しかし思うに、
こういう生活をもう何年もやってきたんですね。
フリーター的な働き方や、
飲食のバイトにしても、
契約社員みたいな働き方にしても、
しかし、それ以上に、
もう何年も、そうやって生活しながら、
バンドをずっと続けてきたわけです。
そう思えば、何も怖いものはないなと。
今日も”Winning Song”を演奏しながら、
今日はちょっといろいろ対策で違うアンプとペダルで、
違うサウンドを試していたので、
そのせいではっしーが、
「ここのとこ、こんなフレーズでしたっけ」
「うん、もう何年も、同じように弾いてるよ」
というやりとりをして、
ああそういえば、
この曲”Winning Song”をバンドで実戦投入したのは
2004年の夏のことだったから、
もう6年も弾いているんだな、と
そう思って、
そう、新しいデイジョブを、
知ってのとおり、
ここ数年、
IT業界のはしっこで
オフィスワークみたいな契約社員みたいな
ことをやって生きていたのを、
なんと飲食業界に戻り、
5年以上、ほぼ6年ぶりに。
立場も「パート、というかバイト」
みたいな、に戻り。
恐怖の。
やってみてとてもびっくりしたのは、
覚えていること、
キッチン内での振舞い方、仕事の仕方、
包丁の使い方、食材の扱い方、
なんか、5,6年ぶりにもかかわらず、
体がはっきり記憶している。
1,2年前に覚えたIT系の知識は、すっかり忘れてしまっているにも関わらず。
それであれば、
こうして何年も、バンドで演奏し、曲を演奏してきた、
その感覚は、
きっと死ぬまで忘れることは無いのだろう、
そう確信できた。
とりあえず新しいデイジョブを始めて10日ほど。
果たして、年明け以降の、雇用が確保されているかは、わからないけれど、
とりあえず、1月いっぱいは仕事はあるみたいだけど、
そこから先は、まだわからないけれど、
そういったわけで、まったく覚えなかったIT業界の知識と違い、
驚くほどに体が覚えていたキッチン仕事の感覚、
自然に取り組むことのできる仕事、
そういう意味では、きっと間違っていないのだろう、
お仕事の方向性としては。
いうても、その5,6年前にすでにわかっていたこととして、
僕の料理というのは、どこまでいっても、「仕事」ではなく、「趣味」なのだ。
だから、プロの本物のコックさんや板前さんみたいな、
そういう取り組み方をしている人みたいには、なれやしないし、なる気もない。
それは、もうその、5,6年前に2年半ほどお料理のバイトをして、わかったことだった。
取り組み方は、甘いだろうし、甘くてかまわない。
しかし、なんか、こう、楽しく働いてしまう。
辛いことは遠慮なくさくっと避ける。
でも、あらかたのことは、楽しく感じるんだけれど。
そういう意味では、わりきったスタンスで「趣味」をデイジョブにすることができるというのは、得な立場ではある。感謝しなければいけない。
逆に、僕が、やたら楽しそうに働いていることに対して、反感を持つ人もいるかもしれない、
でも、それはどうしようもない、
辛そうな顔をしていれば、周囲はそれで納得するのかもしれないけれど、
そんなの関係ないし、
楽しく日々生きて取り組むっていう、そこは、生き方にしろお料理にしろロックにしろ、どうしても譲れないポイントだ。
不安はあった。
友人にも、オフィスワークでIT業界みたいなとこで、
ラクして良い給料をもらっていたのに、
今更、お料理で、肉体労働で、時給いくらのバイトで、
とうぜん、もらえるお金もがた落ちで、
よくそんな勇気があったね、と言われたけれど。
自分でも、まだまだ迷いはあるけれど、
でも、いちばんバンドが頑張っていた2004年頃、
僕はこうやって飲食のバイトをしながら、
はらっちとみねっちと、切れた演奏をしながら、
国内マーケット向けの作品としてもっともintenseな、
「光のヒーロー」を作り上げたわけだ。
それはそれは、熱くインスピレーションに満ちた、時期だったわけで、
その時期の熱さを、また取り戻せるのであれば。
きっと僕は、これをずっとやっていけばいいのだろう、
one way or another,
そんな気がしている。
僕の頭の中には、
こうしてなんか、趣味的にお料理しながらよたよたと、
シアトルなりヴァンクーバーなりポートランドなり、
あたりに住んで、
今よりも頻繁に、ツアーに出ている、そんな生活が、
もう既にきれいにイメージされている。
そして、それが出来なくなったら死ねばいいのだろう。
なんかね、僕は
恋人というか嫁さんは、
人生の早い時期に、最良の相手を運良く見つけることができたけれど、
お仕事とかさ、
あれだよね、バンドのメンバーも、変遷がすごくあったけど、
お仕事は、本気になれるもの、結局見つけることができないな、
って、
でも、そう思うと、趣味にすぎないキッチンの仕事ですら体がしっかり覚えているのならば、
自分の音楽にかける思いや、プロフェッショナリズム(なんて言葉つかうほどイケてないしおこがましいし、そんな言葉信じてないけど)は、
積み重ねてきたものとして、
やはり信じていいんだろうと、
でもね、今日もクロジュン氏をスタジオに迎えて練習したけれど、
こういうふうに、いつもの3人に加えて、スタジオに他の誰かやお客さんが来ると、
なんか自分たちの立ち位置が少し客観的にわかる気がする。
はっしーもジェイクも、決して天才ではないし、
外すことも多々あるけれど、
大事な場面では、彼らは決して外すことはない。
なんだかんだと、同じバンドのメンバーで、これだけ続けているのも、
バンド史上、始めてのことなのだ。
今、今年の2月の遠征のときの誓いと、気持ちと、
それから忘れないために、Switchfootを携帯の待ち受けの画像にしてる、
そのswitchfootの曲にあるように、
思うよ、
We are once in a lifetime.
って。
見れるうちに触れてください。
12/24
大久保水族館
12/31
御園バプテスト教会
1/16
町田Carbunculus
2/10
新宿Wild Side Tokyo