British Rockというものについて考えている。
それからDef Leppardというバンドについて考えている。
個別の論点について分けて書いてみよう。
British Rockというものについて。
魂と血の中にあるモメンタムといったようなものについて。
ロックの中に潜む悪魔というものについて。
ロックの本質であるエゴイズムと暴力について。
自分がどういうことを考えて音を鳴らしていったらいいのかについて。
先日、このDef Leppardというバンドの来日公演を見ることができる幸運に預かった。
実は数年前の来日の時も見ているのだけれど、
そのときは、Whitesnakeとの共演であり、時間帯も少なく、
また、音響もよくなかった。
そして僕自身もDef Leppardというバンドをよく知らなかった。
けれども、予備知識のほぼ無い状態の初見であっても、
Def Leppardというバンドは非常にとっつきやすいわかりやすいバンドであるし、
そのバンドの本質はぱっと見ただけでもかなりわかった、と思う。
言うまでもないと思うんだけれど、
80年代のヘヴィメタル全盛期、その華やかな時代に、
活躍したメタルバンドの中でも、
Def Leppardは、ちょっと特別というか、特異な存在だ。
もちろん、80年代らしいサウンドなのだけれど、
その音楽性の質というか、クオリティは、
はっきりいって他のバンドの何倍も上を行っている。
もう他のバンドとはまったく次元が違うところでロックを鳴らしている感じだ。
実際に、レコード、CDの売り上げの数字に関しても、Def Leppardは、数年に一回しかリリースしていないにもかかわらず、他のバンドを圧倒する特異な数字を記録しているわけで。
僕も彼らの初期のアルバムは、まだあまりちゃんと聞いたわけではないので、そんな、言えないけど、
おそらくは、NWOBHMの、直線的なサウンドから、次第に発展していき、世界を代表するロックバンドに化けていった、んだと思う。
彼らの代表作は、もちろん言うまでもなく、80年代に大ヒットした、”Pyromania”と”Hysteria”という2枚のアルバムであり、
もちろん、その最盛期は、音楽業界そのものの衰退とともに、
遠い日の出来事であるけれど、
それでも、未だに彼らが世界最大のバンドのひとつとして、
ツアーやリリースを続けていることは確かだ。
数年前に彼らのライヴを初めて見たときに、
そのあまりの「ロック」ぶりと、
そのあまりの「ブリティッシュ」ぶり、
というか、「イギリスの国民的バンド」ぶりに、
なんというか、この臆面のない堂々としたストレートな王道っぷりは、
Oasisくらいのもの、というか、
Oasisみたいな国民的なバンドなんだな、と理解した覚えがある。
そして、今回は、彼らのことをより知った上で、
より良い音響の会場で、
単独の公演を見たのだけれど、
非常に、不思議な感触の、また強い衝撃を味わった。
もちろんショウの内容は、素晴らしいものだった。
しかし個々のプレイヤーであるとか、細かい内容には、触れないでおこうと思う。
*British Rockというものについて
言うまでもなく、イギリス、英国、United Kingdom、
は、ロックの聖地のような場所であり、
ロックの歴史上、
イギリス出身のバンドは、
それこそ数えきれないくらいに、
大スターを生み出し、
伝説を生み出し、
ロックの歴史に、たくさん、大きな足跡を残している。
そして、2011年現在、多少は、揺らいだのかもしれんけれど、
まだまだ、世界の中における、「British Rock」というものの、
優位性は、ぜんぜん揺らいでいない。(と、ウィキペディアにも書いてある)
ロックとは、その起源を、アメリカとか、アメリカ南部に、本来持つものだけれど、
それと同じくらい、イギリスにも重要な起源があり、
The Beatlesから始まって、あれこれ、あれこれ、
どうしてイギリス(英国?UK?なんて呼べばいいの)のロックのみが、
これほど、世界の中で特別なほどに影響力を持ちうるのか、
ということを、考えてみたくなった。
まずは、単純にイギリスがかっこいい、ということがあると思う。
ロンドン、とか、リヴァープール、とか。
たぶん、タンザニア出身のロックミュージシャン、というよりも、
イギリス出身のロックミュージシャン、といったほうが、
かっこいいんじゃないかと、きっと思う。
ひとつには歴史的経緯がやはりあると思う。
イギリスは、20世紀に入って地位が落ちたものの、
19世紀には、世界最強の帝国だったわけで、
世界中を支配する、君臨する、国だった。支配層だった。
そして、文化的にも、伝統があり、歴史があり、人類の歴史の中で、常にリードしてきた文化的な蓄積がある。これも、事実だと思う。
そして、人種的な優位もあると思う。
あまり言葉がよくないかもしれないが、
黒人さんとの比較は、僕にはできないけれど、
少なくとも、自分たち東洋人、日本人と比較して、
ヨーロッパの白人さんたちは、
まず体格、それから見た目、金髪とかさ、顔の造形とか、
力強さとルックス、性的な魅力などの面で、
(いくつかの面で東洋人や日本人が勝る点があるにせよ)
やはり優れているように思う。
少なくとも、ああいった直線的なロックを鳴らす場合には。
そういった、歴史的経緯も含め、
経済的な面もある。
たとえば、アフリカやアジアの、貧しい国であったら、
そこから世界的なロックスターが生まれてくる可能性は、
やはり少ないわけで、
アメリカやイギリス、ヨーロッパといった、
ある程度、経済的に恵まれた、
政治的にも地位の強い国の出身の方が、
スターが生まれてくる可能性が高いのだと思う。
あとは、英語、という面も見逃せない。
イギリス、それからアメリカで母国語であるので、
英語というのは、実質、世界の共通語であり、
世界を支配するいちばんかっこいい言葉である。
これも、やはり大きいと思う。
英語が苦手な日本人が、世界でヒット曲を飛ばす可能性にくらべると、
やはりどうにも、有利な点に思われる。
20世紀に入ってからは、世界でいちばん強い支配国は、いうまでもなくアメリカであり、もちろんアメリカも、世界的なロックスターをたくさん輩出し、ポップカルチャーの面で世界を支配しているけれど、
その前に、強力に世界を支配していた伝統を持つイギリスは、いまだに世界の中で、「かっこいい支配層の国」であり、かっこいい存在なのだと思う。
なんというか、大航海時代以降、世界を支配した国には、
スペイン、ポルトガル、オランダとかもそうだし、
フランスだってそうだと思うんだけれど、
たぶんその中で最強の支配者だったのはイギリスだったのだろう。
そして、イギリス人は、島国だからなのか、
日本人にも似たところがあると思うけれど、
世界中の文化、カルチャーを、
消化、吸収し、自分たちのものにするのが得意だったのじゃないか。
歴史的にもインドと関わりが深かったことにより、そっちの文化も吸収しているし。
それが、ロックという、本来、アメリカ南部の黒人に端を発するものを、
自分たちの文化として、また、世界文化として発展させていけた素養だったのだと思う。
世界的な普遍性をもって、世界的な標準、照準で、文化を形成、発信できたのは、あるいはやはり世界帝国だったイギリスだけだったのかもしれない。あるいは今でも、そうなのかもしれない。
つまり、今でも、地球の文化といえば、地球を支配している文化は、それは、アジアやアフリカの文化ではなくて、イギリスの文化と文明なのだろう。
そういえば産業革命もイギリスだったしね。
でもって、僕自身、そんなBritish Rockが大好き、
かというと、
実は、どっちかというと、嫌いなのだ(笑)
このことをはっきりと意識するようになったのは、
3、4年前からだと思うのだけれど、
無意識には、もっと前から、考えていたけれど、
僕はどうにも、そういった、白人の鳴らす、直線的なロックが、気に入らない部分がある。
もちろん、僕だって、ブリティッシュ・ハードロック、イギリスのハードロックバンドたちが、好きで、それでロックに目覚めて育ってきたし、そのつもりなんだけれど、
でも、後になって振り返ってみると、僕が好きになったBritishのバンドたちは、どちらかというと、Britishらしくない面を持ったバンド、ちょっと違う要素を持ったバンドたちだったように思う。
あと、僕の言葉でいうと、「良い意味でブリティッシュ」なのか「悪い意味でブリティッシュ」なのか、両方のバンドがあって、たとえば、進歩的で、世界的であろうとするのは「良い意味のブリティッシュ」だけれど、なんか保守的な感じで、偉そうな感じなのは「悪い意味のブリティッシュ」だ。
わかりやすい例でいうと、僕にとってJudas Priestは、良い意味のブリティッシュヘヴィメタルだけれど、Iron Maidenは、悪い意味でのブリティッシュを感じるバンドだ。
たとえば90年代のBrit Popブームのときに、
Oasis, Blur, Suedeとみっつバンドがあったとしたら、
(一般的には、Suedeはぜんぜん他の2つよりも支持を集めていなかった。本来は、Brit Popのきっかけを作り出したのは彼らだったのだけれど。)
僕が好きなのはSuedeだった。
なぜかというと、Oasisも、Blurも、支配する側の音楽で、「大英帝国万歳」と歌っていたけれど、
Suedeだけは、支配される側の音を奏でていて、さらにはアジアを含む、第三世界のマイノリティの視点ですら歌っていたからだ。
実際に、Suedeが、香港や台湾、インドネシアなどでも人気がある(あった)のは、そのあたりが要因なのではないかと僕は見ている。
今回見たDef Leppardは、British Hard Rock/Heavy Metalではあるけれど、
一般には、あまりイギリス臭くない、アメリカ向けのポップで聞きやすい音楽性だと言われているし、
そういう意味では、「良い意味でのブリティッシュ」なのだけれど、
しかし、僕に言わせれば、もうこれ以上ないくらいに「大英帝国」丸出しのバンドだと思うのだ。
*魂と血の中にあるモメンタムといったようなものについて。
そんで、今回見たDef Leppardは、非常に強力なバンドだった。
商業的な最盛期はとうに過ぎているとはいえ、
ライヴ興行が中心となり、マスメディアが衰えた今の時代にあって、
80年代のスターは、いまだにスターだ。
ヒットチャートのトップはとらなくても、ライヴでいえば、「今が旬」だ。
そんなDef Leppard、個々のプレイヤーは決して天才というわけではないが、
チームワークをもって戦うバンドであり、
チームとして、バンドとしては、完璧なまでに強力だ。
しかし、数年前に見たときにも感じたことだが、
これを言ってはおしまいだし、ある意味禁句ではあるのだけれど、
特にライヴの現場で見ると、リズムであるとか、バンドとしてのダイナミズムとしては、単調であり、退屈だ。
それは、ふたつ大きな理由があって、ひとつは、ドラマーがもともとあまり上手くないこと。そして、ふたつめは、ドラマーが腕が一本ないこと。
しかしこれがDef Leppardというバンドが負った宿命であり、逆に、その単調でスケールの大きいビートこそが、Def Leppardが世界を席巻した要因でもある。
不思議なことかもしれないが、”Pyromania”を聞いていると、
あの事故の前に作られたアルバムにもかかわらず、
すでにドラマーは、腕が一本無いかのようなプレイをしている。
ある意味不思議というか、不自然なくらいに。
細かいフィルインがほとんどなく、まるで一本の腕で叩かなくてはいけないことを予期していたかのように、シンプルなフィルによる大きなビートを刻んでいる。サウンドも、次のアルバム以降見られるエレクトリックドラムの音と大差ない音作りに、既になっている。
これが何を意味するのか、神の配材なのか、あるいは悪魔の暗示なのか、それはまだわからない。
今回、彼らの円熟のパフォーマンス、単独公演を見ていて、感じたのは、
彼らのチームワークのとれた、見事なロッカーっぷり、パフォーマンスを見ていて、
まるで、僕は海賊の一団を見ているような錯覚に陥った。
正確にはイギリスは海賊じゃないかもしれないけれど、
Def Leppardというのはひとつの船で、5人のメンバーは、その船に乗り込んで世界を冒険する船乗りに見えた。
あるいは、航海の途中で命を落とす者もいたかもしれないし、ある者は航海の途中で、戦いか、あるいはサメに食いちぎられて腕をなくしたものも居たかもしれない。
要するに、British Hard Rockバンドである彼らのパフォーマンスに、強く感じたのは、船をこぎだして、世界に出ていくのだ、という強い動機であり、そうした「動機」というか、本能のようなものが、彼らの血の中には、流れているのではないかという印象を持った。
船を漕ぎだし、世界に出ていって、そして世界を席巻し、支配するのだ、という強い動機。
Def Leppardという完璧なまでの船乗りたちにあって、典型的ともいえるこのBritish Hard Rockの最高峰を持って、その世界の支配者としての魂は、冒険者としての血は、いよいよ強く感じられた。
つまり、British Rockの本当の強さとは、これではないのか。
80年代はたとえば、Def Leppardや、Policeかも、あるいはThe Stone Rosesだったかもしれないし、
90年代はOasisだったかもしれないし、
00年代は、誰だ、Coldplayでも、Radioheadでも、いいけれど、
世界を支配してきたこのブリティッシュロックのバンドたちの音の根底には、
自分たちこそが世界を支配するのだという、
(はなもちならないほどの確信と傲慢さが)
強く流れている。
そしてその確信の強さゆえに、
もっともシンプルなギターコードとギターリフをもって、
もっとも単純ではあるけれど英国人にしか決して鳴らせないメロディをもって、
強力なまでに世界を席巻する。
ぶっちゃけ、これには、勝てやしない、
勝てっこない、と、僕は思った。
世界の海に乗り出し、支配してきた、
そして世界の経済と文明をリードしてきた、
その歴史の積み重ねが、彼らにはあるのだから。
世界のいろんな国、いろんな地域の、音楽やロックが、
あると思うのだけれど、
こうしてみると、
本当に、英国人が鳴らすロックというのは、
傲慢ではなもちならない、エゴイズムに満ちた、
ものだという気がする。
(そして、それこそがブリティッシュロックの魅力の本質だ)
そして、20世紀の世界の最強国であったアメリカ人が鳴らすロックには、
またそれとは、少し色合いの違った「動機」が、血の中に流れているように思う。
それについては、ここでは書かないでおきたい。
そして、では、僕たち日本人の血と魂の中には、どのような「動機」が、流れているのか?
ロックを鳴らすのはいつだって不良だし、
パンク/ニューウェイヴ世代のDef Leppardだって間違いなく不良だが、
いつだってそんな不良たちの中から、国のメンツを担う英雄が現れてきた。
日本の不良たちは、世界を席巻しないのか?
*ロックの本質であるエゴイズムと暴力について。
あたりまえのことかもしれないが、
ロックの本質とはエゴイズムだ。
こんな簡単なことに、今更に気がついたコンサートでもあった。
ロックとは、エレクトリックギターの、微細な振動を、
アンプなどで拡大して、大音量で鳴らし、叩き付ける。
その意味合いは、つまり、
「俺を見ろ」
「俺の言う通りにしろ」
「俺が正しいのだ」
ということだ。
これは、つまり、かなり実は、暴力でもあって、
本当は、ロックでなくても、ポップでもダンスでも、
それは同じことなのだけれど、
ロックはその表現に、表現者自身が責任を持ちうる可能性の高い音楽だからこそ、
それが救いにもなり、優しさにもなる可能性があった。
どちらにせよ、ロックの魅力、その本質とは、
強大なエゴイズムなのだ。
その音を、誰のために鳴らすにせよ、何のために鳴らすにせよ、
ロックの本質はエゴイズム、
そして、闘争。
そんな、単純な事実に気づかされた機会でもあった。
ロックは、暴力、
であると同時に、
権力でもある。
そして権力の闘争だ。
その音を、世界の中で、鳴らすとき、
そこに、見えようと、見えまいと、
権力のせめぎあいが、あることは、
むしろ自然だ。
レコード会社もそうだし、
興行を打つプロモーターもそうだし、
もっと目に見えないものもあるかもしれない。
大物のバンドたちが、レコード会社、大資本と結びついてレコードを出し、
大きな会場でコンサートをやるということは、
好むと好まざると、そういった権力のパワーバランスのために、
音楽を鳴らすということなのだと思う。
そう思うと、
どこの国においても、日本でもそうだけど、
こういったエンターテインメントというか興行とかの世界に、
やくざとかマフィアが絡んでくるのは、至極あたりまえのことなのかもしれない。
穿った見方かもしれないし、
ロックンロールは単純にロックンロールなのだけれど、
単純に一人の音楽の形而上の世界に生きるものとして、
Def Leppardの、あまりにものすごい、あまりにawesomeな、
最盛期から20年以上がたっても未だにawesomeな、
彼らの音楽の中に、
なにかそういったものを感じるのは、
不自然かな(笑)
あんな凄い音楽を、悪魔の手を借りずに作れるものだろうか。
どちらにせよ、それなりに音を翻訳できる能力はあるはずの、
僕の耳には、彼らの音楽は、ときおり、
純粋な船乗りの動機とともに、
「支配」「資本」「暴力」
そういった文字が、聞き取れることがある。
あるいは船乗りたちは、
その世界を巡る航海の途中で、
どこかの洞窟の中とかでさ、
悪魔と出会っていたかもしれない。
その悪魔は、ひょっとすると、「マット・ラング」っていう名前だったかもしれないし、
その代償として、船員たちのうち、もっともいいやつが、謎の死を遂げるとか、
腕や足を生け贄に差し出すとか、
あったかもしれない(笑)
ただのいちファンの妄想。
とりあえず僕の中では、John “Mutt” Langeは最有力悪魔候補決定で(笑)
あんな魔術のような音を作る人間が、悪魔でないわけがない(笑)
僕の中で名誉賞受賞です。
AC/DCもヒットレコードの代償にメンバー死んでるし……
どちらにせよ、
ロックの本質が、エゴイズムであり、
そこには権力と闘争が関わってくる。
これは、事実だと思う。
そう思うと、
僕らみたいな何の後ろだてもない
何の政治力もない日本の、
無名のインディーズミュージシャンは、
何やってもだめってことになるけど….orz
*自分がどういうことを考えて音を鳴らしていったらいいのかについて。
今更なんだけどね。
べつに最初っからわかってたし。
考えたところでどうにもならんけれど、
でも自分もシリアスに芸術を追求しようとする音楽家のはしくれたらんとしているからには、
もちろん真剣に考えたりする。
考えなかったりもするけれど。
さきほど書いた、
それぞれの国の人たちが、民族が、
血の中に持っている「動機」といったものについて
考えてみよう。
さっきも触れたように、
20世紀の最大の支配国であったアメリカ人の鳴らす、
アメリカンロックは、またブリティッシュロックとは、
少し違う、動機の質と色合いを持っている。
そこにもヒントはある。
日本人として考えるのであれば、
当然だけれど、
日本の歴史を見つめる中で、そこにヒントや答えがあるかもしれない。
史実だけを見るのではなく、もっと大きく、自分の血と魂に問いかけてみるのがたぶん正しいのだと思う。
アメリカということについて言うのであれば、
ひとつ、こんなデータがある。
Def Leppardのwikipediaにも書いてあることだけれど、
アメリカのロックの歴史において、
2枚のアルバムを、1000万枚以上売り上げたバンドは、
歴代5つしかないらしい。
1枚のヒットレコードを、一千万枚売るだけでも、
偉業だと思うけれども、
それを2度もやったバンドが、5つ、ロックの歴史上いるということだ。
アメリカでの売り上げの話ね。
それは、今回話題にしたDef Leppardの他に、
The Beatles, Led Zeppelin, Pink Floyd, Van Halen
この5つのバンドだ。
恐ろしいことに、アメリカでの売り上げの記録であるにもかかわらず、
5つのうち、4つまでが、イギリスのバンドだ。
アメリカのバンドは、ひとつしかない。
そして、当然ながら、白人のバンドばかりだ、
しかし、この5つのバンドの中に、
白人でない者が、実は2人だけいる。
彼らは、アジア人でもある。
わかるだろうか。
僕は、少年の頃から、
アメリカン・ロックが大好きだったけれど、
大人になってから気がついた。
僕が本当に好きだったアメリカンロックは、
白人が鳴らすアメリカンロックではなく、
もっと多様な人種と要素が混じり合った
アメリカンロックだったということに。
Van Halenは、
ずっと、Los Angelsを代表する、
Los Angelsらしいロックバンドだと思っていたけれど、
大人になって、見聞きしてわかった。
Van Halenは、確かにロサンゼルスのバックグラウンドを大きく感じさせるバンドではあるけれど、
実はまったく、Los Angelsですらなかったということに。
他のLA出身のバンドと、あまりにも違うのだ。
そして、実際のLAの空気とも。
彼らは、より宇宙的だったのだ。
どんな動機にせよ、
どんな音楽にせよ、
政治的な動機、
政治的な狙い
(世界を動かそうとする具体的な狙い)
がなければ、
ロックは鳴らせない。
意識しても、しなくても。
それは血の中にあるのだから。
古代、近代、過去100年間の出来事。
そして2011年に起きたこと。
日本の歴史には、どんな意味があったのか。
それは、未来が決定する。
僕らの今日の決断が意味を成す。
あとは企業秘密。
だめかな、だめだろうな。
それでもいいや。
つまるところ、
この停滞した時代に、
宿題ばかりの停滞した時代に、
他にやる価値のあるものが見つからないからこそ、
僕らはロックを鳴らすことに決めたんだから。
まあ、僕らがだめでも、
他の誰かがやってくれるさ(笑)