にんにくと唐辛子とオリーブオイルさえあれば、
およそ人生に不可能なことはない。
というわけでジャーの中にある1合のおコメをスペイン風焼き飯に。
パンや魚を無限に増やすってわけにはいかないけど、
ほら、およそにんにくとオリーブオイルと唐辛子だけあれば、
たいていのものはおいしくなる。
昨晩、大久保水族館で演奏を観ていただいた方々、
共演していただいた方々、
ありがとうございます。
おかげで、ハッピーな夜になりました。
ぼくらイマリトーンズ、
結構本気で演奏しました。
あれは、僕がクリスチャンになって間もない頃だったと思います。
僕が通っているVIC(横浜)は、
かなり自由でユニークな教会だとは思うんですが、
教会の方、Mさんだったと思います、
が、教えてくれたんですね。
「クリスチャンロックっていうとね、栄光号っていう人たちがいてね」
って。
それから2年半ほど、
昨晩は名義こそB.D.Badgeさんでしたが、
その栄光号、toshi_rock閣下と初めて一緒に演奏する機会だったわけです。
栄光号のステージは前に見ていたし、
また、インターネットの動画で見るtoshi_rock閣下の演奏は、
どれも見事にロックやブルースのルーツを掘り下げた凄いものだったし、
ということもあって、
気楽なライヴバーでのイベントといえど、
気を抜かずにやろうと思ってきたわけです。
火花を散らそうと思ったわけです。
うまいこと、火花を散らせたかどうかは、わかりませんが、
かくも先人の存在というものはありがたいものだと思います。
また信仰うんぬんを抜きにしたとしても、
toshi_rock閣下のように、ロックミュージシャンとして、
心技体そろって、さらに突き抜けた本物のパフォーマンスを見せてくれるような人は、
それこそ世界中探しても、そうそういるものじゃないわけです。
僕らが本気でぶつかっていっても、
音楽、信仰、ロック、ギター、など、
きちんと受け止めてくれるほどの存在は、
やはりとてもかけがえのない出会いであり、
かくもこのような先を走る先人の存在は、
ありがたいものだなあと思ったわけです。
同じスリーピース編成であることも含め、
ヘンドリクスとヴァン・ヘイレンという違いはあれ、
共通する要素の多い、閣下のステージからは、
僕自身学ぶことがたくさん、あると思います。
イベントとしては、
とてもうまくいった夜でした。
皆がハッピーになれたことが、なにより一番です。
今回が2度目のライヴだったという
儀太郎さん、
たくさんお客さんを呼んでいただいたことを含め、
儀太郎さんの協力なしには、
こんなに楽しい夜にはならなかった、
本当に感謝です。
儀太郎さんは、
まるで80年代の、骨太なメッセージを含んだパンクや、王道のロックのような、
ストレートで皆で楽しめる線の太いロックンロールを展開してくれました。
僕も楽しみにしていたんですが、
ナウさんのギターも、予想以上にいい音を出しており、
キレのいい理想的なロックンロールギターで、とても楽しめました。
そしてなんというか、僕らも、ライヴの打ち方、
イベントの打ち方、いろいろ、今までも試行錯誤しつつ、
やってきているわけですが、
なんというのか、
自分たちの力がどうあれ、
自分たちの利益がどうあれ、
音楽というものの力を信じつつ、
それぞれのささやかな立ち位置で、
演奏する方も、見る方も、
皆がハッピーになれる場と機会を提供することが、
意味があることなのかもしれない、と、
個人的に、またそう思える場になりました。
これから人生の中で、
そういったことが、
小さなこと、大きなこと、
いくつできるかわかりませんが、
基本的には、どこであっても、どんな環境であっても、
やることはこれなんだな、と思うことができました。
その中で、神への賛美をすることができたら、それはもう、なおさらです。
今日は結構死んでいましたが、
思うに(また話が長くなりますが)
パフォーマーなりあーてぃすと(笑)というのは、
往々にして自意識の強い人の集まりであって、
どういった挙動をしどういったパフォーマンスをするかも
すべて自意識の仕業だと思うんです。
それでいて人に見せる、見られるという行為は、
そういった自意識をすり減らす行為でもあるわけで、
ステージで演奏するという行為は、
たとえお客さんが一人であっても一万人であっても、
おなじく自意識を傷にさらす行為なんですよね。
僕もかなり自意識の強い方でもあるわけで、
人前で演奏した後には、
何もない場所で感傷に浸り、
記録した素材で出来を確認また反省し、
自分の中(自意識の中)での整理をつけ
(たとえばこうやって文章に整理することによって)
その上で、忘れるように心がけるわけです。
これらはすべて、乗り越えて忘れて次の進むためのステップなわけで。
その意味では、
ステージでの演奏というのは、
たとえそれがどんなにうまく行ったとしても、
僕にとっては「乗り越えなければいけない傷」なわけですね。
つまりはどんなに上手くいった演奏であっても、
大なり小なり、それは「失敗」であるのです。
大なり小なり、皆、そんなものだとは思いますが。
思えば遠征中は、
それらのステップを、一晩のうちにやって
次へと「乗り越えて」いたわけなので、
タフなもんだなと思ったわけですが、
そりゃ成長、経験にもつながるというか、
その情報密度の濃さたるや、
なんだか不思議なものです。
今はインターネット時代ですが、
インターネット上でのスタンスの取り方や扱い方、
さらにはたぶんステージの下での普段の扱い方においても、
僕には自意識といったものとのせめぎあいであったと思うわけです。
たぶんまたふたつみっつ、昨晩の演奏の記録から、動画をアップしようと思っていますが、
またきっと、無駄にたくさんアップし過ぎ、と、天の声に怒られてしまうと思うんですが、
僕の創作人生は、自意識との戦いであると同時に、
この情報量との戦いでもあったわけですね。
昨日も演奏を評価していただいた、toshi_rock閣下のように、
その楽曲の中の情報量をばしっと読み取ってしまうツワモノな方はともかく、
多くの方にとっては、この情報量の多さは、単純にoverwhelmingなだけであって、
それが障害になることはとうのむかしにしょうちしています。
21世紀の人間としては、自分の人生の情報をweb上にアップしておこうという行為は、本能の一環であるとも思うんですが、
自分としてはこれでも厳選して削っているつもりであり、
また、突っ込んで見たい小数の人のためにも、選択肢を増やしておきたいということはあるのです。
また、それぞれが向き合う戦いやハードルにおいて、
これもまた自意識のなせるわざですが、
僕が自身に設定した自意識は、
自分の不器用さにくらべて、
ちょいと高めであったことも理解していただきたいのです。
その上での、わかりにくさや、
時間のかかる部分、
不完全さや、エクスキューズの必要な部分については、
ご容赦をいただきたいと思っています。
しかし、もはや私は自分自身に設定した宿題を、
ほぼやり終えつつある段階にあります。
ここ最近の演奏に、余裕が出てきたとすれば、
そういうことで、
たとえば、
新作である”Victory In Christ”を完成させて、
それを発表する段階に入ってきていること、
それによって真にクリスチャンロックたることが
できつつあること、
など、が、大きな理由です。
自分自身を完成させるまでに、
自分自身のスタンスを見つけるまでに、
非常に時間がかかっている愚か者ではありますが、
願わくば、
神さんが与えた芸術的な使命を成し遂げるのに、
まだ遅すぎないことを、
まだ時間が残されていることを願うのみです。
音楽的に理解していただけることは何よりもありがたいことですが、
こうした自意識とのせめぎあいの中に、
わかりにくい自分だからこそ、
たとえば、はじめは冗談で作った”Faith Rider”が、ヘンに受けていて、
“You guys rock”と言ってもらえれば、
それは何より貴重なことですし、
(土曜日の伊勢崎町でも、昨晩も、言ってもらったように)
「ジャンプがいい」
と言ってもらえたらそれはもう正解です。なによりいちばんのメッセージです。
なんたって、エディ・ヴァン・ヘイレンの開脚ジャンプに魅せられてから、
自分なりの飛び方にたどり着くまでに、
これでも何年もかかっているんですから(笑)
ばかみたいだと思うかもしれませんが。
どちらにせよVictory In Christを完成させてい以来、
今年は、2月の遠征といい、6月のFuseといい、また昨晩といい、
その他、小さなものもふくめ、いい演奏の機会を持つことができて幸せだと思っています。
自分への自慢のために、toshi_rock閣下に、
僕らの音楽を、シド・バレット時代のピンク・フロイドのようだ、
と評価していただいたことも記録しておこうと思います(笑)
今、見ると、若くして狂ってしまったシド・バレットはアスペルガー症候群でかつ共感覚の持ち主だったとか。
僕は共感覚は無いと思うけれど。
自分がなんにせよなんとか正気でがんばってこれているのは、
プラスであれマイナスであれ家族のおかげ、
そして多分に僕自身のアスペルガー的ぶぶんを吸収し余計に引き受けてくれている嫁さんのおかげであるなあと思っています。
そしてその他いろいろな方々やいろんなものや神さんのおかげでしょう。
もうひとつ、
メンバーのことについて、
もっともはっしーもジェイクもジーザスを受け入れているはずですが、
信仰やモチベーションのギャップの面で悩むことも無くは無かった僕ですが、
ある方に、「クリスチャン以上だ」と言っていただいた言葉に、
なんかふわっと救われた気になったことも書いておきます。
先日の伊勢崎町とうってかわって、はっしーもジェイクも昨晩は絶好調で、
PAからあらゆる面での献身ぶりでした。
彼らのロックへの嗅覚と、献身は疑うべくもありませんが、
そうか、と、ひとつ、思った瞬間だったのでした。
長くなりました。
また、近い未来に。