たぶん今は結婚するのに理由が必要なんだよね。
昔は特に理由は必要なかったと思うんだ。
前から最近ちょっと結婚とかについて書いてみたかった。
昔は望むとか望まないとかじゃなくて結婚ってするものだったと思うし、
するのが普通だったんだと想像するんだけれど、
単純に今は別に結婚するのがあたりまえじゃなくなった、
単なる選択肢のひとつになった、というだけなんだろうけれど。
こちら
このコラムの62回のやつに書いてあるみたいに、
こういうことって最近よく言われてることだと思う。
今、日本の社会って、いよいよもって
音をたてて根底から崩れてきてると思うんだけれど、
僕らが子供ないし少年の頃からその前兆というか萌芽はとっくにあった。
今みんなコミュニケーションが取れない社会っていうのはもうばっちりはっきりしてると思う。
でね、僕らが子供の頃からそれはそうだったのよ。
だから、子供心に、こんなんでいいのかなあ、って。
それがいよいよ結果として出てきてるだけであると思う。
僕らが子供の頃。
小学生の頃とかはいろいろあって覚えてないことが多いから、
せめて覚えてる中学生の頃とか。
90年代の前半くらいと考えて。
僕は愛知県の地方育ちだからそのへんが他とくらべてどうだったかは知らないけど。
管理教育の色が強い地域ではあった。
80年代からそうだったと思うけど、
そのころ、とっくに。
日本というのは、嘘をつく社会で、
つまりはタテマエというやつだよね、
子供の周囲にいる大人は、たとえば親にしたって教育にしたって、
本当のことは言わなかったし、
周囲の社会はぜんぶたてまえってやつで動いてるように思えた。
そんで生きてく上でのいちばん大事なものについて話したり教えたりすることはフツーに避けられていた。
テレビやメディア、文化もそうだ。
バンドブームというのがあった後だったと思うけれど、
全部を否定するわけじゃあないけれど、
僕らの周囲にあったカルチャーは、
嘘とタテマエとその場限りのごまかしに満ちていた。
たとえば僕らが思春期に入った頃すでに、
もうちょっと前とか初期にはきっと、もっと反体制でぎらぎらしていたのであろうブルーハーツは、
もう僕らが見る頃には、ちょっと変わったひとつのポップバンドのうちのひとつに過ぎなくなっていた。
そんで生きていく上でなにが大事なのかというものについて誰も教えてくれなかった。
僕の場合はEddie Van Halenに全部教えてもらったんだ。
それは今の僕の言葉でいえば神さんのジーザスの計らいであったと思う。
いっくら感謝しても足りやしない。
反面の苦労もあるけれど。
だからロックとは、ポップとはすなわちコミュニケーションのことであり、
それは今でもその考えはかわらない。
そして、僕らの世代、
そして僕らよりも下の世代たちは、
きっとそういったカルチャーの中だけの薄っぺらいコミュニケーションしか
知らないままで大人になっていってしまっているのではないか、
そうだとしたら、
それは、だ。
だってそれから、世の中はいよいよもってもっともっと薄っぺらくなっていった。
現在にいたってはその劣化具合は誰がみたってというレベルだとは思う。
ロックファンだから、とか、
別にロックファンが少なくなったわけじゃあないと思う、
ロックファンだから、とか、メタルファンだから、じゃあ、ない。
ジーザスが語る本当のことに耳をかたむけたかどうか、
それだけしかない。
どんなジャンルであれそれしかない。
僕はいつも言っているように、
少年の頃すでに、
たとえばBlind Guardianを聞いたあたりから、
へヴィメタルがつまらなくなっていった。
それはつまり、メタルが、ロックの本質とは違うものに、
なってしまっているのを感じていたから。
今のいろいろと細分化され定型化されたメタルシーンに関しても、基本的にはそういうように思っている。
ロックじゃあない、それらは、ぜんぜんかっこよくもないし、
コミュニケーションにも向かわない。
ロックの本質を忘れたそれらを僕はぜんぜんかっこいいとは思わない。
昔は日本にもまだ本当にかっこいい人達、
かっこいいミュージシャン、
といった人達がいた。
らしい。
今はかっこいい人はいない。
かっこいいことは、たぶん、良くないとされるんだと思う。
想像だけど。
話それた。
だから、そんな、本当に大事なことや、
本当のコミュニケーションから、避けたり、する、
たてまえと表面だけのカルチャーと環境で育った僕たちが、
自分の中の本当のコミュニケーションや運命を見つけられず、
結局、出会いであれなんであれ、
結婚しないのも、それは当然なのだ。
僕の周囲を見回すと、
ひとつにはバンドやってる人達が多いからだろう、
そういう人達は結婚していないことが多い、
あるいは、アートな生き方をしていても、
やはり人間として成熟している人は、ちゃんと結婚している。
しかも、大抵、奥様なり旦那様なりは美人なケースが多いような気がする。
うちもそうだな、と言っておく(笑)
別に結婚しない生き方をきちんと自分の意志で選ぶ人はいい。
そういう人は、立派な生き方だ。
ただ、自分の本来の運命に気づけない人達が増えるのは、よくない。
結婚うんぬんじゃなく、普通に、社会として国として個人として、よくない。
それは神さんから離れていく生き方だし。
そしてもっと言うと、
人間として、素晴らしい素養を持ちながらも、
結婚うんぬん言う前に、
そこへ行く以前の問題を抱えている人が非常に多い。
これもものすんごい問題だ。
つまりこれらの人は、社会性うんぬん以前に、
自分の感性、生命そのものが、生きることを拒否してしまっている感じだ。
ていうかそれはもう結婚以前の問題だ。
「すいません先生、僕、結婚とかより前に、生きていたくないんですけど」
生きていていいんだよ、
そして、
こういうふうに生きていけばいいよ、
って言える人は、たぶん、すごく、居ない。
あるいは、声は、ほとんど届いていないように思う。
本当のことを伝えてあげたいのに、
ジーザス、あなたの力で、伝えてくれませんか。
僕らには
新しいコミュニケーションが必要です。
僕らは、
新しいコミュニケーションを始めなくてはならない。
みんながみんな、そんなに病んでたり、バランスが悪いわけではないと思う。
それは。
ちゃんとやってる人もいっぱいいると思う。
でも、今、いわゆる、
「普通の人」の基準が、
大多数の「普通の人」が、
あまりにも、本当に自分に向き合ったコミュニケーションができない人なのではないか。
そういう「普通の人」は、
あるいは昔であれば、好むと好まざると、結婚して子供を作ったのかもしれない。
それが、普通だったから。
そういう社会の環境だったから。
しかし、今、このより自由になってしまった世界において、
結婚するには、理由が必要だ。
みんな、その理由を、見つけあぐねているのだったら、きっとそれはあんまりハッピーじゃない。
そういう「普通の人」は、
ずっと、たとえば神さんが自分に与えた、
使命や、運命、そして出会うべき相手、
そういったものに、あるいはおそらく、
ずっと気づかないままで、
生涯を終える。
そして、たぶん、この国はゆっくり、滅んでいくんだと思うよ。
本当のことを教えない、
本当のことを何も言わない
社会を作ったのは、
いったい誰だったのさ、
という話さ。
両親からでも、
恩師からでも、
社会からでもなく、
エディ・ヴァン・ヘイレンに、
僕はそれを教われなければいけなかった。
僕の考えでは、
恋というのは運命が呼ぶその引力のことであって、
僕らはその運命の呼び声を注意深く聞かなくちゃいけない。
恋というのは僕の考えでは、
単純に一人の異性に引かれることを言うんではないんだよ、
ある運命を受け入れるかどうかの、
その引力と選択のことを言うんだと思う。
そして僕は愛って何って言われたら、
今までずっと、
川原にある何十万という石の中から、
私はこれ、っていうひとつをためらいなく選ぶことができる力のことだって
言ってきた。
僕自身は、恋っていうものは、まったくぜんぜん、しない人間だし、
自分自身の結婚についても、
単に神さんの声には逆らえんので、しょうがないからいいっすよわかりましたよ、
って言っただけのことで、だ。
18のときだったけど。
実際に籍を入れたのはそれから10年も後だったけどさ。
だから、運命の呼び声ってのは、
決して人が考える結婚適齢期に、うまいことうまい条件の人が来てくれるとは限らないと思うのよ。
僕自身、いつも人生のうちで恋は2度ないしは1度しかしていないって言ってるけど、
あるいは僕の自我の目覚めがもうちょい早ければ、
それこそ思春期に出会っていたあの人と結婚していた可能性だって十分現実としてありえたと思う。
その人とは今でも不思議な形でつながっているわけだしね。
そしたらもうちっと社会的にマシな道を選べていたんだろうな。
社会のせいです(笑)
あとは経済的なこととか社会的な地位とかそういうのは、
絶対に結婚とは関係ないと思う。
関係あるって言うこともできるけれど、
それは現状に合わないと思う。今の世の中では。
経済的に「ちゃんと」してる若者なんて、
いまどきそんなに居ないよ。
そんなこと言ったら、誰も結婚できない。
すでにぼろぼろの廃墟に住んでいるんだ僕たちは。
その廃墟から立ち上がる覚悟をしなきゃ、
この国は再生しない。
そのことをあまりにも皆自覚していない。
君の目には廃墟が見える?
この荒野が。
でも50年だか60年だか前、この国の人達は、
その廃墟から、荒野から、立ち上がったんだろう?
もう一度、それができるのかい?
たぶん、これは60年前のよりも難易度が高いぜ。
廃墟になってしまったのは、
目に見えるものよりも、
目に見えない僕たちの中身なんだから。
そういえば書くの忘れてたわけじゃないけれど、
Loudnessの樋口さんが亡くなった。
マイミクの皆さんもみんな書いていたし、
これがどれだけ重大なことかは僕も少しはわかっているつもりだ。
これは単なる一人のドラマーが亡くなったというだけのニュースではない。
Loudnessって何だったのか、
どんなに誇り高き日本産ロックだったのか、
考えてみたいと思うよ。