日本語の文脈でわかりやすく書こうとも思いましたが、手間がかかるので、英語で書いたレビューをそのまま直訳して載せることにします。それでも言いたいことはたぶん伝わると思うから。。。。
日本人の視点から見て、西洋のキリスト教の問題点は、「正しさ」と「エゴ」を混同してしまう傾向があることだ。
そして「正しい」と「間違ってる」ということの単純で極端な二元論だ。
私は正しい。君は間違っている。
私は正しいから勝利する。
私は正しいから、勝利を得るのにふさわしい。
こういった態度が、過去に僕らがアメリカからのいくつかのキリスト教のミニストリーと一緒に何かをやろうとした時に、「残念な点」として物事を妨げた。
(つまりは、私はキリスト教徒だから正しいのだ、という態度ですね)
神は愛。そして愛はパーティーだ。愛のパーティーだ。
僕の知っている限り、クリスチャニティ(キリスト教)っていうのは、「正しくある」ことではない。キリスト教というのは道徳じゃない。それは、僕ら人間の「悔い改め」と、それに対する神の「許し」がすべてなんだ。
たぶん僕が、ここ何作かのストライパーのアルバムにあまりハッピーでなかったのも、そのへんが理由ではないかと思う。
それらのアルバムはみんなとても良い出来だった。グレイトでないとしても、グッドではあった。そしてそれらはとても「正しい」音楽だった。けれども、それはパーティーではなかった。そして彼らの「正しさ」は、強いエゴと隣り合わせだった。
僕はStryperが好きだ。僕はクリスチャンメタルというものを信じている。だからこそ、個人的なこの文章を書いている。
僕は”Soldiers Under Command”の若くフレッシュなエナジーが大好きだ。”In God We Trust”の美しさとヘヴィさが大好きだ。そして”Yellow & Black Attack”のピュアで荒々しいパッションが大好きだ。
確か僕は過去に彼らに対して”ラブレター”を書いたことがあると思う。
うちの嫁さんは、2013~2016の時期にStryper Street Team Japanというものをやっていた。ストライパーは2016年に、1989年以来となるジャパンツアーを行ったが、それを実現させるために、うちの嫁さんの努力は大きな要因のひとつであったと僕は信じている。
過去に言ったように(言ったっけ?)、正確にいつから、とは言えないが、ある時期から、僕はStryperの音楽の中に、神への賛美よりも、ミュージシャンとしてのエゴの方をより感じるようになった。
誤解してないで欲しいが、彼らの音楽はいまだに素晴らしいのだ。1980年代のヘアメタルのスタイルのバンドの中で、彼らはいまだに良い音楽を作り続けている数少ないバンドのひとつだ。それどころか、彼らは今でも進歩し続けている。
たぶん僕は多くを求め過ぎているのかもしれない。僕は大きなものを求め過ぎているのかもしれない。あるいは、こだわりが強過ぎる、ピュアリスト過ぎるのかもしれない。
けれども、その「大きなエゴ」という要素が、僕が彼らの音楽を素直に楽しめない要因だった。
繰り返すが、誤解しないで欲しい。
僕は、ミュージシャンというものは、その音楽で判断されるべきであって、人間性で評価されるべきではないと思っている。僕は、アーティストの人間性と、作品の持つメッセージは、別に考えるべきだと思っている。
だから、今ここで僕が話しているのは、音楽の中にある霊的(精神的)な要素のことだ。それを感じる人もいるし、感じない人もいる。そして、それは人によってまったく意見が違う。
だからこれから述べるのは僕の意見だ。
これらの前置きをした上で、ストライパーのニューアルバム、”Even The Devil Believes”は、とても出来の良い、素晴らしいアルバムだ。
僕はとても感銘を受けた。
僕の意見では、これはおそらく彼らの今まででもベストのアルバムではないだろうか。
もちろん、若い頃の華やかな輝くエナジーと比べることは出来ないが、けれども純粋に音楽の質やパフォーマンスの高さで言えば、これは間違いなく彼らのベストの作品だ。
彼らはまったく1980年代のヘアメタル時代のシグネチャースタイルに戻ったようだ。僕は彼らのここ何作かの「俺たちはヘヴィになってるぜ」というアプローチがあまり好きではなかったが、このアルバムでは彼らは「ポップで華やか」なエッジを取り戻している。
そしてそのスタイルのサウンドがとても新鮮だ。これがどれほど凄いことなのかわかるだろうか。この2020年にもなって、彼らはストレートな1980年代スタイルのメタルのリフを鳴らし、メロディを奏でて、それでも新鮮に聞こえるんだ。これがどれほどのことなのか、理解できるだろうか。
サウンドプロダクションも良くなったように思う。繰り返しになるが、僕は彼らのここ最近のアルバムのモダンなサウンドプロダクションがあまり好きではなかった。けれどのこのアルバムでは彼らは良いバランスを見つけ出したようだ。
特に際立っているのがギターサウンドだ。
ここ何作かのアルバムでは、彼らはよりモダンで、ヘヴィで、比較的レンジの広いギターサウンドを作っていた。だがこの新作では、彼らの特徴的な「ミッドの鋭い」サウンドが戻って来た。このデジタルサウンドの時代の中で、彼らはそのシグネチャーサウンドを取り戻すことに成功したようだ。
それですべてではない。
このアルバムでもっとも凄いのは、マイケル・スウィートの猛烈なヴォーカルだ。
また繰り返しになるが、僕は彼の最近のヴォーカルスタイルがあまり好きではなかった。僕は彼の1980年代の、ハイトーンで、エナジーのあるスタイルが好きだった。けれども彼の2010年代の「大人になり、より強く、ビッグな」スタイルはあまり好きではなかったのだ。
けれどもこの新作においては、マイケルのストロングなヴォーカルスタイルは、ついに完成の域に達したようだ。
彼のヴォーカルはとても太く、強く、そして大きく響いている!
なんて凄いパフォーマンスなんだ!
彼はついに自分の究極のヴォーカルスタイルにたどり着いたようだ。これほどのパワフルな歌唱であれば、マイケル・スウィートは今や、ロックの歴史のいかなる伝説的なシンガーとも比肩し得るだろう。
このニューアルバム”Even The Devil Believes”は、ストライパーの最高の到達地点と言える。彼らは偉大なことを成し遂げた。究極のスタイルを完成させたのだ。これは傑作だ。僕は正直に、これが自分が人生の中で聴いた、ヘアメタルの最高のレコードのひとつであると思っている。
2016年に、僕らが「ストリートチームジャパン」を閉鎖すると決めた時、僕は「あなたたちはもっと凄いものが作れるはずだ」みたいなことを言ったと思う。
今、彼らがこうして、「もっと良い」アルバムを作ってくれたことに、本当に嬉しく思っている。
(参考までに言えば、うちの嫁さんはティム・ゲインズの大ファンだったのだ。それが、僕らがストリートチームを閉鎖しようと決めた理由のひとつだった。ティムは2017年にバンドを脱退した(クビになった?)が、2016年の時点で、すでにその気配を察することは出来ていた。うちの嫁さんの意見では、この新作に「ポップで華やか」な要素が戻っているのは新ベーシストのペリー・リチャードソンがもたらしたFirehouse的なインプットが原因ではないかと言っているが、僕はそれについては是とも否とも言えない。)
いずれにしても、これは素晴らしいメタルアルバムだ。とても感銘を受けた。
けれどもこのアルバムは僕を本当にハッピーにしてくれただろうか。
神の愛を感じただろうか。ジーザスを感じただろうか。
それはわからない。
回答することは出来ないと思う。
しかし僕は、自分はストライパーの「正しさ」に圧倒されたのではないかと感じている。
そして、とても大きくて、非常に強い、アーティストエゴのパワーに圧倒されたのではないかと感じている。(これは一般のミュージシャンにとっては、褒め言葉だと言えるだろう。そして、僕も賞賛のつもりで言っている。)
繰り返しになるが、たぶん僕は多くを求め過ぎているのかもしれない。
それらのことを言った上で、僕はこの素晴らしいアルバムを喜ばしく思い、強い感銘を受け、そしてぶっとばされた。それは間違いない。
Stryperがこれほど良いものを作ってくるとは予想できなかった。いや、本当にぶっとばされた。
敬意を込めて、おめでとう!と言いたい。こんな凄いことを達成した彼らを祝福したい。
そして僕は彼らのその情熱とミュージシャンシップに最大限の賛辞を送る。
これは間違いなく、僕が人生の中で聴いた最良のメタルアルバムのひとつだ。
良いレコードというのは、人々を考えさせるから良いレコードなのだ。
良いアートというのは、問題を提起し、人々を成長させるから良いアートなのだ。
そしてこれは、良いレコードだ。
そして僕は、このレコードが、神の王国を前進させるために役立つものだと信じている。
(人によっては、メタルは悪魔のものだと言う人がいる。いくつかのメタルバンドは確かにそうかもしれない。けれども僕は今でも、Stryperは「神のもの」であると信じている。そう、今でもだ。)
僕はこれでまた、自信を持って、僕はファンだと言える。
それでは採点の時間だ。
僕は、例の「議論を巻き起こした」Blabbermouthのレビューも見てみた。
レビュワーである(Dom Lawson氏)が言っていることも、それなりに理解できるが、けれども、音楽のメッセージや歌詞の内容だけを理由に、これほどの低い点数を付けることは、やはり僕はフェアではないと感じる。だって彼は、基本的には音楽そのものは褒めているのだから。
正直なところ、僕はこれは「良い」レビューではないかと思う。
レビューというものの役割は、ただ点数を付けるだけではない。レビューの最大の目的は、その音楽に人々の注目を集めることだ。その意味ではこの「コントラバーシャルな」レビューは、ちゃんとその役割を果たしている。人間というのは、コントラバーシャルな(ゴシップ、ごたごた)ものが好きなものだ。このレビューの一件は、StryperとBlabbermouthの双方に、注目を集める役割を果たしたのではないだろうか。これがロックンロール・ジャーナリズムというものだ。
けれども、もしこうだったら、僕はもっとハッピーだっただろう。
レビュワーであるLawson氏は、単にキリスト教が嫌いだから、という理由だけでこれほどの低い点数を付けるべきではなかった。彼が言っている「ロックンロールのスピリット、ヘヴィメタルの本来の意義」みたいなことは理解できるが、それでも最低限、10点中で6か7のスコアは与えるべきだった。
そしてマイケル・スウィート氏は、「哀れな人生を送っている」とかそういうことを言って、レビュワーを個人的に攻撃すべきではなかった。反対意見を言う人について人格否定に走るのは昨今のアメリカの政治家や有名人のよくない癖だ。世界中のクリスチャンのためにも、マイケル氏がこのレビューの一件を、もっと大きな器で対応してくれたら、より良かっただろうと僕は思う。(けれども、こういったゴタゴタを演出するのも、ロックンロール・パブリシティの一環なのかもしれない。)
なので僕の採点はこうなる。
素晴らしいミュージシャンシップと音楽にプラス10点。
パーティーの欠如にマイナス2点。
結果は10点中の8点かな。
これくらいが、物事が「フェア」と言えるラインではないだろうか。
繰り返すが、これは僕の意見に過ぎない。
僕はただのいちファンに過ぎない。
そして、ひとりの平信徒というか、日本に住む名も無いキリスト教徒に過ぎない。
君は僕のことも個人的に攻撃するのかい?
ああ、人格否定をしないでくれよ(笑)
ああ、そうだ。僕は哀れな人間だ。
けれども、イエス・キリストはそういった「哀れな人間」のことも愛してくれた。
そして、それこそがクリスチャニティ(キリスト教)の真髄なのだと、僕はそう理解している。