この連休、いわゆるシルバーウィークの最中に、長野県は松原湖バイブルキャンプにて行われた「松原湖バイブレーションジャム」にて演奏してきました。
とても良いイベントでした。
この、「日本初のクリスチャンロックフェスティバル」と銘打たれた、松原湖Vibration Jam。
企画したのはPeter’s Chicken PartyのNobu氏。
いやね、PCPっていうか、僕らの友人でもあるNobu氏なんだけれど、
彼はそうね、もともとバンドとかやっているわけじゃなくて、
クリスチャンのバイクチームLord’s Angelsの一員で、
一年目だったThe Extreme Tour Japanの際に出会って以来、
うちのバンドに関しても”Faith Rider”のビデオ制作に協力してもらったりと、
僕らクリスチャンのバンドをいろいろと応援してくれていた。
その彼も、こうしてPeter’s Chicken Partyっていうパンクバンドを
始めたわけなんだけれども(!!!)
彼が、「クリスチャンのロックフェスティバルをやりたい」って言い出したのは、
果たしていつ頃のことだったか。
思えば、結構前から言っていた気がする。
「ははは、そうだねー、できるといいねー。うん、協力しますよー」とか適当に僕も相づちうってたんだけれども、
それがこうして実現した。
最初は、「大丈夫かなー」とか思っていたし、
なにしろ初めてのことだから、しかも、この狭い日本のゴスペルシーン(教会)の中で、
ロックフェスティバルとか、バイクツーリングとか、
いかにもニッチな分野であるので。
そして彼も、今年はずっと、その開催のために奔走していて、
苦労したり、心労で落ち込んでいたりする様子も見てきた。
けれども、本当にこうして実現し、
しかも良い形で成功させてしまった。
Nobu氏は、けっこう「天然」なところもあるので、
いろいろとつっこみどころは多いし、
周囲も「大丈夫かな〜」と思っていたと思うんだけれど(笑)
こうしてこんな素晴らしいイベントを実現させ、成功させたことに対して、
やったね!凄いね!と、俺は思います。
そして、そんな彼だからこそ周囲の皆の協力を得られたのかもしれないしね。
そして、こんな素晴らしい記念すべきイベントで、
うちのバンドImari Tonesに、演奏する機会をもらえたことに、
Nobuさんだけでなく、参加、協力してくれたすべての人に、
本当にお礼を言いたいと思います。
このシルバーウィークの連休、
日本のいろんなところで、たくさんの音楽イベントが行われていたと思う。
大きなイベント、盛り上がったイベント、たくさんあるに違いない。
クリスチャン・ゴスペル関係のイベントもたくさんあったに違いない。
けれども、僕らはこうしてこの初の企画であった松原湖バイブレーションジャムで演奏することができて非常にハッピーだった。
もとより人気も知名度も大してあるわけじゃない僕らImari Tonesであるけれど、
こんな素敵な場所で、良いステージを与えてもらったことに、本当に感謝です。
出演、共演させてもらったアーティストの皆さんも、本当に素晴らしかった。
サルーキ=、サムエル、ジーバーズ(Gee-Bars)、ソルフェイ、Indicatorという、本当に錚々たる実力を持ったアーティストさんたちの中で、一緒にやらせていただいたというのは、本当に光栄でした。
とはいえ、音楽、演奏の面では、まったく引けを取るつもりもなく、全力でぶっちぎらせてもらったぜ!
そうね、Peter’s Chicken Partyね。
Nobu氏が始めたこの「クリスチャン・パンク」のバンドも、
(確か、昨年秋のThe Extreme Tour Japan 2014に出たい、って言ってたんだけど間に合わなかった)
この松原湖バイブレーションジャムにて、ついにライブデビューとなったわけです。
ピーターズ・チキン・パーティー、略してピーチキパー、という面白い名前のバンドなんだけれども、
Nobu氏は、ギターやったことなかったので、確か昨年の春くらいに、一緒にお茶の水に行ってストラト買うのに付き合うところから始まって。(しかも確か、俺が「それはよくないよ」って言ったギターを買った笑) (いや、好みの問題だし、用途に合ってれば、それでいいんだけどね)
で、そこから、ソルフェイのオオハラ氏と、俺で、Nobuさんにギターのレッスンをするところから始まって。
まあ、ほとんどレッスンしたのは、オオハラ氏だから、彼の功績。
で、立ち上げにあたっては俺もドラムを叩いていたんだけれど、
いろいろの成り行きで、ルカくんがドラマーになり、俺は晴れてお役御免。
で、そっからは俺はノータッチだったけれど、
「よくここまでになった!」
リハーサルの録音を聞かせてもらってはいたけれど、
当初のNobuさんの「リズムもピッチもどうにもならん」
という状態から、ここまで形にすることができたのは、
正直驚きだった!
これは、本人の努力もあったに違いないけれど、Nobu氏に辛抱づよく指導を続けた、オオハラ氏と、サポートしたルカ君の功績だと思う。
そして、良い感じにパンクになっているではないか!
俺は、パンクというジャンルにそんなに詳しいわけではないし、
パンクバンドをいろいろと知っているわけではない。
けれども、概念としてのパンク、精神としてのパンクということには、
実は結構こだわりを持って考えている。
その意味では、実はパンクのカテゴリーに分類されるバンドで、好きなバンドも結構いたりする。
で、俺はNobu氏ならびにPeter’s Chicken Partyは、きちんとパンクになっていると思うのだ。
俺が思うに、パンクをやるには資格がいる。
誰もがパンクをやれるってわけじゃない。
その資格とは、たとえば演奏が上手いとか、パンクについての知識があるとか、才能があるとかじゃなくて、
もっときわどい紙一重のところにあるものだ。
で、俺はNobu氏にはその資格があると思う。
(思い返せば、俺だってその「資格」があればパンクをやりたいと思っていたくらいだが、俺にはパンクを鳴らす資格は無いことが、最初からわかっていた。たとえば、俺はパンクをやるにはちょっとばかしギターが「上手」過ぎた。笑。)
そういう意味では、パンクをやりたい、というNobu氏は、うまく自分の資質を生かす選択をしたと思う。
そして、練習を始めた当初は声も全然出ていなかったNobu氏、
なかなかすごい迫力の意味わかんないシャウトをするようになったじゃないか。
これも、聞けばオオハラ氏の指導のたまものらしく。
声さえ出るようになれば、歌唱の技術とか音程とかそんなの関係なく、彼の体格とかそういう天性のものが生きてきて、彼のでかい図体にふさわしい迫力のあるシャウトが、そして彼の人間性(内面は乙女)にふさわしい、泣き叫ぶようななんか意味わからんシャウトを、出すことができていた。
そういう天性のものは、素直にうらやましいと思わせるだけのパワーがあったね。
そしてそれを支えるオオハラ氏のギターと、ルカ氏のドラム、3人のバンドとしてのコンビネーションも完璧だった。
たとえば俺はサイドプロジェクトの「熱きリョウとジーザスモード」では、結構楽しく自由にギターを弾かせてもらっているけれど、Nobu氏の隣でギターを弾くソルフェイのオオハラ氏の姿は、ソルフェイの時とは違った解放感があって、新たに導入したGrecoのジャパンヴィンテージのギターの威力もあり、彼のミュージシャン、ギタリストとしての実力や安定感が際立っていた。(いや、Grecoのヴィンテージとの出会いによって、オオハラ氏もギタリストとして一皮剥けたようで、そのニューバージョンのオオハラ氏を見れたことも収穫でした。)
Nobu氏の、一曲演奏するごとに、「証」という名の乙女ポエムを読み上げるステージングは、ちょっとどうかなと思ったけれど(笑)、それはそれでユニークだし、これもクリスチャンの表現のスタイルなのかもしれないし、案外と乙女ポエムとパンクは相性わるくないし(笑) それはそれで初めてのライヴにあたっての彼に必要な儀式だったんだろうと思う。
とにもかくにも、クリスチャンパンクバンドPeter’s Chicken Partyのデビューは、この松原湖バイブレーションジャムの、収穫のひとつだったと思う。
今後の活動もきっとマイペースなんだろうけれど、もしうまく続いていくようであれば、俺は、結構期待できると思う。ぜひ、日本のクリスチャンシーンのみならず、一般のパンクシーンに、殴り込みをかけていってもらいたい。
とにもかくにも、こんなに良い感じのパンクバンドになるとは予想外だった!(笑)
で、出会ったすべての皆さんにお礼を言いたいし、
本当に俺にしても、うちのバンドは引っ込み思案でコミュニケーション苦手なので、
滞在中も近寄りにくかったかもしれないけれど(汗)
バンドの中で唯一社公的なジェイクは相変わらず気付けばいつのまにかスタッフの中心になって働いていて、皆とコミュニケーションをとってくれたので、助かったけれど。
本当にとっつきにくくてすみません(汗)
サムエル君のステージを久しぶりに見ることができたのも嬉しかった。
とても素敵だった。(美形大好き)
僕は繊細な美形が大好きなので、いつかサムエル君と半日かけてデートしたいくらいだけれど、きっと上手く話せないんだろうなー。
アコースティックギターを、僕のやつか、オオハラさんのやつか、どちらをお貸しするかで迷ったけれど、結果的にオオハラさんのGibsonで正解だったのではないかと思います。バランスの良い響きと、LRbaggsのiBeamのピックアップが自然な雰囲気を作っていました。
ピーチキパーは上記のとおり。Nobuさんの書く乙女で素直な歌詞とメロディを、オオハラ氏がさすがのアレンジの完成度で仕上げるので、本当に良いバンドになっていたと思う。各メンバーの資質を思うと、ピーチキパー、実は案外とパンクバンドの理想型に近いところにいるような気がする。
Indicatorさんもさすがだった。実は今までに彼らと2度対バンしていながら、出順の関係でじっくり見れていなかったので、やっとじっくり見ることができた。とはいえ、オケージョンの関係で半分はワーシップ仕様のステージだったようだけれど、確かな実力を見ることができた。また、リズム隊の二人がサルーキ=のバックをやった際の安定感も凄かったねー。
ソルフェイ。これは「ソルフェイアコースティック」ということで、僕とオオハラ氏の二人でアコギ2本でやったんだけれど。昨年も何度かやった、この「二人ソルフェイ」。
ソルフェイも、今なかなかバンドで動きにくい状態にあるので、オオハラ氏も悩むことも多いと思うんだけれど、そうはいっても、ユニット「オオハライチ」や先述の「Peter’s Chiken Party」など、各方面で八面六臂の活躍を見せているオオハラさん。
ミュージシャンとして、プレイヤーとして、シンガーとして、ソングライターとして、またクリスチャンとして、これからもどんどんと成長し、発展していくに違いない。
今回も、前の晩のキャンプファイヤーのアコースティック演奏から始まって、ピーチキパー、ソルフェイと、歌い続けて、ソルフェイのステージでは既に声を嗄らしながらの演奏だった。
でも、そんなの全然関係ないくらい熱いメッセージが伝わってきたね。
俺は、オオハラ氏の凄いところは、決して勝ち戦でなくても一歩もひるまないところとか、愚直なまでに神に自らを捧げてひるまない、そのへんだと思う。
今回も、フルバンドではなくてアコースティック仕様での参戦。
それでも一歩もひるまず全力投球。
また彼は、ステージ上だけでなく、それ以外にも、機材面とか、今回だとキャンプファイヤーのステージやサムエルのカフェライブの音響とか、あとは目に見えないところだと運転のこととか、いろいろ働き、貢献している。
そういったことに文句も言わず貢献し、参加し、なおかつ声を嗄らしてもきちんとメッセージは届けてステージをやり遂げる、そのへんにゴスペルロッカーとして、また人間としての彼の凄みを感じるねー!
俺も彼の相方として、まあ相方、あるいはソルフェイに在籍するメンバーの一人として、ちゃんとやれてるかどうか、自信はないけれど、全力は尽くしたぜ。それほど、ミスもなかったと思うしね。小さなミスはいくつかあったけど(汗)
で、俺は自分のバンドの出番にそなえて、コーラスとか歌わないでおこうと思っていたけれど、ばっちりマイクを目の前にセットされてしまったし、オオハラ氏があまりにも熱いパフォーマンスで歌うんで、触発されて結局歌ってしまったぜ!
ソルフェイのトピックとしては、俺が曲を書いた(歌メロと歌詞はもちろんオオハラさん)、ソルフェイの新曲”Before The Dawn”をアコースティックとはいえ初披露したこと。ちょっと間違えちゃったけど(汗)
アコースティックバージョンだからアレンジに無理があったところもあると思うけれど、どうだったかなー。気になるー。
この”Before The Dawn”は、俺が今年の初頭くらいに、CLODの「ヨアケマエ」みたいな曲を作ろうかな、って思って、仮タイトルをBefore The Dawn(夜明け前)にしたら、そのままのタイトルになっちゃったのでちょっと恥ずかしいんだぜー笑。
で、GeeBarsさん。
俺は、ジーバーズさんとは昨年の11月に、三重県で二度、共演させてもらっているんだけれど、今回こうして、素敵なフェスティバルの場で、またご一緒させてもらって本当に良かった。
GeeBarsについては、本当にミュージシャンとして実力があまりにも高いので、もう何のコメントをしても僭越になってしまうんだけれど、
あえて言うなら、俺はジーバーズさんは、その見た目や年齢にも関わらず、実際のところ、今の時代の世界のインディーズ最先端の流れに位置する、最新鋭のアーティストだと思っています。だからこそ最新のインディロックが大好物なアンジェロも、昨年見て非常に気に入っていたわけだし。ここ何年かの欧米のインディロックのシーンでは、民俗楽器やフォークな手法を取り入れるのが流行りなわけだけれども、当然ながらGeeBarsさんたちは、流行りではなく、年季と経験で築かれた(であろう)本物をやっているわけなので、その凄さもひとしおなわけです。どっちにしても、ジーバーズさんは「最先端」な存在であろうと僕は思います。
そして、主催の住吉先生が教会の急な用件で予定より早くお帰りになられてしまったこともあり、
ジーバーズさんが急遽、翌朝のメッセージを担当していただいたのですが、
そのメッセージの冒頭で
(急なお願いだったこともあり)
「いやあ、聖書を忘れてきてしまって」
というのは、いくつもロックバンドが出演したこの「クリスチャンロックフェスティバル」の中にあって、
実にいちばんロックな瞬間であったと思います。(笑)
参りました(笑)
ジーバーズさんが、また東京、首都圏近郊のイベントにもし来ていただけるのであれば、
今回、俺が考えてわくわくしたのは、
B.D.Badge中島寿朗閣下と、共演していただいて、
まるで「愚地独歩 vs 渋川剛気」のような、スタイルは違うけれども、究極の達人対決を実現させたいなー、みたいな野望を、密かに抱きました(笑)
で、大トリを飾ったサルーキ=さん。
サルーキ=さんとご一緒するのも、本当に久しぶり。
思い出すのは、一昨年の2013年に、一回目のThe Extreme Tour Japanをやったとき。
チヨさんに声をかけたんだけれど、彼は、その時に計画されていたイベントの中でも、平日の公園で、無理矢理に組んでみた、いちばん人のいない、いちばん「これはどうかな」ってイベントに、一人でやってきた。
彼らみたいな人気も実力もあって忙しいバンドの人が、そんなイベントの場に来てくれる、っていうのも、彼の男気を感じるんだけれど。
彼らは3年連続でブラジルツアーを行い、マーチフォージーザスで30万人以上の観客の前で演奏するという、笑っちゃうくらいの桁外れの偉業を成し遂げている。
何年か前に、渋谷公会堂でのワンマンを成功させた後に、彼らも悩む時期があったと、今回のステージでも言っていたんだけれども、そんな彼らも、今年行われるCelebration of Loveの中で、念願の武道館のステージを踏む(んだよね?)
チヨさんはまっすぐな性格だから、自分の身をもって、いろんなものを確かめ、その上で、神を信じる道を選び、歩いてきたと思うんだけれど、そんな彼らの歩み自体が、クリスチャンっていうのか、キリストを信じる者が、悩み苦しみながらも、Graceっていうのか祝福を受け取っていく、そんな姿を象徴していると思う。
彼らは日本のゴスペルシーンの中でも屈指の人気アーティストだし、今回この松原湖バイブレーションジャムに参加したロックバンドの中でも、ほとんど唯一ってほどにプロフェッショナルな活動を行い、またこのフェスティバルの後にも、各地でのツアーを続けていく中での参戦だ。その点、こんなふうに後からゆっくりイベントの感想を書いている僕は気楽なもんだけれど(笑)
彼らの音楽はオーソドックスなロックンロールだけれども、確実にお客さんを楽しませることのできるその演奏には、他のバンドとはひと味違ったプロフェッショナル的な凄みがある。
そんな実績も実力もあるサルーキ=のすぐ前の出番で、準トリ的なポジションで僕らImari Tonesが演奏させてもらったことも、すごく光栄だ。かといって、演奏や音楽の面では、僕らも一歩も引けは取っていないつもりだけれども(笑) でもチヨさんやモーリーさんには、彼らの人間的な魅力とともに、そうした日本のクリスチャンロックの中でも数少ないプロフェッショナルなステージができるグループとしての凄みを感じるんだね。
そして、モーリーさんのテレキャスターが、すごくいい音をしていたな。
そして、いい笑顔でギターを弾いていた。
やっぱ、それに尽きると思う(笑)
で、自分たちの演奏の所感だ。
僕は、自分たちのバンドの演奏の他にも、
なんだかキャンプ初日のキャンプファイヤーのアコースティック演奏にも、出演を割り振られていて。
アコースティックのライヴも、何度かはやったけれど、やっぱり慣れていないし、ふだん練習しないし。
また、アコースティックギター持ったときにも、繊細なフィンガースタイルで繊細なゴスペルを綱渡りのようにやるスタイルなので、キャンプファイヤーの野外ステージとか、そういう場所で、どういったことができるのか、不安でいっぱい。
結局、何があっても対応できるように、プレッシャーもあり、事前にかなり声を作ってしまったので、初日の夜でけっこう喉を消耗してしまった。翌日、バンドで歌えるかちょっと心配なくらいだった。(結果的に大丈夫だったけれど)
キャンプファイヤーの場は、結構ナーバスだった、キャンプファイヤーという環境も、機材も、お客さんとの距離感とか、ナーバスだった。またサルーキ=さんとかサムエルくんとか、アコースティック得意な人たちがいるのに、それを差し置いて自分がやるのも僭越だなと思った(笑)
ソルフェイのオオハラさんが一番手で歌ったんだけれど、彼はもともとアコギの人だから、やっぱりさすがだなあ、と。彼の長年愛用しているGibsonサザンジャンボのぶっとい音とともに、弾き語りのスタイルがはまっていて、何をやってもばっちり決まるなあ、と。
俺にはこんなことはとてもできない、と思っていたんだけれど、
自分の出番が来て、セッティングして、椅子にすわったら、その瞬間に椅子が倒れて、初っぱなからこけた(笑)
当然、会場は爆笑だったわけだけれども、今にして思えば、あれは笑いの神というか、キリストが降りてきた瞬間だったねー(笑)
あれは、後から、サルーキ=のチヨさんに「あれは狙ってやったの」って聞かれて、素でやったんだよ、って言ったんだけれど、いまいち信じてもらえないふうだったんだけれど、翌日にね、俺がコーヒー飲もうと思って、受付のインスタントコーヒーが無かったから、食堂にコーヒー飲みに行ったのね。そしたらそこでチヨさんがコーヒー飲んでたから、俺も一緒に飲もうと思って、チヨさんの隣に座ったのね。そしたら、それがお子様用の椅子で、ケツがはまりこんで、しかも俺はしばらく気付かずに「なんかこの椅子小さいね」みたいなこと言ってたんだけど、きっとあれでチヨさんは、俺が素でコケたんだってことを信じてくれたと思う(笑)
で、そんな感じのステージで、こけた後はもう覚えていなくって、なんだか熱きリョウの真似して「ファイヤー!」とか叫んでた記憶はあるんだけれど、何やったかはぜんぜん覚えてない(笑)
でも後からオオハラさんに聞いたら「美味しいところ全部持ってかれましたわ」みたいなこと言ってたから、きっとまた、あれなパフォーマンスをやってしまったんだと思う(苦笑) ほんと、すんません(汗)
で、アコースティック演奏についての冗談はさておき、Imari Tonesの本番のステージ。
今回、75分という、いつもよりちょっと長め、というよりは、いつもよりはるかに長い持ち時間をいただいて。
もとより、普段やるライヴっていったら30分とか40分。アメリカ回ったときも、45分とか長くて1時間とか、そういうのがほとんどだから、1時間越えのステージっていうのは、僕らみたいなキャリアの無いバンドだと、あんまりやることないので。
それでも選曲に悩んでしまう僕らの持ち曲がどんだけあんねん、って感じなんだけれども。あれも削って、これも削って、みたいな(苦笑)。
ひとつ心配だった、というか、どうかなと思っていたのは、75分のステージやって、自分のヴォーカルが持つかなって点。一応メタルバンドで、ハイトーンのシャウトのスタイルだしね。
でも結果として、最後まで声は持った。
それどころか、全体を通じて、今まででも最高の歌唱を聞かせることができた。
(もちろん、ミスった箇所や、出なかった箇所もあるけれど)
これは、ここ何年かの、自分のシンガー、ヴォーカリストとしての成長とか技術の進歩ということだと思うので、これは自分としては大きな収穫だったと言える。
30万人だか35万人だかを前に演奏したサルーキ=さんを前にして言うことじゃないけれど、僕もいつか、世界のどこでも構わないから、一万人くらいの観客の前で、アンコール付き2時間15分のコンサートをやりたいなと思っているから、これでひとまず、1時間15分の演奏は出来るってことで、一歩前に進んだ(笑)
特に、ハイトーンだけでなく、中音域のコントロールを最後まで失わなかった。
俺の声質は、決してマッチョな声ではなく、よくRushのGeddy Leeあたりと比較されるようなわりと細いタイプの繊細なハイトーンなので、これも人からよく言われるのは、ハイトーンよりも、ボーイッシュな声の魅力が生きる中音域で歌ったらいいんじゃないか、ってことを何度も言われたことがある。けれども、それらの人がわかってないのは、その中音域、ちょうどGあたりを多用するへんの音域が、いちばん出すのが難しいってこと(笑) だったらハイDとかハイEをヘッドヴォイスでスクリームする方がまだ簡単なんだよね。ライヴで歌うのは難しいんだよ。少なくとも俺にとっては。
それとちょっと被るけれど、俺が「ボンジョビゾーン」って呼んでいる音域があって、それはつまり、GからAあたりの音域を、うまく声を丸めて力みすぎることなく安定して出すと、男性のハスキーな中高域のハイトーンがいちばん魅力的に聞こえる、っていう音域のことなんだけれど、そのボンジョヴィゾーンのコントロールを、最後まですることが出来た。これは、自分にとっては結構な収穫だった。
まあ、二十歳の頃にこれくらい歌えてればねー、っていうのはあるんだけれども、シンガーとしてはまだまだ発展途上の自分としても、少しずつ成長してるんだぜ、ってことで。
あとは、そうね、”Karma Flower”の日本語版、「初春恋風」を演奏することができた。
Karma Flowerは僕らの代表曲のひとつでもあるから、今までに何度も演奏してきてるけれど、日本語でやることは珍しい。これもその「中音域」が難しい曲のひとつだから、ライヴでやるときにいつも「今日は歌えるかな」っていう曲のひとつだった。けれど、それを日本語できっちりやることが出来た。
Karma Flowerの何が感慨深いかっていうと、そうね、それは、2012年でアメリカのワシントン州の山の中で演奏したX-Festのこと。
あの時に演奏したX-Fest、それは、僕らのバンド活動の歴史の中でも、最良のショウのひとつとして今でも記憶していて、うちのはっしーなんかも未だに一番楽しかったショウ、として言及しているイベント。
俺はこの松原湖バイブルキャンプ、3月の時点で下見に来たときに、これは日本版X-Festのようになるんじゃないか、って予感がした。
X-Festは、ワシントン州のStevensonっていう場所で行われているクリスチャンのミュージックフェスティバルだ。
松原湖と同様に、山の中で、キャンプ場で、泊まりがけで行われるフェスティバル。
だから、同じような感じになるのはまったく不思議ではないのだけれど、
それにしたって、キリスト教信仰が定着(なんていうのもばかばかしいくらい)しているアメリカで、クリスチャンミュージックの層も厚いからこそ成り立つX-Fest。
日本で同じようなことが出来るとは、夢にも思っていなかった。
それがこうして、たとえ規模はずっと小さかったとしても、現実に実現した。
で、2012年に俺たちがX-FestでKarma Flowerを演奏して、それは結構、会心の出来だった。
だから、今回は俺はこの松原湖Vibration Jamでも、ぜひKarma Flowerを演奏したいと思っていたんだ。それも、日本語バージョンで。
それをばっちりと鳴らし、歌うことが出来たのは、自分の中では、ちょっとした感慨なんだぜ!
あとは、Nobu氏に捧げようとしたら本人がちょうどその場にいなくてタイミング外して失敗(?)した”Bushido”とか、急遽キャンセルになってしまったけど牧師Rocksに捧げようとして選曲した「仏教ソング」”Saints Seeking Salvation”とか、人前初披露の曲も2曲やりました。まあ”Saints Seeking”の方はわりとなんとかなったかな。Bushidoはいろいろミスったので次回に期待だね。
なんにしても、1時間15分にもわたるステージを見ていただいて、付き合っていただいた参加者の皆さん。はるばる見に来て、応援に来ていただいた皆さん。すべての参加者、スタッフの皆さん。皆さんに、本当にお礼を言います。おかげで、バンドとしてとても良い経験と、重要なステップとなるステージをやることができました。僕らみたいな小さな無名のバンド、そして松原湖バイブレーションジャムという、初めて行われた手探りのイベント。決して大きなステージではないかもしれないけれど、僕らにとって、それは本当に大事な意味を持つステージでした。
あとはねえ、松原湖バイブルキャンプ、ひとつすごいなと思ったのは、食事が美味い(笑)
しかも、半端なく美味い。
ライヴの日にね、僕らの出番は夕食のすぐ後だったから、演奏前に食えないなってことで、「じゃあ演奏後に食事をとっておきますよ」って、うちのメンバー3人分だけ、フレキシブルに食事を後にしてもらった。
最初は、「そんな、面倒かけちゃうし、悪いし、そこまでしなくてもいいですよ〜」って思ったんだけれど、演奏終わって、3人で食堂に行って、そのあまりの夕食の豪華さに、「とっておいてもらって本当によかった!」って号泣した(笑)
もちろん演奏して疲れた後だからっていうのはあると思うんだけれど、それだけでなく、どこのレストランだよ、ってくらいに、豪華だった。豪華つっても、高級とかそういうのじゃなくて、どこか優しい味のする、あたたかい料理。
あれね、一応、キリスト教つーか、宗教の、修養というのか勉強をする施設なわけだから、食事も質素なのかな、と思いきや、この充実っぷり。
これは、節制を旨とする仏教とかならまだしも、キリスト教的には、神からの祝福っつーことなのかもしれない。祝福をたっぷり受け取れ、と。
やっぱり、メシは美味いに越したことはない。
そして、これは、食事っつーものの大事さをわかっているんだと思う。
美味しい食事が、どれだけ人々を元気づけ、身も心も、強くするかってことを。
そして、豪華なだけでなくバランスの取れた、このやさしく、すがすがしい味。
食事の前にギター弾いて賛美していた「ミスター・キッチン」の腕前なのかもしれないし、スタッフの皆様全員なのかもしれないけれど、まさに神に仕えるにふさわしい仕事っぷり。
恐るべしです。松原湖バイブルキャンプ。
これなら、また来たいな、って思う(笑)
というわけで、初めての開催で、きちんと成功して、きちんと素晴らしいイベントになった松原湖バイブレーションジャム。
果たして第二回目、第三回目、と続いていくのか。
今後、各方面からの支援を得て、もっと大規模に盛り上がるのか。
Nobu氏はこんなに苦労しなくて済むようになるのか、あるいは規模が拡大してかえって心労が増えるのか。
どうなるにしても、僕らImari Tonesは可能な限りお手伝いはしたいですね。(うかつなことは、言えないが、ははは)
そして、僕らがアメリカで参加したX-Festだって、長いこと続いていると思うけれど、きっと最初は、こんな感じだったに違いない。
そして、サルーキ=さんもMCで言っていたけれど、ブラジルのマナウスのマーチフォージーザスだって、最初はたった50人とか、すごく小さいものだった、と言っていた。それがいまや100万人になったっていうんだから。
その「最初の何か」に立ち会ったような気が、しているんだぜ。
サンキュージーザス。