Stryperの新譜が、11月、日本は先行で10月の終わりに出てまして、
評判いいですね。
うちのバンドのジェイクも先日の練習のときに、聴いてみたけど良かったと言っていた。
Stryperの、オリジナルスタジオアルバムとしては4年ぶりなのかな、
“No More Hell To Pay”っていう作品ですね。
ビルボードでもアルバムチャート35位に入ったということで、
売り上げ枚数自体は80年代とは違うけれど、
これは88年の作品”In God We Trust”よりも上の順位ということで、
まさに最盛期の勢いを取り戻したというくらいの結果。
うちのバンドImari Tonesとしても、
クリスチャンヘヴィメタルなんてものを名乗って、
比較的ストレートなヘヴィメタルを演奏してるからには、
Stryperは、とても縁のあるバンドだし、関係のあるバンドです。
サイドプロジェクトの”Atsuki Ryo with Jesus Mode”ではStryperのカバーもやってるしね。
なによりうちの嫁さんは、Stryper Street Team Japanなんてものの管理人をやっている、日本でもストライパーのいちばんのファンのうちの一人だろうから、
そのStryperがこうして、出来の良い新作を発表して、世間一般でも評価されているというのは、
とても嬉しいことだし、
なにをさしおいてもとてもめでたいことであるのです。
それを踏まえて。
感想書きます。
そして酷評します。
僕は、Stryperは、もちろん好きです。
好きか嫌いかで言えば、もちろん好きなバンドです。
しかし、僕は、Stryperを、純粋に音楽的な意味で評価したことは無いのです。
Stryperの、再結成以降の、近年の活動の様子、活動の状況、
そういった流れを見守りつつ、
“世間的な意味での”傑作になることは予感しつつも、
果たしてどうなるかな、と思っていたStryperの新作。
結論から言えば、
Stryperは結局、自分にとってはどうでもいいバンドだったんだ、
という答えが出てしまった作品になりました。
非常に、問題のある言い方になりますが、
Stryperは、僕の中では、決して一流のバンドではありません。
僕の中では、Stryperは、一流ではない、B級のバンドです。
1980年代に、活躍をした、たくさんのヘヴィメタルバンド。
その中で、本当に一流のバンドは、いるけれども、
Stryperは、僕の中では、決してそうした一流のバンドではないのです。
Stryperの全盛期である1980年代から、
彼らの音楽は、一流か、二流か、そのぎりぎりのところで、常に揺れ動いていたと思います。
Stryperは、偉大なバンドです。
それは、クリスチャンロック、クリスチャンヘヴィメタルの先駆者であり、
その先駆者の名にふさわしい先進性とユニークさを持っていたからです。
けれども、純粋に音楽的に見れば、Stryperは、どう考えても、一流ではないのです。
なぜ一流でないのか、
それは、説明の難しいところです。
その判断は音楽を聴く人それぞれに任されているし、
ソングライティングの面、
演奏の面、
創造性の面、
ショウマンシップの面、
いろいろありますが、
そのどれを見てみても、
Stryperは、いわゆる「一流」のバンドたちと比較すると、
明らかに劣っているというか、明確な壁をもって、二流になってしまうんです。
Stryperが、いわゆる「しましまの格好をした色物」と見られてしまう所以です。
そしてどうしてもひとつだけ言葉にして説明するのであれば、
それはヘヴィメタルバンドとして、
「ヘヴィメタルという概念についての突き詰めが甘い」
という、この一点に凝縮されると俺は思っています。
これは、仮にも正統派ヘヴィメタルを演奏しているバンドとしての、
宿命的というか致命的な欠点だったと俺は思います。
別にB級のバンドがいけないというわけではありません。
俺だってB級のバンドは大好きだし、
B級どころかC級、D級のバンドだって大好きだし、
自分自身やってるのもそのへんのバンドだし(汗)
それはいいんです。
その音楽が、本物であるのなら。
でも、Stryperは音楽的に、どうしても本物にはなれない。
そして、結局、やはり最後まで本物にはなれなかった。
それがはっきりしたのが今回の新譜でした。
でも、それは彼らの自ら背負った宿命かもしれない。
“クリスチャンヘヴィメタル”なんていう、
矛盾したややこしいことを始めてしまったのだから。
Stryperは、客観的に見て、ロックの歴史上、間違いなくB級、二流のバンドです。
しかし、たとえそうだとしても、Stryperは、ちょっと特別なバンドです。
彼らは、B級だったとしても、
そこには、B級だけで終わらない、”プラスアルファ”があるのです。
なんでしょうね、そこは、うまく説明できない。
それは、往年のLAメタルのバンドたちが、
年齢とともに、演奏も容姿も活動も衰えていくのに対して、
Stryperは、演奏も、マイケル・スウィートの歌声も、
衰えるどころか、むしろ歳とともに向上し円熟していることであるとか、
この21世紀にあって、
再結成後のStryperは、他のヘアメタルバンド再結成組と比較しても、
他に類を見ないほどに精力的に活動していることであるとか、
当時は議論や批判を呼んだ、「クリスチャンヘヴィメタル」ということも、
今となっては、その後、世間の教会の体質が変わっていき、
クリスチャンミュージックが普及するにつれ、
またクリスチャンヘヴィメタルを体現する若い世代のバンドたちが、
たくさん現れてメインストリームになるにつれ、
逆に強固で根強いファン層を世界中に築くことになったとか、
彼らが80年代に勇気を持って切り開いたことが、
その後、実を結び、成果になっている。
それは、先駆者として、彼らがいかに大きなことをしたかということの証明でもあります。
その部分、
つまり、それは、やっぱりそれは他でもなく「信仰」というもの。
その「信仰」という要素が、
音楽的にはB級、二流であっても、
そんな彼らに、それ以上のプラスアルファを与えている。
僕はそう思うわけです。
そして、それはクリスチャンの人たちが言う”Grace”(祝福)っていう意味合いとぴったり一致するわけです。
だから、Stryperは、果てしなく”Bプラス”のバンドであるのです。
B級ではあっても、その”プラス”の部分が、果てしなく大きい、
そういうバンドだと、僕は思っています。
もちろん、客観的に見た場合にも、
Stryperには、他のバンドより優れた部分、図抜けた部分というものが、
いくつかあって、
それは、まず言うまでもなくいちばんに
Michael Sweetのヴォーカルです。
彼のヴォーカルが、ヘヴィメタル界広しといえども、
超一級のヴォーカリストであることは、疑いはない。
つまりはマイケル・スウィートのヴォーカルなしには、
Stryperは存在しない、それくらいあたりまえのことですね。
次にコーラスワーク、
Michael Sweetが、それくらい凄いヴォーカリストなのに、
実は、その隣にいるOz Foxも、それに負けないくらい歌えるという反則技。
そのきらびやかなコーラスこそが、Stryperのサウンドだったわけです。
最後に、そのきらびやかなヴィジュアルです。
もちろん、これは、80年代という時代だったからこそ可能だったことですが、
全盛期のStryperの映像なんかを見ると、
そのはなやかさ、きらびやかさに、本当に圧倒されます。
これは、こういう言い方をしてしまうと、身も蓋もないんですが、
Stryperは、アイドルだったということだと思います。
女性ファンの人たちにとっての、見目麗しいアイドルだったということ。
これは、70年代とか、80年代とかのロック、ハードロックには、
わりと当然のことだったと思うんです。
そういう時代だったしね。
で、俺は、それは素晴らしいことだったんじゃないかと思うわけです。
全盛期のStryperの、何をいちばん評価するべきかって、
それはやっぱり、ヴィジュアルだと思うんです。
個人的には、
いまいちわかってない感じのマイケルよりも、
黙っていてもいちばんシャープな顔つきのティムよりも、
そしてきちんとわかっていてメタル色を出しているオズよりも、
いちばんヴィジュアルということをわかっていたのは、
ロバートお兄ちゃんだったと俺は思っています。
つまり俺にとってはStryperイコールRobert Sweetということです。
彼は1980年の半ばに、既にジャケット写真で、
「ジョジョ立ち」をしてるんですね。
つまり、荒木飛呂彦は、Robert Sweetをかなり参考にしたんじゃないかと思うくらいで、俺としては。絶対に参考にしていないわけがない。
それくらいロバートお兄ちゃんの美意識ってことについては、俺は評価している。
評判の悪い彼のドラムがばたつくのは、
純粋なリズム感や技量の部分もあるとは思うんですが、
ステージ上で、ヴィジュアルの部分、見せる部分を重視して、必要以上に振りかぶることによるフォーム、パフォーマンスの部分が大きく影響していると俺は思います。
そしてその無駄な振りかぶりによるリズムのばたつきと、スネアサウンドの暴れは、
なんとなく和太鼓のリズムと響きを彷彿とさせるんですね。
俺だけかもしれんけれど。
それに彼のドラムセットのステージは祭りの矢倉みたいでしょ。
それも聖書なのかもしれんけど。
よく言われるように旧約聖書って神道の世界なわけだし。
正確なリズム、グルーヴ、あるいはドラマーとしての評価よりも、
彼はその大きな振りかぶりによる独特のリズムと、ヴィジュアル、そして儀式としての祭りの部分を選んだということだと思っています。
あらためて結論をまとめると、
Stryperは、アイドルとしては間違いなく一流であったが、
ヘヴィメタルバンドとしては残念ながら二流であったということです。
そして、俺はそれで良かったと思っています。
そして結論から言うと、
今回の新作、”No More Hell To Pay”は、
そんな元アイドルの彼らが、
今度こそ本当に、一流のヘヴィメタルバンドになるべく、作った作品のように俺には思えます。
もう勘弁してやってもいいんじゃないかと、俺は思います。
好きなことをやらせてあげてもいいんじゃないかと、俺は思うんです。
彼らも本当は、「男」になりたいのだから。
結果、彼らは、やっぱり本物の「男」にはなれなかった。
でも、それでいい。
ここまで、彼らは頑張ったんだから。
80年代のことだけではなく、
2000年代の再結成後も含めて、
彼らは、本当にがんばってきた。
結果、彼らはついに本物にはなれなかった。
でも、いいじゃないか。
もう、好きなように走らせてあげればいいじゃないか。
彼らは、ロックの歴史上、立派に大きな役目を果たしたのだから。
今回の新譜が世間で好評なのは、
こういうことだと、俺は解釈しています。
つまりは再評価のタイミングだったということですね。
メタ情報を言葉にすれば今回の新譜のタイトルの”No More Hell To Pay”は「再評価しろよ」という意味だったのだと俺は思います。
俺たちのやってきたことを、そろそろ正統に評価しろよ、という。
そして、世間はその準備ができていた。
だから、バンド側のその「再評価しろ」という声に、ファンが応えることができた。
俺は、再結成後のStryper、結構、高く評価しているんです。
Rebornとか、Murder By Prideのことですね。
それは、彼らが、マイケルとかね、
ミュージシャンとして、たゆまず進化と研鑽を続けてきたことによる、
成熟というのか、
きちんと時代に向き合っている作品だったし、
そして、その経験からか、
クリスチャンで、ヘヴィメタルな、アイドルグループというところから
脱皮した後の成長ですね、
全盛期はあんなに不自然で作為的だった彼らの楽曲が、
結構、自然なものになってきていたんですね。
僕が、再結成後のStryperの楽曲を、結構高く評価しているのはそこです。
きちんと、自然に伝わってくるものになっていたこと。
そして、同時代性を失っていなかったこと。
自然になったぶん、派手さは無いので、話題にはならないんですが、
中身はしっかり進化していた。
そして、そうした経緯があったからこそ、
今回の”No More Hell To Pay”も可能になったわけです。
同時代性を失わずに研鑽してきたからこそ、
世間がまた正統派クラシックヘヴィメタルを受け入れる準備が出来たタイミングで、
きちんと自らのルーツにのっとった「正統派ヘヴィメタル」の作品を作ることができた。
今、「自らのルーツにのっとった」と書いたのは、半分はウソです。
なぜなら、今回の新譜、往年のStryperのルーツとは、必ずしも関係のない音楽だから。
表面上、ストレートなヘヴィメタルだから、そういうふうに言えるだけで。
再結成後も、きちんと地道に時代に向き合って活動を積み重ねてきた上で、
得たものを、このタイミングで、一気に放ったからこそ、
今回のこの”No More Hell To Pay”の成功があります。
それは、もちろん、僕は祝福したいです。
で、ここからが、新譜の批評になるわけなんですが、
このStryperの新作”No More Hell To Pay”は、
そのタイトルも、印象的なジャケットのアートワークも、
すべてが「メタ情報」なわけです。
「これはヘヴィな傑作だぜ。Stryperは偉大なヘヴィメタルバンドだぜ。そろそろ再評価しろよお前ら。」
という。
しかし、この新譜、残念ながら、メタ情報だけなんです。
タイトルから始まり、アートワークも、
リフも、メロディも、歌詞も、構成も、
すべてがメタ情報。
そして、肝心の中身が無い。
つまりは、看板だけ立派なお店だけど、ドアを開けて中に入ってみたら何もなかったというか、
表面のハリボテだけだったというか。
それくらいコミカルな状態。
もちろん、その「これは傑作だぜ」というメタ情報を、
アートワークのみならず、
音符を使ってきちんど描くことのできたバンドの力量に関してはしっかり評価すべきです。
しかし、言ってしまえば、それは誰でもできること。
技術と知識があれば、三流のミュージシャンでもできることです。
だから、たぶん、
人によって好みはあるけれど、
この”No More Hell To Pay”、評判良いけれど、
長く聴き続けることができる作品では、あんまり無いんじゃないかな。
わりと、一回聴いて、もういいよ、ってなってしまうような。
個人的には。
前述のように、好きなんだけどそれほど良くない、
それほど良くないのに好き、
そして間違いなく尊敬も評価もしている、
自分にとってそんな複雑な思いの対象だったStryper、
2011年のLoudparkで見たときには、
本当に素晴らしくて、僕は泣いてしまったし、
もちろんそれは信仰という要素があったからなんだけれど、
(涙もろいですけどね、私)
近年の作品、Murder By Prideから、
The Covering、
そしてセルフカバーのSecond Comingと、
一定以上に評価できる作品が続いていたので、
果たして、Stryperは、ここから先、さらに進化するのだろうか
もっと言うと、俺を本気で興奮させてくれるような音楽を
作ってくれるのだろうか
という淡い期待を、少なからず持っていた。
でも、結論として、ああ、しょせんこのあたりが限界だったか、
と、
「純粋にソングライターとしての視点で」
俺は思ったわけです。
Stryperは、結局、俺にとっては永遠にB級のバンドで、
これから先も、俺が本当に夢中になれるような音楽を作ってくれることは
永遠に無いのだな、
ということが、はっきりしてしまった、ということです。
Bプラスが、Aになることは、この場合にはなかった、ということです。
新譜についてひとつ指摘するならば、
メタ情報として使われている「ヘヴィメタルの傑作」としての様式、あるいは型(かた)ですね。
それは、どうしてもやっぱりJudas Priestになってしまうということです。
誰が見てもメタルファンならわかるけれど、
今回の新譜のジャケットは、Judas Priestです。
1986年の”To Hell With The Devil”を意識して作った、というのも事実には違いないのだろうけれど、
普通に見たら、このジャケットは、
Judas Priestの、”Sad Wings of Destiny”とか、”Painkiller”へのオマージュ、
人によってはRam It Downに似てるっていう人もいるし、僕もそう思う。
そして、楽曲や、アルバムの構成としても、
メタ情報としての「型」は、Judas Priestにどうしてもなってしまうということです。
それを、ひとつひとつ指摘するのは、無粋だからしませんが。
このアルバムの内容について、2点だけ指摘したいと思います。
まあ、単刀直入な感想を言ってしまえば「つまらん」の一言なんですが。
メタ情報ばかり、というのは、どういうことかというと、
たとえばレストランに入ったら、
シェフとコックとウェイトレスが、
「俺の店は美味いぜ」
「この店の料理は素晴らしいぜ」
「すごくおいしいのよ」
と踊りながら大合唱していて、
メニューにも美味しそうな料理の写真が載っているけど、
でもいつまでたってもミックスナッツと沢庵しか出てこない、
みたいな状況なんですが、
ひとつめはギターサウンドですね。
もともと、Stryperのギターサウンドは特徴的で、
1khzあたりが妙に張り出した、中域を強調したサウンドが、
Stryperのサウンドのひとつの特徴でした。
僕は、最初にStryperを聴いたとき、
この独特のギターサウンドを、
Stryperの特徴であるコーラスワークを引き立たせるために
エンジニアとかプロデューサーがわざとやったんだろうと
思ったんですね。
でも、後になって、Michael Sweet自身が、
YouTubeの動画で、EQ使って1khzあたりをぐぐっとブーストして、
極端にレンジ感の狭くなったサウンドを、
「どうだ、パワフルになったろ!これがStryperサウンドだ!」
と誇らしげに自慢しているのを見て、卒倒しそうになったんですが、
俺は、この中域を強調したStryperならびにMichael Sweetのギターサウンドを、あまり評価していないわけです。
なんというか、勝負する前に自ら土俵を降りている気がして。
それでも、1980年代は、アナログ録音の時代ですから、よかったと思うんです。
独特の中域を強調したサウンドも、アナログ録音によって音がなじむことで、ちょうどよく飽和し、Stryperの最大の売りであるコーラスワークを、引き立たせる結果になったし、どうせ当時の録音って、そもそもギターサウンドは中域ばかりになってしまうし。
でも、デジタル時代の今は、
どうなのかな、Murder By Prideの時は、うまくサウンドが馴染んでいたのだけれど、
Second Comingではかなり気になるレベルになっていて、ちょっと心配していて、
で、この新譜のギターサウンドは、ちょっといくらなんでもやりすぎというか、酷過ぎるんじゃないかと、思います。
それがMichael Sweetの考える理想のギターサウンドということであれば、もう男として何も言わないというか、黙って席を立つだけなんですが。
マイケルとオズのギタープレイヤーとしての力量やギターソロにも触れようかと思っていたが、やっぱりやめておく。もともと、技量はなくとも、メロディアスでわかりやすく、効果的なソロを作る人たちだけれど、最初に言ったように「概念としてのヘヴィメタルの突き詰めが甘い」という言葉で包含できるように思うし。
サウンドっていうissueですでに判断できるところだし、
結局、音符の上でメタ情報をいくら詰め込むことができても、
サウンドまではごまかせない、ということだと思う。
サウンドは自らの肉体なのだから。
結局のところ、Michael SweetならびにOz Foxは、僕にとって、「ギターを弾ける人」ではあっても、「ギターを鳴らせる人」ではないということです。それでピリオド。
2点目は、メロディラインです。
というよりも、マイケル・スウィートのヴォーカルかな。
再結成後、歳を取ってから、マイケル・スウィートは、シンガーとして、劣化するどころか、むしろ向上して上手くなっていると思います。
いちばん上の音域は、昔より出ないかもしれないけれど、声の深みが増して、表現力も増して、昔よりもはっきりいってかっこよくなっている。
けれども、特にこの新譜の目指している音楽性を思うとき、
彼のこのヴォーカリストとしての実力が、逆に邪魔をしてしまっているように思います。
つまり、マイケルは上手すぎて、上手過ぎるがゆえに、平凡なメロディであっても、それなりに聞こえてしまうんですね。
結果、メロディラインの処理が、すごくつまらないというか、退屈になってしまっている。
これが、もっと「面白い」シンガーであれば、もっとエキセントリックな、スリリングなパフォーマンスが出来たんじゃないかと思うんです。
要するにマイケル・スウィートは、エキセントリックなヘヴィメタルをやるには、上手すぎて退屈だ、ということです。
概して質は高いかもしれないが、こちらの予想を上回るものは絶対に出てこないという感じでしょうか。
残酷なくらいもう一度結論みたくまとめますが、
このStryperの新譜、”No More Hell To Pay”は、
昔、アイドル的な人気を誇った、クリスチャンヘヴィメタルの先駆者Stryperが、
再結成後、着実な活動を続け、自らのやってきたことの正しさを確認し、
その上で、今度こそ本物のヘヴィメタルを作ろうとして、
Stryper史上、初めて本格的なヘヴィメタルに挑戦し、
そして見事に失敗した作品。
と言えると思います。
メタ情報を詰め込むことには成功したが、
生身のメッセージを封入することには見事に失敗しています。
でも、いいじゃない。
それが彼らのやりたかったことだったのだから。
メタ情報はしっかり伝わったし。
結果、評判いいし。
「正統派、男のヘヴィメタルバンド」としてのStryperの評価も、これで少しは、上がったでしょう。
でも、見抜ける人はちゃんと見抜いてるはず。
これがただのハリボテだってことを。
それでいいんだけどね。
バンドとしては、もう十分にロック史の中で大きな仕事をしてきてる人たちなんだから。
あと、もう一点指摘するとすれば、
Murder By Prideの時もそうだったけれど、
アルバムの中の楽曲的なハイライトが、
カバーソングになってしまう、というのは、
ちょっと痛い事実であると思います。
というわけで、俺としてはかなり酷評な感じのStryperの”No More Hell To Pay”なんですが、
その中でも、やっぱり良い曲はいくつかあります。
いちばんしっくりくるのは、
“Legacy”。
これ、今のStryperにとってのいちばん無理のないヘヴィメタルとして、
自然にすっと耳に入ってくる。
同じ感じで”Sympathy”もそうだね。
これはまさに再結成後のStryperの楽曲っていう感じで、
Murder By Prideに入っていてもおかしくない曲。
これはデイヴ・ムステインも気に入っていたらしいし、
今の彼ららしい佳曲だと思う。
あとはRenewedも個人的には好き。
この曲もメタ情報満載なので、やっぱりJudas Priestに聴こえてしまうんだけれど、それも含めて今のStryperらしいと思う。
無理してメタルぶってつっぱってる感じが良い。
なんだかんだやっぱり俺はStryperは好きですよ。
というオチでした。