あんまし読まなくていいひとりごとデス。
文字にしておいた方がいいことがあるわけです。
自分自身に言い聞かせるとか、暗示をかけるってわけじゃないけど。
自分も一応、バンドで歌う人間のはしくれなわけですが、
いわゆる「ひとから」っていうのをやることがあるわけです。
それこそ、昔は、けっこうやっていた時期があった。
もちろん、昔には、ひとから、なんていう言葉はなかったわけですが。
最近でも、一年に一度、ないしは二度、くらいはやっているでしょうか。
それはそれで、貴重なデータ収集の機会なわけですね。
つまり、人間、自分の身体の中で起こっていることが、
いちばんわからないもので。
自分の中を探求するだけで、一生かかるかもしれんと思うのです。
ヴォーカル、歌をうたう、声を出す、というのは、そのひとつで。
自分の身体の中の調査を、続けていくものだと思うんですよ。
おとといの、反町での演奏にて、
自分のヴォーカルは、決して良い出来ではなかったんですが、
発声の、課題というか、テストというか、
その意味では、クリアした部分は確かにあって、
貴重なデータが得られたわけです。
それは、普段のスタジオ練習では得られない種類の情報であって。
そのデータの、検証をすべく、ちょっとひとからしてきました。
んでね、けっこうこれは、ついにやったかもしれんのです。
自分の身体の中は、自分ではなかなかわからないからこそ、
そうね、たとえば、僕だって、時間やお金の余裕があれば、
もし良いヴォーカルのコーチがいるのであれば、
きちんとした指導者について訓練をしたい、
という思いは、いつでもあるけれど、
でも、実際は、そんなに簡単じゃないことはわかってる。
要は、自分が必要としているもの、求めるもの、
それと、指導者の持っているもの、合致しなければ、まったく意味はないし、
特に、自分の求めているものが、特殊なものである場合には。
そして、こと、僕らみたいな、あれなシンガーにとってはとくに、
声、表現、求めるもの、理解してもらうってことは、
全人格を理解してもらう必要がある、それと同じことであり、
それを理解できない人に指導を受けるのは、それは、断片的には学ぶものはあっても、長い目で見れば良い影響にはならない。
だからこそ、マイケル・ジャクソンだろうと、誰だろうとyou name it,
そうした有名なシンガーは必ず、優秀なヴォーカルコーチを雇い、
その人に、本当に人生のパートナーくらいの、全幅の信頼を置いていたり、
それくらいの専門家が、必要で、
であれば、この環境だと、僕らみたいな不器用な表現をしているインディペンデントな表現者であれば、
手探りで孤独に探求する方が、やはり良い結果になってしまう。
ましてや、年に一度の「ひとから」で、自分自身でそれなりの情報が得られるのであればね。
結局のところ、自分の身体の中のことであるからして、
どんな優秀な指導者であっても、
また、ヴォーカルの教則本や、発声の専門書を読んでも、
結局は、状況証拠みたいな情報や、サジェスチョンしか、与えることはできない。
アドバイスをすることはできても、
最後には、自分で見付けなければいけないんだから。
で、話戻ると、
もともと、表現の部分はともかく
(むかしは、これでも、音楽の授業では、学校中のヒーローくらいに、歌がうまいと言われていたのですよ。小学校は、ボーイソプラノが、中学校でも、きれいなテノール~バリトンが出た。)
声に関しては、まったく出ない部類だった私ですので、
(バンドで歌ってみると、それは、まったく違う話だったわけで)
それに
もともと自分はギタープレイヤーであって、
シンガーじゃないしね。
自分で歌う気は、まったくなかったわけで。
それでも、
しょうがなく歌い始めて、
最初に発声技術のブレイクスルーを体験し、
下のEの音でもきついくらいだったのが、
そのオクターブ上のEも出るようになったわけですが、
いかんせん、りきみきった発声でして、
その意味では、僕も以前は、間違いなくパワー系の発声を
していたわけです。
声量もずいぶんあったし。
ただ、コントロールとかぜんぜんきいてなかったんだけれど、
そこはほら、天性のものでさ、カバーして、十分表現できた。
ぶっちゃけ、自分でも、この時期に残した録音とか、
この時期の、パワーと情熱だけで歌っている自分の声は、
今でも表現として正しかったと思っている。
でも、ライヴ演奏とか、長時間歌えなかったりとか、
特定の音域でコントロールがしづらいとか、
だんだん、限界を感じてきて、
とあるきっかけで、
2006年から2007年くらいにかけて、
力まないで出す発声に、次第に切り替えた。
これは、できるようになったときには、とても嬉しかったし、
本当に、またひとつ二度目といえる、ブレイクスルーだったわけだけれど、
しかし、パワーではなく、技術、
力むのではなく、脱力なので、
実戦で使えるようになるには、結構時間を要して、
ちょうど、大事なレコーディングをしていた
2006-2007年の時期には、
実は発声法の切り替えから、スランプど真ん中だったわけです。
どうやって歌っていいか、さっぱりわからんかった。
自信も確信もなかったし。
だから、この時期に残した、その「大事なレコーディング」では、
自分の歌唱は、ほんと、谷底といえるくらいにひどい。
いくつかの曲は、それでも好評を、得ているけれど、自分としては複雑な気分。
2008年頃から、次第に、その力まない発声、
まあ、つまりは、ヘッドヴォイスというか、ミックスヴォイスを、あまり大きくない音量で、活用するだけなんですが、
が、少しずつ活用できるようになってきて、
基本的にはそのまま今に至るわけです。
で、それなりにいろんな技術も身に付いてきた、はずなんだけれど、
この発声法は、けっこうデリケートで、
僕だけかもしれんけど、
たとえば、レコーディングなどで、モニター環境も整っていて、
集中して歌える環境だと、テクニックを十分に生かすことができるけれど、
たとえばバンドでどかん、と大きい音を鳴らしたり、
あまり環境の整っていないライヴ環境だと
(まあ、イヤモニとか、使えば、かなり良くなるんでしょうけれど)
まったく声が出なくなってしまう、という現象が、ときどきありまして。
つまり、脱力が重要な発声法なので、
後ろで大きい音が鳴っていたり、ライヴだったり、すると、
どうしても、力んでしまって、うまく発声ができなくなってしまうんですね。
僕だけかもしれんけどね、こんな症状は。
で、その症状には、今の今にいたるまで、悩まされているわけです。
ギター弾きながら、わりとややこしいギターを弾きながら、
歌っているので、そのへんは、
軽くハンデを見てやってほしいという本音もあるけれど
逆に言えば、僕が、自分のバンド、イマリトーンズにおいて、
自分のヴォーカルのダメさ加減にへこみつつも、
ずっと他のヴォーカリストを(少なくとも正式には)加入させないのは、
表現の幅や、メッセージ性、そしてキャラクターといった面も大きいのだけれど、
結局のところ、発声と歌唱表現の技術をきちんと発揮できるレコーディングの場においては、技術的にも表現的にも、自分のヴォーカルが、他のたいていの上手いシンガーに負けないレベルで実現できているという事実があります。
ライヴの場での出来の善し悪しが激しくても、録音制作の場では、
集中できるしね、他の誰よりも、総合的に、結果的に、良い結果を出すことができる、ここまでは、積み重ねてきたわけだ。
まあ、結局、キャラクターなんだけどね、声の。
あと音楽性と表現の幅。
で、問題はライヴなわけ。
そういった、デリケートすぎる発声で、
一応、これまでに、戦争みたいな遠征を3度こなしたわけなんだけれど、
結局のところ、精神面の問題であって。
精神的に、高揚し、使命感に燃え、戦う気持ちにあふれれば、
どんなだろうと歌えるんだよね、声は出るんだよ。
僕らみたいなクリスチャンのバンドであれば、やっぱり、信仰そして祈り。
たとえば、演奏前に、必死で祈って、ホーリースピリットで熱く満たされ、異言で祈ることができるようになれば、
それは間違いなく、声が出て、良い表現ができる。
あとは、この何年かでも、そうした実戦を積み重ねる中で、
得てきた、経験と技術が、少しはあるわけだ。
だから、要所要所では、しっかり歌うことはできてきてるわけ。
僕は、シンガーとしても、ギタリストとしても、
打たせて取るタイプでいたいと思っているしね。
つまり、前にも書いたことがあるけれど、
3大ギタリストだったら、
エリック・クラプトンは速球派の投手で、生まれつき恵まれた体格と才能を持っているタイプ(歳をとってチェンジアップを覚えると二度目の黄金期を築く)、
ジェフ・ベックは、コントロールに優れた技巧派の投手で、ピッチャーが尊敬するピッチャー、
ジミー・ペイジは、技術も球速もそれほどではないけれど、ゲームメイキングや駆け引きに優れ、打たせて取るタイプで、結果的にいちばん勝ち星をあげているタイプ(そんで、普段はたいしたことないのに、ここ一番の場面ではいい球を投げる)、
この3タイプの投手だったら僕はジミー・ペイジのタイプを選びたい、シンガーとしてもギタリストとしても、
だから、結局は精神面であり、
これは、いつまでも永遠の課題だけれど、
毎回、そんなにばっちり精神的に上げてやれるもんじゃないしね、
特に地元のギグとかだと。
そんで、まだまだ技術が未熟なのは確かだし。
まだ進歩したいと。
とにもかくにも、現状、この発声にも飽きてきていて、
そんで、くろじゅんとか、熱きリョウとか、彼らと一緒にやったりすると、
とくに、くろちゃんのすごいパワー系の発声とかさ、
いいなあ、と思うわけですよ。
自分も昔は声量のあるパワー系の発声をしていただけにね。
で、また、ちょっと、パワー系の発声にシフトしようかな、
と、昨年くらいから思っていたんだけれど、
そんなに、スイッチを切り替えるように、発声を変えられるものじゃないしね。
でもね、これで、ちょっと、パワー系の発声に、
少しだけ、戻れるような気がしているのよ。
ここ最近集めて、検証した、このデータにて。
だから、今日は、またひとつブレイクスルーを得たかもしれない。
どういう技術的なものだったかは、書かないけれど、
今までやってきた、学んできた技術が、
すべてフルサークルになったような、感覚。
昨年も、いくつかの本を読んだり、実地で学んだけれど、
それらの技術が、少しずつ身になった感じ。
つまりは、やっぱり、
力みたい、
パワーで歌いたい、
ぎゃーっと叫びたい、
ロックバンドなんだから。
だから、本当に必要な発声法があるんだとしたら、
それは、
力まない発声、ではなくて、
いくら好きなだけ力んでも大丈夫な発声、
そっちの方なんじゃないかって。
また、バンドや、実戦の演奏で、
実戦の中で試してみないとわからないけれど、
実際に使えるようになるのはまたここから一年後なのかもしれないけれど、
ひとつ、素晴らしいブレイクスルーがあったことを、
自分自身に記録しておきます。
下手ですいません。
でも、最低限、必要なとき、必要な場所では、
歌えてるのよ、必要なだけ、これでも。これまで、ここまでね。
だから、ゲームメイキングなんだって。
技術じゃないものがあるんだ。
これに関しては、誰にも教えられないよ。