2016年12月の日記

■…2016年12月 1日 (Thu)…….昨年の松原湖Vibration Jam動画やっとアップ
[ライヴ動画アップ] [Christian Rock Festival in Japan]
昨年2015年9月に長野県は松原湖バイブルキャンプにて行われた「松原湖バイブレーションジャム」これは日本初の”クリスチャンロックフェスティバル”と銘打って企画されたものでした!
ロックとバイクとアウトドアの祭典、みたいな感じで、たくさんのバンドと、バイク乗りたちと、物好き・・・もとい、素敵な皆さんが参加していた!
そして僕らImari Tones (伊万里音色)も参加し、ヘッドライナー、目玉として参加したサルーキ=の直前に、なんと70分(長いよ)というインディーバンドとしては滅多にやらない長丁場のステージをやらせてもらいました。
これはもちろん僕らにとってはかけがえのない経験でした。そして、それにふさわしい完璧に近い演奏が出来たと思う。(途中でBushidoの演奏予定を、dedicateしようと思った主催者がその場にいない>曲順変更>ジェイクが気付かずカウント間違える、という流れでミスるまではww)
僕らも過去に数回アメリカに行ってクリスチャン界隈とかで演奏する中で、クリスチャンミュージックのフェスティバルとかカンファレンス、みたいな場所で演奏したことも3、4回はあったと思う。でも、こういうのを日本でやれるとは思っていなかった。特にキャンプ場で泊まりがけで行うフェスというのは、2012にワシントン州の山の中で参加したX-Festを思い出して、その時に「日本でクリスチャンロックでこんなのは無理だろうな」と思っていたので、それが実現してとても感慨深かった。もちろん規模は比較して小さかったかもしれないが、それでもこういうものが始まっていくのが嬉しかったのだ。
どちらにしてもこの時の演奏は僕らのバンドのささやかな歴史の中でも、とても重要な記念碑的なものだったことに間違いない。
そんなわけで、ここにその演奏の全編をアップした。70分。長い(笑)。
これは関わってくれた人々、同志であり仲間である共演のクリスチャンロッカーのみんな、参加してくれたすべての皆様、そんで身を削ってこの「日本初」みたいな企画を実行してくれた主催者のおかげである。
そんな主催というか言い出しっぺというのか発案者であるNobu氏に敬意を表し、感謝したい。
君の情熱に答えたいと思ったからこそ、僕らは良い演奏をすることが出来たのである。
ありがとう!!

Set List
1: The Concept
2: Testimony
3: Dying Prophet
4: Unlimit
5: Jesus Train
6: Living Water (Japanese version)
7: Saints Seeking Salvation
8: Bushido
9: Karma Flower (Japanese version)
10: Jee-You
11: Faith Rider

YouTubeリンクこちら
こちら

No(4774)

■…2016年12月 4日 (Sun)…….報告まえおき
[[バンドの現状報告を、書こうとしたら前置きが長過ぎた]]
さて先日写真で報告しましたとおり、一週間ほど前に某所の能楽堂にてバンドの映像アンド写真の撮影を行ってきたわけです。
実のところ、昨年、かな、昨年の春頃にその場所で一度撮影をしまして、それは能舞台ではなくて、畳の部屋っていうのか和室での撮影がしたかったというだけで、まぁこれが田舎在住でおばあちゃんの家とか実家とかそういうところだったら普通に和室あるんでしょうけれど、首都圏アパート暮らしとしては(とはいえジェイクがどんなどこ住んでるのか杳として知れないが)、こういう施設でも借りないと和室なんて無いぃぃ、ということです。

で、その時に、わぁきれいなところだな、というのは、和室とか能舞台だけでなく、周囲の庭園というのか木々というのか林というのか。これ、野外で撮影すべきだよね、というかもし秋の紅葉の時期に撮影できたらパーフェクトだよな、でもきっと紅葉を楽しむ散歩客も多いんだろうな、とか思って。

で、今回、「Heaven’s Gate」のビデオをずっと作っていなかったので、作らなきゃ、あの能楽堂でやろう、でもアイディアが浮かばない、そうこうしてるうちにれこーでんぐとか、XTJとか、忙しい、とか思いつつ、いいや予約しちゃえ、とか思って友人に撮影の件相談したらカメラマンさんにも来てもらえることになり、無理矢理アイディアひねりだして、撮影した次第です。

結果、紅葉の時期に庭で撮る、ということも見事実現。でもやっぱ散歩客多かった。無理矢理やっちゃった。市民の皆様散歩の邪魔してすみません。できれば平日にやりたかった、が、メンバーの都合もあるしそうもいかんわな。でもかなりベストに近い形で実現して良かった。天気にも恵まれたし。日が短い時期の野外の時間との戦いもなんとかなったし。唯一不満だったのは俺自身が寝不足で疲れた顔をしていたことぐらいだったが、今回映像を作ろうと思ってる曲はどれも、「重みを感じさせる正統派ヘヴィメタル」だから、伝統芸能の匂いを出すために、ちょっと疲れて老けて見えるくらいでちょうどいい、ということも言えるので、まあいっか、的な。

そんで、あれこれ無理矢理アイディアをひねりだして撮影したけれど、終わって映像を確認してみると、意外とネタがいっぱいあるので、これって「Heaven’s Gate」1曲だけじゃなくて、2曲、いや3曲、いや、もう4曲ぶんくらいのビデオを、この能楽堂の素材から作り出せちゃうんじゃないか、って。
ていうかもうめんどくさいからそうしちゃおうよ、みたいなふうに僕はなってます。
来年発表予定の「Jesus Wind」の楽曲のビデオ、どうするか、ほとんどアイディア浮かばないので、もうこれでいいじゃん、という。

唯一「Bushido」だけは、どっかで見たり聞いたりしたクリスチャンの空手家だか合気道だかの女の子とかにやってもらったら、というアイディアもあるんだけど、まあ今回の「ライチくんと一緒にチャンバラ」ネタでいんじゃねーかなー、みたいな。どうせコミカルなバンドだし、うちは。意外と軽いノリでウケそうな曲になっちゃったし、”Bushido”も。

そしたら”Heaven’s Gate”だけでなく、コンセプトアルバムから”Repent”、”Bushido”、”Dying Prophet”のビデオを今回の能楽堂の素材で作れるでしょ。(さらに実は今回の素材を流用して”New Jerusalem”のビデオも簡単に作れちゃうんじゃないかという説も。)
で、”Jee-You”はもう今までのライヴ映像を組み合わせて作るのがいいじゃない。
あとは、スタジオでちょっとカメラ持ち込んで”The Wave”のビデオ作れば、”Jesus Wind”のぷろもーしょんとしてはそれで十分じゃない。

欲を言えば、意外とドラマ性とインパクトのある曲になった”The War”とかもビデオ作るといいかもしれないんだけれど、あれは作るとなると本格的にやらざるを得なくてまったくアイディアが思い浮かばない(涙) 戦争映画とか作らなきゃいけないから。そのへんは前作”Revive The World”に入ってる”Invisible Rain”と同じだなー。原子力発電所の事故をテーマにした曲だけど、テーマが難しくてビデオとか気軽に作れないという。Spotifyの試聴回数は上位に来てるんだけどね、あの曲。

あとは来年はこれも課題になっている”Steel Wheels”のビデオも作るつもりでいますよ。これもアイディアはあるんだが。計画を立てて人に依頼しないといけない。

そんなわけでまたビデオをたくさん作りますよー。
ライヴ映像をアップするのにも飽きてきたし。
やっと昨年ぶん2015年のライヴ映像をこの前の松原湖のでぜんぶ(かどうかはわからないが)アップしたんだけど、今年2016年にやったライヴ映像とかは、きっと当面アップとか出来ないだろう、別に無理にする必要もないし、永遠にしないかもしんないし。

そんなわけで手作りミュージックビデオをまたいくつか作っていきます。
本当はスケートボードのビデオを作りたいが、腕というか足というかもっと練習して上手くならないとどうにもならない。

それら、ミュージックビデオひととおり作って、来年は”Jesus Wind”の発表つーのかリリースをしっかりやって、そんでその次の”Overture”プロジェクトの録音をやって。それについても簡単なビデオを撮るかもしれないけれど。

そこまでやったら、現体制のイマリトーンズは、ひとまずおしまいにしようと思ってる。

という話をしようと思って、バンドの現状の先の見込みを、お話しようと、書き記そうと、思ったんですが、既に長くなりましたんで、次のポストにて!

No(4775)

■…2016年12月 4日 (Sun)…….序曲前奏
[[バンドの現状の報告、および次回作の展望]]
そんなわけで今日は実に6曲の仮歌を歌って録音してたわけです。
仮歌っていうのは、デモですらなく、これから取り組む楽曲の、歌詞はもう出来てるんだけれど歌のメロディがはっきり決まっていなかったりするので、メロディを固めて、あるいは固めるための踏み台として、仮に歌ってみるやつです。それも、アパートの狭い部屋で、ダイナミックマイク握りしめてテキトーに小さい声で、声ひっくりかえしながら音程も外しまくりながら歌うという超低クオリティなやつです。

普段、これまでは、歌メロなんてバンドでリハやりながら適当に歌って作っていったので、こんなことしなかったんだけど、でもそういえば前回の”Jesus Wind”のときは、ちゃんと「仮歌」を録ったな。すごい雑なやつだったけど。あとは今回も、「時間がない」から、あとはその先の「鍋島」も含めて取り組む曲数が多いから、歳も歳だし覚えてらんないし、ちゃんと「仮歌」というステップを踏んで記録し、効率よく演奏、制作、していきたい。

で、今日仮歌を録ったところの6曲は何かっていうと、「Overture EP」です。
当初5曲くらいの予定でOverture EP、って呼んでたんだけれど、どんどん曲数増えて8曲とかになって、さらに先日「あの数年来棚にしまいっぱなしになってるラップの曲、ここでやっちゃおう」と決めて、そしたら9曲だったので、9曲だったら10曲やった方がキリがいい、と思い、もうひとつ簡単なポエトリーリーディング的な曲を加えて、あらら10曲になっちゃったよ。10曲つったらもう絶対にEPなんて呼べないじゃん、普通に「フルアルバム」じゃん、って。

僕らの世代は90年代のCD世代だから、アルバムっていうと「12曲」って感覚がなんとなくあるんだよね。海外のアーティストだと日本向けにボーナストラックが入って13曲、とか。
僕もすごく「作り散らす」タイプだし、10曲、そうだね、今回のやつは、内容からしても位置づけからしても10曲入ってはいるが、「不完全なバラエティアルバム」「つなぎの意味合いの強い変化球のアルバムもどき」みたいになるんだろうな。

というわけで「Overture EP」という呼称はもう使えないので、「Overture project」と呼ぶことにします。

で、以前にも書いているように、この”Overture”プロジェクトは、「鍋島」をやる前の時間稼ぎです。ワンクッションです。Beat around the bushです。遠回りというか。

でね、今年の夏に、Jesus Windを完成させると共に、「鍋島デモ」および「しましまデモ」を完成させて、そこからバンド会議して、そこからなんとなく不協和音を感じつつ、XTJをやって。
また「鍋島」の楽曲を聞いて、歌詞全部作って、それらの楽曲に向き合って、その意味合いを考えるに。

やっぱり、今のままでは「鍋島」はやれない、っていうのが今の結論というか、偽らざる気持ちなわけだ。

では、どうしたら、「鍋島」をやれるのか。
それはもう、しかるべき環境、しかるべき人材、しかるべき場所、そして、しかるべきタイミング。
そういったものをひとつひとつ、きちんと整えるしかないわけだ。
どれだけ時間がかかるのか、わからないけれども。

どちらにしても、僕にとって、そして僕ら、この場合の僕らというのは、僕とうちの嫁さんのことを指すが、僕ら二人にとっては、この「鍋島」というのは、漫然と何も考えずに鳴らしていいような、そのような音ではないということなんだ。そして、それはとてもパーソナルなものでもあるんだよね。

思えばここ数年来のバンド活動にしてみても、僕としては常に「妥協」をしながらの活動だった。
でも、それが何の価値も、何の収穫も無かったかというと、それはそんなことはなくて、4年連続でやることのできたXTJをはじめとして、そこから派生して共に集い共に活動する仲間としてのCalling Recordsという仲間といえるクリスチャンロッカーたちとの出会い。そこからさらに活動を通じての色々な人たちとの出会い。そこからさらに、書ききれないいろいろな大小の「夢の実現」。

そんでもって、何より大事なことに、創造というか創作というか音楽面では、「霊的な最高点」であるところの”Revive The World”から、さらに”Jesus Wind”という「絶対に作れないと思っていた歴史預言書アルバム」を作り上げ、バンドの演奏力やパワーも格段に向上し、僕らなりのヘヴィメタルの「奥義」に手の届くところまで来て、そんでもってついに僕が人生をかけておそらくは探し求めていたであろう究極の到達点「鍋島」に手をかけるところまで来たわけだ。

あとは、ギタリストとしての、究極もあったよね。例の某メーカーの日本製の楽器との出会いによるいろいろの開眼。これも実は、ギタープレイヤーとしてだけでなく、ソングライターとしても、ものすごく大きなことだった。

これらは、たとえば、下手に成功しちゃったり、下手に海外ツアーとかに明け暮れていたら、たどり着けなかったはずの場所であって。あるいは、たどり着けたとしてももっと何年も10年、20年とかかっていたかもしれない境地であって。

だから、きっとこの数年の僕らの選択や、僕らの活動も、きっと間違っていなかった。それは間違いなく、そう言える。

だが、たとえそうであったとしても、やっぱり僕としては、もう耐えられない、もう限界である、という思いが自分の内に、やはりあるわけだ。

そして、やはりこの数年は、やはりそうした様々な収穫があったとしても、俺は、もっと、「勝負して生きていたい」んだよね。つまり、俺としては、成長しながらも、妥協しながらも、やはり「ぬるい」数年間だったということは言える。

そして、”Jesus Wind”および”鍋島デモ”の完成以来、妙にバンド内部がしっくりこないと感じつつ、10月のXTJでは、それはもう、XTJ自体は非常に大成功で祝福されたものであったけれども、バンド内部としては、かなり危うい要素が山積みで。
これは、この現在の体制のイマリトーンズで、活動していくのは、そろそろ限界であるな、ということを、認めざるを得ない状況になったわけだ。

たとえばね、うちのバンドで言ったら。
10月にやったいくつかのステージを見ても、ベースのはっしーに批判が集中しそうな気がするんだけれども。ステージングとかさ。

でも、それは表面的な見方であって。
本当は、そんな簡単なことじゃない。
うちのバンドではいつも、はっしーに問題があったとするならば、いつだってそれ以上にジェイクは問題を起こしてきたし(苦笑)。
まあ俺だって問題が無いとは言えないが、ジャンケンのグーチョキパー的な相性で仲の良い、というか妙にチームワークと信頼関係で結ばれた3人ではあるけれども。

けれども今の状況を言えば、その中でもはっしーは、最も繊細である上に、正直であるので、目の前にある問題に対して、もっとも敏感に反応しているだけ、であるのだ。

つまり、彼は俺に対して、メンバーの一人として、「そろそろ次のステップにmove onする時期じゃないんですか」と、俺に示してくれているわけだ。

考えてみれば、はっしーがこのバンドに加入したのは2007年の8月。そしてジェイクが加入したのは2008年の10月である。
それから何年がたったのか。とても長い時間というか、年月がたった、続いてきた、と言える。

ここまでこの3人でやってこれたのは幸運、そして祝福としか言いようがないし、そしてこの3人でさまざまな「制作」とか「試練」とか「冒険」とかやってきたわけだ。
2012年までは駆け抜けた感じがする。もちろん、落ちこぼれバンドマンの僕らは、海外行ったり、いろんな人たちにお世話になりながら、そこでやっとなんとか成長してきたわけだ。
2013年から後は、自分たちが海外に行くんじゃなくて、海外からのバンドを迎えて毎年やる、っていう立場になった。
でも、そこでもやっぱり成長したと思う。

で、この3人で「鍋島」を鳴らせないのであれば。
「鍋島」が「もっと先」「もっと上」を要求する音楽なのであれば。

「鍋島」の片手間に作った「しましまデモ」の曲があるから、
宙に浮いた形の「しましまデモ」をもとに、この3人で、最後に鳴らせる音を鳴らそう。
というのが、「Overture」なわけだ。

オーヴァーチャー、っていうのは、もちろん「序曲」なわけだけれども。
もしそれがこの3人のイマリトーンズの最終楽章であったとしても、それは「鍋島」へ向かう序曲なのだ、という意味なのです。

そんでもって「Overture」プロジェクトは、「つなぎ」の、内容もばらばらな「不完全なバラエティアルバム」かもしれないが、それは全曲日本語で、あらためて日本のバンドらしく、そしてクリスチャンロックという枠もとっぱらって、今までのヘヴィメタル、ハードロックの枠もとっぱらって、あらためて新鮮な音を鳴らしてみたい、という感じの楽曲群なんだ。

この3人の命運がどうなるのかは、今はわかんない。
とりあえず、この3人に鳴らせる音を、すべて鳴らし切って、答えが出るのは、その後。
「Overture」(序曲)を鳴らし切った後、そこに何があるのか。

俺はこの一年間だけでも、「もうこいつらクビにする!」って何度も発言してたのを、うちの嫁さんは知っていると思うが(笑)
そうであったとしても、やっぱり何年も充実した活動をしてきた、素晴らしいチームワークの3人なのだ。この3人のアンサンブルは、やはりぴったし来るのである。

だから、先月でも、リハをやったり、撮影したりしても、「うーん、やっぱこの3人だよな」と思わせる瞬間は、やはり何度もあった。きっとそんな感じで、来年には僕らは「Overture」を作り上げるのだろう。最後の瞬間まで、最高を維持して。

それを鳴らし終えた後、どんな景色が見えるのか。

もしまかりまちがって、この3人で、「さらに上」に進めるとしたら、それは「奇跡」しかないのだから、
そんな奇跡が起こるように、もしうちのバンドをちょっとでも気に入ってくれている方がいたら、ぜひ祈っていてほしい。

やっぱあれだ、クリスチャンロッカーというか宗教家のはしくれでもあるし、一人で天国行くよりも、皆で一緒に、小さな夢をかなえながら、一歩一歩ゆっくりでも、皆で進んで行きたい人なんだろうな、わたくしも。

そんな時間があるのであれば。
あるんだよ。
永遠だもん。

No(4776)

■…2016年12月11日 (Sun)…….paジャーマンamp
機材ネタを書きなぐりたい。
Plugin Allianceで売っているプラグインは総じてクオリティのとても高いものが多いし、僕もこの一年あまり本当にお世話になった。
SPLとかElysiaといったようなドイツの音響機器のプラグインをたくさん紹介してくれているのも素敵だ。そもそも歴史を振り返ればこれも戦争の遺産だが、ドイツの音響技術はめっちゃ高かったと、歴史にはそう記されている。それはその後の録音機器の発展とかロックの歴史にも当然影響を及ぼしていることだろう。ドイツ恐るべしである。まあやはり「重厚」なキャラクターのものが多いような気はするが。

そんで、そのPAで中心的に売っているBrainWorxのプラグインも、趣味としては微妙ながらもクオリティは高いものが多いと思っている。
だからこの秋に、20ドルくらいで投げ売り、だったRockRackとか、先月9ドル!!とかで投げ売りだったMegaSingleとか、良いなと思っているが。
それはつまり、パソコンの中のアンプシミュレータとしては、妙に生真面目で、単にパソコンの中でアンプを再現しましたってんじゃなくて、ちゃんと録音に使えるように録音環境を再現してみました、ってな感じの発想。あとはモデリングもしっかりしているのか、アンプの種類は少ないんだけれど、実際のオーバードライヴやブースターなんかのペダルの実物を通して突っ込んでもちゃんと本物らしく反応してくれるところは一番ポイントの高いところでもあった。

そんだけれども、やっぱアンプのセレクションというか、ドイツの会社だからなのか、ENGLばっかし贔屓して取り上げているところとか、あとはMesaBoogieももちろん定番であるんだけれど、「もっとMarshall系を充実させてよ」みたいな。

ENGLが悪いアンプだとは言わないし、現代的で良いアンプには違いないのだけれど、僕はあのENGLの「絶妙にかゆいところに手の届かない感」が非常に苦手で。
そもそもファーストインプレッションとかが人生には重要なのかもしれないが、某ドイツのプロデューサーが「いやあ、僕はENGLはエンドースしているし持っているんだけれど、個人的にはあまり使わないんだよ笑」と言っていたとかそういう体験もあり。

歳末大安売り(日本風名称)で随時値下げされているので、RockRackに入っているやつ以外にもENGLのモデリングを試してみたりはしたのだけれど、うーん、悪くないんだけれども、すごく良いんだけれども、それでもやっぱりかゆいところには絶対に届いてくれないこの絶妙なもどかしさは何だ笑。

そう思うとまだ9ドルだったところのMegaSingleの方が使いどころはあるかな。
Boogieもまた同様にこれは僕は苦手なアンプなのだが、それでも過去にも録音で使ったことも二回くらいはある。(たった二回かよ) 基本的に苦手なアンプとはいえ、やはりその基本性能とふところの広さから、なんとか「使える」音をひねり出すことはやはり可能だったりする。これも勉強か。

そういうわけで、結局はRockRackに入っているMarshallのJCM800を普通に使うのが一番良いという結論になってしまう。しかもこれはPlugin Allianceさんも最近は古いMacでは使えなくなってきたので、RockRackもバージョンアップしないで使っている。内容されているRec Chainも若干少ないが、これはMega Singleに入っているRec Chainが非常にツボを得たものがたくさん入っているので、組み合わせて使っちゃえばいいかな、なんて思っていたりもする。

狭いアパートに引っ越してからというもの、自分のアンプを所有しておらず、いつも必要のある際はパソコンに突っ込んでギターを弾いていたので、この「真面目な」BrainWorxのアンプシュミによって、パソコンの中でも「かなり本物に近い感覚で」ギターが弾けるようになったのはありがたいことだ。音作りの勉強にもなる。

しかしやっぱし、生真面目すぎるというか、まあその「俺の使えないアンプばっかり出しやがってー」という趣味の問題に起因する苦情とともに、
いかに真面目でクオリティの高い音とは言っても、パソコンの中で弾くにはやっぱAmplitubeとかKuassaとかで十分かなみたいな気もしている。(Kuassaはデモ版しか入ってないが)
実際に自分のバンドのデモを作成する時にはいまだに僕はAmplitubeである。それはやっぱし、パソコンの中にあるアンプの姿として、「使いやすい」「表現しやすい」音がするからだ。たとえそれが、ちょっとわざとらしい、チープな音であったとしても。なんというか、BrainWorxのシュミは、決して使いやすい音ではなく、録音エンジニア向けって感じだけれど、Amplitubeはたとえチープでも、誰が使っても楽しく弾ける音になる。そんで、音の選択肢も素晴らしく多い。結果、その方が良い結果になってしまうことも多いと思う。

もし今、僕が手持ちの機材で、パソコンの中でギター弾いて自分のバンドの作品を作ることになったとしたら、たぶん僕はBrainWorxのRockRackに自分のペダルを突っ込んで弾くだろう。それはBrainWorxのシミュレーターの方が、より音を突き詰めて作れるからだ。それは録音した後のミキシングやマスタリングなどの処理の部分にもかかわってくる。けれども、「メンバーに伝えるためのデモ音源」とかだったら、迷うことなくたぶんAmplitubeを使う。その方が早いし、早く求める音にたどり着けるし、楽だし、その方が伝わるからだ。Amplitubeもそうだが、IKが出しているプラグインは、ブランドの販売戦略のせいもありちょっとほのかにチープ風味なものも多いが、でも僕もT-Racksを長年使ってきたこともあり(最近、離れつつあるが)、そのへんの「音楽的な実用性」をわかっているIKはやっぱ恐るべし、という気がする。

話がそれた。そもそも結論なんか無いのだけれど。
要は、やっぱ俺にはENGLは合わない、というそれだけ書きたかった。
RockRackに入ってるENGLの530っていうプリアンプはそれでもわりと使えた。プリアンプだからちょっと生真面目で癖のないキャラクターだからかな。
これで十分かな、という気がする。

No(4777)

■…2016年12月11日 (Sun)…….再会TC
自分はどうやらリヴァーブに対してちょっとフェチってんじゃないけれどリヴァーブに対してちょっとした偏執狂的なこだわりが、なんて言うほど大袈裟じゃないけれど、それでもやっぱりちょっとReverbっていうものに対して少しだけこだわりがあるらしい。

過去にも何度か書いてきた。
それは、パソコンで録音を始めたその昔、最初の頃に、Waves TrueVerbとかTC Native Reverbの音に感動したりした経験が元になっている。

で、MacBookに乗り換えてからというもの、「ドングルは使わない」「USBを突っ込まないと使えないものは使わない」とかそういう「どうでもいい」的なめんどくさい発想によって、自ら使えるプラグインの幅を狭めてしまい、それによって、大抵のハイエンドリヴァーブはUSBドングルを突っ込まないと使えないので、使えるリヴァーブのプラグインがかなり限られてしまったのである。

で、そうはいってもLogicProに搭載されているリバーブだって良いものだし、SpaceDesignerなんていうコンボリューションリヴァーブも入っているし。あとは何年も前に安売りで手に入れたIKのCSRとかで”Revive The World”も作っちゃったし。
そんでそのうちにEventideのUltraReverbと出会ったのである。

つまり、いにしえのアウトボードリヴァーブ御三家みたいな、Lexicon、TC、Eventideの中で、唯一、Eventideだけが、今のMac/AU/Native環境で、USB突っ込まずに使えるプラグインを出してくれていたのである。
で、僕はこのEventideのリヴァーブにぞっこん惚れ込んでしまった。「あれ、いいじゃん、これ」みたいな。
で、そこからいくつかのEventide社のプラグインを使っていって、このEventideという老舗オーディオメーカーの実力を実感するのである。

で、ここまでのあらすじ、はこんな感じなんだけれど、もちろん今でも古いWindowsを立ち上げれば、昔持っていたTC Native Reverbの音は聞けるんだけれど、めんどくさいし。
今の環境で、かつて持っていて、わあなんてきれいな音のリヴァーブなんだ、と感動した、あのTC Reverbの音を、聞くことはできなかったのだけれど、つい先日、それが聞けてしまった。
それはコンボリューションのシミュレートではなくて、M40というネイティヴのプラグインである。

つまり、TCのリヴァーブのプラグイン、売ってなくて、ProToolsのやつ以外だと、ウェブサイトにはそのM40とか載ってるんだけど、どこにも売ってなくて、これどこで買えるんだよ、とか思ってたんだけど、つまりそれはT.C. Electronicsのオーディオインターフェイスとかそういうハードウェアを買うとおまけでついてくるらしい。

なんでそれを使えてしまったかというと、つい先日、長年、本当に長年使っていた安価なM-Audioのインターフェイスが壊れて、いや正確にはその電源に使うACアダプターが大破して、使えなくなったのである。
わあ、長年使ったけれどもとうとう壊れたか、と思い、ふとあまぞんとか見ると、TCのインターフェイスが非常に安く中古で売っているのである。どうせ僕が使っているのは古いMacなので、古いインターフェイスでちょうどいいのだ。渡りに船じゃん。どうせオーディオインターフェイスはどう転んでも必要だ。

で、届いてみたら、残念ながらインターフェイスは中古だからか、機能しなかった。壊れていた。インもアウトも壊れていた。スタンドアロンで立ち上げてもノイズが載りまくっている。これはドライバとかfirewireとかそういう問題ではそもそもない。完膚無きまでに壊れているのである。これは苦情を言って返品せねばならん。

が、それでも、パソコンにつないで見たら、おまけで付いているネイティヴのこのM40っていうリヴァーブが使えるではないか。夢にまで見たなつかしのTCリヴァーブである。僕の記憶の中で徹底的に美化されていたこのTCのリヴァーブを、こうして今のMac環境で聞ける機会に恵まれたのである。正直、このTC Reverbのプラグインを使うためにだけ、この壊れたインターフェイスを手元に持っておいても良いかな、と思うくらいだ。

で、ここでもうひとつ前置きの話だが、ここにWaveArtsのMasterVerbというもうひとつのリヴァーブのプラグインがある。これは、確か昨年あたり、今自分の環境で使えるリヴァーブでなんか他にいいのないかな、と思って色々チェックしていた中で、わりと良いなと思ったうちのひとつである。これがまたバーゲンになっていたのを運悪く見つけてしまい、あるいは運良くか、入手することが出来た。

このWaveArts MasterVerbも、なかなかに真面目な作りのリヴァーブであり、まぁアルゴリズムリヴァーブの典型、みたいな感じではあるのだが、僕としては実用性を感じる。しかしその時点ではEventide UltraReverbの方が優先度が高く予算も限られていたため、入手はしなかった。
他に良いなと思ったものの中には、Valhalla Vintage Verbはもちろんあったが、これは安価だったこともありその時点で入手して使っていた。
もうひとつこれも真面目な作りだな、と思ったものにAcon Digital Verbrateがあるが、これはデモ版をずっと試している中で、リアル系を狙ったアルゴリズムリヴァーブというか、コンボリューションの音を意識したアルゴリズムリヴァーブということで、ちょっと独特の音であり、生真面目な音で良いのだけれども、アルゴリズムリヴァーブの強みであるいわゆる”Larger than life”な感じの音が出しにくいため、自分の琴線には触れないのかな、という結論に達している。

で、このMasterVerbであるが、以前チェックした時点で、真面目な音で、実直に作られていて良いな、とは思ったものの、そこまでの強い印象は受けなかった。それは、リヴァーブテイルのアルゴリズムの種類がふたつしかなかったこともさることながら、ぶっちゃけ言えば、プリセットの質が、あまり的を得たものが少なかったことも原因だろうと思う。だから、プリセットを試してチェックする中で、それほど強い印象を受けなかった。
だけれども、僕が思うにリヴァーブユニットというか、アルゴリズムリヴァーブの一番重要な要素のひとつに、操作性というか、tweakabilityというか、どれだけいじれるか、どれだけ作り込めるか、という点がある。そういう意味で、このMasterVerb、ちょっといじってみると、非常に可能性というかポテンシャルを秘めていたのである。
でもって、恥ずかしながら過去にプリセットを試してチェックしていた時には気付かなかった、このリヴァーブの実力みたいなものに気が付いた。
結論から言えば、このWaveArts MasterVerbは、いかにも典型的かつ魅力的なアルゴリズムリヴァーブの全部盛りであって、僕が思うにはValhalla Vintage Verb以上に、現時点で(僕の古いMac環境で)USBを突っ込まずに使えるプラグインの中で、いわゆるLexiconみたいな濃密かつぱりっとした「これぞアルゴリズムリヴァーブ」っていう音に、いちばん近付けるプラグインではないかと思う。

僕はギターを弾く時には、リヴァーブなんて全然使わないのだが、音楽をミックスする段になると、急にこのリヴァーブというものが必須になり、そしてこのリヴァーブというものに魅了されてしまう。これは悪い癖で、過去にもWaves TrueVerbをやたらめったらかけ過ぎてしまったりそういう失敗をしている。

しかし自分が魅力を感じているこのリヴァーブというもの。なぜだかコンボリューションリヴァーブにはそれほど魅力を感じず。
それは、やはり録音というのはステレオのふたつのスピーカーの中の二次元の世界であり、二次元の中で三次元の立体感を虚像として作り出すものではあるが、しょせん限られた平面の中の現象なのである。
実際の環境において、残響というものは、たとえばなんとか大聖堂とかそういう場所で手を叩けば、反響は360度どころか上下左右すべての方向から響き渡り反射してくる。
確かにそこで録音しました、というリアリズムには迫ることは出来るかもしれないが、いかにコンボリューションリヴァーブで再現しました、とは言っても、それは実際の空間とは程遠く、しょせんステレオの二次元の世界の中のことに過ぎないのである。そして、その二次元の平面の中で使う表現としては、アルゴリズムリヴァーブの方が実は正解なのではないかと思うことが多い。特に、それがロックとかポップとかそういう形態の音楽であればなおさら。

そういった中で、架空の空間を描き出す手段としてのリヴァーブエフェクト。僕がそのリヴァーブというものに魅了されてしまう、このワクワク感とは。
そのワクワク感は、リアリズムでもあるし、またそれ以上にlarger than lifeな現実にはあり得ない美しい残響、リヴァーブテイルの虹色の輝きでもある。
僕がReverbプラグインに求めるのは、そういった美しいワクワク感を持たせてくれるユニットであると共に、先述したようにtweakability、つまり操作性と、どこまでいじれるか、作り込めるか。
それにはやはり、提供されるインターフェイス、そしていじることのできるパラメーターがどれだけ提供されているか、こういうのも重要になってくる。
そしてどれだけの要素をunder the hood、つまりユーザーから見えないように隠しておいて、どれだけの要素をユーザーに操作可能なパラメーターとして提供するか、そこにも、そのリヴァーブユニットの設計思想のようなものが表れる。

そして、このプラグインなら、このリヴァーブなら、どんな状況にも対応できる、と思わせるような応用力、幅の広さ、そして表現力を持っていて欲しい。
そして、そのインターフェイスを見るだけで、これは可能性を感じる、というわくわく感を与えて欲しい(笑)
つまりはインターフェイスの見た目も結構重要だ(笑) きれいなものであれば、それに越したことはない。もちろん、いかにも業務用です、という地味な見た目もそれはそれで味ではある。

そしていろんなエフェクトの中でも、リヴァーブというものは、どうやら開発のハードルが高いようで、フリーのものもそんなに多くないし。また老舗とか大手が出しているものの方が多いし。
どちらにしても、「理論」とか「計算」とか「アルゴリズム」とか、そういったよくわからん理系っぽい何かの技術の積み重ねが、積み重なって結果になってしまう分野のようだ。
そして、その「理論」とか「計算」を、リヴァーブの「美しさ」、そして音楽的な実用性という「芸術」と融合させなければならない。

だから僕は、リヴァーブに関しては、その作り手の真面目な「理論の積み重ね」を感じるような堅実なユニットが好きだ。そして、このWaveArts MasterVerbも、その条件になんだか当てはまる。
そして、そうした「積み重ね」の上に開発された、「基本のしっかりしたリヴァーブ」であれば、どのようにいじっても、様々な状況に対応し、様々な表現が可能になる、という、応用力や表現力につながる。

実際は、やはりひとつのリヴァーブユニットだけですべての状況に対応できる、というわけにはいかない。やはり、どんな道具にも得手不得手というか、得意とする分野というものがある。だからリヴァーブとはいっても、いくつかの種類はやはり必要になる。

けれども、たとえばここ数年僕が愛用しているEventide UltraReverbは、自分が使ってきた中ではもっとも「これひとつで数多くの状況に対応できる」というリヴァーブユニットだったことに間違いはない。

そして、たぶんこのWaveArts MasterVerbも、UltraReverbほどではないにせよ、自分のリヴァーブに対するニーズをかなり幅広く満たしてくれる実力を持ったもののようだ。

具体的に言えば、Eventide UltraReverbは、初期反射とか距離をわりと感じるタイプで、アルゴリズムリヴァーブの中では比較的にリアリズムを追求した方向性のユニットのようだ。だから、いかにもわざとらしいLarger Than Lifeなぱりっとした人工的美麗空間の構築には、実はあんまし向いていない。そのへんを、いかにもこれがアルゴリズムヴァーブだぜ、っていう空間を作りたい時とかに、MasterVerbが役に立ってくれるかもしれない。

とにもかくにも、それなりに年月を経て構築された、自分のReverb Hungarというのか、リヴァーブへの飽くなき渇望は、Eventideの実用性および表現力に加えて、WaveArts MasterVerbのアルゴリズムリヴァーブの典型のようなわくわくするような自由度と夢のような美麗テール空間を以て(笑)、どうやら完結を見そうな感じである。

と、話はそれたが、とにもかくにも、そんな折、TCのリヴァーブを試すことが出来たのである。
本当に久しぶりの、TCのリヴァーブを、現在の自分の環境で鳴らす、という機会。果たして、自分の記憶の中で美化されていたあの美しい残響は、単なる記憶がもたらす幻想なのか、それとも本物なのか、それがいよいよ明らかになるwww

結果、やはりTCのリヴァーブは美しいね。
なんというか、素直で繊細なんだけれど、空間が美しい。
どちらかといえばきらびやかで高音が強調されているのだけれど、それが不自然でなくて素直な印象になってしまう。
そしてちょうどいい繊細な印象をもって、透き通った美しい空間だと、認識してしまう。

これは、昔使っていたTC Native Reverbの印象とほとんど同じだった。
M40は、どちらかというと簡易なタイプのリヴァーブユニットで、操作できるパラメーターもそれほど多くない。でも考えてみれば昔のTC Native Reverbもそんな感じだった。

しかし、その昔使っていたTC Native Reverbも、そういう使い方をしていたんだけれど、どちらかといえば、まあ決してOne Trick Ponyとは言わないまでも、得意とする使い方は、ホールのような比較的大きめな空間における美麗表現、という方面になってしまう。ルームリヴァーブとか、あんまり得意ではないように感じる。あまりそういう使い方が想定されていないような。だから昔使っていた時にも、Roomとか、狭めの空間にはWaves TrueVerbとかCubaseの他のリヴァーブを使って、広大で美麗な空間が欲しい時にだけTCを使っていたのだ。
このM40もやっぱりそういう使い方が向いているようである。
だから、言ってしまえば、「応用力」に関してはEventide UltraReverbの方が、やはり何倍も上だ。

で、今の僕にこのM40が必要かどうか、である。
もちろん、リヴァーブ「フェチ」な僕としては、手元に置いておきたい気持ちは十分にある。

けれども、嫁の猫耳を以て、ブラインドテストをしてみた。ピアノの音で。
なぜなら、来年はそのピアノの曲の「ミックスのやり直し、ReBuild」をやるつもりだからである。というかそのためだけにリヴァーブを追求しているようなものだ。そのピアノの音ひとつのためだけに、夜な夜な、リヴァーブのプラグインをいじって、自分のプリセットを試行錯誤して作っているのである。

で、嫁に聞かせてブラインドテストをしてみた。
使ったのは、Eventide UltraReverb、Eventide T-verb、WaveArts MasterVerb、そしてTC Electronics M40である。
嫁の判断では、UltraReverbが1位、T-verbが2位、M40が3位、MasterVerbが4位、という結果であった。
音楽という官能表現の世界において、困ったら女性の意見を聞け、というのは、もちろん言うまでもないことである。

その中古のインターフェイス、いかに壊れていたとはいえ、ほんの数千円でT.C.のリヴァーブプラグインが入手できたと思えば、このM40リヴァーブを使うための「巨大なドングル」と考えれば、手元に置いておいてもいいかな、と思わないでもない。
でもどうかな、やっぱ要らないかな。
美化された記憶は、しっかり現実として再確認した。
やっぱり美しかったが、今の私には、やっぱしEventideの方が向いている。
それに、「夢の美麗空間」は、WaveArts MasterVerbで、より高い自由度を以て追求できる。すっきり味のTCよりも、わりと濃厚なWaveArtsの方が、自分のReverb Hungarを満たしてくれそうだし。

TCねえ。
皮肉なんだよね。
きっとTC社にとっては、今はたぶんスタジオ機器とかプラグインよりも、ギター用のペダルの方がヒットしている、主力商品なんだろうし。
リヴァーブに関しても、この簡易なM40プラグインなんかよりも、ギター用のペダルであるHall of Fameの方が力が入ってるんじゃないかって思うくらい。
自分は完全にIn The Boxでミックスしてるけれど、可能なのであれば、このHall of Fameのペダルをパソコンにつないで使いたいくらいだよ。
いるんじゃないかな、そうやって使ってる人(笑)

ちなみに、M-Audioの古いインターフェイスは、その後、音家さんでACアダプターを数百円で購入し、復活したのでした。アンペア容量、微妙に足りないんだけれど、今のところ動いてるから、問題なければ知らんぷりしてこのまま使います(汗)

No(4778)

■…2016年12月11日 (Sun)…….幻のToo Good To Be Trueは手の中に
なぜ自分の気に入ったものというのは、無くなってしまうのだろうか。
あるいは、世間からだいたい無視されるのだろうか。
機材ネタを書き記したいだけなのであるが、
たとえば今年の上半期にはスケートボードの話になるが、スケートシューズのブランドFallenが無くなってしまった。
たかだかスケートシューズ、言ってみればスニーカー、の話かもしれないが、ファッションにも興味はなく、靴とかシューズとかスニーカー、とか、気難しいだけかもしれないが好きなものなどまったくなかった自分にとって、初めて好きになった「靴」のブランドだったのである。来期から何を履いてスケートすればいいのか。悩みは尽きない。

しかしFallenとて、インディペンデントにskater ownedなカンパニーとして、ハードコアにやってきたブランドなのである。僕は過去に、大手であるNIKEがスケートシューズを作ることに関して、「スケート業界も成熟したのだからそれでいい」というようなことを書いたが、ちょっと反省というか悔やんでいる。やっぱり好きなものは守らないと、無くなってしまうのである。要するにナイキとかアディダスとかが幅をきかせて阿漕な商売をするからコアなブランドが消滅してしまうのである。

似たようなことは音楽でもバンドでもギターでもたくさんあるし、たくさんあった。

で、今年から使い始めたこのShoalsというオーバードライブのペダルを、いかに気に入っているかということについてまたまた改めて繰り返し書きたいと思っている、それだけのことなのだが。

これも、今年の上半期のある時点くらいから、このShoalsを作っているHeavy Lid Effectsのウェブサイトが、表示されなくなっている。もう半年以上たつが、状況は変わらない。
うーん、わからんけど、やっぱしこれは商売やめちゃったのかな、って。
個人ビルダーがペダル作って商売するの、きっと大変なんだろうから。
「特に、エフェクトペダルなんていう、嘘とハイプで8割型埋め尽くされているような世界では」。

このShoalsというのは、定番のコピーではなくてオリジナルの回路である、とされている。少なくともメーカーというかビルダーのウェブサイトにはそう書かれていた。販売店も皆、そう書いている。回路がなんちゃらループしてそこにダイオードでクリップするところに関してはやはりTSと同じような感じらしいが、デザイン自体はオリジナルらしい。
嘘かもしれないし、本当かもしれないし、でも、機材フォーラムなんかで他のわりと名のあるブランドのビルダーの人たちがこぞってこのペダルを評価しているところなんか見ても、きっとやはりオリジナリティのあるペダルなんだろう。
だから、嘘を付いてどこかのペダルのコピーではなく、ビルダーの人がオリジナルで考えて工夫をこらしたものだと信じて使いたい気分ではある。

過去にも書いたように自分はこのペダルとの出会いはなんかまた本能的な偶然としか言いようがないのだが。まあ8割はルックスが好みだった、というだけだけれども。
だけれども使ってみて、まさか自分が、それまでメインで使っていたAlbit/Cranetortoiseの真空管入り以上に(音はどちらもそれぞれ素晴らしいが、少なくとも使い勝手の面では)気に入るものに出会えるとは思ってもみなかった。しかもこんな軽量コンパクトで見た目もかっちょいいやつである。

7、8ヶ月になるかとは思うが、ライヴとかバンドのリハでも使ってみて、ここまで使って、やっぱだめだな、とか、飽きた、とかはない。むしろ、その応用範囲の広さとか、奥の深さとか、そんでセッティングの難しさ(汗)に、感銘を受け続けている。まだまだ、使いこなしたとは到底言い難い(汗)。

だって、歪みとかオーバードライブのペダルってだいたい、使えるセッティングとかってひとつとかふたつとか、限られてるけど、このペダルは全部使えちゃうんだもん。しかも、それがすごく微妙に絶妙で、試せば試すほど発見がある。

パソコンの中にBrainWorxのアンプしゅみれーたーが入ったのをきっかけに、家でもパソコンに突っ込んで色々研究しているが、そうすると、余計に他のペダルとの違いとかがわかってくる。

とにもかくにも、現時点で飽きないし、しっくりきてるし、ライヴでも録音でも既に結果が出ているし、使い方やセッティングの難しさは否めないのだけれど、現時点で、他のペダルに浮気する気はぜんぜん起きない。The only overdrive you’ll ever needという謳い文句は、まったく誇張ではない、というところだ。

なにしろ、今のところ、自分が過去にやってきた楽曲とか、今これから取り組み始めた楽曲とか、要するに過去に自分が作ってきた音とかサウンドは、だいたいこれでカバー出来てしまうのだ。

きらきらしたクリーンも、透明でチューブっぽいクリーンブーストも、ブルージーなあたたかい歪みも、TSっぽい押し出しのあるドライヴも、歯切れのいいクランチも、肉厚なドライヴも、刃のようなヘヴィメタルの切れ味も、殴りつけるような太いハイゲインも、全部これで作れてしまう。しかもそれが全部、自分の好みの音である。まさにToo good to be true。

こんなに実用的で素晴らしいペダルを作っておきながら、なぜ「ちょっとしか」評判にならずに、作り手は商売を止めてしまうようなことになったのか。(止めたのかどうかは知らんけど。)

答えは、たぶん、「本当に」使えるものを作ってしまったからだろう。
「売れるもの」と「使えるもの」はまったく別のものである、なんてことは、この歳になれば、なんて、別にならなくても、皆さんわかっていることでありましょう。

本当にそれひとつですべてカバー出来る、なんてものを作ったら、他のものが、売れないよね。色々幅広くラインナップ揃えるとか、そうした方が。

そんなわけで、使い方を研究すべく、メモを書いてわざわざ印刷して機材カバンに入れてますが、そのメモも随時更新中だけれど、現時点でのメモは以下な感じ。
まあ、僕の用途だとだいたいこんなところじゃないかな。

パラメーターは適当ですよ。実戦では当然のように毎回変わるのだから。

こんなに素敵なペダルだけれども、いや、きっとそう思うのは僕だけなのかもしれないし、少数派なのかもしれないけれど、欲しいと思っても、たぶんもう、あんまし手に入らないと思う。出会えてラッキーでした。

以下がそのメモの内容。現時点での更新版。
—–

Heavy Lid Effects Shoals Overdrive の使い方 Tone’s Preset
まずはこのペダルの考え方を説明する…..
*すべてはDriveの設定でキャラクターが変わる。Driveに伴う多彩な変化こそがShoalsの最大の特徴である。
*Gainを下げればクリーンブースト的に使えるし、Gainを上げても破綻せず、むしろ音は太くなる。TS的な押しを求める時はGainを上げていった方が良さそうに思われる。
*ブースター系ODの常として、Levelは基本的に最大と考えていいが、Gainとの兼ね合いで下げてみると良い結果が出ることも多いようだ。Gainを上げてLevelを下げるか、Levelを上げてGainを下げるか、相関関係で出力を決める。
*Driveは「メタル指数」と考えて差し支えない。Driveを上げればゲインも上がる。
*Toneに関しては、Shoalsの最大の武器はシルキーかつエッジィな刃のようなハイエンドなので、基本的にToneを上げていった方が持ち味は出る。しかし太い音が欲しい場合は控えめにした方が良いのも事実。まずDriveでキャラクターを決め、Gain&Levelは兼ね合いの関係、しかしToneは常に環境や気分に合わせて流動的に考えた方が良いようだ。
*このペダルの良いところは、「上げても破綻しない」「上げるほど持ち味を発揮する」「どのセッティングでも使える」「多用途に使える」というところにある。そのぶんセッティングは、とてもとても難しい。
*Drive(ロー)もTone(ハイ)も、上げ下げすると出力も上下する。ブースト出力の調整に関わってくる部分である。
*ゲイン、出力は十分にあり「100%クリーン」なアンプ以外、「20%でも歪むアンプ」さえあれば、ハードロックが弾ける音までは「必ず」プッシュできる。ただしEQ、Toneの設定に注意すべし。歪みの質感はEQに大いに依存する。
— さて以下のプリセットはあくまで参考である。スタート地点として考えていただきたい。–

#8時のクリーンブースト (Drive 8時) (朝焼けブースト)
最も癖のないブースト。Level最大。Toneは高めが基本。用途によりGainを上げていく。案外とBritish Classicか。

#10時のチューブブースト (Drive 10時) (つるかめブースト)
Albit/Cranetortoiseの真空管ブーストに近いニュアンスがもっとも出やすい。Level最大。Toneは高めが基本。いいと思うところまでGainを上げていく。

#11時のすっきりスクリーマ (Drive 11時)
10時と11時でかなりキャラクターが変わる。以下、Drive11時から2時くらいまではTSゾーンである。
TS的なミッドの押しを求めるセッティングのため、Toneは必ずしも上げる必要はない。11時から12時が目安。
Gainを上げていった方がTS的な押しの強さと音の厚みが出るようだ。その場合必要に応じてLevelを下げる。

#12時の凪ドライヴ (Drive 12時) (上司ドライヴ)
なぜか知らないがDrive12時だと面白くないのである。ピンと来ないのである。まるで正午の凪である。ということは逆にどうしようもない時にここに合わせるといいのかもしれない。サラリーマン上司ドライヴと呼びたい。

#1時の普通スクリーマ (Drive 1時) (British Screamer)
Drive、Gain、Tone、Level、すべて1時。ある程度歪むアンプ(Marshall想定)に使用する。まったくもって普通のスクリーマー系プッシュドライヴ。レスポールと合わせれば伝統ブリティッシュ。

#2時の標準ドライヴ (Drive 2時) (じゃじゃスクリーマ)
適度な厚みを持ち、じゃじゃ馬的なパワフルさと、どんな音楽性にも対応できるversatileさを兼ね備えたShoals基本のセッティング。Drive、Gain、Tone、Level、すべて2時に設定するのが基本。そこからまずGainの最適値を求め、必要に応じてTone (ハイエンド)を上げ下げする。

#2時のバーボンブースト (Drive 2時) (American Screamer)
要するに僕の「いつもの」セッティングのことである。Drive2時、Gain午前中、Tone午後、Level最大。あくまでShoalsの本来のキャラクターを生かすフルレンジで透明な琥珀色のセッティング。TS的なMidの張り出しはアンプのMidをちょい上げすることで出る。

#3時のTS Breaker (Drive 3時) (Metal Screamer)
Drive3時、Gain2時、Level2時、Tone11時。現時点でこれがビンゴ。Metal Screamerとも言うべきTSを越える芳香なドライヴをここから作り出せるはず。

#3時のBritish Steel (Drive 3時)
Drive、Toneともに3時が基本。Gainは必要に応じてなるべく上げていく。Shoalsの持ち味がもっとも美味しく出るスウィートスポット的なセッティング。スピード感とソリッドな切れ味の良さがあり、鋼のような刃のようなそんな正統派のヘヴィメタル。

#4時のエクストリームメタル (Drive 4時)
Drive、Toneともに4時が基本。Gainは必要に応じてなるべく上げていく。ローエンドに殴りつけるような圧力と、厚みのあるハイエンドの刃が加わってくる。現在のEVHサウンドに近いニュアンスでもある。

#未知の最大 (Drive全開)
さて問題は、どんなときにDriveを最大まで上げる必要があるか、という時だ。往々にしてローエンドが出過ぎる状態になるので、少し戻して4時にする事の方が多い。誰かをぶん殴りたい時か、まったく歪まないアンプを最大出力でプッシュする必要がある時などが考えられる。答が出るまで保留しておこう。

No(4779)

■…2016年12月15日 (Thu)…….板の上にも4年が経過、絶賛発育不全向き合い中
ついでだから現在のスケートの状況を記録しておこう。
今日はわりと良い感じのプラクティスが出来たような気がしている。
石の上にも三年ならぬ板の上にも3年とか言っていたが、そうこうしているうちにスケート始めてから期間で言えば4年が経過してしまったわけである。
けれども、もちろん(一応は)大人であるから、日々スケートをしていたわけではないし、練習の時間は限られているから、4年といっても若者とか少年の4年とは大きく違うことは言うまでもない。

4年目となる今年は、あんまりスケートが出来なかった。スケートを始めてから、一番スケートが出来なかった、練習が出来なかった年だったと言っていい。というか今までで一番やれなかった年だった。

それはなぜかといえばもちろん「音楽制作」が忙しかったからである。
めっちゃ負荷の重いコンセプトアルバム”Jesus Wind”の録音制作、そんでひきつづき「鍋島デモ」の制作、そこへもってきて4回目のXTJ、それに前後して色々ももちろんあるし、負荷の大きな制作が複数あったことで、音楽的にはクリエイティヴィティ、創造性の面では大きな収穫というか大きな仕事をした年であったが、そのぶんスケートは二の次、三の次になってしまった。これは仕方ない。
しょせん自分はインディーバンド人生であって、音楽がすべてというか、スケートはどうしても二の次になる。

自分の滑りに関しては、もう本当に、今更わかっているけれども、ものすごく不器用というか。あたりまえのことが全然出来ないわりに、自閉症的な局地的な器用さを発揮して、フラットのテクニカルな技が妙に出来るという「バランスの悪い発育」が全開になっているわけである。これは、練習環境の影響ももちろんものすごく大きいが、社会的な環境ももちろんものすごく大きいが、自分の性格的なことがやはりとても大きい。

しかし少しずつでも続けていくことによって、その「バランスの悪さ」を解消し、人並みに色々なところへ出て行けるようになること、それがやはり自分の当面の目標と言える。

自分としてはIntermediate、つまり中級と捉えているいくつかの「基本的な」トリック。それはつまりフロントサイド、バックサイド、共に、キックフリップ、ヒールフリップ、逆側になるところのハードフリップ、インワードヒールはもちろんとして、スケーターの「礼儀作法」としてのトレフリップ、などなどである。自分はそれに加えてインポッシブルが「妙に得意」なトリックのうちに入るので、それは幸運だと思っている。
それらを安定させてしっかりきれいに決まるようにしていくこと。言うほど簡単ではもちろんない。

それに、そんなことよりも普通のフロント、バックの180とかでも「きれいに」決めるにはまだまだ修行が必要だし、何よりも「人並みの」オーリーをきれいにばしばし決めるようになることが肝要だ。これだって言うほど簡単ではない。
シャヴィットというかシャヴというかショービットも、普通に回すのは簡単だが、きれいにポップさせて高く浮かせてキャッチ、とか、それを走りながら、とか、まだまだきれいには全然決まらないのである。もっと言えばノーコンプライひとつだってきれいに決まる時よりも決まらない時の方が全然多い。
でも、やっとこういう「基本的なこと」「基本動作」が、それでもちょっとずつ続ける中で、見えてきた気がしている。

ずっと(ほぼ人見知りのせいによって)閉じ込められてきた「フラットの牢獄」から、やっと抜け出せそうな手応えを感じている。だから、新横だったらフラットバンク(これだけは豊富にあるほぼほぼ新横名物)とか、普通のアールとかランプとか(残念ながら新横には「ミニ」「ミニミニ」ランプというものは多分ないのだが)、そういう場所における「普通の基本動作」が、やっと少しずつものになってきている気がしている。しかしこれも、自分の性格ということがあり、本当に少しずつ、おっかなびっくり、少しずつ慣れていく、という感じだろう。

だから、そういう自分の「発育の悪さ」および、基本動作にまだまだ取り組んでいる現状を鑑みると、やっと新横においても「基本動作」の面でフラットの牢獄を出るか出ないか、の段階であるので、たとえトレフリップとか360度ばしっと決めることが出来ようとも、実際のところは他のパークとかへ遠征とか、ストリートのスポットであれこれ、とか、そういう段階までは全然達してないのが現状なのだ。
(ただ、いわゆるマニュアルパッドというのか、低めのパッドとか、低めのカーブとか、そういうのは、やりたい。新横は、無いんだよね、そういうのが、基本的に。) (自分のやりたいものがピンポイントで無い、というのは、いかに人からすれば新横は日本でも有数の「恵まれた」パークだ、と言われていても、そのピンポイントでやりたいものが無いというのは、本当に歯がゆい思いを、ずっとしてきたのだ、私は。)

どっちにせよ、まだまだ基本動作を磨かなくては、いけないし、それは言ってしまえば、立派なセクションなどなくても、ちょっとした広さのフラットさえあればいいのだし、そして、そうした基本動作がしっかり身に付いてくれば、自分の特性である「自閉症的な局所的な器用さ」を生かして、高度なトリックをどんどん決めて行ける、という、そこまでたどり着くことが出来れば、万々歳である。

だから、来年の目標、とかは、今年もそうだったけれど、なかなか言うことが出来ない。続けること、というのが最低限、の目標であり、それさえも難しいのが現状だろう。いい歳してスケート続けること自体が、社会的な難易度である。まあ、そんなこと言ってしまえば、バンドだってそうだが。

敢えて言えば、フロント、バック、どっちでもいいから、ヒッピーというのか、360度回ること。これを、達成したい気がしている。無理すれば今でも回れなくもないんだけどね、フロント側は。

あとは、どこかやはり、他のパークとか他の地方に、「遠征」したいかなあ。
これは、時間を見つけることもさることながら、自分自身のフットワークの重さというか、出不精を克服しなければいけないところが最大の難関だ。なんだかんだ、生活圏内から出ていくことはハードルが高い。新横へ行くことさえ、日常の中でちょっとしたハードルであるというのに(苦笑)

ただ、フロント側、バック側、ってことで言えば、人はどうなのか知らないし、一般的にそれが普通かのかも知らないが、自分はバック側に回る方が、難易度が低いというか合っているようだ。これは普通に180回るところから、「あれ、バックの方がきれいに決まるんだけど?」と始めた当初から思っていたことだった。現にフリップでも、フロントサイドフリップは圧倒的に難しいが(まだまだ基礎から構築中)、バックサイドフリップはわりとさくさく決まるものである。
だから、バックサイドを伸ばすのはもちろんだけれど、基本的なところから、フロント側の動作に慣れていくことが、とても重要だろうと思う。
これは、馬鹿みたいな話だが、普通に50/50とかでレッジとか対象物にアプローチする時にでも当てはまる。普通にレッジなりレールにアプローチする時でも、「フロント側」は妙に感覚が苦手なのだ。
でも、こういうことも、わかってしまえば、対処の仕様がある。

そういえばここのところの「スランプ」で、(スランプじゃない時の方が珍しいのだが笑)、普通のオーリーさえも、ちょっと「バックサイドに曲げ気味」(シフティってあれじゃないけど)に飛んでたもんな。でもしばらくはそれでいいのかもしれない。それで感覚がつかめるのであれば。

あとは、これも馬鹿みたいに基本的なところだが、「そもそもポップの仕方がわからん」「回るのはともかく、まっすぐはじくのがわからん」「普通のキックフリップをまっすぐ回せん」などなど、不器用ならではの悩みがあったが、馬鹿みたいなソリューションだが、柵につかまってやってみたら、結構きれいにフォームをチェック、改善、できるではないか。これも馬鹿みたいな話だが、以前はこの「柵につかまってトリックを出す」ということ「自体が」出来なかったのである。それくらい不器用だということだ。その「柵つかまり練習」が出来るようになっただけでも、自分にとっては進歩と言える。結構、この柵つかまり練習というのは重要なのかもしれん。おかげで人並みに高く板をはじくことも出来る気がしてきた。言うのは簡単だが、板をはじきながら、自分も高く飛ぶというのは、やっぱ慣れが必要だ。その上で前足で板を導き制御しろとか、無茶言うな、である。でも、たぶんそろそろ出来る。みんなスケーターはやっていることだ。なんでも慣れである。

そんなわけで忙しかった一年の練習不足もあり、ここのところそうした「基本動作」からスランプを感じていたのだが、ホイール替えたらさっくり解決したような。そういえば2年近く替えてなかったんじゃ・・・53ミリだったはずのウィールが、45ミリになっておった。新品と並べたら、小さっ、ってなった。これだけ減ってりゃ、そりゃ感覚ずいぶん違うだろうて。

ケチらずに替えた方がいい。
以上。

No(4780)

■…2016年12月16日 (Fri)…….たかが道具。されど楽器。人生の中で最良のメインギター。
長年愛用したこのピンクのMusicman Axis-EXを手放そうだなんて、いったい俺もどうにかしちまったのか!

さて人生の中でおよそ初めて「手持ちのギターを手放して減らす」という時期を迎えている。ちょっと前までは自分も所有しているエレクトリックギターの数が10本を越えていた。友人やバンド仲間から「たくさん持ってるね」とか言われたものだが、先程もまた、100本とか200本とか持っているような方々のお話を聞くと、自分のは可愛いもの、というよりも「コレクション」という範疇にすら入らないな、と思う。しょせんは貧乏プレイヤー人生である。ちなみに、この前、Joe Bonamassaが自分のギターコレクションを披露している動画をReverb.comで見たが、ギターサファリとか言ってるのを見て、すごく複雑な気分になった。自分もそんなサファリに生息する名も無い野生動物なわけだから。しかも彼からしてみればまったく眼中に入らない部類の。

ギターをヤフオクとかで売ったことは、過去にあったっけ、少しはあったかもしれない。
ヤフオクに出すのは色々と手間がかかるが、うまくやれば中古屋さんに売るよりもよほど高い値段で売ることが出来る。
けれども今回は、僕はお店に売ることを選択した。まあ、知ってのとおり友人知人に安く譲ってしまうことになったものもいくつかあるけれども。
理由としてはふたつ。ひとつ、感情的に、お店に持ち込んで売る方が(信頼できるお店であれば)精神的に罪悪感をあまり感じずに済む。ふたつ、売ろうと思ったときにすぱっと売ってしまうことが出来るので、感情的に揺れなくて済む。
といったところだろうか。

さて、この、今までの人生の中でおそらく一番長い時間をともに過ごした楽器であるところの、このピンクのやつ。Axis-EX、ピンク、日本製、Aシリアル。これを果たして売れるのだろうか。というか、売ることに決めたのだ。
この、ある意味、自分の周囲では「Toneといったらこのギター」的なイメージが(知らんけど)強かったに違いないこのギターを手放してしまうなんて、いよいよよっぽどのことなんじゃないか。

このギターで行った録音は・・・いや、いちいち振り返るまい。本当にたくさんの音楽を、これで作り録音した。
購入したのは2002年。よくよく考えると、恥ずかしながらこれは自分の人生で2本目のエレクトリックギターであり、それはすなわち、恥ずかしい昔の話であるが、そうはいってもそれから大して大人にはなれていないが、よく考えるとこれは自分の給料で自分で働いて買った初めてのギターでもあるのだ。うーん、まあ若かった。まだそれなりに若かった。笑。

それから、2002年から使い始めて、2008年まではメインギターだった。
2009年頃からは、フライングVに段々とメインの座を譲るようになっていき、メインからは降格したが、それでも、日々の練習、日々の作曲、日々のデモ作り、そしてなんだかんだ、録音でもちょいちょい使い続け、今年やった”Jesus Wind”の録音でも3曲で使用している。「やっぱいいな」とその時、あらためて思ったものである。
いったいこのギターでどれだけの曲を作ったのだろうか。
それくらい、ふとなにげなく手に取るギターは、いつもこれだった。

さて赤いAxis-EXSのやつもそうだったが(その後売却した某中古屋のウェブサイトには見事に間違ったスペックで掲載されていたが涙)、
こうして手放すと決めて、貼ってあったステッカーをきれいにはがしてもともとの塗装が現れてみると、なんときれいなギターなのだろうか。
手放す、別れる、と決めてから、そうやって見ると、あらためてその美しさに気付くというか、あぁこんなきれいなギターだったんだなあ、となるのである。

この長年使ってきた2本の日本製Axisは、自分にとって長らく、手持ちの中では「Fender的な使い方が出来る楽器」であったので、これを手放してしまうと手持ちのギターの中にボルトオンのギターが(実はまだ一本残っているが、来年動画撮影に使ったら、さっくり手放す予定)すべてなくなってしまうのである。

ボルトオンのギター、Fender系のギターがひとつも無しに、果たして音楽制作をすることが出来るのか。
これは、ちょっと確かにここ一週間くらい、立ち止まって考えてみたことだった。

昔からどんなギタリストでも大抵、Fender系のギターとGibson系のギターを両方使って音楽を作ってきたものである。
近年僕が一番夢中になったギタリストであり、レスポール弾きの歴史的な名手であるPeter Greenにしてみても、レスポールがトレードマークではあったけれど、それでもやっぱりストラトも使っていたのである。

今年やった録音でも、Gibson系というかセットネックではやはりいまひとつ切れ味が出ないところのしゃきっとした音を出すために、やはり(一応ぎりぎり)Fender系に位置するこのMusicmanを使ったのであった。

これから自分のバンドで予定している制作。
来年(予定通り行けば)行う予定の日本語アルバムOvertureプロジェクト。
ならびに、その先にある究極の到達点「鍋島」。

これらは、基本的にBacchus/Deviserのレスポール系で鳴らすことが出来る曲がほとんどだ。
ただ、その中で、ひとつふたつ、「Fender系のがいいんじゃね」という曲が、ひとつかふたつくらい、無くはない。
果たして、そのへん、どうするのか。

一週間くらい考えてた。

で、最終的には、それは覚悟の問題、「俺はGibson系セットネックで全部やるんだ」という覚悟と決意で問題ないんだけれど(笑)
でもパソコンの中にBrainworxのアンプシュミが入ったのとかもあって色々検証する中で、気付いた簡単な結論。

ギターがGibson系であったとしても、アンプをFenderにしちゃえば、Fenderの音、出るじゃん(笑)
なんだ、そういう手があったのかと(笑)
なんで気が付かなかったかという感じである。

そんでもって、後は、ペダルの助けを借りて。
セットネックの太い音を、ちゃきちゃきした細くトレブリーな音に寄せてくれるペダルは、いくつかある。
(後は、キャビネットとかマイキングとか録音の際のEQとか、絡む要素はいくらでも)

それらを組み合わせれば、きっと対応は可能だろうと。

そう思って賭けてみることにした。

新しい世界に進むために。

あとは、切れ味のいいボルトオンのギターなしに、速弾きの練習とか出来るのか、とかそういう命題もあるが、その話もまた省略。手持ちの「セットネック」系にだって、いくつか素晴らしい”Shredder”があるし、あとはこれも「このスタイルで行くんだ」という覚悟の問題だけ。

そうそう、この、長い時間をともに過ごしてきたこのピンク色のギター。
ピンクのギターを欲しいなと思ったのは、某人気ユニットの影響、ではなくて(笑)
その昔、16歳だった僕は、とある地域のコンテスト的なライブで、仲間と一緒に名古屋で演奏し、その際に出演していたガールズバンドの曲をいたく気に入り、そこのギターの子と会話する中で、その子(大して可愛くなかったがw)が使っていた薄いピンク色のストラトが、非常に素敵だと思い、その時少年の日の俺は決意したのでした。いつかピンク色のギターを買おう、と。そして、何年も後になってそれを実行したのでした。

もうひとつ言えば。これも恥ずかしい話だけれど、ギタリストがギターを刀だと思うか女性だと思うかという話があるが、僕は人生の中でわりと女性だと思ってギターを扱ってきたきらいがある(今は猫だと思っているかもしれんw)。だから、使ってきた楽器は、人生の中で少なからず、なんかしらんが好意を持ってくれたり縁のあった女性を思って使っていたものが何本かあった。といっても僕は若い頃から嫁さんひとすじであったので、派手な交遊関係は一切ないのだが、それでも基本的に女心には「うとい」「にぶい」「男らしくない」人生をやってきたので、そのあたりのせめてもの供養であるのだ。
このギターの向こう側にも思いを馳せていたとある女性がいる。
しかしそれは今更書くことでもないし、友人の中には知ってる人もいると思うし、そして、そんな小さなことはどうでもいいし。

私はついに、先へ進む。
その時がやってきたのだ。

写真、ギター抱えてるのは嫁ですが、嫁は売りません。
楽器は去っても、人は残る。
人の方が大事だ。
なぜなら音楽は人だからだーー。

結論:ありがとう嫁さん。

No(4781)

■…2016年12月17日 (Sat)…….生きるギター
たとえば楽器の場合、楽器の作り手(ビルダー)の技術と、弾き手(プレイヤー)の技術のせめぎ合いというものがあると思う。
大抵の場合、というか、現実には多くの場合(本当に良い楽器を使っているトッププロでも無い限り)、作り手の技術の不足を、弾き手の力量で補う、あるいは対処する、ことになる。

けれども、これが力量のある作り手、ビルダー(調整、セットアップも含めて)になってくると、その手腕ひとつで、プレイヤーの演奏、弾き方、楽器へのアプローチ自体に影響を及ぼすことが可能になってくる。つまり、作り手の技術と力量により、プレイヤーの演奏を規定するというか、良く言えば導くことすら可能になるのだと思う。

プレイヤーサイドにとってみれば多くは無意識の領域であり、楽器作り、楽器の構造や調整も非常に奥の深いものであるから、よく言われることであるが、やっぱり僕たちプレイヤーは、楽器のことなんか本当はなんにもわかっちゃいないのだと思う。自分のスタイルやサウンド、自分の求めるものはしっかりとわかった上で、その上でやはり楽器そのものに関してはビルダー、リペアマンなどの専門家に頼らなくてはいけないし、彼らの意見をあおがなくてはいけない。

先日、投稿した「長年使ってきたところのピンクのAxis-EX」は中古屋さんで結構いちゃもんをつけられた。なんでもネックの状態がずいぶん悪いと言う。値段的にも低めの評価となって買いたたかれてしまった。それはそれでショックだったし、長年愛用してきたところの楽器に問題があったと言われたのだからそれはもちろんショックだった。聞けば、きっと音にも影響があったに違いない、と言う。

しかし、確かにそう言われてみれば、思い当たる点はある。たとえば赤いEXSの方が、鳴り自体はピンクのEXよりも良かった。EXの方が音がやわらかくレンジ感があってバッキング等には使いやすかったのだが、元気のある鳴り方をしていたのは赤いやつの方だ。たぶんそういうことなのだろう。

しかし、楽器屋さんとかビルダーとかリペアマンが言うところの「正しい音」「正しい状態」が、プレイヤー、アーティストにとっての正しい音であるとは限らない。つまり、それが間違った音、間違った状態であっても、それによって求める音、求める表現が可能になったのであれば、それが正解であるということだ。

現に僕はこのネックの状態が「問題のある状態」となっていたピンクのAxis-EXを使って、今年も録音作業をして、そして良い結果を得たではないか。

同様に、今手元にある、手持ちの楽器に関しても、リペアマンさんとか専門家に見せれば、きっと色々と問題があるに違いない。ネックなりブリッジなり配線なりナットなりフレットなり。

けれども、問題があったからと言ってどうだと言うのだ。
人が生きる、音楽を作る、というのはそういうことではない。
僕はあまり歯並びが良い方ではないし、うちの嫁さんも歯並びが良い方ではないので、歯並びの良い外人さんとかとつるむと、今まででも気になることが無いではなかった。
しかし、歯並びを矯正したとして本当に幸せになれるのかと言えば、それはなんか別の話だと思う。

人間の体ひとつとってみれば、それは筋肉であるとか骨格であるとか、たとえば整体師さんとかそういう専門家がいる。お医者さんももちろんそうだろう。
そういった専門家に見てもらうことも、時には大事だと思うが、それと、人が生きる、ということはまた別の話であろうとも思う。

もちろん、商売でやっているからには、皆さん、違うことをおっしゃる。
もちろんそれをした方が良い、と言うことだろう。
それは、楽器のリペアショップであっても一緒である。
直した方がいいですよ、正しい状態で弾かないともったいないですよ、と。

たとえば僕の人生そのものだって、きっと皆さん、いろいろなことをおっしゃるだろう。
人生の専門家(そんなんおるんかい)の方々が、「それじゃもったいないですよ。もっとこうしてこうしていきましょう。」とか、きっとアドバイスをくれたりするに違いない。しかしそういうアドバイスをくれる方は、きっとビジネスとか、金をふんだくろうとしている人だろう(笑)
そして、そういう人の言うとおりにして本当に幸せになれるかといえば、たぶん生きるってことはそんな簡単なもんじゃないだろう。

矛盾のある不完全な世の中でどうにかこうにか生きていく中で、僕たちは人生の「目的」を達するのである。

その目的、とか、そういうもんは、神さんにしかわからん。

だから楽器の専門家や、歯の専門家や、病気の専門家や、ビジネスの専門家や、人生の専門家や、
そういう専門家がどう言おうと、「生きる」つーことは、その人と神さんの間にしかわからんことである。
そして、人は「完璧になるため」に生まれてきたのではなく、「生きる」ために生まれてきたのである。

それはつまりギターで言えば、完璧に調整されてぴっかぴか、の状態で保たれるために生まれてきたのではなく、ぼろぼろにbeat upされて弾き込まれて使い込まれた状態になるために、この世に生まれてきたのである。

(とはいえもちろん必要に応じてきちんと調整することが大切なのは言うまでもない。)

だから中古屋の方に「状態よくないですね」「使用感もありますし」などといちゃもんを付けられたが、
それはそれでショックではあったのだが、つまりそれは、「そんな問題のある状態の楽器を長年愛用してきたのかよ俺は」という、ちょっと自信を失ったりもする気持ちになったが、

しかし、そうやって使い込まれた長年の愛機から、無言で伝わってきたメッセージは、
「こんなになるまで使い込んでくれてありがとう」
「そんな私を使って音楽を作ってくれてありがとう」
といったような意味合いのメッセージだった。

それがすべてであろうと思う。

No(4782)

■…2016年12月18日 (Sun)…….Legacy
過去にお世話になった某プロデューサー氏にひさしぶりに面会する機会があった。
他にも何人かの方が集まっており、ギター、そしてロックという共通言語を持つ人々の集まりに顔を出すのは勉強にもなる。
私のささやかな音楽人生の中で、師であるとか、教師、と呼べる人は何人か居るが、氏はそのうちの一人であることに間違いない。

ロックンロールというのはやはりクレイジーな世界であり、たとえば氏がつながりの深かった1980年代のロサンゼルスのヘヴィメタルシーンなどを見ても、金と女とドラッグが舞っていたその狂乱の時代の、ある者は犠牲になり、ある者は生き延びながらも深手を負い、そして苦悩する本人たちをよそに伝説だけが一人歩きを続けるのだろう。

私がお世話になったそのプロデューサー氏にしても、やはりその時代をくぐり抜ける中で、無傷ではいられなかったのではないか。それは肉体的なことではなく、より内面の魂においてである。
私は依然として無名のインディーバンドをやってるバンドマンに過ぎないので、氏に対しても何をもって報いる術も持たないが、そうした先人たちに対して、敬意を持って接することや、その音楽的なレガシーに対して敬意を払うことは忘れたくないものだ。

創成期のG-1(速弾きグランプリ)の頃を思い出すに、あの頃集まっていた仲間たちで、氏のために何か出来ることはないだろうか。
皆で集まって演奏する、それだけで十分だと思うのだ。

No(4783)

■…2016年12月18日 (Sun)…….シグネチャーモデル
以前にも書いたが、長野、松本で弾いた「青いやつ」は、あんまし良く無かったのである。少なくとも僕はその時そう思った。ネックが薄いんじゃないかなって。
で、むしろクラフトシリーズのボディの薄い青いやつの方が印象が良かったのである。

けれど、その後に作られたか、少なくともその後に出荷されたであろう赤いやつは、秋葉原で試した際に「うん?いいじゃん」という印象を持った。
(ディバイザーさんのFBのポストをさかのぼると、同時期に作られたもののようである。今年の4月頃のポストだろうか。赤いやつの方がわずかに先に完成したようだ。)

アームの付いたレスポール、フロイドローズの付いたレスポールの話である。

そもそもレスポールにアーム、フロイドローズ、別名ロック式トレモロ、を搭載するということ自体が、冒涜というか、無茶というか、「どうなの、それ」ということであるのは言うまでもない。

私はDeviser/Bacchusさんのところのセットネックのギター、つまりはレスポール、が非常に好きで愛用している。とは言っても、「もしこれにアームが付いていたらなあ」と思うことが度々あったとしても、「そんなことしたら音を犠牲にしてしまうようね。つまりは、レスポール本来の音と、アームの利便性を引き換えにしたトレードオフになってしまうだろう。」と考えていた。

そしてその考えは、昨年から今年にかけて発表された、アームのついたCraft Seriesや、STR Sierra Seriesの青いのを、松本に遊びに行った際に試してみたりしても、やはり変わらなかった。

「もうちょっとヘヴィメタル向きのモデルがあったら」とか、仮にもHR/HMのカテゴリに入るバンドをやっている私のつぶやきを聞いてくれたかのような、私を狙い撃ちにしているんじゃないかと思うようなこれらのモデルに、スペック上はもちろん、心が動いてはいたのだが。

人間の欲というものは、また追求したいと思う心に終わりはないので、以前からもし私がディバイザーさんとこに「カスタムモデル」とかオーダーするとしたら、どうするだろうと夢想する時、「やっぱり無理矢理レスポール(ないしはそれに準ずるセットネック構造のギター)にアームを付けてもらうだろうな」と考えていた。「そんでもって赤い色で、材は猫ポールと同じ、僕と相性の良いアフリカンマホガニーで。」って。でもって、もうちょいメタル的なテイストの精悍なルックスだといいな、みたいな。で、せっかくカスタムモデルを、自分のシグネチャーモデルみたいにして作ってもらうなら、価格的にもブランドはBacchusじゃなくてSTRで行く方がいいかな、みたいな。お恥ずかしい妄想である。

つまりこれはどうしても自分なりのEVHモデルになるのである。
Eddie Van Halenは、ギターのハード面に関しては、Fender系のギターとGibson系のギターのいいとこどりを追求してきた人だと思っている。そしてそれは彼のキャリアを通じてずっと追求し続けていて、最初は純粋にストラトにハムバッカーを載せたところからスタートして、次第にGibson系に寄ってきている、と思っている。

Deviser/Bacchusさんの「日本人の心でていねいに作られたセットネック」は、僕のギタリスト人生の中で見つけたひとつの解答であるので、そこにフロイドローズを載っけるということは、自分なりの、現在のEVHに一番近いモデルを実現する、という行為を意味する。

FenderとGibsonの完全なる融合、それは、音だけ考えたら、普通のレスポール(ないしは普通のストラトorテレキャス)の方が良いに決まっているので、「最初から不可能な命題」。しかしその不可能な命題に、敢えて挑戦してみたい、という気持ちを、僕だって抑えることは出来ないし、また本職のギタービルダーの方なら、その気持ちは単に弾くだけの私よりも、きっと強くお持ちのことだろう。

だから、EVH系のギタリストとしていつかは挑戦してみたい、という命題に今の自分なりに取り組むことになった、その答えとして、Deviser社から提示されたのが、これらのモデルだったのだろう。

だからこのSTRの赤いやつの写真をFacebookで見たときに、「そのままじゃん」と思って笑いがこみあげてきたものだ。つまり、「もし俺が自分のカスタムモデルをオーダーするんならこうする」という仕様が、そのまんまだったから。

しかし初夏に松本に遊びに行った際に試した青いのは前述のようにLed Downだったのだ。「ああ、やっぱだめか」みたいな。

だがその後、赤いのを秋葉原で試した時に、「あれ、これはいける」と思い、ここに至る。

だから、これは自分のような無名のギタリストに与えられた、「私のためのシグネチャーモデル」なのだ。愛機「猫ポール」のようなレスポールの音がありつつ、さらにHR/HM仕様に寄せて、アームを搭載するという、不可能な命題に挑戦した「わがまま放題のカスタムモデル」なのである。

そしてXTJ2016の後に気合いを入れて機材整理をしていたのも同様の気持ちである。つまり、墓場まで持っていくもの以外は、すべて捨てる、という気持ちだ。それは、今、バンドの状態も不安定であるし、今後の自分の音楽活動も不透明であるが、ついに射程に入れることになった我が人生の究極の音「鍋島」を鳴らすための覚悟である。

そして、これまで自分のEVH系のツールとして活躍してくれた2本のAxis-EXを手放すということを行った。その他ボルトオン、アコギ、不要なエフェクトペダルなどもすべて売却してしまった。

そして「鍋島」のその先を鳴らす覚悟として、やはりこの自分なりのEVHという命題にも、挑戦する必要があったのだろう。

なぜ人は、ギタリストは、とりつかれたように、このようにサウンドを追求してしまうのだろうか。どんな本能に突き動かされているというのだろうか。

サウンドに対する悩み。
つまり、誰だって、少なくとも俺の場合は、悩みたくて悩んでいるわけではないのである。
サウンドとか、ギターとか、ほっといて逃げたい。
そっちの方が正直な気持ちだろう。
なぜって、あまりにも大きく、あまりにも果てしない、そんな道のりを、報われず歩いていくことが、目に見えているのだから。

Fellow guitaristsというか、同じようにバンド活動や音楽に取り組んでいる仲間のミュージシャン、ギタリストたちを有名無名を問わず見ていて。
彼らはこのように悩んだことがあるだろうか、と考えることがある。
つまり、ギタリストとして、ソングライターとして、すべてを作り上げるためのサウンドというものについて、彼らはこれほど悩んだことがあるだろうか、と時に考えることがある。

そして、そう考えたとき、すべてがどうでもよくなる。そして、私はひょっとすると幸福なのかもしれない、と考える。

つまり、その命題に対して、どこまで逃げずに向き合い、どこまで深く悩むことが出来るか、それこそが、ギタープレイヤーとしての力量に他ならないのではないかと思うからだ。

その命題をあれほどまでに深く追求し続けたからこそ、かのエディ・ヴァン・ヘイレンは、本来の意味でプロフェッショナルと言える存在だったのではないかと、僕はそんなふうに、考えている。

卑近なことを言えば、私はもう半年、ないしはもう一年は待つつもりでいた。それは、機材整理をしてなんとか資金を作ることもあるが、もちろん生活の事情である。
けれども、チャンスというものはいつだって予定通りには来ないものである。ギターとは関係がないが、チャンス、出会い、機会、こういったものは、「予定通り、準備万端」みたいな時にはやってこない。「え?こんなタイミングで?」という時にやってくるものである。それは、僕が若き日に、うちの嫁さんに出会った時も同じだった。人生の中で「こんな時に女に出会う気はまったく無え」というタイミングで、彼女は僕の前に現れた。おかげで僕の人生はひっくりかえった。思い返してもひどいものである。どうしてくれるのだ神よ。

どんな人間の都合よりも、どんな世の中の基準よりも、神は人が学び、成長すること、それを優先する。そして、そうなるように導く。
なんとなく、それは俺にもわかっている。

さて、そんな経緯で、私は一晩かけてアーミングアジャスターおよびD-tunaを設置、調整、しながら、この深みのある赤い色をした個体を弾き続けることになった。
これは、私にとってはこれまで十数年愛用した赤とピンクの2本のAxis-EXの生まれ変わりであり、また神が私のような人間に与えてくれた無名のシグネチャーモデルである。

はっきりいってぶっとんだ。
私は、無理矢理レスポールにフロイドローズを搭載する、なんていうことは、音の面では妥協を意味するものだと思っていた。
しかし、この個体は、Deviser社の技術は、そんな私の固定観念をぶっとばしてくれた。

なんかしらんが、フロイドローズ特有の金属的な鳴りは、かえってマイナスよりもプラスに働いているではないか。これはこのGOTOH社製のロック式トレモロの精度の高さということもあるかもしれない。やはりMade In Japanの凄みということなのだろうか。

鳴りの面でも、手元にあるBacchus「猫ポール」(Classic Series)および「ショコラ」(Handmade Series)に決して負けていない。というか、純粋に鳴りの面だと、これらの個体を上回っている。これは、正直、信じられなかった。猫ポールとショコラも、普通に考えたら、「圧倒的に鳴る」ギターなのである。これらを上回ってくる、そんなものに、フロイドローズ付きという意外な仕様で出会ってしまった。想定外という言葉が当てはまる。
そして、これほどのギターが存在する、というのは、やはり単なるいち貧乏プレイヤーに過ぎない私は、井の中の蛙に過ぎないのだ、ということを痛感することになった。
世の中には、こんなすごいギターが、まだまだ存在するということなのだろう。

アームダウンを一発決めてみて笑いがこみ上げてきた。
良質な(誤解を恐れず書けばヴィンテージ系の)レスポール特有のぱこーんという引き締まったアタック音のままに、音程が下がっていくではないか。
なんじゃこりゃ、というのが率直な感想だ。
こんな音は、かのEddie Van Halenの演奏の中でも聴いたことがない。

こみあげてくる笑いと共に、2013年の東京ドームの際以来、神からそしてEVHから私に与えられた「EVHを卒業せよ」という命題は、ここに実現したことを、私は感じ取った。

やはりフロイドローズ仕様である以上、そして、Mojotone製のピックアップも含めて非常にモダンな方向性の音に仕上げられていることもあって、いわゆるレスポールやGIbson系に特有の「枯れた」「鳴き」、アタックのきゅいんきゅいん言う鳴きは、それほど感じないと言わざるを得ないが、それはよりモダンなHR/HM仕様のこのギターの方向性に期待するポイントではないかもしれない。

そして、間違いなく言えることは、このギターはとんでもないShredderだ。手が勝手に動いて、自分の限界以上の速弾きフレーズを次々に弾き出していく。これは、まさか、俺は弾かされているのか。

先だっても書いたが、ギターを弾く際に、楽器、そして楽器の作り手と、弾き手の間に、力関係のせめぎ合いがある。力関係と書くと語弊があるけれども。
そして多くの場合、現実には、楽器側、作り手に足りない部分、あるいは合わない部分に関しては、弾き手がそれに対処していく中で演奏行為を行うことになる。

けれども、本当に力量のあるビルダー、そして調整やセットアップを行う人間、彼らに力量があれば、弾き手、プレイヤーのニーズを満たすばかりか、その演奏を導くようにして、その演奏スタイルや、演奏の手法や、楽器そのものへの向き合い方までも、操る、というわけではないが規定することが可能になる。たぶん。

この楽器からはそれを強く感じる。もちろん、その意味では手元にある「猫ポール」や「ショコラ」も、もちろん確実にそういった要素はあるのだけれども。

つまり俺はこのギターに「操られるように弾かされてしまう」のだ。
そして、その弾かされる方向性というのが、やはりEVHを基準に育ってきた私のスタイルに非常にフィットする。いずれにせよ、私はこのギターから、これからまだまだ、色々なことを教えられることになりそうだ。それはつまり、Deviser社の技術力のあるビルダーおよびデザイナーの方々から、色々なことを体を使って教わる、ということでもある。

導いてくれるようなギター、ということで言えば。
ひとつ愚痴を書くのであれば、世代、ということについてだ。環境、と言い換えてもいい。
別に現代の日本に生まれた自分が恵まれていない、とは言わない。十分に恵まれた時代に、恵まれた場所に私たちは生まれた。

だが、ギタリストであれば、「これだ。これが俺の答だ。俺はこれに人生をかける。」と言えるようなギターに、出会いたいものだ。そして出来ることであれば、もっと若い頃にそうしたギターに出会いたいものだった。

たとえば、イングヴェイ・マルムスティーンであれば、ストラトキャスターという楽器に、若い頃に出会っていた。ストラトキャスターについて語ると複雑で長くなるが、ボルトオン構造を持つストラトキャスターについては、たとえそれが1970年代に入ってからであっても、「本物」に出会う確率は、純粋に数の面から言ってもGibson系のギターよりも確率が高いのは言うまでもない。
ごく若い頃に、「これだ」という答えを見つけていたからこそ、彼はあのような偉大なギタリストになれたのだということは、たぶん言える。

そしてEddie Van Halenに関して言えば、彼こそ本当に試行錯誤と苦悩の象徴でありそれによって時代を切り開いてきた人であるが。
彼が幼い頃に最初に「買ってもらった」ギターが日本製の安物であるTescoであったことは有名な話だと思うが、その後、彼がティーンエイジャーになって初めて手にした「本格的なギター」が、1968年製のレスポールゴールドドップだったという事実を、改めて知り、私は愕然とした。それはもちろんエリック・クラプトンに憧れてレスポールを選んだ、という経緯だったようだが。
68年製のレスポールと言えば、HR/HMの世界で言えばY&Tのデイヴ・メニケッティが長年トレードマークとして使っていることからもわかるように、いわゆるバーストに次ぐクオリティを持った、言ってしまえば「ヴィンテージ」としての価値を持ったものである。(年代を考えても、「普通に新品」でエドワード少年は手にしたのだろうが。)

つまり、エディは最初のギターからして既にヴィンテージレスポールからスタートしたわけである。
そしてもちろんティーンエイジャーだったエディは、演奏活動をしていく中で、60年代前半のストラトキャスターも使っていたはずだ。
今となっては皆が求めてやまないヴィンテージギブソン、ヴィンテージフェンダーを、共に若い頃に使い倒した上で、Eddieは「安価なパーツでくみ上げたオリジナルギター」にたどり着くのである。

俺は、うーん。
俺は、10代の頃に最初に手にしたギターは、日本製Jacksonの白いSoloist、スルーネックのギターだった。
それが、何を意味するのかは、自分では言えない。
最良ではなかったかもしれないが、かといって、特に時代背景を考える時、そんなに悪い巡り合わせではなかったかもしれない。
少なくともそれは、「楽器」としては、最低限きちんとしたクオリティを持ったものであったから・・・。

話の趣旨が逸れてしまったが、俺は、このDeviser社のセットネックのギターという、自分なりの「解答」に、30代も半ばになってやっとたどりついた。
もっと早く出会いたかった、と、正直、思う。
けれども、生きるというのは、音楽というのは、その試行錯誤の過程を鳴らすことでもある。というよりは、それこそがまさに音楽なのだから、たぶんこれもすべて運命だったのだろう。

世の中には、本当に良いものというものは存在する。
そして最高のもの、というものも存在する。
それらのものに触れることが出来る人間は、決して多くはないと思う。
けれども、今の時代は、きっと、玉石混合ながらも、「良い時代」だと言っていいと、俺は思う。
判別する目さえ持っていれば、最高のものに触れる機会は、過去の時代よりも多いのだろうから。

とにもかくにも最高のもの。
たとえば世界のトップギタリストであれば。
トッププロと言われるギタリストであれば、そういった人たちが使うギターは最高のものである。
最高の材で作られ、最高の調整がされているだろう。

たとえば、やっぱり一番わかりやすい例だからEddie Van Halenであれば。
たとえ彼のシグネチャーモデルであっても、一般にお店で売られているものと、本人が使っているものとでは、仮に仕様が同じでも、やはり違うはずだ。

それは、選りすぐられた最高の材で作られ。
最高の技術を持ったマスタービルダーによって製作され。
さらにその中でも最も出来の良い「当たり」の個体が選ばれ。
そして本人に合わせた最高のセットアップ、調整が完璧に行われた上で。
そうしたギターを、エディのようなトッププロであれば、使うのだと思う。

そんなギターは、私の手には、とても届かない。

しかし、この「わがまま放題の赤いSTR」は。
まさにそんなギターではないか。
STRというブランドの名前の持ち主でもある、八塚悟氏をはじめとする、日本でも屈指の技術力を持ったDeviser、飛鳥の職人たちによって作られ。
STRというブランドの名に恥じない研ぎすまされたクオリティで仕上げられたこの個体は。
まさにそんなトッププロ仕様と同等の技術が、込められている楽器ではないか。

そんな奇跡を、この個体からは感じる。
(俺がアーミングアジャスターとD-tunaを取り付けてしまったせいで、そのバランスをぶちこわしていないといいんだが、苦笑)

こいつはレーシングカー仕様だ。F1マシンのようである。
同様のことは、”Jesus Wind”の録音にはっしーが多用したBacchusのTwenty-Fourの桜モデルのベースにも感じたことだった。
アクセルやブレーキに遊びの一切ない、非常に鋭い操作性を持った、高性能エンジンがむき出しの、機能本位、スピード本位の機体である。安全装置などなく、ごまかしもきかない。操縦者の腕だけが試される。それでいて、その切れ味は使い手を強力に「その場所」へと導く。まさに研ぎすまされた刃のような、そんな容赦のない機能性だ。

ベンツとか、BMWとか、そういう高級車に乗りたいのであれば、ここの楽器は選ばない方がいい。
けれども、見た目はシンプルで、音についてもまっすぐな音で、それでいて最高の機能性を求めるのであれば、一切の無駄のないレーシングカーのような、たぶんそんな研ぎすまされた機能性を求めるのであれば、ここのメーカーの楽器はきっと良い選択だろう。
たぶんそういう鬼気迫るような気迫の込められた極限まで研ぎすました高度な機能美こそが、Deviserおよび飛鳥の楽器の持ち味なのだろう。

感動である。
ぶっとんだ。
私は無名のバンドをやっているギタープレイヤーに過ぎず、トッププロでも何でもない。
けれども、そんな世界のトッププロが使うようなクオリティを持つ、自分のためのそんな楽器に出会えたことは、とても幸せなことだ。

神に感謝したい。
問題は、これから私がこのギターを、人前で、録音で、華やかなステージで、弾く機会がどれだけあるか、である。

先は短いと思っている。
あるいは長いかもしれないが、困難な道のりだろう。
だからこそ覚悟が欲しかった。

日本人らしくロボットアニメに例えるのであれば、
こいつは私にとってのサザビーであり、ラビドリードッグである。
赤い色だよね、と思っていたEVHフリークの私としては、それが赤い色のギターであったことは、やはり運命を感じる。

音、サウンドについての追求と、悩み続けた人生についての独白である、この文章の最後に書き記しておきたいことが、もうひとつあるとすれば、それは木材のことだ。
木材という限りのある貴重な資源、そして自然環境。

人間というものは破壊しながら生きていく罪の深い存在であるが、皆さんご存知のとおり、つい先日もローズウッドすべてがワシントン条約の制限下に入ることが決定したりと、これからさらに木材は貴重になってくるのだろう。おそらくは木でできたギターというもの自体が、貴重になってくるのかもしれない。

そんな中、神から私に与えられた「木材」の割当は、これですべて消費し尽くしたような木が、いや、気がしている。
人生というものに絶対はなく、Never say neverという言葉があるので、絶対とはやはり言えないが、
たぶんこれが私の人生の最後のギターであることは、確信とともに予感している。

No(4784)

■…2016年12月24日 (Sat)…….最後の現役大物アーティストin2016
走り書きである。
12/24でクリスマスイブということだが、宗教的なあれこれは面倒くさいので書きたくない(笑)
この時期くらいは色々なものに感謝して過ごしてもいいんじゃないかとは思っている(笑)

さて人間というものにも色々と可能性があり、might have beenとかcould have been、つまり、ああなっていたかもしれない可能性とか、こうなっていたかもしれない可能性とか、がある。そういったものは、可能性というパラレルユニバースの上に存在するのかもしれないし、しないのかもしれない。

眠っていて夢を見ると、悪い夢というものも見るし、良い夢というものも、あまり見ないかもしれないが、妙に印象に残る夢というものもある。どちらかというと悪い夢に限って覚えていたりして。

自分は若かりし時にうちの嫁さんに出会って人生が狂ってしまった、といつも言っているが、それでもやはり色々な可能性を考えると、少なくとも人としては、「弱い弱い存在である人としては」、出会えて良かったんだろうな、とは思っている。それは自分の中にいるinner childとか少年の部分については、人はいくつになっても嘘はつけないからである。

それはうちの嫁さんにとってもお互いに同様の部分はあるだろうと思われ、それは、現存の人生でああいうほんわかキャラになってはいても、うちの嫁さんも昔にせよ今にせよ、いかにきつい性格をしているかは、彼女の家庭環境などを見てもわかるところであるからして、もしお互いに出会っておらず、その後の色々なかけがえのない出来事を経験しなかったとすれば、かなりきつい人間になっていたとしてもまったく不思議はないのだから。

人には色々な人生があり、また、それぞれの立っている場所、位置から、まったく違う世界を見ている。見えているものも違えば、目指しているところも違う。
そして、たとえばそこにMetallicaのニューアルバムがこうして2016年にもなってリリースされたとして、それをどういう気持ちで聴くか、というのは、きっと人の立場それぞれで違うだろう。

やっと時間が取れたので(Spotifyで)聴いてみたが、これはまあ世の中でもずいぶん評判にはなっていると思うが、これは凄い力作であることに間違いないと思う。

時も2016年にもなれば、というか、少なくとも21世紀に入って、色々なものが終わってしまって以降は、ロックミュージシャンであれ、どんなベテランの大物アーティストであれ、みんな既に「新しいもの」とか「前代未聞の凄いもの」とか、そういうものを作ることはとっくにあきらめてしまい、過去の焼き直しとか、ありきたりなものとか、まあまあの穏当なものとか、そういうものを作ることしかしないものである。

それは若いバンドとか若い世代も同様で、彼らにとっては「最初からあきらめた」ところからキャリアが始まるのである。

そして僕たちは、2016年にもなれば、そういうものに既に慣れきってしまい、それが普通になってしまっている。

けれども、このMetallicaの新しいアルバムは、ここへきてまだ、というか、ここへきて再度、なのかもしれないが、ここへきて今更「最高新記録」を更新しようとする意欲に満ちている。

要するに、このJames Hetfieldという人は、そしてLars Ulrichという人は、まだまだ全然あきらめていないのだろう、つまりは、その、「頂点を目指す」ということに対して。たぶん最初っからそこについては、並外れた意欲を持っていた人たちなのだろう、おそらくは。

俺はメタリカのファンってわけではないし、アルバムも全部持っているわけではないが、それでもMetallicaの凄さというものは、一応はよくよくわかっているつもりだ。

さて、そして現存の人生のタイムラインにおける私が、このMetallicaの新しいアルバムをこうして聴いた2016年。他のパラレルユニバースにおける可能性の自分は、どのような気持ちでこのアルバムを聴いただろうか。「より良い」宇宙にいる自分は、どのように聴いたか、そして「より悪い」可能性の宇宙にいる自分は、どのように聴いただろうか。

ひとつ言ってしまえば、まずは意欲の面、そして能力の面。
21世紀にもなってしまえば、ほとんどのバンド、音楽家は、新しいものを作ることなど、最初からあきらめている。そして、それが当たり前のことになってしまった世の中に、私たちは生きている。
けれども、Metallicaほどの存在になれば、まだまだそうした「過去最高」を目指すことが許されるのだろう。それは、社会的にもそうだし、能力的にもそういうことである。

そして、もうひとつ、身も蓋もないことを言ってしまえば。
予算ということである。
今時の世の中になれば、たとえ昔に成功して有名だったベテランアーティストであっても、自宅スタジオなり、ファイルをやりとりするとか、「半分くらいは宅録に毛の生えたような環境で」、予算のかからないレコーディングをしているものである。

けれども、Metallicaほどの存在になれば、今のこの時代にあっても、一流のスタジオを使い、多くの時間をかけて、一流のプロデューサーと、一流のエンジニアと、一流の機材と、一流の楽器を使って、一流の録音というものが出来るものである。(ひとつの例として、今回の録音にあたって、Kirk Hammetが、かのPeter Green Les Paulを使ったことは、ギターファンならば知っているトピックであろう。)
つまりは、笑っちゃう話だが、昔のように予算に糸目をつけずにリッチに作られた一流のレコードを聴くのは、ずいぶん久しぶりだな、という感想である。

本来は、こうあるべきなのだ。メジャーのレコードというものは。
多くの予算と、世界の一流の才能を集めて、前人未到の世界最高新記録を更新する。
それは、僕らみたいな無名のアーティストには出来ないことであって、世界のトッププロである人たちにしか出来ないことであって、本来はメジャーのレコードというのはこうあるべきなのだ。

そういった、正しくこれがメジャーの一流の音楽だ、と言えるようなレコードを、ずいぶん久しぶりに聴いた気がする。

そんでもって、俺が思うにMetallicaの人たちというのは、個人個人が、必ずしも世界最高のプレイヤーというわけではなく、たとえばLars Ulrichのドラミングに関しては、常に批判の対象であったり、Kirkのギターソロもそうだし、Jamesだって決して世界一上手いシンガーというわけじゃない。けれども、James Hetfielsは「最高にかっこいい」からね。それだけで既に、「勝者」って感じだけれど。

けれども、若い頃から、ヘヴィメタルの最高を目指して、色々なものから幅広く吸収し、たとえばグランジのアーティストたちからもいち早く吸収して90年代以降もメタルシーンを引っ張ってきた彼らとしては、時代を読むセンスとかはもちろん抜群だし、そうして成長してきた集大成が、この歳になって花開いているのがこのアルバムなのだろう、きっと。

このアルバムは、俺の感想としては、前半とか聴く限りでは、もちろんすごく良いんだけれど、「なぜメタリカが凄いのか」という凄みとともに、「なぜメタリカが退屈で、どうでもいいバンドなのか」という部分も再確認させられるという、良さと悪さがあらためてわかる、「ああ、メタリカだね」という感じの内容であったが、特に後半というのか、2枚組の後半になるのかな、後半になるに従って非常に意欲的な内容になっていて、「おお、これはなかなか、凄い」と思わされる。

若いアーティストからでも、なかなか「新しい」「刺激を受ける」なんてことは、なかなか無いのに、こんなベテランの大物から、こんなにも刺激を受けるようなアルバムが出てくるというのは、さすがメタリカ、まさに王者である。いまだに「現役」でいられる最後の大物という感じがする。

じゃあ、このメタリカの新しいアルバムは、ある意味最高傑作と呼んでしまっていいほどの「頂点を狙っていった」アルバムだし、じゃあこれが過去のロックの歴史や、歴史上の名盤と比較してどうなのか、と、あらためて歴史をひもとき、たとえばLed ZeppelinのPresenceとか、Van Halenの”A Different Kind of Truth”などと比較してみると、逆にZeppelinの凄さとか、Van Halenの凄さが比較論としてわかってしまう感じだ。
もちろん人によって意見はそれぞれだと思うけれど。

でもそこを比較して、ZeppelinやVHの何が凄いのか、ということを高いレベルで確認、認識することができた、ということだけでも、素晴らしい勉強になったし、そういった高いレベルでの刺激を受けることが出来るほど、この「最後の大物」ことMetallicaのアルバムは、非常に内容の充実した一枚だと思う。

「人間が努力して作ることの出来るアルバム」としては、文字通り歴史上で最高値にあると思う。
じゃあそういった、ZeppelinにせよVHにせよ、もっと色々ある歴史上の名盤は、といったら、「人間業じゃない」んだと思う(笑)

なんでかっていったら、すげえと思って、2、3度聴いたら、すでに飽きちゃったんだよね。俺としては、もっと人生が変わるくらい、打ちのめして欲しかった。わかるよね、そういう気持ち。「これが歴史上最高だ」「誰もこいつらには勝てない」「完璧に打ちのめされた」、そんなものに、出会いたいんだよ。
でも、残念ながら、Metallicaは、そこまでじゃない。俺の意見では。期待は、していたけれども。(毎度、不遜な意見ですみません。)

でもどっちにせよ「今時出てくるメジャーの大物のアルバム」としてはこんなに素晴らしいのは久しぶりだったからすごい感銘を受けたです。

追記:
カーク・ハメットのギターソロ、ということ。
Kirk Hammettのギターソロって、ワウをかけてシンプルなフレーズに終始する、とか、批判の対象になることが多いし、僕もそう思うけれど、そうはいっても、歴史に残るような印象的なソロをいっぱい弾いている。特にこのメタリカというバンドの音楽の文脈の中においては、非常に効果的なプレイであることは認めざるを得ない。で、あらためて聴いてみて思ったんだよね。たとえば、古いヒップホップのグループで、Public Enemyって居るじゃない。で、思い当たったんだよね、ああ、カークのギターっていうのは、Public Enemyで言うところのFlavor Flavなんだ、って。チャックDのラップは、重いでしょ。だから、Flavor Flavが必要なわけだ。メタリカも同じで、Jamesのヴォーカルは、重いじゃない。だから、カークのギターソロが必要なんだ、って。これは、今まで気付かなかった。

No(4785)

■…2016年12月25日 (Sun)…….これはどっちからの手紙だぁぁwww
This may sound silly (and sorry in Christmas time) but I’m a Christian rocker (yes I’m playing Christian metal) and I have to ask. Metallica’s new album is super awesome. But, is Metallica demonic? I mean, when I look at the lyrics from the new album, it’s kind of…but I’m a Japanese and I don’t really understand the meaning.

メタリカの新しいアルバム、素晴らしいんだが、一応「クリスチャンメタル」やってる身としては、残念なのが、歌詞を見ると、なんだか素敵に悪魔的(苦笑) まぁメタルなんてそんなもんかもしれんが。ここ最近、往年のメタルの大物やスラッシュ勢が「リアルに悪魔的」になってきている気がしていたが、メタリカよ、お前もかぁーー。

No(4786)

■…2016年12月28日 (Wed)…….真剣に格闘してみたのだ
ここ一週間ばかり、「メタリカの新しいアルバムが」と騒ぎ立てていた。お騒がせして申し訳ないし、部屋でもいつも流していたので、うちの嫁さんなんかも、いわく「大して好みじゃない」ものを延々と聴かされてきっと閉口していたことだろう。

メタリカはもちろん別にクリスチャンのバンドとかじゃないし、かといって特段に悪魔的なバンドというわけじゃない。けれどもこのニューアルバムに関して、僕は今までとちょっと違う「何か」を感じてさわぎたてていた。

なぜか。一度、拳を交えた相手のことは覚えているからだ。その匂い、その感触、そのストラテジー。俺だってそう何度も、直接行き会ったことがあるわけじゃないけれど、けれども、決して初めてではないからね。その「相手」と相対するのは。

Metallicaは別に悪魔的なバンドってわけじゃない。そして別にクリスチャン的なバンドというわけでもない。だけれども、SFとか神話とかそういったモチーフと共に、聖書の題材をモチーフに使うことは比較的多いバンドだったことは周知の事実だと思う。そしてそれこそ”Creeping Death”じゃないけれど、メタリカのヘヴィかつ重厚かつ冷徹なサウンドは、「まるで旧約聖書を読んでいるようだ」と思わせることが何度もあったし、それだけ力というか表現力のあるバンドであったと思う。
だからMetallicaは「神の音」を鳴らす資格も実力も十分にある。そんなものが存在するとすればの話だが。

このアルバムは一朝一夕に出来たものじゃない。
長く続くロックの歴史があって、またその中で長きにわたるヘヴィメタルの発展と衰興の歴史があって、それらをすべて経て、なおかつその中で選ばれ、生き残ってきた、ヘヴィメタル界の事実上の王者であるメタリカが、長い経験と実績を積み重ねた上で、なおかつ満を持して作り上げた作品だ。

俺がびびっていたのは、それはもちろん、メジャーというかベテランの大物のバンドから、しかもこういうヘヴィメタルの大物のバンドの作品で、ここまで高度かつ充実した内容のアルバムを聴くのが久しぶりだったから、というのも大きな理由だが、それ以上に、個人的に霊的な何かを感じていたからである。

だから、俺が、「今度のメタリカなんだか悪魔的じゃない?」とかつぶいやいていたとしても、それは傍から見れば笑っちゃうくらいの話に過ぎないが、けれどもやっぱり俺にとってはなかなか重大な事件だった。

俺はもしこのアルバムに完全に圧倒されるようであれば、また、このアルバムの内容に対して読み切れない、あるいは読み間違いを犯すようであれば、音楽をやめようかなと思っていた。
そんでもって、このレベルの内容を、本当にクリスチャンのメタルバンドとか、クリスチャンのバンドがやってくれるのであれば、それは本当に喜びをもって音楽をやめられるのである。(苦笑)
だからもしそんなバンドが居るんだったら本当にぜひぜひぜひぜひぜひぜひ教えて欲しい。

本当に他人から見れば笑っちゃうくらいの、この人、何言ってるんだ、くらいの話であるが、僕にとってはそういうことだった。
そして、だがしかし、そんな歴史上の王者であるメタリカの、そんな歴史のすべてが詰まったこんな圧倒的なアルバムと格闘し終えて、俺は今「まだまだ」と言える。

現状の自分の人生は決して完璧ではないし、というよりかは可能性の宇宙の中ではきっと下から数えた方が早いくらいの冴えない人生をやっているが(涙)、それでも、もし違う人生を選び、違うタイムラインを辿っていたとすれば、僕はこのMetallicaの2016年のアルバムの前にひれ伏していたかもしれない。

だが、こうして、自分の知る限り、自分のタマシイは、まだまだ生きている。(多分)

どちらにしても非常に高度かつ充実した内容を持つすごいアルバムであり、またMetallicaというバンドがそれだけ凄いバンドであることは言うまでもない。世界中がそんなことは知っている。

だけれども俺が聞いていたのは、それでもたとえば、創作者、作曲家、アーティストの頭の中で起こっていること、またアーティストと神(ないしは悪魔)との間に起きていること、それを目に見える形で知ることなど誰にも出来ない以上、ひとつの音楽とか芸術が神から来たものか悪魔から来たものか、などという議論は無駄だし、そんなこと誰にもわかりはしない。

けれども音楽を通じて、創作の霊の領域で感じ合えるものがあるからこそ僕らは「クリスチャンアーティスト」などと名乗っているのだし、僕が知りたかったのはそれだけのことだ。

ひとつだけ書き記すといえば、James Hetfieldの書く歌詞は、たとえば今まででも神話にせよSFにせよ社会問題にせよ戦争にせよ、また聖書からの引用にせよ、少なからず深みのある内容のものであったと思うが、だけれども今回の新しいアルバムの歌詞は、「非常に美しく高度に悪魔的」である、僕に言わせれば。そして回り道などせず、美しいほどにストレートだ。もしこれを意識してわざとやっているのだとしたら、「すげえ、まさに悪魔のような最高にかっこいいヘヴィメタルを作り上げた!」と言って賞賛するしかない。もしそれが意識してでないのだとしたら、それはもう、その答えは書く必要がない。

まあわからんけど。俺だってそんなに英語が読めるってわけじゃないから、ぜんぜん勘違いかもしれない(笑)

でも言うまでもないこととして、俺にとっては「歌詞は二の次」なんだぜ。言葉なんて、いくらでもでっちあげることができる。音そのものから伝わってくるものの方が数十倍重要だ。だから俺が言っているのは、音の向こう側にあるもののことなんだ。

別に珍しいことでも何でもないと思う。日常的に、世の中では起こっていることだ。
別に人類の歴史と同じだけ、悪魔的なものとか、そういうものは存在した。
ましてや金と権力と、セックスとドラッグと、文字通り”Moth into Flame”のごとくFameというきらめく麻薬に魅せられた、そんなロックンロールの世界では。
俺が、これはクロだ、と思っているバンドや、作品の中には、きっと皆さんが大好きなあのアルバムや、このアルバムだって入っているはずである。
もちろん、この世界に、完全に白とか、完全に黒、なんてものは、存在しないけれども。人間はどっちもあるグレーな世界に生きているのだから。その時、その時で、どちらにでもなれる、それが人間だ。

ただ今の、縮小した音楽ビジネスの中で、衰退するロック産業の中で、(もし悪魔なんてものが存在するとして)悪魔が選ぶことのできるバンドやアーティストも、ずいぶん限られてくると思う(笑) それはそれで、情けない話でもある。悪魔だってきっとロックミュージックの衰退を、嘆いているに違いない。

もう一度言うが、神の音を鳴らすにしても、悪魔の音を鳴らすにしても、メタリカには十分にその資格があったし、その実力もある。それは、皆さん間違いないことでしょ。王者だもの。

そんでもって、たとえ悪魔の音なんてものが存在したとして、悪魔がロックミュージックや音楽の創作に介入することがあったとして、それでも俺が思うのは、本当に怖いのは、悪魔の作る音楽なんかじゃなくて、それよりもリスナーの欲望、リスナーの欲求というものの方が何百倍もよっぽど怖い。
人間の欲求には際限がない。
その限り無ない人間の欲求というものには、たとえ悪魔のロックンロールだって、どんな過激なセックスドラッグロックンロールだって、裸足で逃げ出すに違いない。
きっと悪魔も同意してくれるはずだ(笑)
だから一般大衆、その人間の欲望というものが、やっぱりこの世でいちばん怖い存在なのだと思う。

僕がこのメタリカの歴史的なニューアルバムに対して、最終的にどのような感想を持ち、また一人の無名のインディーズのバンドマンとして、どのように思ったのかは、ここに書くことは難しいし、また書く必要もないだろうし、別に誰も興味無いだろう。

けれども、ヘヴィメタルというものは、特にメタリカが出て来たところの80年代のスラッシュメタルシーン。つまり80年代初頭のイギリスのNWOBHMが、アメリカにも飛び火して、そこへんから起こってきたアメリカのスラッシュメタルとかそのへんの流れ。
それは、そういったSFとかホラーとかと同様に、現代アメリカのカルチャーつうのか文化の中で、アンダーグラウンドとかB級の世界から出て来たものである。
だから、当時のそのへんのメタルには「B級」のバンドが多いし、メタリカもそういったカルチャーの中から出てきたのだ。そして、というよりも、ヘヴィメタルというカルチャーは、そもそもがそういった「B級」を愛する、かっこよく言えばストリート感覚に根ざした文化だ。

メタリカはその中から生まれ、成長し、そしてそこから大きくなっていった。
それは歴史の中で選ばれ、彼らはそうした「B級」の代表として、ヘヴィメタルカルチャーを代表する存在として、ストリートから「世界のヒーロー」になっていったのだ。

そんな歴戦の彼らとて、百発百中というわけじゃない。
前作だって、前々作だって少なからず批判を呼んでいたし、それぞれの時代で苦難を乗り越えてきたことも有名な話だ。

だけれどもそうして大きくなり、今では「非常に高級な」一流のサウンドを、まるでロールスロイスに乗るような高級なサウンドを鳴らしている。

だけれども、その本質は、やはりいつだってB級であることだったのだ。
たとえば、かのAnvilが、今でも「B級」であるように。

本人たちも、きっとそのことをよくわかっているに違いない。

以下は省略である。

追記: 俺の好みとしては、アルバムを聴き込んで、一番良いなと思った曲は、”ManUNkind”かな。曲もいいし、ビデオも面白かった。ぜんぜん違うバンドがパフォームしていて、なんでも有名なブラックメタルバンドMayhemのトリビュート映画の俳優さんたちがそのまま出演しているって書いてあったけれど、ぜんぜん違う知らないバンドが演奏しているなんて、アイディアは誰でも思いつくかもしれないけれど、よほどの大物じゃな限り、実行できるアイディアじゃない。そんでもって、そんな誰とも知らないバンドが演奏している映像の上で、曲を聴くと、余計にこの曲はかっこいい。もし知らない新人バンドだったとしたら、「誰だ、これ」ってなって、ぶっとぶに違いない。つまり、メタリカっていうネームバリューとか関係なしに、すげえ曲だっていうことだ。そんな疑似体験が出来るので、面白いビデオだと思った。

No(4787)

■…2016年12月28日 (Wed)…….決め台詞
クリスチャン的なヒーローのキャラ設定とか考えるときに「おまえはもう死んでいる」に匹敵するくらいの決めゼリフが欲しいもんだと思っていたが、「すべての罪は、許される」とか、どうだ。かっこいいんじゃないか。笑笑笑。

No(4788)

■…2016年12月29日 (Thu)…….Heaven’s Gateのビデオやっと
ようやくのところ”Heaven’s Gate”のミュージックビデオをアップしました。11月に能楽堂で撮影した素材を使ったビデオの、第一弾という感じですが、あの日撮った素材の、10ぶんの1くらいしか使ってません。ケチったわけではないですが、僕の編集が下手なだけですね。はっきり言って結構テキトウなビデオです。でも、紅葉はきれいです。この日の素材から、あと3、4曲、下手したら5、6曲はビデオが作れちゃいそうな感じです。
こちら

No(4789)

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