音楽をやっていて思ったこと。
才能というものは貴重だ。
そして商才というものもまあまあ貴重だ。
だが愛というものはもっと貴重だ。
才能というものは貴重だ。
純粋に音楽の技能だけでなく、何かを作り出す才能というものは貴重だ。
それは思った以上に貴重なものだった。
そして商才というものもまあまあ貴重だ。
なぜならそれは音楽の才能とは別のものだからだ。
世の中に商才を持った人はたくさんいる。
音楽の才能を持った人もたくさんいる。
けれども音楽の才能と商才とをバランスよく兼ね備えた人は多くはない。
それでも、そういった才能を持ち、活躍している人は世の中には数え切れないほどいる。
けれども愛というものはもっとさらに貴重だ。
あたりまえのように思えて、それは全然当たり前ではない。
それはそもそも、人の手に届くものではないからかもしれない。
愛は方法論や方程式では説明が出来ない。
足し算や工夫や改善や企業努力でなんとかなるものでもない。
愛を貫くことは貴重だ。
そしてそもそも愛を貫いた人は、本当はイエス・キリストただ一人だけだったかもしれない。
僕たち人間に、愛を貫くことなんて出来やしない。
貫こうとしても、その先には破滅とか孤立とか殉教とか、そういう感じのものが待っているだけかもしれない。
それでも、歴史の中には、愛を貫こうとした人間たちがいる。
それはいつだっているし、どこにだっている。
だからこそ、音楽を、音楽だけの中で考えてはいけない。
だからこそ、音楽を、商売だけの中で考えてはいけない。
人間社会の常識の中だけで考えてもいけない。
この世界の損得だけで人生を考えてもいけない。
なぜなら愛は人間社会の価値観のさらに上にある。
天上の音を鳴らしたいと思ったことはあるか。
安っぽい共感や、商売の枠を越えて、本当にそれを鳴らしたいと思ったことはあるか。
考えていてもなかなか言えないことだが、仲間たちに捧げたく綴ってみた。