まだ新体制のメンバーの発表すら正式にしていませんが。
2018年3月末をもって、2008年より10年間続いてきて、日本原産のクリスチャンメタルバンドとしてちょっとは海外でも知られたラインナップである[Tone-Hassy-Jake]の3人によるImari Tonesをいったん終了させまして。
その後、どうしようかと迷いつつも、2018年8月より、[Tone-Marrie-Koji]という新たなラインナップにて水面下でリハーサルを進めております。ドラマー氏の素性に関してはまだ秘密です。歳上の方ですので、ひとまずこのブログにおいては「こうじサン」もしくは「Kojiさん」とお呼びすることにしましょう。
リハーサルのペースもそうなんですが、曲を仕上げるペースが、これまでと比べてかなり遅く、またアレンジ面やプレイスタイルもあり、これはライブバンドとして音を鳴らしていくことと、レコーディングで作品を作り上げていくことは別に考えていく方がいいのかな、と、自分がずっとライフワークとしてやってきたこの「伊万里音色」というバンドの歴史を鑑みても、そんなふうに思っているところです。そのぶん、この3人でバンドで演奏する時のアレンジもより攻めていける、ライヴの場に向けて自由にアレンジしていけるということも言えます。
それはつまり今後のレコーディングで音を作っていく際に、僕の仕事量がぐっと増えることを意味しますが、それは引き受けよう、きっと今なら出来るから、つって。きっとそれが、やるべき形だろう、と。
さて、Marieちゃんのベースがどこまでやれるかを心配しつつも、現時点でなんとかなっており、今のところ、オリジナルを4曲と、カバー曲を2曲ほどやってみたところです。
最初に取り組んでみたオリジナルの4曲ですが、これは、ひとまず小手調べにやってみよう、と、バンドのこれまでのレパートリーの中から、比較的簡単そうなものを取り上げてみたわけです。
自分の頭の中ではこの4曲をやってみるのに、1ヶ月あればやれるだろうと思っていたものなので、まさかこの4曲をやるだけで年内いっぱいかかるというのは想定外だったわけです。
けれども、ドラムのアレンジを含め、仕上がりはこれまでにやってきたよりも良いものになっていることも確かです。
やってみた曲は、”Winning Song”、”Iron Hammer”、”Unlimit”、”Faith Rider”の4曲。
そんなに難しい曲ではありませんが、それぞれにそれぞれの時期で、ライヴの定番であった曲であることは確かです。
例として”Iron Hammer”のビデオ。これも回数全然回ってないやつです(苦笑)
なんかこう、この4曲くらいの組み合わせって、個人的には1996年頃にVan Halenがシンガーのオーディションで、Mitch MalloyとかGary Cheroneに歌わせた4曲、みたいのを思い出しますね。いいえ、コアなVan Halenのファンでないと伝わらないネタでしょうけれども。
つまり、4、5ヶ月くらいかかりましたけど、これでひとまず僕の中ではドラマーKojiサンとベーシストMarrieチャンの「オーディション」が終わったことになるわけです。(汗) すいません偉そうで(汗)
で、さてここから次にどのような曲をやって、ライヴ活動、その他の活動に向けて進んでいくか、ですが、
日本でライヴ活動をする以上、日本語の曲、また日本人に伝わり易いメロディアスでキャッチーな曲などに取り組みたいのはやまやまなのですが、
また、これからの伊万里音色にとって重要な題材となる「鍋島」の楽曲に早く取り組みたいのも事実なのですが、
うちのバンドは基本的に海外向けのバンドである以上、まずはインターネットを通してであっても、「クリスチャンメタル」としてライブ演奏を配信するために、やはりもう少し既存の路線の英語の曲をやらなければならない。
また、「鍋島」の楽曲は、僕の音楽人生の究極到達地点と言っている以上、演奏面でも、表現の面でも、また精神性の面でもハードルが高いものになりますので、始めたばかりのこのアンサンブルでいきなり挑戦するにはやはり早過ぎます。もう少し、これらの面でお互いを理解し合い、掘り下げてからでないときちんと鳴らせないマテリアルです。
そしてまた、特にうちのバンドのちょっと変わった、あまり一般的ではないリズムアレンジにKojiサンとMarieチャンに馴染んでもらって、変則的なリズムパターンに対応してもらうことが、これから様々な楽曲に取り組む上で必要になります。
だからそのための基礎を築かなければいけない。
これらの理由から、「もうちょっと、これまでHassy&Jakeと10年間やってきた英語のクリスチャンメタルの楽曲の中から、いくつか選んでやってみよう」ということになります。
少なくとも10曲くらいは、Hassy&Jakeと演ってきた曲を、やってみないと、バンドとしての基礎が完成しない。
日本語の曲、古い曲、新しい曲、など、いろいろやりたいのですが、
果たして本格的にライヴ活動を始めることが出来るのはいつになるのか。
“Dying Prophet”や”Repent”を再び演奏できるようになるのはいつのことなのか。
そして「鍋島」の楽曲を演れるようになるのはいつのことなのか。
まだまだ時間がかかる、としか言えませんが、音楽活動っていうのはライブやる以外にもいくらでもやらなければいけないことがありますので、それらのことに全力で取り組みつつ、いつかきっと、そんなに遠くなく、ライブ活動を開始して、でっかい会場で演ったり、ツアーに出かけたり、出来る日を信じて、しっかりと準備をしていきたいと思っています。
参考に、”Dying Prophet”のっけておきましょうか。これもあんまり回数回ってないです。ビデオも余った素材で作った手抜きだし。
さて、自撮りの写真と、ギターとか機材の話を・・・
機材の話をメインに書くのがいいと思っていたんだけど・・・
スタジオの配置の関係とか、もろもろの関係で、リハの際に今のところどうしても自分の姿だけを自撮りするしかなく。
アー写も悩ましい問題ですよね。動き出す準備が出来たら、この3人でまたアー写を撮らなくてはいけない。
新しいラインナップの発表ビデオも撮らなくてはいけないですよ。YouTube時代のめんどくさい儀式。
で、うちのバンドってもともと僕のワンマンバンド的な色彩が強い上に、ここんとこの活動でも僕が一人でちまちまやってるだけなんで、ブログの投稿のサムネイル写真とかにも自分の顔がどうしても映ってしまい、うざったいなあ、って(汗)
基本的に私は世間との距離が遠い人ですから、あとは人間としてもアクが強いというか、わかりやすい意味でのアクや個性ではなく、内面的な意味でのメッセージ性とかの意味でアクが強いので、見た目が個性的な人よりもさらに人から嫌われる率、敬遠される率が高く。
そんな人がワンマン的にやっている時点でバンドとして、一般的な意味での人気は最初から望めないので、これは問題だと最初っから、それこそ20年前からわかっているんですが・・・
だからいつも言っていることですが、本当は、ルックスのいい、人とコミュニケーションの取れるシンガーと出会って、4人体制でバンドを演りたかった。そうすれば自分も職人肌のギターヒーローになれるし、ハードロックのバンドって昔っから4人でやるのが黄金パターンじゃないですか。
でも、そこのところは長年やってくる中で、もう悟ったというか、あきらめているところなので。。。
ブルーズとか、シスター・ロゼッタとか、あとは「信仰」とか、考えると、やっぱりこれでよかったんだな、って思うことは多かったし。
最終的にどういう見た目だった、とか、どういう偏屈な性格だった、とか、そういうのって問題じゃなくて、本当に大事なのはwhat really mattersはそれは音楽そのものですからね。
だから、近くにいる人とか国内シーンで思いっきりスルーされても、遠くにいる人にはなんだか伝わる、という状況があります。
そんなふうに、もっともっと遠くにいる人にも、伝わるように、そう思って演っているんですけどね。
話が逸れてますが、自撮り・・・
まずは何が悲しいかって、これって鏡に写して撮影してるんですよね。
鏡に写して、それなりにキマって(ないけど)、映っていて、まあギタリストだから自分よりもギターがかっこよく写るように、って撮っちゃうのは仕方ないんですが、
それで、鏡の画像を、反転して正しい向きに直すと、大してかっこよくないんですよ。
鏡のマジックなのか。
これってすごい落ち込むんですね。
つまり、鏡に写った自分が「よしキマッたな」と思っても、それを反転した現実の自分はぜんぜんキマってない、ということだから。
つまり、自分の目で見た自分自身と、他者というか周囲から見た自分は違うっていうことを意味します。ちょっと突っ込むと哲学的なテーマになりそうです。
音楽であっても、人によって聴こえ方は違うし、立っている場所によっても違う聴こえ方をする。たとえば人の耳には個人差があって、聴こえる周波数とか、聴こえない周波数とか、普通に物理的に人によって違うわけです。
なので、作り手と、受け手が、それぞれの視点(聴点)でどのように音楽を聞いているのか、それも考えていくと深いテーマですが、泥沼になるので止めておきます。
あとは、鏡に写した自分の像は、なんだか女性的に見えるのに対して、それを反転してみると、いかにもあか抜けない、ぼさっとした男性っぽい像になる。。。
現実には私はぼさっとした男性なわけですが、鏡の中に映る自分の中には、女性の像を見ているのかもしれません。これも、突っ込むとちょっと深そうな話です。
昔、19歳くらいの頃に「鏡はいつでも嘘を付く」って曲を書いたんですが、このバンドのファーストアルバムにあたる作品に入ってますけど、たわいもないくだらない曲だと思っていたけれど、そう思うと、結構真実を付いていたんですね。
ちなみに、ファーストアルバムは今、作り直し(!?)をしている最中なので、曲のサンプルは載せられません。
あれ、YouTubeにありました?
上に書いた、僕の人間としての(音楽家としての)とっつきにくさとアクの強さに、たとえばよく言われること、思うこととして、同じことをやっていたとして、「もしこれが女性だったら」とか、あるいはルックス面で、私は背の低い貧相な体格の男ですから、「もしあと5センチ背が高かったら」とかありますが。
どちらも僕の中では現実にはボツなわけです。たとえばもし僕があと5センチ背が高かったら、こんなに自由に音楽やれてなかったでしょう。というか、こんなに自由な人生もやれてなかったと思います。
もし女性だったら、そうですね、鏡に映した反転した自分の像が、女性的な顔をしていることから、あるいは鏡の向こう側の世界では自分は女性で、現実の僕よりももっと人気があるのかもしれません。んでも、きっとそしたら、もっと八方美人なことしか出来なかっただろう。
ぼさっとした、あか抜けない、人の注目を引かない自分で、良かったのだと、そう思っている。男でいるって基本、そういうことだし。
わざわざ反転した画像は、載せませんよ、恥ずかしいから!(苦笑)
なので、「おお、オレのギター、かっこいいなあ」と思いつつも、反転したらダサかった事実にショックを受けつつも、
まぁでも、この前ヴォーカルを録る際にスマホのビューティーフィルター全開(笑)で撮った自撮りも、笑える系のナルシスト美形に映ってましたし(苦笑)
今までのアー写とかビデオでも、それなりに映っているものもあるので、無駄に絶望はしないでおきましょう。
人間、生活しているうちの8割とか9割は、よほどの美人/イケメンでない限り、普通はぱっとしない姿で生きているわけで、私ももちろんそうですが、写真とかプロフィール写真とかアー写とかそういうものは、ほんの一瞬、その中でも良い瞬間だけ切り取ればいいものなので、それでいいんじゃないかと。
なんでもそうですね。人でも、物でも。
良い面とか、良い点にクローズアップして、それを真実だと信じてあげたらいいんです。
10年間一緒に活動してきたHassy&Jakeもそうですが、過去に一緒にやったメンバーたちも、そうやって良い面を引き出してあげることが出来ていたら、いいんですが。たとえ人生の中の一瞬であってもね。
そう願ってます。
なんか無駄話ばかりで、(予想はしてましたが)、とりとめもなく長いので、メインディッシュのはずの機材とギターの話題は、あきらめます、体力も尽きたので。
それがメインの話題じゃないのかよ、っていう。
じゃあGod Bless You All!!
– 注、のっけた写真は、自撮りしたやつの中から、「反転してもあんまり劣化しなかったやつ」を選ばせていただきました。許せ、武士の情けじゃ。(それでもやっぱ劣化してるけどね、汗) でも、ここからひとつ学ぶことがある。写真にしろ、何のデザインにしろ、もしそれが本当にかっこいいものか検証したければ、ひっくりかえしてみろ、ってことだね。