2014年9月の日記

■…2014年 9月 4日 (Fri)…….危2
結局のところロックンロールなんてものは、
エレクトリックギターがあり、エレクトリックベースがあり、
またドラムキットがあったとして、
それでいったい何をやるか
その上でいったい何を鳴らすかという
それだけのことだと思うんですね。

僕がエディ・ヴァン・ヘイレンを誰よりも好きになったのは、
彼のギタープレイが凄いとか、テクニカルだとか、速いとか
そういうことではなく
「エレクトリックギターでなにをやるのか」
というまさにその部分に他ならなかったわけです。

たとえば、ストラトとかFender系のギターがあったとして
ちゃりーん、と鳴らす人もいれば
ぺけぺん、と鳴らす人もいれば、
ばりーん、と鳴らす人もいるわけです。
ぐわーん、と鳴らす人ももちろんいる。
ぴろーん、と鳴らす人もいるでしょう。

それだけ、幅のある中で、
どういうことをやるのか
それは本当に自由で、無限だと思うわけです。

で、人間が、その中で
いったいどれだけ価値のあることをやれるのか
あるいは、その中に、いったいどれだけのどのような価値を見出すのか。

ここ数年、嫁さんに連れられて、メタル系、
それも80年代のヘアメタル系のコンサートを見せられる機会が多かったですが、
見るたびに、もういいかな、と思わなくもなく。

たとえば80年代も終わりの頃に出て来た、ヘアメタル最後の世代の中で、
Wingerなんかはもっとも洗練された、高度に複雑なヘアメタルの最終形、
Danger Dangerなんかはもっとも華やかでポップなヘアメタルの最終形、
Firehouseなんかは生活に根ざした親しみやすいラジオ向けヘアメタルの究極形だったと思うわけです。
(そして僕の好きなTrixterなんかは、80年代ヘアメタルが生み出したもっとも純粋なアメリカンスピリットの申し子だったと思うわけです)
(そしてExtremeあたりになるともはやヘアメタルの枠に収まらないですね)

でもねこういうバンドは、どういうわけか、やっぱりライヴを見るとがっかりしてしまうことが多いんですね。

そこはやはり、「楽器を使って何をやるか」
そこに楽器があったとして、エレクトリックギターがあったとして
それを使って何をやるか、という根本の部分の違いなのだとやはり思います。

そういう意味でいえば、これはよく指摘されることではありますが、Van Halenはやはり、70年代のバンドなのだと、いうことだと思います。

たとえば80年代ヘアメタルなんかでも、80年代のはじめの方、RATTくらいだとまだ、ロックを鳴らすことの本質にかなり迫っている気がする。彼らなりに、ではありますが。

時代が進み、演奏や楽曲が洗練され、高度になるにつれて、やはりロックの本質の部分は薄められていたのだなということを感じる。

僕はWINGERはすごく好きだったのですが、彼らのライヴを2度見て、まあ一度見ただけでわかりましたが、ああ、これは、たとえば当時、WINGERがスラッシュメタルの人たちからばかにされていたというのが、理解できるなあ、と思ってしまいました。腰に来ないんですよ、Wingerの楽曲って。特にライヴでは。

そしてこれはまあ、お門違いではありますが、今日のDanger Dangerなんかを見ても、まあそれは、こういう音楽が溢れていたのであればそれはもう、Pearl JamやSoundgardenあたりにひとまとめに蹴散らされて当然だよね、という感じがします。

そういうわけで、80年代ヘアメタルのひとつの究極の形であり、もっとも華やか、もっともキャッチー、非常にきらびやかな、Danger Danger、見ることができました。

こういうバンドは、そうね、やはり太っちゃうと。
出て来た瞬間に、ああ、これは、とわかってしまう。
大事なことだと思います。

たとえばちょっと前に見たTrixterは、歳をとって、髪が短くなり、あまり日の目をみなかった売れないバンドの哀愁を感じたとしても、それでもやはりかっこよかった。
まあ確かに太ってはいませんでしたが、
それは彼らに、「何か」があったのだと思います。
今を確かに、ロックンロールして生きる何かが。

感想は。
アンディ・ティモンズ、職人ぽくて、かっこいい。
Ibanezのストラトタイプもすげーばりんばりん鳴ってた。
(かなり、お仕事的な感じの演奏ではありましたが)

そして、
テッド・ポーリー。
ものすげえ、上手いけど。
俺はぶっこわれシンガーではありますが
良くないときのテッド・ポーリーよりも、
いいときの俺の方が、たぶんいい(笑)

理由は書かない(笑)

でもね、ショウの最後に、じゃーん、とギター鳴らして、
5人そろってなんとかレンジャー、みたいに
“Together we are Danger fxxxin Danger”
とテッドが叫んだときに、ちょっと、一瞬、きゅんとした。
当時のきらめきを垣間みたようで。
ああこれ、ずっと昔から、やってるんだろうな、って。

もう見飽きたよ80年代ヘアメタル。
あるいはせめて彼らが若いときに見たかったよ。

今年は初頭に見たAlterbridgeはかなり良かったが、
今年はそんなにコンサート見てないし、
ブッチャーズ吉村さんはもうこの世にいないし、
プラスマイナスも来日しないし、
このぶんだと自分的今年見たベストコンサートは
CODAMA Throughこと熊谷幸子さんが持っていきそう。

僕はどのコンサートでもたいてい、
歌ってさわいで頭ふって、のりのり(Naughty Naughty)に見えるかもしれませんが
もちろん楽しんでますが
本当に心から楽しんでるときは、わりと少ないです。

そういった本当に好きなミュージシャンのコンサートを見るとき
僕はたいてい、泣いてますから。最初から最後まで。

No(4260)

■…2014年 9月 4日 (Fri)…….ステイトメント
これもすごく今更なことなんですが、
そして、ずっと前から思っていることで、
何度も話したりはしてることではありますが、
そして、音楽を知っている人なら、
「楽曲が大事だ」ということは
誰でも言っていることではありますが。

ギタープレイヤーにとって。
これは、一応、ハードロック、ヘヴィメタルの文脈の中で話すことですが、

ギタープレイヤーにとって、
どれだけのテクニックを持っているか、
どれだけ精度の高いプレイ、速いプレイ、すごいプレイができるか、
そのことよりも、

そのプレイを取り巻く環境、
つまり、そのプレイを最大限に生かす楽曲、
つまりは、
そのプレイが最大限に生きるための世界観
というか
そのプレイがもっとも輝くための世界そのものを作りだすこと
の方が
10倍くらい大事だと。

たとえば、それは、ポケモンがあるとして、
まあ僕はポケモンのゲームもアニメも何も知らないので間違ってるかもしれませんが
あるポケモンが、水の中での戦いに強いとすれば、
でっかい水槽とか池の中でバトルをすればいいわけです。
また、あるポケモンが氷の上での戦いに強いとすれば、
「アイスフィールド!氷の結界!」とか呪文をとなえて、
あたり一面の地面を凍らせ、
「ははは、これでこちらのパワーは2倍になった。お前に勝ち目はない!」
と高笑いすればいいわけです。

だから、ギタープレイヤーが、バンドの中でやるべきことは、
プレイそのものを磨くのももちろんですが、
そのプレイがもっとも生きる、輝くための、
「氷の結界」とか「異次元空間」とかを作ることですね。

ギターヒーローと呼ばれる人たちは、
たぶんそれが出来ているんだと思います。

楽曲、バンド、サウンド、環境、
すべてにおいて。

そしてギタープレイというか、
ギターソロというのは、「ステイトメント」だと思っています。

ステイトメント、日本語だとなんて言えばいいんだろう。
宣言というか、演説というか、とにかくメッセージです。

演説者が言葉で伝え、
ボクサーが拳で伝え、
ランナーが走りで伝えるそのメッセージを、
ギタリスト(ソロイスト)はギタープレイで伝える。

メッセージのないギターソロはだめだと思います。
主張というか、ステイトメント足りうるギターソロこそが、
曲の山場をさらに高めることができる良いギターソロだと
思っています。

では、
どうやったら、「ステイトメント」を鳴らし、伝えることができるのか。

さあ・・・

No(4261)

■…2014年 9月 4日 (Fri)…….F-EVH-G
昨年、自分のギタリスト人生の最終回答、「猫ポール」(キジトラ模様の日本製レスポール)に出会い、ギタリストとしての価値観が大きく変わった僕ですが、
前にもちょっと触れたように、
最近、マイメインメン(ヒーローという意味っすか?)であるEddie Van Halenも、EVH Wolfgangの最新モデルを、すっかりレスポールにしちゃってるんですよね。
さすがエディさん、僕ごときが出した結論にはとっくに先にたどりついてますね。

ていうか、これってなにげに、FenderにおもいっきりGibsonギター作らせちゃったってことでしょうか。(EVHはFender所有のブランドですよね)
そして、Fender傘下でGibson系ギターを作れる人たちっていったら、ひょっとしてもしも元Hamerの人たちが作ってたりしたら、とても素敵かもしれない。

で、このモデル、ネックのヒールの部分が削ってあったりとか、それってMomoseのレスポールも同じことやってたかも。ううん素敵。

たとえばねアメリカとか外国に長い旅に出るとして、死出の旅路というか(笑)
そこに「猫ポール」を持っていったとしよう。
で、もし「猫ポール」が壊れるなり盗まれるなりして、その代わりが務まるギターが必要だ、となったら、どうするか。

僕は現実には長いツアーとか死出の旅路に出るならたぶんHamer Vectorを持っていく可能性が高いと思われ、それは、「質の良いレスポールはたぶんどこかにある。けれども質の良いヴィンテージ系フライングVはそもそも数が少ない」という理由。

なので、質の良いレスポールは、今時、良いギターを作る人たちはたくさんいるし、どこかにはきっとある。

けれども、現実に、「もろヴィンテージ」ではなくて、ヴィンテージの良さを兼ね備え、なおかつハイゲインかつオープンかつトランスペアレントな未来的ハードロックにも対応できる楽器、というと、
実は「猫ポール」の代わりとしていちばん確実かつ有力なのは、このEVH Wolfgangのレスポールタイプかもしれない。(予算に糸目をつけなければ、ね笑)

結局、どこまでいっても、偉大なるEVH (Eddie Van Halen)の手の中から出られないようです。(泣)

こちら

No(4262)

■…2014年 9月 4日 (Fri)…….metal heyday
80年代のギターは良くない、とか、sh….だ、とか言う人も、たくさんいるけれど、
これを見る限り、そうは思えないなー。すげえ鳴りじゃん。
この前もYTでマイケル・ジャクソンのDirty Diana見て、Steve StevensがHamerのCalifornianを弾いていたけれど(ビデオでは)、すごい太い音してた。
うちにあるB.C.RichのオールメイプルのGunslinger(日本製?)も、なかなかいい音がするよ!

こちら

No(4263)

■…2014年 9月 9日 (Wed)…….ステレオセット
ひさしぶりに数日、実家に帰省をしておりました。
なぜだか、妹の旦那さんが釣ってきた大量の魚をさばいたり、母親に英語のレッスンをしたり。あとはピアノを弾いて。そして2匹のコーギーをなでまわしてきました。
実家の皆さんも元気そうでよかった。
ところで実家には、古いステレオがあります。
パイアニアの、古い、大きなステレオ。
こういう大きなステレオセットも、今ではあまり見かけないのではないでしょうか。
大きくて立派ですが、そして、映画を見たりクラシックを聴いたりするのには、わりあいと良いのですが、正直、音楽、ロックを聴こうと思うと、やはり80年代の音楽を聴くために作られた製品であり、中音域に音が固まってしまう感じがします。また、スピーカーの配置や、置いてある環境も、決してベストとは言えません。
そういうこともあって、自分で音楽を作るようになってから、ずいぶんたちますが、自分で音を作ってみて、ヘッドホンや、モニタースピーカーや、ラジカセや、ミニコンポや、いろんな環境で、うまく鳴ってくれたとしても、この実家の古いステレオセット、この環境で、きちんと鳴ってくれる、ということが、なかなか難しかった。なんというか、最強の敵というべきか(笑) けれども、今年録音制作して、8月にミックスの修正を終えた”Revive The Nation”あらため”Revive The World”ですね、これ、このステレオで鳴らしてみまして、鳴ってくれた、やっと、思ったとおりの音で鳴ってくれました。
この「最後の難敵」たる実家の古いステレオをついに克服した、ということで、ああ、やっと、なんかたぶん、理想の音にたどりついたな。と思います。ちょっとした感慨。それだけ。ちなみに、今、自分の部屋にあるのは、Fostexのちっちゃなモニタースピーカー。ちいさいので、低域は割り切って判断してますが、けっこう、頼れます。以前はもっと大きなタイプのモニタースピーカーも持っていたんだけれど・・・もっと大きな家に住むことがあれば、きっとまたね。

No(4267)

■…2014年 9月12日 (Sat)…….シャーピー
In USA, people call it sharpie. In Japan, most common way to call it is “Magic”. 油性ペン。アメリカの人たちはシャーピーって呼ぶみたいですね。商品名かな。なんだかシャーペンと勘違いしそうです。日本だと一般的な呼び名はやっぱり「マジック」?そう思ってみると、いろいろ呼び方ありますね。サインペンとか、マッキー(これも商品名?)とか、子供の頃なんて呼んでいたか、地域差もありそうです。「なまえペン」と呼んでいたのは、学校で持ち物に名前を書くからでしょうか。とまれ、最近BandcampでCDがよく売れます。嬉しい事です。しかしBandcampは自分で発送しなくてはいけないシステム。うちの場合、iTunesでもそうですが、買ってくれるのは殆ど海外の方々。郵便局のおばちゃんとも、すっかりおなじみさんです。そのうち、注文を自分でさばききれない、というふうになりたいものです。 ‪#‎sharpie‬ ‪#‎pen‬ ‪#‎internationalshipping‬ ‪#‎bandcamp‬ ‪#‎yourorderhasbeenshipped‬

No(4268)

■…2014年 9月12日 (Sat)…….XTJ2014進捗
To all whom concern, 関係者の皆様へ、
さて現状のThe Extreme Tour Japan 2014の状況を、ありのまま!お伝えします。

まず来日するバンドですが、9月11日現在、来日予定のバンドは、カリフォルニアのThe Lacks一組だけです。The Lacksは、昨年も来日した家族バンド。アメリカでもThe Extreme Tour西海岸の部のツアーリーダーである、The Extreme Tourの中心的バンドです。彼らは今年の夏には初めてのヨーロッパツアーを終えて、この秋もアメリカ西海岸のツアーを行い、その後、11月に日本に来ます。

なんですが、現状の計画上の問題として、The Lacksから、まだ来日のための飛行機のチケットを押さえたという連絡が来ていません。
昨年の場合、10月に開催しましたが、5月の段階ですでに参加バンドから日本行きのチケットを確保したという連絡が来ていたので、ブッキングや日程の計画を早めに立てることができたのですが、今年はその意味では計画が遅れています。

The LacksのScott Lackは、「必ず日本に行くよ」と言っていますが、僕たちは、彼らが決してお金持ちでないことを知っています。現に6月に彼らがヨーロッパツアーに出かけた際にも、彼らは片道のチケットしか持っておらず、「帰りのチケットが買えないから、寄付をお願いします」と行って、ロンドン空港に数日間足止め状態で寄付を募り、ようやくアメリカに戻ったということがありました。

日本行きのチケットに関しても、「お金が手に入り次第、すぐに購入する」と言っており、「そのために祈ってくれ」ということですが、現実には彼らが本当に日本に来ることができるか、リスクが残っており、ちょっと心配な状況です。

ただ、数日前のメールで、Scottから、飛行機のチケットの日程を確認したい旨のことが書いており、あるいはそろそろ飛行機を取る準備が出来たのかもしれません。
そろそろ取って安心させてくれよ、という感じです。

また、もうひとつのリスクとして、
日程の計画を立てる中で、
首都圏、東北、中部&関西、という計画を立てています。

このうち、首都圏は当然として、昨年ツアーした東北(宮城県石巻市、福島県いわき市)に関しては、多少無理をしてでも行くつもりでいますが、

中部&関西については、移動のための車、あるいはそのための予算、が確保できなければ、実質行くことができません。

これに関しては、皆さんから車を貸していただきたいのと、motiongalleryというウェブサイトにて、資金を集めるためのクラウドファンディングを開始しています。
こちら

クラウドファンディングについては、何件かの寄付をいただいていますが、まだまだ十分とは言えないため、ぜひご協力ならびに、拡散をお願いしたいです。

車に関しては、現在、一台は貸していただけるあてがあるため、The Lacksとその機材の移動のために、もう一台が少なくとも必要です。サイズは、大きい車でも小さい車でも構いません(なるべく大きい方が良いのは確かですが)。もし、11月1日から23日までの日程の中で、お貸しいただける方がおられましたら、ぜひご連絡ください。

以上の理由により、中部&関西の日程についても、まだ具体的に確定させることができないのが現状なのですが、車とツアー資金を確保しつつ、なんとか決定させるしかないと思っています。

という現状がありつつも、この第2回目のThe Extreme Tour Japanの開催に向けて、神様が助けてくれることを信じていますので、ブッキングは着々と進めています。

そして以下が現状のブッキング日程です!

11/2(日) ウェル洋光台(横浜) ハウスパーティー&アコースティックコンサート
11/3(月祝) 大久保水族館(新大久保、東京)にてライブ、B.D.Badgeと共演
11/4~7 宮城県石巻市 イベントはブッキング中
11/8(土) 福島県いわき市パラダイスブルーにてコンサート、地元バンドと共演
11/13(木) クロスストリート(横浜、伊勢佐木町)にてコンサート
11/14(金) El Puente (西横浜)にてライブ
11/15(土) 下北沢でのライブイベントにお誘いいただいています(正式発表はまだです)
11/16(日) 吉祥寺近辺に出没する予定です。イベントはまだ未定です。
11/17~22 予算、車が確保できれば、この期間で中部&関西に向かう予定です。イベント、コンサートはまだ未定です。

そんな感じですが、
でもきっと実現して、きっと楽しくなるでしょう!
またアップデートします!

No(4269)

■…2014年 9月13日 (Sun)…….Metal Japan コンピレーションCD
こっちのcgi日記に書いてなかったんですが、
Metal Japanさんのコンピレーションに参加しています!

うちのバンドとしては、
こういうコンピに参加するのは、とても珍しい、たぶん初めて?
いや、ペンシルバニア某所のコンベンションに参加したときに一度あったかな、くらい。

なぜなら、Metal Japanって、名前からしてすごく気合いが入っていて良い!と思ったから。
そして、ちょっとくらいは日本のヘヴィメタルの世界に足跡を残しておきたかったから(涙)

Metal Japanさんは、前身のThunder!さんのときから、うちの嫁はんがStryperのコラムを連載させてもらっていたのでした。
そういうこともあり、縁を感じて参加してみました!
素晴らしい!

うちのバンドのBandCampでも販売しておりますよ!

以下面倒なのでバンドブログこぴぺ!

Imari Tones is honored to announce that we were included in “Heavy Chains Vol.2″, Japanese heavy metal compilation CD by METAL JAPAN, Japanese heavy metal webzine!

Bunch of cool metal bands from all over Japan are on this CD. We have 2 of our songs included, which are “Faith Rider” and “Iron Hammer”.
Also, Tone’s side project “Atsuki Ryo with Jesus Mode” has 1 song included on this CD.

Being a part of compilation CDs is an important step for Japanese rock bands. So we are happy to be on this CD among other great bands.

METAL JAPAN “Heavy Chains Vol.2” is available on our BandCamp page.
$20 may seem like a bit pricy to those living outside of Japan (pretty normal for Japanese CDs), but there is no shipping fee. So take advantage of this opportunity and check out this CD and cool Japanese metal bands!
(For some price contract reasons, we take $1 shipping fee for shipping INSIDE Japan.)

Buy “Heavy Chains Vol.2” at BandCamp
こちら

Here is the track list
01 – THE END OF SADNESS / ALEISTER
02 – DOLL PLANT / DEATH☆LAND
03 – Cosmic Red / HEAT ISLAND
04 – Rebellion / Amalgam
05 – I feel myself / EASTERN SANDS
06 – You endure / EASTERN SANDS
07 – Faith Rider / Imari Tones
08 – Iron Hammer / Imari Tones
09 – Soldiers Into Hell / Atsuki Ryo with Jesus Mode
10 – 決壊前夜New version / Alchemy Crystal
11 – AufHeben / AufHeben
12 – Riot for the Reunion feat.吉村進也(BLAZE UP&WRECKING CREW) / Re-code the Name

METAL JAPAN webzine
こちら

Thank you very much.
God bless and Rock on!

Tak “Tone” Nakamine / Imari Tones

No(4275)

■…2014年 9月13日 (Sun)…….Jee-You
これもバンドブログのコピペ。

年末年始(2013-2014)に書けてしまった、
歴史ものコンセプトアルバム”Jesus Wind”(仮)の1曲目を予定しているこの曲。

既にバンドではリハーサルを始めていますが、
ジャパメタ丸出しのべたべたな楽曲です。
でも、戦うバトルソングです。

基本的には反戦の歌として書いたんだけれど、
読みようによっては、自由のために立ち上がって戦おう、というふうにも取れるので、
どっちの立場の人にも好きに解釈してもらえるという非常に便利な曲です(笑)

たぶん11月には初演できるでしょう。

Hello this is Tak from Imari Tones.
Today, I want to talk a little bit about “Freedom”.

Just take a look at this picture.
He is Scott Lack, a good friend of ours, from The Lacks.

Last year, we toured in Japan together on The Extreme Tour Japan.
That’s when he got this new tattoo on his left arm.
It says “自由” (Jiyuu). It means “freedom” in Japanese.
He also has a tattoo saying “FREEDOM” on his right arm.
Now he has 2 tattoos that mean “freedom” both in Japanese & English.

Inspired by this, I wrote this one particular song.
Though the meaning of “Jiyu”(自由) is slightly different from the English word “freedom”, I wanted to sing about freedom in my own way. Maybe somewhat in Japanese way.

That was, partly because of the current social/political situation in Japan.
Because I felt like freedom (自由) in Japanese society was fading.

Also, the current situation of the world made me want to sing about freedom.
So many wars, crisis, and disasters all around the world.

As a musician, I don’t want to talk about the politics.
Because for a musician, music is all that matters. All the important things are in the music.
Also, as a Christian, I don’t really talk about politics.
Because for me, spiritual things are more important than each political issue.

So I don’t want to talk about right or left.
It doesn’t matter, as long as you are spiritually awake and got love for Jesus Christ.

So, here is the lyric of the song called “Jee-You”.
Jee-You, of course, means “自由”(freedom).
Also it represents the relationship between Jesus & You.

It’s a song about a battle. Spiritual battle.
Basically I wrote this song as an “anti-war” song, but you can also read it as a “stand up bravely and fight” song. That’s, well, the beautiful part of music and art, I guess. It can be construed the way you like. (Very convenient)

In either way, this is a song about “fighting for freedom”.
It’s a song about “rebel against power”.
It’s a song about “dying for what you believe in”.

“We are not afraid of dying. But what we die for, who we die for, we decide by ourselves. Not you.” That’s what this song is saying.

So, here it is.

– – – – – – – – – –

“Jee You” (English version)
-written by Tak Nakamine

I don’t want no war
Unless it’s my war
We didn’t realize the war had already begun

Standing in the battlefield
Who we fight for
How many people should we kill to end this nightmare

We refuse to obey
Atrocious acts
We’d rather die as human
than to follow the beast

Because we got
Jee-You (Freedom)
That’s what I believe in
Jee-You (Freedom)
I say All I want is Jee-You

The system is broken
So is society
You can’t divide us anymore with these shallow lines

The last revolution
in human history
Each of us must decide who we die for

We choose to obey
The only truth
We believe in future
and we’re not afraid

Because we got
Jee-You (Freedom)
That’s what I believe in
Jee-You (Freedom)
I give All my life To-You

Now people
Now all my friends
I wanna hear you say
I wanna hear you shout

Do you believe in future
Do you believe in God
Do you think you can die for Love
We can be brave
Because it’s Revolution
Yes we can do it
With Him we can do it
Each of us give our life and we can change the world
Each of us give our life and we can change the world

Because we got
Jee-You (Freedom)
That’s what I believe in
Jee-You (Freedom)
I say All I want is You

– – – – – – – – – –

That’s all.
All rights reserved 🙂

Showing the song lyrics for a new song before playing it in public, this is the first time we do this kind of thing.
But I could not help.

We are already rehearsing this song in studio.
This coming November, we are going to tour Japan again with The Lacks.
We are going to play this new song and can’t wait to shout “Freedom”&”Jee-You” with everyone.

Thanks,
God bless,
Tak Nakamine / Imari Tones

No(4276)

■…2014年 9月13日 (Sun)…….wrinkle
顔に「しわ」が一本できた気がする。

年齢を考えればちっとも不思議じゃない。

実のところ、これは、昨年の秋くらいから訓練を(ちょっとずつ)始めている、ヴォーカルのためのエクササイズ、つまりは口をぐわーっと開けて、顔をしわくちゃにして歌う、それがしっかり出来ている、ということの証でもある。

だからこれは良いことだとも言える。

現に、僕の好きなヴォーカリスト、尊敬する何人かのシンガーを見てみても、やはり同じような「しわ」が深く刻まれている。つまりこれはシンガーの顔になってきたということでもある。

しかし、30代も半ばを過ぎ、
それにもかかわらず、自慢の黒髪から白髪を探すのは、四葉のクローバーを探すのと同じくらい難しいと言われたこの僕も、
やはり歳を取るのだ。
あたりまえだが。
(on the other hand, 最近ジェイクは白髪が少し増え、だんだんブッチャーズの小松さんみたいになってきたが)

それはちっともかまわない。
ここのところ、やっと成人した気分になっている。
男は、歳を重ねてこそ。
楽器と同様、自分自身が、アンティークに、そしてヴィンテージになっていくのが、楽しみでならない。

だが、問題は、そのことで弱気になってしまうことだ。
つっぱる意気地や、意地を失ってしまうことだ。

歳を食ったからって、つっぱるのをやめるのか?
意地を貫くのをやめるのか?

来月には、この「ろくでなしロッカー」の大先輩であるAnvilが来日し、日本中で小さなコンサートをいくつも行う。
そして、そのコンサートには、これもまた日本の「ろくでなしロッカー」の大先輩であるElectric Eel Shockさんが、オープニングアクトとして参加するという。

彼らは僕よりもずっと年上だ。

鏡を見ながら、僕は思う。
お前はしょせん良い子ちゃんなのか。
しょせん優等生なのか。

僕は、少年の頃、優等生と呼ばれる子供であった。
けれども、そんな僕は、おちこぼれと呼ばれる彼らと
ぶつかりあって心を通い合わせたのだ。

おかげで、僕は大人になりそこね、
僕はそのとき、彼らのぶんまで
声にならない声を、背負って生きると決めたのだ。

彼らのぶんまで
僕はろくでなしのおちこぼれとして生きると決めたのだ。

やっとそれらしくなってきた。
やっと板についてきたんだ。

歩くと決めた道death鯛。

No(4277)

■…2014年 9月15日 (Tue)…….理想のブルーズ
ブルーズ(Blues、ブルース)って何だろう。
先日、中古CD屋で、”Blues Traveller”っていうバンドのCDを見つけて。
それはなんでかというと、今をさかのぼること7年前、僕が初めてアメリカはAustin Texasを訪れたとき、帰りの飛行機で席が隣だったアメリカ人の女の子と、音楽の話で盛り上がっていろいろ話してたんだけれど、その子のお気に入りのバンドがBlues Travellerだと。

で、ああ、そういえばこれは、って思って、やっと聴いてみたんだけれど。
すごく純粋なブルーズを期待して。

でも、実際に聴いてみたら
いや、これはブルーズじゃない、って。
John Popperのものすごいハーモニカ、まるでアナログシンセをすごい勢いで弾いているような、が聴けたのはすごく良かったんだけれど、
いったいこれはブルーズと呼べるものだろうか、って。
どっちかというと、カントリー・ロック・ブルーズ・オルタナティヴ・ポップ、みたいな。

で、そこで考えてしまった。
ブルーズっていったい何だろうって。
どういうスタイルを言うんだろう、って。

Robert Johnsonみたいな、黒人の人が一人でやっていたような古いブルーズ。
Muddy Watersとか、John Lee Hookerもそんな感じだと思うけど、だんだんエレクトリックギターを使うようになるよね。

そんで、Freddy Kingや、Albert Kingのような古い黒人のギターヒーロー。
このへんは、もう、もろにブルーズじゃん。

で、60年代とか、ロックの時代になると、British Rockとかで、ブルーズロックのバンドが出てくるよね。

Yardbirdsとか、John Mayall & Bluesbreakersとか。
Creamとか、伝説的なロックバンドはみんなそうだし。

70年代でも、Led Zeppelinにしろ、Freeにしろ、そういうブルーズロックの流れから出て来てるし。

そういったバンドたちは、果たしてこれはいったいブルーズと呼べるのだろうかと。

で、たとえばサザンロックとか、70年代でも、Allman Brothers Bandとか、Lynyrd Skynyrdとか、ZZ Topとか、
そういう限りなくブルーズっぽいロックバンドとか、そういうのはブルーズって言っちゃっていいのか、って。

そこから後はもう果てしなく広がるから書かないんだけれど、
たとえばじゃあ、Bluesと、R&Bと、HipHopの境目はどのへんにあるのか、とか。
考え出すときりがないわけですよ。

スタイル的にも、アコースティックギター一本でやるのがブルーズなのか、あるいはフルバンドでホーンセクションが入ったのがブルーズなのか、
スリーコードのブルーズ進行の曲がブルーズなのか、それ以外のコードや、ペンタトニックとブルーズスケール以外の音を使ったらそれはもうブルーズじゃないのか。
ギターでいえば、ワウペダルを使ったらブルーズじゃないのか、あるいはコーラスやハーモナイザーを使ったらブルーズじゃないのか。
そういう境目みたいなものは、どんどん考えると曖昧になってくるんですね。

そういえば今更ながらGary MooreのAfter Hoursを聴いたんですが、あれは確かにブルーズのアルバムだと思うんですが、Gary Mooreのギタープレイは、ブルーズというよりはめちゃめちゃロックだと思うわけですよ。ブルーズ寄りのハードロックギターというか。
でも、じゃあ、そんなふうにしてハードロック、ヘヴィメタルのような速弾きをがんがんかましたら、それはもうブルーズじゃないのか。

思うに、「Blues」ブルーズっていう概念も、
「パンク」とか、「ヘヴィメタル」と同じで、すごく観念的、主観的なものだと思うんですね。
追い求めることはできるけど、つかむことは決してできないもの、みたいな。

たとえばStevie Ray Vaughanなんかも、そのつかむことのできないブルーズというものを、80年代という時代に、アップデートして示したからこそ、伝説になることができたんだと思います。

僕は、ジャズ派かブルーズ派かって聴かれたら、ぜんぜんブルーズ派だし、
シンプルに同じことをひたすら繰り返したい人なので。
ときどき、発作的にブルーズのアルバムが聴きたくなることがあって。

そんなとき、僕が聴きたいと思う理想のブルーズバンドを、頭に思い浮かべるんですが。

僕が思う、理想のブルーズバンド、
それは、6、7人編成くらいのバンドで、
ギタープレイヤーと、ハーモニカプレイヤーが居て、
ギタープレイヤーが素晴らしいリードプレイを聴かせる、
で、できればそれはレスポールか、ヴィンテージギブソン系のギターであってほしい。
ヴォーカルはハスキーな声で、旅から旅への、旅がらすのツアーバンドであってほしい。
そしてリズム隊は、心躍るような、そして腰にぐっとくる、自然に体が動いてしまうような楽しいリズムをたたき出す。
商業的にはメインストリームではないけれど、確実に着実に見た人を魅了する、エンターテインメント性のあるバンドであってほしい。
人種は黒人でも白人でもいいけれど、混成バンドであれば、より素敵だと思うし、その中に、ちょっと人生を踏み外した日本人ミュージシャンが、パーカッショニストとかベーシストとして混じっていても面白い。
ファッションとしては、なんだろう、デニムを履いて、ヒッピー的な、やっぱり70年代的なものになってしまうんだろうか。
そして、そんなバンドが、21世紀になった今でも、世界のどこかでツアーを繰り返し、手作りのCDやグッズを売りさばいて、活動している、みたいな。

なんか、Grateful Deadとか、Allman Brothers Bandとか、そのへんのイメージが混じった感じになってしまうけれど、どうしても。

でもこんな理想のイメージは、限りなく幻ですね。幻想。

手持ちのCDで、この理想のバンドに近いのは、
Allman Brothers Bandの有名なフィルモアイーストなのか、
エンターテインメント性という点でやはりB.B.Kingなのか、
あるいは案外と、Red Houseとか演奏しているときのJimi Hendrixがその理想に近いのか。

どちらにしても、Bluesと聞いてイメージするものも、人それぞれだろうし、その概念とか、理想とするものも、それぞれに違う。

で、結局のところ、僕はBluesなんて、あんまり知らないし、詳しくないし、
有名どころをちょっとだけ聴いたくらいしかないわけです。

もっとディープに、いろいろ聴ければ、
それこそ、そういう理想に近いような、無名の旅がらすなブルーズバンドを見つけられるのかもしれませんが。

ブルーズは、シンプルだけど、スタイルは色々あるし、
またシンプルだからこそ、肉体性っていうのか相性っていうのか
このプレイヤー、この人のプレイが好き、みたいな部分がかなり大きいと思うので、
実は自分の理想のバンドに出会えるのは、すごく難しいんじゃないかと思うわけです。
もし、そんな、自分をわくわくさせてくれるような、本物のブルーズバンドに出会えるのであれば、それは、たぶんものすごく幸運で幸せなことなんじゃないかと思うわけです。

で、いつもの安易な発想ですよ。
理想のブルーズバンドを、見つけられないのであれば、
自分でやればいい(笑)

で、ここ、いつも誤解されるんですが、
僕は、いつも、「自分にとってのブルーズを鳴らしたい」とかそういう意味の思わせぶりな発言をしたりするんで(笑)

それは、別に、僕が自分のバンドで、いわゆる黒人の人たちが昔やっていたようなブルーズを演奏する、という意味じゃないわけです。
Jimi Hendrixがそうだったように、ブルーズのエッセンスを、自分の文化とバックグラウンドの文脈の中で昇華したいっていう意味なわけですね。

要するに、ナチュラルな、土着の、自分のルーツに根ざした、民族的というか民俗的な、腰に来る、シンプルな音を鳴らしたい、というだけなわけです。
それは、どんなジャンルのどんなミュージシャンにもあることで。

そんなわけで、アイディアだけはふくらんでいます。
ただ、それを実行して実際に鳴らせるのは、早くても3年とか、5年後だろうなあ。

その前にやることいっぱいあるからね。

順番に、ちょっとずつ順を追って、シンプルなところにたどりつけたらいいと思います。

No(4283)

■…2014年 9月15日 (Tue)…….This ain’t your daddy’s Flying V. Not your mom’s either.
Facebookでもプロフィール写真に使ってる(そろそろ変えたいが)Hamer XTのフライングV。
XTっていうのは、アジア製の廉価版のことで、僕のはインドネシア製のフライングV(Vector)なんですが、
2009年から使っていて、ツアーというか遠征にもいつも持っていったり、大事なライヴをこれで何回もやったし、録音でも何度か使って(Japan Metal Jesusでは”The Concept”と”You Key”、Heroes EPの”Overcome”、”Heroes”、”Follow The Light”)、手持ちのギターの中でも、(昨年までは)最強の一本だったんですが、今日のリハーサルで使っていたら、ようやくあることに気が付いて。
つまりこれは、70年代のGibsonの音なんじゃないかと。

僕もそんな詳しいわけじゃないので誤解を生みそうですが、
このVector XT、見た目はフライングVだけれど、中身は、70年代のレスポールなんじゃないか、って。
しかも、たぶんどちらかというと、70年代の中でも「当たり」のレスポール。

70年代のレスポールはあまり評判がよくないことが多いと思いますが、
そうはいっても、くさってもGibson。
そのGibsonサウンドというのは、絶対にある。

これは、このXT Vectorは、フライングVなんですが、ネックはメイプル。
70年代のレスポールは、ネックがメイプルだったらしいから、たぶんそのせいで。

で、思うにたぶん、これは、70年代レスポールの、改良版というか、現代版というか、完成版なんじゃないか、と。

インドネシア製の廉価版Hamerとはいえ、
近年の廉価版の楽器のクオリティの向上。
くさってもGibsonというように、くさってもHamer。
セットネックは「それなりに」出来ているはず。(希望)

このXT Vector、宣伝文句にあるには、
「これは君のパパやママが知っているフライングVじゃない。21世紀の新しいフライングVなんだ」みたいなことが書いてあったけれど、
たぶんそれは、そういうこと。
70年代ギブソンの方向性で、その至らなかったところを、現代風に発展させ完成させたということじゃないかと。
であれば、なかなかたいしたものじゃないかと思います。

そうかー、そういうギターだったのか、これ。

そうとわかれば、また使い道があると、思います。

廉価版のXTシリーズは、以前、”Sunburst”を試したら、とてもひどかったけど、
このフライングVは、たぶん良いモデルだったんじゃないかと、思います。

No(4284)

■…2014年 9月16日 (Wed)…….イエローライトエッヴィウェア
さて、アメリカ側のあれこれもあり、いろいろと危険信号がともり始めている今年のThe Extrem Tour Japan。ネガティヴなことを書くのはよくないですが、書くとすれば僕の役割でしょう。今、アメリカ側の人物二人に、「どうなっとんねん、たのむでほんま」というメールを投げてますが。各方面に黄色信号が出ているので、どうなるかわかりません。首都圏のコンサート、イベントもブッキングしていますが、状況がはっきりしないため、出演してもらうバンドさんにもなかなか声がかけられない状態。でもそろそろ声かけないとね。東北、中部、関西については、友人たちのつながりで手配してもらっているため、もしNGになってしまったら本当に申し訳ないし、現状、状況がはっきりせず話を進められないのも迷惑をおかけしており心苦しい。それでももしうまくいってハッピーにやれたらこれは本当に奇跡だろう。でも心のどこかではうまくいくことを信じているし、神さんの導きGod’s guidanceを信じているのは言うまでもない。状況がどう転ぶか、ベストケースとワーストケースを両方考慮してどうすれば皆がハッピーになれるか、神さんに祈っているin Jesus name.

No(4290)

■…2014年 9月17日 (Thu)…….贖罪の化身、食材の決心
ヘヴィメタルを象徴する伝説のバンド、
Judas Priestの新作”Redeemer of Souls”が、今年の夏、リリースされましたね。
例によって、(えらそうに)感想、評論、レビューを書いてみたいと思います。

自分は、ヘヴィメタルに限らず、ちょっとくらいは新しいバンドも聴いていますし、
もっと言うと、ヘヴィメタル以外のものの方が割合としては多いですが、
あまり、そういうもののレビューを書いてなくて、
一方でこういうヘヴィメタルの重鎮の作品の感想を書くことの方が多いですが、

それは、やっぱり自分が自分のバンドでやっている音楽が、ヘヴィメタルの範疇のものだから、ということ、
そして、こういう伝説の、歴史をつくってきたバンドの作品について考察することは、
ロックの歴史そのものを考察することに他ならないからです。
そして、その歴史に対する、自分の立ち位置、ひいては自分の目指す行き先を考え、確認することに他ならないからです。

そして、歴史的な伝説のバンド、超一流な世界的バンドであっても、
結構僕は好き勝手に上から目線で評論してしまうので不評きわまりないのですが、
今回もやっぱり好き勝手に上から目線で書こうと思います(笑)

さて、僕は、Judas Priestは、とても好きなバンドです。
というか、もっと言えば、好き、なんて言葉では片付けられないくらい、自分にとっては重要なバンドです。

なぜか、それは、僕にとって初めてのヘヴィメタル、
というよりも、初めてのロック。
初めてロックというものを体験し、夢中になったバンド。
それがJudas Priestだったからです。
そして、ギターを始めたのも、もちろんJudas Priestに憧れたからでした。

当時13歳だった僕が、複雑な思春期の入口に立ちながら、
夢中になり、大きな影響を受けたバンドこそが、
Judas Priestだったのです。

少年時代に、
僕が最初に買ったロック、ヘヴィメタルのCDは、Judas Priestの”Ram It Down”であり、その翌月には、”Painkiller”を買ったのでした。
そして、その一年後には、Priestの80年代のアルバムは、すべてそろえていたのでした。

Glenn Tiptonと、K.K.Downingのギタープレイは、自分にとってのヘヴィメタルのギターの在り方の基準となり、
そして自分にとっての「ヘヴィメタル」の基準は、Judas Priestそのものでした。

僕は、どちらかというと型通りのヘヴィメタルはあまり好きではないので、
人と話していて、自分は本当はヘヴィメタルが好きではないのではないか、と思うことが度々ありますが、
あえて言えば、僕はヘヴィメタルが好きなのではなく、Judas Priestが好きなのであり、
そして僕にとってのヘヴィメタルとは、Judas Priestであり、Judas Priestだけがヘヴィメタルなのです。
(たとえば、僕はIron Maidenを本気でいいと思ったことは一度もありませんし、ジャーマンメタル系も、ほとんどは無理です。)

そしてJudas Priestといえば、「メタルゴッド」。
ヘヴィメタルの世界の頂点であり、ヘヴィメタルという音楽表現を切り開いてきた先駆者。

だからこそヘヴィメタルを演奏するミュージシャン、プレイヤーは、
多かれ少なかれ、Priestを聴き、学びます。
たとえば、1990年の”Painkiller”(ペインキラー)、1982年の”Screaming For Vengeance”(復讐の叫び)などは、ヘヴィメタルミュージシャンであれば、誰もが知っている、知らない方が珍しい作品でしょう。

けれども、逆に言えば、有名なバンドゆえに、
それらの代表的な作品、代表的な曲しか知らない、聴かれていない、
そういう現象も多く見かけますし、
よほどヘヴィメタルの世界に長くいる人であっても、
僕のような(それほど詳しいとは言いませんが)熱心なファンからすると
この人はPriestをまったく知らないな、と言いたくなるような人も、
たくさん見かけました。

そして、僕に言わせれば、Priestの本当の魅力とは、
Painkillerや、Screaming For Vengeance、Difenders of the Faithのような代表的なヒット作品だけではなく、
むしろ問題作と言われるアルバムや楽曲の中にこそあると思います。
それはたとえば、一般的にはとても評価の低い”Point of Entry”のようなアルバムや、物議をかもした”Turbo”などの作品にも言えることです。

そして、90年代の、ヘヴィメタルの冬の時代に青春を過ごした僕らの世代ですが、
僕にとっては、その冬の時代である「リッパー時代」、つまり、Rob Halfordが脱退し、Tim “Ripper” Owensが劇的に加入した時代の作品、1997年の”Jagulator”、そして2001年の”Demolition”、
この時代も、実は僕はかなり好きで、また作品としてもかなり評価しています。
確かに楽曲や方向性に、全盛期とくらべていろいろと問題はあるのですが、
「ヘヴィメタル冬の時代」に作られたこれらの作品を、華やかだった1980年代の作品と比較するのは、単純にフェアではなく、
また、これらは「ヘヴィメタル冬の時代」に作られたからこそ、深い意義をもった作品であり、そこにはきちんと、Judas Priestならではの意図、ヘヴィメタルというものに対するメッセージが含まれていると僕は感じます。

そして2000年代に入ると、ついにRob Halfordが復帰し、2005年に、ドラマティックな復活作”Angel of Retribution”が発表されます。

けれども、僕は、この「ロブ復帰後」、「復活後」のPriestに関しては、ちょっと複雑な思いを持っています。

その複雑な思いを、どうやって表現すればよいか、とても難しく、わかりませんが、
ひとつ言うのであれば、僕が思うに、
「自分で自分のことをメタルゴッドと呼ぶようになってからのロブ・ハルフォードは、すでにメタルゴッドではない」
という逆説です。

もちろん、ロブ復帰後、復活後のプリーストも、とてもクオリティの高い作品を毎回作っており、また、とても素晴らしいステージをやっていると思いますが、
しかし、21世紀になり、時代が変わり、押しも押されぬベテランとなった彼らが、”Metal God”を自称、自認するようになったとき、彼らはすでに、かつての時代を切り開いてきたヒーローではなくなっているからです。

21世紀に入り、ヘヴィメタル、そしてロックという表現も出尽くし、細分化され、すべてのジャンルが一回りして、
またヘヴィメタルというものも、定型化した表現が完成し、若い世代のミュージシャンも含め、皆がその定型化した音楽を繰り返さざるを得なくなった。

そんな時代に「メタル・ゴッド」を自称する彼らもまた、
定型化した音楽表現を追いかけ、繰り返すだけの、
いわば、自分たちが過去に作り上げた「Metal God」という偶像を自分たちで祭り上げる、「その他大勢」の一人に成り果てたということです。

ただ、彼らに残されたのは「司祭」という権威と、地位。
その地位と権威を持って、彼らは自分たちが作り上げた偶像を祀り、模倣し、民衆を煽動してきた、そう言うことができると思います。

だから、ロブ復帰後の作品、ライヴも含め、どれもクオリティは高いですが、
本当の意味で音楽的な驚きや、興奮はなかったと思います。

2005年に発表された”Angel of Retribution”は、音楽的にはあまりおもしろくない作品ではありました。
ロブの歌唱にしても、グレンとK.K.のギターにしても、楽曲のアイディアにしても、やはりかつてのような切れ味は望めないということも強く感じました。
けれども、それでも、メタルの定型ともいえる定番のスタイルを、自己パロディぎりぎり、というか、むしろ自己パロディ丸出しで鳴らし、結果として、世界の多くのファンを納得させた事実は認めざるを得ません。

2008年に発表された”Nostradamus”、これも結果的に「問題作」と呼ばれるものになりました。
彼らが不在だった時代に、世の中に出て来た新しい世代のヘヴィメタルなども含めて考えると、この”Nostradamus”も、音楽性として新しいとは言えず、「大仰なストーリーのコンセプトアルバム」という内容は、どちらかというと退屈なものでした。内容も冗長で、このmp3やYouTubeの普及したインターネット時代の基準から考えると非常に聴きづらく、僕も眠れないときには睡眠導入剤の変わりにこのアルバムを聴いたりするくらいでした(笑) (退屈で眠ってしまうからです)

けれども、よく聴いてみると、その音楽性は、確かにプリーストならではの、まさにプリーストとしか言いようのないもので、また、かなり本格的なオペラ、クラシックへの接近、英国的な趣味丸出しのコンセプトや演出など、まあ歳を取ったミュージシャンの優雅なお遊びに思えなくもないですが、それも含めて、凄さを感じます。
そして、その年齢というキャリアの中でのタイミングということも関係してはいるでしょうが、ロブ復帰後の2作目にして、このようにリスキーで野心に満ちた作品を作ってきたことは、少なくとも僕にとっては、「安全策」一辺倒であった”Angel of Retribution”よりも、面白みを感じる作品ではありました。

さて、そして、まあ経過は端折りますが、
その後、K.K.Downingの衝撃的な脱退、
そしてツアー活動停止のアナウンス、フェアウェルツアーなどを経た上で、
あるいはこれがPriestの最後のアルバムになるかもしれないといった雰囲気の中で、
2014年、この”Redeemer of Souls”が発表されました。

前置きが長かったですが、
レビュー、感想に入ります。

まず、このアルバムは、”リッチー・フォークナーのアルバム”です。
もちろん、Priestのアルバムには違いないのですが、内容としては限りなく、Richie Faulknerのアルバムになっている、ということです。

そして、そのクオリティに関してですが、
「思ったよりもかなり良い」と言うことができます。

ぶっちゃけ、僕はこのPriestの、あるいは最後になるかもしれないアルバムに対して、音楽的にあまり高い期待値は持っていませんでした
あんまり期待してなかったです。
どうせまた、あたりさわりのない、つまらない作品を聴かされるだろうと。

けれども、確かに、つまらないっちゃあつまらないんですが、
それでも、思っていたよりは、かなり良いと思いました。

そして、それって、凄いことだと、僕は思います。

ポイントその1、「Painkillerの呪縛」、
これについて書きたいと思います。

Judas Priestは、近代ヘヴィメタルを切り開き、長年にわたり世界中のヘヴィメタルバンドのトップとして君臨してきた偉大なバンドです。
なので、その長い歴史の中で、多くの素晴らしい作品、代表的な作品を作り出してきました。
けれども、現代のヘヴィメタルの文脈の中で、世界中のキッズの頭の中に、もっとも強いインパクトとして刻まれているのはやはり”Painkiller”でしょう。

1990年に発表されたアルバムであり、
時代の変わり目に発表されたアルバムということもあり、
当時、正当な評価がされたかどうかわかりませんが、
そして、今でも、このアルバムに対して正当な評価がされているか、それすらわからないくらいの作品ですが、
クラシックとモダンを併せ持つ音楽スタイルの中で、
インテンスな気迫、プレイの凄まじさ、サウンドの徹底、世界観の凄さ、窒息しそうな密度の濃さ、そしてヘヴィメタルという概念を見事なまでに表現したこのアルバムは、
ほとんど空前絶後と言える内容であり、
ヘヴィメタルの歴史の中でもほとんど特異と言えるような、金字塔であると同時に、特異点であり、
その意味では、あるいは今でも、このアルバムを越えるヘヴィメタルのアルバムは、無いと言ってもいいのかもしれません。

その、あまりの特異な内容を持つ強烈な傑作ゆえに、
そして、その作品を最後にRob Halfordは脱退し、時代はヘヴィメタル冬の時代へと突入、Priestは伝説となってしまったがゆえに、

ロブ復帰後のプリーストには、この”Painkiller”の続編が期待されることとなり、
そして、それは本人たちも同じくわかっており、本人たちも、この”Painkiller”の幻影を追いかけることになったと思われます。

それはロブ復帰後の作品のジャケット、アートワークにも如実に現れており、そして今回の作品”Redeemer of Souls”のジャケットにも、”Painkiller”のアートワークを手がけたMark Wilkinsonのアートワークが使われています。そしてそれは当然、またしても、”Painkiller”を意識したアートワークになっています。

Painkillerの呪縛は、ジャケットだけでなく、当然楽曲にも現れており、ロブ復帰後、”Angel”においても、”Nostradamus”においても、そのサウンド、ならびに演奏スタイルは、”Painkiller”を意識した、ペインキラーの路線を狙ったものになっていました。

けれども、それがPainkillerを越えていたか、Painkillerの域に達していたか、というと、それは越えていない、達していなかった、と言えると思います。

そして、この今回の作品”Redeemer of Souls”においても、そのサウンドは当然、またも、Painkillerを意識したものになっています。そして、その内容は、またしても、Painkillerを越えているかと言われれば、越えていません。

でも、確かにペインキラーを越えてないけれど、でも、それでも、いいかな、と、この作品は思えます。
なぜか。
なぜなら、そこにRichie Faulknerがいるからです。
(つまり、新しい世界が開けているからです)

そして、3度目の正直というべきか、
このポストペインキラー路線も、3度も繰り返すと、なんだか説得力があるというか、確かにペインキラーをもう一度作ることはできないけれど、この路線で、それなりにクオリティの高い作品は作れているので、もう今のプリーストは、この路線でいいのかな、と思えてきます。

そして、実際、もう「ペインキラーの呪縛」を忘れてもいいんじゃないか、というくらいの内容の濃さを、このアルバムは持っています。

その意味で、果たしてこれがPriestの最後の作品になるのか、あるいはもう一枚、二枚、次の作品があるのかわかりませんが、
その意味で、たとえば次の作品があるとしたら、もう「ペインキラーの呪縛」は、あらゆる意味で吹っ切れるんじゃないかと、そんな気がします。

ポイントその2、リッチー・フォークナー。
これについて書きたいと思います。

2011年、K.K.DowningがJudas Priestを脱退することがアナウンスされ、世界中のファンが衝撃を受けました。
そして、若い世代のギタリスト、Richie Faulknerが加入し、Epitaph World Tourが行われたわけですが。

この、キャリアの終盤、しめくくりの時期にあっての、メンバーの交代。
これが、この有終の美となるべきこのアルバムにとって、吉と出るか、凶と出るか。
それが、ファンが注目したこのアルバムのポイントのひとつであったと思いますが、
このRedeemer of Soulsにとって、リッチー・フォークナーの加入は、結果として、吉と出ています。
というよりも、むしろこのリッチー・フォークナーという若いギタリストの加入こそが、この年老いたバンドにとって、ほとんど福音となっていると思います。

このアルバムは、リッチー・フォークナーのアルバムだと思います。
実際に、ギターソロの大部分を、グレンではなく、リッチーが弾いている。
そして、リフワークに関しても、前乗りのタイミングで弾き、アンサンブルをリードしているのは、リッチーのギターです。
そしてソングライティングにおいても、おそらくはリッチーのインプットがかなりあったのではないかと感じます。
それは、楽曲のところどころに、これまでのプリーストにはなかったような音使いが聴かれるからです。
それらの「若きギタリストの指紋」こそが、このアルバムに、ちょっとした驚きを与え、この自ら定型を作り上げたヘヴィメタルを繰り返すより他なかったベテランバンドに、新たな活力を注ぎ込んだのだと思います。

そしてそれはどういうことかというと、
世代間の、立場の違いから来る表現の制約の違い、
それが生み出したマジックであると思います。

リッチー・フォークナーは若い世代のギタリストです。
(もっとも、「若い」という言葉の定義すらも、プリーストが全盛期だった昔と、ロックが古典音楽となった今とでは、違ってきていますが)

リッチー・フォークナー自身、昔からプリーストの大ファンであったということですが、
彼の世代のミュージシャンは、自分たちがバンドで鳴らす音楽としては、プリーストのような音楽を、そのまま鳴らすのは難しいでしょう。
それは、時代が違うので、ミュージシャンとして成功していくためには、新しいスタイルの音楽を演奏しなければいけないからです。
音楽とは社会的なものであり、若い世代のミュージシャンが成功するためには、その世代、その時代の社会に受け入れられる音楽である必要があります。
リッチーの世代、つまり現代では、プリーストのような音楽は「クラシックロック」と呼ばれ、またあるいは古典的ハードロックについては「ストーナー・ロック」という言い方もあるかもしれません、彼自身、そうしたクラシックロックが好きだったことは事実でしょう。

けれども、そうした音楽を、彼の世代がそのまま鳴らすことは難しいことです。
もちろん、敢えてクラシックロック的な音楽を、そうした演出の上で鳴らす若いバンドも存在していると思いますが、それはまた違った方法論であると思います。

けれども、Judas Priestという世界一の伝説的なヘヴィメタルバンドに加入することによって、リッチー・フォークナーは、その「クラシックロック」を、もっともど真ん中の、もっとも直球で、そのまま鳴らすことが出来るようになりました。(というよりも、それが求められた)

すべてのロックが鳴らされた後の、制約だらけの時代に生きる若きミュージシャンにとって、このJudas Priestという環境は、それらの制約からの解放であったに違いありません。

この世代間の立場の交換というマジックが、このJudas Priestの新しいアルバムにおいて、非常に良い結果を生み出す要因になっていると僕は考えています。

そして、Judas Priestの大ファンでもあった彼は、Judas Priestとはどうあるべきか、そして、ファンが何を求めているか、よくわかっていたのではないでしょうか。そう、つまり、Robや、Glenn以上に、何がJudas Priestらしいのか、Judas Priestは何をやるべきなのか、リッチーはわかっていたのかもしれません。

そしてリッチーには、RobやGlennには無い、新しい世代の発想がありました。

それらのものが、このアルバムにおいて、爆発しているのだと、僕は思います。
推測に過ぎませんが、”Sword of Damocles”や”Crossfire”におけるいかにも70年代的なブルージーなストーナーロックの要素は、むしろGlennよりも、Richieのアイディアなのではないでしょうか。

もうひとつ、Priestにとって大切だったのは、
彼、リッチー・フォークナーが英国人であった、ということだと思います。
そして、伝統を大切にする、正統派のギタリストであった点も大きいと思います。

Richie Faulknerは、プレイスタイルとして、特に大きな特徴や、突出したものを持っているわけではありません。
どちらかというとすべてのプレイを、優秀かつ無難にこなしている感じです。
Epitaph Tourでの来日公演を、僕も見ましたが、そのギタープレイのスタイルは、
かなりZakk Wyldeを想起させるもので、なんかちょうど、ザック・ワイルドと、ダグ・アルドリッチを足して2で割ったような、そんな感じでした。
そして、その印象は、このアルバムでもほとんど変わりません。
現代のギタリストとしては、オーソドックスなほどに、オーソドックス過ぎるくらいのプレイです。

けれども、やはり、どこかに、K.K.Downingの後継者にふさわしい、「Priestの香り」がする、それは、やはり、彼が英国人だという部分に秘密があるように思います。もちろん、英国人のギタリストが誰しもJudas Priestになれるわけではありませんが、けれども、たとえば今まで、Scott Travisはアメリカ人であるし、Tim “Ripper” Owensもアメリカ人であった、けれども、K.K.の後任となるギタリストだけは、リッチーだけは、やはり英国人でなければいけなかったのだろうと、そう思います。

そして、それは、Priestのベテランたち、つまり、Robや、Glennからの、若い世代のメタル戦士たち、それはつまり、Richieのことですが、その若い世代のミュージシャンたちへの、伝統の継承であり、ギフトの継承の意味を持つのだろうと思います。

これが最後のアルバムになるにせよ、ならないにせよ、
このPriestの最晩年のアルバムにおいて、偶然であっても、このようなベテランから若手への、古い世代から新しい世代への、伝統の継承が行われているなんて、
なんだか出来過ぎというか、物語が美しすぎるというか、
K.K.の脱退は、衝撃的ではありましたが、結果的に、プリーストにとって、このような前向きなドラマを産むことになったのだと思います。

長年のファンにとって、Judas Priestといえば、GlennとK.K.の鉄壁のリフワーク。
そんなファンにとって、このアルバムのリフワーク、少し早めのタイム感で刻まれるRichie Faulkerのリフと、そのサウンドは、確かに少し違和感があります。
けれども、それこそが、新しい世代のヘヴィメタルの音であり、新しい時代への、ヘヴィメタルの伝統の継承に他ならないのだと、僕は思います。

さてリッチーならびPriest、今回のアルバムを、高く評価する言葉を重ねましたが、
そうはいっても、やはりこのアルバム、しょせんは「復帰後」の「安全策」なアルバム。
音楽的には、新しい驚きであるとか、予想を越えてくる要素は、ほとんど、まったく、ありません。
まさに予想通りの、安心できる、金太郎飴的な、おなじみのヘヴィメタルが並んでいます。
ぶっちゃけ、つまらんなー、と思う瞬間も、たくさんあります。

たとえば、Burrnのインタビューかなんかで、メンバーがお気に入りの曲として挙げていた”Halls of Valhalla”、
メンバーは、「この曲は凄いぜ」みたいなこと言ってたと思いますが、
僕にはどうにも、未完成の失敗作にしか聞こえません。

たとえばこの曲のBメロ(bridge)のリフは、単調なリズムにアクセントをつけるために、どう聴いても6拍子つーのか6拍で切ることを誘ってます。
そして、サビの展開に、もうひとひねり、ふたひねり、山をつくることが、出来たはずです。
メインリフに単調なメロディを載せただけで、完成にしてしまうのは、非常にもったいなく、もっと飛び抜けた傑作になるポテンシャルがあるのに、それをしなかったPriestの作曲陣には、「この能無しめが!」の一言をもれなくプレゼントしたい気分です。

そうした瞬間は、このアルバムの中にいくつもあり、やっぱそのへんは、ちょっと歯がゆいなー、と思うわけです。

あと、僕らの世代としてはつっこみを入れておきたい部分としては、
件の”Crossfire”ですね、なんか、すごくどっかで聴いたようなリフですよね。
こんなジェネリックな、どっかで聴いたようなリフ、使っちゃっていいのか、
少なくとも、僕らの世代は、90年代にKのつくバンドのヒット曲で、これとまったく同じリフを聴かされた記憶があると思います。。。

とにもかくにも、予想された「型」を越えてくることは、まったくありません。
まったく予想どおりの、安全な、定番どおりの楽曲です。

けれども、その「型」の中、「安全策」の中において、
予想以上の質の高さを作ってきた、
そして、いくばくかの「小さな驚き」があったこと、
これこそが「予想外」であり「予想以上」であった部分です。

ここまで「やっぱりつまんない」と書いたように、
僕はこのアルバムの音楽性を、100%評価しているわけではありません。
すごい好き、とも言えません。
もっと本当に好きと思える音楽、もっと本当に自分を興奮させてくれる音楽は、新しいものでも、他にいっぱいあるし。

けれども、これが凄いアルバムかどうか、と聞かれたら、
僕は迷うことなくこう答えます。
「これは間違いなく、文句なしに凄いアルバムだ!」
と。

なぜか。
考えてもみてください。

70年代の昔から、
長きにわたり、時代を切り開き、
ヘヴィメタルという表現を作り上げ、
ヘヴィメタルの時代を作り上げ、
伝説となってきた偉大なバンド。

そんな彼らが、
年老いた今も、
これだけのアルバムが作れる。

そして、そこに、ひとつでもふたつでも、
「おっ?」と思える要素がある。

これは、
とんでもなく凄いことだと思います。

間違いなく、ヘヴィメタルの伝説は、新たに塗り替えられたと思います。
僕たちはまた、伝説を目撃することが出来ました。

そして、無名のミュージシャンのはしくれとして、
仮にもヘヴィメタルのジャンルに入る音楽を演奏する一人として、
僕もまた、これからも、
この作品や、プリーストの他の作品から、
たくさんのことを学び、また影響を受け続けていくでしょう。

ちなみに僕が手元に持っているのは、「通常版」ですが、
そうはいっても、YouTube上で、ボーナストラックを、僕もちょっと聴いてみました。

Snakebiteなどは、まるで80年代のプリーストの楽曲のよう。
こうした楽曲が今でも作れること、
その音楽性の深さが、今回のアルバムの、驚きのひとつでもあります。

そして、最後をかざる”Never Forget”、
Priestからの、フェアウェルメッセージとも受け取れる、
(というか、フェアウェルメッセージとしか受け取りようがない)
エモーショナルたっぷりの美しい楽曲。

これは、ちょっと、さすがに、驚き、震えずにはいられない。

アルバムの中で、自分がこれは、と思う曲を挙げるとすれば、
個人的には、”Metalizer”(笑)でしょう。
なぜ(笑)がついてしまうかというと、
この曲、すごく笑えるからです。
メタライザー、というタイトルから、
空間系エフェクトをかけて刻みまくるリフから、
大仰なハーモニー、必殺技を繰り出すようなサビのメロディまで、
ものすごい中二病パワーに溢れています(笑)
この偉大なる伝説のベテランが、こんな中二病全開の楽曲を繰り出してきたことに、
僕はヘヴィメタルという音楽の、底知れぬ奥深さとパワーを感じずにはいられません。

そしてあとはやはり”Battle Cry”でしょうか。
一部ではIron Maidenっぽいと批判されているみたいですが、
やっぱりいかに型通りとはいえ、
これほどに期待通りのヘヴィメタルを展開してくれるのは痛快としか言いようがないです。

あとは何度も聴いてるうちに”March of the Damned”とかも良い感じに思えてきました。

さんざん上から目線で斬りましたが、
堂々たるヘヴィメタルのアルバムであることに間違いはありません。

いずれにせよ、質の高さで、期待値を越えてきたJudas Priestの、あるいは最後になるかもしれない、この新作。
こんながつんと来るJudas Priestを、いまさらまた聴けたことに、ちょっと感謝したいと思います。

No(4291)

■…2014年 9月19日 (Sat)…….不可能という技
英語ポストはinsta経由で既にしたように
先日、スケートボードの練習中に、ちょっと予定外のことが起こった。
“Ollie Impossible”(オーリーインポッシブル、あるいは単にImpossibleとも呼ぶ)が、ひょいっと成功してしまったのである。

はっきりいってまぐれだ。偶然だ。単なる事故だ。
だけれども、実際のところ、スケートボードに偶然はないということを、そろそろ僕も知っている。
初めて技が成功するとき、それは偶然みたいにしてひょいっと決まるけれど、それは、必然の要素が揃って起こるものだ。

実際、最近トレフリップ(360キックフリップ)を成功させ、未熟ながらも毎日何度かトレフリップらしきものを決めて、同時に3shove(360 shove-it)も比較的きれいに決まるようになっていたから、
そして、実際のところ、インパッシブルというのは、3shoveと似ているというか、トレフリップやスリーシャヴの間、ないしは延長線上のどっかに確かにあるので、そう思えば不思議ではない。

そして、もともと、前から公言していたように、僕にとってのあこがれのトリックとは、トレフリップではなくて、インパッシブルだったので、
今までも、たまーに、何度か、板から降りた状態で、板をぱしっとすくってwrap aroundし、impossibleの動きを真似てみる練習は、過去にもちょこっとだけしていた。

それで、気まぐれで板をスクープして360度回して遊んでいて、ちょっと角度つけてスクープして、ラップアラウンドの動きを入れてみて、あれ、わりといい感じにすくって回せるな、と思っていたところで、ちょっと飛んでみたら、ぱしっと着地してしまった。
実感ゼロ。あれ、ひょっとして俺今、インパッシブル成功しちゃった?みたいな。

まあわかんないし、ちゃんと良い角度で、板が縦回転していたかわかんないし、蹴り足も板をきれいにwrap aroundしていたかどうか、わからないけれど、少なくとも、形としては、近いものができたことは事実だ。

そして、たとえ完璧でなくても、近いものが、わりとさくっとできるということは、これは、「できる」トリックになる可能性が高い、ということだ。

偶然でないことは、その日、もう時間もなかったので、2度目を成功させるところまではいかなかったけれど、やってみると、やはりかなり近いところまでは行ったので、やはり偶然ではなさそうだ。

つまりこれは、きっと時間の問題で遅かれ早かれ二度目、三度目を決めることもできるし、回数を重ねて、何ヶ月もやっていけば、得意なトリックになる可能性もあるということになる。

これはやばい。

僕がスケートの練習計画を立てたとき、個人的な目標としていたトリック、計画の最後の大ボスに設定していたのが、このImpossible。
それが、ふとした拍子に何かの間違いで、まがりなりにも成功してしまった。

これは、自分の練習ルート、計画の順番、トリック適性などの計算というか見込みが、間違っていた、ということを意味する。

つまり、大ボスだと思っていたImpossibleは、自分にとっては実は比較的近いところにあるトリックだったということだ。

ちなみに、春頃から、出来そうで出来ない、とか言っているVarial Heelは、やっぱりまだ、出来そうで出来ない。その隣に位置すると思われるFront Heelもやはり出来そうで出来ない。
それがが出来ないということは、まだまだ下手っぴなのだ。

最近ちょっとレッジの練習を別メニューでぼちぼち始めたけれど、
まだレッジも、ランプも、下手なまま。
オーリーだってまだまだ実戦では未熟なままだと思う。

ポップが強くなってきて以来、板を制御できなくて、
この前やっとすり足を寝かせることを思い出して、
そしたらぐっと板をガイドしやすくなったので、
そろそろなんとか実戦でも使えるオーリーになることを期待しているが。

そんなこんなで、決して「上手い」という感じではないものの、
「下手っぴ」なままで、
フラットトリックだけは、なぜだか形だけでも、覚えていってしまっている。
わりと良い感じのスピードで。

やっぱり自分は、フラットトリックに適性があるのかもしれない。
ここに至って、そう思い始めた。

スケートのスタイルはそれぞれだ。
自分の強みとか、長所は、伸ばした方がいい。

初夏の頃から始めた、アコースティックギターのフィンガーピッキングの練習も、
かなり板についてきた。
自分の曲を弾くためにどうしても必要なので、
5本指のテクニカル?なスタイルで無茶をしているが、
自分なりになんとかなってきたと思う。

同様に、そろそろ、僕のスケートも、少しはなんとかなってくるんじゃないかと思う。

もうすぐ、10月1日で、僕はスケートを初めて2年になる。
なんと、仮にも、まぐれにせよ、偶然にせよ、形だけは、まがりなりにも、
僕は、スケートを初めて2年以内に、トレフリップばかりか、オーリーインポッシブルまで、成功させることが出来た。

これは、ボーナスというか、ラッキーと言う他ない。

僕は世の中的には、圧倒的に人生、負け組であるが、
そしてバンドマン、ミュージシャンとしても、ぜんぜん勝ってるわけではないけれど。

たとえば人間、
エレクトリックギターを、ぎゅいんぎゅいんと思い通りに弾くことができたら、
それだけでもう、人生楽しい。
あるいは、アコースティックギターを、思い通りに弾くことができたら、
それだけでもう、人生が充実する。
僕はそれらを持っている。

そして人間、人生の中で、
好きな女性と結婚できて、
ずっと愛し合っていられたら、
それだけでもう幸せだ。
僕はそれも実現した。
ましてや高校時代の恋人と、20年近くもずっと「ラブラブ」なままである。

そしてスケートボードというものは、
人生を変えてしまうくらいに魅力的なものだ。
どちらかというと、選ばれた人か、あきらめのわるい人しか、やれない、
けれども、
一度スケートボードができるようになってしまえば、
それはもう、人生、死ぬまで楽しい。
死ぬ程楽しい。
そういうものだ。
僕はこの歳で、いまさらそれも手に入れたみたいである。

そして人生、信じられるものを見つけるのは難しい。
が、僕は、本気で信じられるものをふたつも見つけたのだ。
それは、ジーザスクライストと、ロックンロールだ。

それから、あれも、これも。
もっと、もっと。
挙げていけばきりがない。

だから、傍目から見て、どうかはわからないが、
僕の中では、人生、勝ちまくっているのである。
日々大勝利。
グローリー!!
サンキュージーザス!!
Glory to God!!

No(4292)

■…2014年 9月20日 (Sun)…….世界観アウトフィット
馬鹿みたいなヘヴィメタルと、聖書の言葉と、人生で出会った最高のギター。
世界観という言葉がある。
人は誰しも世界観がある。
けれどもその世界観を作り上げ、表現するために、
いったいどれくらいの時間が必要だろうか。
楽器ひとつ、衣装ひとつ、
そして鳴らすリフのひとつひとつ。
これが俺の世界観だと言えるものを見つけ、
研ぎすますまで、どれだけの時間が要るだろう。
音楽を演奏するのなら、
ステージの上だけでなく、
生活や、人生そのもの、すべてが世界観だ。
人々は物語を求め、そして自分の望み選んだ物語を生きるのだから。
というわけで、「ヘヴィメタル」なアウトフィット。つまり衣装。
そんなのなかなか売ってない。
日本だとどうしてもヴィジュアル系のアイテムの方がまだ見つけやすい。
友人である熱きリョウは、女性ものの服を流用しているし、そういう方法を使っている人も多いだろう。
レザーベストや、シンプルなライダースは今までも持っていたが、
本当はもっと徹底したかった。
僕が衣服に興味がないのは、興味を引くものがないからだ。
Judas PriestのGlenn Tiptonが着てるような服は、どこにも売っていなかった。
もし売ってるんだったら今からでも教えてほしい。
こんなものがあるのであれば、早く教えてほしかった。
馬鹿みたいなデザインの、不良親父向けバイカーブランド。
今までのところ、自分の考えるヘヴィメタルにいちばん近い。
とはいっても、まだまだ、本当に徹底しようと思ったら、足りないものはたくさんあるけれど、
年齢とともに少しずつ表現できればそれでいいと思っている。
こちら

No(4293)

■…2014年 9月26日 (Sat)…….再度不可能を可能に
生まれて2度目のOllie Impossible! ( ´ ▽ ` )ノ わりと綺麗に!これでインポッシブル、少なくともたまには!出来る事が証明された^_^ my 2nd Ollie impossible relatively clean! I can do it!

No(4294)

■…2014年 9月26日 (Sat)…….いのフェス出展
とりあえず文章だけでも記録というか日記を残しておくのである。
火曜日、「いのフェス」というイベントに出展してきました。
「いのフェス」とは、いのりフェスティバルの略称(たぶん)で、
ここ何年か毎年やっているらしい、クリスチャンの、ポップカルチャーのイベント?コンベンション?みたいなやつです。
そうはいっても、クリスチャンの少ない日本のことですので、ましてやクリスチャンのポップカルチャーなんて余計ないですから、とても小規模で、なんだか学校の文化祭みたいなノリです。でもその文化祭みたいなノリが、なんだか素敵だったりします。

僕らは、昨年もこのイベント、遊びに来たりしたんですが、
今年は、”The Extreme Tour Japan”として、ブースを出展しました。

それは、11月開催のThe Extreme Tour JapanのPR活動をするため!
そして、そのための資金集め、クラウドファンディングも行っていますので、
そのPRをして、一人でも多くの人に知ってもらい、また寄付をしてもらうため!

であります。

そして、実際にいろんな人にお会いして、クリスチャン関係で、アートや音楽や素敵な表現活動をしておられる皆さんにお会いして、こういう場を共有できたことは、とても素晴らしかった。
そしてなぜだかまったく予期しない、ヘヴィメタル業界のお偉いさんに出会いまして(その方は、クリスチャンだったのですね)、自分のバンドの新作のデモなどお渡しできたりと、そういうこともありました。

けれども何より、ソルフェイのオオハラ氏、CLODのミキ氏、パンクバイカーNobu氏、ミドリさん、ヤマモトカオリさんなど、皆で一同に介して、The Extreme Tourについて話したり、雑談したり、普通に楽しく雑談したり、ハンバーガー食べたり、できたのが、なにより良い時間というか、財産でした。

そして、いのフェス終了後、ヤマモトカオリさんはまだまだ燃えており、「路上やろう」ということで、高田馬場周辺にて路上ライヴ。成り行きでわたしも路上やらせていただきました!
良い経験でした!

さて、どうなるんだ今年のThe Extreme Tour Japan。
クラウドファンディングやっておりますので、
ぜひご協力をお願いします!

こちら

No(4295)

■…2014年 9月26日 (Sat)…….路上takadanobaba
さてそんなこんなで火曜日、いのフェスの後に路上ライヴをヤマモトカオリさんと一緒にやったわけです。高田馬場周辺にて。

ヤマモトカオリさんといえば、普段からかなりがんがんと路上ライヴをやっておられる。もはや、路上こそがホームグラウンドと言ってもいいくらいのアーティストです。
それはとても凄いことで、クリスチャンアーティストであることの姿勢も含めて、僕はその活動を非常に尊敬しているのですが、

そんな路上のエキスパートの彼女とともに、僕も路上にて演奏させてもらいました。
急遽、やることになったので焦ったけどね(笑)

僕だって、路上ライヴ、ストリートパフォーマンスは初めてってわけじゃない。
でも、自分の音楽スタイルが必ずしも路上向けではないので、普段こういうことはあまりやりません。

最近僕は、アコースティックギターでフィンガーピッキングを練習していて、
Imari Tonesナカミネタカヒロとしてのアコースティックソロパフォーマンスを新たにやろうかと思っていますが、
でも、そのスタイルも、路上には絶対合わない(笑)

路上ではどうしても、なるべく声をはりあげる形で、なるべくストレートに、ギターもストロークで鳴らす方法論の方が、環境として合っている気がします。場所にもよりますが。
そして、曲も、なるべくストレートな曲の方が、伝わる気がします。
(男性シンガーにとっての話です)

なので、自分の手持ちのオリジナル曲は、ほとんど使えない。
で、せっかく路上でやるのならば、やっぱりワーシップ。

で、ワーシップっていうか、英語になってしまうけれど、
僕がとても好きなカナダのワーシップバンド、Starfieldの曲。
Starfieldの曲は、なんか僕に合っているので、ワーシップする時には、よく歌います。

歌詞も見ないとわかんないから、準備もしてないし、iPhoneでStarfield検索して、歌詞ページを開いて、そこから適当に。

そんな感じでやったけれど、結構やれたね。
ジーザス、ジーザス、ハレルヤって歌ってる曲を、雑踏の中、いっぱいやってきました。

で、今年はアコースティック演奏を、何度かする機会があったけれど、
アコースティックやると、言われるのが、「歌うまいね」って(笑)

ばっきゃろー(笑)
俺は歌えるんだよ(笑) 最初っから(笑)
普段、自分のバンドで、爆音のバンドで、難しいリフを弾きながら、難しいメロディを、やたらハイトーンで、叫んでばかりいるから、あまり歌がうまいとか言われないけれど(笑)

そりゃメタルシンガーとしてはあまり上手い方ではないかもしれないが、
もともと俺は、きれいな歌い方をするシンガーは好きじゃないし、
ブッチャーズ吉村さんみたいに叩き付けるような歌い方が理想だし。
それにどんなメタルシンガーであれ、うちのバンドの曲、歌わせてみろってば(笑)
このメロディラインそのまま歌える人は、たとえA級のシンガーでも、あまりいないよ。

ていうか俺だってギター弾きながらでなければもうちょっと歌えるよまともに。
(複雑なリフと、難しいメロディと、同時にこなすってこと)

あとは精神的に不安定だからね(苦笑)
いちばんの問題はそこなんだけれど(笑)

ともあれ、そんな不安定な歌い手の私ですが、
この急遽、やらせていただいた路上パフォーマンス、
思ったよりうまく歌えましたので、
なんだか自信がつきました。

そして、ああ、こんなふうに、公共の場で、人々の前で、
神さんに捧げるワーシップが歌えるのであれば、
たまにはこういうこともやってもいいかなあ、って。

ほら、霊的にさ、Jesus is the Lordって、declare(宣言)できたら。

あのねすごい傲慢に聞こえること書くけれど、
たとえばクリスチャンのロックバンドやってる人、
たくさんいると思うけれど(日本にはあまりいないけれど)、
誰もが、神様に捧げることのできる音楽をやれるわけではない。

同様に、ワーシップを歌う人はたくさんいるけれど、
誰もが本当の意味で神様に捧げることのできるワーシップを
やれるわけではない。

そういう意味では、
自分もこういうこと、できたら、
悪くはないかなあ、って。

Starfieldのワーシップの他には、
有名なジュディ・ガーランド、Over The RainbowのアカペラをAメジャーのキーにて。
Suedeもやったし、あとは、もうほとんどおふざけで、
Van Halenの”Dreams”を、ちょこっと歌ってみたり。

やりたい放題でした。
3度セットやって、2度目は集中力なくて、ひどかったけれど、
1度めと3度目はわりとなんとか、なりました。

手伝っていただいた皆さん、
足を止めてくれた方々、
演奏の機会をくれたヤマモトカオリさん、
ありがとうございます。

No(4296)

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