いつも長いひとりごと文章を書くのが自分の習慣ですが、
なかなかそういう時間も取れなかったりする昨今。
もっとも、世間一般の人とくらべれば僕なんか暇人の部類にカウントされると思いますが、それでもやはり別の種類の忙しさの中に生きているでしょう。
ギター、エレクトリックギターと、そのサウンドについていろいろ書きたいといつも思っています。
ギター、エレクトリックギター、エレキギター、と一言で言ってみても、そこにはいろんな種類があり、人それぞれ、イメージするものは全然違う。
たとえば、バイオリンの音、ピアノの音、トランペットの音、などと言えば、だいたい皆が考える音は一緒だと思います。もちろん、その中でのバラエティはあったにしても。
けれども、エレクトリックギターに関しては、本当にいろんな使い方、いろんなスタイル、いろんなサウンドがあるので、人それぞれにイメージするものはまったく違う。これくらい、ひとつの楽器なのに、出てくる音はまったく違うという楽器も、人類の歴史上たぶん珍しいんじゃないかと思います。
(なので、ギタリストにとって大事なことは、まず、自分にとってのエレクトリックギターとはいったいどういうものなのか、ということをイメージし、追い求め、定義することだと思います。)
(自分が弾く楽器はいったいどういうものなのか、を考え出すところから始まる、という。笑。)
自分が最近、興味があって、いろんな人に聞いてみたいのは、
いったい「エレクトリックギター」とはどういうものなのか。
ということ。
20年以上もエレクトリックギターを弾いて、少しは上手くなろうと努力もしているんですが、いったいぜんたい「エレクトリックギター」とはどういうものなのか、いまだによくわからない。
僕が人に聞きたいと思っているのは言葉の定義です。
それはつまり、その正体を知りたいということ。
たとえば、「ストラトキャスター」とは、いったいどういうものなのか。
「テレキャスター」とは、いったいどういうものなのか。
そして「レスポール」とは、いったいどういうものなのか。
もちろん、辞書を引けば、Wikipediaを見れば、インターネットで検索すれば、情報は出てきます。
いつごろ発明されて、どういう歴史をたどって、どういうプレイヤーに使用されてきた、とか、そういう事実は書いてあります。
でも、それがいったい「どういうもの」で、「どういう楽器」で、「どういう存在」なのか。
ストラトキャスターというものが、僕たち人類にとって、いったいぜんたいどういう意味合いを持つ存在なのか。
そういったことまでは、書いてない。
僕が知りたいのは、そういうことです。
そういうことは、なかなか辞書には書いてない。
教科書にも書いてない。
ましてや雑誌なんか見てもあんまり書いてないわけです。
あるいは書いてあったとしても、
それはどうしても、世間の一般論とか、
あるいは商売のフィルターを通したものになってしまう。
同様に楽器屋さんにギターについて質問しても、
多くの場合は、商売の上でのたてまえ上のトークしか聞かせてもらえなかったりする。
まあそれは、信頼できるおなじみの店のひとつもあれば、少しは違うんでしょうけれど、それでもやっぱり。
いったいぜんたい、「レスポール」とは、どういう楽器で、どういう風に使われ、どういう意味あいを持った楽器なのか。
そして、現在の「レスポール」をめぐる状況はどのようになっていて、
そして、なにより、「実際のところ」は、どうなのか。
その「実際のところ」を知るには、
楽器についてよく知る人、よく精通した人。
たとえば、ギターを作る職人さんとか、
ギターメーカーの人とか、
ヴィンテージショップであるとか、リペア屋さんとか、
そういう詳しい人に話を伺えばいいかもしれない。
けれども、その「実際のところ」というのを知っているのは、
やはりその楽器とともに人生を歩むプレイヤーさんに他ならないのだから、
ベテランのプレイヤーさんに、
自分の音楽人生の中にあって、「レスポール」とは、「テレキャスター」とは、どのようなものであったのか、直接の体験を聞くしかないのかな、と思います。
となると、やはり、一緒にお酒を飲むしかないのかな、という気がしますが。
本来であれば、一人のギタリストが成長する過程において、
たとえば先輩のギタリストであるとか、
駆け出しのプロであれば、プロデューサーやディレクター的な立場の人が、
そういった人たちが、楽器についても、サウンド、音作り、録音、バンドのアンサンブルなどについて、重要なことを教えていくのだと思います。
そういう立場に居て学ぶことが出来る人、出来た人は幸せだと思います。
けれども、今の時代、そういった学びが出来る場、そういった環境に身を置くことが出来る人も、きっと少なくなっているのでしょう。
たとえば、自分はバンド人生の中で、2006から2007年の頃に、とあるプロデューサーさん、それなりに知名度のある方に、お世話になっていた時期があります。それはもちろん、ヘヴィメタル系の方です。
その方とともに活動した時期に、行動を共にして、学んだことはたくさんあります。
けれども、学べなかったことも、またたくさんありました。
時は流れて、たとえばここ2、3年の間にも僕のギターに対する考え方はずいぶん変わりました。
そのプロデューサー氏から学んだことはもちろんたくさんあるけれども、その方に出会う前、自分たち、自分だけの考えで、限られた環境と機材の中で音作りをして音楽を作っていた頃、その頃の音作りに後悔があるかといえば、そういうわけでは決してありません。
それは、その頃にしか出せなかった事、作れなかった曲、そしてその頃でなければ歌えなかった声が、そこにあるからで、やはり何事にも、こうでなくてはいけない、というルールはない。そしてそれこそがロック、そしてエレクトリックギターの面白いところだと思います。あたりまえのことですが。
結局、意見というものは人それぞれに違い、
その人の立場、作っている音楽の種類、プレイのスタイル。
たとえば、「スルーネック」というものについて、どう考えるか。
それだけで、人によって本当にいろいろな意見が分かれそうです。
俺は、どっちかっていうと「スルーネック」のギターやベースは否定派です。
いや、決して嫌いってわけじゃないけれど、好きか嫌いかでいえば、スルーネックのギターは嫌いな方です。そしてスルーネックのベースはもっと嫌いです。まあたいだい、すごく高いことが多いですけど、スルーネックのベース。
けれども、かといってスルーネックの利点や、特定のジャンルの音を出したい時、そしてライヴの場における音抜けなどの利点、などなど、身を以て知っているつもりですし、特定の音を出したい場合にスルーネックはありだと思います。
そしてなにより、僕は自分のギタリスト人生の中で、スルーネックのギターを2本所有したことがありますが、その2本とも、自分のギタリスト人生の中で、とても重要な役割を果たしてくれたギターです。
だから、僕は一般論としてスルーネックのギターは好きではない、とは言っても、時と場合によって、やはりスルーネックが優れている場面というものがあり、そして、僕自身、その恩恵に多分にあずかってきた、ということです。
そういった、「本当のところ」、物事の定義といったものを、諸先輩がた、また専門家の方、知識を持った方々、経験を持った方々に、なにより同輩のギタリスト諸氏に、聞いてみたい。
そんなことを、最近思います。
「レスポール」って、いったいどういうものですか?
「ストラト」って、いったいどういうものですか?
「テレキャスター」って、いったいどういうものですか?
そして、僕が近頃、知りたい、と思っている事はたとえば他に、いくつかあります。
「フロイドローズ」とは、いったい何なのか。そして、何だったのか。
同様に「トレモロアーム」とはいったいどういうものなのか。
そのフロイドローズと関連しますが、
では「スーパーストラト」とは、いったい全体、ギターの歴史の上でどういう存在だったのか。
そのあたりから対比して、
「レスポールカスタム」とは、いったいどういうことなのか。
そして、ちょっと話題は飛ぶけれども、90年代オルタナキッズとしては聞かずにいられない、
「ジャズマスター」とは、いったいどういうものだったのか。
そして、またテーマが広くなってしまいますが、
「Fender」とは、いったい何だったのか。
そして、「Gibson」とは、いったいどういう存在だったのか。
そういうことについて、教えてくれる人がいるのであれば、ぜひ教えてほしい。
ここに、僕自身、自分の体験にもとづいて、いくつかの物事が自分にとってどのような意味合いを持つものだったのか。あるいは、現在進行形でどのような意味を持っているものなのか、整理し、書き出してみたいと思います。
–「ヘヴィメタル」というもの、自分にとっての「ヘヴィメタル・ギター」について。
自分はしょせん、90年代に青春を送り、その中で、80年代のヘヴィメタル音楽にあこがれてエレクトリックギターを始めた人間です。
自分が目指していたものは、最初からヘヴィメタルを鳴らすことであり、それは今でも変わりません。
自分がエレクトリックギターを選ぶとき、求めていたのは常に、「ヘヴィメタルを鳴らすための楽器」でした。
たとえそのことを忘れていたとしても、自分が無意識に求めていたのは、やはりいつだって、理想のヘヴィメタルを鳴らすことでした。
ちなみに、この「ヘヴィメタル」という言葉について、自分なりの定義を考えてみたのです。
もちろん、色々な言葉を言うことが出来ます。
けれども、自分にとっての「ヘヴィメタル」ということを言葉で表そうとする時、もっともぴったりくる表現は、こういうものです。
ロック黄金時代、あるいは、ハードロックの全盛期であり、ヘヴィメタルの創世記でもある1970年代。
それらのクラシックなヘヴィメタルを鳴らしていた伝説的なバンドたち。
彼らには、「ヘヴィメタル」をやっている、なんていう意識はなかったと思うのです。
彼らは純粋に、ハードな大音量のロックをやっていたのであり、彼らのうちの多くは、「ブルーズ」をやっているということ、そこから始まったのではないか。
そしてもちろん80年代以降も、たくさんのメタル系、ハードロック系のバンドが、自分たちのルーツはブルーズだ、みたいなことを(かっこつけて)言ったりしています。
逆に言えば、メタルゴッドことJudas Priestの偉大なところは、ヘヴィメタルの定義が曖昧な時代に(今でも案外、曖昧ですが)、「ヘヴィメタル」ということを徹底して意識して、突き詰めて定義し、鳴らそうとしたところにあると言えます。
で、結論ですが、俺は、本物のヘヴィメタルミュージシャンというものは、たとえば、彼らは自分たちが「ヘヴィメタル」をやっている、なんてことは考えてないんじゃないかと思うわけです。
彼らに聞いてみれば、きっとこういう答が返ってくるのではないか。
「自分たちは、音楽をやっているんだよ。」
彼らにしてみれば、自分たちは単に音楽を作っている。
それを、世間とか、他人から見て、これはヘヴィメタルだ、と呼んだり、思ったり、分類したりする、それだけのことではないか、と。
もちろん、「俺たちはヘヴィメタルだぜ」というバンドはいっぱいいるし、そのことが悪いわけでは全然ないですが、
そしてそれはたぶん俺自身にとっても。
自分のヘヴィメタルというものに対しての最終的な答は、
自分は音楽をやっているのだ、ということ。
自分の音楽を求め、自由に音楽を表現することが、すなわちそれがたまたまヘヴィメタルと呼ばれるものだったに過ぎない。
そういうことではないかと思います。
よくよく考えれば、それは昔のクラシックの作曲家が、
「自分はクラシックをやっている」なんて考えてないのと同様ですね。
彼らが「クラシック」になったのは、もっと何百年もたった後のことなのだから。
肖像画の中の彼らが、宮廷の衣装を来て、くるくるヘアーのかつらを着けているのは、別にそれがクラシックの様式美だからではなく、当時はそれが普通だったから、ということですよね。
かといって、俺の「ヘヴィメタル」というものに対する信念(faith)と、献身(dedication)が、まったくの嘘であり存在しないのかといえば、そんなことはなく、やはり自分はこの「ヘヴィメタル」という表現方法を信じているのです。
さて、そんなヘヴィメタルですが、僕はやはり、振り返れば最初から、最初にエレクトリックギターを弾きたい、と思った瞬間から、今に至るまで、自分が求めていたのは他でもなくやはり「ヘヴィメタル」を鳴らすためのギターでした。
そして、自分にとっての「ヘヴィメタル」というものを探求し、自分にとって理想の「ヘヴィメタルを鳴らすためのギター」はいったいどういうものなのか、ということを追求してきたわけです。
もちろん、いつも真面目に追求してきたわけではなく、ギター始めて20年以上たってますが、その半分くらいは、「別にヘヴィメタルとか興味ないし」「速弾きとかどうでもいいし」とか思いながら生きてきたわけです。また、そんな自分だから、経験も限られているし、ましてや、いろんなギターや機材をためす予算もなく、本当に自分自身の限られた経験の中の話でしかありません。
けれども、自分なりにヘヴィメタルに属する音楽を演奏しながら、ちょっとずつやってきたギタリスト人生の中で、自分は最近、気が付いたことがあるのです。
それは、自分はどちらかといえば「Gibson派」の人間だ、ということです。
その昔、ギタリストは大きく分けてFender派と、Gibson派の二種類が居たとされます。
それは、昔はエレクトリックギターのメーカーは少なくて、その代表的な大手がFenderとGibsonだったからだと言われます。
Fenderは、ボルトオン構造を特徴とする、軽快な音の先進的なメーカー。
Gibsonは、セットネック構造を特徴とする、重厚な音の伝統的なメーカー。
そういうふうな分類だったみたいです。
で、俺は、90年代にギターを始めました。
しかも憧れていたのは80年代のヘヴィメタル。
FenderとかGibsonとか、まったく興味ありませんでした。
最初に手にしたギターは日本製のJacksonでした。
そして、その後も、Fender、Gibsonからは距離を置いて、ほとんどがヘヴィメタルのカテゴリに分類されるギターしか弾いてきませんでした。
けれども、最近、この歳になってわかったことは、自分は実は、どちらかといえば、Gibson派のギタリストだったのだ、ということがわかってきたのです。
つまりこの歳まで弾いてきて、わかってきた自分のギターに対する答。
つまり、自分にとって「理想のヘヴィメタルを鳴らすためのギター」とは、セットネック構造のGibson系ギターに他ならない、という結論が出たのです。
けれども、皮肉なことに、それは本家Gibsonの楽器ではない。
今、自分は手元に、「これなら自分の理想のヘヴィメタルを鳴らすことができる」というギターをたぶん2本、所有しています。
しかし、それはGibsonではない。
ひとつには、Hamerと書いてあります。アメリカ製です。
もうひとつには、Bacchusと書いてあります。日本製です。
どちらも、セットネック構造の、本当に素晴らしく作られたギターです。
でもどちらも、Gibsonではない。
けれども、系統としてはまちがいなくGibson系のギターなのです。
じゃあなぜ、それが本家Gibsonのギターではないのか。
それについて理由を語ると、また不必要に長くなってしまいます。
なのでその理由については割愛します。
でも、上記したように、そもそも80年代のヘヴィメタルに憧れてギターを始めた自分が、憧れていたのはJudas Priestだったので、そのJudas Priestが全盛期に使用していたのは他でもないHamerのギターでしたので、その同じHamerにたどり着いたというのは、確かに理にかなっているといえば、かなっているように思います。
では、なぜ「Gibson系」のセットネックのギターが、自分にとって理想のヘヴィメタルギターになり得るのか。
それについては、すごく説明が難しいところです。
でも、俺はこんなふうに思っています。
ギターにとって、ネックジョイントというのは、構造上、たぶんいちばん重要な、文字通りの要となる箇所です。
そのネックジョイントが、音に非常に大きな影響を持ちます。
俺が思うに、スルーネックのギターはとても優秀で、ほぼ確実に、そしてどんな環境、どんな場所であっても、安定して、90点、あるいは95点の音を出すことができます。ただ、スルーネック特有のパコンというアタック音に好き嫌いは分かれますが。結果を出さなくてはいけないプロフェッショナルが、現場でスルーネックの楽器を使うのは、俺は理にかなっていると思います。
そして、ボルトオンのギターは、ほとんどの場合、安っぽい音がしますが、その安っぽい音を利用して、「非常に気持ちいい音」に変えることができます。そして実は、きちんと作れば「100点満点」の音を得ることができると思います。エレクトリックギターという楽器の特性、そしてその演奏するジャンルや場所を考えた時、「気持ちいい音」「魅了する音」という楽器本来の目的を達成するためには、俺はこのボルトオンのギターは、はっきり言っていちばんの近道だと思います。つまり、エレクトリックギターの魅力がいちばん強く出やすいのがボルトオンだと思います。
そして、あくまで俺の個人的な思いですが、セットネックのギターは、どうやら作るのが非常に難しいようで、「きちんと作ってある」セットネックのギターにお目にかかることは、非常に少ないと思います。これは、本当に、とても少ないと思います。高いギターであっても少ないと思います。そして、その結果、ほとんどのセットネックのギターは、「いまいち、なんか、煮え切らない」音がすると思います。多くのメーカーは、そしてプレイヤーも同様に、いろんな方法で、それをごまかしていると思います。けれども、セットネックのギターは、もし「きちんと作る」ことが出来たら、120点の音がすると、俺は思います。そして、その構造上か、なんかわかりませんが、「きちんと作られた」セットネックのギターは、もはや生き物だと、俺は思います。性格があります。特徴があります。ひとつひとつ、意志を持ち、性格を持っています。
俺が自分の結論として、自分の理想とするヘヴィメタルを鳴らすための、理想のギターは、どうやらセットネックのギターらしい、という答にたどりついたのは、おおむね、このような理由です。
冒頭にも書きましたが、エレクトリックギターというものは、様々なスタイルがあり、色々な種類の音が出せるものである以上、自分にとっての「エレクトリックギター」が、いったいどのようなものなのかを定義し、イメージすることがとても重要だと俺は思います。
同様に、ヘヴィメタルのミュージシャンであるならば、この曖昧な「ヘヴィメタル」という概念に対して、どのようなサウンドを追い求め、定義するのか。それをイメージすることが、もっとも大切な能力だと思います。
そのことに成功しているミュージシャンも居れば、正直、失敗している、と思うミュージシャンもたくさん居ます。
けれども、それも、聴く人の感性と好みによって、意見が分かれるかもしれません。
— フロイドローズについて
次に、フロイドローズということについて考えてみたいと思います。
それはつまり、トレモロアーム、ということなのですが、
ヘヴィメタルのギタリストである自分にとって、トレモロアームといえば、すなわち事実上フロイドローズのことなので、フロイドローズについてです。
本当であれば、ケーラーとかについても書ければいいんでしょうけれど、恥ずかしながら俺は、ケーラーのついたギター、ちょっと触らせてもらったことくらいならあると思いますが、ちゃんと弾いたり所有したことないので、わかりません。
つまりどういうことかというと、トレモロアームというものに、俺は少なからず憧れがあります。
これは、ヘヴィメタルに憧れてギターを始めた人にとっては、至極当然のことだと思います。
今日というか昨日、有名な映画「バックトゥザフューチャー」の2作目でマーティーとドクがタイムスリップして来た日ということで話題になっていましたが、
あの映画、一作目に、ギターを弾くシーンで印象的なシーンがいくつも含まれています。
そのひとつ、たとえば映画の最初の方で、マーティーが学校のダンスパーティーのオーディションでバンドで演奏するシーン。持っていたのは黒いアイバニーズのギターだったと思いますが、アームできゅいんきゅいんと言わせてギターを演奏するシーンは、子供の頃に見て、とてもかっこよく印象的でした。かなり誇張された80年代っぽいギターサウンドも、そしてアームで音程が上下するそのサウンドも、とても魅力的で、子供の目にも、エレクトリックギターとはなんと楽しそうな楽器だ、と思った、と思います。
そういうのを見てしまうと、そして、80年代ヘヴィメタルギタリストの、アームを駆使した名演をいくつか見て、聴いてしまうと。
やはりトレモロアーム、フロイドローズに憧れるのは自然なことです。
ヘヴィメタルというものに、フロイドローズは、やはりかなり必然の組み合わせなんだと思います。
これもわかりきったことだと思いますが、フロイドローズは、その素材とか構造とか、いろいろの理由で、ギターに搭載すると、まさに80年代ヘヴィメタルにぴったりな、金属的なサウンドになると思います。
そして、俺はなんといっても、Eddie Van Halenの大ファンです。
Eddie Van Halenは、70年代、80年代のヘヴィメタルのギタリストの中でも、屈指のトレモロアームの使い手です。
いわゆるDive Bomb、ハーモニクスを使った叫び声など、アームを使ったプレイはエディのサウンドに欠かせないほどの特徴、トレードマークのようになっています。
そんなエディに憧れた俺は、当然トレモロアームをいろいろと使ってきました。
そして、今までに作り、ライヴで演奏したり、録音制作した楽曲の中には確かに、トレモロアーム、フロイドローズ無しには作れなかった、成り立たない、そんな楽曲もいくつかあります。
けれども、今まで演奏してきて、自分のバンドで、自分たちの楽曲を鳴らし、この歳までいくらか演奏経験を積み重ねてきて。
ようやくわかってきたことがあります。
それは、俺はフロイドローズ、トレモロアームの使い方が下手だということです。
俺は、決してアームが上手くありません。
もちろん、一般的な使い方はだいたい出来ます。
要所でのDive Bomb、フレーズの要所に入れるビブラートはもちろん、ソロの際に突発的にクリケット奏法を使用するのも大好きで文字通り痙攣するような効果が得られるし、またエディの真似をしたハーモニクスでの甲高い叫び声も出すことができます。
でも、そのどれも、あまり上手くありません。
そして、そのうちのどれも、自分のトレードマークにするほどにはなっていない。
そのことに、だんだん気が付いてきました。
果たして、思うのです。
トレモロアーム、フロイドローズは、自分のプレイに、果たしてそれほど、欠かせないものだろうか、と。
ひとつのきっかけは、今のこのクリスチャンヘヴィメタルをやっている、現行メンバーのImari Tones、そのバンドを叩き上げた、過去4回行っているアメリカ遠征。
その際に、俺は、アームのついていない裏通しのフライングVを持っていきました。
その理由は、いちばん大きな理由は、めんどくさいからです。
弦交換が、めんどくさい。
俺は、弦をすごくよく切ります。
なので、ライヴのたびに弦を替えないといけません。
フロイドローズだと、弦を交換するのに1時間かかります。
疲れている時はなおさらです。
けれど、フロイドローズじゃないGibson系のギターであれば、15分で替えることができます。
きついスケジュールの中で、連日のようにライヴしたりすると、ローディーやスタッフのいる大きなバンドならともかく、自分でやらなきゃいけない場合には。
そこにフロイドローズを使うという選択肢は、現実的に「無し」でした。
そして、それらの遠征の中で、フロイドローズの付いていない、裏通しのフライングVを使用して。
まったく、演奏に問題、なかったんですね。
ばっちりと、自分のプレイ、自分の表現が出来た。
そして、俺は気付いたわけです。
なんだ、俺のプレイに、アーム、本当は必要ないんじゃん、って。
俺のスタイルは、アーム使わないスタイルだったんです。本当は。
今まで無理矢理、必要なもんだと思っていたけれど、実際は、俺はアームは下手だった。アーム無い方が、むしろ良いみたいだ、と。
自分のやっているバンドはスリーピースで、自分は歌いながら弾くということも影響しているかもしれません。余計なものは、なるべく、必要ない。
とはいえ、アームが必要な場合もあるし、今後も、アーム、使う予定、あります。
アームの付いたギターを全部手放す、とかそういうことも全然ありません。
でも、自分にとってのいちばんのギター、自分にとっての理想のギターは、フロイドローズじゃない、ってことがわかってしまった。
フロイドローズは魅力的です。
アームをきゅいんきゅいん、とやるのは、純粋に楽しい。やっぱりそれはエレクトリックギターの本質的な魅力だと思う。
けれども、そこには大きな代償もある。
フロイドローズの持つ、構造的に、金属的な特徴的な音。
そして、たぶんボディ鳴りというのか、振動の伝達の損失。
つまりは、ウォームな音ではなくなってしまう。
もちろん、ボディにベタ付けにしたり、アーミングアジャスターとか色々使って固定するとか、改善はするけれど、どうしてもやはり、フロイドローズの付いたギターは、フロイドローズの音になってしまう。
その代償を支払ってまで、なおYESと言えるだけのものが、フロイドローズにあるのか。
そのサウンドが、欠かせない自分のトレードマークになっているならともかく、
そのトレモロアームから、素晴らしい名手のテクニックを繰り出せるならともかく、
自分のような、しょせん中途半端な物真似程度にしかアームを使えない人間が、そのような大きな代償を支払ってまで、アームを載せる必要があるのか。
俺にとっての答は、それは最終的にはノーであった、そのことを、この歳になった今、自分はそろそろ、認めなければならない。
やはり、上記したように、俺にとって理想のヘヴィメタルギター、その最終回答は、Gibson系だったんです。
じゃあ、レスポールにBigsby載せよう、とか言わないでね。
まあ確かに、90年代BritPopのファンとしては、Bernard Butler、大好きだけどね。
一口にアーム、といっても、いろいろあるよなあ。
— EVH、エディ・ヴァン・ヘイレンのギターについて
俺はEddie Van Halenが大好きです。
それは、少年の頃から好きだったんだからしょうがないです。
10代の頃、ヘヴィメタルに憧れて。
そして、様々なギターヒーローのCDを聴いて。
ポール・ギルバートや、イングヴェイ・マルムスティーンにも当然、憧れて。
でも、エディ・ヴァン・ヘイレンだけは、どう考えても別格でした。
速いとか、上手いとか、そういうことではなくて、まったくやっていることが別次元だった。
僕がヘヴィメタルを聴き始めた90年代の前半には、エディより速く、また、上手く弾けるギタリストは、たくさん居た。スティーヴ・ヴァイとか。
けれども、EVHだけは、そもそもギターの鳴らし方自体が、他のギタリストには追いつけないくらい、違うということが、少年だった僕にもわかった。
他のどんなギタリストが、どれだけ速く、スーパーテクニックでギターを弾いたとしても、それはエディに比べれば、周回遅れであり、みんな何周も遅れた上で見た目だけエディより先に居るにすぎないってことが、よくわかった。
僕がすごく長い間、愛用しているギターがあって、それはMusiman Axis。
これは、つまりEddie Van Halenモデルのギター。
90年代の初期に、Eddieが、最初の正式なシグネチャーモデルってことで、MusicManからシグネチャーを出して、それがMusicMan EVH。
それが、エディとの契約が切れて、安くなったのがMusicMan Axis。
それを、さらに日本で組み込みを行って、さらに安くなったのが、MusicMan Axis-EX。僕が持っているのはこれ。
しかも、たぶんトップのキルトの模様があまりよくなかったのか、売れ残ってた個体で、かなり安くなってた。
さらに、それをトップのキルトメイプルを省いてアルダーボディにして、さらに安くなったAxis-EXSっていうのがあるんだけれど、僕はこれも持ってる。
俺は思うのね。
Eddie Van Halen、彼のロックの歴史、エレクトリックギターの歴史における功績は、誰が語っても語り尽くせないくらい偉大で、広範囲に及ぶ。
けれども、基本的に、彼が目指していたのは、FenderとGibsonのいいとこ取り。
当時の、Fenderにも、Gibsonにも満足できなかったEddieは、ストラトにハムバッカーを載っけて、それで歴史が変わった。
でも、彼はその後も、ずっと試行錯誤して、探求を止めず、進み続けた。
その歩みは、今でも続いてる。
2015年現在、EVHは今でも、進化を続けてる。
80年代にEddieが使っていた、ストラトにハムバッカーをのっけた、いわゆる「スーパーストラト」。
その後の、90年代前半のMusicman EVH/Axis。
そして、90年代後半のPeavey Wolfgang。
そして、現行EVHのWolfgang。
今に至るまで、エディの目指しているのは、やはりFenderとGibsonのいいとこ取りであって、そして、それのより高いレベルでの完璧なる融合を、エディは目指してると思う。
僕が持っているこのMusicMan Axis。
つまり90年代前半にEddieが使っていたのと同じスタイルのギターだけれど、
これは、FenderとGibsonの融合を、かなり高いレベルの完成度で実現しているけれども、どちらかといえば、まだFender系の楽器だと、僕は解釈している。
MusicManっていう、Fender直系のメーカーから発売されたのが、奇しくもそれを物語っていると思う。
俺は、ストラト、必要ないのね。ぶっちゃけ。
昔、ストラトを2本、安いのを所有していたことがあるけれど、今は一本も持ってない。
ギタリストなのにストラト持ってないのもどうかと思うけれど、
その理由のひとつはこれ。
Axis-EXがあるから。
俺にとっては、これ、ストラトっていうか、Fender系の使い方が出来るんだよね。
Axisは、かなり広範囲での使い方が出来る楽器だ。
それでいて、とてもユニークな立ち位置、とてもユニークなサウンドを持っている。
ストラトのようでもあり、テレキャスのようでもあり、かといってレスポールのようでもある。
そして、80年代的なスーパーストラトのひとつの完成形でもある。
それはもちろんヘヴィメタルギターのひとつの究極であると同時に、ヘヴィメタルに縛られない多様なスタイルを要求する。
すごく難しいギターだとは思う。
だからEddie Van Halenモデルなのだと思うけれど。
俺にとっては、長年愛用して、録音でもたくさん使い、たくさんの楽曲をこれで書いてきた、このギターは、自分にとってのひとつの「標準」であり、確かにこのギターであれば、自分のバンドの楽曲は、ほとんど対応できる、このギターで演奏し、鳴らすことができる。
でも、先述したように、俺にとって本当の理想のギターはGibson系だということがわかってしまった。
Eddie Van Halenのシグネチャーモデルは、どんどん進化を続け、たとえば90年代後半のPeavey Wolfgangでは、アーチトトップが採用されて、MusicMan AxisがあくまでFender系の楽器だったのに比べて、ぐっとGibson系に近くなった。
だから、俺はずっと持ってないんだけれど、本当はPeaveyないしは、現行EVHのWolfgangが欲しいなという思いもある。
けれども、Fender系の楽器を他に持っていない、という現状もあり、(まあ、Charvelとか持ってるけどね、しょせん80年代スーパーストラトだし。)、自分の手持ちの道具の中ではこのMusicMan Axis-EXはやはり貴重な選択肢だ。
そのPeavey Wolfgang、そして現行のEVH Wolfgang。
今年、2015年の北米ツアーでEddie Van Halenが終始使用していた、クリームホワイトのレリック仕様のWolfgang、あのギターは、写真や動画で何度も見たが、はっきりいってかなりかっこよかった。
思うに、今のEddieは、自身のモデルWolfgangで、GibsonとFenderの融合を、かなり完璧に近い形で実現していると思う。
GibsonとFenderの融合、いいとこ取りなんて、本当は、できっこない、不可能な命題だ、そう思う。たとえばPRSだって、俺はいいとこ取りとは到底思えない。
でも、今のEddieは、それをかなり完璧に近いところまでやっているように見える、というか、少なくとも、出ているサウンドは、そのように聴こえる。
これはアンプもあるだろうし、もっと言えば、いろんな人が言っているように、エディ自身の手が作り出す音にやっぱり秘密があるのかもしれないけれど。
近年のEVH Wolfgangは、ハードテイルのモデルや、セットネックで、ほとんどレスポールに近いものとか、よりレスポール寄りのモデルも出しているけれど、
やはりそうはいっても、エディのプレイには、アーム、フロイドローズが必要だ。それは、そのフロイドローズのプレイとサウンドが、Van Halenの音楽には欠かせない要素、トレードマークになっているからだ。
だから、彼はどうしても、フロイドローズの付いたギターを使わなくてはいけない。
そりゃライヴの中で一部だけなら、アームのついていないレスポールタイプを使うことも出来るけれど、やはり全編を通しては、出来ない。ショウの大部分は、彼はアームをぐいんぐいん言わせて演奏しなくては、やはりVan Halenの音楽にはならない。
だけれど、どうだ。今年の北米ツアーの動画を見ると。
このクリームホワイトのWolfgangは、Fender系の武器のような、あるいは使い込まれた道具としてのハードなテイストと、Gibson系のヴィンテージ楽器の伝統的な香りとを兼ね備えているじゃないか。
そしてそのサウンドも、Fender系の歯切れの良さ、そしてダイナミックなフロイドローズのアーミングを可能にしつつも、Gibson系の音の太さと、きゅんきゅんという立体的な音の伸びを持っているじゃないか。そして、それでいてフロイドローズのヘヴィメタル的な金属的な重々しさも備えている。
なんなんだ、このあり得ないギターは。
2015年の今になって尚、Eddie Van Halenに驚かされているというのは、非常に意外であり、心外であり、正直びっくりだ。物事を追求するというのは、どういうことなのか、世界中の人々はEVHを見習った方がいい。というか、みんな何をやっていたんだ、ということになってしまう。
この、今のEVHが鳴らす、ありえないGibsonとFenderの理想の融合を見ていると、自分も同じギターを使って、同じサウンドを鳴らしてみたいとついつい思ってしまう。
(世界中のギタリストに、何十年以上にもわたってそう思わせるのがEVHの凄さなのだ。)
だが、自分は果たして、彼のようにかっこいいアーミングができるのか。
彼のような激しいハーモニクスを出せるのか。
彼のような分厚い倍音を作り出せるのか。
そしてその答はどれも、NOなのだ。
幸いにして俺のギタープレイのスタイルに、フロイドローズは必須でないことは既にわかっているのだ。むしろフロイドローズは、俺の本来のスタイルには不要であり、邪魔なものなのだ。
だからこそ、俺はFenderとGibsonの融合などという、不可能な命題に向き合わなくても、純粋に自分の求める「Gibson系」を求めていけばいい。そして、その答を俺はすでに手にしているではないか。そして、少なくとも俺の求めるその、とても言葉では説明できない要素を、実現できる技術力を持ったメーカーが、日本国内に少なくともひとつ、存在することがわかっているではないか。
ここを以て、俺はEVHに憧れた少年の日以来、ついにエディを追いかけるのではなくて、誰でもない自分自身の答を、エレクトリックギターというものの中に見つけたことを自覚するのだ。
めでたし。
ちゃんちゃん。