2013年4月の日記

■…2013年 4月 7日 (Mon)…….where i come from
やらなきゃいけないことはたくさんあるのに、
思い立ってついついこんな文章を書いてみる。

最近、スラッシュメタルをRevisitしたり、
90年代ヒップホップをRevisitしたり、
ブリットポップをRevisitしたりしていて、

たとえばBlurなんか聴くと、ブリティッシュロックの歴史が総括されていて(イギリスのバンドは総じてそういうものだけれど)、凄いなと感じるけれど

遅ればせながら90年代ヒップホップの代表格であるところの2pacを聴いてみたら、
見事なまでにアメリカのブラックミュージックの歴史の総括であることと(ヒップホップは総じてそういうものだけれど)、
意外なまでの音楽的な豊かさに驚いてみたりした。

そういった決定的な作品というのは、
結構90年代に出ていたりするので世の中的には、
やはり2000年代以降のバンド、アーティストというのは、
なかなか本当の意味で新しいことをするのは難しいのかなと思うけれど。

先日もちらっとどこかで書いたけれど、
それじゃあブリティッシュロックなり、
ブルーズなりファンクなりブラックミュージックなり、
カントリーであったり、
そういう伝統であるとかバックグラウンドやアイデンティティみたいのがある中で、

今の時代に生きている日本人である僕らに
どんな音が鳴らせるのかってことを前から考えていたんだけれど

日本人って言ったって
三味線抱えて生まれてきたわけじゃないし
家族の中にピアノを弾く人間はいたけれど
尺八を吹く人はいなかったし

そういえば母方の祖母は大正琴を弾くけれど

つまりはどうしても僕らは
日本の古い伝統から一定のところで切り離された
第二次大戦後の現代日本の文化の中で育ってきたんだよね
そういう社会の中で、そういう教育を受けて
そういう価値観のもとに。

自分が曲を作ると
どうしても求めてしまう感覚というものがあって
それは自分がほんの幼かった頃の
1歳とか3歳とか5歳とかの感覚なんだろうけれど
1970年代終盤とか
1980年代の前半頃とかの
そういう感覚を求めてしまう

たとえばアメリカの人と話すと
彼らはミリタリーっていうのか
米軍とか、たとえば軍人の人達をすごくリスペクトするじゃない
リスペクトというか尊敬というのか
社会的にそんな感じで
軍隊のことを、すごく尊重というか、誇りにも思ったりとか
自由を守るために戦う的な

それって日本人から見ると
やっぱりちょっと違和感があったりもするんだけれど
じゃあ日本で言うと
平和ってことをすごく言うじゃない
憲法9条とか言って。

一見正反対のようだけど
それって結構、同じ感覚なんじゃないかって。
コインの表と裏というだけで。

日本には平和憲法ってものがあるし第二次大戦後の日本は
そういう国の形のもとでやってきてるし
軍隊は持ちませんよって言ってる
自衛隊ってものがあるのはみんな知ってるけど

世の中ってものを考えれば
世界や人類の歴史や現実を見れば
国ってものに軍備とか国防は必要ですかって聞かれたら
それは必要に決まっているわけで
少なくとも今はまだ

ただ、第二次世界大戦後に日本が
平和憲法を持って
平和国家ですよって言って
そんな無茶なことを言って発展してきたのも
それはそれでそれだけの価値があったと
僕は思う

ただその代償というものは現実には
それなりにたくさんあるわけで
実際のところ必要な軍事力は
みんな知っているとおり米軍さんが
提供してくれているわけなんだけれど

それって占領とどう違うのとか
それを人質にどれだけのあれやこれやの見返りを
支払っているのかとか
現実を知らない僕にはなんにも言えないんだけれど

ただ、そうした犠牲や代償があったにしても
(政治というものはどちらに動いてもどのみち人が死ぬものだと僕は思っている。まるで巨大な車輪のように。)
そうした犠牲や代償があったにしても
第二次大戦後の日本とアメリカの関係は
同盟というよりはほとんど結婚のようなものだったと思うんだけれど
たとえそれが平等な結婚ではなかったにしても
それはそれでそれなりに幸せな婚姻関係だったんじゃないかと僕は思っている

経済的なことや
軍事的なことをギヴアンドテイクして
お互いに第二次世界大戦後の発展は
日本もアメリカも互いの存在を抜きにしては
たぶんこれほど実現しなかった

そして
少なくとも日本はその後数十年間、
平和で
経済的に発展した
平和で
平和で
平和な社会として
世界に存在して暮らしてきた

それだけでも、この無茶きわまりない平和憲法と
いびつな国の形とアメリカとの不平等な婚姻関係に、
一応それだけの価値があったんじゃないかと
僕は思っている

そして
そういう中で僕らは
そういう平和な社会の価値観の中で
そういう教育を受けて
育ってきた

しかし
その価値観は
嘘っぱちなんだということが
わかってしまうわけだ

経済的な発展とか
安定した生活であるとか
終身雇用サラリーマンであるとか
見せかけの平和であるとか
理想からほど遠い社会正義であるとか
そのいびつな社会の裏に
どれだけ矛盾と歪みがあって
嘘の上に成り立っている社会
嘘の上に成り立っている平和と発展
そうしたものが
どれだけ本来の人間性というか
本来の人間の姿に反しているか
ということに
気付いてしまうわけだ

気付くもなにも
僕たちの世代
いわゆるロストジェネレーションに含まれる
は、
90年代を通じて起きた価値観の崩壊を通じて
そういったものから放り出されてしまった

だから僕たちは、
その「戦後日本の価値観」の
その先を探さなくてはならなかった

それをどんなふうにして探すのか
その先に何を見つけるのか
それは、誰が助けてくれるはずもなく
個人個人がそれぞれにやっていったはずだ

僕自身も、人知れず、それなりに旅をして
その先の世界を見つけてきたはずだが

世界の中で自分たちの伝統やアイデンティティというものを
あらためて問いかけたとき
自分が育ってきたのは
その平和な戦後日本の社会の中だったというところに
突き当たった

自分の生まれた国では
平和というものが信じられていた
平和な世界というものが理想とされ信じられていた
(それはそれで、無理もあったかもしれないが)
そのことは、間違いなく自分が世界中に誇れることだ

なぜなら
自分の中から出てくる音やメロディというものを思うとき
たとえば自分は三味線を抱えて生まれたわけでも
琴の演奏ができるわけでもないが
自分は平和な社会の中で育った

そして、平和な国で育った人間にしか
鳴らせない音というものがあるからだ

それは、アメリカの都市部のゲットーで育った人間にしか
鳴らせない音楽があるのと同じだし
たとえばジャマイカの貧民街で育った人間にしか
鳴らせない音楽があるのと同じことだ

ただ、先程も言ったように
その、あるいはハリボテに過ぎなかった
その戦後日本の社会の価値観から放り出されてしまった僕たちは
その先を探さなくてはいけない

だけれども
ひとつ良い事を言えば
国とか社会というものから
放り出された僕たちの中に
すでに「国家」という概念はない

たぶん「民族」という概念もないし
「宗教」という概念もない
(まあ僕はキリスト教徒やってるけれども)

あるのは個人というか
インディヴィジュアルという概念だけだと思う
民族主義も国家宗教も伝統からも切り離された僕らには
それしか残らなかっただろうから

国家とか民族とかそういう概念で言うのであれば
そういう意味で言えばこれから日本はゆっくりじっくり確実に
衰退していくのかもしれない
そう感じ始めてもう20年は経過して
ここまで来るともう避けようがない段階に思えるし

ていうか、無茶な平和の理想を(自発的にせよ押し付けにせよ)
掲げた時点で
国家としては終了する運命だったかもしれない

少なくとも、僕たちの世代の中で
日本、というよりも
自分たちにとっての母国という存在は、国家という概念とともにとっくに終了して滅びているだろう

だけれども、その枠を超えて
生きていく運命がある
民族という概念を捨ててでも
インディヴィジュアルとして
生きていく未来がある

そして、その枠を超えて
世界に対して発するメッセージと
責務がある。

そう思っているんだよ

これはOnce in a lifetimeだと思う
というよりは、千載一遇だと思う
Once in a historyというか
人類史上のうちで

それだけ崇高な精神と魂と
理想と使命を持った民族だと
それでも信じている

美しいものっていうのは
滅びる運命にある
優しすぎる人みたいに
でも、滅びてからも
実は美しいんじゃないかって
そこから実はやれることがあるんじゃないかって

旧い価値観に放り出された
旧い枠組みに放り出された
って意味でいえば
日本だけじゃなく世界中の若い人達に
同じ状況があると思うし
そういった世代が、皆でできることが
あるのかもしれないし

これから日本の国の形も
どう変わっていくかわからないけれど
自分は平和な国に生まれた
平和な時代に生まれた
その事実と誇りは
自分はずっと忘れないだろう

音楽について書きたかっただけなので
歴史とか政治とかについては
これ以上突っ込んで書かない
大して知らないし
絶対もめるし

でも、どうひいきめに見ても
国家に軍隊は必要だということは事実としても
60年以上にわたって平和(平和ぼけ)に
生きてきた現代の日本人と、日本という国家に、
今更強力な軍隊を持ちなさい、と言っても、
すでにそれは現実的に無理なんじゃないかとも思う。

すでに国家というものを失っている僕らが
国家というもののために戦えるのかという根本的な問題もある

たとえば明治維新を戦った英雄たちにしたって
描いていたのは
より平和で
より自由で
より豊かな
「より良い世の中」
だったんじゃないかなあ

その先へ
行きたいと思うんだよね

No(894)

■…2013年 4月 7日 (Mon)…….Tokyo Rocks Codama Through
前からFacebook上でちらほらと見かけていた
Tokyo Rocksなるフェスティバルが中止になったらしいですね

僕としてはこれをもって
日本における公式な
ロックンロールが死んだ日として
記録しておきたいような気分です

いや、ロックンロールというよりは
より感情的、情緒的で
中二病的な
昔の(今は知らない)ロッキンオン的な
日本の頭でっかちなロック崇拝文化の
死という気がしますが

日程がかぶっていたのが
ヘヴィメタル、ヘヴィロックのフェスティバルである
Ozzfestだったというのがちょっと皮肉な感じがします

そっち系のロッキンオンぽいメディアって
その当時からヘヴィメタル系の音楽やアーティストを
徹底的に無視していたと思うから

しかし、自分もヘヴィメタル畑のはしっこに立っている人間として
そうした皮肉のひとつも言いたくなる一方で

自分もまたブリットポップ世代であり
少なからずブリティッシュロックを愛する人間の一人として
やっぱりこれは日本においてロックが死んだ日のような気がしているのです

運営側の問題だけでなく
それを見守るファンやリスナー側の問題としても

この10年ほどで
日本の音楽シーンのガラパゴス化が著しく
海外で大人気のバンドが来日しても
日本ではほとんど知られておらず
海外でやるのの10ぶんの1くらいの大きさの会場で一回コンサートやるだけとか
そういう状況が限りなく増えて

また中堅アーティストの来日中止が日常的に起こるようになって久しく、
また大物アーティストが来日しない、というよりはあからさまに日本をスキップして他のアジア諸国やオーストラリアなどで公演するというパターンが増えて久しい昨今、

海外のアーティストにとって日本というマーケットの重要性がどんどん低下していって、

そんな状況の中でこの大掛かりなフェスの失敗は
それが妙に理想主義的であったがゆえに余計に
決定的に日本のロックシーンの終了を
意味しているような気がしてならないのですが

ああ、何を書いても皮肉っぽくなってしまう

ただ、そんな中で
よりミクロにクローズアップすれば
とても豊かな現実があるのも確かで

先日、熊谷幸子さんのコンサートを見てきました
昨年行われた復活コンサートから一年、
復活第二段のコンサートだったわけですが

それは、それは、とても
昨年にもまして、充実した
そしてとても幸福な
音楽的にも、感情的にも
とても幸福で充実したコンサートだったのです

熊谷幸子さんは、だいたい1990年代を通じて活動していたメジャーアーティストなのですが、
1998年末だったか1999年初頭だったかのシングルのリリースを最後に
ほとんど活動を停止して引退されていました
というか、楽曲の提供はときどき、有名なアーティストたちに提供していたようですが
2000年代を通じて、ずっとアーティストとしては引退されていたので、

それが、今、こうしてこの2013年、
ある意味で時代の先端を行くような
インディーぽいやり方で
ある意味、本当の意味でアーティストとしての

つまりは90年代にメジャーで活躍されていた時代、
熊谷幸子さんはずっと違和感を感じておられたようで
つまりは熊谷さんはもともと作曲家志望であり、
アーティストというものをたぶん志望していなかった、

立ち位置としてユーミンの一番弟子みたいなポジションに居ながら
ユーミンのように大ヒットというか大メジャーになることがなかったのも
そのあたりだろうと思われ
またそれゆえにより音楽的に純粋であり続け深化していったのも
ファンとしてはスリリングでありましたが

今でも熊谷幸子さんのアルバムを聴くと
基本的に90年代初頭ぽい(松任谷正隆氏の音作り)口当たりのよいポップサウンドでありながら、
その裏にある作曲の凄まじいまでの鋭さに、
あらためてこの人は物凄い天才なんだなと
思うことが多々あります。

その意味では
自らの意志で、自らのペースで、
自らのパーソナルな芸術性でもって
スタートした、2013年現在の熊谷幸子さんは
(CODAMA Throughという夫婦ユニット名義でやっておられます)

90年代当時よりも、より本来の意味で
深化した、本来の熊谷幸子さんの音楽を
鳴らしておられるんじゃないかと

基本的にピアノの弾き語りスタイルで行われた
そのコンサートは

おそらくは、90年代の現役当時でも
ライヴ活動をそんなに盛んには
やっておられなかったであろう
熊谷幸子さんにとって

たぶんその当時にも増して
音楽的に
またオーディエンスとのコミュニケーションという意味でも
当時に増して、充実したコンサートだったのではないかと
思うのです。

ひょっとすると、熊谷幸子というアーティストの本当の旬は
これからかもしれないと思うほどに。

昨年も2曲、新曲を披露してくれましたが、
今回披露された3曲の新曲が、また、これが、
いよいよもってよい。

天才ソングライター熊谷幸子が、
現代のフィルターを通って
ついに帰ってきたと思えるくらいに
それくらいにキレていて、鋭い
シャープで、凄い
それでいてパーソナルでアーティスティックな説得力があり
さらに大人世代のレトロな80年代のポップ感覚も忘れていない。

自分もそれなりには好きなバンドやアーティストのコンサートを見てはいるつもりですが、
確かに熊谷幸子さんのオーディエンスというのは
静かで上品に見る感じで、熱狂的に見るわけではありませんが、
悪い意味ではなく良い意味で日本的な観客というか、
このコンサートのとてもよい雰囲気は
それはそれで、精神的、アート的、スピリチュアル的な意味でも、
間違いなく時代の、世界でも先端に位置するものだったと思うのです。

確かにこれは90年代に活躍したメジャーアーティストの、
規模を小さくした活動再開の一例に過ぎないかもしれませんが、

そうはいっても、とても時代を象徴するような
とても21世紀的な素晴らしい最先端のコンサート体験。

幸いなことには、熊谷幸子さんのファンは、馬鹿売れしたとはいえなくとも、
とても熱心で根強いファンが多い。
90年代の最盛期にはテレビやラジオの露出もかなりあったわけですし。

しかしそれを差し引いても、
このコンサートの素晴らしい雰囲気や、
音楽的、精神的な充実、
それは、熊谷幸子さんの人間的なキャラクターや、
純粋に音楽的な素晴らしさに拠るものだと思うわけです。

コンサートをこなす数とか、あれこれとか考えると、
ひょっとすると、どインディーな僕らのバンドであるとか、
知り合いのクリスチャンのアーティストたちの方が、
もっとばりばり活動しているかもしれない、
というくらいですが、

しかしこんなに貴重な、
いろんな意味で最先端のクオリティをもった
音楽体験を、この今、この時代に
体験できたことに
とても感謝したいのです

つまりはTokyo Rocksが中止になって
日本におけるロックが死んでしまっても
それでも真心のある音楽は残るということかも
しれません

どんな規模であれ、どんな形であれ
続いていくのです
そして、それは結構、案外、
かなり幸せな体験かもしれない
ということです。

音楽ってそういうものだったかもしれない

No(895)

■…2013年 4月21日 (Mon)…….主体性 in the world
先日の日記でもそうなんですが、
その派生で、
日本語訳にして以下のような文章を
考察として書いてみたんですよ。

で、自分らのバックグラウンドとして考察したときには、
日本という国の歴史上の宿命とか役割とか、
性質とかあるけれど、

それらを踏まえて、
自分は「伝統的なものが切り離された」
戦後の日本の歴史や文化を否定するつもりはなくて、
むしろなによりその文化的な背景の中で自分たちは育ってきたのだから
それは否定できない事実なのだから
自分はその戦後の日本の歩みも重視したいのです

歴史の否定っていうか
伝統的なものがかなり切り離された現代日本の
ということですが、

しかし、そういった伝統的なものから
ある程度切り離されたからこそ
戦後の日本の経済や文化の発展があったのではないかと
僕は思います。

伝統とか因習からの解放、
というか、否定というのは、
実は結構、キリスト教的な趣旨であって、
新約聖書のイエス・キリストの言動にしても、
(当時のユダヤ教の)伝統や因習をばりばりに否定する箇所が
たくさんありますから

それがキリスト教文化が、
世界各地の伝統とか文化を
ぶっこわしていった
悪名高いデストロイヤーであるところの
所以でもあるわけですが

ともかくも

そう思うと
現代日本は
実際のところ、キリスト教の趣旨から
そんなに離れていないところに
そのmindsetがあるんではないかと
思ったりもします

どちらにせよ西洋の資本主義には
どっぷりつかっているんだし
ただし重要なポイントは抜きにして
割と表面的に

しかし、アメリカという世界最大の力を持った
ジャイアン国家との関係を考えるに

日本という国の特殊性を考えるんです

つまりそれは主体性ということについて

負けて勝つってわけじゃないけれど
たとえば中国の古典なんかでも
老子とか読むと
負けておいて実際は勝っているだとか
支配されているように見えて実は支配しているだとか
そういう逆説的な力学が

思ってみれば
キリスト教のイエス・キリストの十字架とかは、
負けて勝つ、という逆説の力学の最たるものなわけで

アメリカや、世界に対して、
日本というこのわりかし特別で、少なくとも歴史上結構崇高なところのある国家が、
アメリカや世界に対して、
どのように「主体性」というものを発揮していくのか

僕たち一人一人がどう考えるかにかかわらず
国として、民族としての形は
そのあたりに秘密があるような気がしています。

そのあたり、
先進国の中でも、
もっとも無宗教で、
もっともまったくキリスト教が普及していない
日本という特殊な国の
実はいちばん本質的にキリスト教国家かもしれない
逆説が成り立つ瞬間なのかもしれません。

そもそもキリスト教にしたって
西洋のものじゃないぜ、
世界宗教はすべてそうであるように
アジア発祥だぜ

と、そういうことも含めて
考えたりしています。

—–

先日のメールの抜粋日本語訳

日本のクリスチャンの状況について考えていた。
なぜ日本にはこんなにクリスチャンが少ないのか。
なぜ日本人はキリスト教に(どんな宗教にも)関心がないのか。
日本人は世界でももっとも礼儀正しく優しいと言われているのに、なぜキリスト教に無関心なのか。

最近、ミュージシャンとして、僕は日本人の音楽のルーツについて考えていた。
それから、日本人の歴史とか文化的背景について考えていた。

そして、ひとつのことに気が付いた。

現代日本の、歴史的、文化的な背景について。

それは、第二次世界大戦の後に形作られたんだ。

君たちが知っているかどうかわからないけれど、
第二次世界大戦の後、日本はアメリカの軍隊に占領されたいた。

彼らアメリカが、現代日本の新しい国家の形を作ったんだ。
アメリカが主導して、今の日本の憲法を作った。
そして、現代の日本の国家が生まれたんだ。

僕たち日本は戦争に負けて、自分たちの国の方針が間違っていたことを思い知らされた。
そして日本は国家として、大きく方向転換して、変わっていったんだ。
そして、平和国家になった。
平和憲法を持つ、平和国家に。
(僕らの憲法は、戦争を否定し、軍事力を放棄している。それに対して、これはアメリカから押しつけられた憲法だから良くないという人もいる)

僕らは平和国家になり、軍事力を放棄した。
そのかわりに、アメリカ軍が日本に駐在して、軍事的な守りを提供した。
(日本には自衛隊というものがあって、それは軍隊では無いと言っているけれど、そのことについてはここでは話さないでおこう)

その見返りに、日本はアメリカの経済的なパートナーになって、とても親しい関係になった。
まるで夫婦のような関係だと思う。
そして、日本とアメリカは戦後の世界の中で、共に発展していった。
第二次世界大戦の後は、日本とアメリカはとても親しい関係を続けてきたんだ。

だけれども、
第二次世界大戦の後、
日本人はとても変わった。
人としても国家としても。
僕らは、自分たちの歴史とか伝統を否定して、
そして自分たちの宗教とか、信条とか、文化も否定した。
なぜなら僕たちの国は間違っていたのだから。
それで戦争という災難を引き起こしてしまったのだから。

だから、日本の人々は、
もう戦争はいらない、
平和を欲しがったんだ。
それが、戦後の日本の文化なんだ。
それが現代日本の文化的な背景なんだ。
それが僕らの教育であり、社会なんだ。

第二次大戦後の現代日本では、
僕らは自分たちの伝統を否定し、
自分たちの宗教を否定し、
そして残ったものは、ジャパニーズビジネスマンの勤勉なライフスタイルだけだった。
そしてビジネスこそが日本人の新しい宗教になったんだ。
(そして、聞いたところによると、アメリカは戦後、宣教師を送るかわりに、ビジネスマンを日本に送り込んだそうだ)

(そして、そもそも歴史的に日本人は平和を重視してきた。
日本には「和」という概念がある。平和と協調を意味する言葉だ。この「和」というものは、日本人の文化の中でとても重要なものなんだ。)

ともあれ、
僕らは、その現代日本の「平和」の文化の中で育ったんだ。

僕は、それが日本人がキリスト教を受け入れなかった理由だと思うんだ。
なぜなら、宗教というのは「戦争」「争い」を意味するからね。
「信仰」とか「信条」といったものは、争いにつながるからだ。
そしてそれこそが、かつて日本を戦争という惨事に導いたのだから。
(戦前の日本では神道が国家宗教で、天皇は神と呼ばれていたんだ。)

だから日本の人々は、宗教とか、信仰とか、信条といったものを、自動的に拒否するようになっているんだ。
なぜなら日本人は争いが、戦争を嫌うからだ。
平和を重視するあまり、日本人はそうした宗教を反射的に拒否してしまうんだ。
平和、それこそが理由だと思うんだ。

しかしながら、
僕は、そろそろ次のレベルに進むべき時だと思う。
日本にとって、新しいステップに進むべき時だ。
より高いレベルの平和を目指して。

そう、宗教とは危険なものだ。
宗教は、戦争につながる。
しかし、僕が思うに、
キリスト教は、ずいぶんマシになっている。

つまり、僕が思うに、
現代のキリスト教は、より良いものに進化していると思うんだ。

つまり、
現代の、新しい、
若い世代の、ロックンロールな21世紀のキリスト教のことだ。
なぜなら、2000年がたって、やっと僕らはキリスト教の意味を理解してきているから。
2000年もの月日がたってようやく、僕らはジーザスが言ったことの意味をもっと理解し始めている。

だから僕は、現代の若い世代のキリスト教を信じている。
たとえば君たちエクストリームツアーのように。
それが僕がクリスチャンになった理由だし、
それが僕が君たちと一緒に働いている理由だ。

だから、僕た思うに、
現代の新しいキリスト教は、
もう戦争を意味しない。
なぜなら、それはロックンロールだからだ。

ロックンロールは、平和を意味する。
そして、それは、より高いレベルの平和だ。
自由をともなった平和だからだ。

だから、今こそ日本が(世界が)ジーザスを受け入れる時だ。
なぜなら、それは平和を意味するからだ。

だから僕がやりたいことは、
日本の人たちに、
キリスト教はもう戦争を意味しないということを伝えることだ。
それは平和なんだと、
安全なんだと、
そして楽しいものなんだと、
そう日本の人たちに伝えたい。

だから、このエクストリームでロックンロールな、現代の新しいキリスト教によって
ついに日本にもイエス・キリストを受け入れる段階がやってきた。
僕はついにいよいよ日本がジーザスを受け入れると確信している。
なぜなら日本の人々は平和をもっとも愛するから。
そしてジーザスは、プリンス・オブ・ピース、平和の君と呼ばれているのだから。

うまく説明できたかわからない。
特に僕の下手な英語では。
でも、少なくとも、日本人として僕は、日本の状況と、その理由を理解した気がしている。
それは僕に、より強い確信と、よりクリアなヴィジョンを与えてくれる。

このことを君たちとシェアしたかった。

神の祝福を、
Tak

No(896)

■…2013年 4月21日 (Mon)…….こくちと駄文
こくち

さて、生活に追われて、
というか生活に追われながらスケートボードばかりやってて
ネット活動もあまりできずに
告知も遅れがちなんですが、

Imari Tonesライヴやります。
4月29日(月祝)、
西横浜 El Puente
こちら
題してExtreme Missionary Japan ハードロック編
Open 19:00 Start 19:30
Charge 1000yen
出演: 儀太郎、FDN、Imari Tones

我々Imari Tonesは、
来年以降の怒濤の世界進出のために、
バンドを刷新、アップデートすべく、
今、かなり必殺の新曲に怒濤のように取り組んでおりまして、
その新曲をいくつか披露しますぜよ。
小さなバーライヴではありますが、
こうしたライヴのひとつひとつが本当に僕らのバンドとしての本領であり本分なわけです。
ここにこそロックの本質があると思います。
ぜひ遊びに来てください!
西横浜El Puenteは横浜ローカルの中でもとてもイカしたロックバーです!

そして、
5月には
5月25日(土)
小田急相模原ロクデナシ
こちら
Open 8pm
Start 9pm
で、またB.D.Badgeさんと
予定しております!

駄文

さて、
The Extreme Tour Japanの準備も、
水面下でなにげなく進んでおり、
そろそろ、実際のブッキングをしなければならない時期に
さしかかってきました。

自分も怠け者なもので、
いろいろと遅れがちですが、
動かなければ!
各方面にメールしたり、訪れたり、しなければ。

と思っております。

ここ数年、
どんどんインターネット無精に
なっていくんですね。

もともとコミュニケーションには
難がありましたが、
ネットで駄文を書いたり、
アップデートする分には、
わりとそういうことは頻繁にできていた。

でも、ここ2、3年でしょうか

そういったインターネット上のことすらも
だんだんできなくなってきた。

これはこれで、
結構困るんですが、
まあそういう時期なのかと思っています。

自分はもともと、
真面目な少年でしたし、
子供の頃とか少年時代は
温厚な人だったと思うんですが、

年を重ねるごとに、
おかしなことに頑固で短気な人間に
なってきています。

自分も十分にいい歳になってきましたし、
この年齢になった自分が
こんな生活、というかこういう人生を
送っているとは想像できなかったけれど、

そろそろ年齢をジョークにできる歳に
だんだんさしかかってくるわけですが、

おかしなことに
年々、というか日に日に、
体も、心も、若返っていくような感じです。

ここ何年のバンド活動や米国遠征、
昨年のThe Extreme Tourという非常に魂から若返るような経験、
そして昨年「いい歳して」スケートボードを始めてしまったことなど、

そういったことが影響して、
だんだんと、性格がストレートになっていくというか、
「くそったれ」になっていくというか、
頑固で短気ないやなやつにだんだんとなっていっている気がします。
ここ数年、ずっと。

自分の中の人間嫌いにも拍車がかかり、
しかもそれがストレートに表に出てくるように
なってきています。

しかし、それは必ずしも悪いことではないと僕は思っています。

時々思うのです。

たとえば、一般的に考えると、
人は、少年時代や青年時代は元気で、
歳を取るにつれて、責任が増え、大人になり、
丸くなっていって、
最後は穏やかな老後を静かに送る、

というのが一般的なイメージかもしれませんが、
実際は、違うかもしれない、
なんだか、自分にとっては、逆なのかもしれない。

むしろ、もっとも平和で、
もっとも穏やかで、
知恵や洞察を持ち、
もっとも満ち足り、
もっとも成熟していたのは、
少年時代の自分なのではないかと、

老後、と呼ぶにふさわしい時間は、
自分にとっては、少年時代がそれではなかったのかと、

歳を取るにつれて、
いろんなものがはぎ取られ、
激しく、活動的に、
精神的なものは、実質的なものに置き換えられ、
精神的にはどんどんとすり減っていき、
視野は狭くなり、
賢くなるというよりは、愚かになっていく。
逆に肉体的には若返っていき、
より直情的になっていく

そんな人生が用意されていたのかもしれないと
思ったりします。

しかし、
どんなお金持ちや、ビッグスターのことを考えても、
まあ、自分はそんなお金持ちやビッグスターになった経験はないので、
本当のところはわかりませんが、

どんな環境や境遇の人にあっても
心を若く保ち、
(そんで肉体も若く保ち)
自分自身にまっすぐに向き合い、
希望に満ちているということは、
もっとも幸福なことであろうと思うのです。

そして、そのために
自分たちの足で歩き、
自分たちの手で模索し、
自分たちの心で選ぶ、
そんな冒険が与えられているのであれば、
それはどんな財宝にも勝るものでしょう。

と思っているですよ。

生活とか人生も、
今後の展望も含めて
それなりに大変ですが

しかし、それも
これからより大変になっていくであろう人生の
その準備と覚悟をするための
与えられた時間のような気がしています。

嵐がやってくるであろうことを予期しています
I expect a storm ahead

今この時間を
与えられたこの時間を
自分に与えられた最後のチャンスと思って
必要なものを学び吸収する最後の時間と思って
過ごしていくつもりです

さて、とにもかくにも、
ここ1、2ヶ月、取り組んでいる、キックフリップとヒールフリップ、
けっこう、いいところまで来ていると思うんですが、

もうちょっとでメイクできると思うんですが、
まだ、なかなか着地する準備というか、踏ん切りがまだつかない。

いつメイクできるかな。

No(897)

■…2013年 4月30日 (Wed)…….立志2013April
すごく昔に少年時代にあったヤングギター別冊のギタリスト列伝みたいのに載っているエディ・ヴァン・ヘイレンのインタビューを読んでいたら涙が出てきていてそのうち本当に泣いてしまった。あまりにも言っていることが素晴らしすぎて。
この人は本当に音楽そのものなんだと思う。

ジミ・ヘンドリクスがエレクトリックギターの申し子であり、Led Zeppelinがロックそのものなのだとしたら、Eddie Van Halenは本当に音楽そのものなのだと思う。
本当に世界がロックの歴史の中でこのEddie Van Halenという人物を得たということは(その後の歴史が十分に証明しているけれど)本当に大きなとても大きなことだったのだと改めて思う。

ヘヴィメタルが全盛だった時代、
つまりVan Halen以降、
批判や副作用や行き過ぎも多々あったにせよ
その「音楽そのもの」といえるような
「音楽そのもの」に限りなく接近するような
そんなミュージシャンが
幾人か存在した。
開いたかに見えたその扉は、
その後やっぱり、
長いこと閉ざされてしまっているように
見えるから。
あるいは
おそらくは閉ざされていないけれど
単純に誰も見向きもしなかった
それだけのことかも

少年時代の僕はラヴソングが聴きたかった。
つまりヘヴィメタルの地獄っぽい歌詞じゃなくてもっと広い人生について歌う音楽が聴きたかった。
ラヴソングといっても僕の求めるラヴソングが単に異性への愛を歌うものではなくて、より生活や人生を愛するものだと気が付くのに時間はかからなかった。
そして本当の音楽というものはそこにこそあるのだということを知った。
人が生きていく毎日の生活や人生というものがどれだけ素晴らしくawesomeなものかということを。
笑われるかもしれないがEddie Van Halenの音楽はそのことを一番僕に教えてくれた。

(XTCやR.E.M.を聴いてもそうしたことは感じるかもしれないが、僕にはたとえばドビュッシーのピアノ曲なんかが同じくらいにそのことを教えてくれた。)

自分は音楽的にまったくエリートな環境ではないけれど、
それでも音楽的な素養はある家庭の中で育つことはできた。
マイナスの面もたくさんあったけれど、
ひとつ感謝しなければいけないことはクラシック音楽も含め、
音楽とは生活なのだということを、そして音楽とは人間なのだということを理解できる環境に育つことはできたということだ。

クリスチャンロックをやるようになってからは、
自分の人生の身の丈以上の「永遠の」ラヴソングを書けるようになって、
それはもちろん小さな自分の立場からではあるけれど、
それは僕にとってはものすごく画期的なことだった。
神へのラヴソングが書けるということなのだから。
自分の人生の中に「もうこれ以上、鳴らすべき愛がありません」と思ったときに、それは突然、自分の限界を越えた限りない愛が、空から降ってきたのだから。

少年時代以降、
自分の、バランスは悪くても、
自分の人生とか愛とか生活とか、
それなりに自分で選びとった人生を
歩み続けてきたつもりではあるが、

ここへきて
かといって自分のやってきたことはいつでも変わらないけれど

ここへきて
Van Halenの高みを目指してみたい
目指していきたいという思いが急に降ってきた

2010年代も2013年に突入して、
このdecadeの音楽的な方向がどちらへ向かっていくのか
少しは方向性も出て来ているけれど
まだ混沌としてわかっていない

少なくとも2000年代と比較しても
より大きな流れは生まれにくい時代にさらになっている

だからこそ以前と変わらず本道を鳴らすことが
できるんじゃないかと

基本的にロックバンドをやることは
報われることではない
いつの時代も

でも90年代以降、
ロックを鳴らすことは、
報われることではないし

2000年代以降は
もっともっと報われないことに
なってきた

ずっと前からわかってたことだ

だからそんな報われない状況で
それを本当に追求しようなんて奴は
あまりいないし
僕に言わせれば本当にいない
犠牲が大き過ぎる

少なくとも5年や10年でできることじゃない。
でも画家や彫刻家が芸術を極めようとしたら、
50年くらいかけてそれをしようとしないだろうか。
どんな世界でも職人になろうとすれば
10年修行して「やっと半人前だ」と言われないだろうか

だからこんな世界でそんな報われないことを
まじめにやるやつなんていやしない
それはよくわかってる

もちろん今の時代でも僕の知っている狭い範囲であっても
本当に尊敬する素晴らしいミュージシャンはいくつかいる
あまり有名ではないインディーバンドかもしれないが

でも僕がやりたいことは
そしてたぶん
ずっとやりたかったことは
この「音楽そのもの」に近づくことだ
「音楽そのもの」に触れることだ

自分にとっては
Van Halenを目指すこと
というのは
世界のトップを目指すこと
とほとんど同義だ。

でも、許されるのであれば
(今までもずっとそんなふうにしてきたかもしれないが)
(ドンキホーテ的な身の程知らずをもって)
許されるのであれば
それをやってみたいと思う。

より広いステージで、より広い世界で。
それが僕が今、神様に願って、祈っていることだ。

関係ないけどもうひとつ
僕も歳を重ねるにつれて
以前のように細々と
日々の出来事や経験したことを
こうして文章にして記録するなんてことは
しなくなって久しいけれど

先日、友人のRyo君が関わっているので、
ここ最近、毎回顔を出している
クリスチャンミュージックのワーシップの
セミナーみたいのに
先日また顔を出していて
岩渕まことさんと関根牧師のコンビだったのだけれど

そこにある音楽に
いわゆるこの団塊世代の
戦後の日本の社会を形作り動かしてきた
この世代のパワーを感じるとともに
そしてこの世代が作ってきたものこそ
現代日本の、なんというか、
共通言語としてもっともパワフルに伝わるものがあるな
と思い、
とても感銘を受けると同時に、
(同時に、ここには自分の居場所は無えなあ、とも思ったが)
またそのお話の中から、たくさん勉強になると同時に

音楽的なcomplicationというのか、
構築する中での高度さや難易度について考えた。

彼らが作るワーシップソング、
オリジナルな賛美歌の中の歌詞というか言葉において
あまりにも安易に結論を持ってくると
それが軽くなってしまい
伝わらない
軽く入ってしまい、きちんと重みをもって伝わらない
だから、あえて明確な答えを提示せずに
疑問を投げかけることを、云々、

それはどんな創作にあっても
よく言われることだと思うけれど
ふと思い当たった

僕は自分の作る音楽や曲に対して
歌詞ってものを今までの人生で、
重視したことはほとんどない
まったくこだわりはない

たとえばミスターチルドレンの曲を聴いて
歌詞に感動したなんてことも一度もない

逆に入ってくるときは
ほんのシンプルな言葉で
すっと泣いてしまうことがあるけれど

それにメッセージということでいえば
自分の中では常に明確だから
昔から今まで、言葉やメッセージでいえば
どうだー、と、
どどんと明確に
いつでも結論を叩き付けているつもりだ
これ以上ないくらい率直に

それは自分の創作家としての弱点でもあると
何年も前からずっと自覚している

けれど思った
音楽的なcomplication
たとえば作曲の面において
なぜ自分は、高度なところを目指すのか

別にプログレッシヴロックや、
わざとらしく難解なものを作る気は一切ないけれど
立ち位置やスタンスとしては、
否定するまでもなく
わかりにくいもの
高度なものを目指している

それは自分の好みとして
歌詞という言葉ということ以上に
音楽そのものが
言葉以上に語るものを重視していることが
大きな理由だけれど
(歌詞がAと言っていても、音楽は実はBと言っている、ということがよくあるように)
また同時に

それは
やはり聴き手に、
やはりそれなりの壁を乗り越えて
ここまで来てもらいたいからなのだと
たぶんそう思った

肉体的な限界や
技術の未熟さ、
ライヴ演奏の不完全さ、
そういったものも含めて

100%わかりやすいものを提示することはできないし
そうする必要もない

真実という宝物は
やっぱりどうしても
高い山脈の中に
深い洞窟の中に
何重もの宝箱の中に
隠されることになる

望もうと望むまいと
それは、自分の心の形であって
愛の表現とはそういうものであって
それは仕方が無い

でも、その宝箱の中には、
これ以上ないくらい
シンプルで、単純な答えが
あるはずなんだ。

どちらにせよ
僕は
わかりやすい人間になる必要はない

それだけでも、
ずいぶんと救われた思いだった

ついでに
どうでもいい些細なこと
自分はおしゃれはまったくしないけれど
靴についてはストライクゾーンが限りなく狭い
けれども
ステージの上では本当はある程度
この5年以上くらいいつも
かかとの高さのあるものやブーツを
履いてきたのは
ヘヴィメタルやロックらしさということも大きいし
自分も背が低い方だから少しでも見栄えをよくしたい
ということもある

けれども最近、成り行き上、
スケートシューズで演奏する流れに
なってしまい、
スニーカーの中でも
ソールが薄いぺたんこ系の

でもそれは間違いなく自分の新しいアイデンティティであるし
どうせそんな2、3センチくらいの見栄えの違いは誰も気にしない

最近、お気に入りのブランドであるFallenから、
Reverbという名前の、ネーミングから既にピンポイントでストライクゾーンである
ハイカットのモデルでロックなデザインのスケートシューズが出て、
遠征の際にはそれを使用できたら最高だと思っているが
(普段のスケートにはもったいなさすぎて履けない)

まあ使い分けようと思うケースバイケースで
ブーツでもスケートシューズでも。

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