しがないインディバンドで音楽を作り続けてこの歳まで来たが、まだまだ野望は捨ててない(笑)。
いや、歳を経ることで自分が欲しいものがはっきりとしてきて、野望がより鮮明になるのだ。
わざわざインディで個人の意地と心意気(そして信仰)でロックを鳴らし続けて、その目標と野望はどこにあるのか。
それはもちろん「世界征服」なのだ。
そして、前にも書いたが、それは権力や支配ではなく、自分の魂の中に世界そのものを飲み込み、この世界の真実と光と闇と美しきものを理解し、己の物とすることなのだ。
もちろんそれはイエス・キリストとお友達になることでもあるのだ。宇宙の中心にいる神に向かいウインクを送ることでもあるのだ。
たとえば世の中のプラットフォームに乗っかり、商業的に成功を収めたとしても、それは世界を征服したことにはならないのだ。
なるほど、先日亡くなったオジー・オズボーンや、偉大なロックレジェンドたちのように、己を貫き、一時代を築き、世界の人々に愛される。そこまでの存在になれば、もはや「世界征服」と言えるかもしれない。
だが、それでも「世界を自分のものとする」には程遠いのだ。
僕がロックミュージックを通じて追い求めるゴールはそこなのだ。
もちろん、そうは言ってもしがないインディバンドである。
世渡りの下手な、不器用で偏屈な音楽家のはしくれである。
現実的に短期中期の目標は立てている。
それはひとつには日本の歴史や風土に基づいた「クリスチャンヘヴィメタル」を打ち立てることである。
ひとつには日本の歴史や風土に基づき、本来の伝統的なハードロック、ヘヴィメタルの王道に基づいた、伝統芸能としての和風のヘヴィメタルを打ち立てることである。
そして日本古来の信仰の心と、キリスト教の真実をつなぎあわせ、「神事としてのヘヴィメタル」を樹立するのだ。
あとはもちろん、たくさんツアーをしたい。
世界の各地で演奏したい。
規模は問わない。スピリットがそこにあればいい。
そして真の意味で神を賛美する音を鳴らし伝えたい。
たとえ世界を手に入れたとて、魂を失ったら何の意味があるか。
命を得るためには、命を捨てて十字架を背負うことこそが真の道だ。
命は全世界より大きいものなのだ。
そのことを理解できるかどうかなのだ。