普通のロックが聴きたい

結局のところ、僕は普通のロックが聴きたいんです。
世界的に売れたビッグネーム。誰もが知るロックスター。
そういったバンドも素晴らしいんですが、あんまり売れていない(売れなかった)、ぱっとしないロックバンド。そういったバンドの音に、ぐっと来たりします。

 

普通のロックってどういうものでしょうか。

普通の1970年代のロックバンド。
普通の1980年代のロックバンド。
1990年代の普通のロックバンド。そんなのいたっけ?

2000年代の普通のロックバンド。うーん、なんか飽きるほど居たような気がしますね。
2010年代のロックバンド。ロックバンドいたっけ?
2020年代の現代にあっては、ロックバンドなんて、見つけるだけでも困難かも。

 

たとえば、すごい存在感を放つスーパースターや、特別なプレイヤーが居たとします。そうすると、非常に特徴的な、飛び抜けたバンドになってしまう。
もちろんそれも素晴らしいんですが、それほど飛び抜けていない、「普通にかっこいい」ロッカーたちが、普通にロックした音が聴きたい。

現実には、色々な意味で難しいことです。
普通なんて言っても、実際にはその「普通」を実現するためには、大変な努力と才能が必要だったりするし。
普通って言っても、それほど売れなかったとすれば、ビジネス的にはすぐにバンドは解散して居なくなってしまうのだし。
だから本当は、そういった「普通のロックバンド」こそが貴重。

 

本当は無名のバンドを挙げたいのだけれど、僕も知識がないので、本当の意味で無名なバンドはあまり知らず、結果的に、中堅どころの、立派なキャリアを持つバンドを挙げるくらいしか出来ないのだけれど。

 

1970年代で言えば、「これぞ普通のロック」みたいのは、たとえばアメリカだとMontroseあたりはどうでしょうか。もちろん、ギタリストのRonnie Montroseは天才だし、ヴォーカルはあのSammy Hagarですから、よく考えるとスーパーバンドなのですが、そのストレートな楽曲は「最高品質の普通のロック」みたいな感じがします。

1980年代で言うと、色々な人たちが居るとは思うんですが、似たような意味で挙げれば、Teslaなんかそれっぽいかなと思いますね。もちろん最高に素晴らしいバンドなんですが、ワイルドかつストレートにロックしつつも、Guns’n’Rosesほどバッドではなく、Mr.Bigほどテクニカルでもなく、Bon Joviほどルックスも良くないという、そういう意味では「最高の普通」みたいなバンドかなと。

1990年代のグランジ、オルタナティブロックのシーンでは、ある意味で普通というのか、凡庸で退屈であることが売れ線となったので、基準に困りますね。でも、Pearl Jamなんか見事に普通に徹したバンドかもしれませんね。普通に徹することを非凡にやったというか。実際のところ非凡な音だとは思いますが、描き出している世界はとても緩くて普通ですね。

2000年代になるとそれがさらに進み、最早ミームとしても消費し尽くされたNick… おっと、このへんでやめておきましょう。
(ちょっと趣旨が逸れてしまった。)

 

僕はロックで理想の世界を作り出すことが望みです。

ですから、自分が演奏するにあたっても、そんな理想の世界を生み出すことを一番願っています。

今はどうかわかりませんが、その昔、一般にミュージシャンの人たちは、大きな夢を掲げている人が多かったと思います。
「いつかは武道館でコンサートをやる」「東京ドームを満員にする」
そういった夢や目標のことです。

それは、わかりやすい目標なので、人に伝えるにあたって便利だからみんな言ってたのではないかと思います。

けれど、僕はそういうのをあまり望んでいなかったように思います。

 

ロックバンドの理想とは。

僕にとって理想の世界とは。
身近なところでロックバンドが演奏している。
街に音楽があふれている。
そういった世界が望みなんです。
そういった世界にわくわくする。そういった世界に生きていたい。
(だから、その昔、Austin Texasに行った時に感動したんですね)

 

自分が成功したり有名になって、大きな会場で演奏する。
それはそれで、悪くないですが、たぶん望んでいないことがそこにたくさんあるように思います。
自分の望まない世界の中で、嫌なものの一部になって、その中で地位を向上させても、何も面白くない。かわりのきく何かとして、自分自身が嫌いなものに成り代わるだけの話です。

 

一杯飲みに、ふらっとバーに入る。あるいはカフェでも、公共のスペースでもいい。
そこで、名も知らぬローカルバンドが演奏している。
そして、その演奏が、個性的で実にいい。

そんな状況に、いちばん興奮します。
だからこそ、自分もそのようなローカルバンドとして、理想の世界の一部になりたい。
そして、自分たちの演奏活動もまた、そのような開かれた「ローカル」な場所で演ることに、喜びを感じていたと思います。

 

そして僕の考えでは、そんな場所で演奏するローカルバンドにこそ、繁栄し、健全に音楽を作っていってもらいたいんです。
これこそ理想です。

そんなふうに、音楽が生活の一部になっている、ロックミュージックや、バンドの演奏が、身近なものになっている。
そんな状況は、日本では難しい。そんなふうに言われるかもしれません。
でも、時代はずいぶん変わってきている。

 

たとえばヘヴィメタルについて考えても、僕の理想はそういうことじゃないわけです。
伝説的な大物バンドや、全身タトゥーでマッチョな海外バンドが、大きなフェスで演奏している。そういう光景には、あまりヘヴィメタルの真髄を感じない。

そうではなくて、ローカルなミュージックベニューで、ロングヘアーの若者たちが集まり、ステージの上では、レザーに身を包んだバンドが、真面目にストイックに、ヘヴィメタルの概念を追求する音を出している。
そんな、生活の一部となった、カルチャーとしての、ライフスタイルとしての「ヘヴィメタル」に憧れるわけです。

 

そんなの、映画じゃないんだから。
わかっています。ヘヴィメタルなんて、しょせんは「概念」であり「理想」。その現実は、実際にはしょーもない。ファンもしょーもないし、ミュージシャンもしょーもない。
しょーもないからこそ、ヘヴィメタルという音楽は、一般化しつつも、年月と共に堕落してきたと言えます。つまり、音はヘヴィになったかもしれんけど、本質は薄められて曖昧なものとなった。(うーん、キリスト教も、カトリックが世界に広まる過程で似たような事になったかも。では宗教改革とかプロテスタント的な事が将来的にヘヴィメタルの世界でも起きるのだろうか?)

でも、たとえ理想であっても、その「概念」を体現することに憧れる。生活、そして人生そのものとなったヘヴィメタルの理想を実現したい。

 

こういった、市井の、インディシーン、ローカルシーンというものは、たとえば、パンク、ハードコアといった分野においては、比較的、他ジャンルに先んじて発達しているように思います。それは、それらの分野の音楽が、一般市民の実生活、つまりストリートの感覚に近いものだからでしょう。

それはそれでいいんだけど、僕としては、「普通のロック」が、そして「正統派のヘヴィメタル」が、追求すべき「道」となって生活に溶け込む様子が見たい。もはや伝統芸能の世界になってしまうのかもしれないけれど。うーん、伝統芸能として確立するしかないのかな。

もちろん、より一般的なインディロックや、オルタナティブロックでも構わないんですが。本物のインスピレーションさえ、そこにあるのならば。

 

ビッグなバンドが繁栄し、成功して音楽を作っていくのは当然のことなんですが、僕としては、そのような無名のローカルバンドこそが、繁栄していく世界にしたい。無名のバンドが良い音楽を作っていける世界の方が、一部が成功する世界より、よほど難易度の高い理想であり目標です。

ですので、自分たちも、世界水準のローカルバンド、人生で最高のインディバンド、無名だけどクリエイティブなアーティストでいられるよう、努力しているつもりです。

 

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