こちら
くだらない文章を長々と書いている場合ではないのだが、
僕はいつも好き勝手に思考を書きとめてきたし、
そんな自己満足の文章や思考の軌跡を書きとめるよりも、
もっと出さなくてはいけないメール、
お礼を言うべき人たち、
コンタクトすべき人たちがいるように思うが、
すべては、気まぐれと気分の中でしか。
そうやって、僕はわがままにここまでやってきたんだろう。
特にここ数年は、
僕は、「お金」とか「経済」いった概念、というか、
資本主義の限界とかね、
いや、本当は限界があるなんて思ってないけれど、
現状としての限界とか、
お金、という概念との戦いと、それに対しての勝利を人類は必要としている、
と、ずっと考えているんだけれど、
10年くらい前から、
聖書にもあるように「お金」と「愛」とが相反するものであるとか。
非常に残念ながら僕は「お金」にはあまり縁がなさそうなので、
お金というものに対抗できる概念を、
今更に見つけたような気が、
いや気のせいかも。
たぶんそれは「時間」だ。
そして時間とは何だ?
おそらくは僕たちはこの「時間」というものをよく理解していない。
僕たちが考える「時間」というものは、たぶんおそらく見せかけの幻とか幻想だ。
問い1:
お金と、時間と、どちらがより価値が高いか?
答え:
それはおそらく時間だ。どんなにお金を持っていても、時間を持っていなければ、何もできない。しかし時間を持っていれば、たとえお金が無かったとしても、どんなことでもできる。
問い2:
もし君が、たくさんの時間を持っていたとしたら、君はお金について心配しなくてはいけないだろうか?
答え:まったく心配する必要はない。なぜなら君はたくさんの時間を持っているのだから。それは永遠と呼ばれるものだ。
問い3:
では、結局、「時間」とは何なのだ?
答え:
誰も本当にはその答えを知らない。僕たちはよく、時間を理由に、物事が不可能だと考える。しかしそれは真実ではない。物事は、時間というものによるからこそ、可能なのだ。それは、真実を覆う薄いシーツに過ぎない。そしてそれはゆっくりとunveilされていく。
問い4:
では、「時は金なり」(Time is money)なのか?
答え:
いや違う。「時は慈悲なり」(Time is MERCY)なのだ。
そしておそらく、「時間」というものの中でこそ、奇跡は起こるのだ。
問い5:
もう一度問う。「時間とは何だ?」
答え:
・・・・・(回答なし)
Question1: Which is more precious, time or money?
Answer: Probably time is more precious. Even if you have much money, you can’t do anything if you don’t have time. If you have time, you can do anything, even if you have no money.
Question2: Why do you have to worry about money, when you have plenty of time?
Answer: You don’t have to worry about money at all. Because you have plenty of time. It’s called ETERNITY.
Question3: So what is TIME, after all?
Answer: We don’t really know. It is often the reason we think things are impossible. But that’s not true. Things are possible BECAUSE of time. It is the only thin veil which covers truth, and it’s slowly unveiling.
Question4: So, “Time is money”?
Answer: No, “Time is MERCY”. Probably, miracles happen only in “TIME”.
Question5: So, I ask one more time. WHAT IS TIME?
Answer: ……(no answer)
それなりに狭い見識の中で、いろいろな音楽やバンドを聴いたし、
たとえば1990年代だったら、僕はSuedeというイギリスのグラムロックバンドの本当に大ファンだったし、日本ならば熊谷幸子の大ファンだったし。
2000年代だったら、日本だったらbloodthirsty butchersの大ファンだったし、
海外ならば+/-{plus/minus}の大ファンだった。
僕自身も、それなりに自分の中で答えを見つけつつ、
自分自身の音楽を追求してきて、ありがたいことに。
たとえば、その音を聞けば、そのミュージシャンの運命が、
バンドであればどこまでたどり着いて、いつ解散するか、
あるいは、もっと言うと、その音楽が鳴らされた国の状況や、
その音楽が鳴らされた世界の命運まで、
ある程度、手相を見るみたいに見通せた。
2011年、今現在、9月に入ったが、
いまだ僕は、退屈している。
僕が人生の中で、もっとも自分の人生に、個人的に響いた3大アーティストのうち、2つが、
今年、もうすぐアルバムが出るといわれて、待ち続けて、どっちもなかなかでない。
つまりは、Van Halenの、13年ぶりのオリジナルアルバム、
そして、
+/-{plus/minus}の、5枚目のフルアルバムが。
待っているけれど、なかなかでない。
本当に、生きているうちに、出るのか、聞けるのか。
あまりに退屈だから、
Rushを聴き、
XTCを聴き、
モーツァルトを聴き、
Demon Hunterを聴き、
そのうちYouTubeで岡村靖幸から神聖かまってちゃんまで聴き出し、
よくわからんけどその他いろいろ聴き、
やっぱり退屈だ。
こと、アルバムという単位でいえば、
+/-{plus/minus}の2008年のアルバム以上には、
僕は本当に心に響く音楽を聴いていない。
ここ数年、クリスチャンになって以来は、
CCM、クリスチャンミュージックを聴くようになり、
それらの純粋な心と信仰で音楽を鳴らすアーティストたちの音楽に、
心から若返り勇気をもらうことができたけれど、
本当のことを言うとそれらCCMのアーティストの中に、
本当に僕に衝撃を与えたバンドは今のところいない。
そして、そんな中でも、音楽的に野心的であり、
僕が本当に気に入っていたArticle OneとReviveというふたつのバンドが、
この夏、ふたつとも解散してしまい、
僕は本当にがっかりしている。
もちろん、音楽を通じて、運命を読み取れるといったのは、まんざら嘘ではないので、
かなりのところまで、予想していたことではあったのだけれど。
ここ15年、言っている。
Van Halen以上に、僕を魅了するバンドは、現れるだろうかと。
ここ数年、くちぐせのように言っている。
僕の人生で、僕が最後に好きになったバンドは、+/-{plus/minus}だったけれど、
それ以上に、僕を魅了してくれるバンドに、
生きている間に、出会えるだろうかと。
ひょっとしてたぶん、これで最後なんじゃないかと。
僕にとっては、それは、単純な楽曲のよしあしとか、
そういった直線的なものではなくて、
どこまで旅をしてきたか、
どこまで遠く、旅に連れていってくれるか、
見たことのない新しい世界に、
2011年現在、Van Halenと熊谷幸子という絶対的な存在を除けば、
この+/-{plus/minus}以上に、リアルタイムで、僕を最先端の遠い世界まで、連れていってくれたミュージシャンはいないのだ。
ここに、ひとつの曲がある。
その、+/-{plus/minus}というバンドの、
“Laryngitis Blues”
という曲。
たったひとつのトラック。
これは、今年、2011年の、4月頃に、日本へのチャリティのコンピレーションとして発表された楽曲だ。
もうひとつ、僕の知る限りで、”Eight Hours”という曲も、同様のチャリティ企画で発表されていて、そちらも、素晴らしい楽曲なのだが。
あの震災があったからこそ、
事前に発表された、そんな数奇な運命の楽曲だが、
この”Laryngitis Blues”(すごいへんなタイトルだ)に、
鏡をのぞくように映し出された、自分の運命を読み取るのだ。
僕には都内某所に、個人的なお祈りのための場所を持っているが、
神様は僕にすでに、「永遠」というものを示してくれた。
そして、「道」というものも示してくれた。
歩き続ける運命なのだと。
そして、その風景がどんなにかすばらしくうつくしいものかも。
いかに孤独であっても、そこにどれだけたくさんの仲間がいるかも。
たとえば「かもめのジョナサン」で、主人公のカモメが、飛ぶことを学び終えて、次の世界へと飛び立つように、
ひょっとしたら僕はこれ以上、「この意味において」学ぶことはこの場所では無いのかもしれない。
それは、ものすごく寂しいことだ。
もちろん、物事にはいろんな面があり、
僕は残された時間を、
人のために、また物質的な束縛を少しずつ破るために、
不器用を克服するために、
形をととのえるために、
学ぶことになるだろう。
使うことになるだろう。
でも、
新しい世界や、本当の世界や、
本当に自分が求めるもの、
もっともっと遠くへ行くこと、
それについて学ぶことは、
いったん、これでおしまいなのかもしれない。
それは、ものすごく寂しいことだけれど、
同時に、また次なる学びの段階があるのだと、
そのときがくることを、
魂のどこかで感じて、
震えて待ち続けるのだ。
果たして、僕は、まもなく出るとされる、
Van Halenの13年ぶり(あるいは14年ぶり)のアルバムを、
聴くことができるだろうか。
正直、期待はしていない。
基本的に、本質的な意味では、もう終わっているバンドだから、あれは。
果たして、僕は、
今年、あるいは来年、出るかもしれない、
+/-{plus/minus}の新しいアルバムを、
聴くことができるだろうか。
その内容が、
事前に発表された、この2曲を、上回るような内容だとしたら、
僕の人生は、どう変わっていくだろうか。
次の世界への旅を、
僕は続けることができるだろうか。
FacebookのPageのファン数、Likeの数は、
今現在において、世界的な市場における、そのバンド、アーティストの人気を、
如実に語り、残酷なまでに表すバロメーターになっているけれど、
+/-{plus/minus}のPageに登録されている”Like”、ファンの数は、2011年9月現在、2000人にも達していない。
これが現実だ。
でも、そんな現実にどれだけの意味があるだろうか。
そんな現実に、どれだけの力があるだろうか。
これほどまでに確かな、音楽の前では。
おそらく時間は見せかけだ。
明日の試験まで、14時間しか残されていないとしよう。
君は、14時間では準備ができないと思うかもしれない。
しかし、14時間とは、何をもって14時間と言うのか。
それは、現在、という概念を基準とするから14時間なのだ。
たとえば、3000年、3万年、いや、気前良く3億年くらい前から考えてみよう。
基準を3億年前に置けば、君は3億年と14時間という時間を持っていることになる。
何かの映画のように、時間を戻して、3億年前から、このことに関する修行と勉強をすることができるとしたら。
何かのマンガのように、これから1時間で、3年分の修練ができるとしたら。
そして、たぶんそれは可能なのだと思うんだ。
3次元の空間の上にある、時間という直線的な概念。
僕らは、それに対してコントロールを持たないと考えるのが一般的だ。
たぶんそれは本当じゃない。
楽しい時は短く感じるのは理由のあることだ。
おそらく僕らは時間に対するコントロールを持っている。
相対性理論じゃないけれど、
事実、走っている人の時間は、止まっている人よりもゆっくりと流れる。
時空のかなたのイリュージョンより、
話しかけてくる救世主、その名もドナルド・ユウジロウ・シモダあり。
時間についてのサンプル、曰く。
女性「あなたは時間はお金よりも価値があるといいました。しかし、私の息子にはもう時間が残されていません」
ドナルド・シモダ「あなたは時間にどれだけの価値があるかをご存知ないのだ。
時間とは相対的なものだ。あなたが本当に望むのなら、あなたの息子さんに与えられた時間を、大きく伸ばすことも可能だろう。しかし、たとえそうしなかったとしても、あなたの息子さんには、すでにたくさんのものが与えられている。100円のチョコレートを買うために、100万円を与えられて、不足だという人がいるだろうか。」
女性「おっしゃっていることがわかりません。」
ドナルド・シモダ「では、こういうのはどうだろう?あなたの息子さんに、時間があと半年しかないのだとしたら、こうしてあげたらどうかね、まず、ネズミ園の遊園地をまるごと買い取って、一人占めして、思う存分遊ばせてあげる。そして、野球場を借り切って、憧れのスター選手たちと野球をする。世界中を旅して、ありとあらゆる乗り物に乗る。こうしてあげたら、いいと思わないかい?」
女性「ああ、ドナルドさん、息子にそんなことをしてあげられたら、どんなにかいいことでしょう。」
ドナルド・シモダ「では良いニュースがある。あなたにはそれができる。そればかりか、それ以上のことを、息子さんにしてあげられる。すべてこれらのことをするには、1000万ドルもあれば十分だろう。あなたと息子さんに与えられた時間には、そのさらに1億倍もの価値があるのだよ。こんなふうに、時間というものの持つ価値は、その大きさや長さや見かけにかかわらず、測り知れないものなのだ。」
女性「それは本当でしょうか。」
ドナルド・シモダ「私は常にこういわなければいけない。信じるかどうかは、あなた次第だ、と。そしてかつて、私の先輩はこう言ったものだ。『あなたの信仰が、奇跡を起こしたのだ』と。」