なんかね、
僕の手は正面というのか、前にだけついていて、
その手をいっしょうけんめいに伸ばして
たたかっていたり、
ものごとをきりひらく、
でも、
人に何かを与えたり
人に何かを伝えたり
するための手は、
僕の前にはついておらず、
僕の背中にしかついていないのでないかと
そんなことを思った。
思ったので、さっそくそれを歌詞に使ってみた(笑)
でも、日本語には、背中で語る、みたいな表現がある。
男は背中で語る、とか、背中で泣く、とか、
ずいぶん高機能な背中を日本人は持っている。
どちらにしろ
僕が何か意図して、こうしよう、と思ってやったことは、
なかなか思ったようにはならなくて、
むしろその後で、僕のぜんぜん知らないところで、
あるいはなにかの意味があったり、なにかの役にたっていたり
するのかもしれない。
夢をかなえよう、
としたり、
何かの役にたとう、
と思ったり、
make a differenceをしよう、
としたり、
するときに、
それは、きっと、
僕の知らないところで、
僕の背中の後ろで、
それらは起きているんじゃないかと
ふと思う。
だから、あるいは僕は、
それを見ることはできないのかもしれない。
僕の目は、前についていて、
僕自身は、自分の前の運命を切り開くのにいっしょうけんめいで、
人とコミュニケーションを取ることもできやしない。
いろんなことを意図してやるけれど、
その本当の意味合いは、
神様にしかわからない。
人に何かを伝えるためのものは、
背中にしかついていない。
でも、僕にとっての、コミュニケーション、
何かを伝えるってことは、
それでいいんじゃないかと思ったんだ。
背中さんに任せておけばいいんじゃないかと、
思ったんだ。
最近、言葉がうまく出てこないので、
気持ちを伝えるにも
状況を伝えるにも
ちょっと情報量がオーヴァードライヴしていて
うまく書けない
こうなってくると、
140字のなにげないワンセンテンスが、
とても便利になってくる。
失敗したときのことを考えている。
失敗というか、成功しなかったときのことを考えている。
今度の遠征、
それを含めた、前後したいろいろ、
それをもって、
スイングし、インパクトし、
感謝しなければいけないことに、
いくつかチャンス、opportunityも与えてもらえそうだけれど、
どちらにしろフォロースルーには
1年くらいは見ておく必要があるけれど、
成功しなかった場合、
次のステップへの扉を開くことができなかった場合に
どうするのか。
先日のバンドのリハーサルのときに、
いろんな議題を、
ちょっとつっこんでメンバーと話した、
いや、別にこういうことを話すのは初めてではないけれど、
いつも言っているように、
僕は、5年くらい前から、
もっというと、このイマリトーンズという音楽プロジェクトを始めたいちばん最初っの日から、
とっとと音楽なんて辞めたいと思っていた人間だし、
それでも、次々に目の前にやるべきステップが現れて、ここまで来てしまったのだけれど、
バンドのメンバーにしろ、僕自身にしろ、
そろそろ、こういう生活を続けるのは、きっついよな、という現実がある。
ありがたいのは、
だからといって、
せっかく、非常に充実した演奏ができるようになってきた、
このバンドを、
それでも、別にやめる気はない、というメンバーの発言であり、
僕も、それは、そうかもしれない、と思う。
こういうバンドは、
Once in a lifetime
かもしれないのだからね。
上手いとか、下手じゃなくてさ。
だから、活動の仕方を、多少変えてでも、
同じこのメンバーで、ずっと続けていけばいいのかもしれない。
前だけを見ていると、
気がつかないけれど、
さっき書いたように、
後ろを振り返れば、
案外と、僕らは、
気がつけば、
なかなか、いい位置に、いるのではないかとも思う。
他のバンドには、たどりつけない、
自分たちだけの場所に。
その場所で、
ずっと、辛抱づよく、音を鳴らし続けていくことができれば、
気がつけば、背中の後ろでは、おおきなものが、実現できているかもしれない。
生活、年齢、人生、
それとバンド活動を、どう折り合いをつけていくか。
これは、あたりまえの話ではあるけれど、
僕たちだけじゃなく、
今、この時代に、
世界中のインディーバンドが、
向き合っている問題でもある。
21世紀になってから、本格的に現れた、
新しい時代の、新しい価値観を持った、世界中のインディーバンドたち。
僕の好きな+/-{plus/minus}だってそうだけれど、
先日見たブッチャーズの映画のように、
bloodthirsty butchersは、
その問題に、先駆者として、
いろんなバンドの先輩として、
一足先に、ぶちあたり、
僕達に見せてくれている。
どうやって向き合って、どうやって葛藤しあがいていくのか、
その姿を。
あの映画は、そういうことだと思うんだ、ひとつには。
ロックの歴史は、まだ浅く、
なんだって初めてで、
こうしてインターネットのインディーズ時代に、
ぼくらの世代の世界中のバンドたちが、
向き合っていくのも、
初めてのことなのだから、
そのぼくたちが、
いったいどういう形で、
人生の中で、いくつになるまで、
音を鳴らし続けて活動していくことができるのか、
それは、皆で、やってみないとわからないことだ。
でも、これに向き合っているのは、
僕らだけじゃない。
しかしさきほども書いたように、
そうやって向き合って、
やっていくときに、
案外と僕らは、
ラッキーな立ち位置を、
占めているんじゃないかと、
思うんだ。
ラッキーな立ち位置に、
居るんじゃないかと、思うんだ。
自分たちでも、知らない間にね。
だから、形を変えて、
細々とではあっても、
続けていくことも、
悪くはないかもしれない。
成功するつもりだよ。
今、自分たちでやってるレコーディング、
某所でやってもらう本格的なレコーディング、
遠征、
パブリシティ活動、
クラウドファンディング、
業界プレゼン、
ショウケースライヴ、
すべて、実現させて、
本気の本気で、インパクトする。
勝算は、がぜん、ある。
しかし、すべてのことが、思うようにいかなかったとしても、
それでも常に僕は前を向いているけれど、
後ろでは、実はいろんなことが、成功しているのかもしれない、
だとすれば、
それも悪くない。
僕らはベストを尽くしていると思う。
バンドは、野心的なバンドである以上、
やれるときに、やれることを、やっておかなければいけない。
どんなに自分が恵まれているか、
わかっているつもりだ。
いや、それでもまだ、わかっていないんだろう。
クリスチャンの人は、
よく、「祈ってるよ」っていうけれど、
普通考えたら、祈る、なんて、祈るだけじゃん、
って思うかもしれないけれど、
ずっと孤独にやってきた僕にとっては、
いや今だって常に孤独を選んじゃいるけれど、
ずっと孤独にやってきた僕にとっては、
人が自分たちのために祈ってくれる、なんて、
どれだけ贅沢で嬉しいことかわかりゃしない。
気の合うメンバーたちと、
こんな生活に、喜んで付き合ってくれる嫁さんと、
心配して気に掛けて祈ってくださる皆さんと、
Awesome!って言ってくれるなんだか微妙に世界中のひとたち。
彼らと一緒に、
おもいっきり、これから、たたかえることを、
本当に感謝したい。
とりあえず。
3月7日(月)
三軒茶屋ヘブンズドア
こちら
出番20:20–20:50頃。
そして、クラウドファンディグというのか、
資金集め。
こちら
協力お願いします。