時代は俺達を待っていてくれたんだよ(笑)
俺達が大人になるまで、わざわざ回り道して、美味しいところを残しておいてくれたんだ。
そしてひょっとしたらそれをやれるのは僕達の世代しかいないかもしれない。
強がりだ(笑)
現実はもっと絶望的なんだ。
前にも同じことを書いた覚えがあるけれど、
そして何度も言っているけれど、
僕の中では、
ロックのひとつの歴史というのは、
ひとつの境目として
たとえばThe BeatlesのSgt.Peppers Lonely Hearts Club Bandの、
A day in the lifeの最後の、
ジャーン、
という音が鳴ったその瞬間から、
世界中の人間の手に渡された。
Jimi Hendrixであるとか、
70年代でいえばLed ZeppelinでもQueenでもいい、
80年代は爆発のようにとんでもない時代だったと思っている。
巨大な才能が商業の力とともに雨のように降り注ぎ台風のようにロックの未来を切り開いた。
ただそのツケも大きかった。
僕は本道はいつだってハードロックにあったと思う。
神はハードロックを選ばれた。
それが僕の信条だ。
80年代の終わり、それから90年代の始めの頃、
ハードロック、ヘヴィメタルはバブル時代の終わりを迎えつつも、
成熟し、本当に精神の高みにたどり着きつつある高度な新しい時代の表現を志向しつつあった。
あの時期ってメタルの進化系が結構提示されてるんだよね。
Extremeの3枚目しかり、Wingerしかり、Living Colourしかり。
Dream Theaterでもいい。
その時代のどの作品を例にあげてもいい。
大御所のPainkillerでもNo More TearsでもBlack Albumでもいい。
ハードロックは、心技体そろった、
高度な精神の高みにたどりつくはずだった。
誰もがびっくりするような、
とんでもない領域にたどり着けるはずだった。
でもそれらは、グランジの流行とともにすべていったんご破算になった。
それ以降、彼らが指し示していた未来、
「ロックのゴール地点」は、
顧みられていない。
ハードロックが本来たどりつくべきだった、
究極のロックの本来のゴール地点。
80年代終期デビュー組の、
高度な技術と精神性を併せ持った、
ヘヴィメタル新世代は、
残念ながら、もうそれをすることができないみたいだ。
それは、
彼らの人生において、
最も熱い時期に、グランジの冷や水をかけられて、
すべてを否定され人生が狂ってしまった体験が、
体に染み付いているからだ。
Nuno Bettencourtの作品は、どれも大好きだけれど、
(スキゾフォニックとDramagodsが個人的にフェイバリット)
でも、そんな素晴らしい作品を作っても、
NunoとExtremeはもう「3 sides」の続きに近づくことはできない。
上記の大御所たちについても、
「その続き」を作ることができたアーティストは皆無に近いと思わないか?
ひょっとしたらそれをすることができるのは、
僕達の世代だけかもしれないと思うことがある。
僕達よりも2,3年下の世代は、
もう、「オルタナティヴ」のフィルターを通じてしか、
ロックを見ることができない。
メタルの分野の人達も、もう、ジャンルに細分化されたメタルしか知らない。
現在の20歳前後の世代は、
もう、懐かしの、というひとくくりの文脈のリバイバルの形でしか、
70年代と80年代を引用できない。
いちばん実力のあった上の世代は、上記のように冷や水をかけられてもうそこには正面から向き合えなくなってしまった。
80年代メインストリームの、いちばん最後の形を、ちゃんと見届けて、
なおかつ、90年代のオルタネイティヴを、自然に消化した世代。
僕らはその希少な世代だ。
しかし、僕らは、社会的にも、音楽的にも、ロストジェネレーション、
失われた世代なのだ。
僕らが見ていた、約束の未来。約束の地。
しかし、その一点は、今にいたるまで、いまだに誰からも顧みられていない部分だ。
可能性からいえば、
これからも、誰にも顧みられない可能性が高い。
つまり、ロックの本来の究極のゴールは、
人類から忘れ去られ、発見されることなく、
このまま放置される。
そして人類は滅ぶ(笑)
それが、今いちばん、most likelyなシナリオだ(笑)
一人、知っているけどね、
その時代の流れに逆らい、
それまでのキャリアと名声のすべてを犠牲にして、
その「ロックの究極のゴール」に向かおうとした、
馬鹿なアーティストを。
本当に見事だった。
そのミュージシャンは、
ほとんど、その未来を指し示すことに成功していた。
だが、そのアーティストは、
本当に、過去の名声も、未来のアーティストとしてのキャリアも、
すべて失った。
それ以来、
それ以上のレコードを、僕は聞いていない。
インディーズシーンなら、いないでもないけどね、
その未来に、近づいていけそうな存在は。
でも、その未来に行く船は、
もうそんなに大きな船じゃない。
ほんの数十人とか、数百人しか乗れないような、
小さな船だ。
それが今のインディーズ時代の現実だ。
だから僕は、
イエス兄さんの船を借りることにした。
自然のバランスからいえば、
テクニック指向と商業指向と形骸化が行き過ぎていた
80年代メインストリームロックから、
よりプリミティヴでロウな方向に揺り戻しが起こったのは、
至極自然なことだ。
リアルタイムで見ていた世代からいえば、
グランジは、HR/HMに反抗するというよりは、
よりセクシーなHR/HMの新しい形として、自然にキッズに浸透していった感覚がある。
そして、デジタル録音技術の進歩と普及とともに、
よりrawなサウンドが、ロックの原点の再確認とともに、
標準になっていったことは、
ロックの成熟にとっては、幸福なことだった。
たしかにこの15年で、デジタル録音技術の発達と普及により、
ロックサウンドはより本質に近い形で進歩した。
だから回り道は必然であり収穫のあるものだった。
80年代ハードロックのような、
カチっとしたアナログなギターサウンドを求めるのには
もう無理があり、
Rawでプリミティヴな本当の音で、ロックの本質を鳴らさなくてはいけない。
あまりにハードルが高いため、
それをハードロックの文脈でやろうという人は、あまりいないが、
(例外の一人がヌーノ・ベッテンコート)
どちらにせよ僕は、それはロックにとっては幸福なことだったと思う。
NirvanaもPearl Jamも大好きだが、
いつも言っているように、
僕は一般の意見と逆で、
Nevermindは痛々しくて聞くことができない。
カート・コベインの悲痛な叫びがあまりに感じられるからだ。
逆にIn Uteroは落ち着いて聞くことができる。
あのアルバム、彼はきちんと自分のロックに立ち戻ることでオトシマエをつけようとしたはずだ。
カート・コベインの苦悩ってなんだったろう、
たとえば、
原爆のスイッチを押してしまった人間の気持ちがわかるだろうか、
招待されたパーティーで、人々にあたたかく歓迎され、
彼らにすすめられるままに、じゃあ、と言って、ボタンを押した。
それは、何百万もの人々を殺す水爆のスイッチだった。
しかも、そのことを世間に事あるごとに賞賛されるのだ。
その苦悩ってわかるだろうか。
あるいは悪魔の手にかかり、自分の手でスーパーマンやバットマンを殺してしまった人は?
彼はその責任を取らずに行ってしまった。
伝説になるという、もっとも安易な形で。
これは僕の信仰だが、
ロックは、行き着けば信仰に立ち戻る。
なぜならロックは神から出たものだからだ。
僕にいわせれば、
ロックは明らかに神の介入によって作られたが、
神が人間にロックをほいっとパスした瞬間、
それが、Sgt.Peppers Lonly Hearts Club Bandの最後の一音だ。
「道具は与えたからここからはおまえら自分でやれよ」ということだ。
あきらめるには早い。
きっと、まだ、タイミングは訪れるはずだ。
ジミ・ヘンドリクスの人生の中で、
彼の宇宙と、現実の時間が、一瞬だけシンクロする瞬間がある。
それが、1969年の、ウッドストックでの演奏の、
アメリカ国家をギターで演奏した有名な瞬間だ。
ウッドストックのライヴ盤を聞けば、ヘンドリクスのすべてを理解できると僕が思うのは、
そのステージに、彼が生まれた瞬間から、その先に死ぬ瞬間までの、
すべてが縮図として描かれているからだ。
そんな瞬間が、訪れたら。
一瞬でいい。
世界のどこかで狙っているストライカーが、
ロックのゴールを決めることができたら。
僕ら失われた世代の人生に、
そんな瞬間が来るだろうか。
チャンスは薄い。
Chances are so slim.
だが、祈るしかない。
僕らの世代がそれをできなければ、
あと100年くらい、できないかもしれない。
そして、神は100年も、待ってくれないかもしれない。
以上ポエムでした。