結構な勢いでドラムの練習をしてしまっている。
とはいっても、リハスタに個人練で入って特訓、みたいにやっているわけではない。
住宅環境から家での練習が不利と思われる日本のドラム事情(スケートボードなんてもっと不利だ)だが、
いざやってみると、リハスタで本物のドラムキットを前にしなくても出来ることはいっぱいある、というか、出来ることの方が多いくらいに思える。
とはいえ、僕もライヴなり録音なりセッションなり、ドラムを叩く経験はそれなりにしているので、その上での話であるのは当然お断りしておく。
自分は昔から遊び程度にドラムを叩くことがあったが、
人生の中でドラマーとしての技術のピークは、瞬間的に、2005年にアルバム4枚分(冗談ではない)の録音で、ドラムを自分で叩いてしまった時にあった。
その時には、ほどほどのロックドラムを叩くのに困らないくらいには叩くことが出来た。
とはいえ、今振り返ると、やはり基礎とか何にも知らないので、ダメな点も多いけれど。
素人なりには頑張った、ということである。
その後も、たとえば教会のワーシップの際とか、叩くことはあったけれども、自分のバンドではもちろんギターやヴォーカルに集中するので、ドラムを叩くことはなく、技術的にも下降線をたどって、たとえば何年か前に「ソルフェイ」でサポートドラムをやった時とか、人生で最大級にひどいドラミングをしていたわけである。(ごめんなさい)
で、僕は自分のやっているバンドは、少なくともハードロック、ヘヴィメタルのカテゴリに分類されるものであるので、
自分のバンドの音楽では、やはりそれなりにツーバスというものが必要になる。
で、僕は、このツーバスに関しては、自分は出来ないと思っていた。
練習する機会もなかったし。
そもそも、知ってのとおり僕は体質的にそこまで「俺はメタルだぜ」って感じではないので、ツーバス、別に、って感じだった。
だから、昔のあんまりメタルではない時期の音楽性の時ならともかく、現在のイマリトーンズの曲を、自分で叩くってことは、あまり考えていなかった。
ひとつのきっかけは、一昨年。そうかもう一昨年になるのか。2016年の時に、4度目となるXTJ (The Extreme Tour Japan)の際に、チリのバンド「Victoriano」を呼んだことである。
ビクトリアノのヴォーカルであるセルヒオ君は、ヴォーカリストではあるのだが、実は本当はドラムの先生で、ドラムを叩かせると素晴らしく凄腕であったのである。
そこで、教会とかローカルなハコとかの草の根ツアーを回る中で、セルヒオ君が子供たちにドラムを教えるシーンを何度か目撃し、そしてついでに僕もちょこっと習ってみたのである。
そこで習ったのは、パラディドルを手と足を一緒にやる動作であって、手と足の分離を図るための基礎練習であったのだが、僕はそこで、ようやくドラムの「基礎」ってやつの第一歩を学んだのだった。
たぶん、ちゃんとドラムを学んだ人であれば、最初の方でこういうことは習うのだろうが、僕はそういう縁はまったくなかったので、「ああ、こういうことだったのか」と、そこで始めて、ようやく、わかったのである。
で、第一歩さえ習ってしまえば、そこから第二歩、第三歩、と踏み出すことが出来るようになるので、暇な時にあれこれやっているうちに、「あれ、これって俺もツーバス叩けるな」というふうになっていった。
そして、今年の3月でいっぺんバンドを解体したので、そこで「この次の作品、つまり『鍋島』を作るにあたって、ドラムをどうするのか」ということを考えるうちに、選択肢のひとつとして「自分で叩いてしまえばいい」ということを考えた。
で、そういう可能性をふまえて、ちょっとずつ、なんとなく、練習に取り組んでみている感じである。
でも、それは本当に、なんとなく、の話だ。
これからバンドがどうなるかわからないが、
「最悪の場合」、僕は「鍋島」のドラムは、自分で叩く覚悟をしている。
つまり、最悪の場合、自分で叩いて作れるようにしておく、ということだ。
もちろん、問題なく叩けるような優れたドラマーに出会って、バンドを再始動することが出来れば、何の問題もない。
けれども、たとえば、(可能性は小さいが)ジェイクを呼び戻す場合とか、ないしはよほど優れた凄腕のドラマーさんが加入してくれるのでない限りは、やっぱり半分くらい、自分で叩くことになるだろうと予測している。
よほど理想的なドラマーに出会うので無い限り、そちらの方が現実的だからだ。
そして、そのように考える方が、ライヴバンドとして考える時の、要求のハードルが下がり、ライブ演奏と録音制作を分けて考えることが可能になるからである。
「鍋島」は量も質もたくさんあるので、バンドでライブすること、と、録音制作すること、は分けて考えないと、進まないだろうと予測しているのだ。
んで、ほんとに基礎的なことであるが、ここへきて、ようやく、基礎的なルーディメンツとかに取り組むことが出来るようになった。
まともなドラマーさんに言わせれば、きっと、ルーディメンツなんてものは、小学校の時に全部習得したよ、と言われそうなものであるが、
とはいっても、ロックバンドというのか、現実にロックバンドで叩く、ということは、そういったルーディメンツとか本来のドラマー的な価値観とは別のものであったりする。ジャズとか、ファンクとか、そういうジャンルと違って、しょせんロックバンドでは、パワーとか、ノリとか、そういったストレートなスタイルの方が多いからだ。
ましてや、メタルバンドのスタイルだったら尚更で、いわんや、うちみたいなちょっとプログレ的な要素のある変則な楽曲の場合は余計にそうである。ジャンルのスタイルに特化する、という話であるが。
つまり、単純なことを、速いスピードで、おかしなパターンで、正確にやる、という感じである。
だから、うちのバンドで要求されるスタイルっていうのは、必ずしもドラマーさんからしてみたら、正当的なスタイルとは違うものであろうと思う。
そういった意味で、僕が自分の楽曲のドラムトラックを叩こうとする際に、基礎のルーディメンツをきちんと習得しておく必要は必ずしも無いのであるが、
けれども、たとえば「鍋島」のソングライティングの中で、やはりドラムパートを作る際に、往年の名ドラマーの聞きかじったフレーズを拝借してみたり、ちょっと複雑なパターンを組んでみたり、などしている以上、そこに「ああ、このフレーズってこういふうに叩けばいいのね」という、非ドラマーならではの発見は、ルーディメンツを学ぶ中で確実にある。
そして、何より、ぶっちゃけたところ、学ぶのは、楽しいのである。
手とか、足とか、今まで使ったことのない筋肉や神経。
そして、脳みその今まで使ったことのない部分を使うのは、とても新鮮で、やりがいのあることなのだ。
そんな感じで、初心者なりにドラムの基礎をちょっとだけ学習している。
と、ここまでは、ドラムを練習してます、っていう話なのであるが、
ここから先は「作曲」の話である。
でもって、ここからが書きたかったことだ。
ロックの曲なんて、よほど凝ったプログレとかでないかぎりは、単純なものだ。
俳句みたいなものだと、いつも言っている。
形式もある程度決まっているし、そんなに長くない。
4楽章からなる、25分のシンフォニーを書くわけじゃない。
長編小説ではなく、俳句や短歌を詠むようなもの。
(つまり、逆に言えば、短いからといって簡単とは限らないのだが)
で、曲を書く際に、ギターで書いたり、ピアノで書いたり、するじゃない。
その曲を書く際のスタイルっていうのは、人によってある程度パターンが決まっている。
僕の場合は、98パーセントはエレクトリックギターのリフから作るのだ。
昔、実家に居た頃とかは、ピアノがあったので、ピアノで書いた曲もいくつかあった。
しかし、大人になってからは、バンドを始めてしまうと、うちの場合鍵盤はないので、ほとんどぜんぶ、ギター、エレクトリックギターで作ることになった。
で、「よし曲を書くぞ」って計画的に作る人なら、考える余地もあるのだろうが、
僕の場合は、普段、テキトウに(晩飯の後とかに)爪弾いていると、なんかいつのまにか出来ちゃうという感じである。
たとえばプロの作曲家とかみたいに、顧客から注文が入り、こういう曲をこういう用途で作ってほしい、とか、そういうのではなく、
生活してる中でなんとなく出来てしまった曲を演っているだけなので、結果的にこういうことになる。
だからパターンが固定する。
(かといって、それは、決して悪いことではない。それが自分のスタイルなのだから。)
で、自分がエレクトリックギターで作る曲には、やはりある程度のスタイルというのか、パターン、特徴のようなものがあると思う。
そして、たとえば、わかりやすい例で言うと、うちのバンドの曲は、やっぱりギターのリフから入る曲が多いのである。
ドラムから入る曲も、たまにはあるが、いきなりベースのチョッパー、スラッピングで入る、とか、そういう曲は無い。無かったと思う。
ハードロックバンド、ということもあり、必ずしも「歌もの」ではないので、ギターのリフが中心になるのであるが、
たとえば、一般的な「歌もの」の曲を作る人であれば、歌詞とか、言葉とか、歌のメロディから始めて、それにアコースティックギターや鍵盤でコードの伴奏を付けていく、というスタイルなんかも一般的だろうと思う。
が、この場合も、親しみ易い良いメロディが作りやすい反面、似たようなコード進行になりやすい、とか、ある程度の制約や限界が存在する。
ここでもちろん、コンピュータ、シーケンサーを利用した作曲ツールであるとか、現代で言えば、AI (人工知能)を使用する、とか、いろいろ方法はあると思うが、作曲法、作曲のツール、というのは、そういう感じである。
で、ひとつの例にあげるとすれば、僕なんかもたまにベースの練習をしていると、良い感じのフレーズとか出てくることがあって、「あ、これを曲にすればいいじゃん」とか、思うものの、しょせん自分のバンドのスタイルとは違うので、そのフレーズ、リフ、ベースラインは、ほとんどの場合、5分で忘れ去られる。
だが、僕がもし、ファンクとかダンス系のバンドをやっていたら、そうやってベースのグルーヴを中心として曲を書いていくのも、有効な方法であろう。
そうすることによって、作曲のスタイルも変われば、ギタープレイも変わってくるし、その上に乗る歌だって変わってくる。
つまりはそういうことである。
(ノリ重視のロックバンドとか、ジャムバンドとか、それこそバンド全員で、ジャムりながら曲を作っていく、という方法もあるが、これは一番贅沢なことで、僕は自分の性格もあり、そんな贅沢には恵まれなかった。そして、これはとても高度なことだから、この場でそれについて書くことはやめておこうと思う。)
で、ここで書き記しておきたいのだ。
ドラムから曲を書く、ということについて。
ドラムから曲を書く。ドラムを中心にして曲を書く、ということには、まだまだ可能性がたくさんあるように思うのだ。
いや、もちろん、この進歩した世の中には、素晴らしいドラマーさんやパーカッショニストさん、そして色々なスタイルの優れたミュージシャンさんがいらっしゃるので、
そういった、ドラムの様々なパターンやグルーヴを核にして、音楽を作られている方々も、きっといるだろう。
(たとえば、僕の大好きなニューヨークの+/-{plus/minus}なんかもそのうちのひとつに数えられるかもしれない。楽曲の中で、実に多くの、独特のドラムパターンを多用している。) (あるいはそれこそ、ラテンとか、サルサとか、そういったジャンルでは、尚の事それが当然かもしれない。)
しかし、たとえば自分のやっているハードロックの分野であるとか、より一般的なロックの分野において、ドラムという楽器の持つ可能性は、もっと生かしていける、発展させていけるように思える。
つまり、一般的なロックバンドにおいては、やはりどうしても、わかりやすく言えばエイトビートなどのストレートな演奏とかに終始するとか、本来のドラムキットという楽器の20パーセントくらいの可能性しか使っていないのだろうから。
もちろん、歌を生かす、という意味ではそれは決して間違いではない。
でも、もっとやれることがあるのではないか。
(と、思った)
ロックバンドとか、歌ものであれ、メタルであれ、
作曲する人っていうのは、ギタリストであったり、シンガーであったり、することが多いと思う。
凄腕のドラマーが居て、その人がメインソングライターだ、というパターンは、一般的にそれほど多くないのではないか。
(うーん、でも、メタル界隈だと、Anthraxのチャーリー・ベナンテとか。それこそマイク・ポートノイとかも曲を書いているのか。)
だが、こうやって、基礎的なルーディメンツとかをちょっと見るだけでも、こういったフレーズや、演奏を、楽曲の中で生かしていくことを考えると、
ソングライターもドラムを学ぶべきだ、と、そう思えてくる。
やはりリズム、グルーヴ、というのは、楽曲の中でとても重要な部分であるからだ。
自分は、たぶん人生の中で、ほとんど曲は書き尽くしてしまったし、
自分のバンド、少なくともこのImari Tonesにおいては、一生ぶんの曲はおよそ、すでに書いてしまった。
けれども、次に、これ以上さらに、曲を書く機会があるとするならば、ぜひドラムを中心として曲を構成してみたいと思う。
今、ドラムの基礎をこの歳で、今更のように学んでいるのは、たぶんいちばん大きな理由は、そのためだろうと思っている。