かけるうちに書いておきたいと思うんだ。
シリアスなこと書くけれど、
状況がすでにこれ以上ないくらいシリアスだから、
真剣になるべきだと思うんだ。
今日13日、昨日だけど、
自分たちの教会VICにて、自分のバンドImari Tonesがワーシップを担当する日だったんで、
元気にワーシップしてきた。
ワーシップというか、半分以上は自分らの曲で普通にROCKしてしまった。
こうしてなんというのか、壁を壊すというのか、していきたくて。
もっとハードに神をワーシップできるということを。
ともあれ災害です。
言葉がありません。
被害にあわれた方、犠牲になった方。
祈るしかない。
そして、僕らもいつ同じ立場にならないとは限らない。
私は、当日は、用事を終えた後、
なんとなく都内に買い物に行きたい気分だったんです。
後で、電車がとまり、嫁さんの様子が心配になり、都内への足がなくなったゆえ、
行っておけばよかったと思うけど、いかなくてあるいはよかったのかも。
twitterで見てた人は、知っていると思うけれど、
結果、地震がおきた後、電話もつながらない、電車も動かない、そして車もものすごい渋滞。
唯一、機能した連絡手段が、twitterだった。
僕は、いろいろ心配した結果、自転車で25キロ走破して、嫁さんを迎えに行って、
(そりゃ、とても大変でドラマティックな25キロだったろうさ)
twitterのおかげで無事に合流することができ、
都内のお店に避難の後、
深夜の電車で帰宅。
自転車はまだ都心に放置してある。
取りにいかないといけないが、うむ。しかし。
この日は本当に自分の信仰を試すようなことを考えていて、
自分自身揺れていたから、
本当に物理的にゆれたことにびっくりした。
自分の精神状態と関連があるんじゃないかという気すらした。
しかしあきらかに皆の精神もゆれているのだろう。
この日はそして聖書の中でも黙示録をそれはそれは真剣に読んだんだ。
事態はものすごく深刻だと思う。
そうした精神的な背景があったからというわけではないが、
まだ被害の状況も報道されていないときから、
これはただごとではない深刻さなのではないかという予感のようなものがあった。
単純にマグニチュードの規模や被害者の数というだけでなく、
1995年の阪神の震災のとき、
そのときとは、もっとなにか質の違う深刻さがあるような気がしている。
うちの教会のKさんなんかは、
比較的こういったことを予感していたようだ。
なんでも、先だってのニュージーランド、
異国の地で、クライストチャーチという地名の場所で、
日本人が閉じ込められ被害に合っている、
それだけで、何かの符号のように感じ、
日本に何かが起こることを予感した、
という趣旨のことを語っていた。
まだ被害がどれほどなのか、正確な状況、情報を把握している人はおらず、
すべてが明らかになるのはおそらくもっと後のことで。
いったい今日本に何がおきているのか、
それを正しく理解している人もおそらくあるいはいないのかもしれない。
異常な規模の地震。
異常な規模の津波。
そして、もはや余震と呼んでいいのかさえわからない各地での地震の頻発。
マグニチュード7だの、大きな規模の余震がこれから起きる確立が70%などと報道されている。
そして原発の危機。クライシス。
放射能汚染の危機的事態。
過去に例のない事態。
説明のつかない事態。
これが、どういうことなのか、考えなくては、僕は、やっぱり、おかしいと思う。
どうしても。
ひとつ、ここまでいわれているのは、
この事態に面しての、日本人たちのすばらしさ。
これだけの震災に直面しても、
混乱を起こすことなく、
思いやりをもって行動し、
インターネットで情報交換し、
冷静に、治安を悪化させることなく、
一致協力して、忍耐づよく現実に向き合っている。
僕もすごいと思った。
あらためて、この祖国日本の、すばらしい文化と社会のレベルの高さを思い知らされた。
間違いなく、僕はそのことを誇りに思う。
でも、ここから先は、知ってのとおり、少年時代から、自分の愛する祖国に複雑な感情を抱きつづけてきた僕個人の複雑なバイアスのかかった感情かもしれないが、
しかし、僕は、この場面で、
おれたち日本人はすごい、
と言う場面では、ないと思う。
断じて、のうのうとしている場合ではない。
おれたちは、くいあらためるべきなんだ。
僕はこの日本に住む人々の、精神文化の高さと、心のきれいさが、大好きだ。
少なくとも、10代の頃までは、本当に大好きだった。
そして、現在に至るまで、今この瞬間に至るまで、
その国家として、民族として、人間の集団として、個人として、
そのレベルの高さ、すばらしさは、証明されている。いろんな場面で。
でも、じゃあ、日本には、日本人には、罪がないのか。
クリスチャンになって最初にならうことのひとつだ。
そう、あるんだよな、罪。
驕るものは、滅ぼされる。
どうしたって、それは、動かせない、宇宙の原則のように思う。
日本には、公式にクリスチャンという人は少ないけれど、実は、形になっていないだけで、本当は見えない神様みたいへの信仰心はけっこうあるのかもしれない。
あるいは心の美しさ、礼儀正しさ、みたいのでいったら、日本人は、本当に世界でトップかもしれない。
でもさ、それで本当に、足りるのか。
神様の前で、足りてると思うのか。
わかるよな、聖書のきほんの最初に習うところ、
足りないんだよ。
神様の基準は、本当に、もっとお話にならないくらい高いんだよ。
たりないんならさ、人間であり、完璧でなく、たりない以上は、
おれたちは神様にそのことをあやまって、
くいあらため、
助けをもとめなければいけないんだ。
まだまだ、試練は始まったばかりのように思っている。
今のところ、本当に日本の人たちは、よくやっている。
しかし、衣食が足りていてこその、道徳ということが、昔からある。
果たして、これから、本当に状況が悪くなっていったとき、
今、ぼくたちが誇っている、礼儀正しさ、治安のよさ、心のうつくしさ、
それらは、本当に保たれるだろうか。
本当に。
スーパーマーケットの戸棚から、品物が順番に消えていくさまを見て、
本当に、人々がずっと礼儀正しくいられると、思うだろうか。
本当に試されるのは、
その後だ。
だから信じてほしい。
信じていたいと思う。
信じられるものがあるということを。
そして神のたすけというものを。
その後に始まる本当の戦いに、
心が強くあってほしい。
人間の、表面的な強さなど、
神の前では、あっというまに崩れ去る。
そのときに、本当に頼るべきものは。
神の助けしかないことを僕は知っている。
人間が、それほど神の前に弱いものなのだということを知っている。
こういう、国をあげての災難に向き合うとき、
それこそ、国をあげて、民族をあげて神に祈らなければいけないとき、
民族あげて神に許しを乞わなくてはいけないとき、
祈ることのできるクリスチャンが、人口のたった1%だとは、
なんということだろうと思う。
twitterに流れている、
#prayforjapan
のハッシュタグ
皆、それを見ている、この
“pray”
祈る、
という言葉が、
これほどまでに日本人の目に、触れている。
そして、海外の各方面から、
日本に神のご加護を、
God bless Japan
という言葉が、
注がれている。
まさに世界中が、日本のために祈ってくれている。
こうした状況にあって、
日本人自身がだれよりも神の許しを求めなければいけないときに、
日本人には、祈るべき神が無い、とは。
世界中が日本のために祈ってくれてるのに、
俺たち自身は祈らないのか?
祈る、って
神に祈るって意味じゃないのか。
そのことにずっと向き合えなかった。
本当の意味での精神文化を築くことができなかった僕らの敗北か。
あるいはいまや僕もこっちがわだけれど、
戦後何十年かけて、結局イエス・キリストへの信仰を日本にきちんと伝えることに失敗してきたクリスチャン業界(?)の敗北か。
確かに、教会の方が示唆していたように、
あるいはニュージーランドの一件は、
符号としての
神様からのぼくら日本への最後通告だったかもしれない。
一瞬でも早く、気がつくべきだ。
唯一、日本に足りないもの、
唯一、日本人が、最後に必要なもの、
それは、神に許しを乞い、神により頼むことだと。
神がイエス・キリストだということを、どうやったら伝えられるか、
そうだな、
僕だってわからないさ。
だから、身をもってやろうとしたつもりだ。
あるいは、間に合わなかったかもしれない。
あるいは、これこそが、大きな変化の契機なのかもしれない。
悲観することはない。
最後の瞬間まで、悲観することはない。
けれども、神よ、神さんよ、願わくば、
うちらの祖国に、もう少しだけ時間を猶予してやってほしい。
そのために死ねっちゅうんだったら、たぶんしょうがないから死んでやる。
僕の大好きな日本のミュージシャンたち、
本当に好きなミュージシャンたちは、
決してメジャーな立場ではないから、
彼らも、僕らと同じように、
この災害に、直面して向き合っているに違いない。
僕が日本のバンドで唯一、そしていちばん好きだといつも言う、
bloodthirsty butchersのひとたち。
彼らもきっとこの現実に直面している。
そして、僕がもっとも好きな日本人アーティストとして尊敬してやまない熊谷幸子さんも、
おそらくは、たぶん、僕の住んでいる町から、それほど遠くない場所で、
同じ日本人として、
きっと皆、この事態に直面しているだろう。
感傷的な意味で
音楽的な意味で、
自分の魂の中でも、
僕はもう、何度も、この祖国日本に、サヨナラを言ってきた。
たとえば明日死んだって、
そりゃ、まだやるべきことはあるけれど、
たとえば明日死んだって、
後悔はない。
ありがたいことにいろんなことをやってきたし、
すばらしい体験もたくさんさせていただいた。
とりあえず今日演奏した、Jesus Train、
こちら
もしこれが万が一、最後の演奏になったとしてもだ。
この曲は、よく聴けばわかるとおり、ひとつにはCrazy Trainのパロディなんだが、
まるで昔の映像にあるオジーとランディのスタジオ演奏の様子あったじゃん、
あれとよくにた手触りの演奏ができたし、
悔いはあるめえ。
この曲は、今、レコーディング作業にとりかかっているところなんだけれど、
もし、なんか死んだら、同情票で話を広めていただいて、
同情票で、俺たちのかわりにStryperがこの曲をレコーディングしてくれるだろう。
あらためて、
僕が頼るのは、Jesus Christその人のみだ。
僕が助けを求めるのは、誰よりもイエス・キリストだ。
本当に、皆で本当に、神の前に悔い改め、
日本のために、祈り、許しを乞わないか、
たとえ人口の1%でもいい。
皆で、一緒になって、祈りたいんだけれど。
なんて、ここで書いてもアレか、
どうしたもんかな、
本当に、助けてほしい。神様。
そして、願わくば、この僕の祖国日本を、許してほしい。
みこころであれば、守ってほしい。
In Jesus name we pray