あれな内容だけど、
ここにも、書いてしまおう。
修練のために書く。
今の計画のままいくと、
来年のアメリカ自主ツアーは、
タイトルが、
「Rock, Faith, & Anime Tour」というのでいきそう。
Electric Eek Shockの、「Sex, Drug, Email!」っていう決めゼリフをもちろん意識してる。
あとは日本のバンドというか、
ITSを好きになってくれる海外のキッズの、やはりそれなりの割合で、日本とかアニメが好きという子が多少いる傾向が見られるので、そのへんも利用しようかと。
なので宣伝戦略もそれに準じたたとえばポスターなんかもそういうヴィジュアルを利用するつもりではいる。
しかし思うに昔のロックの、sex drug rockn’rollって、大変だよな(笑)
ずいぶんと体に負担かけてロックやってたわけだ。
今のミュージシャンはもっとヘルシーだもんな。
話それた。
海外のヴェニューを調べはじめている。
ハコという言い方にちょうどあてはまるのがヴェニューという言葉かな。
たとえば今の4月のスケジュールでいくと
オースティンは月曜日に通過することになる。
(ずらして日曜の夜にやったっていいけどさ)
しかしどうにもやはり、
月曜にライヴ演奏をやっているお店は多くはないので、
そのへんをどう乗り越えるかもポイントのひとつだ。
オースティンはらLive Music Capitalとかいってるし、
ライヴハウス異常に多いし大丈夫だろうと思ったんだけれど、
実際調べてみたら
意外とそうでもない。
SXSWの期間中こそ華やかだが、
それ以外の時期はそれと比較するとそうでもないのかも、しれない。
インディーズのライヴミュージックシーンが、
今どうなのか、経済と一緒に下がり気味になっているのか、
2,3年前のほうがよかったのか、
あるいは20年前とくらべて今の方がいいのか当時の方がいいのか、
わからないが、
アメリカでもブルーズやジャズやクラシックといった音楽は
衰退の波に飲み込まれそうになっているという情報もある、
もしそうだったら、ちょっとイヤだ。
ていうかアメリカ南部とかシカゴとかそういうところから
ブルーズがなくなったら、他のどこにもなくなっちゃうじゃん、
ていうか、
それってロックもなくなるじゃん、に等しい気がする。
ロックの源流なわけだから。
実際に自分の目で確認しないとなんともいえないけど。
昨年のSXSWでそういった土くさいブルーズもいっぱい見たからだ。
実はかなり感激していた。
そういった音楽が元気なら嬉しい。
いいよ僕は、ロックンロールと心中しても。
また話それた。それまくりだ。なかなか本論にいけない。
音楽で、というか音楽でもなんでも、
いつからプロになるのか、
って言ったら、
自分でプロです、って言って値札かかげたら
その瞬間からプロなのだ。
あたりまえのことだけど。
そんなあたりまえのことさえも
できていなかったその理由とは。
心を卑屈にしていたその理由とは。
アメリカのハコの情報を調べてたら、
その世界の厳しさに背筋がのび、顔がこわばると同時に、
いろんなアイディアが次第に頭の中にわきまくってきた。
まったく新しい感覚。
正味一日くらいで考え方が175度くらい変わってしまった。
それじゃ今までの考えはなんだったんだと、愕然とする。
あとはさっき、某バンドの人にふとメールしたら、
pay to playとかチケットノルマに関しての言葉書いてあって、
それ見たときも、はっとして思った。
そして、12月11日に横浜は関内でライヴをやるんだけど
(やっと初の横浜ライヴだよ)
そのハコでやるにあたっても、
ぱぱっとひらめいた。
この3つのことは、たぶんすべてひとつのことだ。
いうなればこれは僕が悪いんじゃない。
たぶん。
というのは世界のどこから出てきてばばんと成功した
ミュージシャンやロッカーであっても、
そんなことまで考えてはいないだろうから。
考えているわけがない。
そんなふうには見えないからね、誰も(笑)
つまりはこれは環境の問題だ。
日本にはそんなことを想起させる環境はなかったということだ。
そしてその方法論もなかった。
ほんとアメリカのハコの情報を見ていて、
厳しさに考え方が瞬時に変わったんだ。
Pay To Playは厳しい環境でもなんでもない。
Pay To Playは生きるか死ぬかの勝負でもなんでもない。
Pay To Playはなにも生み出さないのだと、ようやっと、わかった。
ぜんぶ嘘なんだと。
ぜんぶ嘘だったんだと。
たとえば、新宿は歌舞伎町の、あのいちばんランクが上とされているハコで演奏するのに、
30分のステージをやるのに、ノルマが4万6千円、とか。
秋葉原のあのすごく環境のいいハコでやるのに、ノルマが4万4千円、とか、数字適当だけど。
渋谷の、下北沢の、以下省略、
そんな環境の中で、
嫉妬の力学によって動く社会の、
にせもののコミュニケーションの中で、
なにかがworkするはずもないんだ!!
僕らは完全に、その嫉妬ゲーム、虚ゲームの、
圧倒的に外側にいる。
そうでなければたとえばはらっちやみねっちと演奏していたときに、
もっとすんなりとうまくいっていたはずだし、
もっというとその前に一人で録音してるときから、
もっとうまくいったのかもしれなかったから。
僕たちは、それとは違ったところで、
まったく新しいコミュニケーションを生み出さなきゃいけない。
僕が考えるコミュニケーションは、僕が持つコミュニケーションは、
たぶん、
まったく違う、
そんなこと、はるか昔からわかっていたはずなのに。
このことに
今頃になってやっと気付いたのは、
それほどに日本の環境やインディーズ音楽をめぐるシステムが、
貧しいからだった、
あるいは、そういった力学によるそういったコミュニケーションシステムの上に成り立っているものだったから、
あるいはきっともっと遊んでいる時間が必要だったんだろう。
もしそのことに、当時から気付いていたら、
僕たちは、僕とはらっちとみねっちは、「光のヒーロー」を作らなかっただろう。
自主録音したあの曲もこの曲もなかっただろう。
僕は日本語でやりたいこと、残したいものがあった。
それを2005年いっぱいかけてやり終えたから、
もういつ死んでもいいと思えるようになった。
そうだ、もうやりたいことは全部やったんだよな、俺。
この国の言葉と風景と記憶から作り上げたいものは全部作り終えてしまったんだ。
だから僕はもうこの国に未練がない。
そして、あの当時、まだその方法論は存在しなかった。
まだ当時は可能なことじゃあ、なかった。
僕の「コミュニケーション」を伝えることは、半径5メートルくらいしか有効じゃなかった。
たとえば僕が高校のときにもっとバンドを本気で続けていたとする。
あるいは21で自分のバンドを結成していたとする。
もっとはやく始めていたとする。
そうしたら、そんな方法論も、環境も、
想像することもなかった。
地平線から新しい可能性が見えてくるまえに、
つぶされていただろう。
ひょっとすると旧いコミュニケーションの環境の中で、
もう少しうまくやれていたかもしれないけれど、
僕が今いるくらい遠くまでは歩いてこれなかっただろう。
僕はうまく避難していたのかもしれない。
だからそれも必要なことだったんだろう。
桃園の近いよろしく、
春の桜の下で、はらっちとみねっと酒を飲んだとき、
僕はすでに26、そしてすぐに27になった。
普通からすると、バンドをそろそろ辞めようと考える年齢だ(笑)
そう思えば、今からまだ○年しかたってない(笑)
正しい場所で、正しい時に、正しいリスナーの前で、
演奏すれば、一定のexposureを得ることができれば、
必ず成功する。
それがまだ起こっていないってことは、
まだ正しい場所であるとか、正しいリスナーの前で、
演奏する機会を得ていないってことだ。
そして正しい方法論、正しい環境を得ていなかった。
中身のないシステムの中に組み込まれて
演奏や活動をしていたせいだけれど、
でも他に選択肢とかなかった。
それだけ皆、今のこの環境やシステムを、
あたりまえだと思って、活動しているんだと思う。
そこには新しいコミュニケーションは生まれない。
新しいコミュニケーション、
これは、もうずっと昔、
それこそ思春期であったり、
15歳のときから自分の大事なテーマだったことだった。
それを現実にする現実に商売に、
現実に形にするのに、こんなにかかっているわけだ。
なんとなさけない。
でも、まったく僕のせいってわけじゃない。
そこはわかっておくれ。
それにその間に僕は自分の宝物をいっぱい得た。作った。
まだ空き地がいっぱいのNeworldにたくさん建物やインフラを作った。
ロックンロールや、
世界標準においては、
別に普通のことかもしれない。
僕の持っている「コミュニケーション」は。
そうであってほしい。
でも、もしそれが、
世界のどこにもあんまりまだない、
新発明だった場合には、
これはさらに大変だ。
もっと苦労する可能性がある、ってことだからだ。
できればそうじゃないことを願う(笑)
でも、いくばくかはやっぱり新発明になっちゃうんだろうと思う。
だから、やっぱり、自分たちで新しいコミュニケーションを作らなきゃいけない。
結局ロックってそういうことだったんだ、
なんて、はるか昔からわかりきってること。
That’s what rockn’roll is all about.
コミュニケーションってこと。
文章わかりにくいしながいのでここまで。
僕は僕たちは
新しいコミュニケーションを発明しなければいけない
たぶんジーザスも、
新しいコミュニケーションを発明したんだと思う。
新しい、人間と神様とのコミュニケーション、
ひいては、人間と人間とのコミュニケーション、
自分と世界とのコミュニケーション。
宇宙のコミュニケーション。
その1億分の1でもやれたら、きっと勝てる。