2010年8月の日記

■…2010年 8月 1日 (Mon)…….Starfield “The Saving One”
結構精神的につらかったりもした、
今年の上半期の遠征後、なにげによく聞いていた一枚を紹介したい。

カナダのクリスチャンロックバンド、
Starfieldの4枚目のアルバム、”The Saving One”だ。

このバンドについては、何度も日記で書いているし、
特に2ndにあたる”Beauty In The Broken”が素晴らしい出来だったので、
マイミクさんにもおすすめした記憶がある。

だから、春頃に出ていたこの4thについても、
すぐに書きたかったけれど、
わりと、インパクトの薄い作品だったこともあって、
ここまで書くのをお預けにしていた。

2年半くらい前にクリスチャンになってからこっち、
音楽でも、CCM、現代クリスチャンロック、を、
いくつも聞いてきたけど、

結構飽きてきた(笑)

CCMのアーティストは、
いわゆる、クリスチャンの大手レーベルから出ていて、
Dove Awardなんかをもらって、
アメリカの教会でワーシップ曲として演奏されるような、
そういうCCMのアーティストは、

わりと白人中心だったり、
カントリーの色が強かったり、
(ブラックのゴスペルは、また別になっている気がする)

あと、やはりその狭い業界での管理された商売の形が、
結構見えてしまったりと、

それから、やはり音楽的に、この行き詰った2000/2010年代の音楽産業の限界、売れ線定番のプロダクションみたいのに、

僕はだんだんと嫌気が差してきてはいる。

今年は結構ヘヴィなのを試そうと思って、
昨年から嫁さんが聞いていたWar Of Agesとか、
これは僕はかなり気に入ったDemon Hunter、
日本でも人気のあるAs I Lay Dying、
それから最近聞いてみたREDとか、
まあその他ネットでもいろいろSkilletとかMaeとか聞いてみてはいるんだけど。

それらも書きたいけどね。
David Crowder Bandについては既に以前書いたと思うけれど。
アメリカには特にクリスチャンのバンドはたっくさんあってキリがない。
でも定番となっているバンドは、大手のクリスチャンレーベルから出ている限られたバンドたちだけだ。その全体像が見えた瞬間に、僕はもう結構、興味が冷めてしまったところがある。

それでも、いくつかのバンドは、それでも結構、好きなのは、
CCMのアーティストの特徴として、やはりとても、純真な心で音楽を作っているという、そういう部分を感じるからだ。
そして僕はこれからもいくつかの、その気に入ったCCMのバンドを応援するだろう。

このStarfieldは、その純粋な思いで音楽に向き合っているという、
その信仰の純粋さが、音から感じ取れて、
とても気に入っているCCMバンドだ。

音楽的には、必ずしも、変わった部分はなく、基本に忠実に、よくあるコード進行で、よくあるビートで、良いメロディの曲を作っているだけなんだけれど、
そのクオリティの高さと、信仰のまごころが、はんぱではないんだと思う。

この、今年の春に出た新作、
“The Saving One”なんだけれど、

一聴した感じでは、今までの作品と比べて、ちょっと地味な印象だった。

ただ、サウンドプロダクションは、今までに増して洗練されていて、聞き心地は良いし、

いつものStarfieldらしい、クオリティの高さ、安定した品質といった感じで、そのあたりは、期待を裏切られることはない。

ただ、決定的な曲というか、僕が聞いた前2作”Beauty In The Broken”, “I Will Go”にあったような、強力なキラーチューンが、あまり見当たらないように思った。

何度も聞き込んだ今でも、決定的なフックを持つ、一度聞いただけで忘れられずにくちずさんでしまうような曲は、無いというか、せいぜい1曲目の”The Saving One”くらいかなあ、といった感じで、やはり、これ、という曲が無いのだ。

ただ、この数ヶ月間、
僕が、いろんなことで、精神的に、ちょっと参っていたような時期に、
iPhoneの中に入っていた音楽の中で、
いちばん頻繁に再生して聞いて中のひとつが、この”The Saving One”だったのは事実なのだ。

決定的なキラーチューンは無いかもしれないんだけれど、
このアルバムは、すごく優しいサウンドの、優しい曲が多い。

要するに、アルバムとして、癒しの効果が、すごく高いのだ。

ノリノリで一緒に歌いたくなるような曲はないかもしれないけれど、
つらいとき、くるしいとき、
このアルバムは、自然によりそってくれる。

その本領は、アルバム中盤の、
No Other Savior
Something To Say
Absolutely
というバラード3連発だろう。
序盤の流れも、確実に迷う心に寄り添い、
癒しと励ましを連れてくるのだが、
このバラード3連発が、このアルバムの特徴とカラーを大きく決定付けている。
そして、終盤はどちらかというと元気の出るサウンドで聞くものを励ますような曲になっている。

これは、透き通ったサウンドで洗練されたプロダクションの勝利でもあるだろうし、
あるいはヒットよりも、リスナーの心を救うことを優先したStarfieldのメロディのやさしさの結果でもあるだろう。

というわけで、癒しが必要な人、
精神的にやすらぎが必要な人、
人生に迷っている人、
などには、軽くパーフェクトにおすすめしたい。

The Saving One
こちら

Something To Say
こちら

さて、他のバンドについても書きたいところなんだけど!!

No(668)

■…2010年 8月 1日 (Mon)…….notice
8月はたぶん帰省しませんー
って誰に言ってるんだ。
メモです。

No(669)

■…2010年 8月 1日 (Mon)…….Stryper heading Down Under
Stryperのオーストラリアツアーを記念して作られたっぽいビデオ。

こちら

バンドの魅力をうまく伝えている。

そしてクリスチャンヘヴィメタルが出てきた当時の衝撃もよく伝えています。

ていうか、この人、誰?コメディアン?

Stryperは、出演の噂というか、一部で報道されていたLoudparkが結局キャンセルになってしまい、
来日はこれでほぼ絶望的になってしまいました。

かえすがえす悔やまれます。

もはや日本は、主要アーティストが来ない国になってしまったのか。

No(670)

■…2010年 8月 3日 (Wed)…….自分メモ
僕は自分の中の傲慢な部分を恥ずかしげもなく晒しちゃってるタイプの人間ですが、
in my opinion人間がどれだけ傲慢になろうとしても神様からしてみればかわいいもんだと思います。
たとえ地球まるごと自分のものだって言い張ったって宇宙の中の塵のようなものだし、
どんな大悪人でも100年もすれば死んじゃいますしね。
その意味では少々バランスが悪くても大丈夫かなと思っているんですが、
とはいえ、自分に合ったバランスが自然に見つかっていくといいですね。

No(671)

■…2010年 8月 4日 (Thu)…….Van Halen教/狂/凶
神が死なないようにロックも決して死なない。

ただ人がロックに耳を傾けなくなるだけだ。

The BeatlesもJimi Hendrixもサザンオールスターズも
神様からの贈り物だったとするならば、
人々はいつから神様のメッセージに耳を傾けなくなったのか。

僕は一応キリスト教徒だが、
ロックファンとしての立場からいえば完全にVan Halen教だ。

エディ・ヴァン・ヘイレンという神からの最大級の贈り物/媒体を支持、観察してきた立場からすれば。

ロックファンは少なくとも1995年の”Balance”以降、エディ・ヴァン・ヘイレンという男を理解していない。

(もっともその後に正式に発表された彼の作品は、96年のベスト盤の新曲2曲、賛否両論のVan Halen3、2004年のベスト盤の新曲3曲、その他、数少ないものであるが)

90年代はロックにとっていろんな意味で苦しい時代であったが、
本来は実りある未来を指し示すまたとない重要な機会であり時代であった。

商業主義とハイプ主義に根っこから染まった音楽業界と人間界は、
ロックを自分たちのものだと思い込み、
少なくともその90年代のある時点以降、

ロックに潜む神からのメッセージにまったく耳を傾けていない。

人々が神からのメッセージに耳を傾けようとしない時代。

近年のエディ・ヴァン・ヘイレンが、インタビューや行動からうかがう限りでは、
まったく世を儚み厭世の男になっているのはそうした理由かもしれない。

続く。

(続きません)

No(672)

■…2010年 8月 7日 (Sun)…….賭け事イリュージョン
昨晩は阿佐ヶ谷に行ってきた。

七夕祭りを訪れるためだ。

商店街を使って行われるこの阿佐ヶ谷の七夕祭り、なんだけれど、

嫁さんと一緒に毎年訪れている。

今年で、もう9度目だ。9年連続で訪れている。

毎年これも書いている気がするけれど、
僕らは七夕がきっかけで仲良くなった。

彼女が部室の短冊に書いた願い事がきっかけで仲良くなったのだ。

まだ高校生だった頃だ。

という話。

そういうわけで、なんだか毎年訪れることが恒例になっている。

商店街に展示されているハリボテアートだが、
twitterの”fail whale”があったので写真を撮った。
もちろん、その場でtweetした。

きっとたくさんの人が写真を撮ってtweetしたんだろうと思う。

これは効果的なPRだったかもしれない。

そういえば失業中の身を生かして、
午前中に三田の二郎本店で食べてきた。

本店で食べるのはいつ以来なんだろう。

2年前にやはり失業した際に食べただろうか。あるいはもっと前以来だろうか。
あまり覚えていない。

これで最後かなと思いながらいつも行く。

この10年のあいだに二郎はずいぶんポピュラーな食べ物になった。
インターネットなどの情報のおかげだろう。

どこの二郎でも並ぶはめになるし、
先日歌舞伎町に行ったら、歌舞伎町ですら並んでいたので本当にびっくりした記憶がある。

うちのジェイクも「二郎なんて化学調味料の味がするだけの邪道な食べ物ですよ」
って言ってるし、僕もそう思うが、

そして以前お店で料理してたときも、オーナーシェフが、「料理として間違ってる」と言っていたが、
僕もそう思うが、

この日本にあって、そうした型破りな、セオリー無視の「ソウルフード」が食べられる機会は、多くないと思う。
また、理屈ではなくて、やはりなんかタマシイにガソリン注入というのか、食べたくなってしまう。

でも、これで最後にしとこうかな、なんて思ったりする。

大の野菜マシマシを完食。
しかし、量というよりも真夏の暑さとの戦いだった。
すごい汗かいた。

また、この熱い時期に二郎というのはいろんな意味でリスキーなことも承知しているが、とりあえず元気だ。

写真。ぶたの脂身はちょっとあれなので食べなかったが。

火曜日にY牧師のレゲエレコーディングに立ち会ってきた。
バッキングコーラスをひたすら録る日だった。

Y牧師と待ち合わせ、登戸のNさんの自宅スタジオへ。

いかにも古い日本の住宅といったたたずまいの一軒屋にこんな外国人の家族が普通に暮らしているのはなんだか新鮮だ。まあいまどきよくあることなのだろうけど。

あっというまに素敵なハーモニーを家族で作り出してしまうNさんの奥さんと娘さんたちに軽く驚嘆。
みんなハモれる、歌えるのはあたりまえだと思っていませんか、
バンドのメンバーが、みなこれくらい歌えてハモれたら、そいでマルチプレイヤーだったら、って、いつも思ってました。
音楽との根本的な距離が。

いろいろ話して見学しておもしろかった。
多少、サジェスチョンとか貢献もできたかもしれない。できてるといいんだけど。

以上。

Jさんに、8月21日のすみだジャズの演奏をお願いしているんだけれど、
どうなるだろうか。

なんかここ数日ちとつかまらないし、彼。

日曜日、礼拝にそのJさんが遊びにきたので、って書いたっけ日記に。

それはいいとして、
教会の皆で花火を見た。

昨年はバンドOのTさんのおうち(正確には違うかな)でお邪魔させてもらい、すばらしく良い場所から花火を見ることができた。感謝。

そしてやはり今年も、Aさんのはからいにより、関内の某所の良い場所からながめることができた。

横浜の夏を堪能といった感じだ。
そして教会の皆と見れたのもとてもプレシャスだった。

写真。

明日はバンド会議だ。日付でいうと今日だ。

いろいろなことを方針を決めなければいけない。

こういうとき、バンドの団結力とか、試される。

それぞれの志や覚悟のほども試される。

先日からずっと、ノートにいろいろと考えたことを書き付けている。

Rくんが貸してくれた本もやっと一章読んでみた。

英語の本を一冊渡されて、「明日までに読んでおいてよ」って、おい、アメリカで育った君は1時間で読めるかもしれないが、
こちとら、「辞書とにらめっこしながら」読むことになるんだよ(笑)
かんべんしてくれ、

と思ったけど。
はい、怠け者なだけです。
興味がありゃ読めるね。

そういうの読んでも、
神様が自分に求めてることがふとわかったりする。

そもそも神様が僕に何を求めてこの世に送り出したのかとか。

The glory of God is man fully alive.
And He wants us to have it to the full.

何に対してfullであれといえばそれはそうさ。

だから、かんたんなことなんだ、
他のことは考えることはないんだよ。

教会を作るとか、
ヘヴィメタル教会を作るとか、

成功するとか名が知れるとか、
友達つくるとか、
歴史がどうとか、
あーだこーだ、

ぜんぶ、どうでもいいんだ。

僕にとっての「人類救済」は。

その一点だけで実現するんだ。

最後まで、faithfulでいられるか。

方法は問わない。
与えられたケンイもよく知っている。

これは僕の戦い。
あくまちゃんに勝つか、
賭けに勝って神さんに勝ち点をプレゼントしてあげられるかどうかの。

知ってるよ。
すべてはイリュージョン。

知ってるさ、最初っから。

こちら

ときにさっきからfacebookで、日本に住みたい(おそらくは、日本人と結婚して)というフィリピンの女の子からfacebookのチャット機能でメッセージが来るんですが、
そんなんでいいのか君の人生、と説教しつつも、足蹴にできないんですが、
誰か嫁不足の農村とか知りませんかね?
冗談だけどね。
介護業界とかどうなんだろう。人材輸入。うまくいってないってニュース読んだ気がするなあ。

No(673)

■…2010年 8月 7日 (Sun)…….秘訣face
「○○家」と名乗っていくために、

いちばん大切なこと、

それは、面の皮だということがわかった。

たとえばいやしくも「芸術家」なんて名乗るやつは、
例外なくろくでもない人間に違いない。

便器を置いただけの展示を芸術だと言い張るような、
自分がいちばん偉いんだと豪語してはばからない連中だ。

そりゃ僕だって、
小さいときから、”School Of Saviors”で、
さんざん聞いてはいる。

政治家にせよ、スポーツ選手にせよ、
社長さんにせよ、
強くあれ、
強くしたたかであれ、
と。

そうでなくてはやっていけない。

でも、それが、どんな種類の強さなのか、それまではわからなかった。

今になってそれがやっとわかってきた気がする。
気がつけば僕の面の皮も、ずいぶんと厚くなっていたものだ。
あるいは気がつかなかっただけで、最初から、そうだったのか。
おおいやだ。
あれもこれも、すべてはそのなせるわざだったとは。

晴れて僕も、ロクデナシの仲間入りというわけだ。

No(674)

■…2010年 8月 8日 (Mon)…….長期プラン、それは思い
昨晩は懸案になっていたバンドミーティング。

ひさびさに嫁さんを含めた4人で飲みながら話した。

ビザの件、長期プラン、中期プラン、
なにができて、なにができないのか。

今、自分がやってきたこのバンドの、ふりかえって、
今とても良い状態になっている。
2度の海外ツアーを経験し、団結、チームワークも固まっている。
演奏は完璧とは言わないが、それぞれが役割をきちんと果たしている。

だが、その状態がいつまでも続くとは限らない。
バンドというのは、そのときがくればあっけなく分解してしまうものだ。

という前提で、いろいろとぶっちゃけて話したんだけれど、
実際はそれほど多くの言葉は必要なかった。

事前に状況分析、深層分析、あらゆるオプションを、
ノート一冊使って掘り下げていた僕の努力はなんだったんだという感じだけれど(笑)

多くの場合、どんな会議でも会話でもやりとりでも戦いでも、
ものごとの前提というのは始まる前にすでに決まっていて、
それによって結果はほぼ決まる。

多くを語る必要がなかったこのミーティングで、
僕は、現在のこのバンドの状態が良いことに、軽く感激した。
そしてとても、とーてーもー感謝した。

それぞれのバンドに対する思いを聞くにつけ軽く感銘した。

そして、案外と皆、冷静だった。
ようするにいくつかある選択肢の中から、
どれが可能で、どれが不可能で、どれをやる気があるか、
その状況と意思決定をしたかっただけの会議だが、

もっとも過激なプランAではなく
(僕個人は、プランAが結構やりたいのだが・笑)

無理なく次のステップといえるプランBが
バンドのファーストチョイスとして選択された。

プランBは、かいつまんでいうと、
ひとまずもう一度ノービザ渡航でもって、より規模の大きな旅をしようというものだ。

そして、そこから、プランCないし、プランA、(場合によってはプランD)へ移行しようということになった。

実際は、どこかのタイミングでプランAを仕掛けなければいけない可能性も高いし、
向こうとのやりとりの如何によっては、まだここからいきなりプランAを発動する可能性もあるが、

ひとまずの選択肢としてプランBから取り掛かるというのは、悪くないチョイスだ。

そして、そこからうまくプランCに移行することができれば、
あるいはひとつ、理想的な状態ができあがる。

皆の、うちの嫁さんもだけれど、
はっしーとジェイクの、現在のバンドのメンバーの、
冷静さ、熱さ、思い、良い意味での覚悟、など、

短期決戦であっても、またより長期にわたってのたたかいも、
やっていけると感じた。

このバンドはいけるかもしれない。

この状態を作り出したのは、
別に僕があれこれやったわけではない。
皆のそれぞれ歩いてきた過程や思い、

そしてもちろん、信仰というテーマがあることも少なからずあるだろう。

この現在与えられたものに、
メンバーに、バンドに、それぞれの思いに、環境に、
ほんっとーーに、心から感謝したい。

いつになくそう思った夜でございました。
神さんありがとう。

とにかく。
現実的な、中期プラン、
そして、長期の見通しが立った。

このバンドはいけるかもしれない。

今日は礼拝の後、写真撮影です。

No(675)

■…2010年 8月 9日 (Tue)…….撮影フォトメタル
日曜日、礼拝の後、スタジオのダンスフロアを利用して写真撮影を行った。

バンドのいわゆるアーティストプロフィール写真的な撮影だ。

これをやるのはほぼ2年ぶりというか1年9ヶ月ぶりというか、
ジェイクが加入してすぐにやって、それ以来だ。

それ以来アップデートしていなかったので、
今の音楽性やバンドのキャラクターに合ったものを、
(やっと)撮影できたと思う。

撮影は、前回は教会関係で写真を勉強しているMさんにお願いしたが、
今回は教会関係で「写真で食っている」Fさんにお願いした。

なんという人材の豊富な教会関係。ありがたやサンキュージーザス。

問題は僕はスパニッシュと日本語が適度に混じったFさんの英語は教会でもいちばんわかんないということだ(笑)

素晴らしい写真がいろんなバリエーションでこれでもかというほど撮れたと思う。

きょうび、というか、こうした写真やヴィジュアルの大切さは、いうまでもなくすっごーく大事なことなので、特にインターネットが重要な昨今は、
やっとこれをアップデートできたことに、本当にやっとという思いだ。

そして、レゲエのレコーディングがついに完成に近づいているY牧師の「アーティスト写真」の撮影も一緒に行った。

Y牧師は近くガーナに飛ぶため、急ぎプロフェッショナルな写真が必要だと思い手配した。

しかし本当にY牧師のアーティストとしてのウェブサイトやマイスペースも遅かれ早かれ必要になるだろう。

半年後にはガーナで本気でスターになっているかもしれない。

今日撮影した写真、
早く完成品を見たいが、
そういうわけでデータは急ぎまずY牧師のところにある(と思う)。

ITリテラシーがあまり高くないY牧師が、「オッオー、ゴメンネ、データ消しちゃったヨ」なんてことにならないといいが(笑)

まあ、Fさんがきっとバックアップを取った上で渡していると思うんだけどね。

土曜日にも会議をしたが、

本質的には、僕一人のライフプロジェクトとして始まっているこのImari Tones、
その気になればいつでもメンバーを変えることもできるし、
いろんな人生のステージにおいて、形を変えようと思えば変えられる。

たとえば、はっしーもジェイクも、決して天才的なプレイヤーというわけではないし、
演奏技術でいえば、これ以上のメンバーもあるいは居るかもしれない。全員外人にしちゃうとかね。

米持師匠が、Air Pavilionのプロジェクトをロサンゼルスに持っていったら、3日で過去最高のバンドになってしまっという話は何度も聞かされている。

だが、バンドのアイデンティティといった面も含め、
これ以上、このプロジェクトに本気でというか自分の事として身をささげて取り組んでくれるメンバーは、現在のはっしーとジェイク以上の人間にはもう出会えないかもしれない。

最初から僕は演奏技術で人材を選ぶことはしなかった。
すべてはバンドのキャラクターとアイデンティティに関わることだ。

そういう意味で、現在のバンドの形を、
僕は決して軽く考えたり、粗末に扱ってはいけないなと感じている。

No(676)

■…2010年 8月12日 (Fri)…….17歳のレクイエム
こちら

こちら

IMARi ToNES “17歳のレクイエム”

文字どおり17歳のときに書いた曲です。

いつも言うんですが、

能無し音楽家としては、

僕は、普段でも、まだまだこれから頑張るよね的なことを、
言われますが、

もういろいろ既に頑張っちゃって人生の弾丸はすでに撃ち尽くしちゃってる人間ですおんがくかとしては。

僕は高校時代にたっくさん曲作りましたが、
そのうちのいくつかは大人になってからバンドでもよく演奏したし、
いまだに演奏している曲がいくつかあるくらいですが、

10代のときにしか書けない曲、
それはやっぱ純粋に自分の人生ないしは青春の音であって、

それは一生に一度しか書けない音ってのがあるわけで、

この「17歳のレクイエム」も、そんな曲のひとつです。

YouTubeのエンコードで、音がひどくなってしまっているが、

僕にしては珍しく普通のスリーコードで作っているシンプルな曲であるが、

それでも、つまりはそういうコードを使うということは、渾身のメロディだってことだと思う。

青臭い未熟なメッセージ性も含めて、それなりにものになっているはずで、

こういう作品を僕は人知れずたっくさん作ってきているわけで、

予定ではとっくにそれなりの地位を築いて、

そして日本はもっと世界に誇れる心のきれいな国になっている予定だったんだけれど、

現実にはそうはならず、

しょうがないので僕は世を儚み、
出家して仏門に帰依、

じゃなくてクリスチャンに帰依しちゃったわけなんですが(笑)

録音は2001年です。
「Entering The New World」と名付けたこの作品が、
愛知の実家の音楽室で作った最後の作品。

その後の音楽仲間の人達からは、
このいっこ前に作った「Kodomo Metal」が評価が高かったけれど、
個人的なメッセージ性や人間性という観点で、
僕は2001年に作ったこの作品のほうが気に入っている。

「Changes!!」や「幸せ育て」なんかは今でもバンドで演奏しているし。

「Good Bye, My Sunshine Town」なんかもバンドで演奏したいといつも思っていたんだけれど、
キーボードとコーラスがいないと再現できないし。

ホームページ経由でBandboxとかで配信してます。
iTunesにはまだ配信してません。
時期がくればいずれ。

写真の画像は作品のジャケットです。
奈良の、東大寺の、南大門って場所。
門のモチーフは、Judas Priestの”Sin After Sin”とか、そういう。

写ってる女の子は当然うちの嫁さん。

この曲は、バンドで演奏していないけど、
メッセージもくさいし。
機会がないし。

はらっち&馬場くん体制のときに一度だけ挑戦してみた。
しかもメタルイベントのときに。
ものすごい不評だった(笑)

だから、先日、子供たちの前でアコースティック演奏したときに、
やってみようと思った。

神様の子供たち。
彼らなら、この曲を捧げるにふさわしい、
受け取ってくれるだけの心があると思った。

昭和な感じを思わせるイントロ、アウトロのギターが。
今度作った「Victory In Christ」(仮タイトルはGod Rocks)にいたるまで今でもそうだけれど、
僕の音の根本はしょせん自分が幼かった頃のノスタルジアなわけで。
そんなノスタルジアを、外人に伝えてどうするよという昨今。

いずれにせよ、こういうの受け取ってくれるリスナーも、悲しいかな、世の中にはあまりいないでしょうね。

僕と伊万里音色にとって、
とても大事な作品です。

No(677)

■…2010年 8月13日 (Sat)…….ぼちぼち

こちら

連投になるんですが、
またも過去曲で、「ぼちぼち」という曲です。

録音は2005年。
バンドが一回、分解しかけて、
その隙にせっかくだからとほぼ一人録音をしていた時期ですね。

今思うと、そのときに制作しておいて本当によかったと思いますが。
すごく大量にぱぱっと作ってしまったし。

うちの嫁さんをボーカルに使って、
いわゆる男女デュエットみたいになっている曲です。

Imari Tonesの楽曲カタログの中で、
こういうデュエットの変化球の曲は、この曲と、もうひとつあります。

バンドで演奏したことはありませんが、
なにかの機会にアコースティックで、嫁さんと一緒に、人前で披露したことが、一度か二度くらいあったような気がします。

僕らは学生時代に、遠距離恋愛の時期があったし、
またこうして一緒に生きていくためにも多少乗り越えるものがありました。

曲が出来たのは、そういった時期に、嫁さんと一緒に居て、夢の中で鳴っていたメロディから作ったと思います。

そして、春に関する曲でもあります。
二人で迎える春の喜びを、ずっと忘れたくないものだと思います。

No(678)

■…2010年 8月14日 (Sun)…….神さん速度
前にも書いたかもしれないけれど、

God is at work.
God is moving.
Moving so fast.

今週もいろいろあったけれど、

心配になったり、不安にいたたまれなくなってしまうのは、
神さんが果たして自分を見てくれているだろうかと思うときだ。
恥ずかしながら、日常のいちいちでそういうことを感じるし、
まあ、根っこでは確信しているとはいえ、
みんな誰でも、そんなふうに日々あたふたしながら生きているだろうと大なり小なり、そう思う。

ねえ、僕のことちゃんと見てくれてる?
と、しきりに聞く子供みたいに、

不安になる、というのは、神さんにそういって聞いちゃうからだ。

そして、それがわかるとまたすぐ安心する。

僕もちょっとしたことでどきどきと不安になることがあるが、
実際は、今、神さんは、全速力で僕の上に動いてくれている。

いや、神さんのスピードだと、もっともっと速く動けるんだろうけれど、
生身の僕の、弱さを考慮して、あんまし速いと僕がついていけないので、
僕が耐えられる最低限のスピードで、動いてくれているのだということがわかる。

だから、「ねえ、もっと速く」と言っているのは、
僕ではなくて、神さんの方だろう。

すんません、遅くて・・・・。

今日は何があったっけ。

そういえば朝、なぜか戦争の夢を見た。
季節柄、そういうタイミングなのか。
興味も関心もないけれど。

なんか日本が戦争に負けるという夢だった。
時代設定とかわかんなかった。
夢の中ではひたすら今だった。

なんか他人事みたいにしていたけれど、
愛国心とかまったくない僕にしてもやっぱりなんだかびみょーなこころもちになっていた。そりゃあね。
怒ってる人が居た。

あとはどんな夢だったのか忘れた。
どんな意味だったのかも知らん。

スーツを着て都内に出かけていた。
僕にはスーツを着るというのは、コスプレに近い感覚がある。
あこがれ、というか、ごっご、というか、娯楽の範疇、それは普段しないからというのもあるけれど、
ちゃんと着こなすことはもうできっこないととっくにわかって余りあるからだ。
なんちゃって社会人。
だから夏の暑い日だけれどちゃんとネクタイしめてコスプレにこだわってみる。

もちろんそのスーツを着て人に会い、用事があったけれど、省略。
でも、歳をとるにつれて、いろんなことは見えるようになってきた。
迷うことは少なくなってきた。

それは、なかなか気分の良いものだ。

僕は今とても傲慢になっている。
たぶん今まで生きてきた中で、いちばん傲慢な状態かもしれない。

しかしその傲慢にせよ、手にしたケンイであれ。
自分を理解することに必要なのであれば、
それは誰にでも必要なものだ。

だから勘弁して欲しい。

こういう良い人たちに、気のいい男たちに迷惑はかけられない。
であれば、オプションも限られるというものだ。

であれば、「男として」、まだやらなければいけないことがある。

そして、そうした男たちの真実に触れるにつけ、
また神さんの気持ちを確認することができる。

いろいろ通じて、神さんの気持ちを確認することができれば。
それで安心し、嬉しくなる。

そんな単純なワタシたち。

さて日曜日には、先週撮った素晴らしい写真のデータをもらえるはずです。

No(679)

■…2010年 8月14日 (Sun)…….To Hell With The Devil
じゃあもし、神様が居なかったとしたら君は違う生き方をするわけ?

いつも思う。

信じることはできる。

でも、神様の存在を本当に証明することなんて、絶対にできやしない。

死ぬまでできない。

それじゃ、誰かが、神が存在しないことを証明したとして、

そしたら君は自分の生き方を変えるのか?

百歩ゆずって、それじゃ神様が居ると仮定してみよう。

じゃあもし、神様が助けてくれないとしたら君は違う生き方をするわけ?

わかんないよ。

神様は、肝心なときには手を貸してくれないかもしれない。

自分の息子が十字架で殺されるときでさえ、見殺しにしたような人だからね。

神様はきっと助けてくれる、なんて、甘いと思う。
そんなの人間の勝手だと思う。

神様はドラえもんと違う。
人間の都合どおりになるわけがない。

じゃあ、神様が、苦しいときに、助けてくれないとして、
そしたら君は自分の生き方を変えるのか?

もしそうであるなら、信仰なんて持たない方がいいと思う。
神がいようが、いまいが、助けてくれようが、関係ない。

そんなんで揺らぐような信仰が、神さんに通じるわけがない。

殺されようが、のたれ死のうが、かまわない、というのが信仰だ。

クリスチャンでなくても、神を信じていなくても、
自分の信条や、生き方のために、死ぬことができる、という人もいる。
その信念が本物であるならば、遅かれ早かれ、それは信仰へとつながると僕は思っている。

愛がひとつであるように、信念もひとつしかない。
神に通じなかったとするならば、それは本物の信念ではなかったということだ。
厳然と神は真実は曲げてくれないそれだけは。

何かが欲しいんじゃない。
別に奇跡や祝福が欲しいんじゃない。

完璧でなかったとしても、過ちだらけだとしても、
自分の身と人生を捧げ物として、
ちょいとでも神さんを喜ばせたい。

いつも言ってるけれど、そのためだったら、地獄に落ちてもかまわない。

(という、お得意のオチです)

No(680)

■…2010年 8月15日 (Mon)…….“I” original version

こちら

性懲りも無く
楽曲の動画連投です。
とりあえずこの夏のアップ計画は完了かなと。

明日、写真もらったらたぶんFaith Riderを上げるけどね。

この”I”という曲について語るならば、

これも僕が高校のとき、高校3年のときに作った曲です。
高校3年の秋です。忘れもしない。

つまりは、このときすでにうちの嫁さんとデートなぞをしておったわけですが、

嫁さんとの関係を恋なんて言葉で言い表していいものかはわかりませんが、

やはり少年としては、恋をしたりすると感性が活発になるものでして、

その後の、高校を卒業するまでに、また、たっくさん曲ができてしまったわけです。
嫁さんとのあれこれをモチーフにした、あるいはインスパイアされた曲たちが。

で、この曲は、その中でも、
嫁さん自身をモチーフというかモデルにして出来た曲なわけです。いうなれば。
初めてデートらしいデートをして、すぐにこの曲が出来た覚えがあります。

イントロのピアノから、歌詞から、
確かに、うちのハニーちゃんには違いないんですが、
おもいっきり美化してます。
ええ、美化してますとも。

うちの嫁さんは、天然の茶髪なんですが、それを「秋の色の髪を」なんて言ってみたりして。

サウンド的には、僕のピアノ趣味を、例のVan HalenのThe Seventh Seal的なサウンドと融合させてみたかったという感じですが、

そうね、実家に居たときには、実家には良いピアノがいくつかあったから、ピアノで曲を書くことがあったのよ。
もう今は、ピアノで曲を書いたりとか、長らくしていないけれど。

しかし、そうはいっても、本当のところ。

もともと、このImari Tonesというバンドは、僕がうちの嫁さんに出会っちゃったところから始まったバンドですからね。

その瞬間の音の記録であるこの曲は、わが伊万里音色にとって、いっちゃん重要でcrucialな意味を持つ曲であることは本当なのです。

まさに、自分の命の音であると思うよ。

そういったこともあってか、米持プロデューサーと組んだときに、米持氏は、IMARi ToNESの大量の楽曲カタログの中から、一番にこの曲をやろうと言った。

ただ、この曲、聴いてのとおりヴォーカルのサビのキーがものすごく高くてね。
自主録音制作したときに、自分のヴォーカルの能力ギリギリで、なんとか処理した。ライヴ演奏でとても歌えるとは思わなかった。(今なら、たぶんなんとかなると思う。相変わらず下手っぴではあるけれど。)

そして、この曲がきっかけで(あとはSilent Heartsとか、初春恋風とかいった曲)、僕は自分のヴォーカル発声の限界を感じて、発声法を変える決意をしたわけよね。

で、米持プロデューサーによる録音は、”Japanese Pop”に収録されるわけだけれども、恥ずかしながらこれがちょくちょく配信で売れちゃったりもしてるわけだけれども、”Japanese Pop”のバージョンは、あまり気に入ってないのです。理由は、前述のとおり、発声法を変えようとしていた時期だったため、ヴォーカルがまったくのスランプ状態で録音したこと、正直、米持プロデューサーとのリレーションシップと相互理解が不十分だったこと、あとは生ピアノでない、などの理由によって。言い訳はすまい、といいつつも、それが言い訳。

とかく、自主制作した、”Color Of Hers”に入っている、
ギリギリの状態で気合で制作したこのバージョンは、自分の極限という意味でも、気合の意味でも、いちばん最上段から振り下ろした作品になるわけです。

奇しくも米持師匠も、自主制作した作品たちの中で、この”Color Of Hers”がベストと言っていたしね。

ギターソロ、テクニック的にはどうってことないかもしれないけれど、すごく気に入っている。自分のすべてがこもってるというくらい。Cranetortoisのペダル2つ連結のこの時期のギターサウンドも、ハードロックではないけれど、オリジナリティという意味では非常に気に入っている。

そんで、ほんとに恥ずかしながら、自分の作品で、初めて弾いてみたスウィープのフレーズが入ってる。知ってのとおり、僕は米持師匠とG-1に出会ってメタル界隈に戻ってくるまで、速弾きやテクニックからは遠ざかっていて興味がなかった。また、自分の音楽世界を旅するのに精一杯で、そういったテクニックに向き合う暇も無かった。

だから、本当に簡単なものだけれど、これが僕の、「初めてのスウィープ」の記録なわけです。

“Color Of Hers”は、ジャケットが、うちの嫁さんの裸の背中を使ってるわけだけれども、ちょっと恥ずかしいので、この動画には使いませんでした。見たい人はホームページ参照で。

No(681)

■…2010年 8月17日 (Wed)…….土曜日ジャズ練習とオート作曲
すみだジャズ用のバンドセッションから帰宅。

教会関係の人達全般に言えることだけれど、
このメンバーの中で、いちばん英語が下手なのも僕ならば、
いちばん音楽理論を知らないのも僕なので、

なんかそういうこともあり、このメンバーとやると、
なんだかどよーん、と、自分のダメさ具合に、軽く自己嫌悪を覚えたりします(笑)

あるいはしょせんは、僕は自分がいつもプリマドンナでないと気がすまない性格なのかもしれないけれど。

演奏メンバーは、いろんな人を誘った結果、PAや機材の関係もあって、弾く楽器がなくなってしまい、当日はマイクを握ることになりそうです。

そして、遠慮なくキーを上げてもらったもんだから、結構ハイトーンでシャウトすることになりそうです、スタンダードゴスペルを(笑)

結果、ジャズでファンクでジャムでシャウトなゴスペル演奏になると思います。

僕らは
21日(土)の、12:30–13:10で、
錦糸町駅前、アルカイーストの近く、
6番の会場、
1F 北斎通り沿いスペース【大平商店横】
にて演奏します。

参考
こちら

さて、今朝、目が覚めると、夢の中で1曲できていました。

こういうことは久しぶりです。

今までに、夢の中で勝手にできちゃった曲といえば、
いくつかはあったけれど、片手で数えられる程度だったと思う。

曲を作る人とか、クリエイターさんなら、経験のある人がいると思うけれど。

先日YouTubeにアップした「ぼちぼち」なんかも、夢の中で勝手に出来た曲だ。

そもそも、今、曲を作る気なんか1ミリも無い。
昨年、”God Rocks”(たぶんタイトルはVictory In Christ)の曲を作って、
わあーもうこれは人生の中で曲は書きつくしたかなーと思って、
年末年始で録音制作して、まだその発表の準備をしてる段階だし。

ほんとに今、曲を作る気なんて1ミリもなかったんですが、
なんか夢の中で勝手にできちゃった。
できちゃったもんは仕方ない。

さっそくデモにまとめてみた。
起きてすぐ、形にまとめたのは、これは素晴らしい曲だ、ってのがすぐにわかったから。
夢の中ではリフが全部ハーモニクスで鳴ってて、さっそく自分のギターでそのハーモニクスを探すことから。え、そんなハーモニクス無いよ、つって。
いずれにせよ、夢の中で鳴っていた音を、ギターの指板上に、あてはめていくわけだ。

でもこの曲だけでも次のツアーを意味あるものにするだけの価値がある。

仮タイトルは、”Living Water”、歌詞は、もちろん、これから書く。
夢の中では歌詞まで持ってこれないちゅーか、わからんので。

でも、これだけ、ほんとにまったく労力を使わず、ぽんと、ひとつ曲ができてしまうなんて、たまにはこんなラッキーだ。

僕はもともとが、音楽を通じて神さんとの交信というか、ふれあいを経験してきた人間だし、
自分の人生、これからどうなることやらだけれど、

こうして、神さんが曲をプレゼントしてくれるというのは、
本当に、そんじょそこらの励まし以上のメッセージであり、励ましのようだ。
このタイミングで、突然そんな意外なプレゼントをもらうのは、とても、勇気づけられる。とても、嬉しい。

この曲を果たして、きちんとした形でレコーディングする機会が、いつ、どこになるのか、わからないけれど、必要な場所で、必要な人に届けることができれば、それだけでとても幸せだ。

No(682)

■…2010年 8月18日 (Thu)…….写真更新
前の週に行った、バンドのフォトセッション、撮影などなど、
出来上がってきた写真をようやく受け取りまして、

見てのとおり、mixiやfacebookにアップしたところから始まって、

MySpaceからsonicbidsにいたるまで、ひととおり写真の更新作業をしました。

見てやってほしいよ。それっぽくなった各サイトを。

こちら

こちら

こちら

そいでも他のイケてるバンドさんたちにくらべれば、
まだまだデザインも単純だし、地味なものですが、
それでも、やっとMySpaceなども、それっぽく、なってきました。

やっとという思いです。

キャラクターや方向性、立ち位置、指向、音楽性など、
今の状態を反映したビジュアルというか、写真という媒体を、
やっと少しは用意することができたかなという感じです。

無名のいんでぃぺんでんとなバンドとしては、
こういうことも、模索しながら、ひとつひとつ自分たちでやるしかないし、

前回こんなふうにフォトセッションをやったのは、
2008年の秋、ジェイクが加入したばかりのときで、
それから1年と9ヶ月くらいぶり?

その後、遠征やらなんやら経験して、バンドとしても成長もしていれば、
方向性も定まってきていたりと、

特にインターネットという媒体の使い方が重要な昨今、
フォトイメージをずっとそのままにして使っていたので、
やっぱりそろそろ更新したかったし、良いタイミングだったかな。

プロの写真家である教会のFさんに、お願いして、
Y牧師のレゲエ写真と一緒に、撮ってもらった。

Y牧師と一緒に、まるで僕らがY牧師のバックバンドみたいな設定で、撮った写真もあるんだけれど、それも載せたいけどね、他アーティストの写真なので、載せられませんが。

結果的に狙いどおり、意図どおりの写真が、良いものが撮れた。
FさんとY牧師に感謝。

2008年秋のときも、教会のMさんにやってもらって、それもとても出来の良いものだった。
Mさんは、ミュージシャンでもあるから、ミュージシャンとしての意図や、写真の演出意図をわかっているという意味で、とてもありがたかった。
今回お願いしたFさんはミュージシャンではないけれど、今回は自分たちの中でテーマがより定まっていたという意味で、写真を通じて表現したいものが、よりパワーアップしているかもしんない。

Fさんは当然プロなわけで、使っているカメラや機材も、プロ仕様のものなわけで、そういった人にこんなふうにお願いしてやってもらえるのはありがたいことだ。

普段は、あまりこういうふうに人物を撮る仕事はしていないということなんだけれど、やはり撮ってもらった写真はばっちり意図どおりのものが捉えられている。

ともあれ、

このへんのReverbnationのフォトページとか、
こちら

このmixiのフォトページとか、で、見れるけれど、
こちら

見事に僕のナルシストぶりが発揮されている(笑)

一緒にバンドをやっているだけあって、
はっしーにも最近は、ポージングとか、僕のナルシー度合いが伝染してしまっているんじゃないかと心配なくらいだ。

ナルシストっぷりを発揮しつつも、思うのは、
こういうときに、日本人、東洋人でよかったなと思うのは、

この歳になっても、比較的まだ若さを保てていることだ。

これが、白人、西洋人だったら、もう30歳を待たずして、
かなり年齢が外見に表れるケースが多いだろう。

僕の美の永遠の基準であるbrett underson

ブレット1993
こちら

ブレット2009
こちら

ゆうても年輪が感じられるようになってきたけどね、もちろん私も。そろそろ。

しかし、やっとこれからが面白いところ、という思いです。

昨日夢で作った曲、次の遠征の計画など。
そんで自分の生活も。

まだまだ撃ちますよ。

No(683)

■…2010年 8月19日 (Fri)…….“Faith Rider” YouTube movie
英作文の練習。外人さんとか見る人がみたらいろいろ文章おかしいと思うんだけど。添削歓迎。

こちら

Originally I wrote this song “Faith Rider” as a joke.

I was having a conversation on mixi(Japanese facebook) with one of my friends who likes heavy metal and motor bike and he came up with a word “Gay Rider”, which meaning I didn’t exactly know, and he said maybe I should write a song by that name, it was a joke.

But I thought it would be interesting and I was already hearing the melody in my head. And 15 minutes later, I got the song.

I made up a simple demo and my friend liked it. And we decided to play that song with our “just for fun” tribute band. We played it in some party and it was good. And I decided to play that song in my own band IMARi ToNES, and I changed the title to “Faith Rider”, and came up with the lyrics. And after several times of rehearsals, it turned out to be a very powerful song, expressing both faith for God and hard core spirit.

It is a simple song. Simple and typical heavy metal song. Because this song is originally a joke song, it was a kind of parody of Judas Priest. It’s somewhere between “Painkiller” and “Hell Rider”, I tried to write some heavy metal parody. And I’m using many simple power chords. Usually I don’t write songs this way, I prefer using more complex chords and riffs. But in this song I used many simple power chords. But just to make thing a bit more interesting, I wrote the main riff using 7/4 times. And just as an homage to Stryper, I added the words “we are soldiers under God’s command” in the lyrics.

This song is different from other IMARi ToNES songs. It’s exceptional. It’s more simple and easy to understand, and it’s more powerful.

In the beginning it was a joke song, but it turned out to be one of band’s most powerful songs. This often happens in the history of Rockn’roll. Black Sabath “Paranoid”, Led Zeppelin “Whole a lot of love”, Deep Purple “Smoke On The Water”, I heard they were just a additional song written in the last minute.

So now I made a cheap movie of this song, using photos from our latest photo session. These photos represent the character of our band very well. We are always somewhere between heavy metal and pop/punk. To heavy for pop listers, too pop for headbangers.

I wish we could come up with more professional movie, but it’s okay we are just an unknown band from Japan. Possibly the only metal band in Japan carrying a sign cleary saying “Christian Rock”.

If any of you like this song, we are glad.

p.s.
Just as mentioned above, we had a photo session and now all our websites are updated with those new photos.
You can check the photos here.
こちら
こちら

Tak / IMARi ToNES

No(684)

■…2010年 8月21日 (Sun)…….祝福とワガママ
今日は日焼けしたかな。

一言で言うとすごく良い一日だった。

第1回すみだストリートジャズフェスティバルで演奏してきました。

急造ゴスペルジャムバンドにて。

メンバーは、ワタクシVo&タンバリン、Drumsリョウ、Keyboardキヨシ、Bassマサヒト、Guitarアミン、そしてTrumpetジョー。

もともとイマリトーンズで申し込んだ枠だったけれど、
メンバーの都合がつかなくなったため、そのままジャム仲間による急造セッションにて参加することになったという経緯です。

練習は1回?2回?というか、月曜日に1回して、当日の朝に2回目やって、それで臨んだりと、
あと、もともとギターを弾こうかなと思っていたけれど皆を誘ったらPA環境の関係もあり弾く楽器がなくなってしまい、ジャムバンドでヴォーカルという微妙な立場になってしまい手持ち無沙汰だったりと、
なにより自分のスタイルじゃなかったしね。

言い訳要素はたくさんあり、実際結構言い訳もしてたんですが(笑)
そしていろいろとキマらない不器用な面も見せまくってしまいましたが、

そいでも振り返ってみると、そして他のいろんなジャズーなバンドさんが演奏してるのを見るにつけ、

手持ち無沙汰で不器用であってもフロントマン的な立場でお客さんとコミュニケーションをとる姿勢を見せてよかったかなと、後になって思いました。

あとは、やっぱりなんかゴスペルのメッセージ色を出そうと無理してしまったりとか(汗)

そして演奏もわりと上手くいった。

抜群な腕前を持つトランペットのJoe Motterをフィーチャリングするという狙いは十分に達成できたし、
(日野皓正にケンカを売りに来ました、とか、けしかけちゃったりとか)

実際かなりお客さんの反応もよく楽しく演奏できたので。

そして、皆にとっても良い機会であり、皆で一日時間を過ごせたこととか、いろいろ話せたこととか、

参加してくれたメンバーの皆にとっても良い祝福の時間となったと思う。

しかしだ、その反面僕はすごくフラストレーションが溜まっていた(笑)

自分のスタイルでやっていないことにより、いろんな面で今日は自分のコミュニケーション不全な点や、バランスの悪い点が出てしまっていたし、

結局僕は、自分のことを、自分のやり方でやらないと、気がすまない人間なんだろう。

そういう自分のわがままさや自己主張の強さについては、とっくに十分に自覚していることだけれど、

そんな自分が嫌になることも一度や二度ではない。

結局僕は自分がプリマドンナになって中心にならないと、気に入らないのだろうし、
そのための環境や状況を作るために自分のバンドやその表現をやっているのだろう。

そのわりに、こうして人のためになんかやろうと柄にもなくときどき挑戦してしまうから、きまりの悪い思いをすることになる。

でも、それで皆が祝福されるのだったら、そんなに悪いことでもないかな。
僕のフラストレーションは、皆の祝福なのかも。

そしたら、僕が満足するとき、周囲の皆は逆にフラストレーションを感じているのだろうか、なんて。

自分のやっていることはわかっている。

(先日漫画を立ち読みしていて思ったことだが、笑)

画家は自分の信じた嘘を描く。

音楽家は自分の信じた嘘を鳴らす。

そして本当の芸術家は、自分の信じた嘘を「生きる」のだ。

皆でご飯を食べた後、公園で演奏していたアフリカ系レゲエバンドの演奏が、また良かった。
本格的なレゲエを生で見て、ああ、こういうものか、と、ちょっと勉強になった。

また明日!

No(685)

■…2010年 8月23日 (Tue)…….Internet Payola
またつまらないひとりごとです。

Payolaという言葉がある。

ロックの歴史に詳しい人ならご存知かもしれない。

僕もあんまり詳しくは無いのだが、

なんでも、レコード会社や、アーティストサイドが、
ラジオ局に、曲をかけてもらうために賄賂を渡すという行為のことを、
Payolaと呼ぶらしい。

きっと、ロック、ポピュラー音楽の歴史の中で、
このPayolaという行為は、いつでもはびこってきたのだろうと、そう思う。

日本のラジオ曲でも、いきおい、番組というのは、レーベル側、アーティスト側にとっては、買い取るものになっているようだし、

音楽業界の形が激変した現在の厳しい環境の中では、
よりいっそう、露出を得るというのは厳しく難しいものになっているだろう。

以前、結構前だが、礼拝の後にY牧師の家で、皆で談笑していたとき、
例の映画、なんつったっけ、Dream Girlsという映画、モータウンとかそのへんを題材にした映画を見ていて、

その映画でも、このPayolaが描かれていた。
それを見てY牧師は、”Music industry is all about politics”とか言っていた、
僕は、そうだね、でも今はそのシステムさえ崩壊して、政治の力学はもっとややこしくなっているよ、
と言いたかったが、英語力が無いため、うまくいえなかったのだけれど。

とまれ、なんにしても売り出すには金が必要だ。

たとえばDir en greyが、ここまで世界的にヨーロッパ等で知られるようになるために、どれだけのものをつぎこんだか、という話もあるし、

そのへんのモデルにせよ芸能界にせよ、バンドにしたって、そのことがわかるまでには、そんなにかからないはずだ。

金の無いやつは・・・・
という現実だ。

そのへんの壁を壊すのがインターネットだったはずだが、
それがうまく機能することは、ごくまれで、ほんの少しの機会に限られていた。
それが実情だ。

2000年代、世の中の変化の中で、数年前は、アメリカのシーンとか、
インターネットとインディーズの新しい時代、みたいな新鮮な空気が、結構あったはずだが、
今はどうなんだろう。

しょせんネット時代とはいっても、
業界の規模が小さくなっただけで、
話題になるのはメジャーレーベルから出ているバンドばかり、
という状況が見えてきたりして、
僕はちょっとやる気が失せていたりする。

とまれ、僕もついにPayolaに手を出してみた。

Jangoというウェブサイトのことだ。

インターネットの音楽関連サイトで、
わくわくしたり、どきどきしたことは、何度かある。
恥ずかしながら何度かある。

しかし実際にインターネットがその期待にこたえてくれたことは数少ない。

インターネットの黎明期から、いろんな音楽関連ウェブサイトが日本でも海外でも立ち上がったけれど、
ネットが本当にちょっとでも宣伝、パブリシティとして使えるようになったと感じたのは、いわゆるWEB2.0という概念が浸透しきった後だといっていい。

たとえば僕がMySpaceに本気で取り組もうという気になったのは、2007年の晩秋のことだと記憶している。

MySpaceはなんだかんだ、大きなあれはないけれども、着実にやっぱ見返りはあるカタい場所であると思う。

Purevolumeあたりも、結構カタいサイトだったんだけれど、キッズとたくさんコミュニケーションも取れたしね。でも最近、ちょっと、どうでもよくなってきた。すごいことを言うと、ぶっちゃけ、キッズは、金にならないし。

SonicbidsやOnlinegigsといった、ちゃんとした特定の目的を持ったサービスは、もちろんやればしっかりと役にたってくれるけれど、

そしてimeemはかなりどきどきさせてくれるサイトだった。これまた子供が多かったけれど、なによりアメリカやヨーロッパ以外の、第三世界というか、いろんな国の人々が入り混じっているのがよかった。そして、アニメファンが多かった。国内だとアニメ、同人といったマーケット層には、まったく縁がないけれど、皮肉なことに、海外に出ると、日本のアニメのファン層は、僕らのターゲットとかなり重なる。

そしてimeemはかなりカオスな場所だった。往々にして、管理されていない整備されていないカオスな場所の方が、インターネットというのは面白い場となるようだ。
なんというか「狩り場」として、いい場所だった。
imeemを通じて、メーリングリストの登録が、結構いいペースであったものだ。

だから、imeemが無くなってしまったことは、今でも、やはり残念なことだと思う。

特にアメリカでは、インターネットを通じた新しいインディーズ時代の音楽活動に現実的に使えるようなウェブサイトやサービスが結構あるのに、
インターネット黎明期には結構日本でもいろんなサービスが立ち上がったのに、
それ以降、気がつけば日本にはそうしたサービスは、ほとんど無くなってしまった。

インディーズとしてインターネットを活用する環境というのは、日本の方が、いつのまにか、圧倒的に環境が無い、遅れている、という状況になってしまった。

imeemが無くなって以降、しかしわが軍も、
Bandbox経由のライヴ音源無料配信や、Reverbnationのシステムを通じて、
小規模ながらも、メーリングリストの登録を増やしてきたり、してきた。

Reverbnationを初めて見たときにも、正直、かなりわくわくした。
その幻想は、もちろん、すぐに打ち砕かれたけれど、
それでも、Reverbnationは、すごくインディーズアーティストの側に立った、シリアスで信頼できるウェブサイトだと思う。

もしこのReverbnationが無くなってしまうようだと、いよいよ、インターネット時代の、新しい時代が来るかも、という夢も、幻と消えてしまうかもしれない。今、これからが、正念場のような気がしている。

最近、ようやくMySpaceのフレンド数が一万を越えた。
世の中的にも、ネット上のコミュニケーションというのか、オフィシャルサイトみたいな扱いも、最近ではfacebookがオフィシャルみたいになってきている。
いろいろあった音楽サイトもやはり淘汰されてきた。

音楽配信は、Appleがevilでwickedな面を見せてくるにつれ、アップル、つまりiTunesを通さない配信が次第に増えてくるかもしれない。
AmazonMP3がシェアを伸ばすかもしれないし、BandcampやBandboxがどうなっていくかも運命の分かれ目だ。

そして、Spotifyが力をつけてくるなどの要素もあり、より新しい時代のストリーミングのサービスが主流になってくるかもしれない。

21世紀も、10年代に入り、インディーズ新時代の淡い幻想が、いくぶん崩れかかっているような気がする今、
しかしそれは、システムどうこうよりも、真にインディーズな活動を力強く信念を持ってするアーティストが少なかった、居なかっただけかもしれない。
逆にいえば、真に信念を持ってインディペンデントな活動を行うアーティストは、どの時代でもどの環境でも居たかもしれない。

とまれ、今、エアプレイといえば、ラジオ以上に、インターネット上のストリーミングのことだ。

というわけで、このタイミングで、遅ればせながら、Jangoに参入してみた。
エアプレイを金で買う。

そう、間違いなく、インターネット時代の、これはPayolaだ。
やってみて間もなく、数件のファン登録、つまりメーリングリスト追加につながった。

どうだろう、ようやく見つけた、本当に使えるプロモーションツールとなるだろうか。

いろんなサービスがある。
予算と手間があればbroadjamだってTaxiだってやってみたい。
しかしそんな予算と手間と暇は無い。

いくつかのサービスを、いくばくかの予算を使い試してみたけれど、
結果につながるものは、本当に少なかった。
そして結果として僕は思うようになった。
直接リスナーとつながれるのでなければ、意味がない。

僕はいつも思う。
業界にアピールするのでもなく、
メディアにアピールするのでもなく、
レーベルやヴェニューにアピールするのでもなく、

聞いてくれるリスナーに直接アピールしてこそ、結果につながるし、
そうでなくては間に合わない、と。

特にインディペンデントな道を歩いて、それを積み上げていこうと思うのならば、
なおさら、自分たちで少しずつでも。

信じられるのはリスナーだけだ。

狭くなっていく世界の中で、なんとか良い方法を見つけていくのが、僕らのしごとだ。

関係ないけれど、MONOのウェブサイト久しぶりに開いたら、日本語のページがなくなっているような気がするんですが、気のせいでしょうか。

facebookに書き込んでる日本のファンなんて、ほぼ、居ないしね。

しかし、実はもうひとつ、機を見て挑戦してみたいウェブサイトがある。
日本人が挑戦しない場所。
一件だけ、日本人の成功例がある。

人が居ない場所を見ると、行ってみたく、なる。

とまれ、すべては些細なこと。

以上。

No(686)

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