営業について考えてみた文章だけれど、
思考の途中であって、書きなぐってみただけであり、文章としてまとまっていないが、
思考の記録としては自分にとっては十分であるので書き記しておきたい。
長年の間、自分の音楽人生の到達地点として向き合ってきた作品”Nabeshima”の完成(リリースはまだ先だし、ミックスの手直しはあるだろうけれども)をひとつの契機として、僕の人生の中で、音楽的な目標は達成し、為すべき事は為したということになり、
またそれを契機として、これから閉じこもっていた「象牙の塔」なり「修道院」なりそういった場所から出て、より世界に向き合っていくことになる。
その予定である。
わかりやすく言えば商売や営業を考えることになる。
しかしそもそも商売や営業を考えていればこんなあけすけな日記のようなブログは書かないのであるが、僕らは基本的にターゲットは海外であるし、そのあたりは前から見守ってくれている人であればすでにわかっていることと思う。
僕はこの”Nabeshima”を作りながら、「世界を獲る」と思っていたし、今もその気持ちはたぶん変わっていない。
レコーディング作業の時から、ミックスをしている時、そしてマスタリングで完成品になるまで、その手応えはずっと持続していた。
これからそのために「営業活動」をしなくてはならないわけで、言われるまでもなく、音楽を作ることよりもそっちの方は「超」が付くレベルで苦手であるし、また現実にはこっちの方が世の中というのは難しく出来ているものである。
譜面の上の音符を動かすことは自分の判断や意志で出来ることかもしれないが、政治や経済を動かすというのは自分の意志だけではままならないからだ。
これも前から考えていたことではあるのだが、”Nabeshima”のリリースよりも先に、まずは「ベスト盤」を出すことになる。
僕らのバンド、というか、音楽活動のやり方は、たぶん一般的に皆が考えているものとはずいぶんやり方が違う。目標や目的、ゴールというものがたぶん人とちょっと違うからだと思う。
だから、この時点で、こんな形で「ベスト盤」みたいなものを出す、というのも、不思議な事だと思うが、自分たちとしてはこのタイミングしかない、という必然性がある。
どっちにしろ「成功」みたいなものは一番最後でいい、という思いがある。
もしそれが必要ないものであれば、別に一生成功しなくていいのかもしれないし、その方が幸せであるかもしれない。
一般的には、人は一刻も早く成功したり、有名になりたい、富や栄誉を得たい、と思うものかもしれない。
前提として僕は、「モテたい」と思って音楽を始めたクチでななく、そして、そうであったらどんなにかよかっただろう、と、「モテたい」人々を羨ましく思いつつ、けれども現実を見ると、僕は「モテたい」とはやはりどうしても思えなかった。
けれども”Nabeshima”を作り終えた今、やっとそれらのものに向き合う時が来たと考えている。
そこにはいくつかの理由があるが、今は説明しない。
しかしいずれにせよ、「営業」に向き合う時が来たので、
そのための準備の一環として、軽いリサーチをしてみた。
リサーチといっても、大したものではない。
みんなやっていることである。
そしてその一環として、Spotifyというものについて少し見てみた。
僕の記憶では、このSpotifyやストリーミングサービスが世界的に普及していったのは2010年前後のことであり、日本でそのサービスが始まったのは2015年前後ではなかったかと記憶している。ぐぐればわかることだろうけれども。
今は2020年だから、日本に上陸してからもすでに4、5年はたっていることになる。
そして、この5年間の間にも、やはりというか、世界はずいぶんと変わってしまっていたようだ。
思うことはみっつ。
音楽の売り方。その進化と、しかしまだこれも過渡期でしかない、ということ。
ロックンロールの行方と、民主主義ということ。
そして、「王座」はどこへ行ったのか、ということ。
Spotify等のストリーミングサービスが世界を征服したのは、日本上陸するよりも前のことだと思うけれども、日本でのサービス開始ということもあるから、便宜上、2015年を境目として考えてみよう。
そう考えると、まだ5年しかたっていないわけだけれども、その5年の間に、世界そのものも、音楽業界も、ずいぶんと様変わりした、ということは間違いない。
たとえば僕のall time favoriteであるVan Halenの最後のアルバムは2012年にリリースされたが、その時にはまだこれらのストリーミングサービスは今ほどに力を持っていなかっただろうと思う。
しかし、今ではもうその時と比べて状況は随分変わっている。
たとえ伝説的なバンドであっても、今の時代にあっては、このストリーミングというゲームの土俵に上がらなくてはいけない。
そんな時代の中で、そもそもVan Halenはアルバムを発表しようとすら思っていない可能性は高い。
ここで”Streaming killed the radio star”とか言い出すのはあんまりフェアなことではないだろう。
Van Halenみたいな伝説的な昔のバンドでなくとも、
僕が2010年前後に大好きだったいくつものインディーバンドを見ていた場合であっても、
彼らが勢力的にツアーしていた2000年代や2010年前後の「インディーシーン」は、今ではもう様変わりし、当時の姿はなくなってしまっているだろう。
そしてストリーミングサービスをはじめとする音楽業界のことだけでなく、政治の世界を見ても世界は大きく様変わりしたし、社会の在り方を見ても、やはりこの5年間で世界は、日本も含めて、大きく変わった。
そして、これは自明のことだと思うが、今回の新型コロナウイルスCOVID-19のパンデミックをきっかけとして、これからさらにまた世界の様子は大きく変わってくるだろう。
僕らはこれまで、営業というものについて、きちんと取り組んできたとは言い難い。
また逆に言えば、営業ということを考えるのであれば、そもそもこんな音楽はやっていない。
そういうことを考えるのであれば、そもそもこんな生き方は選んでいない。
歴代のメンバーについても、やはり一般のがんばっているバンドマンの皆さんのように「何がなんでも売れるんだ」みたいな意欲を持ったメンバーは、うちのバンドで演奏することは不可能なので、長年連れ添ったHassyやJakeについても、売れるという意識、営業という意識は非常に希薄だったわけだ。「嫌なことはしたくない」「面倒なことはしたくない」といった感じで、その時点ですでに世間一般から見たら、色々なものがNGであっただろう。
そしてそれ以上に僕自身が、そしてまたさらにそれ以上に、この音楽の根っこの部分が、それ以上に世間一般と距離の遠いものだった。
この距離の遠さは、言葉で説明できるものではないだろうと思う。
いわゆる「個性的な人たち」というのが居て、
それはたとえば、個性的なファッションをしていたり、尖った見た目であったり、中身が変態であったり、演奏が変態であったり、そういう人たちがいる。
けれども僕らの”different”は、そういう「違い」ではなかった。
でも、たとえば偉い科学者の人とか、すごい職人の人とか、見た目は普通のおじさんおばさんであるわけだから、人間というのは本来そういうことだと思っている。
“Nabeshima”に収録されている曲のタイトルにも使ったのだけれど、聖書の中に”not of this world”(この世界のものではない)という言葉があって、”違い”ということを言うのであればそれを引用するしかないと思っている。
愛というのは人間世界において水と油であり、愛という個人的な真実、あるいは宇宙の普遍、みたいなものが、人間世界にすんなり伝わることはあまり無い。それが姿を現せば、大抵、かなり異様な、異質なものになってしまうからだ。その水と油が混じり合う瞬間のことを奇跡と呼ぶと思う。イエス・キリストは死人を甦らせたり、水の上を歩いたり、いろいろな奇跡を起こしたとされるが、その最大の奇跡というのは、その「水と油」であるところの「愛」をこの世界に伝えたことだろう。
そんなふうに”Not of this world”である以上、世間一般からは距離があるので、もれなく酷い目に合いますよ(でも心配すんな)、と聖書には書いてあると思う。
一言でまとめてしまえばそれほど距離が遠かったとしてもひたすらに全力でラヴコールを送ってきたのが僕の人生だ。
で、たぶんそれは死ぬまでラヴコールを送り続ける。
だから人から見てそうは思われなかったとしても、自分としては様々なものを犠牲にして、サービス精神満点で、必要な部分では妥協もして、出血大サービスでやっているのであり、
それはHassyやJakeにしても、歴代のメンバーにしても、同じことだっただろうと思う。
傍から見て、たとえば笑顔を振りまくガールズバンドのように愛想よくしていなかったとしても、これでも僕らは全力サービスで皆さんを楽しませようとしていた、ということだ。
(つっても、まだまだであり、たとえば心からロックしているパンク等の諸先輩には頭が上がらないけどね)
見てわかると思うが、
僕らはあるいは世界で一番売り出しづらいバンドではないかと思う。
日本人で、クリスチャンで、ヘヴィメタル、というだけでも難しいと思わないだろうか。
そこに加えて、ややこしいことや面倒なことが山積みになっている。
たとえば僕なんか見ても、ご覧のとおり、わりと政治的なことでも馬鹿みたいに言ってしまう方である。
政治と宗教、というタブーっぽいことが最初から前面に出ている。
さらには音楽性の問題、言語の問題、場所の問題、などなど。
むしろ「世界で一番売り出しづらいバンド」というキャッチフレーズで売り出そうと半分本気で思っているくらいだ。笑。
そうやってドキュメントしてシェアすればいいんじゃないかと思うくらいだが、そんな暇があるくらいなら普通に営業活動に尽力すべきだろう。
そもそも、そういうのって、それこそアイドルやガールズバンドの見せ物ドキュメントと変わらないだろうし。
今の時点でこの日本語ブログだって十分に「裏側の共有」だしね。
話は逸れたが、そんな感じであったから、僕らは営業ということにもやはりきちんと取り組めていたとは言い難く、
そうであるからして、Spotifyなんてものも、なんにもやってないのである。
はっきり言って放置である。
ああ、なんか聴いてくれている人もいるんだ、有り難いなぁ、と思いつつ、やはり放置である。
ストリーミングサービスそのものについてもやはり複雑な思いであったわけだ。
しかし放置して良かったということも言える。
昔のアーティストのように、ミュージシャンは音楽を作ることだけ考えて、ビジネスや宣伝は他の人が取り仕切る、というのであればいいと思うが、現代はメジャーな人であっても自分でPRすることが重要だし、インディーバンドにとってはなおさらであって、当たり前のことだけれども。
で、「営業」と「創作」ということは、やっぱり両立しない。
僕は絶対に両立しないと思っている。
少なくともそれが僕の実感であり、僕にとってはそうだ。
バランスを取ってやれる人もたくさんいると思うが、それもやはり交換条件というか、やはり営業と創作のバランスを取るということは、大なり小なり、創作が犠牲になるものだと思う。
たとえば僕はHassyとJakeとの3人で演奏活動を初めて以来、たとえば10年間、営業や、売れる、成功する、ということについて意識が低かったかもしれない。
けれどだからこそ、ここまでやれた、ということも言える。
今回、営業のための「資料」を取り寄せてみて、(ありふれた、知ってる人は御存知の、あれです)、
その資料を前回、取り寄せたのは、PCの中のファイルを見ると、なんと2013年のことだった。
奇しくもそれはXTJ (The Extreme Tour Japan)を最初に行った年であり、つまりそれ以来、海外をターゲットとしているはずの僕らは、日本という狭い国に閉じこもり、また創作という牢獄の中に閉じこもって、自分たちのルーツということに向き合って、何かを探してきた、ということになる。
そして、その結果、僕は”Nabeshima”についに到達することが出来た。
そして今年、やっとそれを完成させるところまでたどり着いた。
それは、営業とか成功を追い求めていたら、出来なかったことである。
営業や成功ということを考えていたら、とても鳴らせなかった音である。
だからやはり、その価値はあったのだ。
十分にあった。
インディバンドである僕らが、営業なんてことを考えたら、とてもじゃないがこんな作品は、”Nabeshima”は、作れなかった。
何度も言うが、それはやっぱり、脳の使う領域がまったく違うことだ。
少なくとも本気で創作に取り組んでいる間は、営業ってことを考えるべきではない。
だから、すべての創作を終えた今、やっと営業に向き合うのは、正しいタイミングであり、
やっと今だからこそ、取り組むことが出来ることなのだ。
これは、今回、それらの「資料」に目を通す中でも、非常に痛感したことだった。
普通は逆だと思うんだよね。
マーケティングみたいなことを考えたら、そして、一般のバンドマンの皆さんは、これは逆だと思うんだ。
最初にまず、営業ということを考える。マーケティングということを考える。ニーズというものを考える。
それらを前提として、それらがまず言うまでもない前提としてあった上で、どんな音を鳴らすか、を考えるのが普通であると思う。
でも僕はそうじゃなかった。
理由は知らん。
神だかなんだか、最初からいろんなものを押し付けられた、いや言い方が悪いな、与えていただいた、笑。
営業とか売れたいとか考えたら、そもそもこんな風変わりなバンド名は付けない。笑。
別に「ようし、ニッチなマーケットを狙って日本人だけどクリスチャンメタルをやってみよう」とか思ったわけではない。たまたまそうなってしまっただけのことだ。
で、営業で「クリスチャンバンド」やってるわけではないので、信仰についても妙にストイックになってしまい、(ストイックといっても半分は自堕落だが、笑)、クリスチャン相手であってもやっぱり愛想が悪い。笑。なめんなよ、おまえらうわべだけじゃないのかよ、みたいな態度を取ってしまう。これは相手が日本人であっても海外のクリスチャンであっても同じことだ。
話はそれたがSpotifyのことだ。
そんな感じで営業意識が希薄であるから、Spotifyも放置であり、その他のソーシャルメディアとか色々な重要なサイトも、もっと言えば自分のところのウェブサイトも、結構おざなりで放置状態であり、これは後から考えれば、まことに残念なことであると思う。
実は2010年頃に、一度、わりと有名なPRファームに一度コンサルタントみたいなことを頼んだことがあった。その時に言われた内容は、各地のミュージックブログやウェブ上の音楽メディアをターゲットとしてキャンペーンを行い、取り上げてもらうことだった。
それはそれで一定の効果はあったけれども、そんなもんか、なんかわりと地味というかつまらないものだな、と思ったことも事実だ。
その時からくらべても、時代状況は確かに変わった。
ある意味、確かに進歩した、と言っていい。
僕はプレイヤー、たとえばギタリストとしての人生の中で、本当の意味で自分に合う機材であるとか楽器というものは、不思議なことに2010年代になるまで出会えなかった。その前の時代には存在していなかった、と言っていい。
プロモーションや営業ということにも同じことが言えるかもしれない。
かつては不可能だった活動が、やっとこれから可能になるのかもしれない。
その意味ではがんばって長く続ける意義はある。
そうしたインディペンデントな音楽ブログは今でも存在するし、また今となっては世界中の音楽リスナーにとって、紙媒体の情報よりも、メタルの世界だけとっても、普通は(英語とか言語の問題さえクリアすれば)、ウェブ上のメディアから最新情報を得る方が自然だろう。別に英語でなくても、日本語であってもそうだと思うけれど。
もちろんソーシャルメディアを介してのアーティスト側からの直接の発信ということも大きい。これも言うまでもない。
そういった一部の音楽メディアやブログの中には、やはりこんな僕たちであっても、わりと継続的に好意的に取り上げていただいたものもあった。そういう関係は大事にしなければいけないのは言うまでもない。
だが、ストリーミングサービス、中でもSpotifyが世界を席巻した今となっては、かつてのラジオやテレビよりも、より重要なのはプレイリストであると言う。
もちろん僕だって孤島に住んでいたわけではないので、いや今はたとえ孤島に住んでいてもネットを介して情報は届くから、そうであっても僕だって「なんかプレイリストってものが今は流行ってるらしい」ということは話には聞いてはいた。笑。
だが、そもそも自分が音楽を聴く際の消費行動であってもいまだに僕はストリーミングサービスには馴染めていないから、(時折利用はするものの、限定的である)、そういった「プレイリスト」とか言われても、「何それ美味しいの」状態であった。
さて、僕はいつも考えていたことがあった。
音楽業界や、それらの状態、自分の好きな音楽、自分の応援しているアーティストのことを考えても、いつも思っていたことがあった。
それは人間社会の音楽業界、音楽ビジネスにおける、「音楽の売り方」ということである。
つまり、アーティストたちが、革新的な新しい意義を持った作品をがんばってたくさん作っているにも関わらず、それを売る人たち、売る方の人間たちは、それに適した「売り方」というものを開発せず、旧態依然とした価値観とメソッドの中で商売をやっていることについての歯痒さだった。
これはもちろん各種メディアやジャーナリズムのことも含んでいる。ロキノンとか、と言ってしまうと今ではジョークになってしまうのだろうか。選民意識をくすぐったり、孤独な人間の願望を逆手に取ったり、月代わりで救世主を量産することが商売だった人たちが居た。それはそれで夢を売っていたのだから否定はしない。そういう救世主は今でも毎週、毎日のように量産されている。売る側の人たちからすれば、その救世主の役を喜んでやるアーティストこそが良いアーティストだ。
そして、もっと言ってしまえばそれは音楽を消費し「利用」する僕たちリスナーにも言えることだったと思う。
僕にとっては音楽とは実用品だが、ひとくちに音楽といってもそこには様々な「機能」があり、様々な「利用方法」がある。
けれども世界中のリスナーは、相変わらず音楽の「利用の仕方」を知らず、音楽の持つ「機能」や「可能性」を社会の中で生かせていない。そんなふうに考えることがあった。
そして21世紀になり、インターネットの時代になり、CDの時代が終わり、そしてまた2010年代に入ってストリーミングの時代になり、ダウンロードの時代が終わり、ともかくもSpotifyが音楽業界を制覇して、世界は様変わりしたわけだが、
そう考えると、これらのSpotifyの「プレイリスト」や「アルゴリズム」など、10年前と比較して、音楽の「売り方」は確かに進化したのかもしれない。
そう言えるし、確かにそれは肯定できる。
メジャーな音楽業界というか、一部の偉い人たちが決めたものを大衆に押し付ける売り方にくらべれば、リスナーやオーディエンスの消費行動や視聴行動に基づいて、フィーチャーされるものが決まっていく売り方の方が、確かにより民主的であり、進歩しているように感じる。
けれども、正直に言ってそれらはまだまだ不完全であり、
それらはまだまだ「過渡期」なのであって、
それが素晴らしく理想的なものであるとは、僕にはやはり思えない。
その価値観はやはりある領域に限られており、またその判断には恣意的な部分があり、そしてアルゴリズムには数字は読めても魂は読めないからだ。
(えっと、魂が読めるAI、誰か開発します? もうしてます?)
そして、それは今回こうしてSpotifyに関する資料を読み進めるうちに、その思いは強まっていった。
すげえくだらない、とやっぱり思ってしまったのである。
僕はこの”Nabeshima”を作りながら、「世界を獲る」と考えていた。
けれども、前の日記にも記したが、世界がウイルスの影響によってこのような状態となり、いざ完成させたはいいけど、その時にはもう、獲るべき世界はそこには無いかもね、と、半分冗談、半分本気でそう思っていた。
けれど、もっともうすうすわかってはいたが、
やはりこのSpotifyに関する資料を読みながら、
やはり僕はかつてそこにあった「世界」などというものは、とっくに掻き消えて無くなってしまっていることを悟らざるを得なかった。
Spotifyの席巻した今の時代において、たとえばわかりやすく「チャートのナンバーワン」みたいなものを取ることは、
それはYouTuberが馬鹿げた内容のビデオで視聴回数のトップをはじき出すことと変わりがない。
もちろんそれを全否定はしないし、それらの音楽が悪いものであるとも思わないが、
それはアルゴリズムの上での勝利であって、またインターネット時代特有の人々の視聴行動を利用したに過ぎず、それは音楽の勝利であるとは言い難かった。
ここで勝っても嬉しくないだろうな、と、僕は正直思った。
(僕みたいな弱小インディの人が言っても説得力は無いだろうけれども)
そうは言ってもやっぱり実際に一位とかになったら嬉しいでしょ、と思うかもしれないが、
もちろんそれでストリーミングのぶんのお金が入るのはそれは「ラッキー、もらっておこう」と思うけれども(笑)、
でも、嬉しいのはそこだけで(現金)、その他のことについては、本当に本気でちっとも嬉しくないだろう、と思ってしまった。
むしろ嫌なことの方が多そうだ。
またこのSpotify、ストリーミングサービスの外側にいる人たちも、世界にはいる。
ストリーミングが音楽の世界を席巻したとは言っても、それに馴染めていない人たちも世界にはいる。
この安っぽい数字集めゲームにそもそも参加していない、したくない、そういうミュージシャンも多数存在するだろう。
そういう「収集のつかない多様な状態」こそがむしろ現代というものだろう。
Spotifyをもってしても、それらをまとめ切れているとは言えないのではないか。
そして、「ロック」というジャンルについて言ってしまえば、ジャンルごとまとめて、そこに適応できていない、馴染めていない、という気がする。
その逆にヒップホップやEDMがこのストリーミングの時代に非常に馴染んでいるのは言うまでもないことだと思う。
理由はたくさんあると思うが、ちょっと考えてみてだけでも、たとえばヒップホップやEDMはスマホで聞けると思う。でも、ちゃんとしたロックをスマホで聴けるわけがない。
たぶん皆、記号としての音楽しか消費していない。
本体である概念としての音楽の中身を消費している人はたぶん少ない。
この問題がいつからあったのかは、それはまた長い議論になるだろう。
もっと言えばそれはキリスト教や信仰にも言えることだし。
基本的に人間は、信仰の歴史上そうであったように、ロックの歴史上においても、「間違い続けている」と認識している。
それでも前に進まなくてはいけないわけだが。
商売でやってる人はそうも言ってられないだろうが、
自分は「スマホやストリーミングで良い感じに聴こえるための音作り」というのはしたくない。
そういう耳にアピールするための音楽も作りたくない。
たぶんそのへんは自分にとって「絶対に」妥協できないポイントであるのだと思う。
まぁ、大した録音してないけどね。苦笑。
そういう意味でも、現在のストリーミング、Spotifyを中心とする音楽業界のシステムは、それが真に民主的なものであり、完璧なものであるとは僕には到底思えない。
さらに言えば、このSpotifyや、プレイリスト、ということについて資料を読み進めていくと、
そのプレイリストや、それらの数字ということについても、やはりグレーな部分がある。
たとえば2000年代の後半には、MySpaceの時代というものがあり、
世界中のバンドはMySpace上の数字を増やすこと、それらの数字を得ることに躍起になっていたわけだ。なぜならMySpace上の数字がバンドの成功に直結する時代だったからだ。
そしてMySpaceにあってはその時代には、それらの数字は非常にグレーなものが多かった。
そして、それはYouTubeやTwitterでも同様のことがあったと思うし、たぶん今でもあるだろう。
そしてやっぱりSpotifyにおいても、そういうことがあるようだ。
完全に白とも言えないし、完全に黒とも言えない。
そういった内容を読んでいくうちに、なんだ、これってかつてのマイスペースやYouTubeと変わらんではないか、と、そう思うと、ちょっと愕然としてしまう部分があった。
また、Spotifyについて言うのであれば、大手レコード会社3社(だっけ?)が所有しているとかいう話だったと思うが、その内部の運営とかプレイリストやらフィーチャーをめぐるあれこれも定かではないし、音楽業界は昔からいつだってそうだったと思うが、結局やはりそのへんの政治の話になってしまう。
自分が思ったのは、
結局は大手資本とインディとの戦いということであって、
もちろんSpotifyやストリーミングがもたらした音楽の「売り方」は、その中に従来の音楽業界の売り方よりも優れた部分が無いわけではないが、
けれどもそれはやはりまだまだ不完全な片手落ちのものであって。
それはまだまだ過渡期なのであって、
そこからインディがどのようにして音楽をめぐる本物の民主主義を取り戻していくか、
ないしは新たに確立するか、
ということに尽きると思う。
だから相手がSpotifyであれAppleであれ何であれ、インディとして民主主義を取り戻すためにやらないと意味がない。
そいつらが作り出したシステムの中で一番になったって何にも嬉しくない。
そもそも試合が行われていなかった。
そんな試合も大会もとっくに無くなっていた。
天下一武闘会はファッションコンテストになっていた。
真面目な武道家であれば馬鹿馬鹿しいと言って帰ってしまうだろう。
やっぱり「王座」はそこには無かったのであって、
獲るべき「世界」はとっくになくなっていたのであって、
僕が思うに、それはちっとも名誉なことではない。
つまり、こんな世界でナンバーワンを獲ったとしても、それは嘘っぱちにしか思えない、ということだった。
とにかく目立って数字を集めてYouTuberになりたいというのなら別だけれども。
現代のインターネット社会、ソーシャルメディア社会で、影響力とか力を持っているのはそれらのYouTuberとか、それらに代表される人たちなのだから。
いつも言っている持論であり、今さら僕が言うまでもなく自明のことだと思うけれども、
現代においてはとっくにロックスターなどというものは存在しておらず、
存在しているのはソーシャルメディアのスターだけである。
YouTubeのスター、Twitterのスター、Instagramのスター。
そういう人たちが、それぞれのいろんなジャンルにいる。
どんなジャンルであれ、現代社会において成功する、というのはそういったソーシャルメディア上で数字を集めて成功する、ということとだいたいイコールになっていると思う。
たとえばそれこそスケートボードだってそうだろう。
スポーツ選手なのにソーシャルメディアで数字を集めなきゃいけないなんて、と思うかもしれないが、それが現実であると思う。スケートボードは例として不適切かもしれないが、他のもっと硬派なスポーツでも同じじゃないだろうか。
そしてそれはその他の商売でも今の時代は同じことだろう。
で、Spotifyでスターになる、というのは、それらのソーシャルメディアのスターになることと何ら変わらない。
現代はそういう世界だということだ。
もちろん自分も、そういった場である程度の成功や数字を手に入れなくてはいけないのだけれども。
だけど、それは自分が「獲るぜ」と思っている「王座」なのだろうか。
もういっぺん言わせてもらうのであれば、
音楽を作り出すアーティストたちに比して、
音楽を売る側は、まだまだ売り方をわかってない。
“Nabeshima”を完成させた時点で僕が「よっしゃ世界を獲るぜ」と言ったとすれば。
僕の中で「じゃあ世界を獲るぜ」というのが確定事項であり真実であるとする。
で、僕は自分が芸術家、音楽家としてふさわしい「王座」を自分のものにする、と決意しているとする。
けれども、少なくとも現在の状況において、「Spotify、ストリーミング、ソーシャルメディア」の世界を制し、たとえば「チャート」とかのトップに立つことは、あんまり「王座」だとは思えない。
僕の王座はどこにある。
僕の世界はどこにある。
で、たぶん僕は、この「王座」すらも自分で作らなくてはいけない。
で、もっと言えば、「世界」すらも自分で作らなくてはいけない。
僕は夢を持って音楽を始めたクチでは無かったが、
今、僕がもし、人生の中で初めて、「夢」を持っているとすれば、それだろう。
世界を作るってことだ。
新しい世界を。
それは、どう考えても「Spotifyで一位になる」とか「チャートで一位にになる」、ということよりも、大きな夢であり目標だ。
だから「Spotify後」を考えたい。
ていうか世界が終わった後を考えたい。
すべて終わった後、神の御国が実現した後を考えたい。
ロックの歴史の中で、
ブルースの歴史の中で、
本当の意味でロックンロールの民主主義が実現される瞬間を夢見たい。
たぶんそこに僕の王座がある。
まぁ言っても普通に地道に営業するんだけどね(笑)