べたべたの王道の定番の名盤ですが、この歳になって、Eric ClaptonがJohn Mayallのバンドで弾いたかの有名な”Bluesbreakers”を聴いています。
それはもちろん、レスポールサウンドの原点をちゃんと聴いてみなきゃね、ということですが。
自分が”Transparent Sound”という言葉を使い始めたのは2001年頃からです。
それは、ご察しの通り、Eddie Van Halenが彼の理想のサウンドを”Brown Sound”と呼ぶ、あの有名なエピソードを真似ているだけのことなんですが、
また自分はブルーズも少しはかじって聴きますが、初心者の域を出ませんし、これからも出ないと思いますが、ジャズの方向に行くギタリストとブルーズの方向に行くギタリストがいるとすれば自分は間違いなくブルーズの方向に行くギタリストです。なんというかつまりは、同じことをずっと繰り返していきたい感じの。
で、ブルーズってやっぱりロックバンドをやる上での表現のいちばん大事なところの原点が、いろいろ示唆されているよね、っていうことは前から思っているわけです。変な言い方ですが。
歴史的名盤”Bluesbreakers”を聴いて思うのは、アメリカの黒人ミュージシャンのブルーズを、イギリスの白人ミュージシャンが頑張って真似したら、ロックになってしまったという歴史的に周知の事実の再確認です。
違った環境で、違ったバックグラウンドで、違った風土の中で鳴らしたら、同じ音符を鳴らしても、違った文脈のサウンドになるのはある意味あたりまえですが、
そこから鳴らしていった、白人にとってのブルーズが、ロック、ハードロックなのであれば、
では僕たち東洋人にとってのブルーズとは何なのか。
それをいつも考えていました。
自分は少年の頃から、そして今でもVan Halen、つまりはエディ・ヴァン・ヘイレンが大好きです。
それは今に至るまでそうなのですが、
自分はデイヴ時代とかサミー時代とか、そういう分け方すら必要なく、Eddie Van Halenというそのミュージシャン、ギタリストそのものが好きなわけです。
ファーストのサウンドが良い、とか、Balanceのサウンドが良い、とかでなく、全部がすべて最高に良いわけですね。
で、自分がこの”Transparent Sound”なんてことを言い出したのは、どこからだったかと思うと、あるいは思い出すに、このVan Halenの例の1998年発表の問題作”Van Halen 3″ではなかったかと思うんです。
その後、何年かたって、ギターの世界でも、たとえば日本語の文脈の中でも、真空管のナチュラルなクランチや、クリーンブーストによってナチュラルにクランクされた真空管アンプの音などを指して、「トランスペアレントな」といった言葉を一般にも言うようになったので、ひょっとして自分はすこし時代を先取りしていたかなと思わなくもありませんが(笑)
Eddie Van Halenのギターの音と、その変遷について書くと、ものすごく長くなっちゃうんですが、でも端折っても書きたいと思うくらいなんですが、
この世間では決して歓迎されなかった”3″というアルバムにおいてのエディの音、これ、僕には結構衝撃的な音色だったんですね。
Eddie Van Halenと言えば、ファーストアルバムのワイルドに歪んだ音色、
“Fair Warning”や”1984″の伸びやかでレンジの広いマーシャルサウンド、
“For Unlawful Carnel knowledge”のタフでヘヴィなのにクリアなサウンド、
あるいは”Balance”の深く歪みつつも高域が美しく伸びたサウンド、
などなど、それぞれの時期によって連想すると思いますが、
しかし、基本的に、ハードに歪んだ音色を思い浮かべると思います。
けれども、
この1998年の”Van Halen 3″では、あまり歪んでいない、クリアで透明感のある、なのに十分なゲインがあり、伸びもあって艶もあるという、なんだか嘘みたいな音色を、エディ・ヴァン・ヘイレンは奏でていました。
どちらかというと、クラシックで、古いヴィンテージライクな感じのその音は、やっぱりそれは世界中のVan Halenのファンたちには、受け入れられなかったんでしょう。多くのVan Halenのファンは、エディに、もっとハードに歪んだ、迫力のあるギターを弾いてくれることを望んでいるでしょうから。
でも、僕はこの”Van Halen 3″におけるエディの音色に、かなりの衝撃というのか、とにもかくにも、非常に気に入ったわけです。
たぶん、僕が”Transparent”なんてことを言い出したのは、この音がずっと頭の中に鳴っていたからだったのではないか、と、今でも、そう思います。
そして個人的なことを言えば、僕がそこから音楽を作ることに自分の人生を費やすきっかけとして、この”Van Halen 3″というアルバムは、他のどのヴァン・ヘイレンのアルバムよりも、僕の背中を押してくれた作品でした。世間では、あまり、というよりは、ほとんど唯一、評価されなかったアルバムでしたが。
そして、この”Van Halen 3″のエディの音を聴いた瞬間から、自分は自分の音楽、今自分がやっている”Imari Tones”につながっていく活動を始め、そして、その時から、自分の中のどこかにあった、自分の理想のギターサウンドを、知ってと知らずと、追い求める旅が始まったのであろうと思います。
ギタリスト、ギタープレイヤーとしての、
そして、エレクトリックギターという楽器とロック音楽の発展と変遷の中で語るのであれば、
僕は、Eddie Van Halenのもっとも大きな功績のひとつは、「レスポール」、それから「ストラトキャスター」この二つの「呪縛」から、ギタリストを解き放ったことだと思っています。
ギターを弾かれる方なら先刻ご存知の通り、エレクトリックギターには「フェンダー」と「ギブソン」という二大メーカーがあり、それぞれ「ストラトキャスター」、「レスポール」という代表的な楽器があります。そして基本的にその二つの流れの中から、エレクトリックギターと、ロックの歴史は発展していったわけです。
しかし人間の多くの営みがそうであるように、それは世の中のいろいろな理由によって、呪われた歴史であったと思います。
どこがどんなふうに呪われた歴史だったのか、ということは面倒なので指摘しませんが、
この「レスポール」、そして「ストラトキャスター」、どちらも非常に優れた、究極と言える楽器であり、エレクトリックギターの原点でもありますが、
これらはギタリストたちに祝福と同時に呪い、呪縛にもなったのです。
その理由はいろいろありますが、たとえばわかりやすいところでは、1950年代の「ヴィンテージ」と呼ばれる楽器と比較して、その後、ロックの黄金時代である1970年代には、「ギブソン」も「フェンダー」も、製造する楽器の品質が低下していた、という事実があげられます。
そして、このエレクトリックギターという呪われた楽器。
なぜ呪われた楽器なのかといえば、このエレクトリックギターという楽器は、どうしても究極的に、致命的に、楽器として不完全なものであるからです。
不完全な楽器で、不完全な音楽を、それでも鳴らさなくてはいけない、全世界のギタリストたち。
そこからは、真実を鳴らすこと、未来を鳴らすこと、愛や希望を鳴らすことは、到底不可能なはずでした。
そして僕が思うには、
この「呪い」から、全世界のギタリストを解放した人物こそが、
エディ・ヴァン・ヘイレンだったと思うのです。
彼の手によって、
新しい時代のエレクトリックギターは、
「レスポール」、「ストラトキャスター」という形の制約から自由になりました。
安価な材料で組み上げられた、赤や白や黒で塗られた、彼の粗末なギターは、粗末なギターであるからこそ、常識を超えた音を出し、音楽の世界を変えていきました。
そしてここに、不完全であったエレクトリックギターは、
その不完全さを逆に生かし、より自由な音色、演奏製を獲得を与えられ、そして無限の可能性が広がったのです。
そして1980年代の音楽、華やかなヘヴィメタルの流行へとつながっていきました。
エディ・ヴァン・ヘイレンの功績といえば、
ギターの奏法や、ハード面のみならず、非常に多くの面にわたっているので、
それをここで私ごときが語る必要など無いのですが、
たとえば彼がPeaveyと共同開発したアンプ”5150″が、その後のギターアンプやロックサウンドを変え、1990年代以降の音楽シーンに、どれだけ大きな影響を与えたかは、すでに計り知れないくらいくらいです。
ですがギターということについてもうひとつ挙げるならば、
バスウッドという木材の採用について着目したいと思っています。
これも、「レスポール」というギタリストの永遠の呪縛からの脱却だったように思えるからです。
エディは、1990年のMusicmanのシグネチャーモデル以降、自身のギターに、メイプルトップ、バスウッドバック、という木材を採用し続けています。
これは、メイプルトップ、マホガニーバック、という伝統的なレスポールの構造からの脱却です。
皆さん多くの方が同意されると思いますが、レスポールというのはエレクトリックギターの原点にして究極です。
(テレキャスターについて触れると余計に長くなるのでよしてください笑)
その形、構造は、絶対にして不変なわけです。
けれども、エディはそれを拒否した。
エディは、現在もこの「メイプルトップ、バスウッドバック」のギターを使っていますから、Eddie Van Halenにとって、彼のギターに対する結論、彼の答えは「バスウッド」だった、ということだと思うのです。
このバスウッドというのも、「ギタリストを自由にする材料、マテリアル」であったと、僕は思っています。バスウッドは、たぶん一般に、「くせのない、平板でやわらかい音」がすると言われていると思うので。
これは、プレイヤーにとって、またギタービルダーにとっても、たぶん「究極だけど、扱いがいろいろと」難しいマホガニーに比べて、もっと自由で、許容範囲の広いマテリアルではないかと思うのです。
以上のように、Eddie Van Halenのギタープレイヤーとしての人生の中で、彼は、「絶対の基準でありヴィンテージ」であるところの、「ギブソン、レスポール」の音を拒否し、そして「フェンダー、ストラトキャスター」も、拒否ってわけじゃないですが、もっと自由に発展させちゃってます。
この「ギブソン、フェンダー」の、ヴィンテージの音を、疑い、否定する立場というか役割が、彼のギタープレイヤーとしての人生にはあったのだと思います。
そして実際にエレクトリックギターのサウンドは、楽器としての構造としても、彼によって再構築されました。
では、エディは、ヴィンテージの音を本当に否定していたのでしょうか。
あまりお金のなかったデビュー前にも、レスポールカスタム、アイバニーズデストロイヤー、ストラトキャスターなど使用していたエディですが、
3rdアルバムのレコーディングと前後して、本物の59年製レスポールを入手していた、という記事があります。
時期的にも微妙ですし、それが、3rdアルバムの録音で使われたのか、ちょっと謎ですが、そう言われてみると、この曲、レスポールじゃないかな、と思えるサウンドの曲もあったりします。
エディは、インタビュー記事の中では、「レスポールは、投資として買ったんだ。僕はレスポールは弾かないからね。」みたいなことを言っています。
しかし、4thアルバム”Fair Warning”のツアー写真には、エディが、このレスポールをステージで弾いている写真があるんですね。
しかも、その高価なヴィンテージであるはずのサンバーストレスポールは、フロントピックアップが外され、なんだかいろいろといじられてぼろぼろになった状態で、エディに抱えられている。
投資だなんて言っておきながら、結局ギタリストの性として、弾き倒さなくてはすまなかったのでしょうか。そして、納得がいくまで、試行錯誤し、いじり倒さずにはいられなかったということでしょう。
そして、その59年レスポールが、それほどにぼろぼろになるほどいじられていた、ということは、エディはそのサウンドに納得していなかった、気に入らなかった、ということを意味します。
エディは、バースト、ヴィンテージレスポールに納得しなかった。
同じくヴィンテージという意味でいえば、Eddie Van Halenは、同様に高価なヴィンテージである58年製フライングVで、有名な”Hot For Teacher”を含むいくつかの曲をレコーディングしています。
高価な楽器だからか、決してメインで使用することはありませんでしたが、いくつかのアルバムで、いくつかの曲で、ちょくちょく使用していたことを考えると、このフライングVのサウンドは、エディは気に入っていたのかもしれません。
いずれにせよ、エディはヴィンテージギターの音も、きちんと体験し、知っていたということは言えると思います。
その上でなお、ギブソンでもフェンダーでもない、「より自由になれる音」を選んだのだと思います。(まあ、現行のEVHモデルを作っているのはFenderなんですが)
その上での彼の答えが、「メイプルトップ、バスウッドバック」、
そして特に日本のファンの間で人気の高い、1995年の”Balance”のサウンドも、この「メイプルトップ、バスウッドバック」のMusicmanシグネチャーモデルで録音されました。(だと思う)
しかし、それから、1998年の”Van Halen 3″の前に、エディは楽器を変えています。
Musicman Eddie Van Halen モデルから、Peavey Wolfgangという、新たなシグネチャーモデルに持ち替えているんですね。
そして、このPeavey Wolfgangという楽器、見た目や、機能の面では、Musicmanのモデルと、大きな違いはありませんが、
しかし、この楽器は、本質的にちょっと性格が違う楽器のように、僕には思えます。
それは、ボディトップが、アーチトトップになっている点。
これって、つまり、レスポール。
Musicman EVHモデルは、楽器の構造からしても、Musicmanというブランドの素性からしても、Fender系の楽器であったと思います。
むしろ、究極的に不完全な楽器であるFenderギター、ひいてはストラトキャスターの、これが本来の完成形なんじゃないかと思えるくらい。
けれども、Peavery Wolfgangは、それがずいぶんと「ギブソン・レスポール」に近づいている、ということだと思います。
それは、Musicman EVHモデルの、レンジが均等に広く平面的な音と比べると、
やはり立体的で、艶があり、またクラシックな響きを持ち。
そして、僕が”Van Halen 3″で聴いたエディのサウンドというのは、この部分だったのではないかと思うのです。
つまり、エディは、彼のキャリアの後半においては、レスポールのサウンドをある程度見直していた、ということではないかと思うのです。
「レスポール=ヴィンテージ」、
しかし僕は、Van Halen、そしてエディの演奏を聴くとき、
果たして本当にそうだろうか、と思います。
僕はVan Halenの持つタイムレスなヴィンテージ感覚が好きです。
この部分に気付く人ってあまり多くはないかもしれませんが、
彼らの音楽には、いつでも、未来でありながら過去であるような、不思議なヴィンテージ感覚が溢れていた。
エディの頭の中には、彼自身の「ヴィンテージ」の音が鳴ってるのだと思います。
それを指して、「ブラウンサウンド」という言葉で彼は呼んだのではないか。
ヴィンテージギブソンとはまた違った、彼自身のヴィンテージの音があり、
それを実現するための彼の答えが、バスウッドだったのだと僕は思います。
さて、やはりVan Halenについて触れると、異常に話が長くなります。
で、John Mayall & Eric Claptonの、”Bluesbreakers”ですね。
伝説的な名盤であるところの、本物の歴史的なヴィンテージの作品。
本物のギブソンのヴィンテージであるところの、1960年製レスポールが、エリック・クラプトンという希代の名ギタリストによって鳴らされているわけです。
それは、エレクトリックギターが、ハードロックのオーヴァードライヴを手に入れた瞬間であり、またMarshallというアンプが、初めて大音量で吠えた瞬間であった、ということは、ロックに詳しい方ならご存知の事実です。
そして、エレクトリックギター、ことレスポール愛好家に言わせれば、これこそが、「バースト」と呼ばれる、ヴィンテージレスポール、エレクトリックギターの、最高峰である、とされています。
でも、そうかな。
確かに、このレコードで聴ける、レスポールの音、凄いんだけれど、
でも何故だろう、俺は、むしろEddie Van Halenに、
“Balance”に、”Van Halen 3″に、そして”A Different Kind of Truth”に、
よりヴィンテージを感じてします。
Eddie Van Halenは、デビュー当初から、もっとも影響を受けたのは、クリーム時代のクラプトンである、と公言しています。
そのことに対して、不思議に思ったり、ぜんぜん影響感じられない、という人も多いと思うんですが、僕は正直、似てると思うんです、すごく。エディ・ヴァン・ヘイレンのプレイ、クリーム時代のクラプトンに。
というよりも、エディのプレイに近いギタリストって、タッピングとかはともかくとして、プレイのニュアンスが近いギタリストって、なかなかいないので、似たニュアンスのギタリストと言われると、確かに、クリーム時代のクラプトンがあるいはいちばん近いのかも、と思う時があります。なんというか、言葉にするの難しいですが、「ひとつところに押さえておけないぴょんぴょんとびはねまくったあの感じ」ですね。
グループとしてのVan Halenの独特のポップ感覚や、ヴィンテージ感覚も、このCreamからの影響が大きいのかもしれません。
何が言いたいのか、何が書きたいのか、自分でもよくわからなくなってきたので、
ここで、BGMを変えて、ブルーズのプレイリストをかけてみるんですね。
たとえば、マディ・ウォーターズとか、
ジョン・リー・フッカーとか、
ロバート・ジョンソンとか、
T-Boneウォーカーとか。
ギターだったらフレディ・キング、
あるいは僕の好きなアルバート・キングとか。
これらを一生懸命真似しようとして、
これらに憧れて影響を受けて、
たぶん、
この”Bluesbreaker”も鳴らされたし、
ローリングストーンズとか、
ヤードバーズとか、
もっと行けばツェッペリンとか、
アメリカではなんだろたとえば
Allman Brothers Bandとか。
これらに影響を受けて、
それを、それぞれの場所で、それぞれの文脈で鳴らした結果、
それぞれの場所で、ロックが生まれていった。
うまく真似は出来なかったかもしれないが、
その変わりに、
ロックという、より新しい音楽が生まれてしまった。
そして、それは今にまでつながっていくわけです。
俺は思います。
ブルーズを聴くとき、
そこから、もっとも読み取る、というか、聞き取るべきなのは、
その演奏している事実と、
その佇まいそのものであると。
鳴っている音符とか、
ブルーズのスケールとか、
コード進行とか、
演奏のテクニックとか、
そういうのは、あまり関係ないと思うんです。
ロバート・ジョンソンが、
アコースティックギター一本で、演奏し、歌っている。
それで南部の街から街へ、旅して回ったわけでしょう。
当時の、きっと今よりも大変な時代を。
そのギター一本で演奏するその佇まいを
音の向こうに聴き取れないのであれば、
聴き取るのであれば、
そこに震えるような感動を覚えないミュージシャンは
いないと思うのです。
ブルーズの録音、
たとえばStevie Ray Vaughanだったら80年代だし、
50年代の録音とか、60年代のものとか、
iTunesの中にB.B.KingのSan Quentinってのが入ってるけど、
これもわりと録音新しいでしょう。
Robert Johnsonは1930年代なわけで、
でもねこれは2012年にリリースされた際にも書いたけれど、
Van Halenの”A Different Kind of Truth”は、
僕には1912年くらいに感じられるわけ。
これはね時代を一度下って、その上でさらに遡ったってことだと
僕は思うんだよね。
1000年くらい未来を見通して、
その上で、2000年くらい過去まで遡って。
そんな感じにしたら、
こういうヴィンテージが鳴らせるんじゃないかと。
そういうヴィンテージの佇まいと、
音楽の本来鳴らされる姿を垣間みるために、
ブルーズに触れるのはたぶん良いことだ。
シンプルであればあるほど。
そして、音楽というものの周辺に、
ビジネスをはじめとする、
余計なものがたくさん付随してしまっている現代だからこそ、
その中心にある音楽というものが、
本来どういうものだったか。
そしてバンドというものが、
本来どういうものだったか。
バンドというより、楽団、と書いてみたり。
エンターテイナーが、役者が、
道化が、踊り子が、
そしてミュージシャンが、
本来どういうものであったか。
そう思いをめぐらしてみて、
1959年に作られたレスポールって、
それは全然、ヴィンテージ、だなんて
思えなくなるんだ。
たかだか60年くらいじゃない。
エディが彼のヴィンテージを鳴らすように、
俺は俺のヴィンテージを見つけなければいけない。
そこは、男と才能をかけた勝負だ。
そして、たぶんもう見つけたと思うんだ。
そして、それを鳴らすために必要な自分だけの楽器も。
それは、やっぱりGibsonのレスポールではなかった。
Fenderのストラトキャスターでもなかった。
そしてEddie Van Halenモデルでも、やはりなかった。
でも、あの時、”Van Halen 3″のエディのサウンドを聴いて、
それ以来、ずっと鳴らしたいと思っていたサウンドには、
きっとたどり着けたはずだ。
俺に言わせれば
ブルーズを感じる、というのは、
何十年とか70年前に居た
アメリカの黒人のミュージシャンを真似することじゃないんだよ。
どこにも、何にも縛られない
音楽屋と楽団の魂に触れて、
1000年昔と、1000年未来の音を鳴らし、
アメリカでもイギリスでも日本でもない、
宇宙の音を鳴らすことなんだ。
話が着地しなかった。
俺はヴィンテージになろうと思う。
どこかの場所でね。