2014年3月の日記

■…2014年 3月 1日 (Sun)…….目標Aと拡大路線
この忙しく、
自分のバンドは大きな目標に向けて準備をしなければいけないし、
録音作業に取りかかっているこの忙しい時に、

自分は新たにアコースティック系(おしゃれ系?)ユニットを立ち上げようとしていたり、
新たなバンドでベースを弾こうかという話になっていたり、
もうなんかドラムも叩くかもしれない気がしてきたし。

何をやっているんだろうかと思う。

基本的に僕らは楽器の奴隷だ。
ここ数年、いつも思っていることだが。
音楽の奴隷というか、楽器の奴隷。

昔は、
始めた頃は、
確かに、
そこに音楽があり、
頭の中に鳴っている音があって
音楽を作っていた

けれども、ここ数年だろうか
ある程度、ギターや歌唱の技術がついてきたと感じるようになってから
もうひとつ言うと、楽器との会話がある程度のレベルで出来るようになってから

まるで楽器に命令されて、
楽器に支配されて演奏しているような気分になってきた

そこに楽器があって
鳴らしてくれ、と言っているから
その言いなりに、奴隷になって鳴らす
人間として生きているというよりは
楽器に隷属する奴隷として生きているみたいだ

昔は自分から率先して楽曲を作っていたかもしれないけれど
今はまるで、楽曲がそこにあるから
それを鳴らすために生きなくてはいけないような感じだ

それはそれで、つらいし、
やってられないな、と思うこともある

もちろん楽器や音楽と
そういったレベルでシンクロすることができるのは
単純に代え難い幸福でもある。

たとえば目標Aというゴールがあったとする。
人はそこにたどり着こうといろいろ努力をする。
ただ、人間のやることというのは、なかなか思うようにはいかない。

目標Aを達成しようと色々やっているのに、
そこではなく、それとは違う目標Bが、
副産物のように達成されてしまうこともある。
しかも、いつのまにか、気付かないうちに。

けれども、本当になにかをやる、
なにかを成し遂げる、というのは、
実はそういうものではないかと思うことがある。

single handedlyという言葉が好きだ。
何かを成し遂げるとき、
それは、意識して行う、
がんばって苦労して行うというより、
なるべきようになる、
はじめからそうであったかのように、
そうなる、という形が一番良いと思っている。

もちろん、
実際は何を行うにも、
苦労はするし、
時間も労力もかけなければいけないが、
それを苦労と思うよりは、
なにか楽しいことのように、
軽やかに進んでいけたらいちばんいい。
そう思っている。

だから、僕は何かを達成するのであれば、
何かを目標とするのであれば、
それを
“Single Handedly”という形容詞を付けて
達成したい。

そうでなければ、やらない。

けれども
いちばん、本当に大事なその目標だけは別だ。
本当に大切なその目標のためになら
自分はどんなに長い道も歩くし
そのために何も惜しまないだろう。

それはやっぱり
この地上において
神の愛を達成するっていう
ことだろうか

その中で
この地上で
自分の持ち分っていうか
自分に与えられた役割を
やりとげることだね

音楽は人を幸せにできる

そもそもが、今、というか、
これまでも、
自分はここ数年、どんな音楽をやってきたか。

自分のバンド、Imari Tones (伊万里音色)をいっしょうけんめいやっているのは
もちろんだけれど、

友人や嫁さんとやっているサイドプロジェクト的バンド、Atsuki Ryo with Jesus Modeも、それなりにやっている。

それから、最近はわりと活動がinactive、あんまり活動してないが、
ヤオ牧師のレゲエバンドもずっと手伝ってきた。

ヤオ牧師のレゲエバンドでは、
僕は基本的に、いろいろ手伝う感じで、
ギタリストがいないときはギターを弾き、
ベーシストがいないときはベースを弾き、
ドラマーがいないときはドラムを叩いた(笑)

それから、いろいろセッションとかもやったかもしれないが、
バンドとしての形はそんなところだろうか。
みっつくらいのバンドはやってきたということだね

けれども、先日、
このヤオさんのレゲエバンドでギターやベースを弾いた映像や、
ジーザスモードの過去の映像とかを見返してみた。

われながら、びっくりするほど良い演奏をしている。
笑っちゃうくらい良い演奏を。

ヤオさんのバンドでは、
ほんの3万円もしないようなEpiphoneのいちばん安いレスポールスタジオで、
冗談みたいな良いプレイをしているし、

同じくベースを弾いた際には、レゲエにもかかわらず、
ヘヴィメタルな感じのWingerモデルのベース(今更売ってない)で、
なかなか的確なグルーヴを作っている。

ジーザスモードでも、
あれえ、こんなに良い演奏をしただろうか、
と思うようなストレートなヘヴィメタルのギターを
弾いている。
(そうでもないときも、あるけど笑)

その様子に、
やっぱ安い楽器というか
楽器の値段とか関係ないよな
と思ったり

どのパートもわりとちゃんとこなす様子に
自分は、もっとこの音楽の才能というか能力を
生かすべきかもしれない、
と思ったりもする。

たぶん、僕は、その気になれば、
音楽を教えることもできるだろうし、
英語の先生をすることもできるだろう
(かもしれない)

だが、自分の心は、魂は、
本当はどこへいきたいのか。

5月に、The Extreme Tourの人たちに会いに、
また自分たちのバンドのPRに、
ナッシュビルに行こうかと、
行くべきかどうか迷っている。

お金や予算を無駄にしたくはない。
だけれど、使わなくては、動かなくては、
成果は出ないのも事実だ。

神は言っている、
お金をじゃんじゃん使えと。
でも俺としては困ってしまう。
限りある予算はケチりたいに決まっている(笑)
神は人間の都合などお構いなしだ。

それでも僕らには、
「YES. はい、わかりました」
というしか選択肢はない。

知ってる。

そもそもが、
その副産物のような目標Bとは、
最初から、無理だと、不可能だと思っていた事項ではなかったか。
その前提の上で、目標Aを立てたのではなかったか。
(つまり、目標Bとは、当初の目標Aだったのだ)

であれば、
目標Aに向かって邁進しながら、
いつのまにかそれとは違う目標Bが達成された時、
それに付随して、
その後、時間差を置いて、
また目標Aも達成されるのではないかと思っている。
たとえば、忘れた頃に(笑)

僕にとって
目標とは、そういうものだ。

やれることをやろうと思う。
その時にしかやれないことを。

まだ僕らに未来があるのであれば。

けれども思う、
時を知れと。

今は、スピリット的に
霊的に
世界全体が難しい局面を迎えている時なのではないかと

日々思わされる

今、必要なのは。

そのために、必要な言葉を、
友人たちにかけていこうと思う。

とにもかくにも
先週くらいから、自分は、
急にベースが弾きたくてしようがなかった

昨日、ソルフェイのオオハラさんとこに
遊びに行ってきたが
ソルフェイを手伝うのに
新しいベースは必要だろうか

あまり必要ないような気もする
今あるものでやろうかな
今ある楽器でもたぶん支障はない
けれどもそれでいいのだろうか
本気でベース弾きたいと思ったときに

決めかねてます

なるようになれ
身を任せて

Let Go
アーメンです。

Let Go
そして
Let GOD work

No(3436)

■…2014年 3月 1日 (Sun)…….ハードロックカフェ2nd time
先日、水曜の夜に横浜のハードロックカフェで演奏してきました。
Hard Rock Risingコンテストの一貫として。

コンテストで、僕らのバンドにインターネット投票していただいた皆さん、
本当にありがとうございます。

このコンテストは、昨年から始まったものですが、
昨年、今年と、2年続けて、
ハードロックカフェで演奏することができて、
僕らはとても嬉しいです。

どうしても、こういったコンテストといったものは、
なんというのか、
特にこのReverbNationを通じて行われる
このHard Rock Risingコンテストは、
まだ始まったばかりだし、
日本での浸透度は低く、
立ち位置がなかなか微妙な感じですが、
僕らは、あの場所でガツンとロックすることに、
とても意義を感じています。

僕らのローカルである横浜、
みなとみらいにあるハードロックカフェ横浜、
そこで演奏すること、

そもそも、そんな場所で演奏ができるなんて思っていなかったわけですが
2年連続でそれをすることができた。

ハードロックカフェという場所は、
みなとみらいという場所柄もあると思いますが、
結構外人さんもいるし、
だからMCも半分英語になってしまうし、
またお店の作りもアメリカぽいので、
わりとアメリカでライヴするようなサウンドで演奏できるし、
ぶっちゃけ僕らのバンドには合ってます。

それでもコンテストの審査基準とはまったく別ですが、
聴く人の心に届ける演奏はかなり出来る場所です。

そこで、おそらくはクリスチャンロックバンドとしては初めて、
日本のハードロックカフェで、演奏できたこと
2度もね。
そこでばっちりクリスチャンロックとしての存在感をアピールできたことは、
僕らにはとても大きな成果です。

こういうとき、
うちのバンドのメンバーである
Hassy&Jakeは、
ずいぶんと達観しているのだろうと思うことがあります。

それは、今回のコンテストライヴに限らず、
バンドをやっていく中で、
すべてに於いてですが。

クリスチャンヘヴィメタルという
ニッチの中のニッチを突いたバンドで、

ちょっと独特の活動をして
外国でのツアーも何回か経験して
アメリカのクリスチャンミュージックの中でも
いちばんアンダーグラウンドでコアな人たちと交流し
音楽、教会、業界、
いろんなものをそれなりに見てきた彼らは

きっとこれまでにも
いろんなものを感じ考えることがあるのでしょう

彼らは、もともとクリスチャンの家庭に育ったとか、
もともと教会に通っていたとかではなく、
バンド活動を通じてキリスト教の世界に
巻き込まれていった人たちですが(笑)

それは、いわゆる一般のクリスチャン以上に、
裏側を知った上での
彼らなりの音楽の信じ方や
神様の信じ方があるのだと、
僕は思います。

何度も、大小のギグやツアーも経験した中、
こうして、コンテストに参加しつつ、
地元のハードロックカフェで演奏し、
かつ、その他のいつものギグとまったく同じように
ロックし、
コンテストの結果などまるで気にせず
ハンバーガーを喰い、
楽しく時間を過ごして
バンドを続けることができる。

これって、
意外とちょっとした
ことではないかと僕は思います。

これだけ達観し
覚めていても
ロックし続けることができるということ

そして
音楽を続けていく中で
バンドをやっていく中で
勝利というのは
意外とこういうことなのではないかと

昨年同様、
コンテストに勝ったバンドさんを横目に祝福しながら
俺は思っていました。

とにかくも、
演奏。

今年のハードロックカフェの機材は、
ローランドのエレドラに、
ローランドの小さなCUBEアンプ。

でも、これが意外と良い音がした。

その環境で、
これだけ良い音を出すことが出来たこと。

ジェイクは”Overcome”で致命的なミスをして
どうしてくれようかと思ったけれど
それはまた別として
それでも最後までテンション高く演奏できたこと。

今回また、’90年製Jackson Randy Rhoadsを使い、
俺は、
スルーネックのギターでは
100%の本当に満足のいく音は出す事ができないと思っているけれど
だけれど90%の音は、安定して出すことができる。
特にライヴの場では。

そのギターが95%の音を出してくれたこと。
決して100%ではないけれど
95%までヴィンテージライクな音を出すことができた。
(どうもアーミングアジャスターとD-tunaを付けてから、あのギターはポテンシャルが高まりました)

そしてあの場であっても
比較的難易度の高い選曲で、
ヴォーカルも歌い切ることができた。

それが自分にとっての大きな発見と収穫でした。

今回のセットリストは
わりと、必殺曲、定番曲を封印しての
メッセージ性重視のストレート勝負。

けれども、目標どおり
投げ切ることができたと思います。

こうしてバンドは進んでいきます。

見守っていただけたら、
とても嬉しく、幸いです。

下記、先日もポストしましたが、映像です。

こちら

No(3437)

■…2014年 3月 4日 (Wed)…….Song of Songs Vol.7
4月10日(木)に、すごいイベントでライヴをします。町田Nutty’sで行われる、Song of Songs Vol.7 最近、お友達になったソルフェイさんに誘っていただき、なんとクリスチャンバンドが4つも出るライヴイベント! なんか、数年前には考えられなかった感じです。クリスチャンロックのバンドたちが、いわゆる普通のライヴハウスで、普通に企画を打つ。こういうことが、どんどん普通になっていったらいいと思います。そしてこんなイベントに参加できて、僕らImari Tonesも光栄です。必殺のセットリストで臨みます。僕らにとっても、今年の上半期のハイライトになりそうです。ぜひご来場ください。素晴らしいバンドばかりです!

No(3443)

■…2014年 3月 5日 (Thu)…….自動で選択
今年はナッシュビルには行かないことにしようかと。
まだ迷ってるし、決断したってわけじゃないけれど、
体が勝手に選択したっていうか、実質もう決断した状態になっている。

2月中ずっと、5月にナッシュビルに行って、The Objectiveに参加すべきかどうか考えて、悩んでいた。

それは、The Extreme Tour Japanのために、いろんなつながりを作りにいくこと、
本家アメリカのThe Extreme Tourの関係者や、クリスチャンミュージックの業界人たちに顔を見せに行くこと、
それから、5月にはおそらくだいたい出来上がっているであろう僕らImari Tonesの新しい作品のPR、
などを考えてのことだ。

それらのために、
ちょっとくらい無理しても行った方がいいだろうかと考えた。

でも、どうやら行かないということを選択してしまったみたいだ。

理由は、死ぬ覚悟がないから。

そう、前回、このナッシュビルのThe Objectiveに参加したのは、
もう2011年のことになるのか。
あの時、Imari Tonesはショウケースのトリで演奏して、
ドラマティックなほどにぶっちぎりの演奏をして、
最後は皆で日本のために祈るという感動的な時間を共有した。
あれからもう3年が経とうしているなんてちょっとショックだ。
そう、あれは震災の直後のことだったのだね。

その縁で、翌年の2012年は、アメリカ西海岸のThe Extreme Tourに参加し、
2013年にはそのツアーを日本に持ってくることに成功した。なんとか。

あれから3年、僕らは前に進むことができているだろうか。
成長できているだろうか。
アメリカのビザ取得であるとか、より大きなツアー、
そして世界制覇といった目標に、
近づくことができているだろうか。

確信は持てない部分、迷う部分もあるけれど、
少なくとも、音楽的には、
ずいぶん前に進むことができている。
これは確かだ。

ただ世間的な評価とか、、、
は気にしないでおこう。
評価は人様がするもので、自分で気にするものではない。

ひとまずはまずFacebookのLikeが1000を超えてから、
Facebookのビデオが、なにかひとつでも10000viewを超えてから、
それから考えよう。
どちらももうちょっとだと思うけど。

話がそれた。
その感動的だった2011年のThe Objevtiveから3年、

今年、その場所に行こうかと悩んだのは、
バンドではなく、
自分一人で行くこと。

バンドで行く準備も費用もタイミングでもないから、
行くなら一人で行って、皆と交流しPRすることになる。

で、行かない選択をした理由は、
まだ悩んでるけど、

死ぬ覚悟がないから。
転じて、
死にそうだから。

思えば、
いつも、アメリカに演奏しに行くとき、
僕は、いつでも死ぬ覚悟があって行っていたのではなかったか。

というよりも、
死ぬ場所を求めて、
ていうか、
死ぬつもりで行っていたのではなかったか。

ツアー中っていうか、
演奏の中で死ぬのだったら本望だからね。
旅の中で死にたいと、そう思うからさ、
松尾芭蕉みたいに。

そういう覚悟があって、
信仰を求める、神を求める祈りがあって
そうして初めて僕らはあの場所に乗り込んだ。

そういった覚悟なしに、
あの場所に行くのは、
やはり気がひける。

そして、なにより、
今、僕には死ぬ覚悟がない。
バンドと一緒でないときに
死ぬ覚悟はない。

今は、作りたい作品がまだあるからだ。

僕は、米国には何度か足を運んだし、
Imari Tonesとしても4度、無茶な計画の中でかの国で演奏ツアーをしたわけだ。
多少危ないこともあったけれど、
こうして無事でいるのは、
いつでも死ぬ覚悟があったから。

で、逆説的に考えて、
死ぬ覚悟がないときに行くと、
死ぬかもしれないなと(笑)

たかだかちょこっとアメリカに行くたって、
なんでもないことかもしれないけれど、
外国というか日本の一歩外に出れば、
安全地帯ではないからね。

彼なりに信仰のあつい、
うちのHassy先生なんかは、
「大丈夫、死なないよ、神がついている」
と、言うと思うけれど、

もちろん僕にだって信仰はあるけれど、
選択というやつも信じている。

つまりは、自分で死を選ぶことだってできるということだ。
そして、わりと、そういう大事な選択は、
無意識のうちにしてしまうことが多いということも、
知っているつもりだ。

だから、なるべく死なない方法を選ぼうと思う。
今、”Revive The Nation”の録音制作の作業を開始しているが、
僕にとって、今、本当に決定的に作りたいのは、
その次の作品”God Wind(仮)”だ。

それを作って世に放つ前に、
アクマちゃんが簡単にその邪魔をすることができるのは、
こういうタイミングでさっくりと僕を殺すことだろう、
から、

かといって日本に居たから死なないという可能性もないけど、
そんなの誰にもわからんしね。

もうひとつ、現実的な理由は、
嫁さんが嫌がった。
一緒に行くならまだしも、
一人で行ってほしくないと。

かといって一緒に行くような余裕もないしね。

で、俺としても、
嫁さんと離れてるときに下手に死ぬのはちょっと嫌だし。

作品のPRや、売り込みは、
インターネットを通じても、出来ないわけではない。
The Objectiveのあの場所に行っても、
そこが売り込みの場所として適しているかは、
現在の音楽業界の現実を見れば、
決して簡単ではないことはわかる。

だったら僕らは2011年のあの時に、
奪い合いのようにサインされていたはずだし、
The Extreme Tourの中心で活躍しているバンドたち、
ツアーを騒がせた幾多のバンド、
たとえば昨年であればChaotic Resembranceとか、
彼らだってサインされてるわけじゃない。
そういう時代だ。

戦いは、限りなく、自分たちの手で、
かつ長距離走だということだね。

まああとは、
ScottとかTedとはメールで話してるし、
現地に行かなくてもコミュニケーションは取れている。

行くべきかな、ってScottに聞いたら、
わりと、
どっちでもよさげな感じだったから(笑)

あ、そういうことね、って(笑)

行くなら、満を持して、
今度は、前以上に、
ぶっちぎりでおいしいところを持っていく!

あとは、まあ、
いろんなところで世界情勢が緊迫してるときに、
たとえ1、2週間の間でも、嫁さんと離れて外国に行くのは気分よくないよ。
(少なくとも俺は。だいたいが人間不信の引きこもりなのだから。)

この選択が正しかったのかどうかは、
わかんない。
神のみぞしる
お漬け物添えて
味噌汁です。

No(3454)

■…2014年 3月 8日 (Sun)…….My宗教批判2014
これがヘヴィメタルというものか。

俺は人間であることをやめない。

音楽を始める際に、最初から思っていたこと。

そして、クリスチャンになる時にも思ったこと。

俺は、最後まで、人間であることをやめようとは思わない。

俺はクリスチャンの人たちや、
いろんな教会で出会った人たちが大好きだけれど、
これは自分のせいいっぱいのキリスト教批判。
そうそう何度も言わない。怖いから。

信仰について突っ込んで書くと、
クリスチャンの人たちからも嫌われるし、
普通の人たちからも嫌われる、
だろうけど、まあそれでも書くんだけれど。

特定の人とか知り合いを批判するものでは
一切ありません
なんというか、宗教というもの全体に向けて。

じゃああれだ、特定の誰かにではなくて、
もういっそのこと全員に向けて(笑)
全員に喧嘩売って(汗)

なんたってヘヴィメタルですから

ニーズがあるから、提供する人がいる。

これは確かだと思う。

たとえばキリストの再臨が近いですよ、
っていう時、

人によってどういう反応をするのか、
俺はわからないけれど、

僕は、どちらかというと、
何を今更、
と思う方だ(笑)

まあ昨今、
世界情勢もいよいよ緊迫しているし、
原発とかいつなにがどうなるかわからないし、

たとえば世界が終わるとしたら、
それが、明日であっても、
あさってであっても、
2分後であっても、
たぶん何も不思議はない。

たとえば神であれ何であれ、
この世界の運命を操作し、決めている人(でも神でも妖精でも宇宙人でも)が居たとして、

歴史上振り返ると、
たとえばいろいろ転換期はあっただろうけれど、
ノアの箱船のときとか

今は、文明つったら、
人間はまだまだ未熟な原始状態だと思うけれど、
20世紀以来、人間はそれでも、
自力で地球とかこの星の環境を破壊できるくらいの
力は手にしてしまったわけで、

じゃあそれから、
いろいろ反省し、成熟して、
より高度な精神文明に向かっていけるか、
もうちょっと猶予を見て、
終了のスイッチ押すかどうか、
それから判断しましょ、
ってなったときに、
その判断のタイミングは、
たぶんそろそろっていうか、
少なくとも21世紀中とか可能性高いとか、

それくらいは誰でも想像がつく(笑)

そう思うと、
キリストの再臨イコール世界の終わりかどうかは知らんけど、

そろそろそのうちキリストさんが来て、
「はい、みんな、終了、これから採点(裁き)の時間ですよー」
ってなってもおかしくない、
たぶん今までの人類史上でいちばん可能性としては濃い。

あるいは普通に放置されて普通にぐだぐだ苦しみながら滅亡していくのかもしれんが(笑)

話がそれたが、
とにかくも、
キリストが再臨するにせよ、
世界が終わるにせよ、

僕がいつも思うのは何をいまさら、
っていうか、
僕は毎日、
今日も世界が滅びずにここにあることが
正直不思議でしょうがないのだ。

「ああ、今日もまだスケートボードができる」
って。

俺は神のことを軽々しく口にしたくはない。

神は気休めではない。

そして商売の道具でもない。

だけれど商売の道具にするのは、

世の中にそういうニーズがあるからだ。

気休めをほしがる人々が

多いからなのだと思う。

必要とする人々が。

で、世の中の宗教というものは、
そういうニーズに答えるビジネスだ。

神は気休めではない。

キリストは気休めではない。

キリストはReal Deal(本物)だ。

れっきとした実用品だ。

気休めにする気持ちはわかるし、
世の中は強い人ばかりではないし、
ちょっとくらいいいけれど、

でも俺は神を気休めにしてしまう人を
あんまり許す気はない。
(神に許してもらってくれ)

盛大な気休め。

人々のニーズに従い、
気休めは盛大になる。
盛大であれば盛大であるほどいい。

そうして宗教は先鋭化していく。

俺はここ数年ずっと
クリスチャンロックバンドなんて言って音楽を演奏している。

けれども、わりとそうした、教会世界からは
距離を置いてきたつもりだ。
別に意識していたわけじゃないけれど、
かといってまったく意図しなかったわけじゃない。

俺は、
ポジティヴなかけ声を連呼するだけの
ボーイスカウトのリーダー養成講座みたいなキリスト教もどきは大嫌いだし、
若いリーダーが、「賛美していきましょー」「祈っていきましょー」っていう変な日本語も嫌だし(未来形にしなくても、今ここで祈ればいい)、
証や奇跡をほしがるクチでもない。

俺は、人間として最後までせいいっぱい生きたいだけだ。
そして死にたいだけだ。

俺の思うキリストや愛や
ロックや救いってやつは
神社仏閣や教会や集会や儀式とか
気休めのような救済の話とか奇跡の中にではなく
どっちかっていうと嫁さんと一緒に
過ごす時間の中にリアルにある

神は実用品だ。
人生に必須の。
一家に一台。

まさに家庭の平和。
偽物は効かない。
本物を手に入れた方がいい。

でも本物は売ってない。
自分で見つけるしかない。

俺の思うクリスチャンロックバンドとは、
たまたまロックを演奏している、
教会とか何の係わりもないそのへんの野良バンドが、
ただそれがクールだからというそれだけの理由で、
「ジーザス!」と叫んでいる。
それが俺の思ういちばん理想のクリスチャンロックだ。
そうなれたらいいなといつも思っている。

そして、いちばん重要なのは、
それがちゃんとロックしているかどうかだ。
つまり、いかしたサウンドでいかしたロックをやっているか、
それだけだ。

俺がクリスチャンロックを始めたのは、
より良い、より素晴らしいロックを演奏するためであって、
つまらない音楽をやるためじゃない。
信仰+ロック=最強
この命題があるから、俺はやってるんだ。
最高のサウンドを鳴らすためにこそ、やってるんだ。

排他的な気休めの集合体に参加することを、
信仰と呼ぶならば、
俺はそんな信仰は必要ないし、

どちらかというと
特にこの日本においては
俺はクリスチャン(キリスト者)の定義を
こっちから広める方向で行きたい。

クリスチャンというのは、
キリスト教の家に生まれないと、
外国人とか金持ちの名家とか(笑)
なれないものだと思ってる人多い。
毎週教会に行かないといけないとか。
うちは仏教だから「無理無理」って。

そういうんじゃなくて、
心に十字架を背負って、
たとえ辛い思いをしても
何かを信じて生きていく人、
心に十字架を背負って人生を歩いている人、

それらの人は皆クリスチャンなんだと、
キリストはそんな人たちみんなの味方なのだと。
そう言ってあげたい。

そして、こんな矛盾だらけの世の中かもしれないが、
そんな僕らみんなを代表して、
十字架の上で死んだキリストのことを思うだけで、
きっと最後には僕らも救われるんだと、
そう言ってあげたい。

なにしろキリストは不死身だからね(笑)
死んでも余裕で生き返ってきたからw

なんだっけ、木は、つける果実によって、
その善悪がわかるように、ってか
皆、人は、
それぞれに、この世の中で、
自らが行うべき仕事(いわゆる職業に限らず)によって
世と係わり、世に貢献し、
神に捧げていく。

ロックバンドであれば、
その作り出す音楽、
鳴らす楽曲とサウンドによって、
判断される。
そして判断されるべきだ。

俺が本当に自分の言いたいことを表現できるのは
そこだけだ。

とにもかくにも
目の前にいるモルモン教徒の兄ちゃんたちとか
なんちゃら学会のおともだちの人たちを
愛するのに
宗教的な証明が必要なんだったら
俺はそんな宗教は必要ない
ただ愛すればいいだけだ

愛ってのは形じゃない
こうあるべきっていう方法論があるわけじゃない
愛が形とかメソッドとか公式なんだったら
キリストはそもそも十字架にかかる必要なんかなかった

僕には子供がいない。

だから、子を持つ親の気持ちは実際にはわからない。

けれども、もし自分に子供が居たら、たぶんこんな感じに言うだろう。

いいかい人間には自由な意思がある。

だから、何を信じるかは自分で決めるんだ。

天国や地獄があるのか

それがどういった場所なのか

それは誰にもわからない

あるいはこの場所が天国なのかもしれないし

あるいは地獄なのかもしれない

何を信じるか、どういう人生を生きるか
それを決められるのは自分だけなんだ

誰もそれを手助けすることはできない

人が死んで、神の前に立ったとき

人は自分一人で、神と向き合わないといけない

真実に向き合わないといけない

たとえ親であろうと子であろうと

それを助けることはできない

そこで出て行って君を弁護することはできないんだ

だけれども一人だけ

神様との間で、君を弁護できる人がいる

その人はイエスキリストといって

僕ら人類全員の代わりに十字架にかかったんだ

だから願わくば、その人のしたことを理解して

その人のしたように生きなさい

その人が君のために死んでくれたということを覚えておきなさい

そうすれば、最後のときに、その人は君のために神の前で

君を助けてくれるだろう

これは私が信じていることだ

今、君が無理にこれを信じることはない

何が本当なのか、何を信じるのか

それは、君が自分で見つけていくんだ

愛は、自分で選び取るものなんだ

神様だって、そう言って

僕ら人間に、自由な意思を与えたに違いないのだから

そんな感じ。

うまく文章にできなかった。

でももう一度言う。

俺は最後まで人間であることをやめない。

人間として生きていく。

俺は傲慢な人間だが

それでも神の居場所を自分ですりかえてしまうほどには
傲慢じゃない

神の居場所に偶像を置いて商売するほど神経が図太いわけでもない

俺は一人の人間として最高に傲慢なのだ

神の子供の一人として、神には直接言いたいことは言う。

そこに牧師や神父や霊媒師の助けは必要ない。

俺みたいな馬鹿でも神の言うことくらいはわかる。

俺は人間であることをやめない

俺たちの仕事は、人間としてせいいっぱい生きることだ

神は気休めじゃない

神はもっとリアルなものだ

奇跡はあるし、普通に起こる

「奇跡ってのは。よく起こるもんだぜ!」

それがリアルだ。

そもそもがこの世界は奇跡ばっかりだ。

神は気休めじゃない。

そして商売でもない。

軽々しく神を語ろうとは思わない。

そもそも人間の身に神を理解できるはずもない。

神を安っぽい商売にしてしまう人間

神を安っぽい気休めにしてしまう人間

神を安っぽい自己啓発セミナーにしてしまう人間

に対して、僕から言えることは何もないけれど、

ひとつ言うならば

神はみんなのものだ

君らの独占でも、専売でもないよ。

もう一度言うけれど

俺は音楽屋のはしくれとして

最後まで人間であることをやめない

さわぐ必要なんてひとつもない

再臨があって世界が終わるそのときまで

きれいな顔に整形する必要もない

この面さげて神のところまで会いにいくんだ

俺は決して熱心な聖書リーダー(reader)ではないが、
読むときはそれでも霊を通じて読んでいる。

つまりはあんな神さん視点で書かれたもん、
霊、ホーリースピリットの助けなしに
理解できるわけない。

スピリット?
そのへんはミュージシャンの霊感を信じてほしい。
普通の人には「想像力」って言っても構わん。
信仰はそこから始まるから。

俺が思うに、いつも言うけど、
聖書のどこか一章でも、
一節でも。
ワンセンテンスでも。

本当に理解し、
身を以て自分のものとしたなら、

それだけでもうどんな悪魔も逃げていく。

それくらい、強力な武器の宝庫だと思うが。
お話にならないくらい。

こんな強力な武器と力を与えられて

なにをやってるんだい!?

自分もそうだが。

省みる必要がありそうだ。

No(3469)

■…2014年 3月 8日 (Sun)…….神さんの楽器
我が家にDeviser社の楽器が順調に増えている。
嫁さんにもフィリピン製Bacchusのベースをあてがってしまった。

お金を浪費しているみたいに思われたくないし、
どの楽器も、これから使う段階だし、

自分のギタリスト人生の最終回答である「猫ポール」ですら、
まだImari Tonesのメンバーにすらお披露目していないくらいだが、
(ジーザスモードであっさり使用。結果はスーパー良好。)

自分でもばかみたいだと思う。
限りある予算、
海外遠征や世界制覇のバンド戦略のために
使わなくてはいけない予算を、
なんだか楽器に使ってしまう。

ミュージシャンとしては、
プレイヤーとしての成長という意味では、
ごく当然のことと言えるかもしれないが。

かといってそれは、
高い買い物というわけではまったくないのだ。
それは、Deviser社の楽器が、
やたらめったら良心的な価格だという理由による。

自分には本当に、
もうこのDeviser社の楽器が、
神の楽器のように見えて、感じている。

これを使えば神の音楽が鳴らせるかも、しれないと思う。

この会社のすごいところは、
なんというか、スタンスというのか姿勢というのか。

普通、どんなメーカーでも、特に大手とか、
たとえば大手楽器チェーンの企画ブランドとか、
「こんなにすごい楽器をつくりました」
「ついにヴィンテージを超えた」
「これぞ究極の豪華なストラト/レスポール/コンポーネント」
とか、
すごい派手に宣伝をする。

楽器屋を巡れば、
そういう各社の派手な宣伝文句を目にすることになる。

けれどもこのDeviserという会社は、
世界一といえるような楽器を作っておいて、
騒ぎ立てることなく、
それに欧米製のギターの半額とかそれ以下の価格をつけて、
黙ってしれっと売っている。

ただ、「自信作です」とか控えめなこと言って。

だから、誰もその楽器の価値がわからず、
平気で売れ残っている(笑)
こんなにシュールなことはないと俺は思う。

音や機能性の話をさしおいても、
ここの楽器には不思議な美しさというのか清潔感がある。
別にとりたてて、どうということのない、ありふれたモデルばかりのはずなのだが。

実際、比較的評判の良いベースはともかく、
ギターに関しては、用途としてぱっとしないモデルも多い気がするのだが。

Deviser社の主力ブランドであるBacchus(バッカス)には、
中国産やフィリピン産の初心者向けの廉価版モデルもあるので、
一般には、初心者向けの安価なブランドとして、あまりよくない印象を持っている人も多い。

僕はいつも、Epiphoneをばかにする人は信用しない、
と言っているが、
同様に、
Bacchusを馬鹿にする人は(シャレではない)、
楽器のことを知らない人だと言えると思う。

だが国内産、日本製Bacchusのクオリティに関しては
かなりの部分で保証ができると思う。
驚異的と言えるんじゃないか。

このブランドの偉いところは、
フィリピン製の廉価版を作っているんだけれど、
かといって、フィリピン製も、
日本から技術者を派遣して、
日本に近い水準で作っているらしいけれど、

そのフィリピン製に関しても、
日本製モデルと同じものを作るのではなく、
きちんと特色やターゲットの違いを出してきているところ。

たとえばうちの嫁さんの新しいベースである
フィリピン製、TF-001に関しては、
色というか、塗装のバリエーションが、
すごく安っぽい色がいろいろ選べるようになっている。
すべてことごとく安っぽい色(笑)

これって、どういうことかというと、
価格帯からしても、
初心者とか、これからベースを始める女の子とか、
本職でないカジュアルベーシストとか、
あとは女の子とか女性とか女子とか
そういうあたりの人たちをターゲットにしてる気配がする。

現にボディもアルダー(ジェミリーナ)製で、
結構軽い。

この軽さと、気軽さ、ポップさは、
明らかに女性向けと思う。
あるいはカジュアルユーザー。

しかし、その中身は、
日本製上位モデルのTwenty-Fourを元にしており、
音は若干軽めだけれど、
バランスの良い素直な出音、
高い演奏性、
そしてプリアンプによる幅広い音作りと、
およそ、非常に広い範囲に対応できるものになっている。

かといって、かろやかで、しなやなか、
素直な出音という、キャラクターは持っており、
それがきちんとプラスに働いている。

かわいいけれど、実力はばっちりというわけだ。

「ホワイトフェイスの黒猫」というテーマで選んだ見た目と相まって、
このフィリピン製アクティヴベースTF-001が、
うちの嫁さんにとって、おそらくは生涯の究極の楽器になることは間違いない。
それは、パーソナリティにぴったり合致しているということだ。
プレイヤーが求めるものは、それぞれ違うのだから。
3万円以下で買った楽器が、生涯の愛器になる場合もある。
だから、比較的安価なレンジのものでも、その中でやはり上質なものが求められるのだ。

このTF-001、某楽器屋のバーゲンによって、おそろしく安い値段で買えてしまった。
あまりにバーゲンなので、Deviser社に悪い気がしてくるくらいだ。

また、
僕もFacebookでシェアした記憶があるが、
南国フィリピンならではの、
マンゴー製ギターを発表したのも、
非常にユニークかつ印象的だった。

あれ、たぶんきっと、かなり良いはず。
フィリピンバッカスの本気を感じる。

そして、日本製バッカスの、
もっともコストパフォーマンスの高い(ようするに安い)
ベースを体験したが、
これがまた、とんでもないぶっとび具合。
もう俺は完全にこのメーカーのファンになったと思う。

このメーカーの楽器に感じる清潔感、
そして、なんというのだろうね、
クラフトマンシップというのか、
会社としてのスタンスもだけれど、
楽器そのものが、まるでプレイヤーへのメッセージであるような。

俺は、楽器のブランドを立ち上げるときに、
そこに神の名前をつけたここのメーカーの人の心意気みたいなものを
評価したい。

音楽の神、って辞書かなにか引いたのかもしれない。
もうちっとマシな言葉があったろうに。

僕はクリスチャンだから、
楽器に”JESUS”って書いてあったらいちばん素敵だ。
でも、それはたぶんいろいろと無理があるだろうから。

このBacchusっていうのは、
音楽の神、という意味を込めたと思うが、
前にも書いたが僕はこれが聖書の神を指していると信じて疑わない(笑)

長野の楽器メーカーの勝手なイメージかもしれないが、
まるで日本酒を作る造り酒屋のような想像をしてしまう。
酒屋が祀るのは「松尾様」
それは、日本に酒造技術を持ち込んだ渡来人、
ひいてはユダヤの人たちが崇めていた聖書の神であると
俺は勝手に信じている。

それと同じことじゃないかなあ、と。

このメーカーが作っている楽器には、
それくらいのなんというか、
霊的なスピリットの高さのようなものを感じるのだ。

たぶん俺だけだと思うけど(笑)

先述したようにBacchusには中国製の廉価版シリーズもあり、
実際のところ、
Bacchusブランドで、
どれだけ本気のギターを作っているか不明だし、

たぶんDeviser社の本気のギターを手に入れるのであれば、
上位ブランドのMomoseを試してみる方が確実とは思う。
たとえばBacchusの”Duke”モデルが、どういう方向性で、どれだけ本気なのかはわからない。

良心的な価格とはいっても、
Momoseブランドのレスポールとなれば、
だいたい20万を超えてくる価格になるけれど、
それでもはっきりいって、
60万するGibsonのヒスコレのレスポールよりも、
楽器としての実用性、汎用性、将来性は、はるかに上ではないかと思う。

それは、ヒスコレが良くないってことではなくて、
ヒスコレは、「ヒスコレ」というマーケットに特化した楽器だから。
特定の音とか、特定の音楽を鳴らすために特化している楽器だと思うから。

でも、俺はたぶん、たとえこれからこのBacchus/Momoseのギターしか一生弾いちゃいけない、と言われても、
たぶんそれほど困らない。

Deviser社のギターは、ぱっとしない、代わり映えのしない、保守的で、ぶっちゃけ僕のプレイスタイルには合わないギターが多いが、
それでもピンポイントで、僕の本当に必要としているものを提供してくれることがある、というか、してくれた。

たとえばたまーにMomoseとかで作ってくれる本気のレスポール、
そして、自分がいちばん好きなコリーナのフライングVも作っている。
Hamerと比較してどうなのか、試してみたい気は多いにある。

まあフロイドローズの付いたギターとかほとんど作ってないから、
そこは、困るんだけれど、まあ。

個人的に、
まったく自分の好みで言うと、
自分がインターネットと自分の足を使って、
見回してみた狭い範囲の中では、
世界の中で、
本物の楽器、と呼べるレスポールを作れるのは、
日本のDeviserと、アメリカのHeritageくらいなんじゃないかと思う。
(個人工房とか、そういうのはもちろん、別なんだろうけれど)
Heritageって、あのGibsonの元職人たちが立ち上げたっていう零細メーカーね。

とにもかくにも、
ひとつの楽器メーカーに、
こんなにも感動させられたのは、初めてのことだ。

聖書を開けば、マタイの福音書の7章あたりには、
良い木か悪い木かは、
そのつける実によってわかる、とか書いてある。

そういう意味では、
たとえ世間の評判や、宣伝文句がどうであれ、
このメーカーの仕事っぷり。

これが人のする仕事というものなのだと、
見習いたい気持ちでいっぱいです。

こんな神の道具といえるような楽器を
作れる人たちがいるのだと。

Deviser社、Bacchusの楽器は、たいてい、
とりたてて代わり映えのしない、
なんというか普通の、素直な音がする楽器ばかりだ。

だけれど、その普通の素直な音、
ということが、どれだけすごいことなのか。
この歳になって僕も少しずつわかるようになってきたという
ことなのだろうと思う。

自分のプレイヤーとしての人生が
あと何年あるか知らないが、
それでももう後半にはさしかかっていると思うが
出会えてよかった

出来ればもっと早く出会いたかったけれど
決してそれが遅すぎなくて
よかったと思う。

No(3470)

■…2014年 3月 8日 (Sun)…….自転車で顔面強打
先週の木曜、僕はデイジョブ通勤で自転車に乗っているとき、
雨ですべって転倒して顔面を強打した。

奇しくもその翌日が、ソルフェイのオオハラさんとこに行ってイベントの告知動画を撮る日だったので、ばんそうこうを貼って、帽子かぶって隠したものの、
顔面はかなりタンコブ状態で腫れあがっており、正直泣きそうだった(笑)

これね。
こちら

で、僕がスケートボードをやっていることを知っている人たちからは、
何人か、それはスケートボードでこけたんじゃない、って言われたけど、
先週の木曜は雨だったろう、
雨の日にスケートボードやるやつはおらんのじゃあ!!
錆びるからね。

僕は雨の日に自転車通勤し、交差点をわたったところで、人をよけようとして、
ちょいと曲がったら、黄色いところ(目の見えない人用の黄色いでこぼこのとこ)でスリップしてこけたのだ。
雨で地面が濡れてたから、しかも黄色いところでつるつるしてたから、
自転車のタイヤがスリップしたんだよ!

かなり呆然としましたよ。
痛かったし。

でも、大きな事故にならなくてよかった。
人にぶつかったわけじゃないし。

なおかつ、これは、
今年は自分はちょっとついてないぞ、
という天のお告げかもしれない。
まあたいてい気にしないけどねそういうの。

あとはね、ライヴの翌日でよかったよ。
これがライヴの前日とかだったら、ちょっと泣いてたからね。

で、スケートボードといえば。
僕は2012年の10月1日にスケートボードを始めたので、
もう、うかうかしてると、一年半やってることになる。
よく続いたものだ。

スケートボードって、続けるの難しい。
始めるだけでも結構難しい。
まず環境がないし。

アメリカみたいに周囲がみんなやってて、
近所にスケートパークとかいろいろあったりしたら、
やりやすいんだろうけど、
それでもやっぱり続けるのは難しい。

中国人がみんなカンフーができるわけじゃないように
アメリカ人がみんなスケートボードできるわけじゃない。
僕のFacebookのタイムラインを見ていても、
アメリカの子たちとか、スケートボードやっていて、
なかなかやっぱり難しいとか、書いてるの見かける。

スケートボード、始めるとき、
よし、オーリーに挑戦だ、
オーリーできたらいいな、
と思って始めた。

今、自分は、バリアルキックフリップや、
ビッグスピン(まだちょっと成功率低いけど)、
360ショービット(スリーシャヴ)なんかもマスターして、
今はフロントフリップ、バックサイドフリップ、バリアルヒール、ハードフリップとか練習を始めてる。
あとはノーリー/スイッチ系のバリエーションを増やしにかかってる。

たぶんこれは年齢を考えても、
かなり頑張っている方だ。

スケートを始めて、ここまで、
少しは、周囲に、スケートをやるという人に出会ってきた。

でも、なかなかみんな、どっぷりとやっている感じではない。
スケーターファッションに身を包んでいる人たちでも、
昔やってた、とか、そういうパターンが多い。
あるいは、やっていたけれど、
キックフリップでつまづいた、とか、
オーリーはできたけどそこで飽きてしまった、とか。

スケートボードは続けるのが難しい。

ひとつの理由として、
周囲に一緒にやる仲間がなかなかいないということがあるだろう。
一緒にやる仲間、そういった環境がないと、なかなか、こういうことは続かない。

けれど、僕の場合、これは、一人遊びが上手かどうか、という感じがする。

僕は、基本的に、ものすごく孤独を愛する人間なので、
一人きりで、板と向き合って、練習しているのが結構すきだ。

一人でスケートボードと向き合って、
ああでもない、こうでもない、といろいろ試して、追求してみるのが好きなんだ。

で、結論ぽいけど、これってギターと同じなんだよね。

一人で楽器に向き合って、自分でどんどん発見していく、音楽に向き合い、気が付けば何時間もたっている。
これができる人は、続けることができる。

僕はファッションにはこだわらない。

特に日本だと、スケートボードはファッションの側面が強い。
町を歩いていて、スケーター系のファッションをしている人は、そこらじゅうにたくさんいる。
VANSのスニーカーを履いている人なんて、電車の車両ひとつの中に10人くらいいる。

でもそういったファッション感覚では、スケートボードは続かない。

なんか特に、スケートボードを続けるには、
ちょっと独特の才能がいるみたいに思う。

独特の、なんていうんだろう、才能というよりは、「性癖」という言葉が近い。

なにがなんでも板に乗って滑るのが快感だ、
これがないと禁断症状で死んでしまう、
というくらいの、感覚。

オーリーして、グラインドでががっといくのが、
ボードスライドするのが、
マニュアルでつつーっといくのが、
快感でたまらない。
というくらいの、「性癖」。

そういった、一種偏執狂的な趣向を心に持っていないと、
続かないスポーツな気がする。スケートボードは。

そして、その感覚は、やっぱりちょっとヘヴィメタルの感覚に近い。

これはもう言うまでもなく絶対にあると思うんだけれど、
僕がこの年齢でスケートボード始めて、わりと順調にここまでこれたのは、
今までずっとギターを弾いてきた、ということが、多いにあると思う。

スケートボードとどういう音楽を関連づけるかは、
世代や、趣味によって違うけれど、

少なくとも、僕がずっとやってきた、ヘヴィメタルのギターは、
スケートボードに非常に近い。

スピードに乗り、多くの技を操り、高度なトリックを駆使し、そしてラインを描き、ひとつの舞いを演じる。

スケートボードでラインを描くのは、
ヘヴィメタルのギターソロを構築し奏でるのと、ほとんど感覚が変わらない。

そして、僕はギターをずっと弾いてくる中で、
自己分析、というのか、自分の体の動きを冷静に見つめること、を覚えた。
自分の動きをありのまま見つめ、ああ、そうか、ここが足りんなあ、と修正していく。
たぶんスケートボードの上達で大事な要素のひとつは、この自己分析能力だろうと思う。

そして、演奏にしろ、ひとつのテクニックにしろ、その要素要素を分解し、ひとつずつマスターしていくこと。

こうしたことは、ギターからスケートボードに応用したことでもあるが、
けれども、最近逆に、スケートボードで難しいトリックに取り組む中で、
そこで学んだ姿勢、取り組み方、分析の仕方、練習方法、なんかを、ギターに応用していることが多くなってきた気がする。

話しだすと長くなる。
もっといくらでも長くなるからこのへんにしておきたいと思うのだけれど、

スケートボードについては、
練習する場所、練習環境のせいで、
残念ながら僕は、圧倒的にフラット(フラットグラウンド)中心でやっている。

レッジとかやりたいし、
もちろんときどきやってるけどね、
レッジとか、ランプも。

けれど本当はマニュアルパッドみたいなものが
あったらいいのになあ、なんて思う。

でも、実際のところ、
僕はまだまだ初心者の域を出ないし、
フラットでやれることはまだいくらでもあるし、
本当のところ、
今はまだフラットだけでも十分に楽しめる。

ゆっくり冒険していけばいいじゃないかと思う。

何人かは、今まで、友人と一緒にスケートボードをやってみた。

でも、これは「特殊な性癖」が必要な、難しいスポーツだ。

やっぱり、自分と同じくらい、どっぷり情熱的にのめりこんでいる人は、友人の中にはなかなかいない。

今までだと、秋にThe Burn Insのアーロンと滑ったときくらいだろうか。
本当にスケートにのめりこんでいる人と滑ったのは。

かといって、スケートパークなんかに行くと、
逆に周囲は僕よりはるかに上手い人たちばかりだったりする(笑)

そんなわけで、
僕と似たようなレベルで、
同じように下手の横好きではまっている
そんな人と友達になりたい。

なかなか難しいとは思う。

No(3471)

■…2014年 3月 8日 (Sun)…….日本を代表するギタリスト
ギタリストの布袋寅泰さんがローリングストーンズと共演したことが話題になっている。
これはとても勇気づけられるニュースだと思う。
こちら

そうかこの人って今ロンドンに住んでるんだね。
今の時代に、日本から国外に移り住むことっていろんな意味合いがあるけれど、ネガティヴなことは言いっこなし。
僕は、布袋さんが、世界を目指してがんばっていることに、純粋に応援のエールを送りたい気持ちだ。
だって、世界一になりたいっていうのは、誰だってそう、ミュージシャンだったら。
その気持ちに嘘は絶対にない。

なぜ勇気づけられるかというと、
目指すもの。
立派に成功を収めた有名ミュージシャンの彼は、
今、この年齢にして、夢を追いかけている。
夢なんて言葉は使いたくないけど、
そう、「世界制服」という目標には、
たぶん彼よりも俺たちの方が近いぜ!(笑)
長い距離を、走り抜く勇気をもらったんだ。

冗談はともかく、
どういうミュージシャンになりたいのか
どういう自分になりたいのか
それを明確に持っていることは大切だ。
それを明確にわかっている人は強い。

そして、それを曲げてまで成功したりする必要はない。
なぜなら、人は必ず、自分がこうなりたいと思う自分になっていくからだ。

大事なのはそこだけだ。
あとは、この長い道のりを、ずっと走り続けることができるかどうかだ。

この戦いは思ったよりも長い。
そして、人生というレースは長距離走みたいだ。

自分はどういう形で「世界制覇」がしたいのか。
どういう形で、なりたい自分になっていくのか。

少しずつわかってきてるつもりだ。

布袋さん勇気と目標をありがとう。
感動して、iTunesに一枚だけ入っている布袋さんのアルバムをかけてみた。
やっぱり無理だった(泣)

No(3472)

■…2014年 3月 8日 (Sun)…….ドラムトラック、2tトラック
書きためた文章をいやがらせのように一斉にアップしましたが、
昨日からドラムトラックをいっしょうけんめい整理、編集しています。
たぶんこの週末でやっつけられると思います。
地味な作業です。
ジェイクがうまく叩いてくれたので、ドラムトラックにクオンタイズをかける必要はなさそうです。
多少、揺れてても、ナチュラルなアンサンブルの方が良いです。

No(3473)

■…2014年 3月 8日 (Sun)…….告知動画!
ソルフェイのオオハラさんが撮ってくれた、4月10日のライヴの告知動画!
先述のとおり、この撮影の前日に自転車でこけたので、顔の左側が腫れてますwww 帽子と髪の毛でなんとか隠してるよ!
こちら

No(3474)

■…2014年 3月13日 (Fri)…….puramai
Frankly speaking, long awaited (I waited very long) +/-{plus/minus} new album is not exactly what I expected, mainly because they “matured and mellowed” over the years (from work, family, and you know, life). But they are still good and they are still my favorite band. I listen to it a lot. I get a lot of “solace” (if my english is correct) listening to the new album. It’s beautiful. Though it’s true I was somewhat disappointed by the new album, listening to this studio live versions, if they come to Japan, I think I will be there to watch them live. (after all I’m still making music because I’m a huge music fan myself, you know that…) — [+/-{plusminus} is a NY based indie band, and they toured in Japan many times.]
こちら

No(3508)

■…2014年 3月17日 (Tue)…….Axis-EX AO Pink
このピンク色したギターを手に入れたのは2002年のこと。確か、夏の終わりか秋の始めではなかったか。なので、もううかうかしていると、このギターを手に入れてから12年が経つ。日本製Axis-EXのAシリアルだ。控えめなキルトメイプルと、同じく控えめなバーズアイメイプルのネックの、控えめなところが気に入って購入したんだ。日本製のEXではあるが、どうやらトップのメイプルもちゃんと厚みのある良いものが使われているようだ。自分の人生にとっては2本目(!)のエレクトリックギターであり、たぶん、今までレコーディングでもいちばんたくさん使ったギターだと思う。ちょっとした録音やデモ制作まで含めると、本当にたくさん使ってきた。そしてこのギターで作曲した曲も数えきれない。それは今でも、ふとしたときにこのギターを手に取り、曲を作ることがたびたびある。2004年にバンドが形になって以降、ずっとメインで使い続け、2008年以降はメインの座を明け渡したけれど、かといって、準メイン級の頼れるギターとして、いつでもそこにあり、録音でも使用し、信頼し続けている。今でももっとも信頼のおけるギターのひとつだ。いわゆるヴァン・ヘイレンモデルとして、Fender系の楽器のひとつの完成形といえる楽器だし、ハードロックギターらしい分厚いミッドレンジ、きらびやかなハイというかハイミッド、バスウッドの懐の深い柔らかい低音、versatileな幅の広さ、フィックスされたフロイドローズの安定感。自分らしいプレイとサウンドは、このギターでだいたい表現することができる。ここまで本当によく役にたってくれた。そしてこれから、まだまだ使う予定がある。今ではこのギターよりももっと「優れた」ギターをいくつか所有しているけれど、それらはみんなアームのないギター。アームを使う必要がある曲は、やっぱりときどきあるからね。自分の最初のギターである1991年製Jackson Soloistは、実家に置いてあって、実質引退させてるから、このAxis-EXは僕にとってたぶんこれまでいちばん長い時間を共に過ごしたギターだろう。このギターは手放せないと思う。もっともこんな使い込まれた傷だらけのギター、手放したところで、いくらにもならないが。
こちら

No(3509)

■…2014年 3月20日 (Fri)…….何時脱sk8初心者
先週ですね、相模大野の教会で行われたWGJに行ってきて、
The Extreme Tour JapanのPR活動を行ったり、
ナイトDeライトのコンサートを見たりしてきたんですが、
一緒に行ったNOBさんが、スケート持参で来るというので、
僕もスケートボードを持っていった。
それも、普段街に繰り出すときのクルーザーではなく、
普通のトリック用のデッキを。

で、この日、何があれだったかって、
The Extreme TourのPRよりも、ナイトDeライトでもなく、
中途半端にデッキ持っていって、中途半端にスケートできなかったこと(笑)

デッキが手元にあるのに(クルーザーならまだしも)、
思い切りスケートできないというのは、
なんだか拷問に近い(笑)

で、ナイトDeライトのコンサートが始まる前に、
退屈にがまんしきれず、教会の前で、
ぱちんぱちんと板をはじいていたり、
止まったままでマニュアルでバランスの練習をしたりしている自分が居たわけです。
すごくawkwardというか、かっこわるいです(笑)

この日、何に欲求不満が残ったかというと、
これですね。
それで、駅までの道とかで、NOBさんと一緒に多少すべったんですが、
ウォーミングアップもしてないゆえに、
まともなオーリーもできず。
まあ多少はキックフリップとかできたけど。

これは、前にも似たようなことは何度かあったので、
知ってるんですね。
要するに、集中力とか、平常心の問題で。

僕は、ハイトーンで歌うのと同じように、
スケートボードも、一種の超能力だと思うんですが
(冗談ではなく。highly focussed mind powerみたいな。)
(集中力が必要だということですね)

僕は、普段は、一人で落ち着ける広い場所で、
のんびりスケートしているから、
それなりに順調にスキルを伸ばすことができているのであって。

こういうふうに、街中で、いきなりすべろうとしても、
結構、人の目とか、気にしてしまったり、
路面の状態を気にしてしまったり、
のびのびすべれない面があるわけです。

プッシュとか、マニュアルとか、
ノーコンプライとか、
そういう本当に基本的な動作ならできますが。

そもそもが、僕が普段、スケートするときは、
まず、念入りに準備運動、ストレッチをして、
(年齢を考えても、スケートをする理由の半分くらいは、
実は準備運動をするためといえるかもしれません。
この準備運動やストレッチ、バランスや足腰の訓練は、
自分の肉体に非常にいい影響を及ぼします。)

そして、まずはゆっくりと、
エンドオーバーやマニュアルをひたすらじっくりやって、
その日のバランス感覚をチェックして。
律儀にもチクタクを左右両方のスタンスでやってみて、
その日の体重移動の感覚を確かめて。
それから止まったままでオーリーを繰り返して、その日のタイミングを調整して。
そしてシャヴィット(ショービット)をバック、フロントとやってみて、
その日の足首のスクープの動作の調子を確認して。

それからだんだん、180やったり、
キックフリップやったり、
難易度の高い技に挑戦していくわけですが。

いきなりストリートに出ると、
そういう準備ができないわけで(笑)

で、準備運動を抜きにしても、
やっぱりそのへんの路上の路面というのは、
必ずしもスケートパークや普段の練習場所のようには
状態がよくないわけで、

そういう路面の状態が、
自分のパフォーマンスにいかに影響を及ぼすかということは、
今までも何度もか経験があります。

これは、決して悪いことではなく、
たとえばギターを弾くときにも、
たとえば難しいリードプレイのときなんか顕著だけれど、

その時の機材や出ているサウンドの状態によって、
同じプレイでも、
弾きやすかったり、弾きにくかったり、
突然弾けなくなったりするわけです。

あるいは、演奏時の状況とか、
お客さんの状態によってもそうですね。

それは悪いことではなく、
むしろ優れたプレイヤーの必要条件であって、
たとえば上手いプレイヤーは
その時の出ている音によって、
ピッキングのニュアンスを変えてくる。
これは、考えてやることではなく、
自然に感じて無意識に行うことです。

これができるプレイヤーが、
上手いギタリストということだし、
これができないプレイヤーというのは、
たとえ上手くても、
必要な感情やメッセージを伝える能力に欠けると言うことができると思います。

演奏時の状況やお客さんの状態についても同じことで、
たとえば、awkwardな状況のときは、
awkwardな演奏にやり、
機嫌の悪いときは、機嫌の悪い演奏になり、
気分の良いときは、気分の良い演奏になる。

これは、自然なことであり、
むしろこれができるプレイヤーが、
本当に優れたプレイヤーだと思います。

いつも同じに均質な演奏になるのであれば、
それはたとえ上手くても、
シンセサイザー、シーケンサー、ロボットと
同じタイプの演奏なわけで、
(そして、そういうプレイヤーが、たくさんいるのも知っています)

ギターを通じて、
わらったり、泣いたり、
どもったり、つまったり、ため息をついたり、
そういうことができるのが、
本当に自然なプレイヤー。

だからこそ、
その場にポジティヴなエナジーが満ちているときや、
内部からメッセージがこみ上げてくるときには、
爆発的な演奏ができるわけです。

スケートボードに置き換えれば、
その時のawkwardな状況や、
路面の状態が、
パフォーマンスに影響するのは、
むしろ足下の状況に敏感な証拠であり、
それは繊細なボードコントロールを可能にする
能力でもあります。

けれどもそこを克服するのは、
やはり経験であり、訓練です。
まあ自分はまだまだ未熟だなということを思うと同時に、
こと日本の路上においては、

パークや状態の良い練習場所で普段使用する、
ハードウィールをつけたレギュラーのデッキの他に、
普段の街中の移動(プッシュのみ)に快適に使用する
ミニクルージングボード、
それからもうひとつ、
ストリートでそれなりにトリックも決めたいときに使用する、
そのレギュラーとクルーザーの中間に位置する、
ソフトウィールを付けたレギュラーデッキ、
これも必要になってくるな、と感じた次第。
ソフトウィールなら、路面が多少荒くても、
あまり影響を受けませんからね。

ギターの話に関連づけたところから、
話がぜんぜんそれましたが、

思ったのは、
初心者卒業のタイミング。

もううかうかしてると、そろそろ、
自分もスケートボード初めて一年半になりますが、

毎日やってるわけでもないし、
練習頻度は人それぞれですが、
それでも始めた日から起算すると一年半。

いつ初心者を卒業するのか、ということ。
自分は、スケートボードはとても難しいスポーツだと思っているので、
1、2年やったくらいで初心者を卒業できるとは思っていません。
(子供とか、若い子とか、吸収の早い人、才能のある人は別として)

でも、どこかのウェブサイトに、
「トレフリップができたら、もはや初心者ではない」
と書いてありました。

トレフリップというのは、360キックフリップのことですが、

自分は、フラットのトリックを中心にやっていることもあり、
今、ベリアル(バリアル)フリップもできていて、
スリーシャヴ(360ショービット)も、
なんだかだいたい出来ていることから考えて、

たぶん今までのペースからして、
数ヶ月本気で練習すれば、
トレフリップ、出来るようになると思います。

でも、その「トレフリップができたら初心者卒業」というのを見たときから、
僕は決めていました。
「よし、じゃあトレフリップは最後にとっておこう」と(笑)

なぜなら、まだ僕は初心者を卒業したくないからです。

そして、自分はまだまだ初心者卒業できる実力がないこともわかっています。

フラットのトリックこそ、いい感じのスピードで習得してきたけれど、
パークのセクション、
アールや、バンク、レッジ、レールなど、
あんまりちゃんと習得してないし、
先日のようにいきなり街中に出ても良いパフォーマンスができない。

いっちょまえのスケーターというのは、
そういういろんなセクションやテライン(terrain)が、
全部ひととおりこなせる、ということだと思います。

なので、俺は、
「これができたら初心者卒業」
という基準を、自分で決めることにしました。

それは、

「ウォーミングアップなしにいきなり街中に出て、
基本的なトリックがひととおり出来るようになったら初心者卒業」

という基準です。

基本的なトリックというのは、
オーリーからはじまって、ショービット(shove it)、180、キックフリップ、
あたりのことです。
もちろん、マニュアルやノーコンプライも含めます。
ヒールフリップは苦手なので免除(笑)

街中ですから。

ようするに、いきなり街中で人前で、
基本的なことがひととおりこなせるようになったら、
ということ。

歩く前に準備運動をするやつはいない。
自転車に乗る前にウォーミングアップをするやつはいない。
ラーメンを食う前にウォーミングアップをするやつもやっぱりいない。
(お祈りはするかもしれないw)

それくらいの日常動作になったら、
っていうことですね。

ハードル高いと思います。

特に心理的なハードル。

以上です。

あともうひとつ、
トレフリップを最後にとっておきたいのは、
トレフリップができた次には、
インポッシブル(ollie impossible)に挑戦したいから、という狙いがあるからです。
そこまでに、ちゃんと必要な基礎を積み上げておきたい。
だから、トレフリップの習得を焦りたくない。

つまり自分にとって憧れのトリックとは、
トレフリップではなく、その先にあるインパッシブルだということですね。

No(3520)

■…2014年 3月26日 (Thu)…….Rock the nation
日本のロック、というよりは、
日本の近代の歴史、
というよりは、
アジアというか世界の歴史を見る上で、

どうしてもロックにおいてもそれは西洋というか欧米主導だったと思う。

それは、世界がそういう構造になっていたからで、
そのことはどうしても否定しようがない。

たとえば、じゃあギターを通じて見てみれば、

今、どの世界でも、中国がいろんなものをコピーして、パクって、
質の悪いコピー商品を作っている、と言われるけれど、

これはよく言われることだけれど、

ギターの世界では、その昔、日本のメーカーが、
同じことをしていた。

ただ、そのうち、日本のメーカーの作るコピー商品の品質が、
欧米とかアメリカのものに追いついて、ある意味、追い越してしまった。

これもよく言われる歴史的事実ですね。

そこに日本人はもちろん誇りを持っていいし、誇りを持つべきなんだけれど、

でもやはりエレクトリックギターや、ロック音楽がアメリカやイギリスで発祥し、発展したものであることは変えようがない。
(アフリカがどう、とかは難しいんで勘弁してください。レゲエは好きですが、そこまで詳しくはないです。)

で、21世紀の現在、アメリカやヨーロッパの力も相対的に低下し、
アジアやアフリカの存在感も増してきて、
この先、世界史がどうなるのかわからんけれど。

どうしてもアジアの近代史を見ると、
欧米に搾取され、支配されてきた歴史的背景があって、

どうしてもそういう被害者的発想というのか、
奴隷根性というのか、
負け犬根性から人生の発想が始まってしまう。

中国の人たちの国民性を批判する人たちは、
そういった点をよく指摘すると思うけれど、

実はそれは日本人にあっても、同じではないかと思う。

どうしても、生活していく上で、生きていく上での前提が、
搾取され、支配される側の、「敗戦国ならでは」の発想になってしまうし、
そういった前提の上で生活や社会が成り立っている。

これは、若い人にはあまり関係がないようで、
実は若い人ほど知らないうちにその枠の中に収まってしまっている気がする。
つまりそれがあたりまえの社会の前提になってしまっているから。
そのあたりまえを疑えるやつはなかなかいない。
(逆のことはたぶんアメリカとか欧米の若い人たちにも当てはまるのだけど)

そこにどうしても日本人の国とか民族としての霊的な限界があって、
その限界を打ち破らない限り、より高いレベルへの発展は、
経済であれ文化であれ外交であれ望めないと思うんだけれど、

そして、そういった負け犬根性というのか、支配される側のコンプレックスから脱却しないと、
本当の意味での日本人としての自己認識とか、
本当の意味での愛国心といったものは生まれない。見つけ出せない。

けれどもそういったものから脱却できる人は多くはないし、
さっくり脱却しちゃう人もけっこういるけれど、
多くの場合そういう人は「自分は愛国者ですよ」といった見た目をしていない(笑)

どちらかというと、
負け犬根性とコンプレックスにがんじがらめになって
被害者的発想から逃れられない人たちの方が、
愛国者らしい見た目や発言をしている(笑)

じゃあどうやったら、
Led Zeppelinみたいなリフを鳴らして、
その音で国を作り上げていくことができるのか。

本当の意味で、
日本人のDNAの本質に迫るロックを鳴らすことができるのか。
そもそも、そんなものが本当に存在するのか。

Zazen Boysとか聴いておけばそれでいいのか(笑)

たとえば日本のヘヴィメタル、ジャパメタの歴史っていうのは、
基本的には日本人が欧米に憧れてロックを鳴らしてみた歴史だと思う。

日本の歴史上、本来の意味での市民革命がなかったように
日本にまだロックンロール革命は起きていないのか。

でもわからんけど、
やっぱりアメリカとか行って見てみると
この国はやっぱりロックンロールで作られ、
ロックンロールで出来ているんだな、と
感じることがある。

立場の違いはどうにもならないが
かといってやはり
正直に楽しくやってるやつらに勝てやせんよ。

日本に生きていると、
それとは対照的に、
この国は今、
アイドルで出来ているなあ、と感じる。

それが好きなら構わないが、

俺は嫌だ。

ロックで新しい国を作るにはどうしたらいいのか。

ロックで本当の日本を取り戻すにはどうしたらいいのか。

俺が思うにそれは、、、、

おっと時間だ。

じゃあ(笑)

No(3531)

■…2014年 3月26日 (Thu)…….Spiritual guitars
連休中に、嫁さんに連れられて、
関西方面(大阪、奈良、神戸)と少しばかり旅行をしたが、

関西にはおもしろい楽器屋さんがたくさんあるので、
そのうちのふたつを訪れて、
楽器を試奏してみた。
楽器は買わないけど、小物アクセサリーだけおみやげに買った(笑)

僕は昨年から、日本のギターメーカー、Deviserさんの大ファンになったけれど、
そのメーカー(Bacchus、Momose)のギターをいくつかためすことができた。

つまりは、バッカス、モモセが、まとまって置いてあって比較できるなんていうお店は、都内にもあんまりないからだ。

それ以前にも、
いくつか試していたので、
いくつか試してみると、
Bacchus、Momoseのギターにも、結構個体差があるのがわかる。

どれもが良い、とは言えないかもしれない。
個体によって、結構タイプが違ったりする。

ただ、どれもクオリティはやはり高いと思う。

今回、Momoseの高いレスポールを2本試してみたのだけれど、
正直、自分にはぴんと来ず、
この方向性だったら、むしろもう20万、30万出して、ギブソン買った方が良いんじゃないか、と思った。
ギブソンも、良いものを作っていると思うから。なんだかんだいって。

でも、Momoseのレスポールにも、たぶんいろいろな種類があるのだと思う。
いろいろな方向性のものがきっとあるのだろうと思う。

いくつかDeviser社のレスポールタイプを弾き比べてみたところ、
モデルによって方向性がはっきりと定まっているっぽいことがわかり、驚いた。

そして、たぶんそれらの方向性の違いは、
はっきりとわかりやすく、見た目のデザインに表れている。
おそらく、だけど。

これはとても親切というか良心的で、
だから、Deviser社の楽器は、わりと見た目のイメージと音が、
一致しているのではないか。

クラシックな見た目のものは、たぶんクラシックな音がするし、
モダンな見た目のものは、たぶんモダンな音がする。

同じモデルであっても、塗装の色が違えば、楽器としての傾向も違うのではないか。

今回、ためしてみた、Momoseのレスポールは、オーソドックスな、クラシックな見た目のサンバーストレスポールだったが、
そういうオーソドックスな音を目指したのかもしれない。
でも、用途にもよるが、そういうのを欲しているのであれば、素直にギブソンに行った方が早い気がするし。Momoseがそれをやる必要があるんですか、という。

対して、BacchusのDuke Standardを試してみたが、
これは、形こそレスポールの形をしているものの、音の方は、かなりモダンな、レンジが広く、素直で、きめのこまかい音だった。
その方向性は、なかなかに好みで、好感が持てた。
レスポールらしくない音かもしれないが、僕はもともと、レスポールは好きではないので、こういう「ちょっと違う」レスポールの方が良いと思うのだ。

対して、BacchusのClassicシリーズのBLP-STD-FM(すでに生産中止モデル)は、モダンとクラシックの中間くらいの、クラシックな太さや透明感と、モダンなきめのこまかさを合わせ持つような印象だ。

フィリピン製のマンゴーを使ったレスポールカスタムは、試したアンプがあまり適していなかったので、あんまりよくわからなかったが、かなりじゃきじゃきとした倍音が印象的だった気がする。あとはまあ、やはり素直な音で作りは良かった。

さて、で、結局、良い楽器というものはどういうものなのか、というと、
結局は、弾く人と共鳴する楽器ではないかと思う。

弾く人と、「霊的に」共鳴する楽器。

プレイヤーの肉体と、そして鳴らす音楽の方向性と、共鳴する楽器。

だから、いちばん大事なのは、
プレイヤー自身が、技術的に、肉体的に、そして霊的に成長することだ。

そうすれば、楽器から、より大きなポテンシャルを引き出せるようになるし、
より霊的に高いレベルの楽器と波長があって共鳴するようになる。

だから、結局のところ、プレイヤーは、
自分の霊的なレベルに合った楽器しか鳴らせないのだ。

プレイヤーは、自分の霊的なポテンシャルに合った楽器を使用するべきだ。

そこには、値段は必ずしも関係がないと思う。

No(3532)

■…2014年 3月26日 (Thu)…….premise
世の中の男性というものは、皆、戦争をしたがっている。
(皆、って、全員じゃないよ)

そして戦争の、争いの中に生きている。

そのことを理解すると、世の中のいろいろなことがすっと理解できた。

今までこのことを誰も教えてくれなかった。

世の中を生きるための「前提」というものは誰も教えてくれない。

本当に教えてほしいのはその部分なのだけれど、
前提というのはあたりまえのこととされるから、誰もそのことについて語らない。

どうしても世の中というのは善意のものさしで測るよりも
悪意のものさしで測る方がぴったりくるように出来ている。
知らなかったわけではないけれど、
やはり考えるとショックを受ける。

そのことを知った上で何かをするというのは
勝利なのか敗北なのか。
どちらにせよその上で鳴らせる音があるのであれば、
それが良い音で響きさえすれば僕は構わない。

平和を語る者は皆に憎まれ殺される運命にある。
それはこの「平和」なはずの日本においてもまったく例外ではない。

それは制度でも、理性でも、感情でもなく、
それよりさらに根本的な本能の部分での憎しみなのだろう。
(原罪ってやつかね)

そのことがやっと理解できた。

女性でいえば、
世の中の女性というものは
見栄を張りたがる、ということなのだろうか。

たどりつく先は同じで、
それは殺し合いということだ。

人が、心の中ですでに戦争をしているのに
どうして世界から戦争をなくすことができるだろうか。

「前提」というものを変えることができるだろうか。

それはまったく霊的なことであると考える。

嫁さんに連れられて連休に関西方面に旅行をした。
大阪、奈良、神戸と訪れた。

日本なんて、どこにいっても同じと思うが、
たとえ同じであっても、
場所が違えば、生きていく上での、
生活していく上での
「前提」というものが少しずつ違ってくる。

その「前提」にあわせて街が形成されるし、
人々の生き方のニュアンスも、
少しずつ違ってくる。

そのちょっとしたニュアンスの違いを求めて、
楽器のプレイヤーでも、
真剣になって理想の楽器を探すので、
やはりそのささいなニュアンスの違いというものは、
とても重大なことなのだろう。

そして「前提」が違えば、
鳴らせる音もやはり少しずつ違ってくるだろう。

そしてその「前提」を共にする者を、
人は仲間とか友達、と呼ぶのだ。

僕の「前提」は、
皆さんとずいぶん違ったかもしれない。
たぶん今も違う。

申し訳ないと思う。

「前提」という言葉にからめるわけではないが、

ある種の言葉には前提がある。

たとえば「愛してる」という言葉があって、
この言葉は、多くの人が口にするけれど、

その意味するところは、人によってまったく違う。
人によってそれぞれ違う。

同じように、
「信じてる」
という言葉も、多くの人が口にしても、
その意味するところは、
人によってまったく違う。

つまりはキリスト教や宗教的な意味での信仰においても、
「信じている」
という言葉があっても、

その意味するところは人それぞれでまったく違う。

だから、その意味するところを吟味しなければいけないのだと
最近思う。

信仰とか、
神との関係や、距離感、
そのスタイルも、人それぞれだし、
それでいいと思う。

けれども、大事なのはやはりその「前提」の部分だ。

「愛してる」
「信じてる」
という場合、
その言葉そのものが意味するものよりも、
その言葉が立っている前提の方に、
たぶん、より重大な意味がある。

僕が発する、
「愛してる」という言葉、
「信じてる」という言葉、

それは、たいしたことはない。

そんな立派なクリスチャンでもない。
嫁さんをどれだけ幸せにできる力もない。

けれども、その言葉の前提の部分、
は、自分の身の丈よりもあるいは大きいかもしれない。
前提を作るのは、自分ではなく神さんだと思うからだ。

ずっと前から
霊的な限界というものに、
ひどく突き当たっているが、

それでも自分は、
人が、争わなくては生きていけないとは
思わない。

社会にルールは必要だ。
でも、人の心が成長すれば。
「霊的に高いレベルにあるならば」
そもそもルールすら必要なくなる。

キリストが律法の完成者というのは
そういうことだと思う。

ルールは宇宙そのものに書かれているんだよ。
神の石盤ってそういうものだと思う。

だから僕はルールを決めるのは好まない。

「人を殺してはいけません」
なんて言わなくても
自然にそうなるのがいちばんいい。

日曜日、
大阪で地下鉄や電車に乗ると、
「今日は市長選挙の投票日です。皆さん、必ず投票に行きましょう」
とわざわざ駅や電車の中で放送していた。

これはやばいんだと思う。

大阪市民ではなくて、現代の民主主義そのものが。

前提の部分を変えていきたい。

100年、50年、いや30年くらいかけて。

そんなに時間、ないからね。きっと。

国そのものを作っていきたいよ。

自分のギターリフと、そのサウンドで。

No(3533)

■…2014年 3月26日 (Thu)…….133 lbs
旅行中になるべく食べるようにしていたので
体重が60キロちょうどくらいまで戻った。
良いのか悪いのか。
いや良いことだと感謝している。
年齢的には決して太らないわけではない。
こういうのは単純に生活スタイルの問題だと思う。
僕だってオフィスワークをやっている時は体重が増え気味の時期もあった。
でも貧乏ミュージシャンで食生活も質素、
スケートボードと、世間の人たちに申し訳ないくらいの肉体労働をやって、
食べることも忘れていろいろな作業をしていたりすると、
どうしても体重は減る。
しかし自分の体形だと58から61キロの範囲内になんとかとどめておくのが理想で、
理想的には59キロといったところだろうか。
また太れる時期が人生の中で来るだろうか。
体を動かすにはある程度スマートな方がいいが、
歌うにはある程度体重があったほうが良いと思うのだ。

No(3534)

■…2014年 3月26日 (Thu)…….DH Extremist
Demon Hunterの新作”Extremist”を聴いてみたが、
あまりにもポップ、シンプル、平易になっていて軽くショックを受けた。
何曲かは先行公開されていたし、ちょっと予想はしていたんだけれどね。
けれども、何度か聴いてみると、これもアリなのかなと思い受け入れられるようになってきた、気もする。
思えば4枚目のアルバム”Storm The Gates of Hell”もかなりポップな作品だった。
けれども、今回のこのアルバム”Extremist”はそれ以上だ。
それ以上にポップで、メロディアスで、このメロディはもはやJ-Pop並のポップさと言っていい。
もはやメタルコアと呼んでいいのかさえ定かではない。
Demon Hunter特有の高度さや難解さがあまり感じられないのは残念だけれど、
若い子たちにはこの方が人気が出るかもしれない。
メッセージ性は強いみたいだし、ところどころにDemon Hunterらしさも残っているので、
むしろこのベテランにして、今から若返って若い世代向けのストレートでシンプルな音楽をやれることに敬意を表するべきだろう。
でもやっぱ、ちょっとあまりにも平易な作風なので、ちょっとdissapointment(落胆)かなあ。

(その一日前に書いた感想)
Demon Hunterの新作をさっくりと聴いたが、
軽く予想はしていたが、これは僕としてはbig dissapointmentだった。
つまり、あまりよくなかった。
先行公開されていたひとつふたつの楽曲は、ちょっとイージーな感じはしたが悪くはなかったし、メッセージ性も強そうだったのだが、
アルバムを聴いてみると、
なんとなく事前に悪い予感がしていた
非常にポップで安直でわかりやすくなってしまっているのではないかという
悪い予感がきれいなまでに的中していた。
僕はもう基本的には(人生の中で新しい音楽を聴く時間は多くは残されていないし)新譜とかはCDの盤で買うことはあまりしないでおこうと思っているがこのDemon Hunterに関しては嫁さんが買ってきたのでCDの盤だ。
メロディのあるバラードが多いし、歌詞を読んでみれば強いメッセージ性がこめられているかもしれない。
だけれども、音楽を聴くかぎりでは、これはよくない。
ギターの音も非常によくない。
世の中の潮流にあわせ、どんどん「加工して噛み砕いて与える」系のサウンドになっている。
これは若い世代になるにつれて、ギターの音でも、そのままでは固くて食えないからだ。
これは、まずい傾向だ。
なんか最近、お気に入りのバンドがどんどんだめになっていく。
残りの人生、何を聴いて生きていけばいいのだろう。

No(3535)

■…2014年 3月27日 (Fri)…….DoDai
思えばこの21世紀、インターネット時代、情報も何もかもsaturate(飽和)しきったこの時代に、無名のバンドを続けて、何年かしら、10年以上。
このツアーが終わったら、この作品を作り上げたら、もう音楽なんてやめてしまおう、と、毎度のように思い続けて、あるいは、誰も聴いてくれないのだとしても、せめて神様に捧げようと思ってクリスチャンロックを始めたり。もう曲なんて1曲たりとも書けねえ、と毎度のように思いつつ。
今、僕らのバンドは”Revive The Nation”という作品の録音をしており、この前の年末年始には、その次の作品であるコンセプトアルバム”Jesus Wind (仮)”の楽曲もできてしまったわけですが、で、もう、血を吐きながらそれらを作ったらもう終了だよね、もう限界の限界だよね。と思っているわけですが、その先のヴィジョンというものが、先週の関西旅行と前後して与えられてしまい、その先の楽曲もなんだか降り注いできています。音楽を通じて神さんの声が聞こえることはよくあるので、神さんの声が聞こえたには、「やっと土台が出来たな。次はその上に城を建てよ。」・・・やっと土台、やっと土台ですか。もうなんか卒倒しそうな。マンガのヒトコマのように、文字通り鼻血を垂れながらふっと卒倒しそうな気分に、もう顔をひきつらせて笑うしかないんですが。やっと土台ですか。やめときゃよかった。まあ、1999年頃でしょうか、あるいは1998か2001か、その頃、始めた頃に、そもそも僕はロックスターみたいのに憧れる少年ではありませんでしたので、そもそも僕らの時代、僕の器量ではそういうの無理だとわかっていましたので、ああそうだ彫刻家になろう、画家になろう、陶芸家になろう、と思って始めましたので、そう思えば、まだまだひよっこなのは当然といえば当然ですが。これらの芸術家は、たぶん50歳でもまだ若手だと思うので。ロック音楽がクラシックになっていく時代には、まがりなりにも作り上げるってことはそういう世界になるわけで、それは二十歳の頃から承知していた、はずなのですが、やっぱきついって。願わくば、土台を建てるのは大変でも、城を建てるのはそれよりも楽なことを祈るんですが。つっても今、土台の最後のあたりをやっと作ってるわけで、実際にこの城の部分に取りかかれるのは何年後のことか。とほほ。すべてがsaturateしたこの時代にあって、本当のofferingを世に贈るためには、どうしたらいいか、ずっと考えてきましたが、大成できるといいんですけどね、ほんと。生きていられればね、それまで。夢、夢ですか。いつも思うんですけど、僕の夢は音楽をやめて静かに暮らすことです。どこか、遠く離れた場所で。いつかそうやって死ねたらよいです。

No(3546)

■…2014年 3月27日 (Fri)…….どうだい
たぶん土台を作り上げたときには、まだ元気が残ってて「どーだい!」って言えるんだろうけど、
城を作り上げる頃にはたぶんもう「勝手にしろ!」ってなってるんだろうな。

No(3547)

■…2014年 3月28日 (Sat)…….Oyaji Edge
たとえばね、今の時代はオヤジバンド全盛で、
ロックバンドなんてものは、若者がやるものではなく、
年配の人々がやるものという感じになっている。
だから、レコードを売る方も、楽器を売る方も、コンサートを売る方も、
そういうマーケットが出来上がっているのは周知の事実だけれど。
今はインターネット時代なので、いろんな人々が情報を発信している。
だから、そういった非常に高いレベルで趣味の音楽をされている人たちの様子も、見ることができたりする。
たとえば、そういう人たちは、非常に優秀なビジネスマンであったり、会社の取締役であったり、よき家庭人であったり、まっとうな会社員であったり、するかもしれない。
一般のバンドマンよりも、お金を持っているので、また趣味を追求する熱心さもあれば、非常に良い楽器を使っていて、また非常にそういったことにも詳しかったりする。
そしてそういった、たとえば優秀なビジネスマンの方々であれば、どうしてもやはり優秀な方々であるので、たとえ音楽は、学生の頃やっていただけだったとしても、日本という土壌からいっても、やはりはっきりいってそのへんのバンドマンよりも、よほど才能があったりする。そして音楽以上に、人間として優秀だったりもするので。
そういった才能のある人たちが、音楽をやるのではなく、まっとうな社会人になっていってしまうのは、日本の音楽の悲しい状況として、以前も書いたことがあると思うけれど。
そういった方々が、40代なり、50代なりになり、趣味のギターもかなり追求して、もちろんそういった人々は、カバーバンドとか、コピーバンドをやることが多いとは思うのだけれど、もしそういった人々が、オリジナルのバンドを始めたとしたら。
そういった人たちのやっているコピーバンド、カバーバンドは、大抵において、素晴らしく優秀なものだったりするけれど、そういった人たちが、オリジナルのバンドを始めたとしたら。
いったいどのようになるだろう。
見てみたいと思う。
というのは、バンド、音楽というのは、立場とか肩書きは関係ない。
そういった、まっとうに社会の中で生きてきた人たちであっても、
もし、出てくる音が、素晴らしいものであったら、それは素晴らしいからだ。
そういったことを既にやっている人たちも結構いるかもしれない。
本格的にやっているバンドマンたちだって、大なり小なり働いてお金を稼いでいるので、そのあたりの線引きは難しいとしても。
ただ、メッセージを持ってバンドとして本格的にばりばりやるのは難しいかもしれないが、もしそういう立場のオヤジバンドの人たちであっても、
ぎんぎんにとんがって、メッセージとロックを発するような人たちがいれば、ぜひ拝見したいと思うのだ。
普通に考えれば、5万円のepiphoneとかFender Japanを使っている、若くてとんがったバンドマンの方が、やはりオリジナリティとメッセージ、エッジを持った音を出す。
だが、だからこそ、がつんとくる「オヤジバンド」というものを、見てみたい。
自分がそういうオヤジになればいいのかもしれないが(笑)
(Only if I can be one.)
(そもそも僕が、まともな「オヤジ」になれるとしたらの話だが)

No(3548)

■…2014年 3月30日 (Mon)…….My Jesus
また無茶に聞こえるかもしれないし怒られるかもしれないが、人は360°完璧ってわけにはいかないが、神様は360°全方位、人のニーズに完璧に答えてくれる。キリストさんは君の求めるヒーローだ。黒人がよければ黒人に、白人がよければ白人に、アジア系がよければ(ユダヤ人だが)そのように、ロックミュージシャンがよければロックミュージシャン(JESUS ROCKS!!)に、ジャズミュージシャンがよければジャズに、釣り人にも、料理人にも、大工はもちろん、スパイにだって大泥棒にだってなってくれる。バイクに乗ってるやつもあったね。ジーザスだったらきっと水の上でもスケートボードできるしquadruple kickflipとか人間離れしたスケーティングをするだろう。人の考えの範囲には収まらないかもしれないが、信仰ってそういうことだろう。俺の求める救いのキリストさんはどういうものなのか。はっきりと考えてみる時だ。きっと答えてくれる。そういうキリストさんに俺も憧れ、それを目指して生きればいい。

No(3554)

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