こんなに複雑な感想を抱くアルバムも珍しい。
RUSHの新しいアルバム “Clockwork Angels”
の感想を書き留めておきたい。
その前に、どんな感想を述べるよりも先に、
僕はRUSHについては、
アルバム5枚、ベストアルバム1枚、ライヴDVD1枚しか所有していない
初心者(!)ファンであることをまず断っておきたい。
RUSHの場合はたぶん、アルバムを5枚聴いてもまだ初心者の部類だ。
そして、僕自身、音楽の好みとして、
しちめんどうくさいコンセプトアルバムとか、
理屈っぽい音楽というのはあまり好きではないことも断ってきたい。
たとえばYくんにすすめられて聴いたQueenslychのOperation Mindcrimeなんか、
ロック史に残るコンセプトアルバムだということだが、
僕は何度トライしても、退屈のあまり、アルバム一枚通して聴けた試しが無いのだ。
「僕にとってのRUSH」
不肖、はずかしながら私のやっているバンドImari Tonesが、ときどきRushを引き合いに出して比較されるようになったのはいつの頃からか。
もちろん、そもそもレベルがまったく違うので、世界最高のロックバンドであるRushを引き合いに出してもらえるというのは、光栄以外のなにものでもないんだけれど。
たぶん、ただ単純にスリーピースだから、という理由だとは思うんだけれど。
僕の思うRushの最大の魅力とは、多くの人がそう言っているように、
複雑で高度な音楽性の中にも、明るくて広がりのあるポップで楽しい楽曲を提示することができるその軽快なスタンスだ。
そして、その演奏を通じて、「物語」を聞かせ、伝えることができるそのストーリーテリングの能力だ。そして、その物語の世界は、常に、わくわくするような夢と冒険と希望にあふれているのだ。そう、なんだか、少年の頃に聞いたおとぎ話のような。
ミュージシャンとしては、
僕にとってRushは、たゆまぬ追求の象徴であり、果てしない工夫と創造の探求であり、高度な技術とミュージシャンシップ、そして永遠の向上心、研鑽、知性の追求、最高のバンドであろうとするその水準と努力の積み重ねであり、歴史であり、バランス感覚であり、そして、見果てぬ頂点を目指す姿勢そのものだ。
いやしくも一介のミュージシャンであれば、ロックバンドをやっている者であれば、Rushから学ぶことは、いつだって、尽きることなく、学ぶべきものがそこにあるのだ。
しかし、同時に、僕にとってRushは、天才的なバンドだと感じたことは一度もないのも事実なのだ。
僕が思うにRushは、最高に優秀な凡人の集まりであって、天才ミュージシャンでは決してない。
Geddy Leeのすさまじいベースプレイ、マルチプレイ、そして縦横無尽のソングライティングをもってしても、僕は彼を天才だとは思えない。
天才というのは、リフひとつで、コードチェンジ一発で、フレーズひとつで、ヴォーカルの最初の第一声で、すべてを貫き通してしまう音楽家のことであって、
僕は彼らの音楽に、それを感じたことは一度もない。
ゲディ・リーは、彼らは、いくつかの変化とフレーズの中で、総合的に良い印象を与えてくれることはあるが、決して、一発で参りましたとなるような感動を与えてはくれない。
だから、僕の意見では、Rushがいかに努力して、複雑で高度な楽曲を演奏したとしても、本物の天才がギターのコードをばーん、とひとつ鳴らせば、ぜんぶ吹っ飛んでしまうと思う。
彼らは、あくまで、最高に努力し、最高に思考し、最高に研鑽した結果、世界最高のロックバンドの地位を手に入れたバンドであって、あくまで彼らは凡人の集まりなのだ。
僕の考えでは、そう思っている。
そして、それがRushの良いところでもあると思っている。
「Clockwork Angelsについて」
Rushの、数年ぶりの新作であるこの”Clockwork Angels”は、
まず、小説、というか、ストーリーをもとにした、コンセプトアルバムであるらしい。
ドラマーであり、作詞家でもあるNeal Peart、(小説家でもあるらしい)
の書いた、小説、その小説は秋に出版されるとか、
そのストーリーに基づいて描かれた、12の楽曲、コンセプトアルバムであり、
楽曲は、その小説の世界観に基づいて書かれている。
小説自体は、なんでも、フランスの昔の思想家ヴォルテールの書いた
カンディードという物語を下敷きに、書かれたものらしく、
あんましちゃんと情報見てないからわからんけれど、
カンディードのファンタジー版というか、
いわゆる「スチームパンク」的な世界観の中での冒険物語のようだ。
確か、Rushにとって、90年代後半の活動休止の期間の後、
Vapor Trailsで復活を遂げてから、
オリジナルスタジオアルバムとしては3枚目にあたる作品のはずで、
また、先だって発表されていたライヴアルバムにおいて、
2曲がすでに公開されており、そのクオリティの高さゆえに、
ファンの期待も高まって、その上でのリリース。
Amazon.comのレビュー欄を見る限り、
ファンの評価は、ものすごい大絶賛となっており、
9割の人は、諸手をあげての大絶賛、
1割の人が、不満を訴えている、という割合になっているようだ。
どうひいきめに見ても、
この作品が、Rushのキャリアの中で、
少なくとも復活後、あるいは90年代以降の作品の中で、
最高傑作と呼ぶことのできる傑作であることは間違いがなさそうだ。
しかし、不満を訴える1割の人々のレビューを見ると、
案外と皆、同じような点を不満点に挙げており、その意見にも一理ありそうなことがわかってくる。
共通してよく挙げられている不満点としては、
サウンドプロダクションの悪さ
ゲディ・リーのヴォーカルワーク
楽曲の散漫さとフックの欠如
アイディアの詰め込みすぎ
インストゥルメンタルの楽曲が無いこと
などがある。
そして、残念ながら、おおむね僕は、これは的を得ている批判だと感じている。
しかし、それを差し引いたとしても、
これは非常にRushらしい傑作アルバムであり、
ファンが狂喜するのにふさわしい内容の力作であることに間違いはないと僕は思う。
「そして、僕自身の感想」
Rushのアルバムは、どれも、内容が複雑なので、最低10回は通して聴かないとわからない、というようなことがよく言われる。
僕はここ数日、狂ったようにずっと聞き続けていたが、上の空で聴いているのも含めれば、たぶん10回はとっくに越えたんじゃないかと思う。
20回聴けばまた感想も変わるかもしれないが、ひととおり、いろんなことが見えてきたので構わず書いてみたい。
まず、結論から言うと、僕はこの作品に対して、
「すさまじい傑作だ」という思いと、
「Rushの限界が露呈した作品だ」という、
相反したふたつの感想が、同時に自分の中に存在する。
こんな不思議な、複雑な感想を持ったアルバムも、珍しく、
感情的に分析すれば、これは、ミュージシャンとしての自分が、
RUSHが大好きで、Rushを尊敬する思いと、
Rushの弱点を見つけ出し、なんとかしてRushを越えたいという思いが、
自分の中に存在するからかもしれない。
たぶんそうだ。
でも、結果としては同じことなので、構わず感想を書いておきたい。
まずは、賛辞から。
Rushは、1970年代から、第一線で活躍するベテランバンドであり、
ロックシーンを牽引し、歴史を作り、伝説を作ってきたバンドだ。
メンバーは、そろそろ60台にさしかかろうかという年齢になる。
そんなベテランのバンドが、この年齢にして、
まったく老成というか、日和見することなく、
これほどに圧倒的に濃い内容の、テンションの高い作品を作ってきたこと、
これだけでも最大級の賛辞に値する。
ものすごい、驚異的なことだ。
アルバム全体に、気迫が、すごい密度で込められており、
その圧倒的な迫力は、まさに名盤と呼ぶにふさわしい。
まずは、世界観だ。
スチームパンク的な、ファンタジーの世界の中で
描かれる数奇な冒険と人生のストーリーは、
まちがいなくこのアルバムの楽曲たちに、
独特の色合いの魅力を与えており、
先に述べたこのRushのストーリーテリングの能力、
バンドとしての物語を奏でる能力の本質を証明している。
(そしてこのへんが、比較されながらも、Rushにあって、Dream Theaterに無い部分なのだと思う)
この世界観の色合いこそが、このアルバムの圧倒的な密度の正体というか、
核になっていることは間違いない。
しかし逆のことを言えば、
「物語に頼らざるを得なかった」
ということもいえる。
このアルバムは、Rushの今までの音楽的な魅力を網羅していると思われるが、
音楽的には、新機軸というのか、3人のアンサンブルでできることとしての、
方法論はすでに出尽くしており、
楽曲、サウンドの構造として、目新しいものは何もない。
どこかで聴いたな、いつものRushだな、というものが非常に多い。
もちろん、いくつかは、新しい音像を取り入れている場面もあるが、
今回、ソングライティングの中に、
そしてアンサンブルの中に決定的な新機軸は無いと思う。
そういう意味では、
Rushは既に音楽的に限界にぶつかっており、
それをカバーする意味で、
演奏そのものよりも、
ストーリーという要素に重点を置いた、
もしそうだとすれば、
その選択は正解だったと僕は思う。
実際、ここには、Rushの高度な演奏とアンサンブルのすべてがこめられている。
変拍子の使い方こそ、今までのアルバムと比べればおとなしいように思うが、
楽曲のすべてのパートにおいて、リズム構成の工夫、
各パートの全力投球の仕事っぷり、3者が互いに一歩も引かないぶっとんだアンサンブル、
絡み合うようにこれでもかとねじこんでくる鋭いフィルインの数々、
そして3者のすばらしいミュージシャンシップ、
それが、高度なまでに、まるで集大成のように炸裂している。
だから、アンサンブルとしては、
本当に、いきつくところまで行ってしまったというか、
今までのRushのすべてを込めたというくらいに、
集大成のごとく密度が高いのだ。
ミュージシャンのはしくれとして、
敬服せざるを得ない点がここにある。
歴史を作り、伝説を作り、高みを目指して研鑽を重ねてきた、
最高のロックトリオの、極みがここにあるのだ。
この年齢で、このベテランが、キャリアのこの時点で、
一歩も衰えることなく、
この極みを、究めることができること、
これが、どんなに凄いことか。
とても言葉では表現できない。
コンセプトアルバムのテーマにしても、
哲学的な作詞家、作家であるニール・パートの才能、
そして、バンドの知的な表現力をフルに発揮し、
これほどの表現力で世界観を描き、提示し、実現する。
もう、高度すぎて、圧倒的としか言えない。
そして、このアルバムで、なによりも、
いちばん凄いと思うのは、
これほどまでに高度で、複雑で、難解な、
圧倒的な情報量を持つ、
そんな作品を、
こうして作り上げ、実現するだけでなく、
それを評価し、受け入れ、賞賛する、
そんな熱狂的なファンが世界中にたくさん存在するという事実だ。
普通だったら、
こんな高度で、難解な作品は、
なかなか理解されない、受け入れられないものだろう。
だから、このアルバムは、
ひいてはこのバンドは、
こうして存在することが、
こうして実現していることが、
奇跡そのものなのだ。
こんな高度でものすごい作品を、
こんなハイレベルで提示し、
そしてハイレベルで受け入れる、
そんなバンドと、世界中のファンの関係が、
それが、なによりも、
ものすごい。
熱い。熱すぎる事実だ。
これこそが、Rushが、
世界でも稀有なバンドであることの
なによりの理由なんだと、
そう思い、
感銘を受けた。
そして、ここからが、僕のもうひとつの感想であり、
結論だ。
ここまで書いたように、
この作品は、今までのRushの集大成ともいえる
バンドのダイナミズムと、アンサンブルが、
ミュージシャンシップが込められており、
そして、コンセプトアルバムのストーリーが、
独特のファンタジーの世界観の中で、
圧倒的な気迫と密度を持って展開される。
そんな、すさまじいまでの傑作だ。
そして、文句のつけようがないくらいの大作だ。
だが、
それらの長所をすべてうわまわって、
この作品は、
退屈なのだ。
退屈、という言葉で、
すべて説明できてしまう。
ひとことでいってしまえば、
それがRushの限界であると思う。
それは、いつにはじまったものでなく、
Rushというバンドの、いちばん最初の、
企画としての段階からの、限界だ。
どんなにアイディアを詰め込み、
技巧を高度に発達させ、
深遠なテーマを描いてみせたとしても、
それで表現の本質が変わるわけではない、
たとえば、Rushがいきなりレディ・ガガに変わるわけではないのだ。
Rushが女の子に人気のあるバンドだったことは
一度もないと思うが、
もちろん、それがいけないわけではないが、
圧倒的に完璧に構築した、
まさにこれこそがPerfectionと呼べるような
この作品において、
その裏側に、ぽっかりと、
Rushの本質的な弱点が露呈してしまっているような気がする。
内容は間違いなく高度だ。
楽曲だって悪くない。
ものすごい表現力だ。
だが、語られるストーリーを差し引いたとき、
はっとさせられるようなインスピレーションが、
欠如しているのも事実だと思う。
過去のRushの作品には、
もっと、僕をにやりとさせるようなインスピレーションがあった。
しかし、このアルバムの楽曲は、
世界観を優先させたためか、
ソングライティングが少し、力押しに過ぎる、強引にすぎるきらいがある。
その結果、
部分ぶぶんは、決して悪くないにもかかわらず、
楽曲がやはり、散漫になっていることが多い。
もちろん、それでも十分良いのだけれど、
本来だったら、もっと良くなっていたはずだ、
と言えるような、楽曲の構築が甘いというか、
完成の域に達していないものが散見されるのだ。
つまりは、ソングライティングのことだが、
Rushのインスピレーションは、
ソングライティングは、
アンサンブルは、
ここまでなのか、
これで限界なのか、
僕は、そう叫びたい思いでいっぱいになっているんだ。
正直なところ。
結論としては、やはり僕にとっては、Rushは、決して本当の天才のひらめきをもった音楽家ではないということだ。
「圧倒的な平凡」
そんなふうに呼んでもいい。
普通、Rushのアルバムは、その高度な内容ゆえに、
最初は、ぴんとこなくても、
何度も聞き返すうちに、だんだと良くなってくる、
そういうものだ。
でも、このアルバムは、
そうしたソングライティングのほころびゆえに、
あるいは逆に突き詰めた世界観の密度の副作用なのか、
何度もトライして、聞けばきくほど、そのバンドとしての欠点が見えてきてしまう。
このアルバムの、
「スチームパンク的世界観」
かなにかしらないけれど、
そのファンタジー世界観のせいで、
全体に辛気臭い作品になっていることも、
「退屈だ」と感じさせる要素かもしれない。
本質的に、このアルバムで描かれている世界観とストーリーに、
僕があまり賛同していない、共感していないのも、
僕が無条件でこのアルバムを楽しめない理由かもしれない。
光る曲はいくつかある。
そして、すべてにおいてRushにしか実現できないサウンドとアンサンブル、世界観であることに間違いはない。
しかし、そんな完璧と集大成の裏側で、彼らの限界もしっかりと浮き彫りになっている、
そんなアルバムでもあった。
一部で不満の対象になっているサウンドプロダクションについて
述べるのであれば、
ミックスというのか、マスタリングなどの段階で、
全体の音作りが、
非常に平面的で、ダイナミズムに欠けた平べったい音になってしまっている。
録音自体は非常にクリアであるし、迫力もあるし、
ファンタジーの世界の雰囲気はよく出ているけれども、
バンドのダイナミズムを相当に殺してしまっているこのプロダクションに関しては、
僕もちょっと文句を言いたいところがある。
悪くはない。
でも、もっと良くなっていたはずだと思う。
あとは、最近のRushのアルバムではいつものことかもしれないけれど、
ベースの音がやたらとでかい(笑)
これは、やはりRushのアンサンブルを牽引するのが、実質やはりGeddy Leeだということを象徴する事実でもある。
そんな感じ。
もう一度、結論を一言でまとめてしまうと、
この”Clockwork Angels”は、
「最高に高度で凄まじい迫力を持った大作であるが、それを上回るくらいに退屈な作品だ」
以上です。
だがそんな中でも、
僕がひとつだけ、本当に気に入っている曲がある。
3曲目のタイトルトラック、
“Clockwork Angels”
これは、本当に凄い曲だ。
今の彼らにしか、
そして、この物語の世界観の中でしか描くことのできない、
そんなものすごい楽曲だ。
これこそがRushがRushたる所以だ、といいたくなる、
インスピレーションに満ちた曲構成、
起伏に満ちたリズムとアンサンブルの妙、
そして、まさに機械仕掛けの巨大な時計が、世界を動かしているような壮大な音世界。
こんなものすごい1曲を生み出したことだけでも、
やはりRushは、他のどこにもない、圧倒的に優れたバンドだということがわかる。
もう一度くりかえすが、
キャリアのこの時点において、
こんなに年齢を重ねて、
ここまでのすさまじい高みに達する、
この事実、
このアルバムから、
どんなミュージシャンであれ、
ミュージシャンの一人として、
学ぶものが、いくつもあることは、
間違いない。