2012年6月の日記

■…2012年 6月13日 (Wed)…….日本のロッック
自分はたとえば
70年代、
80年代、90年代、2000年代と、
それぞれに、
洋楽、という言い方もあれだが
海外のミュージシャン
日本のミュージシャン、
それぞれに、
特別に、これだ、っていう
フェイバリットのミュージシャンが
いるんだけど

良く考えると
80年代の日本のバンドの中では
本当に「これだ」といえるバンド、アーティストに
出会っていない

まあそれはただ単に
勉強不足であんまりちゃんと聞いていないだけなのだろうけれど

でもどっちかというと
80年代の、商業主義が華やかで
そういった時代背景もあって
しかしクオリティはどのバンドもすごく高く、
結果として、
このバンドが特別好き、
というよりも、
どのバンドもそれぞれ良いよね、
って感じになっているのかもしれない
俺の中で

で、最近、会う人ごとに
80年代の日本のバンドでおすすめはなにって
聞いているんだけれど

でもたとえば、昔から
え、Van Halenみたいなポップなハードロックが好きなんだったら
アースシェイカー聴いてみなよ、
って少年時代から何度も言われてたんだけど

この時代なので、先日ユーチューブでちょっと聞いてみて
うわあやっぱりこれは好みだなと
ストライクゾーンだなと
ていうかこんなすげえのかアースシェイカー、と笑

ここ数年自分はかなりジャパメタ萌えなんだけれど
やはり自分にとってのジャパメタの決定版には
なるかもしれない

だからといって
自分にとって本当に特別なアーティストになるかというと
ちょっとわからない
やっぱ80年代は、「全体として」聴くものかもしれない

ついでに、
ほら最近やっとフラワートラベリンバンドなんかも
聴いてみたし

ついでにちょっとユーチューブ経由で
いろんな昔の日本のバンドを少しプレビューしてみたらだね

やはり昔の日本のミュージシャンの
レベルの高さというのを垣間見るのだね

セックスピストルズよりも何年も早く
完璧にパンクをやってる村八分とか

フラワートラベリンバンドなんかも
なんかJudas Priestを何年も先取りしてるような
気がするし

80年代の人気バンドをいくつか見てみてもだ

その時代ごとに
社会の中で、
その音が鳴らされることに
どういう意義があったかということを
含めてだ

ちょっと世界の中で半端ないレベルの高さを
示しているなと
独自に
独自すぎる

日本が世界の中心だった時代に
確かに

90年代青春世代としては
ほらナンバーガール世代というか
あのへんの日本のアンダーグラウンドな
オルタナ、インディ系は
日本のロック史上特筆すべきところかと
思っていたが

こうして振り返ってみると

うわどちらかというと
何かやっぱり
ずいぶん時代とともに
やたらとなんか大事なものを
失っていることを
否めず

少なくとも歴史を振り返って
if you take a closer look,
ちゃんと隅々まで見てみると

恐ろしく独自にレベルの高いことを
ずっと日本人のミュージシャンはやってきていたと
誇っていいと
思った

それが
なぜこうなってしまったか

問題はそこだ

日本人の
というか
日本の若いみゅーじしゃんたちの
能力や、器用さや、
アイディアや、
そうしたものが
昔と比べて低下したとは
思わないが
むしろ依然高い水準を保っていると
思うが

社会が先を示せなかった

目的も未来も奪われて若者は

それくらい日本人という民族は
精神的な使命に生きる人々かと

先、

たとえばアメリカさんの場合、
フロンティアが世界になくなって

じゃあ、次は。

先。

でも特に第二次世界大戦以降の100年足らずで、
この時代、

人間の文化や精神は。
ずいぶん花開いたと思うのよ。
少なくとも

で、その先。

No(875)

■…2012年 6月13日 (Wed)…….キングダム
またあれなこと書くけれど

聖書の言葉なんつーのは
あらゆる角度からのあらゆる意味があるだろうし
その時、その人、その時代ごとに
すべてあらゆる意味で読み取れる情報量があるだろうから

ぜんぶを理解することなんて俺にはできんけれど

しかし
神の王国というのか
天の御国というのか

その意味が、ちょっとだけわかった気がしている

少なくとも今この時代に
俺に与えられた意味としては
なんかわかった気が

音楽の意味というのか
音楽家、芸術やアートもそうかもしれんが、
とりあえず音楽

とくにロック

その生まれてきた目的というのか
本来の目的
というか機能

俺はこの自分の人生のイマリトーンズという
プロジェクトを始めてこのかた

そうね21世紀の新しい世紀のスタートとともに
扉を開いてキックスタートした精神的経緯もあって

常に新しい世界を作るんだ
新しい世界に行くんだと
考えてきた

旧い世界を脱ぎ去って
新しい世界の価値観を生きるのだと

あれだ
今日さっき思い当たった
「俺は俺の国を手に入れる」
wwwww(笑)
なんの漫画かと

昨年の末か
つくってるときに音を
神様は見せてくれたし
世界が音楽からできていることを

アルペジオがリフが
世界を構築するさまを
視覚的にビジュアルに
見せてくれたし

思えば今まで
僕が魅力を感じ
ぐぐっとひかれてきた
音楽家たちは皆、

世界を構築しようという意志を持ち
そして新しい世界を構築する力量を持った
そんな音楽家ばかりだったことを

たとえば、商業音楽華やかなりし80年代に
素晴らしい音楽性を持ったロックバンドが
武道館をいっぱいにし
横浜アリーナをいっぱいにし
ドームをいっぱいにし
コンサートをしたと

その若い精神の自由な解放だった時代
自由で伸びやかなロックが鳴った

しかしそこから
王国が築かれなければ
まったく意味はない

新しい世界が築かれなければ
まったく意味はない

そのためには
まだまだ必要だったと
過程が、経緯が、積み重ねが、
先人たちの偉業が、
犠牲が、

さらなる勇気が
なにもない荒野に踏み出す一歩が

思うにパンクがいかに破壊を叫んでも
もっとも過激な破壊とは

旧い世界に、新しい世界をぶつけること

旧い世界を壊すには
新しい世界で塗り替えること

つまりは創造

それができる力量を持ったあーてぃすと
音楽家を

僕は探してきたし、そんな音楽家に惚れてきた

これは「国を作る」ことだ

理念なしに国を作ることなんてできないし
信仰なしに国を作ることなんてできないし
そこに音楽なくしては儀式を執り行うこともできない

というよりも国とは理念そのものだ

理念を扱うのはアーティストの仕事だ

神の国つーのは
あそこにあるとかここにあるとか
こういう形をしているとか
そういうものじゃなくて

そうなんとなくわかってきた

少なくとも
僕は信じられる

目に見えない概念こそが
新しい国を
新しい世界を作っていくことを

だからロックの本来のゴールは
新しい国をつくることだ
新しい世界を作ることだ

これが俺の革命の道具だと

人は神にはなれないかもしれないが
人は神に似せてつくられた

だから人は創造のまねごとをする
芸術とか科学とか、そういうの

そうして神の国に近づいていくのか

君ならどんな国をつくる
世界をつくりだす力があるか

国家なんて概念は
この時代に

ひとりひとりが
王となり、創造主となり
つくりだしていく

ひとつの個人
ひとつの人生
ひとつの家庭
ひとつの宇宙

そうでなければ
神の王国の可能性を
信じたりはしない

そのために
ちょっとでも貢献できりゃ

なんて
おいおい

それはそれで
しったこっちゃない

好きなようにやるさ
楽しみたいだけなんだもの

No(876)

■…2012年 6月18日 (Mon)…….大急ぎ!時計仕掛けの天使達
こんなに複雑な感想を抱くアルバムも珍しい。

RUSHの新しいアルバム “Clockwork Angels”
の感想を書き留めておきたい。

その前に、どんな感想を述べるよりも先に、
僕はRUSHについては、

アルバム5枚、ベストアルバム1枚、ライヴDVD1枚しか所有していない
初心者(!)ファンであることをまず断っておきたい。

RUSHの場合はたぶん、アルバムを5枚聴いてもまだ初心者の部類だ。

そして、僕自身、音楽の好みとして、
しちめんどうくさいコンセプトアルバムとか、
理屈っぽい音楽というのはあまり好きではないことも断ってきたい。

たとえばYくんにすすめられて聴いたQueenslychのOperation Mindcrimeなんか、
ロック史に残るコンセプトアルバムだということだが、
僕は何度トライしても、退屈のあまり、アルバム一枚通して聴けた試しが無いのだ。

「僕にとってのRUSH」

不肖、はずかしながら私のやっているバンドImari Tonesが、ときどきRushを引き合いに出して比較されるようになったのはいつの頃からか。
もちろん、そもそもレベルがまったく違うので、世界最高のロックバンドであるRushを引き合いに出してもらえるというのは、光栄以外のなにものでもないんだけれど。
たぶん、ただ単純にスリーピースだから、という理由だとは思うんだけれど。

僕の思うRushの最大の魅力とは、多くの人がそう言っているように、
複雑で高度な音楽性の中にも、明るくて広がりのあるポップで楽しい楽曲を提示することができるその軽快なスタンスだ。
そして、その演奏を通じて、「物語」を聞かせ、伝えることができるそのストーリーテリングの能力だ。そして、その物語の世界は、常に、わくわくするような夢と冒険と希望にあふれているのだ。そう、なんだか、少年の頃に聞いたおとぎ話のような。

ミュージシャンとしては、
僕にとってRushは、たゆまぬ追求の象徴であり、果てしない工夫と創造の探求であり、高度な技術とミュージシャンシップ、そして永遠の向上心、研鑽、知性の追求、最高のバンドであろうとするその水準と努力の積み重ねであり、歴史であり、バランス感覚であり、そして、見果てぬ頂点を目指す姿勢そのものだ。

いやしくも一介のミュージシャンであれば、ロックバンドをやっている者であれば、Rushから学ぶことは、いつだって、尽きることなく、学ぶべきものがそこにあるのだ。

しかし、同時に、僕にとってRushは、天才的なバンドだと感じたことは一度もないのも事実なのだ。
僕が思うにRushは、最高に優秀な凡人の集まりであって、天才ミュージシャンでは決してない。
Geddy Leeのすさまじいベースプレイ、マルチプレイ、そして縦横無尽のソングライティングをもってしても、僕は彼を天才だとは思えない。
天才というのは、リフひとつで、コードチェンジ一発で、フレーズひとつで、ヴォーカルの最初の第一声で、すべてを貫き通してしまう音楽家のことであって、
僕は彼らの音楽に、それを感じたことは一度もない。
ゲディ・リーは、彼らは、いくつかの変化とフレーズの中で、総合的に良い印象を与えてくれることはあるが、決して、一発で参りましたとなるような感動を与えてはくれない。
だから、僕の意見では、Rushがいかに努力して、複雑で高度な楽曲を演奏したとしても、本物の天才がギターのコードをばーん、とひとつ鳴らせば、ぜんぶ吹っ飛んでしまうと思う。
彼らは、あくまで、最高に努力し、最高に思考し、最高に研鑽した結果、世界最高のロックバンドの地位を手に入れたバンドであって、あくまで彼らは凡人の集まりなのだ。
僕の考えでは、そう思っている。
そして、それがRushの良いところでもあると思っている。

「Clockwork Angelsについて」

Rushの、数年ぶりの新作であるこの”Clockwork Angels”は、
まず、小説、というか、ストーリーをもとにした、コンセプトアルバムであるらしい。
ドラマーであり、作詞家でもあるNeal Peart、(小説家でもあるらしい)
の書いた、小説、その小説は秋に出版されるとか、
そのストーリーに基づいて描かれた、12の楽曲、コンセプトアルバムであり、
楽曲は、その小説の世界観に基づいて書かれている。

小説自体は、なんでも、フランスの昔の思想家ヴォルテールの書いた
カンディードという物語を下敷きに、書かれたものらしく、
あんましちゃんと情報見てないからわからんけれど、
カンディードのファンタジー版というか、
いわゆる「スチームパンク」的な世界観の中での冒険物語のようだ。

確か、Rushにとって、90年代後半の活動休止の期間の後、
Vapor Trailsで復活を遂げてから、
オリジナルスタジオアルバムとしては3枚目にあたる作品のはずで、

また、先だって発表されていたライヴアルバムにおいて、
2曲がすでに公開されており、そのクオリティの高さゆえに、
ファンの期待も高まって、その上でのリリース。

Amazon.comのレビュー欄を見る限り、
ファンの評価は、ものすごい大絶賛となっており、
9割の人は、諸手をあげての大絶賛、
1割の人が、不満を訴えている、という割合になっているようだ。

どうひいきめに見ても、
この作品が、Rushのキャリアの中で、
少なくとも復活後、あるいは90年代以降の作品の中で、
最高傑作と呼ぶことのできる傑作であることは間違いがなさそうだ。

しかし、不満を訴える1割の人々のレビューを見ると、
案外と皆、同じような点を不満点に挙げており、その意見にも一理ありそうなことがわかってくる。

共通してよく挙げられている不満点としては、
サウンドプロダクションの悪さ
ゲディ・リーのヴォーカルワーク
楽曲の散漫さとフックの欠如
アイディアの詰め込みすぎ
インストゥルメンタルの楽曲が無いこと

などがある。
そして、残念ながら、おおむね僕は、これは的を得ている批判だと感じている。

しかし、それを差し引いたとしても、
これは非常にRushらしい傑作アルバムであり、
ファンが狂喜するのにふさわしい内容の力作であることに間違いはないと僕は思う。

「そして、僕自身の感想」

Rushのアルバムは、どれも、内容が複雑なので、最低10回は通して聴かないとわからない、というようなことがよく言われる。
僕はここ数日、狂ったようにずっと聞き続けていたが、上の空で聴いているのも含めれば、たぶん10回はとっくに越えたんじゃないかと思う。

20回聴けばまた感想も変わるかもしれないが、ひととおり、いろんなことが見えてきたので構わず書いてみたい。

まず、結論から言うと、僕はこの作品に対して、
「すさまじい傑作だ」という思いと、
「Rushの限界が露呈した作品だ」という、
相反したふたつの感想が、同時に自分の中に存在する。

こんな不思議な、複雑な感想を持ったアルバムも、珍しく、

感情的に分析すれば、これは、ミュージシャンとしての自分が、
RUSHが大好きで、Rushを尊敬する思いと、
Rushの弱点を見つけ出し、なんとかしてRushを越えたいという思いが、
自分の中に存在するからかもしれない。
たぶんそうだ。
でも、結果としては同じことなので、構わず感想を書いておきたい。

まずは、賛辞から。
Rushは、1970年代から、第一線で活躍するベテランバンドであり、
ロックシーンを牽引し、歴史を作り、伝説を作ってきたバンドだ。
メンバーは、そろそろ60台にさしかかろうかという年齢になる。

そんなベテランのバンドが、この年齢にして、
まったく老成というか、日和見することなく、
これほどに圧倒的に濃い内容の、テンションの高い作品を作ってきたこと、
これだけでも最大級の賛辞に値する。
ものすごい、驚異的なことだ。

アルバム全体に、気迫が、すごい密度で込められており、
その圧倒的な迫力は、まさに名盤と呼ぶにふさわしい。

まずは、世界観だ。
スチームパンク的な、ファンタジーの世界の中で
描かれる数奇な冒険と人生のストーリーは、
まちがいなくこのアルバムの楽曲たちに、
独特の色合いの魅力を与えており、
先に述べたこのRushのストーリーテリングの能力、
バンドとしての物語を奏でる能力の本質を証明している。
(そしてこのへんが、比較されながらも、Rushにあって、Dream Theaterに無い部分なのだと思う)

この世界観の色合いこそが、このアルバムの圧倒的な密度の正体というか、
核になっていることは間違いない。

しかし逆のことを言えば、
「物語に頼らざるを得なかった」
ということもいえる。

このアルバムは、Rushの今までの音楽的な魅力を網羅していると思われるが、
音楽的には、新機軸というのか、3人のアンサンブルでできることとしての、
方法論はすでに出尽くしており、
楽曲、サウンドの構造として、目新しいものは何もない。
どこかで聴いたな、いつものRushだな、というものが非常に多い。
もちろん、いくつかは、新しい音像を取り入れている場面もあるが、
今回、ソングライティングの中に、
そしてアンサンブルの中に決定的な新機軸は無いと思う。

そういう意味では、
Rushは既に音楽的に限界にぶつかっており、
それをカバーする意味で、
演奏そのものよりも、
ストーリーという要素に重点を置いた、
もしそうだとすれば、
その選択は正解だったと僕は思う。

実際、ここには、Rushの高度な演奏とアンサンブルのすべてがこめられている。
変拍子の使い方こそ、今までのアルバムと比べればおとなしいように思うが、
楽曲のすべてのパートにおいて、リズム構成の工夫、
各パートの全力投球の仕事っぷり、3者が互いに一歩も引かないぶっとんだアンサンブル、
絡み合うようにこれでもかとねじこんでくる鋭いフィルインの数々、
そして3者のすばらしいミュージシャンシップ、
それが、高度なまでに、まるで集大成のように炸裂している。

だから、アンサンブルとしては、
本当に、いきつくところまで行ってしまったというか、
今までのRushのすべてを込めたというくらいに、
集大成のごとく密度が高いのだ。

ミュージシャンのはしくれとして、
敬服せざるを得ない点がここにある。

歴史を作り、伝説を作り、高みを目指して研鑽を重ねてきた、
最高のロックトリオの、極みがここにあるのだ。

この年齢で、このベテランが、キャリアのこの時点で、
一歩も衰えることなく、
この極みを、究めることができること、
これが、どんなに凄いことか。
とても言葉では表現できない。

コンセプトアルバムのテーマにしても、
哲学的な作詞家、作家であるニール・パートの才能、
そして、バンドの知的な表現力をフルに発揮し、
これほどの表現力で世界観を描き、提示し、実現する。
もう、高度すぎて、圧倒的としか言えない。

そして、このアルバムで、なによりも、
いちばん凄いと思うのは、

これほどまでに高度で、複雑で、難解な、
圧倒的な情報量を持つ、
そんな作品を、
こうして作り上げ、実現するだけでなく、
それを評価し、受け入れ、賞賛する、
そんな熱狂的なファンが世界中にたくさん存在するという事実だ。

普通だったら、
こんな高度で、難解な作品は、
なかなか理解されない、受け入れられないものだろう。
だから、このアルバムは、
ひいてはこのバンドは、
こうして存在することが、
こうして実現していることが、
奇跡そのものなのだ。

こんな高度でものすごい作品を、
こんなハイレベルで提示し、
そしてハイレベルで受け入れる、
そんなバンドと、世界中のファンの関係が、
それが、なによりも、
ものすごい。

熱い。熱すぎる事実だ。

これこそが、Rushが、
世界でも稀有なバンドであることの
なによりの理由なんだと、
そう思い、
感銘を受けた。

そして、ここからが、僕のもうひとつの感想であり、
結論だ。

ここまで書いたように、
この作品は、今までのRushの集大成ともいえる
バンドのダイナミズムと、アンサンブルが、
ミュージシャンシップが込められており、
そして、コンセプトアルバムのストーリーが、
独特のファンタジーの世界観の中で、
圧倒的な気迫と密度を持って展開される。
そんな、すさまじいまでの傑作だ。
そして、文句のつけようがないくらいの大作だ。

だが、
それらの長所をすべてうわまわって、
この作品は、
退屈なのだ。

退屈、という言葉で、
すべて説明できてしまう。

ひとことでいってしまえば、
それがRushの限界であると思う。

それは、いつにはじまったものでなく、
Rushというバンドの、いちばん最初の、
企画としての段階からの、限界だ。

どんなにアイディアを詰め込み、
技巧を高度に発達させ、
深遠なテーマを描いてみせたとしても、

それで表現の本質が変わるわけではない、
たとえば、Rushがいきなりレディ・ガガに変わるわけではないのだ。

Rushが女の子に人気のあるバンドだったことは
一度もないと思うが、
もちろん、それがいけないわけではないが、
圧倒的に完璧に構築した、
まさにこれこそがPerfectionと呼べるような
この作品において、
その裏側に、ぽっかりと、
Rushの本質的な弱点が露呈してしまっているような気がする。

内容は間違いなく高度だ。
楽曲だって悪くない。
ものすごい表現力だ。
だが、語られるストーリーを差し引いたとき、
はっとさせられるようなインスピレーションが、
欠如しているのも事実だと思う。

過去のRushの作品には、
もっと、僕をにやりとさせるようなインスピレーションがあった。
しかし、このアルバムの楽曲は、
世界観を優先させたためか、
ソングライティングが少し、力押しに過ぎる、強引にすぎるきらいがある。

その結果、
部分ぶぶんは、決して悪くないにもかかわらず、
楽曲がやはり、散漫になっていることが多い。

もちろん、それでも十分良いのだけれど、
本来だったら、もっと良くなっていたはずだ、
と言えるような、楽曲の構築が甘いというか、
完成の域に達していないものが散見されるのだ。

つまりは、ソングライティングのことだが、
Rushのインスピレーションは、
ソングライティングは、
アンサンブルは、
ここまでなのか、
これで限界なのか、
僕は、そう叫びたい思いでいっぱいになっているんだ。
正直なところ。

結論としては、やはり僕にとっては、Rushは、決して本当の天才のひらめきをもった音楽家ではないということだ。

「圧倒的な平凡」
そんなふうに呼んでもいい。

普通、Rushのアルバムは、その高度な内容ゆえに、
最初は、ぴんとこなくても、
何度も聞き返すうちに、だんだと良くなってくる、
そういうものだ。

でも、このアルバムは、
そうしたソングライティングのほころびゆえに、
あるいは逆に突き詰めた世界観の密度の副作用なのか、
何度もトライして、聞けばきくほど、そのバンドとしての欠点が見えてきてしまう。

このアルバムの、
「スチームパンク的世界観」
かなにかしらないけれど、
そのファンタジー世界観のせいで、
全体に辛気臭い作品になっていることも、
「退屈だ」と感じさせる要素かもしれない。

本質的に、このアルバムで描かれている世界観とストーリーに、
僕があまり賛同していない、共感していないのも、
僕が無条件でこのアルバムを楽しめない理由かもしれない。

光る曲はいくつかある。
そして、すべてにおいてRushにしか実現できないサウンドとアンサンブル、世界観であることに間違いはない。

しかし、そんな完璧と集大成の裏側で、彼らの限界もしっかりと浮き彫りになっている、
そんなアルバムでもあった。

一部で不満の対象になっているサウンドプロダクションについて
述べるのであれば、
ミックスというのか、マスタリングなどの段階で、
全体の音作りが、
非常に平面的で、ダイナミズムに欠けた平べったい音になってしまっている。

録音自体は非常にクリアであるし、迫力もあるし、
ファンタジーの世界の雰囲気はよく出ているけれども、

バンドのダイナミズムを相当に殺してしまっているこのプロダクションに関しては、
僕もちょっと文句を言いたいところがある。

悪くはない。
でも、もっと良くなっていたはずだと思う。

あとは、最近のRushのアルバムではいつものことかもしれないけれど、
ベースの音がやたらとでかい(笑)

これは、やはりRushのアンサンブルを牽引するのが、実質やはりGeddy Leeだということを象徴する事実でもある。

そんな感じ。

もう一度、結論を一言でまとめてしまうと、

この”Clockwork Angels”は、
「最高に高度で凄まじい迫力を持った大作であるが、それを上回るくらいに退屈な作品だ」

以上です。

だがそんな中でも、
僕がひとつだけ、本当に気に入っている曲がある。

3曲目のタイトルトラック、
“Clockwork Angels”

これは、本当に凄い曲だ。
今の彼らにしか、
そして、この物語の世界観の中でしか描くことのできない、
そんなものすごい楽曲だ。

これこそがRushがRushたる所以だ、といいたくなる、
インスピレーションに満ちた曲構成、
起伏に満ちたリズムとアンサンブルの妙、
そして、まさに機械仕掛けの巨大な時計が、世界を動かしているような壮大な音世界。

こんなものすごい1曲を生み出したことだけでも、
やはりRushは、他のどこにもない、圧倒的に優れたバンドだということがわかる。

もう一度くりかえすが、
キャリアのこの時点において、
こんなに年齢を重ねて、
ここまでのすさまじい高みに達する、
この事実、
このアルバムから、
どんなミュージシャンであれ、
ミュージシャンの一人として、
学ぶものが、いくつもあることは、
間違いない。

No(877)

■…2012年 6月24日 (Sun)…….再度Clockwork Angels感想文
ひつこくまたRUSHの感想文を書いてみる。

いや、もちろん、他にもいろいろ聴いてるんだけど、
最後まで理解するまでつっこんでおきたかったのよ、
この作品は。

もっと好きになった新譜や旧譜も、たくさんあるんだけどね、今年、他のバンドで。
書いてないけど。

RUSHの新譜、辛気臭い雰囲気がどうにも気になっていたが、20回くらい聞いた結果、ここに押し出されたゲディ・リーのミュージシャンエゴに思い当たるにつれ一気に理解できた。なぜこんな作品を今作ってきたのか、理由がわかればすべてすっきり。

以下、もう少し冷静に書き直してみたショートレビュー。

RUSH “Clockwork Angels”

RUSHの21世紀に入って3枚目のオリジナルフルアルバムとなる今作は、ニール・パートの小説を下敷きにしたコンセプトアルバムであり、既にファンの間からは久々の傑作との呼び声が高い。スチームパンク的世界観の中で展開される音のストーリーは、濃密な雰囲気と密度を持っており、それだけでも傑作の名に値するかもしれない。60歳近い大ベテランでありロックの歴史の中で伝説を作ってきた彼らが、キャリアのこの時点において、このような気迫に満ちたアルバムを作り上げたことだけでも驚嘆に値する。

アルバムを通じてミックスの中でベースパートが強調されており、アンサンブルの中でも明らかにベースが主導権を取っている。ソングライティングひとつとっても随所でゲディ・リーのミュージシャンとしてのエゴが前面に押し出されているのを感じる。壮大な物語に基づいたコンセプトアルバム、そしてその狂気ともいえるインテンスな気迫は、栄光のキャリアを持ちながらもなおここへきてさらにアーティストとして壁を破りたいとする彼の内にある野望を物語っているようだ。

しかしファンの間では傑作との呼び声が高いものの、全体的にインスピレーションに欠ける部分が多く、ソングライティングにも強引な点が見受けられ、その気迫が空回りしている印象も全体として受ける。コンセプトアルバムの物語の縛りや世界観の影響かもしれないが、完璧に構築されたサウンドの裏側で、辛気臭い、退屈、そもそもメンバー個人に魅力がない、といった、バンドとしてのRUSHの弱点が浮き彫りになっているように思う。アルバム全編にわたって聴くことのできる強烈なリズム隊のアンサンブルやミュージシャンシップは驚異的なほどで、全てのプレイヤーはここから学ぶものが少なくないに違いないが、私の中でのRUSHの評価、つまりRUSHは最高に優秀な凡人の集まりではあるが、天才のひらめきは持ち合わせていない、というもの、それを覆すには至らなかった。

しかし世界中のRUSHファンはこの鬼気迫るアルバムに狂喜しており、その意味では彼らは間違いなく勝利を収めているし、なによりこれほどのリスナーに挑みかかるような高度で複雑なアルバムを作り、世界中にそれを受け止めるファンがいるという事実は、それだけでロック史上に類のない驚異的な偉業だ。

サウンドプロダクションについて言及すると、ミックスのせいかマスタリングのせいか、全体的に平面的な音作りになってしまっており、クリアな音像とコンセプトアルバムの雰囲気を作りあげるのには一役買っているものの、同時にバンドのダイナミズムを大幅に殺いでしまっている。好みの問題だが、このサウンドプロダクションの方向性には一部に不満を訴えるファンもいるようだ。

特筆すべき楽曲を挙げていくと、

“Caravan”
近年のアレックス・ライフソンのヘヴィになったギターサウンドと音使いも相まって、一聴してなんだかDream Theaterのような印象を受ける。しかし聞き込んでいくといかにも21世紀のRUSHらしい楽曲であることがわかる。物語をつむぐドラマ性、自由なリズムの使い方、そしてアンコンベンショナルな進行にのって絡みつくようなサビといい、まさにRUSHにしか作れない佳曲といえる。私がこのアルバムにおける成功例と思う楽曲のひとつだ。

“Clockwork Angels”
気迫と世界観が空回りしているように感じられる楽曲が散見される中、私がこのアルバムにおける最大の成功例と見做している楽曲がこれだ。時計仕掛けの天使たちが支配するスチームパンク的世界観と、そのストーリー性が、見事に音楽と融合している。鐘の音のように鳴り響くアルペジオ、振り子のように揺れるリズム、壮大に鳴り響くメロディ。圧倒的である。この1曲だけのためにこのアルバムを買う価値があると言える。

“Anarchist”
RUSHらしい快活なメロディとリズムを持つ楽曲なのだが、少々強引なソングライティングとアンサンブルの手法のため、評価しづらい楽曲だ。楽器隊のアンサンブルは完璧にも関わらず、ヴォーカルのメロディは全編を通じて印象が弱く、失敗の域を出ない。実にこの楽曲をリードしているのはゲディ・リーのベースであり、イントロからサビにいたるまで、メロディを紡いでいるのはベースである。サビの部分に到っては(もともとRUSHの楽曲には明確なサビが存在しないことも多いが)メインのメロディを奏でているのはベースであり、ヴォーカルは添え物のように平坦なメロディを乗せているだけだ。サビを歌っているのがヴォーカルでなくてベースという、ある意味このアルバムを、そしてRUSHを象徴している楽曲かもしれない。

“Carnies”
この曲もRUSHらしい展開とアンサンブルを持ち、快活で開放的な雰囲気と、辛気臭く妖しげな雰囲気を併せ持つ複雑な楽曲でもある。私はこのアルバムの中では成功している部類の楽曲であると認識しており、ライヴで演奏されればきっと映えるに違いない。サーカスの妖しいファンタジー世界に迷い込んだような、アルバムの中でも世界観がプラスに作用している例のひとつといえる。サビのメロディが中東風の怪しげな雰囲気を漂わせており、それを気に入るかどうかでこの曲の評価が分かれるかもしれない。

“The Wreckers”
ポストロック的なギターのトレモロサウンドが儚い雰囲気と壮大な広がりを演出した、独特の世界観を持つ楽曲だ。U2やThe Policeなどに影響されたアレックス・ライフソンのギターの空間演出法は、RUSHの楽曲のストーリー性を担う重要な要素であり、この楽曲のサウンドもアルバム中における彼の最も特筆すべき仕事のひとつと言える。
しかし全体に漂う辛気臭く冗長な雰囲気がマイナスになってしまっているのも否めず、さらにサビ部分ではこれ以上ないほどに辛気臭いメロディが果てしなく繰り返される。好みの問題といってしまえばそれまでだが、結果として私はこの楽曲はどうも好きになれそうにない。

“Headlong Flight”
スピード感、ドライヴ感にあふれたこの楽曲がアルバム後半のハイライトであることに間違いはない。RUSHらしい開放感と変拍子のキメ、なにより文字通り空を飛んでいくような爽快さを持ったこの曲はファンの間でも人気が高いようであるが、如何せんメロディと進行が単調(predictable)であり、ソングライティングの展開も完成度が高いとは言えず、逆に今のRUSHの限界を感じさせる楽曲でもある。しかしこの楽曲におけるニール・パートのドラミングは凄まじいの一言であり、これぞRUSHといえるダイナミックなアンサンブルはバンドの魅力と実力を正しく伝えている。ライヴでは間違いなく盛り上がる楽曲だろう。また、この曲の中間部分において、アレックス・ライフソンが、RUSHのキャリアの中でもトップクラスと思われる激しくインテンスなギターソロを弾いているが、そのギターソロよりもベースの方がミックスの音量が大きいという点が、今作におけるRUSHのパワーバランスを象徴しているように思えてならない。

“Wish Them Well”
アルバム終盤において突如として明るい雰囲気を放つこの楽曲は、やはりRUSHらしい快活なリズムと変拍子のアルペジオを持つ、典型的なRUSHらしい楽曲だ。そのはずなのだが、どういうわけだか楽曲の完成度が、いまいち痒いところに届かない。お題目のように繰り返されるサビのメロディと、そこに絡む高音のコーラスは、祝福というよりは、どちらかというと悪夢に近い。どこかしら説教くさく(pretentious)押し付けがましい雰囲気になってしまうのは、ひとつにはやはり、コンセプトアルバムのストーリーの縛りのせいだろうか。個人的にはかなり退屈な楽曲だ。

高い密度とドラマティックなサウンドと、高いストーリー性を持った傑作ハードロックアルバムではあるが、いまいち痒いところに手が届かない。

このアルバムは、私の知っている中では、Van Halenの1995年のアルバム”Balance”を少し彷彿とさせるところがある。

あのアルバムもやはり、高いインテンシティと、絶品のサウンドと、高度でドラマティックな内容を持った傑作のハードロックアルバムだった。しかし、やはりどこか痒いところに手の届かない、どこか合点のいかない作品でもあったのだ。そして、同じように世間からは絶賛された。

Van HalenのBalanceは、その内容の高度さにも関わらず、バンドの内部は崩壊ギリギリのまさに際どいバランスの上に成り立ったものだった。内容は「円熟」という言葉がふさわしかったが、円熟と崩壊がぎりぎりの上にせめぎあっていたのである。

キャリアの終盤であろうところの時期にリリースされたこのRUSHのアルバムからは、そんな微妙なバランスの上に成り立った円熟を感じさせる。
しかし、そんなギリギリのバランスを保ってまで、バンドはこのアルバムの「狂気」ともいえる内容と向き合う必要があったのだろうし、その「狂気」こそが、このアルバムを特別なものにしているのだ。

この圧倒的な内容と情報量を持ったアルバムを「凄い」と思って愛聴するか、「退屈」と思って敬遠するかは、単純にリスナーの好みの問題だろう。

No(878)

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