mixiでは、クリスチャンの方と、親しい一部の友人の方のみ公開設定にて、
ここでは、一部リンクなどの情報を省略して書きます。
そうじゃないかという気がしていた。
僕が、日本人でもっとも尊敬する作曲家、ミュージシャンがいる。
凄いロックや、好きなバンド、好きな音楽家、たくさんあるけれど、
僕の基準はちょっと変わっているかもしれず、
とても個人的な基準で音楽を好きになる。
それは、縁のようなものだ。
世間の評価とか良し悪しは関係なく、
自分にとって大事かどうか、
自分にとって近いかどうか、
みたいな感じだ。
僕の今までの人生で、
自分の人生にとって縁のようなものを感じ、
もっとも大事だと思えたバンド、アーティストが、3組ある。
Van Halen
熊谷幸子
+/-{plus/minus}
だ。
その他、僕のmixiのプロフィール欄にも、
好きなアーティストが書いてある。
羅列してみて自分で思うのは、
日本人、あるいは東洋人、東洋人の血を引いている、
さもなくば、日本と縁がある人の割合が結構多いことだ。
これね。
まったく東洋や日本と関係ない人たちも含まれてはいるけど(笑)
「本気で好きになるほど自分の人生に縁のあった音楽家リスト」: Van Halen、熊谷幸子、Led Zeppelin、荒井由実、suede、bloodthirsty butchers、Jimi Hendrix、Judas Priest、John Lennon、ドビュッシー、モーツァルト、Strawberry Machine、+/-(plus/minus)、Burt Bacharach。
たぶんこんな日が来るだろうとは思っていた。
僕が、いろんな教会に寄ってみようと思っていたのは、
ブッチ先生の来日を助けてあげたいこともあるけれど、
横浜中の教会を訪れてみたら、
いつかその人に会えるんじゃないかと思っていたからだ。
何の根拠もなくそう思っていた。
ツアー準備やら、
積極的に情報を集めていなかったけれど、
今日、うちの嫁さんが見つけてきてくれた、
(省略)
これは、ほぼ確実に、大なり小なり、そうだと思う。
僕が、熊谷幸子さんの音楽を聞いたのは、
17か18のとき。
うちのハニーちゃんに教えてもらった。
僕は嫁さんに、荒井由実をすすめ、
嫁さんは、僕に、熊谷幸子を教えてくれた。
ユーミンと熊谷幸子の間に、浅からぬ、というか、かなり深い関係があることなんて、
全然知らなかった。
まったくの偶然だった。
他人には、あまりわからない話かもしれないけれど、
また、僕は、自分自身、ミュージシャン/音楽家のはしくれでもあるから、
自分にとっては自然なことなんだけれど、
僕が、うちのハニーちゃんと、
ともに生きようと決めたのは、
つまりは結婚して一緒に居ようと決めたのは、
ひとつには、この熊谷幸子さんの音楽が理由だった。
熊谷幸子さんの音楽の向こうに、
僕は、自分にとって、とても大事な何かを見たからだ。
それがあったから、僕は、うちのハニーちゃんと、
ちょっと苦しい時期もあったけれど、
これまで一緒に歩いてくることができた。
そして、それは僕にとって、
信じて求め続けている真実であり、
また、自分が理想とするロックや音楽の真実でもあった。
実際、Van Halenのいくつかの作品や、
plus/minusの音楽の向こう側に感じているのも、
同じものだ。
僕はそれを、ある時期以降、個人的に”Neworld”と呼ぶようにしている。
これはVan Halenの世間で不評だったGary Cherone参加作品から取った名前で、
なぜ僕が今にいたるまで、Van Halenのアルバムの中でも、
一般的に不評だったあのアルバムが好きかというと、
それは熱心なクリスチャンとして知られるGary Cheroneが参加したあのアルバムが、
紛れも無くクリスチャン的なテーマの下に作られた作品だからだ。
異論もあるかもしれないが(笑)
僕が教会に通うようになったのは、1年半前のことだし、
それ以前は、クリスチャンのクの字もなかった。
ただ、僕は音楽家のはしくれだし、
そういう意味の感性のアンテナにはちょっとは自信を持っている。
僕が、わずか17だか18だかのときに、
あー、ええ?この人と結婚しなきゃいけないわけえ!?
と思って、実際に18でプロポーズできちゃったのは、
それは、
神様に言われたからだ。
だから、ええ、オレ、人生計画ちゃんとあるのに、
それ全部棒に振って、今この人にプロポーズしなきゃいけないわけ?
っていう感じで、不満タラタラだったんだけれど、
神様が言うことには逆らえないからそうしたわけさ。
音楽をやることに関しても同じだった。
いつも真っ先に言っているように、
僕は大人になってまで音楽をやるつもりはさらさらなかった。
自分が15歳頃から感じ、信じていたロックの真実についても同様で、
16歳頃から曲を作るようになってからは特に、
そこに神様というものを感じていた。
また大人になり、自分のバンド活動をやっと始めてからも、
まだクリスチャンになるずっと以前から、
そんなふうに、
僕の表現は、歌詞であれ、テーマであれ、
ちょっと宗教色が感じられるものがあったし、
たとえば「漂泊の救世主」というテーマをかかげていたりね。
また
親しい一部のメンバーは、
僕が音楽をやる動機の中に、
神様であるとか、宗教的な動機や理由があることを、
僕の口から聞いたことがあるはずだと思う。
つまりは僕の信仰は、
誰かに教えられたり習ったものではなくて、
10代の頃から、自分の音楽的な感性で培ってきた
野良信仰だという自負がある。
たとえば教会の中だけで習ってきた人よりもタフでダイレクトな信仰を持っている自負がある(笑)
まあ信仰なんて人それぞれだし、みんなタフな人生を送ってきたからこそ信仰に出会うんだろうけど。
それが、
そのように、10代の頃から、
自分にいろいろなものを示し、
ロックの真実を見せ、
導いてきてくれた神様が、
ジーザスだったと気づいたのが、
単に一年半前のことだったというだけで。
だから僕にとって、
クリスチャンになって以降、
聖書や、教会で習うことは、
今まで、神様に直接習ってきたことの、
確認であり、復習のようなものだった。
そして、たとえば、
僕が2002年に上京して以来、
個人的に大事にしている場所があって、
「神様に会いに」
節目節目にたびたび訪れていたあの場所に、
クリスチャンになってから行ったとき、
やっぱりあなただったんだ、神様、ジーザス、
いつもそこから見ていてくれた神様が、
ジーザスそのものだったことを感じて、
それがよくわかったしね。
それは本当に嬉しかった。
クリスチャンになってからこっち、
自分が好きなアーティストや芸術家が、
皆、クリスチャンに見えてきてしまうきらいはあるんだけれど(笑)
でも、こんなことがきっとあるんじゃないかと思っていた。
それは、熊谷幸子さんの音楽の向こうに、
大事なものを見て、
その「真実」が、ずっと僕らを導いてくれていたからに他ならない。
そんなふうに感じていたから、
不思議なことに、
熊谷幸子さんがクリスチャンかもしれない、
ということは、
僕の中では、何の根拠もなく、
ほぼ既成事実みたいに感じていた。
(ここは欧米じゃない。日本におけるクリスチャンは人口の1%だと言われている)
僕は、数年前まで、熊谷幸子のファンサイトの管理人をしていた。
ご主人でもある担当ディレクター氏からメールをいただいたりして、
半ば公認ファンサイトのようになっていたり、
たくさんの方が訪れて書き込みをしていただいたり、
それなりに、順調に運営していた。
また、僕らの結婚の際には、
非常に幸せなことに、熊谷幸子さんご本人に、
ちょっとした贈り物をしていただいた。
それは人生の中で起きた最も幸せな事件のひとつだった。
ウェブサイトを、
数年前、ふと、やめてしまったのは、
僕が書いているウェブサイトであるとか記述が、
必ずしも、正確に熊谷幸子さんの音楽を伝えられていない、
と思ったこと、
また、mixiであるとか、wikipediaであるとか、
インターネットの発展によって、ファンサイトがだんだん不要になってきていたことが理由だった。
しかし実際にはwikipediaの熊谷幸子の項目の記述は、
僕が運営していたサイトの情報のまるまるコピーが大半を占めている気がする(笑)
だから、
熊谷幸子さんが、大なり小なり(?)、ほぼ確実に、クリスチャンかもしれないというこの事実は、
僕が10代の頃から、うちの嫁さんとの出会いから、なにから、
神様に導かれていたということ、
また、その神様が、他でもないジーザスだったということ、
そのことが、明らかにされた、証明であり、
僕は鳥肌がおさまらない思いだ。
僕が追い求めるロックの向こうには、
他の何でもなく、最初から、信仰こそがあったのだということが、
はっきりした思いだ。
これは僕の人生の中でのちょっとした証のひとつだ。
そのことが、どうしても書きたくて、
長々と、まあ長いのはいつもだけど(笑)、
書いてみた。
だから、僕は、信じることができる。
神様の導きを。
神様の計画を。
神様は、大きな計画のもとに、
僕らひとりひとりを、導いてくれていると。
そのことを、
信仰を共にする皆さんに伝えたかった。