政と命と魂

僕が政治と信仰ってことについて必死に考えていたのは、
もう今から数年前。
覚えてないけれど、”Jesus Wind”を作っている最中だったのは間違いない。
そこで考えたことや「神さんに示された」ことは、あの作品の内容にずいぶん反映されたと思う。

その時に参考にしたのは、聖書はもちろんだが、
中国の老荘思想や、それに基づいた孫子とかに説明された「支配」とか「政」(まつりごと)の根源。

その時にたどり着いた結論、その気持ちは今でも変わらない。

馬鹿にされるかもしれないが、僕は今でも民主主義ってやつを信じている。
なぜって、独裁政治体制の下でロックンロールは鳴らせないじゃないか。
もっとも、その意味では自由なロックなんてものは既にメインストリームからも、そしてアンダーグラウンドからさえも、とっくに消え去って久しいのかもしれないが。

で、最近は「政」(まつりごと)ってことよりも「命」ってものについて考えてる。
命とか生命とか。
もっとも僕は人の親になったことはないので、命について考える資格があるかどうかはわからない。
けれど、そこでやっぱり「神さんに示された」ことがあり、
僕の信念つーか結論は、さらに深まった。
命ってものを壊すことは誰にも出来やしないからね。
たとえ悪魔でもだ。

このぶんでいくと、たぶんあと何年かすると僕は今度は「魂」みたいなことについて考えだして、
その答えが出る頃には寿命が来ているだろう(笑)

こういうことは、中世から近代にかけてのヨーロッパあたりのいろんな思想家が、いっぱい考えたことなんだろうな。
自分の身の丈には余ってしょうがない。
それでいいと思っている。
その過程で、いい感じのリフのひとつも鳴らせたら、十分に価値はあるからね。

 

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