さて、新しいEP、”To Rome”をとりあえずBandcampだけでもすでにアップし発表してしまっているので。
ソーシャルメディアではすでにPRを開始しているし。
それらについての記事、予定しているツアーのこととか、新しいEPのこととか、書きたいんだけれど。
やはり今のうちに、もういっこだけ、世の中と政治っぽい話題のブログ記事を書き残しておきたい。
うちのバンドの、この日本語ウェブサイトは、僕の好き勝手に書いている日記帳のようになってしまっているが。
(昔は、日記のCGIっていうのかシステムがあってそこにテキストオンリーで日々、好き勝手に書けたのだが、ワードプレス形式になって、表にどどんと記事になってしまい、雑記帳がメインに見えるようになってしまった。)
それでも、政治っぽいこととか書くのは、これで最後になるかもしれない。
というか、出来ればこれで最後にしたい。
まぁ、生きてるうちは、なんか書くんだろうけど、気になることは。
ソーシャルメディア上で意見を表明することが、あまり実の有ることだと思わないので、音楽と一緒にウェブサイトでちゃんと書く方が、まだましではないかと思うからだ。
別に政治的な意見が言いたいわけではない。
自分はもう、自分の政治的なメッセージというのは、
“Jesus Wind”、および、”Nabeshima”という少なくとも2つの作品で、表明した、メッセージをちゃんと投げかけた、と思っている。
どちらの作品でも、この日本という祖国に対する思いと、日本人クリスチャンとしての信仰と、こういう言葉はふさわしくないのかもしれないが、自分なりの愛国心ってやつを込めたつもりだ。
それは、音楽によるものだから、言葉ではっきり言うメッセージと比べれば、わかりにくいかもしれないし、人によってはまったく違う意味に受け取るメッセージかもしれない。
どちらにしてもそれは、政治的立場が、どの党とか、どっち側とか、左右とか、そういう分類には当てはまらないものだろうと思う。
けれども僕は、確かに命をかけて、それらの作品を作り、そのメッセージを発信したのだ。
そう、僕は”Nabeshima”を、「新しい国をひとつ作る」という決意のもとに、作ったんだ。
だからあの”God Anthem”を書いた。
新しい神の国ジャパンを作りたくて。
笑われるかもしれないが、僕は結構本気なのだ。
「つまり、信仰なくして国は創れないが、信仰とはそんなに簡単なことじゃない」
いつものように前提としてお断りを書いておくが、
僕は自分では自分はリベラル寄りだと思っている。
いわゆる、与党なんて応援したこといっぺんもない、みたいなやつだ。
けれど、典型的な左側ともちょっと違うようで、
なぜだか保守派の人たちに妙に好かれたり、
あとは強面の右寄り愛国派と勘違いされることもちょくちょくある。
それはヘヴィメタルのビジュアルイメージから来ているものかもしれない。
まあ今では、君が代をアレンジしたメタルとか演ってるしなあ….
そして自称リベラルだと言っていても、ちょくちょく、話題によっては保守的な考え方も持っている部分があるのも事実だ。
でも、世の中ってそんな単純なものじゃないでしょ。
誰だって、どんな物事にだって、両面があって、バランスを取って成り立っている。
それに目の前の政治的なトピックや、政治的な立場のどうこうよりも、もっと大切なものっていっぱいあるじゃない。
もともと政治には希望を持っていなかった。
というよりも、若い頃、政治や社会に絶望したからこそ、しょうがなく音楽をやり始めた、というのが事実に近い。
いつから、といえばごく若い頃、子供の頃、少年の頃からそうだったのかもしれない。
もともといじめられっ子だったしね。
けれど、それをなんか大きな意味で、大き過ぎる意味で悟ってしまったのは、うちの嫁さんに会ってからだ。
うちの嫁さん(非常に不思議な人だ)に出会い、
そして人を本気で愛したら、なんか全部わかってしまった。
まあ言っても、17、8で出会ってるんだけど。
この国の病気は根が深いと思う。
現代日本の病症、と言いたいところだが、現実には、もっともっと昔からそうだったのだと思っている。
政治に絶望しているとは言っても、
何年か前までは、ちょっとは希望を持っていた。
けれど、今年2022年、この6月から7月に行われた(今、行われようとしている)参議院選挙。
この様子を見て、僕は、ああこれはもうダメだな、と、爽やかに笑いながら見切りをつけた。
で、もう政治的なことに期待を持つことをやめた。
それ以外のもっと大きなものに期待することにした。
そんな心境で、この前のブログ記事をひとつふたつ、書いた。
信仰と政治は、やっぱり本来関係がない、っていうことが言いたくて。
少なくともイエス・キリストの十字架は、政治的などうこうとは一切関係ない。
政治権力と魂の救済は関係ない。
そんでもって、政治権力なんて、神から見たらきっとどうだっていい。
もっと大事なものがある。
この国、自分の生まれ育った国である日本。
この日本の病は、とても根の深いものであると思う。
僕は、日本には、民主主義と、キリスト教と、ロックンロールは根付かないと思っている。
少なくとも現状では根付いていない。
僕は一応のところ、それなりに熱心なキリスト教徒ではあるから、キリスト教については、将来的にまだまだ根付いていくだろう、という希望を持っている。
でも、それは、理想的な形(リバイバル)とか、熱心な宣教とか、良い感じの手段、みたいなのじゃなくて、「ああ、そうだよね、もう、なんだかなあ」といった理由で、根付く(市民権というか政治的な立場を得る)のではないかと予想している。なんか至極現実的な理由で。
(ローマ帝国でキリスト教が広まった時も、そういう感じだったんじゃないかな、たぶん。)
この日本に本当の意味での民主主義、ロックンロール、ブルーズが根付かないのは、実に歴史的、社会的、また文化的な、様々な呪いによるものだと思う。
それを打ち破ることは、日本人にはなかなか難しい。
たぶん自力では、出来ないことなんだろうと、残念ながらそう思う。
この10年で、という言い方も出来るが。
この10年で、アメリカだって随分と「荒れ果てた」けれども。
この10年で、日本もずいぶん大変な国になった。
劣化した、という言い方はやめておこう。
自然とそうなっていったのだ。
けれども、もともと「ダメだな」と思って絶望していたところ。
ああ、これはいよいよアカンかな、と感じ始めてから、たぶん10年以上。
その間にも色々なことがあった。
それでも僕は日本人というものを信じているし、特別な国、特別な人々である、と信じているけれど。
でも、今回の選挙の様子を見ていて、
僕は、ああ、まさに地獄だな、
もし地獄っていうものがあるとしたら、たぶんこんな感じの風景なんだろうな、
と、しみじみと思っていた。
これ以上、悪くなりようがない。
まさにどうしようもない状態。
地獄というものを絵に描いたような選挙の様子、政治状況だったと思う。
これがわからない、え、何が地獄なの、と思っている人は、ひょっとすると自分も地獄の住人に仲間入りしている可能性があるから、気を付けた方がいい。(たぶん)
で、選挙とか政治状況が、地獄みたいになっているっていうことは、
これから半年とか一年とか後には、
社会全体が、きっとこんなふうな地獄になっているだろうな、って、
僕はそういう予想をしていた。
でも現実は違った。
選挙が終わるのを待つ必要もなかった。
選挙が終わるのを待たずして、投票日が来るよりもはやく、地獄がやってきた。
何年も後になって読む人がいるかもしれないから、一応触れておくと、
元首相の暗殺という、痛ましい事件が起きた。
そしてこれは、きっと後から振り返ったら、これが地獄の始まりだった、というふうに認識される出来事なのだろうと思っている。
さて、どこに逃げようか(笑)
でも、どこに行ったって、人間である以上は、政治的な問題はついてくる。
そして、人間の作る社会である以上、どんな社会にも問題はある。
たとえばわかりやすく、アメリカではマイノリティとして生きるということは、
差別と抑圧の中を生きることに他ならないだろう。
差別や抑圧のない国なんて、たぶんない。
少なくとも今、現在の地球上には。
あたりまえのことなんだけれど、
今、問われているのは、
地獄の中を歩く勇気なんだと思う。
地獄の業火が燃え盛る中を、
涼しい顔して、笑顔で歩く勇気。
人間の歴史ってだいたいそんなもんか。
でも、そんな練習を、僕らはずっとしてきたじゃないか。
ロックンロールで。
ブルーズで。
だってブルーズは、苦難の中を意気揚々と歩く音楽だ。
そしてイエス・キリストは、十字架までの道のりを、笑顔で歩いて行ったと、僕はそう信じているよ。
世間的には大きな出来事なのだろうけれど、今回の暗殺事件について、どのように感じたか、とか、どのように分析するか、とか、そういったことは、僕は書かないでおきたいと思っています。
専門家じゃないので。
でも、音楽家のはしくれではあるので、音からわかることは、少しはあるかもしれない。
軍事とか、そういうことも書かないよ。
そりゃ男の子だから、軍事についても、孫子の兵法とか、老子のなんちゃらとか、聖書の預言とか、そういうのに基づいて、あれこれ論じたいけど、誰もそんなの聞きたくないだろう。
でも、たとえばどこの誰が相手であるにせよ、もし戦いがあったとして、そこで国のために立ち上がるとか、一致団結する、みたいな、気持ち的な要素が大事なのだとしたら、そういう政治と国民との信頼関係、そして愛するにふさわしい国の形とか、そういうのを築くことには、きっと日本は失敗したんだろうなって気がする。
それは、教育だってそうだし、ビジネスだってそうだろう。
命をかけて戦おう、って思えるか。
それよりも前に、命をかけて日々を生きてるか。
大前提の基本をないがしろにしたってことじゃないだろうか。
で、その大前提を、誰もわかってない。
保守の人たちですら。
このまま感情的になって戦っても、それは相手が誰であっても勝てやしないだろうと思う。
あとは冷静な人間がどれだけいるか。
でもたぶん残念ながらそういった冷静な判断ができる人間は、今のこの国では、しかるべき立場にはいないかもしれない。
いたらもっと違う社会になってるだろうから。
社会の状況っていうのは、
これはもちろん、日本に限らず、諸外国や、国によってその「病」の形や症状は違うのだろうけれども。
ひとつ書き記しておくのであれば、
それは、ロックンロールや、エレクトリックギターをめぐる状況とまったく同じだ、ということ。
僕は一人のギタリストとして、自分なりに、より良い楽器、より良いエレクトリックギター、より良いサウンド、より良いプレイ、そしてより良い音楽を求めてきた。
もちろん個人の経験と見識には限界があるけれど、自分なりに、正直に求めてきた。
だけれど、知れば知るほど、わかってきたのは、
世の中において、このエレクトリックギターをめぐる状況というのが、
どれだけ間違いだらけで、どれだけ真実から程遠く、
そしてどれだけ、本質が置き去りにされているか、という、とても切ない事実だった。
特に、レスポールや、セットネックのギターをめぐるギターとそのサウンドについて、それは象徴的に表れていると思う。
世の中にいい楽器が少ないのは、良い楽器なんてものを、誰も求めていないからだ。
つまり、本当にいいギターなんて、誰も求めていない、という切ない事実。
より良いサウンド、なんてものも、誰も求めていない。
少なくとも、市場は求めていない。
いわんや、より良い音楽なんてものも、今や誰も求めてないだろう。
政治や社会をめぐる状況は、これとだいたい同じなんだなあ、ということを、とても切なく、痛感させられる。
話が大幅にそれた。
いつものことだけれど。
こういうところにしか、思いを記せないので。
誰か飲もうよ(笑)
もっと話すから(笑)
これから、世界の状況、そしてこの国の社会状況は、
もっともっと悪くなって、地獄のような状況になっていくかもしれない。
いや、そんなこといったら、ずっと前から、もう地獄だったのだと思うけれど。
つまり、人々の心の中に地獄があるのだとすれば。
でも、できれば僕らはその中で、
まるで1980年代のVan Halenみたいな、めちゃくちゃ陽気でゴキゲンなハードロックを、できればもう一枚、鳴らし、作りたいと思っている。
そのプロセスの中に、そしてその後の世界に、どのような変化と、未来が見えるのか。
その未来だけ見つめていたいね。
信じていたいと思う。
信じて死にたいね。