魂のサウンドチェック

 

人は何かを信じないと生きていけない。
典型的な日本人や、現代人の多くの人のように、無宗教を自称している場合であっても、何らかの価値観を宗教の代替として抱え込んで生きている。
金、地位、ビジネス、社会的な成功、名声、勤勉、従順、安定、保身、あるいは盲目。
現代においては音楽のサブジャンルもそうだし、日本のポップカルチャーにおける「推し」なんていうものもその一部だろう。現代日本人にとって、テクノロジーが、アニメが、ガールズグループ(アイドル)が宗教に取って代わってからすでに20年以上が経過している。

 

世の中生きていて、神、宗教、信じるもの、スピリチュアルな事柄に対して向き合う姿勢はいろいろある。

いろいろな形があり、いろいろな向き合い方があり、いろいろなスタンスがある。

日本人には日本人の向き合い方があるし、アメリカ人にはアメリカ人の向き合い方がある。
自然、風土、歴史、文化、気質、体質、様々な要素によって変わる。

だがどんなスタンスを取ろうとも、イエス・キリストを無視することは出来ない。
それはこれまで様々な立場の人を見ていて気付いたことだ。

 

人類史上、ジーザス・クライストを無視して話を進めることは誰にもできない。
そしてジーザス・クライストへどう向き合うかですべてが変わる。

どんな新興宗教であれ、スピリチュアルな指導者であれ、ジーザス・クライストについて何らかの解答を示さなければならない。

もっと言えば、すべての人がそうだ。
芸術家であれ、会社経営者であれ、ビジネスマンであれ、武道家であれ、ジャーナリストであれ、学者であれ、たとえ科学者やエンジニアであったとしても、ジーザス・クライストにどう向き合うのかというスタンスを、生きて死ぬ中で問われる事になる。

 

キリスト教徒は、イエス・キリストはただひとりの救い主であり、主であり、神の子だということを信じる。

そうでない場合には、イエスキリストは偉大な人だったが、宗教指導者の一人に過ぎないだとか。預言者のうちの一人であるとか。その他大勢の人間と同じであると考える。よって、俺たち人類はいまだ救われておらず、それゆえに努力や修行が必要だと考える。努力や修行や善行や遵法によって、苦しみを経なければ天国には行けないと考える。
また、場合によってはイエス・キリストの存在そのものや、十字架や救済そのものを否定する立場の人もいる。
日本人は歴史的経緯から、この問題に決して答えを出さず、目を逸らし向き合わぬままに生涯を終える傾向が強い。それもまた、ひとつの選択である。だが立ち並ぶ墓石を見て思うことがある。我々日本人には、自由に死ぬ事すら許されていないのかと。

 

キリスト教徒は、イエスを信じるがゆえに、救世主もう来ちゃった、俺たちはもう救われちゃった、というスタンスを取る。
もう救われちゃったぜイェーイということだ。(この「イェーイ」の部分が、古来「ハレルヤ」であるらしい)

それは努力や苦労の結果ではない。なんかしらんが”Grace”なるもので救われちゃったのである。
それは愛だが、愛というものは説明が出来ない何かなのだ。

説明はできないが、それは愛に対する確信である。

 

僕は、ロックンロールに対しても同じような確信を持っている。

ロックミュージックの本質は愛に近いがゆえに、その音を以て人の魂を救うことができるというような確信だ。
肉体と魂のすべてを込めたサウンドによって、愛を、キリストを、表現し、体現できるという確信だ。

その確信を得なければ、僕はわざわざ自分のロックンロールを鳴らそうとは思わなかった。
そして、たとえその事を理解していたとしても、自分だけの愛と人生の物語がなければ、それをわざわざ音にして紡ごうという気にはならなかった。

僕は社会の一員として、decent job、regular familyを持ち、decent lifeを送りたかっただけである。

 

だが僕は青春時代の終わりの頃、一人の特別な女性に出会った。
それによって僕は、予想もしなかったような、自分だけの愛の物語を歩くことになった。
それは僕の人生の計画をめちゃくちゃにしたが、鳴らすべき「音」と「物語」だけは与えられた。
Decent lifeは手の中から逃げていったが、Awesomeが手に入った。Awesomeと、Specialと、Miraclesに満ちた人生の物語である。

 

基本的には、それから後はパーティーを続けてきただけである。
キリスト者、すなわちJesus Followerっていうのは、なんかしらんが救われちゃって、すでに天国に居るがゆえに、その人生は愛と勝利と祝福のパーティーなのである。

そのパーティーは、まさにロックンロールの本質に似つかわしいと僕は考えている。

 

この写真はリハーサルプレイスにおいて、サウンドチェックをしている自分である。
いい歳して、ギターサウンドについて研究を続け、「Roland JC-120を使う他に選択肢の存在しないギグにおいて、どのようなサウンドを得るのがベストか」という問題に取り組んでいる自分がなんだか可笑しく思えてくる。

もともと生真面目で不器用であるので、僕はパーティーは苦手な方だが、また髪が伸びて、だんだんそのへんのロック兄ちゃんみたいな見た目にやっとなってきた。こんな自分も、世にあって転がる中、やっとこなれてきたということである。

 

これまで鳴らし示してきたサウンドによる預言が成就する日が来る。
僕たちが最高のパーティーをやれるのは、これからなのだと考えている。

 

 

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