最近読んでいる本。
近所のちょっと気取った古本屋には、なんだかんだ、時々お世話になった。
引越の結果、もはや近所ではなくなってしまったが、きっとこれからも折りを見て寄るだろうと思う。
もともと本をあまり読む方ではないが、年始に示されたこともあり、また、いよいよこの歳になって音楽がだんだん「面白くなくなってきた」こともあり、また今後の自分の創作の方向性を考えると、活字というか本から情報を得ることが多くなっていくのではないかと予感している。
(音楽については、もちろん今後も世界のどこかの名も無いインディーバンドの最新のやつは見つけ出していきたいし、なるべく新しい流れもたまにはチェックしたいと思ってはいるし、それは変わらないが、たとえばGreta Van Fleetあたりを聴いて興奮できる人はそれでもいいかもしれないが、僕は残念ながらそうではない。もっとも、いきのいいロックバンドはいつの時代にもいるし、いつの時代にもいた。)
どちらにせよ、今の僕の目標はどんなミュージシャンにも増して、遠藤周作その人だ。いつも言っているように、僕は遠藤周作を「ヘヴィメタル」だと思っているし、唯一と言える「日本のクリスチャンヘヴィメタル」の大先輩としても、また日本人としてキリスト教の信仰に向き合ったアーティストとしても、ものすごい刺激を受けている。その偉大さは、今更僕が何を言う必要もないが、あまりに凄過ぎるので、本当に巨大な目標というか、足下にさえも追いつける気はまったくしない。そして、そんな存在が居てくれたことに、そんな存在に出会えたことに、本当に幸福なことだと思うのだ。
この「作家の日記」には、本当に衝撃を受けた。要するに若い頃の遠藤周作が、そのまま載っているのだ。それが本当に「そのまま」なのかどうかは、遠藤周作氏のことだから(笑)油断はできないが、後年、プロフェッショナルの人気作家となってからの完成された遠藤周作ではなく、20代の「素」の遠藤氏が記録されていることに驚いた。そこに描かれた心のうちと、人物像は、僕を驚嘆させるのに十分すぎるものだった。この人、ものすごく真面目で、ものすごくかっこよくて、まちがいなくとんでもないインテリだったんじゃんよ・・・(当然と言えば当然だが)
一個も勝てる要素が見当たらない、というのはこういうことを言う。
僕が遠藤氏に勝てる要素が一個でもあるとすれば、それはヘヴィメタルギターの速弾きが出来ることくらいか・・・
しかし、勝てる気がまったくしない、といえば、僕の永遠のヒーローであるエディ・ヴァン・ヘイレンも同様だが、遠藤周作にせよEddie Van Halenにせよ、スケートボードでトレフリップを決めたことはあるまい。そこが、僕がひょっとすると、自分は幸せかもしれない、と思う所以だ。
もういっぽうの「ルネサンスと宗教改革」の方は、まだ序盤しか読めていない。だって難しいんだもん(笑)
だが、やはり非常に面白い。
年始に義母の遺品の中から示されたことから、なぜだか僕は今、宗教改革あたりの歴史にちょっと興味を持っているのだが、そんなタイミングでこういう本に出会えて良かったと思っている。
そして、これを日本語に翻訳した学者さんが、キリスト教徒なのかどうかは知らないが、(別にぐぐる気もないし)、まぁ普通に考えれば信仰を持っていたからこういった仕事をした、と考える方が自然ではあるが(そうでなくては内容を本当には理解できまい)、そうして信仰というテーマに日本人として本気で向き合った先人たちの存在に、本当に尊敬と、畏敬を感じる。
自分は小さなインディバンドの人に過ぎないが、規模はともあれ、そういった先人たちに恥じないものを、これから作り出して、表現して、世に放っていくことが出来たら、と、そう思っている。
いずれにせよ、僕はまだまだ中身が幼いというか、やっとこの歳になって、普通の人であれば二十歳前後とか若いうちに取り組むような勉強に、やっと興味を持てるようになってきたところだ。
でも、「いっぱしの人間」になるのは今更無理でも、「ちょっとした芸術家」になるために、何事も遅過ぎるということは無いという言葉を信じて、これから勉強していきたいと思っている。