2010年3月の日記

■…2010年 3月 4日 (Fri)…….すべての女の子は祝福されるべき
帰りの飛行機で見ましたが、
辛い映画だったなあ。

でも、映画の中で、プレシャス(クリス)ちゃんが、
夢の中で、大スターになって皆に喝采をあびて祝福されているシーンが何度も出てくるんです。

神の国では、本来、みながそういうふうに、祝福されていると思うんですよね。

You are so precious in my sight, and I love you

ってね。
神さんは言ってるもんな。

たとえ辛い境遇でも、君は本当は「高価で貴い」んだ。

ちょうど、今回の遠征でもプレシャスって曲を演奏してました。
聞いてちょ。
こちら

アカデミー賞候補の衝撃作「プレシャス」、肥満少女を熱演した新人女優に迫る
こちら

No(548)

■…2010年 3月 5日 (Sat)…….福音のスイッチ
えんせいから戻って、日常の中でばたばたしてますが、

演奏した音源を整理する中で、
自分が非常な祝福の中にいることに気がついた。

核のスイッチを握った人はどんな気持ちだろう。

きっと、あまり良い気持ちはしないだろう。

だが、僕は今、
福音のスイッチを握っている。
福音の爆弾だ。

と、思う。たぶん。

It’s all about Jesus, not about us.
And it’s all for our nation.

奇跡は止まらない。
ずっと続いている。
そして点火してしまえば、導火線は止まらない。

いいや今日はおもわせぶりっすよ。
総括とコメントのレスとかメールはもうちょっと待ってくださり。

アーメン。

No(549)

■…2010年 3月 6日 (Sun)…….遠征総括
「ツアー」と呼ばずに個人的に「遠征」と呼んでいるのは、
ツアーというのは、本来少なくとも1ヶ月以上ないし数ヶ月をかけてもっと多くの場所を回ることを言うからだ。
だから、ほんの10日余りで、オープンマイクも含めると7本のライヴである今回の遠征を、ツアーと呼ぶ気にはあまりならない。

みんな、他のバンドさんたちは、もっと長期にわたる、大変なツアーをたくさんやっている。それと比べれば、こんなのは小旅行のうちにも入りゃしない。

日本を回るくらいだったら、それくらいでも足りるかもしれないけれど、
アメリカや世界を回るんだったら、それではとても足りない。

だから、もっと長期の規模の大きいツアーを周れる準備と環境作りをしなければ、どうしようもいけないと思っている。

そもそも今回の遠征は、
Harrisburg Pennsylvaniaで行われる、Millennium Music Conference (MMC14)への参加が決定したため、じゃあついでにもう何本かライヴやろうか、と思ってブッキングして、
そして、前回ニューヨークを訪れた際に、リッチー牧師に、次回はぜひ日曜日に教会に寄って演奏してくれと言われていたので、その約束も果たそう、と、そういう感じのノリだった。

だから、はじめから、計画的なツアーというわけではなく、あくまで単発で発生した短期の遠征という感じだ。

まずは、生きて無事に帰ることができたことに感謝したい。
事故もなく、怪我もなく、盗難や犯罪にも会うことなく、素晴らしい出会いと経験を得て帰ってくることができた。
これは、神様の守り以外のなにものでもない。

そして、今回の遠征では、制作したばかりの「God Rocks」の売り込みとともに、本格的なアメリカ進出の、いろいろな手がかりや情報をつかんでくるという目的があった。

個人的には、それらも十分に、達成することができたのではないかと思っている。

もちろん、すべてがとんとん拍子に進むはずはなく、シビアな現実もあったが、次へのステップとしては、十分な手ごたえを得た。

きっと、これから、それらが確実に進んでいくはずだ。

良かったことを列挙してみます。

なにより今回の遠征でのいちばんの収穫は、演奏と音楽についてのことだ。
新しい録音作品「God Rocks」を制作したことで、クリスチャンロック、クリスチャンヘヴィメタルとしてのアイデンティティはようやく強固になり、信仰を軸にしたロックを本当の意味で鳴らすことができるようになった。
それにともなう、バンドの演奏面、音楽面でのパワーアップ、その手ごたえをしっかりと感じることができたことが、なによりの収穫だ。
最初の何本かはプレッシャーに苦しんだものの、それを早々に乗り越えて、今回のライヴは、ほとんどすべて「勝ち」だったように思う。
演奏とその反響は、前回のつあーのときよりも、はるかに上回っていたと思う。

小さなクラブだけでなく、
Harrisburgの教会、リッチー先生の教会と、大きめの会場での演奏ができたことも収穫だ。

ニュージャージー日本語キリスト教会のN牧師さんのおうちでお世話になることができた。
本当にとても感謝したい。
N牧師さんとは、遠征のほんの一週間前に、ぼくらの所属教会であるVIC横浜のAさんの厚意で、たまたま訪日していたN牧師にお会いすることができたのだ。
そして現地でいろいろとお世話になることができた。
本当に感謝したい。

また、N牧師のところでは、教会の音楽主任であるHさんにお会いすることができ、いろいろなお話を共有できたり、とてもハッピーな交流ができた。

またN牧師には、とある日本人クリスチャンラッパーの情報をいただいた。ぜひ連絡を取って交流したいと思う。

偶然というか、ここまできてもクリスチャンアーティストのコミュニティは狭い世界というか、Harrisburgのカンファレンスでお会いしたアンソニーさんは、その日本人クリスチャンラッパーのことを知っていた。フロリダで会っていたらしい。これも素敵なことだ。

思っていたほど寒さはなかった。もちろん寒かったけれど、もっと、死ぬほど寒いのを想像していたが、幸いに比較的寒さが大人しい時期にあたったのだろう。

大雪も心配していた。東海岸はこの冬、記録的な大雪に見舞われていたので。
しかし、結果的には、直撃を受けることはなかった。
僕らが到着する前の週に、大雪が降り、積もった雪がそこかしこに残っていたが、
僕らの日程はだいたい、雪は避けてくれた。

唯一、Wilmingtonのライヴの夜、そして翌日の朝から昼にかけて、強烈な雪が襲ったが、なんとか車を走らせることはできたし、その夜の集客には影響したが、被害は最小限だったと思う。
そして、N牧師のおうちに戻ると、皆で雪かきを手伝った(笑)

雪がちだったということで、平日のクラブギグの集客には影響があったと思うが、それにしても、大雪を避けることができただけで恵まれていたと思う。

Harrisburgでのカンファレンス、SXSWの規模の小さい版というか、あくまでローカルなカンファレンスであるが、それらの地方のカンファレンスの中では、比較的充実している方なのではないかと思う。

ここではネットワーキング、友人や知り合いを作ること、業界人とのつながりをつくること、バンドたちとのつながりをつくること、など、の目的があったが、言葉の問題や、そもそもの性格的なコミュニケーションプロブレムなどもあって、なかなか、積極的に周囲とコミュニケーションをとるということもままならなかった。

しかし幸いなことに、有意義な出会いは、いちばん予期しないときに、僕らが朝ホテルの部屋を一歩出た瞬間に訪れた。
そこでたまたまなんとなくお互いに話しかけたアンソニーさんは、クリスチャンの音楽活動をしている方だった。そしてこのカンファレンスのセミナーのパネラー(話す人)であり、音楽業界の人だった。

MMC14のショウケースでは、クリスチャン枠ということで、教会でのライヴだった。教会の人達も協力してくれたし、他のクリスチャンのバンドと共演できたのは、かけがえのない機会であり、交流の機会となった。

MMC14の前夜祭でのオープンマイクで4曲演奏したのが、この遠征での最初の演奏となったが、非常に精神的に固くなっており、ひどい演奏だったと思う。が、それにもかかわらず、バカ受けとなって、最初の演奏から、CD等がかなり売れてくれたのはとてもありがたかった。これは、この前夜祭オープンマイクの会場にいた人達がミュージシャンだったからだと思う。少々演奏が荒くても、音楽を理解してくれたのだと思う。

このMMC14のオープンマイクを含め、最初の何本かは特に、精神的なプレッシャーが非常にあり、特にヴォーカルに関しては、まったく声が出ないのではないかと思うくらいだった。
MMC14の教会でのショウケースの際には、本当に二度と歌えないと思うくらいに絶望的になっており、非常にやばい状況だったと思う。
しかし、教会のRくんが送ってくれた励ましのメールや、Kさんが祈ってくれたこと、教会の皆が祈ってくれたことなどがあり、ショウの直前に精神状態を持ち直すことができて、結果的にプレッシャーを乗り越え、その日のショウできちんと声が出て乗り越えることができた。
このショウケースの日に、このプレッシャーの壁を乗り越えることができたことで、その後の演奏が非常にうまくいくようになった。

そのプレッシャーの質については、僕と神様との間のことなので、説明することが難しく、説明しない。

リッチー牧師の教会での演奏は、当初、礼拝にて2,3曲演奏するだけだと思っていたし、そう聞いていたけれど、行ってみれば、いつのまにか、日曜の夜に、フルでコンサートをすることになっていた。
このリッチー牧師の教会は、ニューヨークのLong Islandにあるが、本当に素晴らしい教会で、機材や環境も素晴らしかったし、場所もウェアハウスでロックしてたし、本当に素晴らしい、結果的にこの遠征で最高のコンサートにすることができた。本当に感謝するとともに、こうした教会で演奏することの意義を考える機会になった。
教会での演奏は、信仰といったテーマの表現を全開にできるし、また、もっと現実的なことを言うと、集客をあまり心配しなくてもいい、など、僕達にとっては良いことづくめだ。

リッチー先生は今回忙しかったらしく、日曜の礼拝後にすぐにいなくなってしまったけれど、奥さんとはいろいろ音楽について相談することができた。教会ぐるみで非常に信頼関係を作ることができたし、今回必要な話は十分にすることができたと思う。

今回、テキサスのKさんから、預けてあった機材を送ってもらったけれど、
UPSのミスと思われるけれど、
ドラムのハードウェアが、送られる過程で紛失してしまった。

当然ハードウェアがなければ、ドラムが使えないわけで、非常に困ったトラブルだったわけなんだけれど、幸いにして、遠征の前半戦のいくつかのライヴは、会場にドラムキットがあるギグだったので、時間を稼ぐことができた。

それで、対バンのバンドさんなどに、どうしたらいいか、相談もしていたわけなんだけれど、Harrisburgの教会でのショウケースライヴの際に、会場に来ていたLAメタルみたいな格好したバンドの人達(名前忘れちゃった、フライヤーもらってたはず、後でチェック)に、SIRという大手のレンタルショップがあるということを教えてもらった。
そして、後日、ニューヨークのマンハッタンのSIRに連絡して、無事レンタル、事なきを得たんだけれど、
まあ現地のミュージシャン達にとっては、SIRなんて常識なんだろうけれど、僕達はこんな情報も知らないわけで、
このLAメタルみたいなお兄さんたちは、どうしてこの日のギグに顔を出してくれていたかというと、前日のカンファレンスのセミナー、パネルの時に、僕は、ちょっとでも誰かと話してつながりを作らなくては、と思って、言葉の壁で苦しみつつも、なんとか気の合いそうな人達を見つけて(つまりそれがLAメタルみたいな格好した人だった・笑)話しかけたんだけれど、それがあったんで、次の日のギグを見に来てくれたわけね。
なので、ちょっとでも人とのつながりを作るのは大事だな、と思いました。

そのドラムのハードウェアのレンタル代金も、リッチー先生の教会でいただいたofferingでまかなうことができた。なんとありがたい。

そういえば初めて、小切手(チェック)のやりとりをした。Kさんにチェックを郵送し、自分はリッチー先生の教会でもらってきたチェックを口座にディポジットした。はじめてのおつかいである。
先日、オンライン手続きの件で、深夜に日本から電話してこの銀行とやりあって、オンライン手続きは停止してしまっているが、でもやはり、昨年Kさんに手伝ってもらって口座作っておいてよかったんじゃないかと、思っている。

全ライヴ日程を終えた最後の日に、ずっと連絡を取っていた、アメリカで知名度のある某日本人コミックパンクバンドのリーダーの方とお会いしてお話を聞くことができた。
本質的なアドバイスとともに、シビアな話もたくさんしていただいたけれど、シビアで現実的な話をしていただいたというのは、とても愛情にあふれたことであると僕は思う。僕が逆の立場で、若いバンドにアドバイスを求められたなら、甘いことは言わないだろう。やる方だって人生がかかっているからだ。無責任に甘いことはいえない。
そう思うと、とても素晴らしい励ましといただいたように思っている。

連絡を取っていた人のうち、さすがに+/-{plus/minus}は今回も会えなかったけれど、だいたいの人には会うことができた。
Clash Bar, Clifton NJの夜には、OURSのRichくんに、2年ぶりに会うことができたばかりか、彼も友人とのバンドで参加し、共演することができてしまった。

いたるところでビールをおごってもらった。
日程後半は演奏後毎日のようにビールを飲んでいたけれど、自分ではまったくビール代を払っていない気がする。
感謝ー。

東海岸のあたりを回ったわけだけれど、
ビール頼むときに、Something Localと注文すると、ほとんど毎回、Yuengling Lagarというのが出てきた。遠征中、いったい何杯飲んだだろうか。

物販も結構売れた。
売り切れというわけにはいかなかったけれど、想定以上は売れてくれた。
「God Rocks」の売り込みの最中ではあるけれど、仮マスタリングのバージョンにせよ、それなりの数の人が、すでにこの作品を手にしていると思うと不思議な感じだ。

行きの飛行機の中で、Whip It!という映画を見たが、元祖クリスチャンメタルのStryperが(Tシャツという形で)出ているという情報を聞いていて、見たかった映画だったので見てみたが、ローラーダービーのお話で、とても面白かった。と思っていたら、カンファレンスのトレードショウに、H.A.R.D.(Harrisburg Area Roller Derbey)のNuclear knockoutsというローラーダービーの女の子たちが出展していて、タイミングよく興味深かったです。
しかし、このWhip It!、邦題は、「ローラーガールズダイヤリー」になるそうです。

日本から先日撤退して日本では食べられなくなってしまったWendy’sをばっちり食ってきた。
あとはファーストフードでは皆でTaco Bellに初挑戦した。安い美味い多いで最高だった。

Google Directionと地図のみでドライヴした前回と違い、今回は素直にカーナビに頼ってみた。
ナビの声は日本語に切り替えることができた。
(ただ、ときどき、日本語がおかしかったけれど。)
付近の楽器屋やレストランなど、なんでも検索することができるので、非常に便利だった。

雪のシーズンだったからということもあるからかもしれない、
東海岸は、南部の方とくらべると、風土的にはそれほどおもしろくなかった。
いかにも広大なアメリカという気分が味わえる南部の方とくらべると、わりと普通な感じで若干つまらなかった。
しかし雪道を走るのもなかなかおつであった。

車の中でかける用のCDをSwitchfootの新譜、Stryperの新譜、Third Dayの新譜しかの3枚しか持っていかなかったため、その3枚をひたすら繰り返しかけることとあいなった。
しかしそれはとても素晴らしい音楽体験だった。
ショウが終わった後の充実感とともに、Switchfootで夜を駆け抜け、Stryperでロックしながら次の街へと向かうというのは皆の精神状態のためにも良い影響だったと思う。
特にSwtichfootの新譜はいちばん頻繁にかけていた。本来南カリフォルニアのサーフィンミュージックであるSwitchfootだが、雪景色の中で聞くのも悪くなかった。皆Switchfootが大好きになったと思う。

今回もジェイクがほとんどすべての運転を担当したが、名ドライバーであるジェイクは、マンハッタンのカオスな交通事情にも負けていなかった。彼いわく、「大阪を走れればニューヨークも走れる」とのこと。後でお会いしたコミックパンクバンドPの方も同じことをおっしゃっていた。

前回以上にギタープレイが武器となった。
演奏のたびにギターヒーロー状態だったし、そういう意味ではちょっと有頂天になっているところだ(笑)
ショウが終わると95%の確率でEddie Van Halenといわれ、30%の確率でLoudness(Akira Takasaki)と言われた。

リッチー牧師の教会で演奏した際には、演奏後に、小さな女の子に、自分もギタリストになると言われ、そのギター(Hamer製のFlyingV)はどこで手に入るのかと聞かれた。ピックにサインしてあげたが、小さなピックに漢字でサインしたら真っ黒のお団子になってしまった(泣)

Loudnessという言葉を聴くのはたびたびあるけれど、リッチー先生の教会の関係者でメタルに非常に詳しいおっちゃんがいて、「もう20年も前に、E.Z.O.という日本のヘヴィメタルバンドを見た、とても素晴らしかったが、彼らはその後どうしたんだ」、と聞かれたときにはびっくりした。どうしたかはここを参照。
こちら

ジェイクは相変わらず、コミュニケーション能力に問題のある私にかわって、キッチンで、会食の場で、演奏以外でも大活躍してくれました。

Washington D.C.のショウで、なんでも、お兄さんが横須賀でレコーディングスタジオをやっているという女性の方とお話することができた。

イーストヴィレッジでは演奏の前に、「かんび(Kambi)」というラーメン屋さんで食べました。外国で食べるにしてはレベル高いと思った。でもやっぱ高いね。

今回、うちの嫁さんを連れていなかかったので、電話代は心配のひとつだったけれど、iPhoneにスカイプが使えるアプリを入れていったのだが、これが結構使えた。ホテルなり演奏会場のバーなり、要所要所にWiFiがあるので、そのWiFi回線を使ってスカイプで電話することができた。

また、こちら ここの国際電話カードもとても便利だった。今回、現地用の携帯電話もここで事前にレンタルして行った。

今回ネット関係は全部iPhoneでやりました。もちろん3Gネットワークは使えないので、WiFiのみのiPod Touch状態。しかし、だいたい問題ありませんでした。ホテルには大抵、WiFiあるし。バーとかにもWiFi、結構、あるし。N牧師もiPhoneユーザーだったので、おうちでも、使えたし。

最終日に、はっしーとジェイクにビールとご飯をおごる約束をしていた。
実際には、最終日の夜は、コミックパンクバンドPさんとの面会が実現したため、ビジネストークになってしまったので、おごったうちに入らないだろうということで、帰りの空港の中にあるバーで、真昼間からサミュエルアダムスとバッファローウイングを皆で飲んで食った。いや、それは最高でしたよ。

よくなかった点

前回のつあーに引き続き、確認を怠ったことによるドラムキットのトラブルがあった。
ショウの1時間前にドラムキットが使用不可能であることが判明し、かなりやばかった。
しかしこれを機にジェイクも僕もバンドもひとつ成長できたと思う。

うちの嫁さんを今回連れていなかったことで、写真や動画といった、記録の面はやはりどうしても弱くなった。演奏中の写真は、まったく無い。動画も固定カメラ。
しかしオーディオレコーダーで演奏をちゃんと記録できていたのは意義があることだった。

物販や、お客さんへのフォロー、メーリングリスト集めなんかも、嫁さんがいてくれたらあるいはもっと出来ていたかもしれない。それは仕方ない。

嫁さんを連れていかなかったことでいえば、逆に言えばメンバー3人でずっと同じ部屋で過ごしたことで、団結は強まったと思う、たぶん。

言葉の問題でいつものように苦戦するが、
目の前で1対1で話しているときにはほとんど大丈夫なんだけれど、
あいかわらず電話が大の苦手であった。
特に携帯電話は音質がひどく、こんなファズみたいな音質でよく話せるなと思っていた。
Kさんと日本語で話していても聞き取れないくらいだった。
とにかく電話での会話が苦手で、アンソニーさんと電話で話していたとき、しどろもどろだったため、誤解を招くようなヘンなことを言ってしまった記憶がある。とほほ、へんに思われていないといいんだけれど。

Harrisburgの教会で演奏したとき、僕はロックと映画で英語を覚えているため、前説のMCの際に、Sのつく四文字言葉をしらない間に使っていて、後から、「こういう教会とかの場では気をつけた方がいいよ」と言われた。教会のおばちゃん連中に後であやまったら、誰も気にしてなかったけれど。

しかし、そのカタキを打つように、Wilmingtonで演奏したときに、”Holy Shit”という言葉を使って笑いを取った。クリスチャンという前にしょせんロッカーである。酒だってよろこんでかっ食らう。酒は神さんの祝福だもん。

今回そういう意味ではMCは絶好調であった。教会でも、普通のバーでも。
僕のくちべたを考えると、日本ではおよそ考えられない。

また普通のバーでも、めっちゃクリスチャン丸出しなMCやテーマを打ち出せたことは意義を感じている。
ユニークな自分たちのスタンスをより確立できたと思っている。

そういえば今回一度もマリファナの匂いをかがなかった。
東海岸の方は、皆、モラルが高いのか、あるいはたまたま、マリファナの無い場所だったのか、州によって違うのか、理由はわからない。
もっと長期でいろんなところを周れば、いやでもあの匂いを体験することになっただろう。

なにはともあれ、

とにかく、事後のフォローアップあるのみ。

というわけで。

こんなところです。

また思い出したら更新します。

No(550)

■…2010年 3月 9日 (Wed)…….そいつはもちろん象徴的だ
その人の名前は、
米持孝秋師匠と同じように、
少年時代の僕の脳裏に、
なぜだか記憶されていた。

個人的な些細なことだが、
先週お会いすることができたその方、
にお会いすることができたことは、
自分の中では、不思議な象徴的な意味を持っていた。

いつも人に言っているように、
僕は、10代の頃、
ミュージシャンを目指すとか、
音楽でプロになるとか、
そういうことには否定的な少年だった。

10代の頃に夢見て、目指していたのは、
弁護士とか、検事とか、法律家だった。

結果的に、その後、
自分は社会も法律も国家も信じていないことに
気がついて、
なにより運命のいたずらで、
うちのハニーちゃんと出会ってしまったことで、
僕はこの国の世の中の矛盾に直面すると同時に、
その道をあきらめざるを得なかった。
そして残された選択肢として、
しがない放浪の詩人の道を選ばざるを得なかった。

高校時代の僕は、だから、
音楽でプロになるとか、音楽で食っていくとか、
まったく否定していたし、
もっと社会的にちがう方法で、社会に対してロックしていけると思っていたし、
そんなだから、
10代の頃、バンド活動も、芽が出ていたと思うけれど、
本気で取り組まずに、中途半端でやめてしまった経緯がある。
受験勉強とか、優先する、って口実で。

それが、実は、
(もちろん、その方本人にはまったく関係ない話だけれど)
先日お会いしたその方の「せい」だったりする。

僕が14歳のときのことだ。
ギターを始めて、間もない頃だ。

とりあえず、ギターを手にして、一ヶ月足らずで、
もうCrazy TrainやBark At The Moonをコピーしていたんだ。

14歳の若気のいたりで、
若気の至りなんていう言葉もまだふさわしくないくらい
思春期の少年なわけだけれど、

僕は、その時、一瞬だけ、
これでプロを目指してみたい、
これをずっとやっていきたい、と思った時があるんだ。

その頃、家族ぐるみのつきあいで、
お世話になっている、とある「社長さん」がいた。

ローカルな話だ。

将来何になりたいんだい、
と聞かれて、
14歳の思春期の少年の僕は、
「ギタリストになりたい」
と答えた。

なぜその社長さんが、
この方のことを知っていたのかは知らない。
でも社長さんはこう言ったんだ。

「それはとても難しいことだ。考え直したほうがいい。
私はG.A.氏という、ギタリストを知っている。
ギターの腕は、それはもう凄い。
日本一というくらいに上手い。
実績も申し分ない。
しかし、そんな彼でも、場末のキャバレーで演奏しているのだ。
音楽で飯を食うというのは、それくらいに難しいことなのだ。
芸人のことは、昔は、河原乞食と言ったものだ。
だから、それくらいの覚悟がなければ、音楽はできはしない。」

僕は、なるほど、そのとおりだ、と思ったんだ。
この話には、もちろん続きがあるけれど、ここでは書かない。

このことがずっと心の中に残っていて、
僕は、もっと違う方法で、世の中の役に立とうと思った。
10代の僕は、純真に、そう思ったんだよ。

そして、そのG.A.氏というギタリストの名前を、
僕は、ギター雑誌や、好きな日本のヘヴィメタルバンドのレコードのクレジットなどに、頻繁に見つけるようになった。
その人の名前を見るたびに、
その社長さんに言われた、
「音楽の厳しさ」を、僕は思った。

そのG.A.氏ご本人に、
なんだか、とある経緯で、先日、お会いすることができた。

ありがたいことだ。
K氏ならびに、ママさん、Above Da Worldの皆にも感謝だ。

日本のヘヴィメタルの伝説の中心に居たその方に、
お会いすることができたことは、もちろんエキサイティングなことだったけれど、
僕には、それ以上に、そうした個人的な思い出があって、
より個人的に象徴的なことだった。

本当の案件は、G-1とAbove Da Worldに関することだったけれど、
臆面もなく自分のバンドの売り込みもさせてもらった。

G.A.氏は、とても温和で朗らかな、
まるで福の神のような人だった。

氏は、ギターメーカー、ならびに、音響機器ブランドの社長さんであり、
そういった面からも、いろんな面で日本の音楽シーンを支えている。

「音楽で生きていくのは大変なんだ」と言う言葉とともに僕の心に記憶されていたその方が、こうして朗らかな笑顔で、笑っているのを見ることは、僕の中で象徴的な意味を持つ出来事だったかもしれない。

交渉は成功だった。
Above Da Worldとしては、現時点で十分な成果を上げた。
また、自分のバンドの音も聞いてもらった。
興味を持っていただけただけでも、ありがたいことだ。

もちろん、僕はこれからも、誰にも頼らず、インディペンデントにやっていくだろう。
好むと好まざると、「乞食」としてさまよう運命を選んでしまった以上は、それは変わらない。

しかし、少しだけ、この方にお会いしたことで、またひとつ、気持ちが軽くなったような、そんな気がしている。

Above Da Worldとともに、ちょっとずつでも、良い関係を築いていけたらと思っている。

No(551)

■…2010年 3月11日 (Fri)…….最終回スペシャル収録
なんかもう写真とかインポートするの面倒だしiPhoneから書く方が早いな。

昨晩は一年間やってきた東京ネットラジオの収録、
一年やってこれで最終回となります。

これは一年やってみてクリスチャンのミュージシャンさん達を紹介してまた少しでも出会い知り合う事が自分の宿題だと思っていたので、ひとまずやり遂げる事が出来て嬉しく思います。

しかし東京ネットラジオはひとまず終了しても、それに変わるものを必ずやろうと思っています。ゲストをお呼びして、日本のゴスペルミュージックシーンを少しでも盛り上げる事が出来るようなものを。
映像のポッドキャストになるのか、定期的なミニコンサートになるか、今考えているところです。

しかし以前お呼びした不思議なバンド”FU”さんが後をついで(って訳じゃないですが)4月から東京ネットラジオで番組をやるそうです。
なんか嬉しいですね。

今回、最後は自分のバンドをゲストで呼ぼうと思っていましたが、はっしーとジェイクは都合がつかずソロプレイでの放送となりました。

意外と初めての一人しゃべりですが最終回にふさわしく感動的な(たぶん嘘)内容になりました。

アップロードは今月25日です。

ぜひぜひ。

こちら

 
Posted from MixiDock mini

No(552)

■…2010年 3月13日 (Sun)…….ロックンロール創世記
いつも言っているけれど僕はポストロックという言葉を信じていない。

思うにポストロックというのは音楽の種類やカテゴリやジャンルを指すものではないと思う。

親父たちが散らかすだけちらかしたものを、
僕達の世代がひっそりと片付ける。
ポストロックってそういうことだと思う。

だからたとえば、
ポストロックという言葉を、
うつむいてディレイのかかったテンションコードをひたすらならすこととか、
鉄琴と木琴とドラムキット二台による即興演奏だとか、
バンドメンバー全員が後ろを向いて演奏することだとか、
あるいは単にシューゲイザーな轟音をいまだに気取って鳴らすといった意味には使ってほしくない。

今日はさいたまスーパーアリーナに、ベーシックなロックンロールの「ご本尊」であるところのAC/DCを見に行ってきました。

もちろん見るのは初めて。

確か2001年にも来日していたけれど、

まさかこのバンドを日本で見られるとは思っていなかったよな。

こういうジャンルでロックをやっているはしくれであるからには、
僕も熱狂的なAC/DC信者のひとりだ。
いちばん好きなアルバムは、
Highway To Hellか、Let There Be Rockか、Powerageか、Back In Blackか、
選べやしない。
いややっぱPowerageかな。

AC/DCにかかると、ロックは音楽じゃなくて宗教だ、というのが、真実味を帯びて感じられる。
ロックの偉大さと素晴らしさを、いやってくらい教えてくれる。

みんな知っていると思うけれど、
ロックンロールの本質が、これでもかというくらいに凝縮されている。

これは僕の個人的な信条だけれど、
今回の遠征でもそうしゃべっているけれど、
ロックンロールは神様からの贈り物だと思っている。

AC/DCもこう歌っている。

光あれ、
すると光があった

サウンドあれ、
すると音があった、

ドラムあれ、
するとドラムがあった、

ギターあれ、
するとギターがあった。

そして
Let there be Rock
ロックあれ

まさにロックンロール創世記。
AC/DCこそはロックの十戒なのか。
AC/DCはそんな古臭いロックのいちばんの代表する存在だ。
本当に素晴らしい体験だった。
年はとっても、彼らのロックンロールショウは、ひとつも衰えていないと感じた。

こういうロックを築いてきたビッグなバンドを大きな会場で見るたび、
いつも時代や環境、商売ということを思う。

ひとつには、こうしたアリーナのでっかい会場で聞くロックに、どれだけのリアリティがあるのか、ということは、たとえばいつも思うことだ。

ロックは神様から与えられたものなのだから、
それを僕らは神様に返さなくちゃあいけない。

あるいは本来の場所へと返さなくてはいけない。

何億もの卵から稚魚から生まれて、戻ってくるのはほんの数えるほどだったり。

種をまいても、あるものは芽を出さず、あるものは根を張らず、
しかしほんの一部が実りをもたらすように。

1960年代にロックが出来上がって以来。

70、80年代にどっかーんとロックを散らかしてくれた親父世代たちは。

しかし大乗仏教のごとくでっかいアリーナで撒かれたその種を。

本来の目的地に運ぶには、
もはやそんなに大きなハコにのせて全員をはこぶわけにはいかない。

本当の天国にたどりつけるやつは、そう多くはない。

大きな商業アリーナロックの限界が見えたのは80年代の終わりか、90年代の始めごろだっただろう。

生活様式や宗教的モラルや国家の財政と同じように、
嘘をつきつづけてごまかしてくることもできたし、
多くの人達はごまかしてきた。

いつも語っている内容だけれど、
90年代の後半、
僕がいちばん崇拝していた音楽家さんで、
一人、
ロックをいちばんとっちらかした張本人でありながら、
自分の手で「片付け」をやろうとした人間がいた。

それがあったからこそ僕は彼のことを今でも本当に尊敬している。

だが、世間は彼に、「片付け」をすることを認めず、いままでのように「ちらかす」ことを求めた。

再結成後のLiving Colourを、僕が全盛期よりもより高く評価しているのは、
まあ80年代の終わりのあまりよくないタイミングでデビューしたからという理由もあるだろうけれど、

彼らが、仮にもメインストリームで成功を体験したバンドでありながら、
今意識的に、「片付ける側」にまわっているからだ。

さすがに、デビュー当時から、ロックを鳴らす意味についての意識が高かったバンドだけあると思う。

同じような立ち位置にいたバンドでいつもExtremeをひきあいに出すが、
その点では、Nuno Bettencourtは、いいせん行っているけれど、
Living Colourにくらべれば、「片付ける意識」としては徹底しきれていない。

また、僕が日本人ミュージシャンでいちばんに尊敬し敬愛する熊谷幸子さんは、90年代の早い時代から、その「片付けるための音」を、意識してかせずか、しっかりと鳴らしていた人だった。
単なる女性ポップシンガーという立ち位置だったにも関わらず。
しかし環境としては、ユーミンの一番弟子であり、ユーミン/マイカミュージックという、売れてはいたけれどとても地に足をつけてクオリティの高いポップミュージックを作り続けていたチームに居たのが幸いしたかもしれない。

僕が話しているのは音楽性以上に精神性のことだ。

時代は、それぞれの小さなニッチをたどるしかない。
しかし、ロックの本来のゴールである、精神の本当の自由と解放と自立に向けて、
ロックは本来の目的をとりもどし、僕らはそれを神様に返さなければいけない。
僕らは、それぞれのニッチでそれをやるんだ。

僕が現存の地球上のバンドでいちばん大好きで最強で最高だと思っている+/-{plus/minus}が、なぜしがないインディーバンドでしかないと思ってるんだ。
日本のバンドだってそうだけれど、多くのバンドはそうだけれど、
音楽だけで食えるはずもなく、しがないTemporary Employeeだったりするのか。

解答は、それでいいんだ。それでしかないからだ。

それでなくては、「片付け」などできはしない。

ロック黄金世代の親父たちが、
乱雑にちらかし種をまきちらしていった後を、
僕たちは、粛々と、ひっそりと、ほんの少しずつ、本来のゴールに放り込んでいくんだ。

報われない仕事だ。
報われない仕事だと思うかもしれない。

だがそうだろうか。
一人の人間が救われたとき、
天の国では、天使たちがラッパを吹き鳴らし、大騒ぎして祝福するという。

たとえ一人であっても二人であっても。
そう信じることができないんであれば、
この時代にロックを鳴らし続けるこのきつい使命を成し遂げることはできない。

ポストロックは音楽の種類のことじゃない。
僕ら世代がおかれた環境のことだ。

たとえばSilvertideというバンドがいたと思うが、
彼らにしたって、AC/DCのようなストレートで古典的なロックを鳴らしていても、
そこにはどうしても世代の陰影がつきまとってしまう。
巨大なアリーナで演奏することが彼らの使命ではないように思えてしまう。
僕ら世代がすべきことは。

AC/DCだってその本質は、70年代のBon Scott時代にあっただろう。
商業的に成功した巨大なバンドになる前の姿に、ロックの本質を見出すから、皆あの時代のAC/DCが好きなのだろう。
その本質を、本気でつきつめようというやつは、今どれだけいる。

それが僕のロックンロールという宗教だ。

単に僕は神さんをよろこばせたいんだよ。

No(553)

■…2010年 3月13日 (Sun)…….動画きろく

はずかしいので早朝にひっそりと書きます。

あめりか遠征の写真をアップしております。
とはいえ
うちのハニーちゃんを連れていかなかたので、
撮る人がおらず、
演奏中の写真は少ないのです。

面倒なのでリンクだけ。
こちら

ビデオも固定アングルです。

ビデオはここから全部アップしたのがあります。

こちら

それと、いちばん出来の良かったGloryzone Ministriesでのライヴ動画を、
まるまる、トップページにのせてあります。
こちら

けっこう感動的なので、全編見たらいいことあると思います(笑)

とはいえいくつかピックアップします。

まずGloryzoneの1曲目のやつ。

Testimony。しゃべりが長くてすいません。
宗教的なメッセージだからさ、はしょりたくなくて。
こちら

Gloryzoneの動画もういっこ。
おなじみIron Hammer。ギターソロの出来は、ほどほどかな。Clash Barのときのが出来がいいと思うけど。
こちら

そんでなんといってもFaith Rider。いや演奏はひどかったんだけれど、
最後のお祈りのシーンがなかなかあれだったので。
あと、フライングVで、”Victory In Christ”ってやってるしね。
こちら

Mojo13のときのやつ。
おなじみWinning Song。大雪でお客さんいなかったけど、ギターソロ調子よかった。
あれね、最初に例のHoly shitって言ったやつ。こうやって動画アップするとまたいろいろ言われそう。
こちら

Clash Barの動画ひとつ。

Illusions。いや、またどうせ、歌うの下手だけど、マシな方だったのよ。
こちら

Harrisburgの教会のショウケースのやつ。

Precious。あまり出来よくないな。はっしーが間奏まちがえてるし。とばっちりでギターソロも乱れてるけどね。
こちら

Only One Wish。
この日のこの曲はわりと良い出来だったと思う。教会の人達が普通にくつろいでるのがシュール。

こちら

その他こっちにたくさんアップしてます。
こちら

以上、ささやかに紹介終了。

No(554)

■…2010年 3月17日 (Thu)…….非実在ストーン投げ
これ自分では傑作だと思ったんだけど誰もretweetしてくれないね(笑)

非実在青少年は罪だっていうけどクリスチャン基準ではマンガどころか想像しただけで罪だぜ?

しかしイエス・キリストはこう言った。「お前たちの中で罪の無い者がまず非実在青少年を取り締まりなさい」John8:7

どう?

 
Posted from MixiDock mini

No(555)

■…2010年 3月17日 (Thu)…….知らない国のバンド
facebookでbloodthirsty butchersのコミュニティ(group)に入ってる人達ってよっぽど変わり者だよな。

46人、ほとんど外人。

ざまあみろ、俺は今日新譜をゲットしたぞ。

日本のファンの中では遅い方くらいだけど。

kocorono完全版が出たなんて知ってるか?

もう今年はCD買わねえッ!

そろそろ音楽で感動しない年頃になってきた。

これは本当に悩ましい問題だ。

これで感動できなきゃ、もうダメだ。

Let’s give it a try

僕は音の向こうにいろんな運命や情報を読み取れるって言ったろ?

解散する時期だってわかったりする。

もちろん、運命以上に、本人の意志次第でもあるけれど。
(占い師か俺は)

2003年の秋か冬か。

ヒッチーは置いてあったCDのうち、

Syrup16gを気に入って、
僕はブッチャーズに惚れた。

ね、僕らのブッチャーズは、いまもロックし続けてる。

音に裏づけがあるかどうか。
特定のバンドを非難するつもりはないけれど、
ずっと、
suedeという本当に悲しみを優しさを歌ったバンドのファンだったから、
Syrupの音は生ぬるくって僕には効きやしなかった。

たとえば同じような音作りをしててもSwitchfootの新作は、
さらさらと正面から希望と真実を歌う。

先のことはわからないけど。

この新しいレコードを聴けば、彼らの未来が聴き取れるさ。

これから読み解きます。

No(556)

■…2010年 3月19日 (Sat)…….ギターヒーロー
昨晩はとあるライヴイベントで著名なロックギタリストである中間英明さんを見る事が出来た。

終演後にちょっとだけ声をおかけする事もできた。
自分らの音源もお渡ししてしまった。

遅れていったため見る事が出来たのは一曲のみだったが、それもOzzy Osbourneのトリビュートバンドだったけれど、
もう一発で惚れるほど格好良かった。

一緒に演奏している外国人プレイヤーに負けない大柄なオーラに、純粋に楽しそうにロックし輝く姿。

その姿、まさに規格外の豪傑。

これは、この人には日本のロックシーンは狭すぎただろうな、と思わせる破格の存在感だった。

Anthemに短期間しか所属しなかったのも、規格外の彼にとって、窮屈だったからなんだろうね。

そしてお話してみると、純粋に無邪気で傷付きやすいキャラクターを感じさせる、本当に格好いいロックアーティストでした。

自分らの音源を渡してしまったけれど、
未発表のGod Rocksなんだけど、
あれに入ってる、Departureっていうちょっとしたギターインストの小品、
あれは中間さんがAnthem時代に唯一残したA.D.D.っていう曲をちょっと意識してる所があるんだ。
まさかご本人に渡すことが出来るとは、
予想外のびっくりです。

さてAbove Da World主催のG-1、
Kizzy氏が主催の舵を取ることになり、
色々と発展が見込まれる展開になってきて居ます。

Killer Guitarsの協賛、
そして世界展開!?

なんだか目が離せません。

こちら

No(557)

■…2010年 3月19日 (Sat)…….技術と人
遠征も終わってこのタイミングと思い
髪を切ったんですが、

私は偏屈な所があり髪を他人に触らせることを非常に嫌います。

髪質が結構手強いことや少し独特なスタイルを好むことがあり、

他人に切ってもらうと十中八九望むようにならないため、

またいわゆる美容室といった場所も毛嫌いしており、
もちろんそういったお店を利用したことも多々ありますが、
丁寧にそれなりの仕事をしていただいた事もありますが、

大概の場合、嫌な気持ちになってお店を後にする事が多いのです。

これは私自身の性格の問題もある事を否定しませんが、

そういった事もあり普段僕は出来る部分については自分で切るようにしていて、
床屋さんや美容師さんに切ってもらうのは最小限に年に本当に一度か二度という状況がここ何年か続いています。

しかしそんな僕でも、この人は腕がいいなと思った事がありました。

理容業界も低価格化など競争が厳しい昨今、
そうした人達も生きにくいとは思うのですが、

何年か前、豊島区某所の普通の床屋さんで切ってもらったとき、
切ってくれたのはたぶんすごいベテランであろうおばあちゃんでした。

どういうふうに切ってくれ、
というのを一言二言しか伝えていないのに、
どういうわけでどうしてわかるのか、
その方は僕の注文どおり、細かいところまで、むしろ注文以上に望みどおりに仕上げてくれました。
しかも無造作に、さも当然のようにさくっと。

経験の賜物なのか、技術なのか、
僕は、職業技術、技術というものは極めればこんな領域まで達するんだ、一目見てお客の希望がわかってしまうくらいになる事が可能なんだと思いびっくりして感銘を受けました。

先日切ってもらった理容師さんもそういう方でした。

いかにも接客やコミュニケーションに問題がありそうな恐る恐るどもって話すような感じの男性の方でしたが、
何をどうやってわかるのか、注文を二言三言伝えただけでさくっと作業を進めてしまい完璧に望みどおりにしてくれました。
何も言っていないのに、細かいところまで。

流行りの髪型とか一般的などうこうでなくちゃんと僕のニーズを見抜いてくれました。

これってかなり凄い事と思います。

低価格競争が激しい業界の中、
こういう本物の技術を持った方が、
生かされる場というのが、
あまり無いかもしれませんが、

こういった方に切っていただけるのであれば、
もっと対価を払ってもいいと個人的に思います。

現状ではなかなかそういう状況や機会が無いと思うのですが。

願くばこういう時代に生きていく中で、少しでもこうした本物の技術を持った人達と出会い縁を持っていけたらと思うのです。

No(558)

■…2010年 3月19日 (Sat)…….btbアルバムレビュー「無題 NO ALBUM」
鋭いエッジを持った芸術家、吉村秀樹が帰ってきた。

ブッチャーズは一枚も駄作なんて作っちゃいない。

田淵ひさ子加入後のシカクになってからも、
賛否両論、好みはあれど、いつだって過去の名作に負けない傑作を作り出してきた。

キャッチーに疾走した愛情溢れる”birdy”、
巨大な無限の深みを覗き込む”Banging The Drum”
そして純粋な情熱がきらめく”ギタリストを殺さないで”

しかしハイペースで生み出す中にどこかマンネリに陥りかけていることも確かだった。

2007年の春に”ギタリスト”が出てから実にほぼ3年。

+/-{plus/minus}の来日時に渋谷nestで見かけた吉村さんに僕は実になれなれしく思わず「次のアルバムはいつですか」と呼びかけてしまった。

「来年の春頃には」
そしてその春からさらに一年を必要とした。

結果的にブッチャーズ経由で出会うこととなった+/-{plus/minus}は今では僕にとって地球上でもっとも好きなバンドのひとつだが、
プラマイに出会ってからは、ブッチャーズは正直、プラマイと比べると、あらゆる面で2段くらいプラマイの方が上に思えた。

ひょっとしたらプラマイの新作に刺激された部分もあるかもしれない。
「僕達の疾走」には、プラマイの前作の曲である”Unsung”という言葉が出てくる。

しかし今回のブッチャーズの新しいアルバム「無題 – NO ALBUM」は、
そんなプラマイにもまったく劣らない、むしろ勝るくらいの傑作になった。

長年のファンから、わりと新しいファンに至るまで、
今作がブッチャーズの最高傑作であることに異論をはさむ人はあまり居ないんじゃないかと思う。
しかも、ダントツに。
桁違いに。

だからこそ、「1月」を加えて完全版とした”kocorono”とともに、この新作を発表した。

まずジャケットが素晴らしい。
ずるいと思う。
音を聞く前に、ジャケットを見ただけで、もう涙が出てきてしまう。

クレジットによると、深井克美という画家さんの「ランナー」という絵だそうだ。
あまりにも衝撃的な絵で、この絵だけで涙が出てきてしまう。
この深井克美さんという画家さんに言及すると、ネット検索したところ、激しく脱線してしまいそうなので言及しないが、

この「ランナー」の姿に、今回のブッチャーズの音も非常に重なってしまうわけである。

音楽的には、冷静に分析すれば、前作の延長線上に違いない。
前作「ギタリスト」にも、新鮮な情熱を取り戻し、よりストレートな表現を取り戻そうという作風が感じられたが、

今作「No Album」は、あまりにも新鮮だ。あまりにもフレッシュだ。
なぜだろう、何があったのだろう。

ブッチャーズは、もう決して若くない。
シカクになってからは、吉村さんの結婚といった要素もあってか、次第に精神的に安定した志向の音になっていったということもある。

日本のロックの歴史の中でも、すでに一定の評価を確立しているバンドであり、
いってみれば、いつもう、ロックなんていう大変なものをすててしまってもおかしくないと思うんだ。

やめる理由なんていくらでもあると思う。
また、バンドの方向からしても、より安定志向や、もっとうまい歩き方がいくらでもあるだろう。

だが、ブッチャーズは、この年齢になっても、走ることをやめない。
追いかけることをやめない。

その勇気に、その情熱に、僕は打たれ、
その勇気こそが、このアルバムのメロディに、かつてない新鮮さを運んできているのだ。

この新鮮さのカギはメロディだと思う。
いつものブッチャーズのメロディではあるが、
あまりにも大胆だ。あまりにも勇気ある大胆なメロディだ。

吉村氏自身、3年というかつてないインターバルの中で、
クリエイターとして悩む部分があったのではないかと思う。

そしてその解答が、この大胆で勇気あるメロディだ。
僕はいっぱいの拍手を送りたい。

走ることをやめないランナーの姿は、言葉にすることができないくらい、美しく、偉大だ。

この作品を、世の中でがんばっているすべてのランナーの人に贈りたいと本当に思う。
日々を自分自身に向き合い、決してあきらめないすべてのランナーに。

日本のロックのすべてはブッチャーズにある、
僕は本当にそう思う。

それが言いすぎだというならば、

日本のロックのもっとも美しいものはブッチャーズにある。

これだけは異論を挟ませない。

今回、ギターのリードパートが素晴らしい。
ギター弾きのはしくれとしては、これは嬉しいことで、今までのブッチャーズの作品の中で、いちばんギターソロというかリードのパートがたくさん入ってるんじゃないかと思う。
感情そのままの叫びのようなこのギターの表現力は本当に凄い。
鋭い筋肉質な音でナナメに空間を切り裂くのが、ひさ子さんのギターで、
平べったいおおらかな音で空間そのものをおおきく一刀両断にしているのが吉村さんのギターだ。

まだそんなに聞き込んでいないけれど、
個人的に好きな曲は、
「僕達の疾走」「black out」「curve」あたりかな。

以下、Oceanという曲。
ファーストシングルみたいな扱いになっているけれど、
むしろ、アルバムの中ではこの曲が、僕はいちばん出来がわるいんじゃないかと思うくらいだ。

こちら

No(559)

■…2010年 3月23日 (Wed)…….数日ぶんの記録
覚えてる限りで数日の記録。

土曜日。

バンドのリハ。
僕は最終兵器とも呼べる一本の秘蔵のギターを持ち出した。
エボニー指板のやつだ。
サウンドもプレイヤビリティも申し分なかったが、
手元のボリュームと落としたときにトーンが激しく削れてしまう点が不都合だった。
いろいろ方法はあると思うが、僕の手持ちの他のギターではこの現象は起こらないものが多い。
その後配線をいじって勉強してみたが、解決につながらず。
些細なことだけれど地元のリペアショップに持っていくことになるだろう。
ヴォーカルの調子は、レコーディングと遠征が終わって、プレッシャーから解放されたとたんに、いきなり調子がよくなった。
もう、って感じ。
(自分の曲を歌う限りの話ね。コピバンで歌えるかはまた別。)

日曜日
教会へ。
うちは少人数のジプシー教会なので、場所がなかなか定まらないという問題もある。
実は人の入れ替わりもやっぱりたくさんあるようだ。
牧師さんへの批判も聞いたことがある。半分は的を射ているしわからないでもない。
しかし現在牧師さんとマンスリーライヴを企画している。
このプランは走り出すだろう。
良いチャンネルになるといいと思う。

月曜日
K夫妻とやっているStryperコピーバンドの練習。
あいかわらず歌はへたっぴだが、
コーヒー飲んでその気になればたぶん歌えるので問題なしと思っている。
それよりも弾きながら歌うにはやっぱり慣れと練習が必要で、
ていうかまず歌詞を覚えないといけないし、
宿題をさっさとやるのが先決である。

ちなみにライヴ日程が決まっている。告知しなくちゃ。

2010/5/16(日)高円寺MISSIONs
   「悶絶の叫び」vol  
OPEN 16:30 / START 17:00
前売りチケット1800円  当日チケット2000円(DRINK別 500円)
こちら

だそうです。
Stryperコピーバンド、チャトライパーで出ます。
よろしくー。

先日、ひさしぶりに米持師匠のところへ遊びに行った。
G-1の打ち合わせの付き添いである。

いろいろまた面白い話が聞けたけれど、

そういえば僕は自分のメインのVのうちのひとつに、
最近Caparisonのピックアップを載せていて、
すっごい倍音がガッシリとのってかつすごいパワーで、なおかつボリュームを下げるとクリーンも非常にキレイということで、申し分なく間違いなく今まで使った最高のピックアップのひとつで、
先日の遠征もこのギターを持っていって大活躍してくれたのだけれど、

米持師匠に聞くと、
「PH-Rだろ。それって別名Tak Yonemochiモデルと言ってな。俺が開発したんだ。」

というきれいなオチが着きました。

米持師匠の長年のお気に入りのピックアップがJacksonのJ-80だって知っているし、
僕は14歳のときに手にした最初のギターにそのJ-80が着いていたこともあり、そのサウンドはよく知っていて、やはりとても好きなピックアップだ。

今でももうひとつのVにはやはりそのJ-80を載せているくらいだ。
粘りとコシのあるサウンド、まとまりのある倍音はタイトなメタルサウンドにはもってこいだろう。

Caparisonのピックアップはきっとその延長線上だろうと思い導入したのだけれど、
見事に米持師匠の後を追っかけただけだったという笑い話でした。

ところで今実家にいる妹がいろいろと大変なようだ。
私の実家が昔から長年抱えてきた問題にここへ来て妹は根本から立ち向かっている。
いろんな大変なことによく逃げずにしっかりと向き合っていると思う。

今日来ていたメールにも「神様なんてきらいだ」と書いてあった。
しかし以前と違って、問題に向き合い立ち向かう中で言う「神様なんてきらいだ」という言葉には、違うニュアンスが含まれていると僕は思う。

兄弟姉妹の皆様、
彼女の前途に希望と幸福がきっとあるように、祈っていて欲しい。
そして彼女が素直に神様に感謝の言葉が言える日が来るように、本当に祈りたい。

そしてどうでもいいことだけれど、
6、7年ぶりくらいに財布を買い換えた。

そんなに高いもんじゃないけれど。
気分の問題。

10年くらい使えるといいんだけどね。

以上for now.

No(560)

■…2010年 3月26日 (Sat)…….眼科とラジオ
さて、二日ほど前から目に違和感を感じまして、
今日は白旗を揚げて眼科に行ってきました。

原因となっていた異物は取り除いてもらった、はずなんですが、
まだ軽くへんな感じがします。

なおってくれるといいんですが。
なんでも、デスメ膜(なんちゅう名前)なるものに、しわがよっているらしく、
そのせいで、
今、左目に白い神々しいエフェクトがかかっていまして、
このままでは僕の左目は神が見えるようになってしまうかもしれません。

そして東京ネットラジオ、感動の(?)最終回がアップされました。
いつまでアップされてるかわかんないので、
今すぐ、ぜひ聞いてね。

こちら

写真もおとこまえに写ってます(笑) (mixi only)

さて、4月以降も、メディア作戦、予定しています。
ゲストをお呼びして、クリスチャンシーンを盛り上げるものを。

乞うゴキ隊。
ご期待。

No(561)

■…2010年 3月27日 (Sun)…….デス目たるリペア
さて、火曜日の朝くらいから左目に違和感を感じ、
先日眼科に行ってきまして、
どうやらまぶたの裏に異物(おそらく結石だろうとのこと)があり、
それが原因だったというわけで、

とりあえず、そのデスメタルじゃなくてデスメ膜の症状も、
少しずつ回復してきているようですToneでございます。

しかし左目が見えないというだけで、ずいぶんやはり生活が不便になりました。
左目をかばう必要があるということは、右目もそれだけ疲れるわけで、
デイジョブでコンピュータを眺めていることが、あまりできなくて、
ほとんど仕事にならない状態でありました。

そんなわけでmixiもメールもtwitterもあまり出来ない状態でしたが。
iPhoneなんて余計目に負担かけるから無理だし。

しかしひとまず回復に向かっているようです。

目医者さんには的確に処置をしていただいて本当に感謝です。

しかしその原因になっていた小さな異物を見て、
人間の命とか健康なんて、
本当にちょっとしたことで崩れてしまうものだなと思いました。

それこそ、神さんがちょっとその気になれば、ちょっと血栓、とか、ちょっと発作、とかね、
人間を殺すことなんて簡単なわけです。

つくづく僕らは奇跡的なバランスの上に生きてるんだな、というのか、
なんだかそんなことを思いました。

さてそんな折ですが、
先日ギターのリペアショップに行ってきました。

先日持ち出した秘蔵ギターが、実戦で使ったところ、
手元のノブでボリュームを下げると、
高域がこもってしまい、クリーントーンがきれいに出ないという問題があり、
これは現在自分のバンドで手元のボリュームを頻繁に使うので、
僕の用途だと実戦に向かないので、
なんとかしたいと配線を見たりしてたんですが、

いかんせん知識がないのでどうにもわからず、

また、これは以前も経験あるんですが、
フロント(ネック)とリア(ブリッジ)のピックアップの音が微妙に混ざってしまう現象があり、
それもどうにかしたいと思い、

結局自分で調べてわからなかったので、素直にリペア店に持ち込むことにしました。

地元というか横浜近辺だと、存在を知っているリペア屋さんがふたつありましたが、
先に電話に出てくれた方に行きまして、

有名な(たぶん)桜木町のFlamesさんに行ってきました。

結果、
ボリュームノブは、
AカーブをBカーブのタイプに変えることで
(しかし、「いくらAカーブでもこれは極端だ」と言ってましたが)

そしてフロントとリアの音が混じる現象に関しては、
センターの位置で音が切れないための配線になっていたということで、
ボリュームポットの配線を基本の左から入って真ん中から出る、というパターンに戻すことで、
あっけなく解決しました。

しかしボリュームポットも少し品質の良いものに交換してもらいました。
次回のスタジオが楽しみです。

少し勉強になりました。
次回は同じことがあっても、自分で直すことができると思います。

目の病気であれギターの配線であれ、
やはり専門家に見てもらうのはとても頼りになりありがたいものです。
どちらも的確に処置してもらったことが祝福です。

しかしギターの構造よりもたぶん人体のが複雑ですね。
お医者さんにわかることもすべてではありません。

健康のありがたみをまた実感するとともに、
クリスチャン的に言えば神さんにより頼むこと、
日々、いろんなものに感謝したいと、思いました。

あとは実家でいろいろ妹が苦労してるんですが、
神様の手にゆだねられたみたいで、
良い方向に向かっているようです。
感謝!

No(562)

■…2010年 3月30日 (Wed)…….ヒット完璧
Orianthiの”According To You”という曲をコピバンで急遽演奏することになったため、
何度か聴いている。

好きか嫌いかでいえば好きな曲だし、
良いか悪いかでいえば良い曲だ。

メジャー作品のヒット曲だから当たり前の話であるけれど、
とても秀逸なアレンジが施されている。

普段、ストレートなバンドのCDばかり聴いていると、
こういうヒット性のアレンジに違和感を覚えるのも事実で、
そういう意味ではこの曲はロックではなくてポップの範疇で語るべき曲なんだろう。

コンパクトな曲構成に、リスナーをひきつけるアレンジが効果的に詰め込まれているけれど、
逆に言えばこの曲は、ライヴでバンドで演奏するような構成には出来ていない。

また、この曲や詞をオリアンティ本人が書いたかどうかは知らないが、
女の子がうらやましがるような思わせぶりな歌詞、
(モテモテ三角関係を描いているように聞こえる)

そして、今時むしろ珍しいくらいのわかりやすいサクセスストーリーを描いたビデオクリップ。
(1番Aメロでベッドルームで一人でギターを爪弾き、サビでは元気のいい男の子たちとパーティー演奏、2番ではライヴハウスで演奏、3番ではアリーナで演奏している、などなど突っ込みどころ満載)

そう思うと、世の中においてヒット曲を作るということが、どういうことか、と思わせる。

僕自身、サシャ氏に、Karma Flowerという曲を、もともとの和風ロックから、西海岸パンクに大幅に形を変えられた経験があるけれど、

みんなKarma Flowerは凄いって言ってくれるけれど、

本当のところ、あまり気持ちのいいものではなかった。
あれは本当は悲しみとはかなさを歌う曲であって、あんな元気のいいメジャー感のある曲にすべきじゃない。

そういうこともあってライヴでも実は演奏しづらいところがあったりする。

(あ、そうか、これからはより悲しみを歌うようにすればいいんだ)

メジャーとか大きな舞台で活躍することは素晴らしいことだけれど、
誰にでもできることではないし、ふさわしい人がやることだけれど、

自分はそういう舞台に縁が無いことを、ありがたく思うべきではないかと、最近とみにそう思う。

米持師匠に、今度作った”God Rocks”のダメ出しをいろいろと聞かされていたんだけれど、

どちらにせよ僕の作品や、僕の音楽も最初っから完璧じゃあない。

神様が与えてくれた楽曲は完璧であったとしても、
それを演じる僕自身が完璧からはほど遠い。

自分のヴォーカルの不完全さは、最初っから前提にあるし、
それでも自分で歌わなくてはいけないという運命にある。

もっと自分がいろんな面を含め、出来のいい存在だったら、と、曲を与えてくれる神様に申し訳なく思うことも多い。
ていうかいつもそう思っている。

でも、とくにここ何年かは、振り返って考えたりして、
完璧でないことは、実は感謝すべきことなのかもしれない、と思うようになってきた。

完璧でないからこそ、
世間のいろんなことに巻き込まれず、
じっくりと自分の道を歩いていくことができる。

たとえば
(とても笑える話だけれど)
僕がものすごくルックスがよくて、
歌もものすごくうまくて、
人間的な魅力がもっとあって、

とか、そんなだったら、
きっとこんなふうには、
自分のロックを追及していくことは、できなかっただろう。

そして、それを越えるところで、伝えることのできる、一瞬の愛情、
たとえわずかな人にであっても、たとえ限られた時間であっても、
自分の手で伝えられる愛情、
を、
伝えることは、きっとかなわなかっただろう。

もし、自分が、目指しているゴールがあって、それがとても遠いところにあるのなら。
完璧でないということは、とても感謝すべき、ありがたいことなのじゃないかと、
最近、そう思うんだ。

完璧なものを作ってしまったのなら、
きっと遠くまでは、歩いてはいけないだろうから。

クリスチャン的にも、
キリスト者は、この世に属さないなんて言うけれど、

神を求める者としても、
この世において完璧を求めるというのは、

いけないことなんじゃないかと、
なんだかそう思います。

完璧なんていうものがあり得るのは、神さんだけだからねえ。

さてOrianthiですが、
2曲しか聴いてないから、なんともいえないけれど。

マイケル・ジャクソンの映画で一目見たときから、
実はそんなに上手いギタリストじゃないなあ、と思っています。

もちろん、自分の音も、自分の歌も持っている素晴らしいギタリストだけれど、

ギターヒーローとして売り出すには、少し無理があるんじゃないかと思う。

そして、ポップアイドルのような立ち位置で、売り出しているようだけれど、

実はポップアイドルとして売るには、それほど美人じゃないような気もしている。

もちろん、これだけ若くてかわいい女の子が、本格的なギターを弾くということは、
素晴らしく歓迎すべきことだし、

まだ若いから、これからギタリストとしてももっと成長するだろうけれど、

それに、現代において、
マイケル・ジャクソン最後のギタリストという肩書きと名声が、
どれだけ価値のあるものか、わかっているつもりだけれど。

実は結構中途半端な立ち位置にいるオリアンティちゃんの、
今後の歩き方が、それなりに興味深かったりします。

部屋に師匠である(?)スティーヴ・ヴァイのポスターが貼ってあったり、
イケメンな男の子たちとバンド演奏したり、
3番にいくまでにもうアリーナバンドまで上り詰めたり、
いろいろと細かいところまで面白い”According To You”のビデオを
貼っておきます。

でもやっぱ若い女の子の心を絶妙にくすぐる歌詞がいちばん秀逸かなあ。

こちら

No(563)

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