人間、悪いニュースのほうがよく流通したり、
人の不幸を喜んだり、するものだから、
あんがいとこういうことで宣伝になったりするかもしれない。
こちら
以前から言っているがなんとなく応援しているバンドさんではある。
某所ですれちがって以来。
こちら
機材盗難にあってしまったらしい。
ひとごとでない。
不幸をこうして表現にしてしまうのも健全でアートしててまっとうだ。
ホームページのテレビのスイッチを押すと動画が流れたりしてかっこいい。
彼らは音楽的にはわりと先端というかはやりではないけどコンテンポラリーなので、
僕らみたいのとくらべればそれは知名度もあるし、実績も知名度もあるはずだ。
それでもバンド活動は大変だ。
借金あるから機材返して、って、さ、
彼らの精力的な活動やあれこれで
そういうことがあって当然だとは思う
僕だって借金あったりする、
でもこうして活動できてることは感謝しなければいけんなあ、
だめかと思ってもなんとかなっている
いまのことろ
なんともならんくなったらそれまでさ
そんな彼らでも苦労して活動しているのだから
バンド活動は大変なのだ。
いつも書こうと思っていたネタなのだけれど、
昨日ちょこっと話が出たので書いてみよう
ちゅーか以前にも書いてるかもしれないけど
好きな漫画に寺沢武一のコブラがあるが、
クラシックなものだけれど、
面白いエピソードはたくさんあるけれど、
面白いエピソードのひとつに「カゲロウ山」というエピソードがある。
カゲロウ山という、10年に一度あらわれるという、
あるんだかないんだかよくわからない山があって、
その頂上にどうやら、金塊を載せた飛行機が墜落したらしいという情報
をききつけ、
悪人どもが、その金塊を狙って、山に登ろうとこころみる。
だがおそろしいことに、
その山は、存在を疑った瞬間に、その人の足元から姿を消してしまうのだ。
あるものは、最初から山の存在を信じられず、山が見えずに脱落、
また、他のものも、過酷な登山や仲違いの中で、
頂上にあるはずの金塊の存在や、山の存在を信じられずに、途中で墜落していく。
そんな中、頂上まで上り詰めたのは、
頂上にある父親の死体を取りに来た土着民の若者と、
実は飛行機を墜落させた張本人であったニセ神父、
そして飛行機にのっていた相棒を助けにきた主人公のコブラの3人だった。
このカゲロウ山のエピソードが秀逸だと思うのは、
これは人間が、なにかをきわめようとするときと、まったく同じ構図だろうからだ。
そして、これは、バンド活動ってものにすごくよくあてはまる。
皆、山の頂上には、お宝がある、と信じてバンド活動を始める(大抵は)。
プロのミュージシャンになろう、とか、スターになろう、とか。
あるいは、他にもあれこれ、とか、よくわからんけど。
だが、活動をしていく中で、迷いが生じる。
本当にプロになれるのか、本当に活動をしていくことに意味があるのか、などなど。
特に今は、音楽業界そのものがえらく衰退縮小している。
バンド活動や音楽で、食っていく、ということが、
たとえばメジャーデビューしたとしても、有名になったとしても、
かなり難しい、という現状を知ったとき、
活動を続けていけなくなる人は結構いるかもしれない。
それでも、バンドをやる、ということは、
すごく魅力的で価値のあるものだと、思うけれど。
「この山に登るには、確かな目的がいる」
ということなんだそうだ。
あるかないかもわからないお宝を目的に登ろうとするものは、
その存在を疑ったとき、足元から、山そのものが消えてしまう。
あなたには、その目的が、あるか。
頂上まで登ろうとする、その目的は、なんだ。
あるかないかわからないお宝では、ない。
もっと確かなもの。
それがないのだったら、人生をかけるような、本気のバンド活動は、おすすめしない。
だって、たぶんそれは、とても、過酷だから。
「まるでそれは神への信仰と同じではありませんか」
と、登場人物(真犯人)のニセ神父は言って、信仰を確かめるためなのだといって彼は悪人たちにまじって登山をした。
そうそれは信仰ともよく似ているのだと思う。
クリスチャン世界に足を踏み入れて以来、
どうにも、いろんな作者や好きなミュージシャンが、クリスチャンか、あるいは信仰を持っている人に見えてしまってしょうがない。
寺沢武一は知らないけど。
でも、単にアメコミとかアメリカ文化を意識した結果なんだろうけど、
「コブラ」やその他の漫画の中にも、教会とかクリスチャン、神様にまつわる描写がけっこうある。
このカゲロウ山にも、こういうセリフがある。
コブラが悪党を撃ち殺して、
「気にするな、やつは死んで当然だ」
「それを決められるのは神様だけです!」
「俺は神さんの手をはぶいてやってるのさ」
いちばん好きなセリフはこれかもしれない。
「あなたはきっと神の怒りに触れますぞ。神の怒りに触れて・・・・」
「もう触れてるさ」
これはちょっとかっこいい。
うえに、無理やり深読みしようと思えば意味深いかもしれない。
人間って、神さんの怒りに、ふれてるのよね、たしか、さいしょから、とっくに。
北海道出身の作家さんとか、どうしても三浦綾子さんとかの土壌を思ってしまうしね、安直だけれど。
われらがbloodthirsty butchersも北海道のバンドだ、
彼らの音楽は、吉村さんが結婚して4人体制になったころから、
だんだん宗教っぽさが感じられるようになってきた。
主観だけど。
聞き方によってはあやしい感じもしないではない。
でもまあ信仰のひとつもなきゃ彼らみたいなロックは鳴らせない。
別に怪しいなんとか教団とかがバックについてようがなんだろうが、
ファンとしては良い音楽作ってくれれば文句は一切ないよ。
音楽業界、いろんなうわさもあるし、
どのバンドの後ろになにがあるなんて話しもあるらしい。
ちゅーか自分のバンドも、
よりによっていちばん組織も地盤もなんもない、
non-denominationalのクリスチャンなんかじゃなくって、
金も組織もあるとこにすりゃよかったよ(笑)
話それた。
で、これが、あかしやさんのブログにものってたけど、
おもしろすぎる、忌野清志郎さんの「宗教ロック」。
こちら
あれよ、
足元の山が消えちゃう話。
全然書こうと思ってたことと趣旨それちったけど。
足元が消えても平気さっていえるか、
クリスチャンだったら、たとえばこんなジョーク、
明日の朝、いきなり全世界のテレビが、謎の力でジャックされて、
画面に神さんとジーザスと精霊さん(オバQ)が出てきて、
「ハーイ、地球のみなさん、
ごめんねー、聖書に書いたこと、実は全部ジョークだったんだ、
あははー、許してね、じゃあねー」
とかなっても、
君の心は揺るがないか。
揺らぐようだったら、
それは信仰じゃない、
清志郎が歌うように、
ただの「宗教ぉぉーーー」
だってことだ。
と思うたぶん。
オレだって宗教はキライだ。
山登りは大変だぜ、
って話。
お宝目当てなんかで、
登れるもんじゃない。
動機の無いやつは・・・・
まあ自分との対話だからさ、
そんなかんじ。
でもあれね、人それぞれ、
「俺は5合目まで登れればいい」
ってのは、きっとアリだと思う。