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少年時代の追憶に浸るには、
いろいろ方法があるけれど、
suedeの曲を聴くというのはいい方法だ。
僕は少年時代から、今も、
1980年代のハードロックやヘヴィメタルが大好きだったけれど、
年代的には、少年時代にリアルタイムで同時代で体験した音楽というのは、
ブリットポップであり、グランジであり、
その中で終焉を迎えていくハードロックだった。
中でも、suedeは僕にとってとても特別なバンドだった。
僕にとってのそれぞれの時代のdefining artistは。
僕にとっての1960年代は、
ビートルズとヘンドリクス、
1970年代は、
Led Zeppelin、
日本だと荒井由実、
1980年代は、
Van Halen、
日本だとわからない。
1990年代は、
suede、
日本だと熊谷幸子、
2000年代は、
+/-{plus/minus}、
日本だとbloodthirsty butchersだった。
2010年代が始まったけれど、
たぶんもう、これ以降、
こんなふうに好きになれるバンドは現れないだろうと、
そんなふうに予感し思っている。
僕らが思春期、青春時代をすごした90年代という時代を思うに、
と、書いてみても、同時代を過ごした人にしか、伝わらないかもしれないけれど、
かりそめの平安の中で、
現代がゆっくりと成熟し、
そして腐っていく過程だったけれど、
面白い時代だったと思う。
良いタイミングで生まれてきたと、僕は思う。
その腐りゆく嘘っぱちの平安の中で、
学ぶことができてよかったと思う。
いろんなものが崩れてしまう前に、
世界をこの目に記憶に焼き付けることができて良かったと思っている。
Because that’s where I came from.
そんな90年代のけだるい虚無の中で、
僕らが学べたことは、
あらかたの絶望といくばくかの感傷くらいかもしれない。
ちょいとそういうわけで職探しをしているので、
仕事やらいろいろ見回しながら、
見回していると、
もちろん、こういう生き方を選んで、
音楽活動に持てる時間と努力を費やしてきたから、
お仕事探すのに苦労するのは当然なんだけれど。
今、自分の置かれている立ち居地を、
なんだか思い知らされたりする。
いわく、それは、力の否定。
そして、こういう世の中のことや、
生き方について、
誰も教えてくれなかったなあと、
妙に感慨とこめて思ったりする。
つまりは、世の中の仕事のことだ。
今更どうでもいいことだけれど、
僕は少年の頃は、成績のいい方だった。
だから、そういう進路を選んで、
そういう大人になるつもりだった。
その計画は、途中で、変更を余儀なくされ、あきらめざるを得なくなったのは、いつも話しているとおり。
理由は、へんなタイミングで、うちの嫁さんと出会ってしまったからだ。
でも、今思うと、僕は別に、優秀だったわけでも、真面目な人間だったわけでも、
ちっともないことがわかる。
僕は、言われたように勉強なんてしてなかったし、
やりたいように、面白いと思った勉強を、自分の好きな方法で、やっていただけだった。
そして、その勉強に、意味を見出そうとしたり、好きになったりしたのも、そもそも間違いだった。
一人の人間が持てる知識、学べる学問なんて、
世の中全体からしたら、ほんのちょっとのもので、
その意味では、本当に博学な人なんて、いやしないし、
本当に頭のいい人なんて、いやしない。
日々悲しんでいる。
19歳以降、精神的にそういう状態になってしまってからかもしれないけれど、
僕が、好きになって取り組んで、学べることなんて、本当にちょっとしたものに過ぎない。
たとえば、取り組めなかった時期がたくさんあったにしても、
僕が、ずっと、ちょっとずつ英語の勉強をしてきて、
それでも、今身の回りに結構いる、アメリカで育った友人たちには、軽くまったくかなわない。
それくらい、実際に、スキルというものは、厳しいものだ。
逆に、ギターの速弾きのようなハイスキルな演奏技術は、
僕は、自分の表現を追い求めるのに必死だったために、
かえってそういった技術に興味を持たず、またそれに取り組む機会も時間もなかった。
自分の作曲家人生の、大事な作品を、あらかた作ってしまって後、
近年になってやっと、そういった技術に遅まきながら取り組んでいる。
でも、僕の本当にベストなギタープレイは、間違いなく、そうした技術を学ぶ前のものだ。
そして、スキルなんていうものは、その程度のものだ。
僕が、少年時代に夢見ていた、
学問というもの、
そして、正義というもの、
それは、幻想だった。
少なくとも、ここには存在していなかった。
それを、まず最初に教えてほしかった。
あるのは、力としての、知識やスキルだけだった。
学問など、存在してはいなかった。
たとえば、法律は、力だ。
でも、僕は、その力を、信じていなかった。
そのことに気がついた。
専門の技能や、スキルといったものも力だ。
僕は、力を信じていない。
信じていないものを、学べるはずがない。
もちろん、技術や技能や学問を、軽視するわけではないけれど、
ただ信じていない、それだけだ。
それらは、もちろん、素晴らしいものだけれど、
それらが、果たして、人間を幸せにするのか、あまり信用していないだけだ。
僕は、少年の日、世の中で生きていき、身に付けていく技術や知識や「学問」は、
僕が信じられない性質のものだと、早く教えてほしかった。
それを教えてもらえれば、
僕に生きるすべなど、無いのだということを、
もっと早く、自覚できただろう。
いや、それに気付いたからこそ、
19の誕生日を待たずにして、
僕はどうにかなってしまったのだろうけれど。
僕はたぶん、
世の中のもろもろについて、一人で勝手に悲しむ生き方を選んだ時点で、
悲しみと矛盾につきあたって、
芸術に向き合う(笑)生き方を選んだ時点で、
力というものを否定することを選んでいる。
(それは、出家するみたいなものだ)
それは、キリスト教徒になった今ならなおさらだ。
だから、人は、技術やスキルの中で必死に生きている中で、
おそらくはなるべく創造的な仕事をするべきなのだろう。
なるべく、人が生きるような、そんな仕事を、働き方を。
suedeの悲しいサウンドを聞いているからだとは思うけれど、
僕が、なぜ、こういう生き方を選ばざるを得なかったのか、
それは、生きてることが、悲しくて仕方がなかったからだと。
この世の中が悲しくて仕方がなかったからだと理解した。
この悲しみを認めない人、ものは、
僕にとっては、真実じゃあない。
そうなのだろう。
今、やらなければいけないことがある。
なぜか。
僕は、世の中が悲しくて仕方がないからだ。
それは、たとえば、僕が、15年も前に、
うちのハニーちゃん、つまりうちの嫁さんと、
僕たちは一緒に生きるんだ、と言って、
実際に何年もかけて、その一緒に生きるということを
獲得していったのに、似ているかもしれない。
それよりも、簡単かもしれないし、難しいかもしれない。
これはつまり、約束というものだ。
何年かかろうと、愛があれば、たどりつくことができる。
うまくいくかもしれないし、いかないかもしれない、
あるいは今度こそ死んでしまうかもしれない。
でも、やってみるしかない、んだと、思う。
近く、バンド会議を持って、
そこで、皆の選択を、見極めようと思っている。
おおまかに、A、B、C、と選択肢がある。
どれを選ぶだろうか。
大変だけれど、ABCを全部組み合わせてやってしまうことができたら、
いいなと思っている。