そういうわけでこうやって筆を取るわけだ。
書くことはいっぱいある。
年末だから今年のまとめであるとか
来年の抱負であるとかを書かなければいけない。
昨晩というか日付的には一昨日は
ADWの忘年会セッションであった。
しかしそこにも友人たちはいたし
そうした友人たちと過ごせた時間というのは
とてもプレシャスなものだ。
facebookが今年は本格的に日本でも普及したし、
日々のアップデートは、
僕もそれほど頻繁ではないけれど
facebookに書くようになり、
twitterもちょっとはやるけれど
なんとなくmixiに書くのをためらうように段々と
なってしまい
どれほどアップデート、近況を書いていなかっただろうか。
しばらくの間(とはいえ最近ずっとそういった傾向があったけれど)
インターネット上でもコミュニケーション不足の自閉症気味だったのには
ちゃんと理由があり、
それは録音作業をしていたからだ。
昔以上に、録音作業にあたる際に、
内に閉じこもる傾向が、歳をとって強くなったのかもしれない。
出来上がった作品は、
仮に”Japan Metal Jesus”と呼ばれている。
2011年を通じて、録音をしたもので、
まずは2月から4月はじめにかけて、
遠征前に4曲を録音し、
また4月にはテキサスのダラスにて2曲を録音する機会をいただいた。
そして夏の間に、Famicom Dojoなるポッドキャスト番組のために
ほぼ一人で1曲仕上げ、
さらに夏からリハーサルを重ね、
(かなり難しい曲だったこともあり)
この11月、12月にて、
4曲(うち1曲は最後の余り時間でぱぱっと作ったイントロトラック)
を仕上げ、
こうして11曲入りのフルアルバムが、はいできあがり、
ということになった。
計画したものではない。
そもそもが、うちのバンドが、
2009年末から2010年初頭にかけて、
“Victory In Christ”という作品を作り上げてから、
もう新しい作品を作る予定なんかなかったし、
作る気もなかった。
でも、なんか寝てたら夢の中でできちゃったとか
そういうことが何度かあって、
その後も、2010年のうちに、
いくつかの曲を作ってしまったし、
バンドのレパートリーに追加されたそれらの曲は、
ライヴの場において、とても有効なものだった。
で、とりあえず遠征前に録るべ、
とやっていたら、
ダラスでの録音のお話をいただき、
その話をもらったと同時に、
決定的な2曲ができてしまい、
これはきっと何かの導きだろうと思った。
そして遠征が終わって虚脱感に襲われているときに、
残りの曲をうっかり作ってしまったという具合だ。
この作品の背景やいきさつをこれ以上この場にて書くことはしないけれど
でも非常に自信のある作品になったことは確かだ。
I’m very happy with this album we’ve just made.
なぜかというと、
今まででも一番というくらいに、
みんなのところに近づくことのできた作品だと感じているからだ。
うちのバンドは、どう考えても、
(親しみやすいキャラクターはあるにせよ)
一般的に考えて、
親しみやすいバンドではなく、
テーマとか、
クリスチャンメタルとか、
ややこしいこと満載だし、
世の中に対しても斜に構えているところがあるし、
要するにわかりにくい。
でも、今回作った作品、楽曲たちは、
なんというか、最近の僕の趣向として
ベーシックなメタル愛があったこともあって、
たとえば、Crazy Trainのパロディでもある
Jesus Trainという曲であったり、
今回録った曲の中でも、
“Yokohama Dreaming”という曲は、
Van Halenの、
といっても僕は常に過去今までに
何度も、何度でもVan Halenみたいな曲を
書いてきたけれど、
今度ばかりは禁じ手を使ってしまったというか、
禁じ手である、
「Panamaそのまんま」(笑)
という曲を作ってしまった。
そういうふうに、
どこか、メタルファンや、
ハードロックファンに
受け入れてもらいやすいような、
ベーシックで平易な要素が、
今回は結構あるような気がしている。
思えば”Victory In Christ”は、
霊的なインスピレーションにまかせて、
ソングライティングでも音作りでも、
ちょっと「飛ばしすぎて」しまった感が、
今から振り返るとあるけれど、
(でももちろん、それがやりたかったことなのだけれど)
今回は、ライヴ演奏や、遠征の経験で、
どういったものが喜んでもらえるのか、
それを体験的に理解したうえで、
僕らにしては、わりとリスナーの立場に立った上で、
実用的な楽曲を書けたんじゃないかと
いう気がしている。
いくつかの曲は、ネットのどこかで既に公開済みだったりする。
先日、手作りビデオを作ったばかりの
“The Concept”に、”You Key”、
こちら
それから「Shito Shinjo (使徒信条)」も
若干音作りの違うバージョンだけど、
YouTubeに既に公開しているし、
こちら
“R.P.G.”はその例のFamicom Dojoというポッドキャストで
使われているし、
また教会のために作ったワーシップ曲である
“Give Us Your Miracles”も、
皆でシェアしたい曲なので、
先日、SoundCloudに、ダウンロード可能な状態で公開してしまった。
こちら
とても小さな規模ではあるけれど、
世界のどこかで、それなりに聞いて喜んでくれる人たちがいるというのは
とても幸せなものだ。
映画Back To The Futureになぞらえた文章を先日ブログ、ニューズレターに書いたが、
後で日本語にしてアップしようと思う。
しかし、とにもかくにも、
年内にこれが完成してよかったと思っている。
当初の予測では、年末年始で作業して、
完成は1月も半ばとか後半になるんじゃないかと思っていた。
ベースを録ったのが12月の第2週だったが、
そこから思いのほか自分の作業が早かったかもしれない。
一昨日のADW忘年会セッションといい、
年末年始は、まだパーティーも、演奏も、人と会う機会もあるが、
完成させた上で、楽な気持ちで、
年末年始のそれらのイベントに臨むことができたのは
本当になによりだ。
本当のことを言うと、
軽く虚脱感を感じていなくもない。
バンドの公式としても、
ちょっとだけ発言しているけれど、
今、僕には、
コンセプトアルバムのヴィジョンが与えられている。
その前に自然発生的にできてしまった
この”Japan Metal Jesus”は、
予定外のものであるが、
間違いなく僕らの到達点といえるものであり、
ある意味終着点でもあり、
しばらくこれ以上作品を作る気はないし、
いつも言っているように、
バンドの公式でも言っているように、
僕はいつでも音楽なんてやめたいと言っているように、
「よし、やり終えた、さあ辞めるか」
と言える最後の作品だ。
実際にこのバンドには終わりとか解散はありえないのは
重々承知の上だけれども。
また、その与えられたヴィジョンの
必ず作る、と公言してしまっている
コンセプトアルバムにしても、
それは、「作ってしまったら終わり」
という性質のものであるので、
実は永遠に作らないかもしれないし、
それを作るときというのは、
本当に作り終えて死ぬとか
そういう節目の時であると考えている。
願わくば「作る計画」だけで終わってほしいものである。
本当にやるとなったら a lot of workで大変な作業になるだろうから。
歴史や史実に基づいたコンセプトアルバムなんて
考えただけでも身震いがする。
虚脱感を覚えているのは、
決して楽観的ではない状況に対してだ。
これだけのものを作ったとしても、
それをいい形でリリースできるかはわからないし、
僕らは日本の一都市でもがいている
無名のローカルバンドに過ぎない。
ちょっとした熱心なfollowingしてくれる方々は
いるにしても。
今年は今まででいちばん規模の大きな遠征をやったし、
それをやり遂げた時点で
本当に虚脱して燃え尽きていたから、
遠征の成果はとても大きかったけれど、
その本当の成果を得るのは
実は作ったものを売り込んでいく
これからのプロセスであって
それを2012年につなげてこそ
完結するというものだ。
だから本当にこれからなんだけれど、
ひとまずこの年末年始のタイミングで
一息、センチメンタルになって虚脱しきっていたいと
願っている。
たとえば今まで作ってきた音楽を見返し(聞き返し)ても、
たとえば前作にあたる”Victory In Christ”にしても
(内容は本当に自信作だ)
その神さんが与えてくれた音とかスピリットを思うと、
大きな規模で発表ができていない自分に対して、
与えてくれた神さんに、
本当に申し訳なく思うわけで、
こんな僕で本当にいいんですか、と思うわけで、
しかし同時に抱く不遜な思いとしては、
本物のクリスチャンロック、
神の世界のロックンロールを目指す僕たちとしては
(クリスチャンになる前から志向するものは変わってなんか、いない)
つまりは僕らの音楽は世の中の状況や
目の前の状況に対して、
Too Good To Be Trueなのであって、
僕らはいわばインディペンデントな創作世界における
Too Good To Be Trueな奇跡のバンドなのであって、
だからその奇跡を発見した人だけが、
その音に触れることができるし、
その奇跡を信じた人だけが
その良さを理解できる。
その自負と誇りがあるからここまで歩いてこれたし、
それは死ぬまで貫くことに迷いはないし。
なによりも、
規模やお金や成功の話ではなく
どうやったら世界を変えることができるのか
という点において
信じているものがある。
振り返るに
2011年は、この日本でも世界でもだけど
神さんの導き、働きというか、
God is movingってやつを
感じられるというか、
なんか、起こってるというか、
少なくともこの12月現在の時点で、
「なんか、変わり始めてるんじゃね?」
日本のリバイバル、起こり始めてるんじゃねえの、
不思議な形で、
それから、ヘヴィメタルの世界においても、
少なくとも今この時点で、
僕はけっこう、そう信じている、確信を持っている。
来年の計画はあるにはある。
遠征の際に、テネシー州某所にて
ほら例のよくある、預言のたまものってのを持った人にさ、
言われたにはさ、
「扉が閉ざされた場所に、行くことができる、そんな力を持っている」
僕らはそういわれたわけだ。
現時点での僕の解釈は、
その扉を閉ざされた場所とは他でもないこの日本であって、
その閉ざされた場所に僕らはこうして行くことができるわけだ。
その扉が、今なんだか、こじ開けられようとしているようで、
来年の方針としてひとつ横浜(扉である)を中心に
Go Localしようという考えはあるのだ。
海外への売り込みもあるし、
乗っかりたい遠征もあるが、
いよいよがけっぷちの勝負ともいえる。
バンドは技巧、経験、精神的な団結など、
多くの面で現在素晴らしくベストな状態にあるが、
メンバーだってどれだけ2012年に活動ができるかは
保証はできない。
どちらにせよ
説明は難しいけれど、
誇りや矜持と同時に、
ここまでやって、やることを大体すべて
やり終えたなあという
虚脱感がないまぜになっている。
しかし終わりが新しい始まりであるように
すべてはまだ実は始まったばかりかもしれない。
どちらにせよ僕はロックンロールの神様たる(?)イエス・キリストさんの導きを信じているし、
今でもロックンロールに恋焦がれて涙を流したりしていることは確かだ。
この歳になるまで、
流す涙がまだ残っていることをこそ
本当に幸せだと思うべきだろう。
わかってる。