端っこの子供[小坂忠さんありがとう]

 
 
 
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かっこいいね。そして僕はギタリストということもあり鈴木茂さんは大ファンなので。すごいかっこいい。

 

 

ソーシャルメディアには一応のところ追悼のコメントを投稿したのだけれど、皆さんご存知のこととは思いますが、4月の末に、日本のゴスペルミュージック界のレジェンドであるところの小坂忠さんがご逝去されました。

僕はその際に、また別途、自分の思いをしたためる、と書いた。
なので、少し時間が経ってしまいましたが、ここに書き記しておきたい。

 

言うまでもない前提のところだけれど、僕は世間そのものと距離が遠い。
(けれども、神さんとの距離は必ずしも遠くないつもりだ。)

なので、クリスチャンミュージック界の偉大な先輩に敬意を示しつつも、自分にとってのいわゆる一般的なゴスペルミュージック界との距離の遠さを象徴するような文章になるだろうと思う。

また、僕自身、小坂忠さんと決して自慢できるようなご縁があったわけではないので、必然的に自分自身についての振り返りになる。

集う場。
父親的な存在。
師と仰ぐような存在。
そんなテーマだろうか。

 

僕はクリスチャンミュージシャン、ゴスペルミュージシャンのはしくれであるつもりだし、自分のことをクリスチャンミュージシャンと呼ぶことに迷いは無いが、自分がやっているのがヘヴィメタルバンド(クリスチャンヘヴィメタル)という、ちょっと敬遠されるジャンルの音楽だということもあり、一般的なゴスペルシーン、キリスト教の音楽シーン、教会界隈からは距離が遠い。

それは、音楽ジャンル、音楽性の問題だけではなく、自分のパーソナリティや、人付き合いの下手さ、商売が不得手であることなどにも起因している。
また、そもそもそういった不器用なパーソナリティの持ち主であったからこそ、クリスチャンヘヴィメタルなどという、あまり人が敢えてやらないような(少なくとも日本では)音楽をやることになった、ということも出来る。

 

小坂忠師が亡くなられてから、この10日余りの間、様々な人々、ミュージシャン、キリスト教関係者、ゴスペルミュージシャンの方々が、小坂忠さんへの思いや、追悼のメッセージをソーシャルメディア上に投稿している。
そしてその中には、あたたかく気さくな人柄であり、また幅広い分野において活躍された師とのツーショット写真を投稿しているものがたくさんある。

前述のとおり、一般的なキリスト教界隈と必ずしも距離が近くなかった自分は、小坂忠さんとのツーショット写真といったものは持っていない。どこかで共演したりしたこともない。

直接お会いしたことも、ほんの一、二度程度のことであると思う。

そういった際に、写真を撮る機会もあったと思うけれど、僕はそういうことをしなかった。

 

しかしこれは僕の性格のようなものであり、たとえば僕はもしジミー・ペイジに会ったとしても、たぶんサインをねだったりはしない。

これはもちろんちょっとしたジョークでもあり、なぜかというと、僕は実際に1990年代のある時、来日していたRobert PlantとJimmy Pageに、よく知られた出没場所のひとつである新宿のブートレッグ屋エリア(まだあるのか?)にて、偶然遭遇したことがあるからだ。

その時にも、僕は嬉しくは思ったが、声をかけて握手してもらっただけで、サイン等はもらっていない。(たぶん周囲の人たちはもらっていたと思うが。)
僕は当時まだ10代の少年であったが、もともとそういう性格だというだけのことだ。

だから、周囲の人たちが小坂氏とみんな写真を撮っていたとしても、僕は遠慮しておくよ、みたいな感じであったと思う。

 

なんだか、大家族で、お父さんが帰って来たとき、とか、そういうシーンを思い浮かべてもらうといいかもしれない。

周囲の子供たちが、我れ先にとパパのところへ駆け寄って、声をかけてもらおうと、あるいは頭をなでてもらおうと、集まっているのに対して、一人、その輪の中に加わらず、遠くから見ているだけの子供がいる。

たぶん僕はそういう子供だったのだ。

それは、遠慮しているのかもしれないし、引っ込み思案なのかもしれないし、自分などはworthyではないと思っているのかもしれないし、あるいは別の理由かもしれない。

かといって、その子供は父親のことを愛していないわけでは、決してない。

そして、父親も少し離れたところで見ているその子のことを、愛していないわけでは、きっとないだろう。

 

僕は、自分と神様との関係は、さらにもっと近しく、これとはまた違ったものだと思っている。
けれど、人間の父親であってもそうであるからして、神、そしてイエス・キリストというものは、たとえそのような、群れから離れたところにいる一匹の羊を、忘れるなどということは絶対にあり得ない。

だからこそ僕は神の愛というものに絶対の信頼を置いている。

僕が、他の子供たちと違い、皆が我れ先にと駆け寄っているその「パパ」から、スターダムから、地位や名声から、社会的な様々なものから、距離を置いて立っていることについて、その気持ちは、人にはわからないかもしれないが、神さんだけは絶対にわかってくれるだろう。

 

ある時、友人に誘われて、小坂忠さんが主催するクリスチャンアーティストの集いに顔を出したことがあった。

僕はある種、そういった集い、そういった場には憧れがあった。
そして、確かにそういった場を求めていた、と言っていい。

 

言うまでもなく、小坂忠師は、日本ゴスペル界のレジェンド、というだけでなく、もっと広い意味での日本のロック界の伝説である。

あの「はっぴいえんど」の前身であるところのエイプリルフールから始まり、1970年代の、日本のロックが純粋に素晴らしかった時代の、その真っ只中にいた人である。
そして、やがて音楽性や方向性を変化させていった数多の大御所と違い、ゴスペルの世界に身を投じた小坂忠さんは、かえってその日本のロックの黎明期のサウンドと精神を、そのまま引き継いだ存在でもあると思う。(信仰に向き合ったがゆえに、精神性がキープされたのかもしれない。)

そして、その後、日本を代表するゴスペルミュージックの本拠地といえるレーベル「ミクタム」を立ち上げ、大活躍をされた。
それが日本のキリスト教世界、ゴスペルミュージックの世界に、どれだけ大きな影響を与えたか、それは計り知れず、語り尽くすことは出来ない。

ジェリコ・ジャパンといった活動の中で、数の上でも規模の上でも、そしてスピリットの熱さの上でも、巨大なイベントを行い、ゴスペルミュージックのシーンそのものを築き上げてきた。

アーティスト、ミュージシャンとしては勿論のこと、その人間力、器の大きさ、そして信仰者としても巨大な人物であり、巨大な存在だ。

 

 

自分は2007年の年末、あるいは2008年の初頭にイエス・キリストを信じてクリスチャンとなった。
そして、自分の音楽を神に捧げることを決意し、そこからクリスチャンヘヴィメタルバンドとして活動してきた。

 

そんな自分にとって、もし師と仰ぎ、尊敬し、その下に集い、その下で自分を磨く、そのような存在がいるとすれば、確かに小坂忠師のような人物を於いて考えられない。

 

だからこそ僕はそういった、集う場、所属することの出来る場を求めていた。
もともと自分は孤独な人間だから、という理由も大きい。

神を賛美する、イエス・キリストのために音楽を鳴らし、人々の魂の救いのために、神の御国の前進のためにメッセージを鳴らすという、そういった志を同じくする仲間たち。
そういった仲間たちと集い、励まし合い、互いに研鑽し合えるような場を、確かに僕はdesperatelyに欲し、また必要としていた。
ていうか、今もしている。

 

だからこそ、僕は小坂忠師の主催するクリスチャンアーティストの集いに、顔を出した。

期待を持って参加した。
というのは嘘になる。
というのは、もともと僕は、クリスチャンになる際に、「ああ、キリスト教って素晴らしい」って思って信じた方ではない。

「ああ、神よ、わかってるぜ。どうせ宗教なんて人間のやることだ。きっとくだらないんだろう。それでも、俺はあんたを信じたんだ。だから、たとえそうだとしても俺はやるぜ。」
という感じで信じた方だ。

だから、教会であれ宗教組織であれ、人というものに期待したことはない。
期待はしていなくとも、それでも僕は人というものを信じている。
信じているからこそあきらめない。
ただこれもきっと人にはわかってもらえないだろう。

 

僕は出不精であるからして、その集いに顔を出したのも一度きりになってしまった。

なぜなら、多くの教会でそうであるように、やっぱり僕はout of placeであると感じたからだ。

そのへんは、誰のせいでもなく、自分が人間として欠落している部分が多々あるからであろう。

 

 

敢えて言えば、僕が求めていたような、「信仰とロック」そのような理想と志を共有する仲間たちとの出会い、それは確かに、アメリカのThe Extreme Tourの面々と出会った時に、僕には与えられたかもしれない。

そして、それはたとえメインストリームではないかもしれないが、インディシーンにおいて、世界中に確かにそういった同じ志を持って音楽に向き合っている仲間がいるのだ、という事実は、本当に言葉では言えないくらいの喜びだった。

また、そしてこれはゴスペルとかクリスチャンといったことではなく、世界中に純粋に音楽に向き合うインディバンドが、規模や数は少なくとも、確かに同じ熱さでもって音に向き合うやつらがこの世界にいる、という事実が、どれほど僕をこれまで勇気づけ、未来を示し、支えてくれたか知れない。(数々のバンドを引き合いに出すことも出来るが、たとえば2000年代の半ばにSXSWで見た光景を僕は忘れない。)

テネシー州ナッシュビルの某所で、The Extreme TourのキックオフイベントであるThe Objectiveに参加した時、そこに集ったミュージシャンたちが皆で賛美している光景に、僕は本当に涙した。

 

けれども覚えておいて欲しいのは、僕は日本の教会においても、同じように賛美に触れて涙したことが、何度もあるということだ。
けれどそれは決して大きな教会とか、大きなイベント、集会などではなく、本当になんでもないようなローカルで小さな教会の出来事であることが多かった。
けれど、そのひとつひとつを、僕は喜びとともに決して忘れることはないだろう。

そしてまた、The Extreme Tourについても、その後、孤軍奮闘する形で日本での開催を4年間行うことで、やっぱりいろいろとぐだぐだな面があった。

そうであったとしても、僕らゴスペルミュージシャンは、大きなひとつの共通の目的のために、やっぱり一緒に協力していかなければならない。

 

 

僕はいつだったか小坂忠さんのミクタムの大きなコンサートイベントを見た後に、ちょっと批判的なブログ記事を書いたことがある。

それは別に、批判的っていうわけじゃなくて、単純に素直に絶賛していないというだけのことで、むしろ「あなたたちの世代がやってきたことは、また俺たちの世代(さらに下の世代)が、また違った形で引き継ぎ、前に進めるぜ」という決意の表明だった。

つまり、それら諸先輩の世代が熱い活動を行ってきた積み重ねの上で、本当の意味で日本という国の霊的な状況を変えるには、規模とか数を大きくしてもだめなんだろうな、っていうことが、インディ志向の僕にはなんとなくわかるからだ。

けれども、言葉の表面上はやっぱり批判的に読めてしまうこともあり、諸先輩からお叱りの言葉を頂いたことがあった。

 

これも、いつも言っていることではあるが、よく考えると、そんなふうにお叱りの言葉を頂くというのは、有り難いことだ。
お叱りの言葉を頂ける人がいる、ということだけでも、非常に幸せなことなのだ。

そしてよく考えると、僕は孤独な人生とは言いつつも、そのようにお叱りの言葉を頂けるような方々に、何人も恵まれてきたかもしれない。

それがいいかわるいかは別にして、僕は音を鳴らす時、曲を鳴らすとき、だいたい、それらの人々のことを考えている。この曲を演奏する時は、なぜだかこの方のことを思い出す、またはこの曲を書いた時、この方のことを考えていた、みたいなことが、たくさんある。

僕は、それらの数々の恩人の方々の、期待に沿ったり、すべて納得させたり、満足させることは出来ないかもしれないが、それでも自分自身と、神さんの御心に照らして、ベストを尽くし、筋を通して活動してきたつもりだ。力不足は認識している。だが少なくとも、途中で投げ出したり、あきらめたりは、今のところしていない。

 

孤独な人生、孤独を好む性格、ではあると思うが、
そう思うと、確かに様々な場面で、神さんは確かに、気にかけてくれる諸先輩方や、大切な恩人の方々や、共に活動する仲間や、尊敬できる先達を、僕に与えてくれた。

 

クリスチャンになってから、自分がもっとも身近なところで、尊敬できる先達として、常にお手本を見せ、自らロッカーとして輝いて、ある意味では師と呼べるくらいに導いてくれているのは、やはりB.D.Badge(栄光号)の寿朗閣下であると思う。

クリスチャン、ゴスペルというだけでなく、インディーシーン、そしてロックンロール。
日本という場所は、環境や文化、歴史の上で、インディミュージック、そしてロック自体にとって、厳しい土壌と言える場所であるが、それにも関わらず、どのように音を鳴らすのか、という点において、寿朗閣下は圧倒的な手本を示してくれている。それは音楽的にもそうだし、スピリチュアルな面でもそうだ。

もちろん、たとえば信仰についてちゃんと話したり、政治的なトピックとかについて言ったら、僕だって寿朗閣下と考えが必ずしも一致しない点もたくさんあるかもしれないが、そんなことはまったく関係なく、音を鳴らすというその一点において、B.D.Badgeの寿朗閣下は僕にとって世界中でもっとも尊敬出来る人の一人だ。

寿朗さんはもちろん、もともとメジャーでスターな人であるが、
それでも、大きな規模の、日の当たる場所にいる著名人ではなく、アンダーグラウンドのレジェンドに、より共感と感銘を覚えるというのは、いかにも自分には似つかわしい。

数々のミュージシャンとの出会いの中で、そういった人物に出会えたことは祝福以外の何者でもないと思っている。

 

 

そういったこともあり、僕は小坂忠師に、最大限の感謝と、尊敬の言葉を伝えつつも、他の子供たちと同じように、我れ先にと駆け寄るようなことが出来ない。

これは聞かれればいつでも正直に答えていることだが、僕は2007年の年末、ひとりのゴスペル系のクリスチャンシンガーソングライターの方の演奏に触れて、心を動かされ、その方が神について歌っているということに心を動かされ、そして自分もクリスチャンになろうと決意した。

その方の演奏に触れて心を動かされたことが、僕がキリストに出会い、クリスチャンになった直接のきっかけである。
そのアーティストは、萩原ゆたかさんという方だが、その萩原さんもやはり小坂忠師のミクタムで活動されていた方である。

だから、その意味で小坂忠さんは僕にとっても間違いなく恩人であり、自分の人生を変えてくれた人である。
キリスト教の長い歴史がそうであるように、そういった諸先輩の積み重ねの上に、その恩恵に与る形で、僕たちは今この瞬間も、神を信じ、ゴスペル(福音)という音を鳴らすことが出来る。

その恩恵と、栄光と、小坂師がこの世界で行われた偉大な業績に、いちゴスペルミュージシャンとして、またいちキリスト者として、感謝と敬意を示しておきたかった。

 

 

クリスチャンミュージシャンとして活動する中で、また僕は日本発のクリスチャンメタルバンドという非常に微妙な立ち位置にいることもあり、様々な矛盾や、様々な葛藤を抱えることがあった。
いろいろ複雑な気持ちになることがあった。

なんなら、10年間活動を共にしたバンドメンバーであるHassyとJakeが2018年にバンドを脱退したのも、そのへんに根本の原因のうちのひとつがあった。
つまり、メンバーが「もうキリスト教の人たちとは関わりたくない」と言っている状態であっても、僕はそれでも最後の最後まで、彼らと作品を創り続けた。
あの3人で最後に作った”Overture”という日本語のアルバムには、彼らとの最後の何年かの苦悩や葛藤が、そのまま音になって詰まっている。(もちろん、それ以上にいろんなものが入っているけれど)

 

クリスチャンメタルをやっていて、もっとも引き合いに出される代表的な存在としてStryperというバンドがいる。

長い間、僕はいつでも人に聞かれると、Stryperは好きだ、と答えてきた。
けれどもそれは本当は便宜上、話を合わせていただけだ。ごめん。
僕は本当の意味でStryperを好きだったことはない。
(でも、このアルバムが好きとか、初期が好き、とか、そういうのは、ある。)

そして、クリスチャンメタルの先駆者(事実上の元祖)として世界中のクリスチャンから尊敬されているStryperについて、「もっと心から尊敬できるバンド(人物)だったらよかったのに」といつも思っていた。

それくらい複雑な気持ちがある。
批判されるのであればそれは構わない。
実際に僕はMichael Sweetを相手に、遠慮なく噛み付いたことがある。
普通はクリスチャンメタルやっていたらそういう行動は取らない。

もちろん、彼らがやってきたこと、世界中にクリスチャンメタルを広めたことについては、大きな尊敬の気持ちを抱いている。ミュージシャンとしての、たとえばMichale Sweetの圧倒的なヴォーカルの技術についても最大限の尊敬を持っている。

けれどもそれと信仰は別だと思っている。
ロックンロールということも別だと思っている。

 

同様に、今この時点で、世界で現在いちばん支持されているクリスチャン系のロックバンドと言えば、Skilletの名前が挙がることだろう。

僕もSkilletは勉強のためにある程度聞いていたが、やはり、どこかの時点で、無理、となった。

現在の世界のロックシーンにおいてクリスチャンロックの代表とも言えるSkilletに対して、尊敬はするものの、僕はやはり「好きだ」とは言えない。

同じような例で、もっと上の世代のバンドだと、U2についても同じことが言える。
世界中にU2の熱狂的なファンが居て、いかにキリスト教のメッセージを彼らがロックに乗せて歌い、それを世界中に広めているか、といったことについて、絶賛している人がいっぱいいる。実際にクリスチャンの世界でもU2を熱心に支持している人は多い。それは、いわゆる教会のワーシップバンドのサウンドが、基本的にU2をベースにして発展してきたことからも明白だ。

だが、U2についても僕はやっぱり同じである。
尊敬もしているし、いいな、とは思うけれど、好きになったことは無い。

世間のクリスチャンからは支持されているかもしれない。
クリスチャンバンドの代表として、大きな支持を得ているのかもしれない。
大きな影響力を持っているのかもしれない。

けれど、それと信仰とは別だと思っている。
そしてまた、ロックンロールということも、やっぱり別だと思っている。

 

僕にとって、神とロックに忠実である、ということは、そういうことなのだろうと思う。

 

大好きなバンド、僕が長年にわたって愛している無名のインディバンド、人生の中で本当に支えてくれた様々な音楽について、ここで語ってもいいが、きっと思いが強過ぎて伝わらないだろう。
経験上わかっている。

僕の中の「好き」というのは、たぶん皆さんが思っている「好き」というのとは少し質が違うのかもしれない、ということに、歳をとって次第に気付いてきた。

だからこそ、メタラーさんと話していてもやっぱり話が合わないことが多い。

 

天国でお会いしましょう。
そのときに、きっとゆっくり話せるだろうと信じています。

でも、出来れば少しでも、地上で出会い、音を鳴らし、気持ちを伝えたいな。

感謝。
イン・ジーザス・ネーム。
祈ります。

ありがとうございました。

 

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