間違いなく、日本の、いわゆるジャパメタのギタリストの中で、僕の一番好きなギタリストだ。うまく言えないが、とても魅力がある。けれども上手く言えないその魅力を、今日は少しだけ言葉で説明してみようと思っている。
今となっては、後追いでいろいろ聞くうちに、ジャパメタの「バンド」としては正直、AnthemよりもLoudnessよりも(E.Z.O.よりもVow Wowよりも, etc)、Earthshakerの方が好きになってしまったけれども、ギタリストとしてはやっぱりHiroyaさん、Hiroya Fukudaの方が好きだ。(もちろん、シャラもタッカンも好きだけど)
ガキの頃にたくさん聞いていたせいもあって、僕にとってHiroyaさんのギターの音こそが、ジャパメタの象徴と言っていい。
ジャパメタと言うと、色々と語りたくなる。
日本人がもともと、ハードロックが好きな国民性がわりとあったところへ、80年代のジャパメタ、特に初期の時代には、つまりジャパメタというものは、日本人の、そして日本人男子の、ロックへの憧れ、そしてロックへの「純情」というものが、もっとも強く表れたものだったんじゃないかと思っている。
だから盛り上がり、ブームになったのだけれども、ただ、もちろんのこと、世の中というものは「純情」だけでは商売にならない。
だからこそ、その「ジャパメタ」の流れの中から、たとえばB’zであるとか、たとえばX Japanであるとか、そういった存在が出てきて、(純情ではなく、別のもので)それを商売として成立させた。
(そういえば、うちの新ドラマーさんは、本人は気付いていないかもしれないが、音楽的に、B’zとも実はきわどくすれ違っている・・・ていうか、そういうエピソードは聞けばいっぱい出て来るんだろうな)
(だからこそ「純情」を貫いたままで武道館を制覇したアースシェイカーは貴重な存在であったわけだ。もっとも彼らも、その後どんどん、「大人の事情」に巻き込まれていったわけだが)
一応、いちおう、のところ、日本人として、その流れの末端にいる自分としては、そしてクリスチャンメタルなんてことを始めてしまった自分の真心としても、
自分はその「ジャパメタ」の流れを汲み取って、そこにあった「純情」というものを鳴らしてみたい。
だって、純情というものは確かに商売にはならんかもしれんけど、かといってやっぱり、人生をかける価値は十分にあるじゃんよ。そしてその「人生」、という二文字を「青春」に置き換えてもやっぱり成り立つ(笑)
そのために、ジャパメタ黎明期からタイムスリップしてきたこの新ドラマー氏とやってみることを決意したのだし、これから本当の意味での「日本のクリスチャンヘヴィメタル」である「鍋島」に向き合うために、それがふさわしいと判断したのだ。
で、アンセムのHiroya氏と言えば、「和製エディ・ヴァン・ヘイレン」。
そうなんだよね、うちの新ドラマー氏は、実は、「和製Eddie Van Halen」と言われたギタリストと、「和製ランディー・ローズ」と言われたギタリストと、両方と一緒にバンドをやっていた経験のある人なのよね。笑っちゃうけど、そんな人と、今度は僕がやる、っていうのは、ギタリストとしては光栄、な気もするし、同時に、無理無理、みたいな(笑) 比較しないでくれよ、って(笑)
そこのところを、ジャパメタ初期の歴史年表を見比べてみれば、詳しい人なら、これだけの情報でも新ドラマー氏が誰なのか、わかるかもしれない。(もっとも、Anthemの前に、柴田サンとヒロヤさんが、どこまで絡んで活動していたのか、それはオレはよくわからんが)
でも、大事なのは、昔どんなバンドにいたか、じゃなくて、これから一緒にどんな音を鳴らすのか、そっちの方が、100倍大事なんだけどな!
だって、これからオレたちと一緒に鳴らす音は、間違いなく世界に響く。
昔の経歴どうこうじゃなく、技術、センス、相性がしっくりきたから、一緒にやってみることにしたわけだし。
ちょっとspill the beans(余計なことをしゃべり)し過ぎたかもしれない。
とにかくにもHiroyaと言えば「和製Eddie」。
だから、Eddie Van Halenが大好きな僕としては、ヒロヤさんのファンになるのはごくごく自然なことだ。だって、似てるんだもの、いろんなことが。
前にも、日記とかFBのくだらない投稿に書いたことがあると思う。
僕のギター論、特に、何をもって凄いギタリストだと考えるのか、そして、ヘヴィメタルのギターに「速弾き」という要素があるとすれば、何をもって「速い」と考えるのか。
いつも言っている通り、僕の永遠のフェイバリットギタリスト、ナンバーワンはエディ・ヴァン・ヘイレンであるけれど、
僕がロックを聴き始めた90年代には、Eddieよりも速いギタリスト、もっと上手いギタリストなんていうのは、掃いて捨てるほどいっぱいいた。ポール・ギルバートしかり、スティーヴ・ヴァイしかり、イングヴェイしかり。いや、彼らはむしろ偉大だけど、でももっと、星の数ほど、テクニカルギタリストは居た。
けれども、中学生のガキであったとしても、それらのギタリストがたとえエディよりも速く、正確にギターソロを弾いていたとしても、「本当に速い」のは、やっぱりエディの方なのだ、ということが、僕にはわかった。
説明が難しい。ひとつはアイディアということ。
よく言われることだと思うし、昔からの持論だけれど、E.V.H.が凄いのは、彼のギタープレイっていうのは、最初、世界中のギタリストが、「いったいどうやって弾いているんだ!」と首をかしげ、どんなに難しいテクニックで弾いているのか、誰もわからなかった。
けれども、後になって映像とかで、どうやってプレイしているのか、謎が解けると、実は案外、とても簡単なプレイだったりする。
タネさえわかれば、誰でも弾けるくらい簡単なのに、タネがわからないと、どうやってるのかわからないくらいに凄いプレイに聴こえる。
これが、どれっくらい凄いことなのか、わかるだろうか。
それくらい凄いギタリストだったからこそ、エディ・ヴァン・ヘイレンは、ロックの歴史、ギターの歴史を変えてしまうくらい、革命的な偉大な存在になった。
人の真似をして、すでにある方法論で、それを誰よりも速く、正確に、ミスせずに弾く。
それはもちろん、凄いことだし、確かにそれは「速い」けれども、
そのプレイ、アイディア、発想を、自分で生み出すやつは、「もっと速い」。
わかるだろうか、僕は「脳みその回転数」のことを言っている。
速弾きが気持ちいいのは、速弾きが魅力的なのは、それは脳みその回転数が速いからだと僕は思う。身体的なセンスも含めてのことだ。これは後述する。
1990年代以降のギタリストが、どんなに複雑なスウィープピッキングを正確に決めたとしても、実際にはエディ・ヴァン・ヘイレンのプレイの方が、脳みその回転数はずっと速い。それこそ、桁違いに速い。
だから、後の世のギタリストが、どんなに見た目上、たくさんの音符を高速で弾いてみせたとしても、それはエディと比べれば、「周回遅れ」なんだよね。
僕は、そう感じている。
(そして、実はイングヴェイの「回転数」も相当なものなので、彼はエディと同じ土俵にならべても、そんなに見劣りしないわけだ)
(イングヴェイについて語り出すとまた別件で話が長くなるけれども、たとえば、イングヴェイのプレイっていうのは、わりとパターンが決まっている。でも、その同じパターンを繰り返すという行為の中に、どれほどの脳みその「回転数」が織り込まれているのか、あなたはそれを感じられるだろうか? イングヴェイのファンは、それを感じているからこそ、彼の音楽に夢中になるのだと思う)
そして、次にサウンドということがある。
ギターというものは、エレクトリックギターというものは、少なくとも、本来、機械のスイッチや、パソコンのキーボードのように、ただ単にボタンを押せばいい、というものではない。
単にフレット押さえて、弦をはじけばいい、というものではない。
同じようにフレットを押さえ、弦をはじいても、出てくる音は、人によって違う。
エレクトリックギターをプレイする、ということは。
少なくとも、本来のロックギターの文脈で、大音量の、順当にオーバードライブしたサウンドを弾くということは。
それは、単にある音符を鳴らす、ということではなく、
弦の振動、ギターの木材、ネックのジョイント、ボディの振動のはね返り、ケーブルやペダルがもたらす周波数や速度の変化、アンプの真空管の反応、スピーカーの挙動、フィードバック、自分自身の骨格、その空間の鳴り、その他数限りない要素を感じて、それらをすべて織り込んでサウンドをコントロールするということだ。
(で、本当に言ってしまえば、本当にコントロールする、なんてことは、とても不可能だ。ロックギターのサウンドというものは、本来人間に制御できるようなものではないし、制御できないからこそ、エキサイティングなのだ)
で、もって、それが出来るギタリストというのは、やっぱり必ずしも多くはない。
でも、それが出来るギタリストが、ギターを鳴らせば、そのサウンドの中には、とんでもないほどの「情報」が含まれることになる。
たとえば、この記事の文脈で微妙なチョイスかもしれないが、僕の好きなギタリストを3人あげて、Eddie Van Halen、福田洋也、Peter Green。この3人は、どれも、そのサウンドの中に含まれる情報が「非常に多い」ということになる。
ちなみに、というか、自分の好みだともちろんのこと、Anthemで言えば、やはり僕はHiroya氏のいた時代のものが好きだ。クラシック、定番、と言ってしまえばそれまでだが、たとえ音楽的なイニシアチブを取っていたのが柴田氏であったにせよ、そのプレイ、サウンドだけでも僕は十分にシビれるものがある。
そしてこのサウンドのコントロール、すなわち、サウンドの中にどれほどの情報量を込めることが出来るのか、これもやっぱり、「脳みその回転数」という要素につながってくるのだ。
これらのサウンドのコントロールは、その大部分は実は「無意識」という領域で行うことになる。
「意識」と「無意識」はどちらが速いのか。
意見はいろいろあるかもしれないが、僕は基本的に、「無意識」というものは、「意識」よりも何倍も速いものだと思っている。
その「無意識」の領域において、どれだけのすさまじい速度で「感じ取り」「計算し」「フィードバックし」、サウンドをコントロールし、そこに情報を盛り込んでいくのか。
そこに、ギタリストの本当の「速さ」がある。
「無意識」というものは、鍛えるのが難しい。
また、鍛えるにしても、たぶん、時間がかかる。
それゆえに、その人の持つセンス、生まれ持ったもの、素養、なんていうのかな、天賦の才みたいなものが、直結してくる。
人格、体質、体格、環境、遺伝的要素、そういったものも絡む。
そんでもっと言えば、「魂」ってことにもつながっていく。
でも、だからこそ、この部分の「情報」が、どれだけ大切なものなのか、わかっていただけるだろうか。
で、この部分も、Hiroya氏は、やっぱり「速い」のだ。
Eddieと同等とは言わないが、ある程度比較してもいいという土俵の上で、そのへんのギタリストよりもよほど「速い」。(こんなこと書いてると、自分がおこがましいけどね、汗)
で、最後に(これくらいで最後にしておこう)、タイム感ということがある。
つまりは、これはリズムのことだ。
Eddie Van Halenのプレイの特徴として、独特のタイム感、という要素があることは、よく言われることだと思う。
エディのタイム感は、ぶっとんでいる。
そして、それに着いていけるプレイヤーなんて、ほとんどいない。
いない、っていうか、もう、いるわけがない、っていうか、現実的な文脈できっといない。
だが、エディの身近に、おそらくは地球上でただ一人、というくらいのレベルで、そのエディのリズムに着いていける人間がいた。
それは、言うまでもなく、ドラマーのAlex Van Halenのことだ。
兄貴のアレックスが居たからこそ、エディはVan Halenというバンドの中で、ぶっとんだリズム、ぶっとんだタイム感のプレイを、存分に発揮することができた。
そして、だからこそVan Halenは凄いバンドになった。
奇妙なことだが、今では地球上に少なくとももう一人、このエディのタイム感に着いていける人間がいる。
それは知ってのとおり、エディの息子であるWolfgang Van Halenのことだが、彼は、やっぱ親子だから、なんかしらんけど「普通に」エディのリズムやグルーブに着いていっている。
その結果、とんでもないサウンドとグルーヴが生まれたのは2012年のアルバムである”A Different Kind of Truth”を聴けばわかることだ。
このタイム感ってやつは、真似ることが難しい。
説明するのも難しい。
たとえばプログレの変拍子、Djentの複雑な曲構成、こうしたものは、複雑ではあるけれども、数字で説明することが可能なものだ。
だが、タイム感ってやつは、数値で説明できるものではない。
そしてこの「タイム感」のスピードが、Eddie Van Halenは死ぬほど速い。
正直、全世界のギタリストが、エディのプレイを聴いて、もっとも「彼には追いつけない」と思う部分、それが、この「タイム感」の部分だろうと思う。
そんでもって、Hiroya氏のタイム感も、やっぱりものすごく速い。
あるいは、これはEddieフリークであるヒロヤ氏が、意識して追いかけた部分であるのかもしれない。
けれども、Eddie Van Halenと、Hiroya Fukudaのプレイを比べた時に、共通する点のひとつとして、どちらもシャッフルのリズムを得意としている、という点が挙げられる。
よく言われることだが、シャッフルというのは性的な衝動に直結したセクシーなビートであると言われる。
でもって、このシャッフルの速度、そして精度。キレというのか、言ってしまえばセクシーさ。
ここの「速さ」が、ロック、はもとより、その原型であるブルースミュージシャンが「ブギー」する時に、どんだけ重要な要素であったか、ということは、想像に難くない。
僕は知らんけど、そんなふうに想像している(笑)
この両者が、どちらもキレのいいシャッフルを得意としているという点に、この二人のギタリストの「リズム」そして「タイム感」の「速度」を見てとることが出来る。
(ちなみに、うちのバンドの曲にはシャッフルはあまり多くないが、それは僕が人間としてあまりセクシーではないからである)
ここのところの「速さ」は、脳みその回転数であると同時に、より身体的な反応速度、そして反応できるかどうか、という運動能力の表れだ。
たとえばロックのリズムにおいて「ウラ」を取っていくのがかっこよさにつながるのは、通常のダウンビートというのかオモテで取るよりも(一般的に)難しいところを突くところによる気持ち良さであり、それはつまり、人間の「身体的な」反応の良さ、キレの良さを示すことである。(たぶんダンスでも同じだろう)
つまりは、これは性的な要素における肉体的なアピールに他ならないのだが、この誰にも追いつけない反応速度でのタイム感をぶち鳴らし、叩き込む、ということが、ロックの演奏においてどれほどセクシーなことなのか、わかるだろうか。良い時代のロックを聴いてきた人は、そういったリズムのキレに、みんな、一度や二度はやられたことがあるはずだ。
そんでもって、エディもそうだが、福田洋也のプレイには、そういったリズムのキレが満載なのである。
(ここを追求していくと、ファンクは元より、サルサであるとかラテン系とか民族音楽とかいろんなリズムの音楽につながっていくかもしれないが、底なし沼なので省略する。)
そしてこれら僕の考える良いギタリストの魅力の要素を書いたが、
基本的には1990年代以降のロックギター、ヘヴィメタルのギター、その歴史の流れというものは、本来コントロール出来ないものであるギターサウンドを、誰でも扱えるような大人しいサウンドにし(逆説的にゲインは高くなる)、新しいアイディアを開発するのではなく、確立されたプレイを器用に弾いてみせることに終始し(突き抜けたプレイヤーより、そつのないプレイヤーが好まれる)、そして文字や数字で書き表すことのできるリズムのみを追い求めることに終始してきた(現場で興奮させることよりも、オンラインで話題になることが有利)、となる。
異論はあるかもしれないが、事実、現代のギタリストの音は、どれも皆、画一的で、パーソナリティというものに欠けるではないか?
僕の考えるところのギタリスト論は、今日のところはひとまずこのくらいに留めておきたいと思うだが(長いってば!)、
だが、憧れのロックスターであるHiroya Fukudaについてその魅力を語るのであれば、もうひとつこれは、どうしても突っ込んでおきたい部分がある。
ロックスターとか、ロックミュージシャンというのは、破天荒な生き物だ。
今は知らんが、昔はそれが当然だったと思う。
だから、そういった往年のロックスターに、きちんとした人間性みたいなものを求めるものではない。
そして、昔の様々なロックミュージシャンと同様、Hiroya氏についても、色々なことを言う人がいるかもしれない。
けれど、いちファンの立場からすれば、間違いなくこうなる。
Hiroyaのギターは、ダメ人間の匂いがするから、セクシーなんだよ!(笑)
つまり、Hiroya氏のプレイには、少なくともその若き日のアンセム時代のプレイからは、往年のロックギタリスト、ブルースギタリストと同じように、人としての「弱い部分」がいっぱい伝わってくる。
でも、女がなぜだかダメな男に魅力を感じてしまうように、
その弱さが、なんかしらんけれどセクシーなサウンドになって、ロックの魅力を引き立てる。
そういうもんだろうと思う。
で、ここの部分については、もちろんオレはHiroyaさんみたいにセクシーな人間ではないが、でも、ダメ人間ってことについてはオレもそうなので、僕は人について何かを言える立場ではない。
で、そんなふうに中学のガキの頃から聴いていた昔のAnthemではあったんだけれど、僕はHiroya氏と直接会う、っていうか、直接見るのは初めてだった。(出不精だから)
思えばこんな時代だから、以前サイドプロジェクトで一緒にやっていた「熱きリョウ」君も、以前どこぞのライブハウスでHiroya氏と対バンした、という経験を語っていたが、僕はお目にかかるのは初めてだった。
でね、これは多少は才能のあるギタリストの特権。
たとえば、オレもギタリストのはしくれだから、音を通じて、そのプレイヤーの色んなことがわかる。興味ない人はないけど、好きなギタリストならなおさら、熱心に聴くからわかる。
つまり、個人的なこととか、昨日の晩飯に何を食ったか、とか、もちろんそういうことはわからんが、
DNAレベルで書かれてる情報とか、魂レベルのことは、音楽を通じて多少はわかるじゃない。
そうやって情報を読み取ったプレイヤーさんと、直接お会いして、間近で拝見する、ということは、実はとてもセクシーな体験だ(笑)
だから、そうやって「憧れて」いるHiroyaさんに、もちろん、向こうはすでに大ベテランではあるけれども、直接お目にかかれて、わかることがたくさんあった。
つまり、勉強になることがたくさんあった。
音だけで読んでいた情報に、そこに加えて、たとえば、お会いして、目の前で直接、顔や、手や、身体的な情報を伴ってプレイを見るだけで、よりわかる情報がある。
そして、仮にも「スタンド使い」のはしくれでもある僕としては、やっぱり読み取れる情報がそれなりにあった。(意識して読んだわけじゃないぜ、岸辺露伴じゃないんだから、そんな失礼なことはしないよ)
それがどんなことなのかは、もちろんわざわざここに書くようなことじゃない。
でも、オレにとってはそれは驚くべきことであり、また、「なるほど」、そして「やっぱり」と思うようなことだったんだ。
それだけでも収穫だった。
そして、とても勉強になった。
そしてもうひとつ。
この日、見ることのできたたぶんいちばん大きな収穫は、
それはセッションイベントに参加していた皆さん、
つまりヒロヤさんのギターレッスンを受けている生徒さんが、何人もステージに参加されていた。
それらの生徒の皆さん。
それぞれに、技術も、個性も、様々。
だけれども、先生であるヒロヤさんのお話からも、
明らかに、最初はものすごく「不器用」であっただろう、
それらの方々が、
それぞれに個性を生かし、
それぞれの方向性で、
きちんと演奏を成し遂げている姿に。
そこにHiroya氏の、ギタープレイヤーというだけでなく、
講師としての一級品の実力を見た。
つまり、これをやれば上手くなりますよ、
といった安易な指導ではない。
それぞれの個性に、特性に、
またそれぞれの視線に合った方法で、
近道をするのではなく、本質をまっとうに教えているのだな、
ということが、よく伝わってきた。
確かESPの学校で講師をされていた経歴もお持ちだから、
当然といえば当然かもしれないが、
指導者としての力量、つまり、効率よく教えるとかじゃなく、人を見て教える。
その力量は、きっと一級品だ。
そんな参加されていた「生徒さん」たちの姿、笑顔を見れたことが、
収穫でありました。
僕も習おうかな(笑)
で、ヴォーカルの話。
いちばんどうでもいいところだけど、自分の修行だから。
僕はもともとギタリストであり、ヴォーカリストとしては下手っぴだが、
2016年に”Jesus Wind”の録音制作をした頃から、
ああ、結構オレも歌えるようになってきたな、と思うことが増えた。
で、最近も、昔よりは歌えるようになったな、と、技術の向上をまだまだ少しずつ、感じているんだけど、
で、急に、フェイスブックで、セッションにヴォーカリストが足りない、って書いてあったから、
急に思い立って参加することにしたんだけど、
調子が最悪だった(笑)
気候のせいで、乾燥、暖房かけっぱなしとか、
数日にわたって、とある作業に没頭していて、体調、食生活も最悪だったりと、
喉もガサガサでずっと咳き込んでいた。
でも、なんとか歌えるんじゃないかと思って、
当日部屋でちょっと声出してみたら、全然出ない(笑)
だから、参加した日は、たぶん実は今年2018年でいちばん調子の悪い日だった(笑)
しかも、これは人によって違うだろうけど、僕は精神的に繊細な方でね、シンガーとしては。
ちょっと気が進まなかったり、心がびびってしまったりすると、もうそれだけで声が出なくなる。
昔、友人たちとセッションしたりコピバンなんかした時に、そんな理由で歌ってみたら全然声が出なかった、なんていう経験も何度かある。
で、やっぱり調子はかなり悪い方で。
声もあんまし、出なかったんだけど、
なんとかやり遂げた。
あの状態で、なんとかやり遂げただけでも、自信になったかな。
自分は、自分のバンドでギターヴォーカルで歌うだけで、
単体のヴォーカリストとして活動したことはほとんどない。
だから、そういう経験、こういうセッションで、バンドでメタルを歌ってみる、っていうことを、修行だと思ってやってみた。
ヴォーカルが足りないから、ってことで、
初期Anthemの”Ready To Ride”って曲を、3回も歌わされた(笑)
若い頃の坂本英三がすごい勢いでシャウトしまくってる曲(笑)
自分はポップシンガーかもしれないが、
僕は自分のことをヘヴィメタルシンガーだと思ったことはない。
だから自分の声はメタルには向かないと思っている。
でも、意外と、初期の坂本英三のやけっぱち全開なシャウトも、やってみれば合うのかもしれない。
Rainbowの曲の時はぜんぜん声が出なかった。あんまし準備してなかったし。Dio手強いよ(笑)
でも、二井原さんみたいな声は出るわけないって思ってたけど、意外とLoudnessがちゃんと歌えたのは自分でびっくりだったな。曲はLike Hellだったけど。英語のフレーズがゆっくりだからかな(笑)
でも一番歌いたかったのはAnthemのShout It Outだったから、あれを歌えて気持ちよかった(笑) ギターソロの後の大サビみたいなパートを歌い上げて楽しかった。
調子は最悪だったけど、知らない人だらけのセッションで、必ずしも良いとは言えないモニター環境の中で、どかんとバンドが鳴ってる中で、曲がりなりにもあれだけ歌えたのは、まぁ最低限、なんとか課題はクリアしたかな、ぎりぎり、みたいな。
でも、やっぱり調子は悪かったから。
こういったセッションに、今後参加できる機会がどれだけあるかわからないけれど、
もしあれば、今度はもうちょっとマシなヴォーカルを披露して、武者修行をしてきたいと思う。
武者修行とか、言ってるから、よくないんだよな。
ああいうイベントに参加されてる皆さんの。
和を乱したくないし。
しょせん、自分みたいのがいると、色々と。
でも、ヴォーカル足りなかったから助かったよ、って、言ってもらえて、嬉しかったですよ(笑)
で、これね、”Ready To Ride”
1stと2ndの合間にリリースされたEPの曲らしく、恥ずかしながら僕は知らなかった。
でも、聴いてみると、すげえいい曲じゃないか。
ヒロヤさんの書いた曲で、まさにそのヒロヤさんのリズムのキレ、タイム感が最高に表現されている。
でも、これを3回歌わされる、ってのは、ちょっとしんどいと思わないか(笑)
写真、怒られないといいんだけど。
でも、参加者の皆さんにも、撮っていいですよ、って言ってたから、大丈夫かな。
ツーショット状態になってるやつを。
そんな、自分の中では重要な位置づけにある、憧れのギタリストの隣で歌えた、ってことで。
感無量でした。
ありがとうございます。