2011年2月の日記

■…2011年 2月 2日 (Wed)…….Skillet見てきた
Skillet見てきた。
@渋谷DUO。

ここは昨年、同じ場所でSwitchfootを見たけれど、
雰囲気も海外のハコっぽい雰囲気があるし、スペースも不思議な広さを感じるし、
海外の一流のバンドを見るにはちょうどいいハコだと言える。
大きすぎないしね。

Switchfootにもいえることだけれど、
で、たぶん本国アメリカではこんなに小さい会場でSkilletを見ることはあんまり難しいだろうと思われる。
その意味では日本のファンはラッキーかもしれない。

で、Skillet、
しょせん、月並みな音楽性の、売れ線のモダンヘヴィロックバンド、
音楽的にはあまり面白くないし、
あまり期待はしてなかった。

でも、当代一流のバンドのパフォーマンスを見れるだろうという期待はしていたけれど。

いやいや、実際に見てみると、これが大違い。
素晴らしかった。
twitterの感想を見ても皆書いてるけれど、CDを聴くよりも何倍も良い。
実測値で5倍くらいいい。

アルバムの音をきいて、
しょせんProTools時代の作られたバンドの音だと思っていたけれど、
実際は逆で、アルバムの作られた音は、バンドの本当のダイナミズムを収めきれていなかった。

そしてこれは個人的な感想なんだけれど、
僕が見た、2007年のSXSWで見た、数々の熱いバンドたちのステージ、
テキサス州はオースティンで見たやつ。

あの熱さを思い出した。

その意味ではSkilletは、日本公演においても、本国でやるのと同じ熱さのステージを間違いなく持ってきてくれたといえる。

アメリカという生々しい場所での、
最前線のバンドの音とメッセージ、強さ、
そして熱さ。

あのときの最前線の熱さを、思い出した。

それだけで、僕は心に火がついたし、
それだけで、このSkilletを今このときに見た価値は十分すぎるくらい僕にとってあった。

誤解してほしくないが、
これが実際にSXSWだったとしたら、僕はたぶん4,5曲聴いて、その場を離れている。
だってあの場所では、これくらい熱いステージが、そこかしこで行われていたんだから。

これだけ熱いライヴであっても、やはり、Skilletは音楽的に見れば、僕なんかからしてみればやっぱ面白味があまりない、その事実に変わりない。

しかし、それを上回って伝わってくるくらいの熱さがあった。
それがつまり、本物の熱さというやつだ。

すごい熱いバンドだった。
ベース&ヴォーカルのJohn Cooperはものすごく熱い男だった。
バカみたいにまっすぐで熱い男だった。

日本公演だというのにジーザスについてばっちり遠慮なく語ってやがった。

この男のバカみたいな熱さが、このバンドの原動力なんだと理解するのに時間はかからなかった。

まったくこの21世紀という時代には、ものすごいアーティスト、表現者がたくさん居るものだ。
そして、その熱い最前線に僕も飛び込みたい、
そう思ったからこそ今僕はここにいる。

そして、ドラマー。
最新作アルバム”Awake”から加入した、19歳?だか20歳?だかの若い女性ドラマー。

これがまた想像を超えていた。

見ているだけで楽しくなるドラマーというのがいる。

このキュートなルックスの若いドラマー、
Jen Ledger、

動画で見て、大振りなハイハットはいかにも初心者ぽいドラミングだと思ったけれど、
実際に見ると大違いだった。

体全体で叩く、そのパフォーマンスが素晴らしかった。
体全体でパフォーマンスしながら、大振りで叩くその激しいドラミングは、
見ているだけでこちらの体まで動いてしまうのだ。

技術的に見れば、やはり未熟なところ、それほどでもない部分が多いと思うのだけれど、
こうしたロックバンドのドラマーに、そういったテクニックは必ずしも必要ないし、

彼女にはそれ以上のもの、天性のものがあった。
それはテクニックというよりは、人間性、天性のノリ、
そしてやっぱり熱さだろう。

インタビューをネットで拾ってみたら、
この女性ドラマーが加入した経緯は、
たまたまヴォーカルのJohnと同じ教会に通っていた、
ということらしい。

神さんの配剤ってこと、
そして、やっぱ信仰の熱さか。

ぶっちゃけ、このドラマーに8割がた持ってかれた感がある。

miasukeさん、これは良いライバルが、海の向こうに見つかったんじゃないでしょうか(笑)

そして、バンド全体に、その熱さがあった。

そうして、こんな熱さの表現の向こうにある、
信仰ということを、
そのアメリカの社会の中における、
こうしたメディアや音楽を通じた表現ということを含めて。

感じるものが多かった。

これ以上は言葉にする必要もないだろう。

このバンドの、
とんでもない熱さを理解した。

やはり、実際に見なければ、わからないもんだね。

ネットで拾ってきたセットリスト

Hero
Whispers in the dark
Better than drugs
Comatose
Awake and Alive
Believe
It’s not me it’s you
Those nights
Last night
Drum solo / guitar solo
Sometimes
Lucy
Monster
Reberthing

(encore)
Savior

No(754)

■…2011年 2月 6日 (Sun)…….言い訳と収穫
この宿題いっぱいで忙しい折ではあるが、

まずは全力で昨日の言い訳を書いておこうと思う(笑)

Above Da Worldの、昨年秋からスタートしたセッション企画、
G-1 Street Lethalに、

のこのこ参加してきたのであるが、

自分が、このへたっぴにも関わらずのこのこ参加してきたのであるが、またも懲りずに、

けっこうヴォーカルにチャレンジしちゃったりと無茶してきたのであるが、

今回、結構自分で目標設定してこんなセッション一回にも出向いていったので、
ギターはいつもよりはこういう場において萎縮したり遠慮してしまう自分のわりには、
いつもよりギターはまともに弾けていたと思うが、これでも、

やはりヴォーカルはそうもいかなかったのであるが、

それでも、自分の設定していた努力目標はクリアすることができたということを書いておきたい。

ことに、自分がイマリトーンズという自身のバンドで、表現している事柄というのは、
やはりちょっと特殊なことであるということなのだ。

このバンドは矛盾に満ちている。
そして、やっぱりちょっと、「違う」ことでいっぱいなバンドだ。

周囲の常識に合わせていたら、このバンドで鳴らしている音は、一音たりとも出てこない。

僕はやっぱ基本的にそれくらい、周囲と「違う」ことばかりだということだ。

今までこういうようなカジュアルなHR/HM系のセッションに参加した経験がまったく無いわけではないので、
また、今までこういう一般的な機会に触れたことがまったく無いわけではないので、
予想は十分していた。

特にヴォーカルというか声は、自分で気持ちの制御のきかない部分であるので、

こういう一般的な場に来た場合、
「人見知り」と「不安」、それから「同調圧力」によって、
自分の中の声というか歌い手さんが、
おびえてまったく声が出なくなってしまう。

「ヘヴィメタルバンドはこうあるべき」
「ヴォーカリストとはこういうもの」
「ロックバンドとはこういうもの」

(気のせいかもしれないが)
そうした無言の同調圧力が強い場所においては、
僕は1ミリたりとも、自分の表現ができなくなってしまう。

一般的な上手いヴォーカリストではぜんぜんなく、
特異な表現とキャラクターである自分の場合は、
また、声というのは精神的な、また、自分自身のコンプレックスと直接につながっている部分でもあるので、
声、ヴォーカルという部分においてはそこは顕著にごまかしが効かない。

自分が、自分のバンドの演奏の前にも、
瞑想、祈り、といった、覚悟を決める行為を必要とするのはそういった理由があるし、

そういった同調圧力の少ない海外での演奏において、
イマリトーンズがいきなり自社比200%の実力を発揮するのも、
要はそういった理由だ。

それでも、それをなんとか克服するべく、
やるだけのことをやってみるというのが昨日の課題だった。

まず自分の中の臆病な歌い手さんを、
安心させて、リラックスさせて、その上でないと声なんて出ない、
十分にわかっていることだったから、
ひどいパフォーマンスになることは半ば予想していたけれど、
それでも負けずにチャレンジし続けてみるというのが自分に設定した課題だった。

だんだん自分が落ち着いてきて、
また、クロジュン(くろちゃん)が遅れて到着したあたりから、
(自分を理解してくれる人間が居る、という安心感から)
少しずつ声が出るようになってきたこと、

また、それまで不安と緊張でヴィブラートをかける余裕なんてなかったのに、
くろちゃんの素晴らしいヴィブラートの上にハモりを重ねた瞬間に、
自分もヴィブラートを取り戻したり、
そういう現象があった。

だから、ほんとはもう一周セットをやったら、
もうちっとまともな歌唱ができたんじゃないかなとは思う。
とはいえ、まあこんなもんだとは思うけど。

昨日は、でしゃばってひどいヴォーカルを披露して、
皆さんの演奏をちょいとばかし汚してしまって申し訳なかったが、

こうした自分の領域の外で得た経験の1ポイントが、
自分のバンド、自分の領域に戻ったときには、
10倍になって返ってくる、
そこをご理解いただいて、ご容赦いただきたい。

実際、この日の経験が、
自分のバンドで、大事な機会を迎えたときには、
貴重な経験として力になってくれるはずだと思う。

たかだか気軽なセッションではあるけれど、
自分にはこういうののひとつひとつは、そういうことだった。

人見知り、恥ずかしがりという点も含めて、
こういうのも、慣れて、自分が安心できるようになれば、
慣れればだんだんマシになってくると思う。

こんなひどい声をしていても、
自分のバンド、自分の表現の領域の中では、

そこは非常に特異な場所であるけれど、

一応はきちんと演奏として成立し、
下手すると海外に通用してしまうような、
歌唱ができたりもするのだ、これでも。

そして、くろちゃんや、熱きリョウ氏など、一緒にやったヴォーカリストさんたちは、
結構同意してくれると思うけれど、

イマリトーンズのレパートリーを、全部きちんと歌えるヴォーカリストというのは、
けっこう、居ないものなのだ。
そういった非常に上手いヴォーカリストさんたちであっても。

そういえば、僕がくろちゃんの力を借りるのは、
そういった同調圧力が、比較的強いと思われる場、
そういうステージ、機会において、
クロジュン氏の助けを借りる、
戦略的には、そういうことだ。

国内での機会において、そういった機会が多いのも、
上記の理由による。

逆にいえば、同調圧力が少なく、わりと常に自分自身でいられる海外の機会では、
あまり必要がないのも、上記の理由だ。

No(755)

■…2011年 2月 8日 (Tue)…….memo
ジーザスこそが中心

ジーザスこそが手本

ジーザスこそが基準

「悔い改めやがれ」は、「ジーザスを見よ」に近い。

ロックの手本がエルヴィスならば、人間の手本はイエス・キリスト

栄光はぜんぶ神さんとジーザスに

はたしてクリスチャンが多い国であっても

いったいどれくらいの人がほんとにクリスチャンなのか

無宗教仏教徒の日本人の中に、神さんのみこころにかなうやつはどれだけいるのか

形式的に、クリスチャンかどうか

それ以上に

どれだけそいつが神さんとジーザスのみこころに

かなっているのか

ただ、どうあがいても、信実はひとつだけ

宗教、信仰とはそれをわかりやすく形にしたもの

しかし言葉や形では、やはり本当には、伝えられない

唯一伝える方法は、身をもって、実をもって、行動をもってするしかない

だからこそジーザスと十字架はすごい

言葉でなくて、パーティーしようぜ、となると、

それは結局、ロックと同じことだ

Let’s get on the glory train.

No(756)

■…2011年 2月 8日 (Tue)…….ブッチャーズ映画
こちら

bloodthisty butchersのドキュメント映画”Kocorono”を見てきた。

タイトル安直すぎですが。

いつも言ってるし、何度でも言うが、

僕が日本のロックバンドの中でいちばん好きなのはbloodthirsty butchersだ。

そして、僕が知っている中で(そりゃ、見聞狭いかもしらんが)

日本のロックの歴史上、いちばん凄いバンドだと思うのは、

bloodthirsty butchersだ。

これまた、周囲の誰もわかってくれないが。

この映画は、生々しいドキュメントで、

まあ、思ったほどではなかったけど、意外とさらっと見れたし。

要するに、21世紀のロックシーンの常識として、

この程度のバンドは、バカ売れもしなければ、

結果として、なかなか食えないんだけど、

それでもロックし続けていくという現状があって、

でも、あの、お子さんがランドセル背負って、

ひさ子さんがすごく「お母さん」な格好で、

あのシーンは新鮮だったな。

そして、バンドを続けていくということの
重さを思った。

射守矢さん、地元に帰るシーンもだけど、
バンドの皆さん、
北の国の漁師さんみたいだった。

さしずめツアーは遠洋漁業か出稼ぎか。

まさに人を捕る漁師にしてやろう状態。

吉村氏も、けっこう、ドキュメント映像の中に記録された吉村氏も、

予想以上に不器用な感じで、

なんか、僕も、
バンドのメンバーに対して、どう接していくべきか、
とか、
考えたけど、

よけいに考えちゃった(笑)

しかしとにかく、
印象的な言葉、
印象的なシーン、

貴重な情報、
貴重な映像が、

たくさんあってとても勉強と参考になる映画でした。

新代田Feverのライヴシーンで、一瞬僕も写っていたような気がするぞ!

No(757)

■…2011年 2月 9日 (Wed)…….こういうパーマは変だと
自分の罪はなんですかー

って点については、

もうずっと前に神さんに聞いて一応答えをもらってるけれど

原罪ってどういうの

っていったら

僕の好きな漫画に、「軍鶏」っていう暗~い空手漫画があるけれど、

あれの、中国編のラストでさ、

「ナルシマリョウ、強敵に挑むときのお前の顔は、俺にもまして醜いぞ。
おまえはこれから、その歪んだ顔を死ぬまで曝していくのだー」

っていうシーンがあった。

そういうことだよな、
って思った。

格闘家としての彼の。

僕の場合もおんなじだ。

凶暴な闘争本能に従い、

醜く歪んだ素顔を、曝してゆく。

それは、仕方ないんだ、

それが人として生まれた罪なんだから。

罪(sin)
それは、
的外れ、
のことだと、キリスト教では教えられる(みたい)。

的を射ているやつなんか、
いやしない。

ジーザスその人以外には。

こういうことか

sinner

母さんが言うこういうパーマは変だと

No(758)

■…2011年 2月 9日 (Wed)…….こたえあわせ
シャワールームで曲を思いついたり、
アイディアを思いついたり
することを考えると、

わざわざ滝に打たれる必要そんなにないなあと思う。

求めていたものがわかった。

救いってこともなんとなくわかった。

何が正しいかとかそんなことじゃない。

たぶんキリストはそういうことじゃない。

僕がこの人生で求めていたもの

何といって生まれてきたのか

この胸の動悸は、恋する人に愛を伝えるその不安と昂ぶりだった

少なくとも、僕は今、

神さんだけは僕をありのまま受け入れてくれると知っている。

無条件の愛というのは本当だった。

何が正しいとか、そんなんじゃない。

そうだろう、吉村さん。

do

you

love

me

言葉ってのは不思議なもので

言ったことと違うことを実際に発していることがある。

僕が少年時代、法律家になる、と言ったとき、

実際には、神よあなたに仕えます、と言っていた。

知らなかったけど、知らない間にそう言ってしまっていた。

おんなじように、

パンクロッカーが中指を立ててみせるとき、

たぶん彼は俺を愛してくれ、と言っている。

不器用なやつだ、
なあ、btb吉村秀樹よ。

さて、リハに出かけよう。

No(759)

■…2011年 2月 9日 (Wed)…….Untitled
ロックよお前はどれだけわがままなんだ
こんなに愛を欲しがるなんて
いいだろう全部くれてやろう
俺はお前を愛しているから

ロックよお前はどれだけ寂しがりなのだ
こんなに俺の手を焼かせるなんて
いいだろう全部くれてやろう
俺はお前を愛しているから

ロックよお前は俺の恋人だ
どんな性悪女よりも
お前の方がたちが悪い
だが俺は知っている
お前が決して裏切らないことを
お前のくちづけがどんなに甘いかを

christianity is about Love, not about Law

No(760)

■…2011年 2月 9日 (Wed)…….明日は新宿
書き忘れていたけれど、

明日、2/10(木)、
イマリトーンズ、

新宿Wild Side Tokyoにて、
演奏してきます。
こちら

出番は19:50–20:20、

前売1400、当日1900、+1drink

来られる方おられれば連絡ください。

当面、少なくとも遠征予定までは、

この後はライヴ予定が入っていないので、

この先、しばらくライヴないかも。

やたらヘヴィな新曲、”Truth”を人前初披露します。

先週のADWセッションで精神的にダメだったショックをひきずってたり、
長いメール書いたのの精神的な消耗とかで、
声が出ない。

でも、そうはいっても、
だんだんと技術やパフォーマンスが向上しているのは確か。

ひとまず今日のリハはかなり好調。

バンド内にはいいモメンタムが生まれています。

中指立ててケンカ挑んだということは、

ロックバンドにとってはそれはやはり、正しいことだったようで。

多くの学びとtransformが進行中。

少なくとも昨日見たbloodthirsty butchersの映画よりは、
バンド内の雰囲気はいい(笑)

感謝します。

No(761)

■…2011年 2月12日 (Sat)…….officially broken
さて先日木曜日の、
Wild Side Tokyoにての演奏うまくいきました。

やはり演奏によって答えを出すということが
ぼくらはロックバンドなので

演奏によっていろんな迷いを吹き飛ばすことが

できるみたいです

結果を出すのはそこだ。

答えはそこにこそある。

いろいろと見てのとおり、
ケンカ売ったり
風呂敷ひろげてみたり

したおかげで、

賛否両論、

いろいろの準備に追われていることもあり

精神的にも、いろんなプレッシャーが
かかっているんですが

あとは、先週のADWセッションのときに、
歌に挑戦したときに、
いろんな理由で声がでなくてひどい歌唱を中途半端に人前でしてしまったこととかも
ひきずっていて

声なんて出ないんじゃないかと思ったんですが

出ました。

(モニターの関係で音程フラット気味だったけどね)

理由は、
もう全部神さんに丸投げしたらラクになった。

思ったのはね、

こう、この場面にきて、

精神的にやたら意味不明のプレッシャーがかかって、
神さんに頭を押さえつけられてるのは、

ああ、ここはまかせとけ、ということかな、と。
おまえはもう力を抜け、と。
おまえはもう何もすんな、と。

だからオレは思ったね、

こんな大風呂敷ひろげて、
中指たててケンカ売って、

かといって、こんなおっきな目標、
オレ自身の手に負えるわけ無い。

オレ個人の力ではどうにもならん。

だから、上の人に、神さんに、
これはまる投げしちまっていいんだなと。
まる投げしちまう時期にきたんだなと。

そう思ったら、すごくラクになった。
そして、いろいろ変わった。

ドキュメント映画の中のbtb吉村氏のように、
「もう知らん」
と言うことができた。

これが、いわゆるクリスチャン用語で言うところの、
砕かれる、というやつなのかは、知らんけれど。

ことに、あの映画をこの時期に見れたこともよかったし、
バンド内のケミストリーも日に日に違うものへと、変化してきている。

文章で伝えるのは、難しいけれど。

さて、
人前で初披露となった、
新しい曲、略して新曲。
いや新曲って言葉が恥ずかしくてさ。
レコーディングとかツアーって言葉も恥ずかしいけど。
アルバムと呼ばずに作品と呼んじゃうし。

で、初披露の新曲、チャレンジしました。

Truthっていう曲。とても難しいのです。
初めてにしてはうまくいったほうかな。

こちら

Testimonyは最初の音以外はほぼ完璧だったかな。

こちら

Faith Rider、クロジュンのバージョンがおなじみになっているけれど、
これが本家というか僕の歌ってるバージョンなんだからねっ!

こちら

そんで、クラウドファンディング始まってます。
ちょっとずつ皆さんに頭を下げて、広めていきます。

こういうのも賛否両論あるとは思うんですが、よろしくです。
募金にはアメリカのアマゾンのアカウントが必要みたいですが、
話を広めていただけると嬉しいです。

こちら

以上、
感謝。

No(762)

■…2011年 2月13日 (Sun)…….neworld2011
火に油を注ぎ、
振りかざした刀をさらに振り上げるような。

新しい世界。

その風景を見せられたのが今から15年前。

その言葉を与えられたのが今から10年前。

あと何年でそこにたどり着ける?

クリスチャンってどういうことだろう。

Jesus Followerってどういうことだろう。

僕は日本の社会を否定しているんじゃない。

この物質社会そのものを否定しているんだ。

僕はどこかの外国に移り住みたいんじゃない。

新しい価値観の世界に移り住みたいんだ。

僕は成功が欲しいんじゃない。

価値観を変えていきたいんだ。

この世界が沈没するとしたら、
そこには救命ボートはちゃんとあるんだという話を聞いた。

僕が思うにはそれは救命ボートなんて小さなものじゃない。

今ぼくたちがいる旧い世界のすぐとなりに、
もうひとつの新しい世界がある。

扉はもうとっくに開いている。

新しい世界には、
広大な土地がある。

早くこっちに移っておいでよ、
って、声が聞こえる。

けっこう前から、聞こえていた。

でも、そこに行く人は少ない。

まだまだ、広大な土地が、誰にも知られずに遊んでる。

でも、今、ワーシップの準備をしているけれど、
やはり、神の栄光は、
声をあわせて歌う、
皆の歌声の中にこそあるんだなあ、

一人の力じゃない。

そう思う。

その新しい世界に、歌声を合わせて突入していくのは、
喜びにあふれたクリスチャンたちだろうと、
やっぱり僕はそう思う。

進撃しろ、
新しいフロンティアへ。

こちら

No(763)

■…2011年 2月13日 (Sun)…….垣間見てカルテット
先日の新宿のライヴでのときに、ちょっと話したんだけれど、

あの日、リハーサルが終わって、

ライヴハウスの向かいの、フレッシュネスバーガーで、コーヒーを飲んでいた。

本番までの時間をつぶすために。

コーヒー飲みながらiPhone聖書でも読もうと思ってさ。

時間帯のせいか、お客さんは僕一人だった。

僕は、コーヒーを飲んでいると、

スーツを着た二人の男性が入ってきた。

彼らは僕のすぐ近くの席に座ると、話し始めた。

音楽業界の人間だということは、すぐにわかった。

聞き耳をたてるまでもなく、話はぜんぶ、聞こえてしまう。

彼らは、つい先日、解散した、

(略)

そんな名前のバンドについて、語りだした。

つい先日、解散した、そのバンドの裏話を、

彼らは、ビジネスマンの視点から、語っていく。

音楽業界の人というのは、
そもそもアートであり、ビジネスとなじみにくい、
ロックバンド、アーティストといったものを、

うまくビジネスとして成立させ、
世の中に伝えていく役目がある。

それは、とても大変で、微妙な役割で、
音楽やアーティストへの愛情と、
世の中へのバランス感覚、
バンドやその周辺へのマネージメントの感覚、

そういったものが、必要で、
しかし、業界に携わる人は多くはそうだけれど、

やはり愛情がなければやっていけないなあ、と、

そんな彼らの立場を思った。

一人の男性はどうやら、
バンドを、インディーズ時代に支えていた人間、
その後、成長するバンドに負けまいと、
自らもメジャーの業界に入り、今も活躍している人のようだった。

もう一人は、おそらくはジャーナリストだろう。
おそらくは、解散の真相や、解散にあたって、バンドのいろいろな歴史や、事情を、取材しているのだろう。

その (略) というバンドについて、
僕はぜんぜん、曲も聴いたことないのに、

やたらといっぱい裏話を、聞いてしまった。

ものすごく大風呂敷を広げた、
リーダーの、Nさんという人。
その大風呂敷は、もちろん、かんちがいの部分もありつつも、
そのギラギラしたものに、皆は魅せられたいたのだろう。

しかし、バンドは物語であり、情緒だ。

人は、音の向こうに、勝手に物語を見る。

その物語を消費する。

そういうもんだし、それでいい。

しかし、彼がつむぐ物語に、聴衆は、決して追いついていたわけではなかった。
彼が期待する速度で、聴衆の反応は決して、その彼の期待の速度とは、ずれがあったのだろう。

そして、彼が目指していた、
そういった往年のロックバンドたちのような、
お茶の間に浸透するような成功。

ライヴハウスからたたき上げてそうなったのは、
もはやイエモンが最後だったと、彼らは言っていた。
ナンバーガールにしろスーパーカーにしろくるりにしろ、
お茶の間には行っていないから。

しかしもはやそういった時代ではなく、
彼の中では、そこへ追いつけない温度差もあったのかもしれない。

彼の中では、インディーズ時代から、
もっとメジャーに飛べるはずなのに、
もっともっと、大きく世界を変えていけるのに、
という思いが、あったのかもしれない。

サポートで加入したギターの話であるとか、

ワンマンバンドっぷり、

着る服のセンスの話、
(しかし、そのほどよいバランス感覚は、音楽にはビジネス感覚としては活かしきれなかったと、
でも、そのほうが、音楽家として、真実で、かわいいじゃん)

ジャケットの話、

アジカンの話、

なんかもう、忘れたけれど、

いちばんは、話の内容よりも、
その、見たことも聴いたことも会ったことも無い彼の、
体臭と、
それを取り巻く人達の思いの記録を、

肌で感じることができたことが、
なにより貴重な情報だった。

いちばん、やはり親近感を持ったのは、
広げた風呂敷の大きさ。

さて、僕の風呂敷はどうだろうか。

(略)

聴いてみた。

うん。
わかるよ。(ような気がする)
わかったと思う。(たぶん気のせい)

もし10年早かったら。
彼らはそう言っていた。

でも、そんな単純な話だろうか。

この時代、比較的無名に、ローカルに留まっている、
超メジャー級の才能が、
たとえばこの東京という街ひとつだけでも、
どれだけいるだろう。

日本の音楽シーンの歴史に。
どれだけいただろう。

しかし、バンドは物語であり、情緒だ。

人は、音の向こうに、勝手に物語を見る。

その物語を消費する。

そういうもんだし、それでいい。

物語をひとつ、垣間見た。

それだけのこと。

No(764)

■…2011年 2月14日 (Mon)…….Battle already won…long ago
さて、
先日は雪の中、ゆたか先輩と、新宿にてデートしていただき、
いろいろなお話をシェアしていただきました。

それはそれは、とても本当に、本当にありがたいことで、嬉しいことで、
本当にありがたいことです。

先日のブッチャーズの映画といい、
偶然聞いたxxxなんちゃらというバンドの裏話といい、

ほんとうに、ひとつのお話の続きのように、
今の自分に必要な情報や、ストーリーが、示されることは、
ほんとうに、なんちゅーかありがたいなと思っています。

メールをくれた皆様、
一緒に悩んでくれた皆様、
それらのことが、すべて、僕にとって気付きであり、
自分が一皮むけていく過程の、助けになってくれています。
本当に感謝するのです。ありがとう。

そして、今日のちゃーちでは、
まーく・ばんやーどさんがゲストスピーカーで来ていて、

またいろいろなお話を聞くことができました。

これらのことにも、
きちんとちゃんと、今じぶんに関連のある事柄が情報が、含まれていて、
というよりはドンピシャで、含まれていて、

いつだって神様はそういうものだけれど、
おもしろいもんだなあ、と、
思っています。

まーくばんやーどさんは、
最初、日本に住むことになったとき、
本当は最初は日本には来たくなかったそうですが、
しかし、こうして今、日本と深いかかわりを持った後、
ほんとうにこの国のことを考えて、この国の信仰のことも本当に熱く考えてくれている人だと思いました。

そして、彼が今日しゃべってくれた内容も、
僕が、ここ最近、与えられたことと、符号することで、
僕にとっては、とても、それは、だったけれど、
そして、さらに明快な答えであったけれど、

さらに今日気付いたのは。

たとえば、孫子の兵法とかにはね、
書いてあると思うんだ。

戦いというのは、始まる前に、すでに勝負がついている。

ということが。

まず勝って、しかるのちに、戦いを挑む、というようなことが。

つまり戦いに限らず、物事ってのは、大抵、
始まる前から、だいたいのことは、決まってしまっていると思うのだけれど。

だけれど、今、僕らが挑んでいる戦いは、
挑んでいる相手も大きいし、
しょせん、勝ち目ないなあ、

兵法の基本から言うと、絶対勝てないけど、
それでもやるしかないんだなあ、
と、
思っていたけど。

だから、
いかに戦って、いかに美しく負けるかを考えていたんだけれど、

そうじゃないってことがわかった。

始まる前から、僕らは、最初っから、とっくに、
とっくの昔に、
勝っていた。

だから、力む必要も、必死になる必要も、
無いんだなあ、と。

そういや、聖書にも、
わたしはすでに世に勝利した、とか、
そういうようなことが、
書いてあるよなあ、

負け戦をやるもんだと思って、
その美学を考えていたのに、

実際は、もっとおっきなところで、
最初っから、リアルタイムでとっくに勝っていた。

これは、僕の認識不足だった。

まず勝って、しかる後に戦いを挑むべし。

実際はやっぱ兵法書のとおりだった。

勝っているからこそ、戦いを挑むんだ。

これは、クリスチャンになるために洗礼受けるんじゃなくて、
クリスチャンになったから、洗礼を受ける、というのと同じようなもんか。

僕らはもうとっくに勝っている。

そして、だからこそ僕は戦いを挑む。

だから、笑って戦いを継続すればいいんだということがわかった。

クリスチャンの基本原則として、
いっぺん死んだりする必要はあるのかもしらんけど、
それはそれ、折込済みやし。

局地的にローカルで負けていても、大局では圧倒的にやっぱ、
神の軍勢は、勝っとるなと。

ごめん、話がややこしくてうまく文章にできん。

自分のためのメモってことで。

まあ、とりあえず今日のちゃーちでは、
オラに元気をわけてくれ、と
みんなが手をかざして、
力を受け取ろうとしているところ、

僕は、
「いらん、いらん、全部投げるで、神さん」
みたいに、
自分の荷物をぜんぶ神さんに放り投げておりました。

No(765)

■…2011年 2月23日 (Wed)…….You Key
曲を2曲書いた。すげえ曲だと言いたいところだ。ここへきてこのタイミングで。某所での録音はこの2曲を取り上げたい。これは賭けのようなものだ。

どちらも、今までの僕らから、一歩も二歩も踏み出さなくては演奏できない曲たちだ。この曲たちをもって、新しい自分たちへと変わり、扉を開くきっかけとしたい。

やはり音楽を中心としてすべてがまわり、音楽によって導かれるのがバンドマンとして自然な姿だ。音楽を鳴らすために僕らは成長する。

内面的な自己完結で終わる曲ではなくて、なんだか外へとコミュニケーションに向かう曲になっている。別に成長したわけじゃない。勝手にそういうのが出来ただけだ。これは宿題だということだと思う。

さてメンバーがこれにどうリアクションするか。今日はリハの日だ。

No(766)

■…2011年 2月25日 (Fri)…….メッセンジャー天使
やっと日記書く。

でね、いろいろ狭い見聞の中でためしてみた中によると、

どうやら現代の、いや、あるいはもっと、今までのロックシーンの中で、

もっとも最強、というか、
別に単純に実力、とかじゃなくて、

人気、商業的、音楽的、そんで運命とか使命、
そういうもんを総合して、

ともかくも現代ロックシーン、
ヘヴィロックシーンで、
最強の、
most powerfulなバンドは、

どうやらREDらしいと、
判明してきたわけです。

僕の中では。

メジャーなもの、アンダーグラウンドなもの、
知っている範囲で、縁のあったものは、聴くんだけど、

アンダーグラウンドなものが大好きで、そっちの方が音楽的にも良いと思うけど、

メジャーで商業的にも大きな、その時代のバンドの中では、
現代においてどうやらこのREDというバンドが、
ちょっといろんな意味で頭ひとつふたつ抜けているようだ、

ということが判明してきたわけです僕の中で。

なんかね、
Wikipediaでバンドの歴史を見ると、
2004年結成、
そんで、さっくりとSony BGMとのレコード契約を手に入れて、
2006年にはデビューアルバムを発表、

それがさっくりとグラミーにノミネートされている。

あんまり、これを見る限りでは、苦労しているように見えないというか、
あまりにさっくりと成功しているというか、

なんかね、なにかの力が働いているように見えるんだよね。

でも、このバンドの音楽を理解すると、
なんかそれも頷けるような気がしてくるんだな。

前にもちょっと書いたように、

このREDというバンドの音楽は、
なんというかいわゆる今の時代の売れ線のヘヴィロックの音で、

ProTools時代の人工的でスキのないバンドサウンドに、
打ち込みや、特にストリングスを効果的に取り入れて、
まるで映画音楽のようにドラマティック、

おい、おまえら、シーケンサーやストリングスとの同期なしには、
生演奏できないだろう、という、そんなことも思いつつ、

そんで、音楽的には、
暗い、悲壮、壮絶、そして美しい、

それが最初っから最後までつづくという、
実にワンパターンな、

そんな感じなので、しょせん売れ線じゃん、
と、思っていた、

でも、似たようなサウンドを展開している、
Skilletとか、いまどきのその他のバンドと比較してみると、

その徹底したメッセージ性が、ちょっと突き抜けているような気がして、

また、非常に美しいメロディライン、
そして、Michael Barnesの、非常に美しいヴォーカル、

これがあって、
実力的に、ちょっと突き抜けているような気がしていたんだよね。

で、最近リリースされた3rdアルバムを聞いて、
その予想を3倍から5倍くらい越えた出来のよさに、

さすがにこのバンドがちょっと普通でないことがわかってきた。

今、このREDというバンドが、どれだけ売れてるのか、
現代ヘヴィロックシーンの中で、
あるいはクリスチャンミュージックシーンの中で、

どういう立ち位置にあるのか、

わからないけれど、

たぶん、実質的、音楽的、そして最終的には運命的にも、

現代ロックシーンの中で、
彼らは台風の目になるだろう。

彼らを中心に、きっとまわることになるだろう。

それだけの、実力と、運命的なものを、彼らには感じる。

思うのは、
これだけ、悲壮で、壮絶で、暗い音楽が、
アメリカや世界のメジャーシーンで、
ましてやクリスチャンミュージックというラベルを伴って、
これだけ売れているという事実。

たんにトレンドや流行といってしまえばそれまでなのだけれど、

歌詞の内容がどうかにかかわらず
(実はちゃんとチェックしてない笑)

穿った見方かもしれないんだけれど、
これは、
彼らの音楽が、
キリストの再臨であるとか、
世界の終焉であるとか、

そんな宗教的なことを、
示唆していないとも限らないんじゃないかと、
そんな気がするようなしないような、

しないでもないんだ(笑)

世界各地での災害、
政情不安、

すでに、世界は、音をたてて壊れ始めているのかもしれないし、
そういったことを感じている人も、少なくないと思うけれど、

REDの音楽は、そういった時代の、
アーティストとしての、偽らざるメッセージなのかもしれない。

彼らは滅びを告げる天使か。

あるいはクリスチャンミュージックのラベルを背負った悪魔か。

あるいはただのよくあるロックバンドか。

どっちでもいいけれど。

でも、どちらにしろ、
神は彼らを選ばれたのだと思う。

時代のメッセンジャーとして。

とにもかくにも、
REDの3rdアルバム、
Until We Have Facesが、

予想をはるかに越えて出来がいい。

今まで聞いてきたメジャーな音楽の中で、
ここまでの意義を背負ったものは初めてかもしれない。

またひとつ、こういうバンドを見聞きすることができて嬉しく思う。

こちら

Demoこうやって歌詞を見ると、
彼らがまぎれもない味方であることがわかるな・・・・

うーん壮絶。

No(767)

■…2011年 2月25日 (Fri)…….町田教会と登戸教会と三茶ライヴ
まずは町田FUSE、

先日、いくつか挑戦的な文章を書いた中のうちに、

周囲の教会関係のがいじんさんたちや、
宣教師のがいじんさんたち、

facebookには居るんだけれど、
mixiで見かけたことないよね、

ほんとに日本人と交流してPRしたいんなら、
ミクシィもやらなきゃいけないんじゃない、

って書いたら、

早速、町田FUSEのマークさんユイコさんが、
反応を返してくれまして。
偉いなあと。

そんな町田FUSEのコミュニティがこちらです。

こちら

ほんと、チェックしてみてください、クリスチャンの方は特に。

mixiで交流のあるクリスチャンの方々、ほとんど日本人、

と、facebookで交流のあるクリスチャンの方々、ほとんど外国人、

その間に、あまり接点や交流がないのが、僕はちょっとどうにかしたくって。

でもやっぱmixiってハードル高いみたいなんだよね。
登録には日本の携帯電話が必要だから、
海外の人は登録できないし、

あとはやっぱ言葉のカベってかなり高い。

文化としても、mixiはすごく日本人っぽいウェットな感じだから、

日本人のための日本人によるソーシャルサイトというか。

でも、そういうのを学んで切り込んでいくガイジンさんがいてほしいなと思うわけですよ。

町田FUSEに関しては、
ユイコさんが日本語を担当できるからいいと思うんだけれど、

日本語がよほどできないと、Mixiとかってふつうの外国人の方にとってはやっぱり。

でもね、最近、日本でもfacebookが、かなり流行ってきたから、

こういうところから、意外と実は、
文化が変わっていくのかな、なんて思います。

iPhoneが日本でこれだけ普及したように。

facebookを通じて、
言葉はわるいけど、グローバルな環境が入ってくることによって、
信仰という環境も、整えられていくのかもしれない。

もっと流行れfacebook!(笑)

次、登戸。

こちら

そのFuse Jesus Communityとも関連があるところなんだけれど、

登戸エクレシアで、

今度の土曜日、もうあさってか、

に、WINDのコンサートがあるのね。

WINDというのは、
ケリー家の皆さんのファミリーバンド。

クリスチャンバンドだけれど、
お父さんのNoriさん
(日系。すげえギタリスト。)
は、バリバリにプログレの人だし、

音楽的にもかなり面白いのね。

で、最近知ったんだけれど、
ケリーさんちのリジーちゃんは、
NHK教育の英語番組に出てるって。

ほんとだー、出てる。すごい!プチドラマで演技してる!
こちら

で、ケリー家の皆さん
3月にアメリカに帰っちゃうんだよね。

うちのヤオ牧師を通じて、僕も彼らと知り合って、
けっこういろいろ、お世話になったから、

また、これからもきっとkeep in touchするだろうから、

もちろん見にいきます。

最後、
ぼくらイマリトーンズ、

ええと急遽決まりまして、

3月7日(月)
三軒茶屋ヘブンズドアにてライヴしてきます。

こちら

出番は20:20–20:50の予定。

三軒茶屋ヘブンズドアは、なんというか、インディー色、アンダーグラウンド色が強いハコ。独特の雰囲気がある。よくもわるくも、日本のオルタナティヴっぽい。

なんか僕らはハードロック系とかメタル系の中でも、
ちょっと毛色が違うので、

ライヴハウスでも、いわゆるメタル系のハコじゃなくて、
こういうところで演奏したりすることになるんですが、

それはそれ、気に入っています。その自分らの立ち位置。

がんばります。
よろしく。

また、3月13日(日)
には、自分らの教会VICにて、ワーシップ演奏します。
4曲だけの予定だけど。
自分らの曲もやるし。

それは、13:30くらいから横浜は日ノ出町のシャノアールっていう場所です。

こちら

さて、新曲がさらにふたつできちゃったんで、
こうなると4月前半とかにももう一本くらいライヴやっておきたいなー
とちょっと思います。

なんかあったら誘ってくだサイ。

異常
じゃない
以上。

No(768)

■…2011年 2月26日 (Sat)…….背中difference
なんかね、

僕の手は正面というのか、前にだけついていて、
その手をいっしょうけんめいに伸ばして
たたかっていたり、
ものごとをきりひらく、

でも、
人に何かを与えたり
人に何かを伝えたり
するための手は、
僕の前にはついておらず、
僕の背中にしかついていないのでないかと

そんなことを思った。

思ったので、さっそくそれを歌詞に使ってみた(笑)

でも、日本語には、背中で語る、みたいな表現がある。
男は背中で語る、とか、背中で泣く、とか、
ずいぶん高機能な背中を日本人は持っている。

どちらにしろ
僕が何か意図して、こうしよう、と思ってやったことは、
なかなか思ったようにはならなくて、

むしろその後で、僕のぜんぜん知らないところで、
あるいはなにかの意味があったり、なにかの役にたっていたり
するのかもしれない。

夢をかなえよう、
としたり、
何かの役にたとう、
と思ったり、
make a differenceをしよう、
としたり、

するときに、

それは、きっと、
僕の知らないところで、
僕の背中の後ろで、
それらは起きているんじゃないかと
ふと思う。

だから、あるいは僕は、
それを見ることはできないのかもしれない。

僕の目は、前についていて、
僕自身は、自分の前の運命を切り開くのにいっしょうけんめいで、
人とコミュニケーションを取ることもできやしない。

いろんなことを意図してやるけれど、
その本当の意味合いは、
神様にしかわからない。

人に何かを伝えるためのものは、
背中にしかついていない。

でも、僕にとっての、コミュニケーション、
何かを伝えるってことは、
それでいいんじゃないかと思ったんだ。

背中さんに任せておけばいいんじゃないかと、
思ったんだ。

最近、言葉がうまく出てこないので、

気持ちを伝えるにも

状況を伝えるにも

ちょっと情報量がオーヴァードライヴしていて

うまく書けない

こうなってくると、

140字のなにげないワンセンテンスが、

とても便利になってくる。

失敗したときのことを考えている。

失敗というか、成功しなかったときのことを考えている。

今度の遠征、

それを含めた、前後したいろいろ、

それをもって、

スイングし、インパクトし、

感謝しなければいけないことに、

いくつかチャンス、opportunityも与えてもらえそうだけれど、

どちらにしろフォロースルーには

1年くらいは見ておく必要があるけれど、

成功しなかった場合、

次のステップへの扉を開くことができなかった場合に

どうするのか。

先日のバンドのリハーサルのときに、
いろんな議題を、
ちょっとつっこんでメンバーと話した、

いや、別にこういうことを話すのは初めてではないけれど、

いつも言っているように、
僕は、5年くらい前から、
もっというと、このイマリトーンズという音楽プロジェクトを始めたいちばん最初っの日から、
とっとと音楽なんて辞めたいと思っていた人間だし、

それでも、次々に目の前にやるべきステップが現れて、ここまで来てしまったのだけれど、

バンドのメンバーにしろ、僕自身にしろ、
そろそろ、こういう生活を続けるのは、きっついよな、という現実がある。

ありがたいのは、
だからといって、
せっかく、非常に充実した演奏ができるようになってきた、
このバンドを、
それでも、別にやめる気はない、というメンバーの発言であり、
僕も、それは、そうかもしれない、と思う。

こういうバンドは、
Once in a lifetime
かもしれないのだからね。

上手いとか、下手じゃなくてさ。

だから、活動の仕方を、多少変えてでも、
同じこのメンバーで、ずっと続けていけばいいのかもしれない。

前だけを見ていると、
気がつかないけれど、
さっき書いたように、
後ろを振り返れば、

案外と、僕らは、
気がつけば、
なかなか、いい位置に、いるのではないかとも思う。
他のバンドには、たどりつけない、
自分たちだけの場所に。

その場所で、
ずっと、辛抱づよく、音を鳴らし続けていくことができれば、
気がつけば、背中の後ろでは、おおきなものが、実現できているかもしれない。

生活、年齢、人生、
それとバンド活動を、どう折り合いをつけていくか。

これは、あたりまえの話ではあるけれど、

僕たちだけじゃなく、

今、この時代に、

世界中のインディーバンドが、
向き合っている問題でもある。

21世紀になってから、本格的に現れた、
新しい時代の、新しい価値観を持った、世界中のインディーバンドたち。

僕の好きな+/-{plus/minus}だってそうだけれど、

先日見たブッチャーズの映画のように、
bloodthirsty butchersは、
その問題に、先駆者として、
いろんなバンドの先輩として、
一足先に、ぶちあたり、
僕達に見せてくれている。
どうやって向き合って、どうやって葛藤しあがいていくのか、
その姿を。

あの映画は、そういうことだと思うんだ、ひとつには。

ロックの歴史は、まだ浅く、
なんだって初めてで、

こうしてインターネットのインディーズ時代に、
ぼくらの世代の世界中のバンドたちが、
向き合っていくのも、
初めてのことなのだから、

そのぼくたちが、
いったいどういう形で、
人生の中で、いくつになるまで、
音を鳴らし続けて活動していくことができるのか、

それは、皆で、やってみないとわからないことだ。

でも、これに向き合っているのは、
僕らだけじゃない。

しかしさきほども書いたように、
そうやって向き合って、

やっていくときに、

案外と僕らは、

ラッキーな立ち位置を、

占めているんじゃないかと、

思うんだ。

ラッキーな立ち位置に、

居るんじゃないかと、思うんだ。

自分たちでも、知らない間にね。

だから、形を変えて、
細々とではあっても、

続けていくことも、
悪くはないかもしれない。

成功するつもりだよ。

今、自分たちでやってるレコーディング、

某所でやってもらう本格的なレコーディング、

遠征、

パブリシティ活動、

クラウドファンディング、

業界プレゼン、

ショウケースライヴ、

すべて、実現させて、

本気の本気で、インパクトする。

勝算は、がぜん、ある。

しかし、すべてのことが、思うようにいかなかったとしても、

それでも常に僕は前を向いているけれど、

後ろでは、実はいろんなことが、成功しているのかもしれない、

だとすれば、

それも悪くない。

僕らはベストを尽くしていると思う。

バンドは、野心的なバンドである以上、

やれるときに、やれることを、やっておかなければいけない。

どんなに自分が恵まれているか、

わかっているつもりだ。

いや、それでもまだ、わかっていないんだろう。

クリスチャンの人は、
よく、「祈ってるよ」っていうけれど、

普通考えたら、祈る、なんて、祈るだけじゃん、
って思うかもしれないけれど、

ずっと孤独にやってきた僕にとっては、
いや今だって常に孤独を選んじゃいるけれど、

ずっと孤独にやってきた僕にとっては、
人が自分たちのために祈ってくれる、なんて、
どれだけ贅沢で嬉しいことかわかりゃしない。

気の合うメンバーたちと、

こんな生活に、喜んで付き合ってくれる嫁さんと、

心配して気に掛けて祈ってくださる皆さんと、

Awesome!って言ってくれるなんだか微妙に世界中のひとたち。

彼らと一緒に、

おもいっきり、これから、たたかえることを、

本当に感謝したい。

とりあえず。

3月7日(月)
三軒茶屋ヘブンズドア
こちら
出番20:20–20:50頃。

そして、クラウドファンディグというのか、
資金集め。

こちら

協力お願いします。

No(769)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

トップに戻る