2016年7月の日記

■…2016年 7月 5日 (Tue)…….まずい!もう一杯。
Voted. Every time we have a national election, (especially after 2011) I always go like “Seriously, Japan?”. But I guess that’s happening all over the world right now, including UK and USA.
スケートのついでに期日前投票は済ませてきた。
誰も政治ぽいトピックとか読みたくないと思うけれど、それでも無理矢理書いてみよう。

今までだって選挙とか投票で、自分の票が政治に生かされているとか、意見が反映されているとか思ったためしは無いけれど、今回は本当にやるせない選挙だ。これほどやるせないのも珍しいし、単純にやばい。2011年以降っていうのか、この国の、というよりは世界の行き先に対して、ああ、という思いはずっと強まるばかりだが、いよいよ状況はえげつない。戦争をおそれる必要はなくてなぜなら世界中で起こるテロを見ればわかるようにもう戦争は始まっているからだ。これが新しい時代の戦争の形なのだろうとしか言えない。「恐れ」に支配されて君もゾンビになるのか、あるいは愛を選んで人で居続けることが出来るのか。(You know, zombie appocalypse is already here.)
なるべくなら人として死にたいとは思うがね。

いつも言っているように(知らんがな)、日本の右側っていうのか保守はダメダメだが、左側はもっとダメ、っていうように、こんな状況こんなタイミングにあって野党とかリベラル側のひどい体たらくは本当に涙も出ないくらいだ。まあこの10年、20年、いやもっと前からずっとそうだったけれども。二大政党政治をやろうにもそもそもまともな野党が居なかったというこの国の不幸。

なんとなくそれは見ればわかるとは思うが、確認のために書いておくと僕は自分を基本的にはリベラルな人間だと思っている。選挙とかでもいわゆる「与党」に投票したことはほとんどないんじゃないか。まあ勝ち馬に乗るのがそもそもみっともないという意識もある。
ただトピックによっては妙に保守的というか右寄りなことを言い出すこともあるので要注意だったりするが。かといってそれもいわゆる世間一般の右側とは違う趣旨だろうけれども。

一応のところ自分はクリスチャンやってるので、もちろんのところ宗教とか信仰と政治信条は違うものであるから、クリスチャンだからこの政治的立場を取らなければいけない、とかそういうのは無いはずだと思っている。しかしこれが面白いもので、世間にはそりゃそれなりに「一般的にはクリスチャンはこういう立場が多い」的なことはあり、何が面白いかというとアメリカにおいてはキリスト教徒というのは一般的には政治的にも右寄り保守派のことを指すことが多い。けれどもこれが日本に来ると状況はだいたいが逆になる。理由は明白だと思うが(笑)
だからこれだけを見てもいかに信仰と政治的立場が本来あんまし関係ないか、がわかると思う。

政治なんていうのは結局は野球チームと同じで、ひとつの人間の集団があったときに、心情的に居心地のよい立ち位置というのに過ぎない。それは実際のところおおむね感情的なものだけれど、感情的なものだからこそ人はひいきの野球チームとかフットボールとかそういう話題に対して躍起になって主張し、殴り合いのケンカもしたりする。

じゃあちなみに神、すなわちイエス・キリストはリベラルであったのか、それともコンサバであったのか。
そりゃもう、そんなものは測ることは出来ない。右だの左だのリベラルだの保守だのは、人間社会における人の尺度に過ぎないのだから。
けれども敢えて言うんであれば、僕は神、すなわちキリストは、超スーパーウルトラ保守だったと思う。
それは、右左といった相対を越えて、神には宇宙の絶対的な真理があるだけだから、その真理を指して絶対的保守、としか言いようがないと思うんだ。

けれども、そう言った上で、じゃあ二千年くらい前にイエス・キリストが地球にやってきたときに、当時の人たちがイエスさんのことを見てどう思ったかと言えば、きっと当時の人々の目からはイエスさんは超スーパーリベラルに映ったに違いない(笑) 文字通りBreaking all the rulesを地で行ってたんだろうから。

そういうことだと思う。
だからこそ神から見て人の言うところの右だの左だのなんて関係がないし、逆に神の為すことは変幻自在に右にも左にも見えるのかもしれない。

だからといって、それぞれの個人のうちで信仰と政治的な信条が結びつくことを否定はしないし、それはむしろ自然なことだ。それは神さんと人との関係、契約、この世界での使命や役割は人それぞれに違うのであって、右っぽい使命を神さんから与えられてる人もいれば、左っぽい宿題を神さんからあてがわれている人もいるだろう。ただなんにせよどんな立場の人でも宇宙における矛盾と真実の絶対的クロスポイントとしての十字架で一致を見ればいいし、それは見るべきだ。見ないんであればそれは本物の保守とは呼べないし、本物のリベラルでもない。

現行の社会制度とか、社会の形とか、現行の民主主義制度が機能しているとはちっとも思わないし、機能していないからこそ「僕ら」はずっと苦労してきたわけだけれど、また民主主義ってのはおかしなもんで、多数決である以上、少数派の意見は反映されない。だけれども、なぜだかそこに少数派のための政治があるはずだと僕は信じているし、いかにもあらゆる方面で少数派に属して生きてきた僕が、それでも民主主義ってものを信じている、のは、やっぱりそれは信仰というか、それは民主主義という制度が、信仰というか宗教的な趣旨にのっとったものであるからに違いない。

すなわち、民主主義がちゃんと機能するためには、大衆が救われねばならないのだから。
少数の救われた、悟りを開いた人たちだけで政治を行えばいい、というのは、民主主義ではないのだから。
そんでもってそれは途方もない遠大なことだ。
人間ってのの愚かさと罪深さ(キリスト教でいうところのSin)を考えると、うまくいかなくて普通というか、衆愚政治とか煽動政治になって当然、というか。
だから民主主義をきちんと機能させようとしたら、人々というか大衆というか、すべての人々を悟りつーのか救いつーのか、そこに導くしかない。無茶言うなっつー話である。

しかし古今東西宗教家というのはそこに向き合ってきた人たちのことを指すはずだ。

まあわからんけどね。啓蒙された民衆、なんてものが果たしてマシなものかはわからん。老子とかそのへんにいかにもありそうだけれど、民衆は無知だが自然のままに生き、支配者は居るか居ないかわからん空気のような存在、それでもなんだかうまくいく、そういう状態が案外ベストかもしれん、というのもあり得る。でも形の表れはどうにせよ、”知”ってものの定義がどうであるにせよ、基本はそういうことなわけだ。民主主義における「統治」ってやつは。

本題に移ろう。
僕の考えるところの、僕自身の政治的な立場。ちょっとした主張。
僕は現代日本には本来の意味での保守は残念ながら存在しない、はなっから存在していない、と考えている。
だからなんかやっぱし偽りの上に築かれた社会、偽りの上に成り立った国家、になっているし、それを運営維持している人々は残念ながら「えせ保守」だ。

そんでもってその「えせ保守」に対抗する形でアンチテーゼを掲げる左側の人たちも、保守が「えせ」である以上、残念ながら「えせリベラル」になってしまう。

そして、本当に残念ながら、「えせリベラル」にはどうやったって「えせ保守」は倒せないんだ。それは、やっぱどうしたって、この社会はそういう仕組みになっている。

「えせ保守」を倒すことが出来るのは、本来の意味での「本当の保守」だけだ。

じゃあ、この、既にあらゆるものが失われたこの現代の日本で、本当の国家の形つーのか「本物の保守」を見つけ出し、打ち立てるには、どうしたらいいのか。

知らんがな(笑)

そんな難しいこと(笑)

でも、そのために俺はキリスト教徒やってるはずだし、俺がこれから鳴らそうとしてる”Jesus Wind”にせよ、”鍋島”にせよ、(とても絶望的な話だが)せめて芸術の世界の上で、それを見つけ、鳴らしてみようという試みのはずだ。

神頼みってことで(笑)

いろいろあるけどこのくらいにしておく。
しょせん自分は一介のしがないインディーミュージシャン。

No(4697)

■…2016年 7月 5日 (Tue)…….FBぽすと
Skating1st time in 2months! Been busy recording music. 実に2ヶ月ぶりスケート復帰戦。レコ作業及びデモ制作が終わったらバンドマンとしてよりスケーターとしての時間を生きたいものだ。

No(4698)

■…2016年 7月 6日 (Wed)…….救済のBlue Gel
中略。
そういうわけで、案外とこの日本という国、日本人という人々は、自分たちのアイデンティティを長いこと探してさまよってきた人々ではないかという気がするのだ。
近代以降、と言ってしまってもいいし、たぶんもっと昔から、実のところはるか昔からそうだったんじゃないかという気がする。
サムライがどうの、(元)経済大国がどうの、大和魂がどうの、クールジャパンがどうの、などなど言ってみたところで、である。

この日本という国の、ミステリーにあふれた、その真のアイデンティティを、容易に見つけることが、見極めることができず、ずっとのたうちまわってきた歴史ではないのか、という気がするのだ。少なくとも平安時代とか、仏教伝来とか、聖徳太子とか、そのへんまではさかのぼってのたうちまわってきたのではないかと、そう感じる。

かのアメリカ国がなんとなくまぶしいのは(過去形だが)、あの国は若いがゆえに、案外と国としてのアイデンティティが(本当はいろいろ複雑でも少なくとも表面上は)けっこうはっきりしているから、単純明快なくらいにはっきりしているから、であろう。

いや、もう期日前投票しちゃったし。
本当にこんな時なのにこんなにやるせない選挙なのに。
かいざん?うーん、ありえない話ではないよね、今のこの国では。
油性マジックで書くんだったかな(笑)

そういうわけで、現実に、現代の日本の、国として、また人々としてのアイデンティティをかんがみると、第二次世界大戦後、現代の日本のアイデンティティの根幹となっていたのは、やはり日本国憲法だったことに疑いは無いと思う。それが良きにつけ悪しきにつけ。また、それが誰がどのような経緯で作ったものであったとしても、だ。事実、現実として、今この国、現代日本人のアイデンティティの源であったのは、現行の日本国憲法であったことは否定できない。

実のところ俺はわりと昔から、比較的改憲に関してはオープンな方だった。もしそれが時代に合わせて改善するんであれば、またそれがより根本的なところでより日本人のアイデンティティを前に進め、真に近づくのであれば、改憲はアリなんじゃないか、と思ってきた方だ。

それは、小さな理由のひとつとして、僕がはるか昔、大学生っていうのを一瞬、形ばかりやっていた頃に、ちょっと変わった教授がいてね・・・。おそらくはちょっとした「名物教授」だったのだと思うが、どちらかというと右寄りかつ、ちょっと男尊女卑的(?)的な発言が目立つ(笑)人だったように記憶しているが、それでもなんだかちょっと憎めないキャラクターの人だった。

だが改憲ということについて、あんなに前向きに説いていたその人が、どう見ても右寄りなんだろうなと思っていたその人が、今この時に、改憲してはいけない、とやたら怒っているというではないか。それはすなわちずっと改憲について説いてきた、改憲のプロとしての矜持なのか。

だから俺は、それが、より真実に近づくのであれば、期を見て改憲とか、今でもアリなんじゃないかと思っている。
だけれども、それは、「結婚願望があるからといって、その相手が誰でもいいとは限らない」という話である。確かに結婚願望がある、だけれども、その相手が誰でもいいとか、あべこべな人でも構わない、とか、そういうことは無い。絶対に無い。結婚なんていう重要な事柄は、相手を選ぶに決まっている。憲法改正も同じことだ。
少なくとも話してることがあべこべであったり、法治主義国家なのに、そのトップがそもそも法律を守らない、法治主義国家の手続きを守らないという、そんな政権に憲法の改正を任せる気には、ちっともならない。

世の中には、スポーツであれ勝負であれギャンブルであれ(ギャンブルしないけど人生はGamblinb Manだぜえ)、勝負のあや、っていうものがある。勝負時を見極める勘のようなものだ。日本は硬性憲法で、他の国がちょくちょく憲法をいじってモデファイしてるのに、日本はずっと変えないで同じままだ。だから普通だったらそろそろいじってもいいんじゃないか、という考え方もある。だが、物事というのはケースバイケースであって、またこの日本という国は、「特別」とは思わないまでも、かなり世界の中でも「特殊なケース」であることは確かだ。そういう妙に複雑な事情と歴史的経緯を抱えた国だ。
だから、たとえいずれ変えにゃならんことでも、「今ここで、このタイミングで」変えちゃあマズい、っていうのが、俺の勝負どころの勘である。よりによっていちばんまずいタイミングで変える、ということである。

今その手を打ったら負けるぞ、と。
つまり、ゲーム(勝負)というものは、いかにも困難に思えるときこそ、それをやるべきであり、いかにもそれができそうだ、という時には、必ずそこには罠が仕掛けられているものである。

現代の民主主義は機能していない。
機能してたらこんなに苦労はしてこなかったし、
そんなことはずっと昔からわかっていた。

今回の選挙の、政権の暴走を止めるべき野党とか左側の皆さんの状態、状況はひどいものだが、もちろん、世の中にはそれぞれの場所できちんと戦っている人々がたくさんいることも知っている。
だが、結果的に、少なくとも形の上での勝負としては、結果としておそらくは勝てない。

勝てなかった、間に合わなかった、足りなかった、ということである。
これは、もちろん俺自身も含めて「負けは負け」なのであり、自分たちの人生の敗北であり喪失なのであって、それは受け止めなくてはならない事実なのだ。

だが、「これは無理だな」「これは負けるな」なんてことは、ずっと前からわかっていたことである。
それはつまり、僕の場合で言えば、物心ついて青春時代を終えようとしていた18歳くらいの頃には、すでにわかっていたことなのだ。
「この国だめだな。ていうか、この世界だめだな。」
ていうことは。
敗北と喪失は、ずっと前に起きていた。
というより、敗北と喪失に向き合うところから、僕たち世代の人生は始まっていた。

だが、たとえ現代の民主主義が機能していなかったとしても。
今言ったように、世の中には、この国には、それぞれの場所でそれぞれの人生をきちんと戦っている人々がいることも知っている。

「殿下、誰でも殴られれば殴り返しますよ。政治家に人はいなくとも、野にはおります。しかもこの国は義の国です。おそらく政治家たちの破れたところから、本当の戦いは始まるでしょう。」てなもんである。

これが現代の戦争の形なのか。
戦う相手はずいぶん、想像していたものとは違うのか。
えげつなくて溜息が出るが。

僕はずっと昔から、「国が破れること」を想定つーか前提の上で音を鳴らしてきた。
そして、たとえ破れた後、形が失われた後、すべてが消え去った後であっても、そこからすべてを築き上げるために、それが可能なために、これから「鍋島」という音を鳴らす。いや、実際に鳴らしてみたらそんな大したもんじゃない可能性も、あるが(笑)

現代日本の精神の根幹たる日本国憲法が崩れるとき、
またこの日本という国の形が崩れるとき、
日本人は、これからどこにそのアイデンティティを求めればいいか。

もし、人の魂を覗くことができたら、魂の根幹を覗くことができたら、そこに記された歴史を読み解くことが出来たら、どんなにいいことだろう。そして、そこにどんなものが見えるだろう。そこにはどんなことが記されているだろうか。そこに記された「日本人」の姿とは。日本という国の姿、とは。

「そんなことより個人の幸福、個人の権利の方が十万倍重い」
俺はリベラルな考え方の人間だ。もとより国という概念も、国境という概念も信じちゃいない。だけれども人間ということは信じている。個人ということも信じている。その上で、僕の見知ってきた、日本人という人たちの心も確かにそこにある。だからこれは最低限、神さんに言われたからやるだけのことである。

すべてが消え去った後であっても、魂の奥底に記されたそれを読み解き、日本という新しい国を再生せんがため、である。

すべての左側たる敗残者の皆さんのために、この国の真の保守を探し当て、鳴らさんと欲す。
現実にそれは出来んでも、形而上の世界、音の世界なら出来るかもしれんからだ。
ロックンロールに不可能はない。
Because, you know, Jesus is THE ROCK.

No(4699)

■…2016年 7月 8日 (Fri)…….Version0完成
今年の上半期をかけてずっと取り組んできたコンセプトアルバム”Jesus Wind”が、ひとまず「バージョン0」として完成した。
今月は大量のデモ制作をしないといけないから、ひとまずの仮ミックスでいいから完成形にもっていかなきゃ、と思っていて、今週もミックスはほっといて他のことやろうと思っていたんだけれど、ついついあれこれいじってしまい、7月7日の最後の修正をもって「バージョン0」が出来上がってしまった。

もちろん、まだまだいじるかもしれないし、まだまだ修正したり、ミックスを改善したり、するんだろうけれど、それらの項目はメモっておいて、デモ制作を終えてからまとめてゆっくりやればいいと思っている。リリースの時期なんてものは決まっていないのだから。

ひとつ前の作品である”Revive The World”のときは、この仮ミックスの「バージョン0」から、完成品である「バージョン1.0」までの間に、かなりの改善と差異があった。それはひとつのきっかけとして、Game Changerともいえるプラグイン、Waves NLSをそのタイミングで入手したことが理由だった。しかし、今回は制作の上でも、2年前よりも多くのプラグインを使いこなし、ここから劇的にGame Changerが現れる可能性も少ないことから、たぶん正式の完成品も、このversion0と大きくは違わないだろうと予測している。あくまで予測だ。

“Revive The World”の時は、2012年の秋に曲を書き上げ、2013年いちねんかけてリハーサルおよびライヴで演奏し、2014年の上半期にさっくりと録音したのだ。
今回の”Jesus Wind”は、2014年の正月に書き上げて、2014年の後半からリハーサルおよびライヴ演奏を開始し、2015年いっぱい、ならびに2016年1月までかけてようやくリハーサルが終わり、そして録音にとりかかった。正味、録音作業をしていたのは2016年の2月から6月である。

曲数も多く、また楽曲のバラエティや表現のハードルや要求も高かったから、仕方が無いとはいえ、かなり時間がかかった。だが、その甲斐はあったと言える。

日本の歴史をテーマにしたコンセプトアルバムってことで、そんな壮大かつ重いテーマの作品、しかも、好き放題に曲を書くんじゃなくて、ストーリーやテーマに沿って楽曲とか歌詞を書かなくてはいけない。そしてそのテーマに沿った表現をしなければいけない。
そんな、過去にあんましやったことのないチャレンジだったために、実際に録音作業が始まると、予想外のことがフルコースで起こり、演奏についても音作りについても勉強させられっぱなしで進み、作品の趣旨であるストーリーについても「へえ、こうなるんだー」と、書いた本人でありながら、興味深く驚きながらの制作だった。

もとよりこの作品は、過去だけでなく、現在、そして未来についても描き出す「預言書」であり、まあ預言書ってのはクリスチャンバンドならではの、もちろん非常に人生をかけた重いものではあるのだけれど、それを神さんからひょいっと放って投げられたために、それを自分たちなりに「解読」しながらの作業だったわけだ。

かなり重いテーマだったために、未来についての預言の部分も、これってどうなるんだろう、やっぱり人類が滅亡して終わるのかな、ていうかそもそもちゃんと終われるのかこの物語、とかいろいろ考えていたが、完成してみれば、きちんと「音の上では」結論をしっかりと出した上で、未来への預言も含めて、作品はmake senseして完成した。

それがどんな物語であり結論であるかは、そりゃもう音を聴いてもらうしかない(笑)

まあ例のごとく近しい友人や音楽仲間の人々には試聴用の「Version 0」のディスクやmp3をおすそわけすることになると思います。ぜひ感想とご意見をいただきたいと思っています。

音楽性としては録音中に何度も日記に記述したとおり、しょせんヘヴィメタルアルバムだろ、とか、コンセプトアルバムといえば様式美ヘヴィメタル、みたいな思い込みが頭の中にあったため、自分で曲を書いたにもかかわらず「今度のは単純な音楽性のストレートなメタルアルバム」とか思っていたら、実際にはストーリーを描き出す関係上、ハードロック、ヘヴィメタルだけでなく、オルタナティヴ、R&B、ヒップホップ、ボサノバ、和風ロック、クラシックロック、インストゥルメンタル、ビートルズ風、などなど、これでもかというくらいに幅広い音楽性が入っていて、作りながら気絶しそうになりました。しかし、その音楽性をちゃんとやりきったバンドのメンバーに対しては、自分も含めて誉めてあげたい。というか、これはたぶん自分を誉めていいタイミングに違いない(笑) せめて完成の瞬間くらいは。

自分としては制作を終えてのいちばんのトピックというか、完成していちばんの驚きだったのは、これが「ヴォーカルアルバム」になったことでした。
ヘヴィメタルのコンセプトアルバム、ということで、めっちゃギターアルバムでしょ、と思っていたし、いつだってうちのバンドはギター中心の音作りをしてきたし、しているわけなんだけれど、まさかここへ来て、この自分たちのささやかなキャリアの中でも最も重要な作品になるであろうこの作品にあたって、それが「ヴォーカル中心のアルバム」になるだなんて、これはまったくさらさら予想もしなかったことでござるよ。

実際にこの年齢になっても自分は、もともとあまりうまくなかったこともあり、ヴォーカルだけはまだまだ年々、少しずつ進歩しているし、現実に2年前の”Revive The World”の録音の時とくらべても、自分の中では明確に技術的な進歩があるわけなんだけれども、それをばっちり生かす形で、このコンセプトアルバムのストーリーを、自分の「歌」によって描き出すことが出来たことは、この制作にあたっての自分のいちばんの驚きであり収穫だった。
実際、その幅広い音楽性と、ストーリーの中で、かなりいろいろな種類の、七色の声と言って差し支えないくらい、いろんな声の表現をしていると思う。多くの人は、これ本当に同じ人が歌ってるの?って思うかもしれないし、あるいはそもそも同じ人が歌ってるとは最初から思わないかもしれない。

とにもかくにもいよいよようやく”Jesus Wind”が完成したということで、
まあこれからもうひとつの重い宿題である「鍋島」のデモ制作をするんだけれど、
それでもこの一世一代の「預言書」でありコンセプトアルバムであるJesus Windが完成したということで、しがないバンドマンとして僕も、ひとつのマイルストーンを越えた気がしている。

いつも言っているように僕はいつもバンドを止めたいと常に思い、そしてバンドやめるための最短距離を常に考えてその最短距離を実行している。
そうやってここまで来たわけなんだけれど、神様に僕が与えられた「音楽的な」宿題。人生の中で、ここまでやろうね、っていう宿題。
この”Jesus Wind”を作ったことで、ひとまずその「最低限」の宿題は出来たと考えています。
つまり、これでたとえば、明日死んでも、音楽家としては一生ぶんの仕事はすでに最低限完遂している、ということ。

何年か前に”Revive The World”を完成させた時に、最高傑作できたー、と思ったら、神さんから「これで基礎ができたな。この上に城を築け。」と言われて愕然とした(爆笑した)ことがあったけれど、このJesus Windをもって、ひとつきちんと立派な城が作れたと僕は思っている。なにしろこれは僕の人生をかけた「預言書」なわけだから。1人の音楽的な「預言者」としての。

もちろんこれから、さらに「鍋島」という高みにある宿題が待っている。
だけれども、ここから先は、ボーナスというか、余録というか、築き上げた城の上にかかる雲とか、虹とか、空とか星とか、そういうもんじゃないだろうか。

だから、ここから先は焦らないというか、もう相手がでかすぎるので、いっこでも出来たらめっけもん、というくらいのスタンスで行くのだ。人生においても。そして制作とか音作りとか、作曲もだが録音についても、もうここから先は、今までの形にはこだわらないのだ。また、世の中的な都合に合わせた音作りもおそらくあんまししない。
なぜなら、鍋島とはそこにひとつの美学を作り上げるべき箱庭の宇宙、たぶん、そういうものなのだろうから。

というわけでもうしばらく、大変ですが、地獄のデモ制作にとりかかりたいと思います。

一応、記録のため、同業のバンドマンの方々のため、今回の録音作品をつくるにあたってカギとなった楽器、道具、ツールを記しておきます。まあもちろん半分以上は自分のためのメモであるのだけれど。

ギターは7割Bacchus、あとはMusicmanとHamerと古いCharvel。
ベースは8割がBacchus、あとはLakland。
アコギはHeadway一本。
ヴォーカルの使用マイクは「取り戻したかつての愛用機種、の後継機」であるCAD E-300s。結果として、やはり自分の声との相性は抜群でした。
ヴォーカル録音に死ぬほど活躍したのはJoe Meek 3Q。内蔵コンプのかけ録りでパフォーマンスが激変したのは前に書いた通り。
マイクプリはそのJoeMeek 3Qの他にEventide Mixing Linkも併用しました。MixingLinkでひとつ意外だったのは出力レベルが+4ってやつじゃなくて-10の方だったこと。でも+4設定でもなんとか使えたし、手軽に持ち運べるコンパクトなプリとしては間違いなく最強クラスだと思います。一部のベーストラックにはDIとしても使用しました。使い道はやたら多い機材です。
ギターのアンプはリハスタのMarshall JVM210ですが、いつものとおり「緑チャンネル」しか使わず。使ったブースターは、長年愛用しているAlbit/Cranetortoiseの真空管入りVT-2B、しかし今回はより正統派メタル寄りの音を狙ったため、Heavy Lid Effects Shoals Overdriveがぴったりとはまり、結局7割の楽曲でShoalsを使用、あとの3割がCranetortoise。でもギターソロは半々くらいかな。
パソコンの中のプラグインエフェクトとしては、とにかくEventideが大活躍だった。リヴァーブは8割型Eventide UltraReverbだったし、あとはValhalla Vintage VerbかIK Multimedia Classic Studio Reverbのどちらか。ほんの一箇所T-verbも使用。Tverbは今回はあまり出番なかったが、きっと「鍋島」の制作の際に活躍してくれるだろう。ギターの音作りを含め、あらゆるところにEventide UltraChannelが大活躍。こんなに使うと思わなかった。ほとんど頼りっぱなし。もう手放せる気が一切しない。またEventideがミックスの最中にタイミングよくPrecision Time Alignなんていうのを出してくれてイニシャルプライスのバーゲン。もう何年もギターはマイク2本のオンとオフで録ってるんだけど、位相のずれは気にしなくてむしろそれを利用して音を作ってるけど、曲によってはやっぱり合わせたいな、っていうのがいくつかあって、そこでこのPrecision Time Alignが役に立ってくれた。地味なツールだけれど、インディーミュージシャンの味方になってくれるプラグインだと思う。まあとにかくEventideには頼りっぱなしだったな。
あとはLindell Audioの500シリーズのプラグイン、これも今年に入ってからバーゲン入手したものだけれど、どれも素晴らしく役に立ってくれた。これはもう、なんかしらんけど、実用性が非常に高いというか、高級品ではないのかもしれないけれど、きちっと結果が出るツールで、めっちゃ助かった。
あと特筆すべきはNoveltechのVocal Enhancer。意外にもヴォーカル中心の音作りをすることになった今回の作品で、声のキャラクターとか表現力を作り出すのに、一役も二役も買ってくれた。ていうかむしろヴォーカルが抜け過ぎてたとしたらこいつのせいです(笑)。
コンプはいつものとおりLogic Pro(いまだにバージョン9であることに注意)の標準コンプで8割はまなかっちゃったけれど、上記Lindellの7Xとか、一部にはToneboostersのTB Compressorも使った。あと一部にはIKのフェアチャイルドのやつとか、フリーウェアでKlanghelmのMJUCjrってのも使ったかな。
ドラムの音作りに役に立ったのはWavesのCLA Drumsの他に、上記いろいろのコンプはもちろんだけれど、WaveArtsのTube Saturator2もかなり決めてになってる。あとはBrainworx bx_boomもドラムバスをバウンスしてまとめた後からでもキックに適用できるんで重宝した。けれども「緩い系」のキックなので、曲によってはBoz Digital LabsのBark of Dogの方が合うことがあった。Boz Digital Labsに関してはウェブサイト見てたらSasquatchとか良さそうなんだけれど、使えば良かったかもしれないけれど今後使う見込みもそれほど無さそうだからケチって見送った。ドラムといえばドラムトラックはたぶん全部ToneboostersのTB Feroxは通してると思う。Lindellの6Xとか7Xも大抵通ってるね。ドラム録る時に一部の設定を間違えてへこんでたんだけど、Lindell通したら復活したというかちゃんと使える音になったからね。本当に助かった。
あとはフリーウェアだけれどMellowmuseのEQ1Aっていうのがかなり良かったんで一部で採用した。
EQはかなりの部分Eventide UltraChannelでやっちゃったし、Waves R-EQはもちろんのこと、V-EQの4の方を持ってるんでそれも時々使った。フリーでは上記Mellowmuseの他におなじみSoimus Son-EQも使ったけれど、意外とLindellのやつで用事が済んじゃうことも多かったな。ベースにはSonEQよりもLindell PEXの方が合うことが今回は多かった。
ベースの音作りに関してはWaves GTRに一任した。前作というか”Revive The World”と、その前の”Heroes EP”に関してはベースはLogic Pro9 (しつこいようだが9)の標準ベースアンプのRock Stackとかあといくつかのプリセットを使っていたけれど、”Atomic Live!”以降、ベースは全部Waves GTRを使うようになった。動作もわりと軽いし、GTRは歪んだギターは苦手だけど、ベースはとても信頼できる。クリーン、クランチのギターは良いんだけどね、GTR。
ディレイに関してはLogic標準のテープディレイに飽きたんで、いろいろ試した。本当はNomadのEchoesとか欲しかったんだけど数年前のバーゲン時に買いのがして結局手が出ない。なのでいろいろ工夫した。ValhallaのFrequency Echoはかなり使えたし、あとはUltraVerbをリヴァーブ&ディレイに使って、そこからTB Feroxのテープにぶっこんでエコーヴァーブテープディレイ的な美麗空間作ってみたりした。なんだかんだこれもUltraChannelについてるステレオディレイで7割くらい用が済んでしまったり。とにかく優秀なんだよねUltraChannel。これだけで全部済んじゃう。ギターソロにせよ声にせよちょっと押し出したいときにO-pressorも何度も使ってるし。UltraChannelはもちろんハーモナイザーも大活躍だった。これは80年代とか大昔から重宝されてるのが、使ってみると便利すぎてよくわかる。昔は僕らみたいなインディーミュージシャンに手が出るものじゃなかったはずだが、時代が変わりこうして気軽に使えるようになったわけだ。まあギターにハーモナイザーかけるとどうしても90年代のVan Halenみたいになっちゃううんだけど(笑)
そしてもちろん、自分にはもはやかかせないWaves NLS、あとは常に絶対使ってるテープシュミレーターということでNomad Factory Magnetic2ももちろんマスターバスに鎮座。
NLSに関しては、”Revive The World”ではNeveを使うことが圧倒的に多かったけれど、今回はNeveの出番は非常に少なくて、EMIの出番が非常に多かった。トラックにSSL、マスターにEMIってパターンが多かったかな。一番繊細な表現力があるのがEMIなんだよね。くっきりハイファイがSSL、アナログっぽい馴染み方と中域が出るのがNeve。
Magnetic2については、わりと最近、左にならんでるテープの種類が、実はフォーカスする音域が変わるだけ、ってことに気付いて愕然としたんだけれど、ローエンドに重心を置いて逆に上の方がオープンになるで、いちばん下のやつを使うことが多かったかな。
ディエッサーは一部の曲でしか使ってないが、ToneboostersのTB DeEsserを使ってみたけど、優秀なかかり方をしていたと思う。わりと自然というか、いい具合にうるさくない子音は残してくれるというか。
マスタリングというのか「マスタリング的な処理」は長年使ってる「T-Racksの古いやつ」で今回もやっちゃってます。まあ、後から変えるかもしれないが。マスタリングなんていうややこしい処理は、なるべく簡単に済ませるに限る。そしてあの初代T-Racksは、それが「簡単に」出来ちゃうデザインになってる。だから使い続けてる。迷い道に入り込むのを避けるために。
バージョン0に関してはとりあえず急いでたのでビット落とす際のディザーはUV22で処理しちゃった。でも、後からToneboostersのTB Ditherでいろいろ処理したやつと比較してみようと思っている。
フリーウェアだが一部の歪みとかごまかし(笑)にはAudio Damage Rough RiderとかCamel Audio Camel Crusherも使ったな。

そんなところかな。

まあしょせんマイペースでひとりよがりな、ゆるい音作りですよ。

No(4700)

■…2016年 7月10日 (Sun)…….fbポストまとめただけ
今日は選挙ですね!世界中で大変なことが起きて、人類の未来とか、希望とか、個人の愛とか自由のために、ひとりひとりがたたかわなくてはいけない時代が、もう来てしまっていますね。そんな折ですが、あいかわらずノーテンキに自由のために戦う歌をどかんと演奏してきます。横浜関内ベイジャングル、噂の女子高生クリスチャンバンドEIMS企画、ぼくらイマリトーンズは17:00より演奏します。よろ疾駆!

またもって左右どっちとも取れる言葉ですみまへん!俺は個人主義Love&Peaceのリベラルボーダーアナーキーですw

先日「ジーザスモード」の「ほぼほぼ最終ミーティング」を済ませてきたのだが、主役の熱きリョウに対していろいろツッコミを入れたが、俺も思ってることを偉そうに書いたりドンキホーテ的なところは大して変わらん(笑
ひとつ思うのは人間、個人個人が笑いながら平安に暮らすことが一番であり、価値観もいろいろの中、人が命をかけるに値するものなんて、なんにもありゃしないと思う。キリストに言わせりゃ人はみんな罪人。正義も理想も国家もぜんぶ幻想に過ぎない。もちろん男ってのは何かに命をかけて生きるものだ。でも、本当に命をかける時、人はなんも言わんでも知らんうちに命をかけてるものだ。それが夢中というものだ。そして、人は笑いながらそれをやらにゃいかん。悲壮な顔してやるもんじゃない。

No(4701)

■…2016年 7月11日 (Mon)…….Out of the Box
7/10横浜ベイジャングルのライブありがとうございました。
噂の女子高生クリスチャンバンドEIMSさんの初企画、Box of Praiseということで、いきなり10代の若い子たちが集まる場に混じってしまった僕らもかなり焦りましたが、ぶっとばしてきました(笑)

実際のところ、またもドラマーのジェイクがやらかしてくれたりと、演奏はいろいろ問題がありましたが、大人が本気になってコケつつ体を張って笑いを取りにいく、もといメッセージを伝えるその姿は、若者たちに伝えることができたんじゃないかと思います(笑)
まあ伝えたいのはかっこいい自分ではなく、愛とか、愛とか、ジーザスとか、そんでかっこわるい自分だからな!

またEIMSさんの初企画ということでしたが実はこのBox of Praiseという企画自体は以前からあったものであり、会場でも知っている方に何人もお会いするなど、やはりこのクリスチャン業界は狭いなー、ということを改めて実感することとなりました(汗)

演奏はミスを連発しつつとも、MCは冴えに冴えて笑いを取り、あれれ、僕らは無口な実力派バンドだったはずなのに、いつのまにか演奏はそれなりでもMCでウケるバンドになってしまったのでしょうか。でも、気のせいかその方がお客さんには喜ばれているような・・・(苦笑) これが大人になるということなのでしょうか(笑) でも、初めて見る人とか、10代の女の子たちにも「面白い」と言ってもらえるヘヴィメタルバンドは、よく考えると貴重な立ち位置かもしれませんね。

そうはいってもヘヴィなサウンドはばっちりぶちかましましたし、久々に演奏した信仰と珠玉のバラード”Love Is To Do Something No One Dares To Do”も(そこだけは)ばっちり決めました。現在動画の処理は滞っているのでたぶん一年後くらいにYouTubeに上がるでしょう(笑)

会場は若いオーディエンスと若いバンドであふれ、共演の若いバンドたちも良いバンドばかりで頼もしかったし、彼らに向けて、彼らと一緒にこんな素敵な演奏の機会を与えてもらったことに、本当に素晴らしくSuper Awesomeと感謝の思いでいっぱいです。
そしてEIMSさんという、この狭い日本のクリスチャン音楽業界に現れた新星の出発の場に、こうしてご一緒できたことも光栄です!

俺もやりながら、今日の自分の演奏はひどいなー、と思っていたのですが、後でビデオを見返すと、ハコのPAさんの腕が良かったようで、自分のミスは外からは目立たず、客席からは案外と良いサウンドの良い演奏に見えていたようです。
だいたい毎回そんなこと言ってますね!
もっと自信を持て自分。

たぶん20年くらい若い子たちに混じって演奏してたかもしれないが、
まだまだ挑戦者。ようやくスタートライン。
見せられるものがある限りは。
今後とも精進します。

7月30日(土)には福生チキンシャックにてライブしてきます。
電車で行けるアメリカ、雰囲気ばっちりの基地の町、福生にて、(一応)国際的なバンドらしい骨太な演奏を、(たぶん今度はちゃんと)聴かせます!

見れるうちに見ておいてください!
今後、もっとすごくなっちゃうから、うちのバンド。

No(4702)

■…2016年 7月16日 (Sat)…….日本メーカーのフィリピン製のアフリカンマホガニーの
さて、時間の感覚は人によって違うものだとは思いますが、僕の中では人生すでに「老境」でありますので、歳をとって人生流していくうちに色々とリラックスしたのか隙ができ、若干人当たりも良くなり、昨晩はとある方と楽しく飲んでおりました。
いろいろなお話ができてとても貴重な機会でしたが、都内に出るとついつい楽器屋さんに足を運んでいろいろ試してしまいます(笑)

うちのバンドの人たちも「量販店ならここが一番ましw」と言っている、おなじみ都内の量販店におもむき、BacchusグローバルシリーズのフライングVを試してみたわけでございます。

実のところ、このモデル、店舗は違うものの試すのはたぶん3回目でございまして、ときどきやるんですが、個体差なども含めて、渋谷池袋秋葉原とぜんぶまわって試すということをこのモデルでもやってしまったわけですね。以前試したのは違う店舗でしたので。

で、試奏の環境などもありますので、3度目にしてやっと少しは冷静にこの楽器に対する判断、verdictを下すことが出来たように思います。

まずは前提としてフライングVということに対する僕自身の事情といいますかこれまでの流れです。
自分はもともと特にフライングVということに大して強い思い入れがあったわけではありません。またフライングVをメイン楽器として使うギタリストに強く憧れたこともそれほどありません。

昔から自分がギターに求めていたのは、ハードロック、というよりは、幅の広いハードロックをやる上での汎用性の高さ。かのEddie Van Halenモデルを起源とするMusicman Axisを僕が長いこと昔から愛用してきたのは、その「ちょっと幅の広いハードロック」をやるにあたっての使い勝手の良さと応用範囲の広さが理由です。

ですから、昔ならいざしらず、現代を生きてきて市場にあふれるほとんどの「ヘヴィメタル系ギター」には、あまりひかれなかったのが事実です。
しかし、インディー、ガレージ系の匂いを求めていた頃に、Epiphone(えぺほん)の安いコリーナVに出会いまして、これが思いのほか応用範囲の広い使い方が出来る楽器だった。基本的には自分のフライングVとの付き合いはそこから始まるわけです。僕はえぺほんは結構、好きですし、安い楽器には違いありませんが、素直なキャラクターで使いやすいと思っています。

そしてこのえぺほんのコリーナV、今思い返してもかなり良いものでした。確かに、あくまで安物の作りではあるのですが、58年型ヴィンテージVの形を踏襲しつつ、メイプルネック、コリーナとはいいつつたぶんきっと謎の安いボディ材。塗装も厚いしセットネックの出来は推して知るべしですが、それでも案外に素直な鳴りで、扱いやすい音で、ピックアップを気に入ったものに替えることで僕のニーズは十分に満たしてくれました。

僕はいわゆるマイケル・シェンカー派の人たちが使っているような67年スタイルのマホガニーVには惹かれたことが無いのですが、この58年スタイルの「コリーナV」というのは、ボディの厚さもちょっと厚みがあるし、上の方もわりとカキーンと鳴ってくれるので(これは僕としてはかなり重要なことなのです)、「ああ、58年型のVは案外と自分のスタイルに合うんだ」ということを、実感というか発見したのです。それはおそらく、弦を裏通しすることによるよりクラシックな鳴り方も大きいのだと思います。

そして、自分のバンドであるイマリトーンズがちょっとずつ活動をしていくに従って、僕の現在の演奏スタイルも固まってきて、実際にその「えぺほん」のVでも録音をいくつもやってしまったんですが。そして結果は十分に良いものでしたが。

手元にあるもう一本のVで、Hamer XT、いわゆるインポートものの、「安い方のヘイマー」というのがあります。
これも安物ですが、実際かなり使えるギターで、インドネシア製なのですが、作り方は各所に安物っぽいところは見受けられますが、性能はかなりのものです。
このギターはアメリカ遠征に3度も持っていって、数々のライヴをこれでこなしましたので、かなり思い入れといいますかセンチメンタルバリューのあるギターでもあるのですが、Epiphoneと比べても比較的セットネックがしっかりしていることによるヴィンテージ寄りの鳴り方、きゅいんきゅいんというアタック音を発しますので、「おお、これは」と弾いた瞬間にぴんとくるものがありました。いい具合にヴィンテージ風味とモダンな使いやすさの中間に位置する楽器だと思います。ピックアップはもちろん自分の気に入ったものに替えてありますが。自分のハードロック的なプレイスタイルにも合い、そればかりかインディー、オルタナ的な鳴らし方にも十分に対応し、またライヴにおけるフライングVの取り回しの良さもよくよく実感しました。もちろん見た目的な部分も含めて。ボディは謎のアルダー材だと思われ、ネックはメイプルなのですが、実際のところツアーというか遠征用のギターとしてはマホガニーよりも頑丈なメイプルネックで乱暴に扱っても(比較的)大丈夫というのは大きなメリットだったりします。数えきれないほど飛行機に載せるのはもとより、2、3度ぶったおしてますが、ペグとかジャックは破損しても、ネックは無事でしたからね。

ここで話は大いに変わりますが、僕はここ数年いつも、「見た目はフライングVで、音はレスポール、そんなギターないかな」としきりにつぶやいています。
そんな楽器、ありはしないのはよくよくわかっているのですが。

Bacchus「猫ポール」との出会い以来、自分の音の理想についてはすっかり「レスポール」が至高のものになってしまい。けれども見た目とか、ライヴでの取り回しの良さに関してはやはりフライングVの方が良いのです。

今手元にあるもう一本のフライングV、それはHamer Korina Vectorでありまして、「高い方のヘイマー」と呼んでいますが(笑)
これは58年スタイルのVが自分には合うな、という理由があり、自分としてのフライングVという命題においての最終回答とも言えるギターです。
Hamerという伝説のブランドの中でも最高傑作とも呼ばれるこの97年製のコリーナVですので、品質というか鳴りはとんでもないです。化け物のように鳴ります。
フライングVというギターの形状を考えるに、もちろん、そもそも58年のオリジナルのGibsonはコリーナで作られていましたので当然ではあるのですが、フライングVというギターとしては決して音響的に有利ではない形をした楽器のあるべき姿として、コリーナというのは唯一にしてもっとも正しいソリューションなのか、と思わされます。

しかし、そんなとんでもない鳴りをしていても、コリーナという材の特性か、どうしても音が軽くなってしまう。もちろんその軽い音のキャラクターは長所でもありますし、特にライヴの場においてはそれが良い方向に作用することの方が多いのは重々承知してはいますが、それでもやはり、「良く出来たレスポール」と比べると、やはりちょっと軽いな、もうちょっとパンチが欲しいな、と感じてしまう。

そういった理由で、コリーナ特有の軽めのサウンドキャラクターによって、これほどの素晴らしいギターでありながら、レコーディングにおいてはそのキャラクターが合う曲のみでの使用になってしまい、実際にこれまでも、”Revive The World”で2曲、ジーザスモードの2nd EPで2曲、そして今回の”Jesus Wind”でも1曲のみの使用にとどまっています。もちろんライヴではもっと活躍しちゃってますが。うちのバンドの音源でこのHamer Korina Vectorの音を聴くのであれば、2014年に録音した”Atomic Live”がいちばんでしょう。あれはライヴ録音で当然ながらぜんぶHamerなので。この化け物みたいなギターの実力が遺憾なく発揮されてます。

そして「レスポールっぽいフライングV」ということでいえば、その3度アメリカに持っていったところの「安い方のHamer」も結構、理想に近い楽器ではあるのです。フレイムメイプルベニヤが貼ってあってチェリーサンバーストな見た目もそうなんですが、いくぶんヴィンテージ寄りの鳴り方、そんでボディが謎のアルダーなのもかえって良いのかもしれませんが、メイプルネックなので、鳴り方がどうにも「70年代のレスポールカスタム」いわゆるジョン・サイクスとかそういうメタル系の人たちが使うレスポールカスタムみたいな、そっち寄りの音がするんですね。

僕が理想とするのはヴィンテージを基本としたレスポールスタンダードの音なので、「カスタム」よりの音は、必ずしも理想ではないんですが、でも、かなり理想には近い、少なくとも使える音がする。その意味で、安い方のHamerもかなり気に入ってはいます。

しかし、Bacchus猫ポールや、高い方のHamerのような「バカ鳴り」にはやはり届かない。

僕がかねがね、Bacchus/Momose/DeviserさんとこのフライングVを試したい、と思っているのは、その「レスポールに負けないフライングV」「バカ鳴りしつつ、低音もしっかり出てくれるフライングV」に出会えないかな、と思っているからなのでした。

というわけで、BacchusさんとこのV。
そもそも、Bacchus/Deviserさんは、フライングVをあんまり作ってくれない。
だからあまり出会えないし、試せない、という実情もあります。
数年前にフィリピン製(グローバルシリーズ)のマンゴーのフライングVを見かけたことがありますが、かなり良さげなオーラを放っていました。試せばよかった、と今にして思ってますが。人気だったのか、あっというまに市場から消えてしまいましたね。

あとはMomoseのコリーナVも試したことがあります。
しかし、プレイスタイルのせいでしょうか、僕にはHamerのコリーナVの方が良いように思えました。
もちろん素晴らしい楽器だったんですが、HamerのコリーナVって、ちょっとボディが厚いんですね。そのへんが影響してるのか、あとはHamerって良くも悪くも豪快な鳴り方をするんで、Momoseのいかにも上品な鳴りは、ハードロッカーとしてはいまひとつぴんと来ないところがありました。

Hamerというのは、ヴィンテージのGibsonを基本にした、あくまでモダンヴィンテージを作るブランドでしたが、時代のせいもあり、消費者から見たときやはりその最大の魅力、存在意義は、ヘヴィメタル、HR/HMの文脈の中でヴィンテージ的な鳴りを提供してくれるところにあったと思います。実際に当時HR/HM系のミュージシャンにたくさん使用されていた。
ですので、なんだかんだこの97年製のコリーナVも、各所にハードロックぽい仕様になっているように思います。そもそも、最初っからダンカンJBとか載ってたし。(僕はJBは好きではないので、別のに替えましたが。) 最初っからダンカンJBを載せるようなメーカーが「このギターはハードロック用じゃない」なんてことは無いです(笑) あきらかにハードロックに使ってくれ、ということですから。

で、そんなあんまし見かけないBacchus/MomoseのフライングVです。

マホガニー製のVにはあんまし惹かれない、と書いたばかりですが、この某量販店で売ってるフライングVは、アフリカンマホガニーで出来ています。
でも、僕が愛用している「猫ポール」も「ショコラ」もアフリカンマホガニーですから、そして僕はホンジュラスマホガニーも幻のキューバンマホガニーも、試してみたらぴんと来なかったので、アフリカンマホガニーは自分に合うのかもしれない、と思っています。

なので、ひょっとしてその不可能な命題にちょっとでも近づくためのVとして、これは試したい、という思いがあり、そして過去にも何度か試してきたのです。

で、3度目にして弾いてみてやっと冷静になれたその評決、verdictですが。
陪審員は評決に達しました。

やはり楽器としてのクオリティというか、作り、そして鳴りはすさまじいものがありますね。
値段、7万円とかそのくらいなのに、これだけどかんと鳴るのは、驚異的としか言えないです。
フライングVという、鳴らない形、構造なのに、これだけどかんと鳴り、芯のある音がする。そしてネックも非常にしっかりしている。驚異と言っていいと、たぶん思います。俺もなんだかんだ素人なのでわかりませんが。

しかし、俺としては3つほどマイナスポイントがありました。
ひとつは、フレットが細く、低い。これはクラシックなスタイルということだと思うんですが、やはりなんだかんだ速弾きとかメタル系の演奏をする僕としては、明確なマイナス材料でした。

そして、指板がなんか広いというのか、弦のピッチも広い。気のせいかもしれませんが、そう感じました。僕は手が小さい方ということもあり、これはちょっとフィーリングに若干違和感でした。もちろん、それに対応して演奏することは十分に出来ますが、フライングVというのはライヴで使ってナンボの楽器です。そしてライヴの場では、できるだけ弾きやすい、助けてくれる楽器の方がいいのです。ライヴの場で使う楽器として、自分が楽器に合わせなければいけないものは、やっぱし負担になります。

あとはピックアップ。Bacchusは基本的にベーシックでクラシックなピックアップが載っていることが多いのですが、とはいえBacchusのピックアップ、俺は決して品質は悪くないと思っていますが、けれどもこのギターの場合、実際に使うとなったらきっと俺はもうちょっと使いやすいものに替える必要があるでしょう。ということは、手間とコストがかかる、という意味です。

この3点コンボが揃ってしまったこと、あとはやっぱり、カスタム系の見た目もフレイムトップもいかしてるんだけど、なんかどっか細かいところでルックス的にも自分のフィーリングに微妙に合わない。

そういうことがあって、これは俺向けの楽器ではないな、と陪審員の皆さんは評決を下されたようです。

サウンド的にはアフリカンマホガニーの力強い音は、非常に魅力的だったのですが、良くも悪くもバッカスさんは、木の音をそのまま生かす楽器であることが多く、悪い言い方をすれば「気の利いた音」ではありません。
もちろん、その「木の音」が生かされていることがBacchusの魅力ではありますが、日本製のメーカーとしてはやはり真面目すぎるところもあり、とはいえこの楽器はフィリピン製ですが、フライングVという形も含め、そのストレートかつ真面目すぎる音は、「ちょっと使いにくいかな」というところがあるのも本音でした。

しかしやはりそのしっかりした鳴り、品質の高さは驚異でしかなく、さすがBacchusクオリティと感嘆に値するものであったのは間違いないです。
もうちょっと、「色気」や「遊び」の要素があって、なおかつスタイル的に自分のフィーリングに合うものが、そんなフライングVが、Bacchusさんから出てきたら、きっと無理をしてでも手に入れようと思います。

Bacchusさんの場合、実際のところ、そんなに「無理」しなくても手に入る価格帯になっちゃうとは、思いますが(笑)

休日の無駄なギタートークですが、今日も友人の某送別会で飲んできます(笑)

No(4703)

■…2016年 7月19日 (Tue)…….辻褄を合わせるべく奔走
デモを作っている。
今、ドラムをひたすら打ち込んでいる。
都合、30曲くらい。
「しましまデモ」というものと「鍋島デモ」というものと、ふたつのプロジェクトのデモを作っているのだ。

「しましまデモ」は、過去の使わなかった曲の使い回しや、現在絶賛活動停止中、現時点であまり復活の見込みの薄いジーザスモードの、3rdEP用に書いた曲なんかも一部使い回したりしている。それらを全部ふくめると14曲にはなる。用途は名前から推して知るべしだが、使わないかもしれないし、気持ち的には使わなければいいなと思っている。でも中には良い曲もあるので、バンドでやってみるかもしれない。「鍋島」を書き終えた後、僕の中にはもう一生ぶんの楽曲は書き尽くしたので、タネ切れであり、なのでもう、おしゃれ系インディアコースティックしか出てこない。でも、こういうわざとらしいメタルならまだ書ける。納得のいくものではないが、J-Rockの未来形としては案外と面白いと言えるかもしれない。

「鍋島デモ」は、ここ数年で自分が書いてきたもので、前から常に言っているように、これは自分の音楽人生の集大成というかついにたどりついた究極の境地とも呼ぶべき内容だ。選別してだいたい20曲にまとめて、それにちょっとしたインストを2曲くっつけて、都合22曲ということになる。

けっこう膨大な量のデモを作っていることになる。

かなり急ぎ足で、「ざっくりと」作っているが(しょせんデモに過ぎないので)、おそらく今月中には終わらないだろう。

なぜ、こんな膨大なデモを作っているのだろう。

思い起こせば、過去には、たとえばこのバンドがバンドとして形になる頃に、あれは2003年の11月だったか、55曲のデモを制作したことがあった。その中の楽曲は「光のヒーロー」に入ったし、あるいは「異能レース」にも収録した。使わなかったものもたくさんある。掘り起こせば今でも使えるものがあるかもしれない。

あるいはクリスチャンロックになって、今のメンバーになってから、あれは2009年の夏だったか、あの時もたぶん40曲くらい書いて、その中からえりすぐって15曲だか18曲だかデモの形にして、それがだいたい「Victory In Christ」になった。

しかしそもそももっと思い起こすとたとえば高校生の頃、高校3年年の頃とか、あるいは高校を出て最初の夏とかに、70曲だか80曲くらいのデモを作ったのではなかったか。いや66曲だったか。世代もあり安い機材を求めたこともあり、カセットMTRで作ったのだったけれど。

そうして書いた楽曲に、制作した楽曲に、録音したデモに、しばられて、呪われて、あやつられるように、重荷を背負ったようにして僕は生きるのか。でも、思い返してみると、それが僕の人生だったような気がする。

楽曲は天から降ってくるものだ。でもそれをどう扱うかは、自分にかかっている。どうすればいいんだ、この大事な内容を誰かに伝えなければ。そう思って途方に暮れてきたし、今でもだいたい途方に暮れている。

そうやって自分なりに、たとえ規模は小さくとも、自分にしか歩けない旅路をやってきて、自分たちなりに成長し、
そしてその旅路の究極点としての「鍋島」が射程距離にようやく入った。
その音をこれから、きっと鳴らすことになるし、それを鳴らすことに残りの人生をすべて賭けるのだろう。

その内容はとんでもないものだし、これを世界に対して伝えなければ、いったいどうすればいいんだ、という非常な重荷を再び背負うことになる。

記憶を辿る、と、そうね10代の頃か。高校2年だか3年だか、たぶん高3をむかえる前の春休みだったか。12曲くらいのデモを4トラックのMTRで作っていた。そのMTRすら借り物だったように記憶している。誰から借りたのか、なぜ借りたのかは思い出せない。ベースすら借り物だったように思う。それは誰から借りたのかたぶん覚えている。だがドラムトラックは「和太鼓」だったような記憶がある。なんじゃそりゃ、と思うが、なぜだったか、記憶をたどれば、祖母から大正琴を借りていたのではなかったか。アンプにつなぐこともできるもので、そこにちょっとした和風パーカッションを鳴らせるサンプリングというかボタンが付いていたのではなかったか。つまりリズムマシンを持っていなかったということだ。今ではリズムマシンとかシーケンサーみたいなものは、パソコンはおろか携帯電話の中にすら入っているというのに。

そして、高校3年だったのか、あるいは高校を出て最初の夏だったのか。それまでの高校時代に書きためていた楽曲、100曲以上あったと記憶しているが、を、選別して70曲だか80曲だかのデモにしてしまったのだ。一ヶ月くらいでばばっと。

それらの楽曲が僕にとっての重荷になったし、人生の呪いでもあった。

当時すでにうちの嫁さんに出会っていたので、つまりはその時点で人生のもろもろの計画は狂い出しており、僕は大学という場所にまともに行けるような状態ではなかったし、また大学の音楽サークルに暢気に参加できるような状態ではとてもではないがなかった。で、何をどうしなければ、ということも何もわからず、孤独にお茶の水の街を歩き、当時でさえすでにobsolete(旧式)であった中古の8トラックのMTRを買い込んできたのではなかったか。

なぜ、これらの楽曲が、重荷であり、十字架であり、また呪いであるのか。
「これを作って発表すれば、世界が救われる」そう本当に思い込んでいるのではないか。

自分のこれまでの旅路の集大成である「鍋島」(おわかりのとおり、この名前で呼ぶのは、「伊万里」を名乗るバンドであるからの必然である)、これは世界を変えてしまうような非常に重要な情報を含んでいる。そう思っていなければ人はそもそも音楽を作れないし、それに人生を賭けたりはしないだろう。

だが、18歳当時の僕は、どうしてそれら書きためた100曲の楽曲に、70曲のデモに、大切な何かを感じていたのか。

それは、そこに自分の青春のすべてが込められていたからではなかったか。
そして、その中に、それこそ人類の未来にとって、世界を救えるような、人類を救済できるような非常に重要な情報が含まれていると感じていたからではなかったか。

そして救済が個人的なものである以上、個人的なそれを伝えるには、個人的な音楽という個人的な手段でしか伝達は不可能だと判断したからではなかったか。

高校3年生すなわち18歳の夏。
僕はとある女の子のことを考えていたが、好みのタイプでもなければ、たいして興味をひかれたわけでもないふたつ年下のその子にたいして、なぜ気になって考えてしまうのだろうと不思議に思っていた。そして僕が人生の中で「直接に」神さんの声を聞き介入を受けるのはそのすぐ後のことだ。いい迷惑以外の何でもなかった。

しかし確かにその女の子と親密になって以降、自分は封を切ったかのように余計に音楽が、曲があふれだしてくるようになってしまったのは事実だ。
その人に出会わなかったら生まれなかったであろう楽曲、生涯見つけることがなかったであろう音楽が、たくさんある。
その人と一緒に歩きながら、その音を見つけていく旅が、だいたい僕の人生だった。

高校2年すなわち17歳の夏。
僕はとある女の子のことを考えていた。なぜその人のことが気になり、忘れられず、いろいろな思いや後悔や自責の念が襲うのか、自分にはわからなかったが、そのことの音楽的な理由がわかるのはそれからさらに何年もたってからのことだ。そしてすべてはちゃんと、音楽的な理由に基づいていた。
そして僕は手紙を書き、そして当然、曲も書いた。とてもきれいなアルペジオで始まる曲だ。

人生の中で、僕が「恋をした」なんて言える経験は後にも先にもその人だけだった。僕はあんましそういうことをしない人間だし、うちの嫁さんとの関係は、それ以上のものであって、「恋」という呼び方はふさわしくない。

その人は間違いなく素敵な人物であり素敵な女性だったのだろうが、当時の僕は、自分の女性の好みも知らなかった。そういうものはたぶんもっと後になってからわかってくるもので、たとえば自分は「身長155センチくらいのぽっちゃりしたかわいい子」ではなくて、「身長165センチ前後、場合によってはもっと高くても可、のスレンダーな美女」の方が好みであることとか、「甲高いアニメ声」は嫌いで、「落ち着いた低めの声」で話す人の方が好みであるとか、そういうことは思春期とかの頃にはわからないものだ。

そして同様に、「おしゃれな渋谷系とかUSインディ」を聞きウィスパーヴォイスで話すのではなくて、「ギンギンに派手なヘヴィメタルやグラムロック」を好み大声でさわぐ人の方が自分にはやはり合っていることはほとんど最初から運命的でもあった。

そして、誰であれ愛し合えばそういうものかもしれないが、たとえ貧乏暮らしであっても笑みを絶やさず幸せでいることが出来て、なおかつ地球の裏側までも一緒に冒険ができるような、そんな人だ。

13歳、僕はいじめられっこであったが、ヘヴィメタルに目覚め、また初恋というものを知った。
14歳、僕は孤独であったが、エレクトリックギターを弾き始めた。
15歳、僕はバンドを始め、ロックンロールがすべてを変えてくれた。
16歳、僕は自分の楽曲を書き始めて、そしてそれはすぐにひとつの世界を形作った。

それはその青春の中に、なにかとても大切な、重要な情報が、体験の中に含まれているからではないか。
そしてそれこそがあらゆるロックンロールが重要であり、本来世界を変えるべき力を秘めている、そのカギとなる情報ではないのか。

自分の青春にはそれがあった。
そのすべての勝利と、栄光と、冒険と、体験が、自分の鳴らすすべてだった。
そして、その向こう側には、見えていたもの、信じていたものが確かにあった。
そして、そこには未来と呼ぶべきものがあったのではなかったか。

最近僕は人と話すたびに、10代の頃にバンドを続けているべきだった、と後悔しているようにうそぶいているが、確かにそれはある程度事実で、10代の時にしか積み上げることのできないものが、バンド活動には確かにあるのだが。
しかし、それ以上に重要な青春の勝利が、自分のティーンエイジにはいくつもあったのだ。

あれから20年。
僕たちの世界は、僕たち人類は、
とても、その未来にたどりついたとは言い難い。

当時の自分たちに、当時の世界に、またロックの歴史ひとつとってみても、それまでに鳴らされてきた音たちに対して、過去み積み上げられた偉業と流されてきた血に対して、僕たち人類は、ミュージシャンも含め、顔向けが出来ないだろう。

人と人は分断され、国も何もかも分断され、人が人を信じられなくなり、日常的に殺し合うような世界が、やがて来るだろう、なんて、もったいぶって言うまでもなく、そういう世界は、すでに現実にやってきている。

変わるべき世界、変わるべき自分たち、取り組むべき真実、それらのものに目をつむり、すべて他者を責めることで自らを正当化する、そういう時代に僕たちは生きている。

小さな戦争も起きれば、大きな戦争も起きるのだろうが、いつも言っているように新しい時代の戦争はもうとっくに始まっているし、その戦争すら日常になっている。

僕らは変われなかったし、きっと人類は失敗したのだろう。
その結果をこれから僕らは、ひとつひとつ目の当たりにする。

けれども、その失敗した世界の中でも、誰かが未来を鳴らさなければ。

誰かが希望と、救済を鳴らさなければ。

だって、ここから先、本当の意味で、僕らには救済が必要になってきてしまうのだから。

せめてその滅んだ世界の中で、その世界に意味をもたらす何かを。

この前、コンビニでビリーバットという漫画を立ち読みしたが、それを描いている作者さんもきっとそんな感じの気分なのではないか。

そして、歩き続けている人とは、皆、そういった気持ちで、この時代を生きているのではないだろうか。

アニメでいえばドラゴンボールには、悟空が心臓病で死んでしまった未来からトランクスがやってくる、という筋書きがあったが、
僕らはちょうどそれと同じように、本来世界を救うべきだったスーパーマンが死んでしまった世界に、ハッピーエンドではなくてバッドエンドに続くタイムラインに、生きているのだ、と、そう感じたのは、もうずいぶんと前のことではなかったか。

しかし、鳴らすべき音に、辿りつくことが、本来の僕の使命だったとすれば。
なによりもいちばん遠くへ、いちばん先のその音へ、たどりつくことが自分の定めとか使命みたいなものだったとするなら。
案外とこのタイムラインが、それなのかもしれない。

「もしもっと幸せな世界に生きていたなら、俺は音楽をやることなんかなかった。」
「もしもっと・・・だったら。幸せな家庭に生まれていたら。より良い環境に生まれていたら。うちの嫁さんに出会ってなければ。まともな大人になれていれば。」
「そしたら、俺は音楽をやることなんか、絶対になかった。」

それは、どれだけの千載一遇、いや何千億ぶんの一の偶然なのか。

自分はその青春の中に見つけた答えを、鳴らすことを、広めていくことを選んだのか。

そしてその帰結がこの世界、このfailed worldのタイムラインなのか。

しかしもしその青春の中にあった輝きが、本物であるのなら。
いまいちど、俺はそれをやってみようと思う。
いまいちど、俺はそれを信じてみようと思う。

20年後における青春の解答。
それが俺の「鍋島」と呼んでいる音になる。

音が次元とか時間とか、そういうものを越えて鳴り響くものであるならば、
ここで俺が鳴らした音は、
きっと誰かの役に立つはずだ。

走れ、他のいつでもなく、今、あの頃のように。
魂を燃やすべき時は今だ。
このために俺は生まれてきた。

No(4704)

■…2016年 7月19日 (Tue)…….第一コリントメタル13:13
とまあ、このように長いこと音楽をやっているとわかるようになるのは、流行りとか廃りとか、オシャレな音楽、オシャレなカルチャー、オシャレな場所は、移り変わる。
けれど、ヘヴィメタルはなくならない。

聖書にも書いてある。
「いつまでも残るのは、愛と、希望と、ヘヴィメタルです。
その中でももっとも偉大なものは、ヘヴィ・・・」
すいません嘘です。
でも俺にとっては信仰イコール、ヘヴィメタルってことで(笑)
Keep the Fai†h

追記: ブルーズもたぶん残るww

No(4705)

■…2016年 7月26日 (Tue)…….当然支配tool
さっきちょっと英語でひとこと、「僕の思うクリスチャンの定義っていうのは、自分の罪に向き合って生きる人のことである」みたいなこと書いたんだけれど、あんまし反応薄かったけれど笑、ひょっとしてこういうのって言ってはいけないことだったのか、いやそんな大層なことでは無いが、だが俺はそういうことだと思うのだ。けれども教会もそうだが、牧師もそうだが、宗教組織はもとより、偉い人たちはその上に「クリスチャンはこうあるべきで、かくあるべきで、こうするべきだ」みたいのを付けたがる。なぜか、それは、そうすれば操れるからだろうな、人々を、政治的に。だが自分の罪に向き合うこと、そしてキリストの十字架を信じることってのは、「信じれば救われるよ」みたいに言うけど、本当はそんな簡単なことじゃないと思うのだ。聖書の勉強なんて俺はする必要ないと思う。キリストに出会えばいい。そして愛すればいい。それだけのことであるはずだと、思っている。そんで愛はやっぱ説明できるような代物じゃない。

No(4706)

■…2016年 7月27日 (Wed)…….人ごみジェニュイン
21世紀になり、デジタル技術やインターネットの普及で誰でも音楽を簡単に作り、シェアしたり、手軽に発表できるようになって、音楽の値段は下がり、CDは売れなくなった。さりとて、音楽そのものの価値や、芸術の素晴らしさが変わるわけではない。同様に、地球には70億だか80億の人間がいて、あるいは首都圏だけでも3000万人の人がいて、その中で、君よりも足が速い人や、歌が上手い人や、お金持ちな人もたくさんいる。さりとて、人生の価値や、人の命の重さが、変わるわけではない。そんなあたりまえのことを忘れてしまうことは、今の時代にあっては、わりと簡単なことである。

No(4707)

■…2016年 7月30日 (Sat)…….ヘヴィメタルアーティストがMetal Godと共演する場合。
数日前にうっかりBabyMetalがRob Halfordと共演してる動画を見てしまったんだが、見てはいけないものを見てしまった感じで、ちょっとかわいそうだったな。楽しんでない感が伝わってくる映像だったからね。俺はファンじゃないからわからないし、企画自体を否定する気はないし、世界中でウケてるのは良いことなんだが、女の子たちのためには良くないんじゃないかな、ってちょっと思っちゃった。他人事ながら、これでいいのかなって考え込んじゃったもの。

No(4708)

■…2016年 7月31日 (Sun)…….海外向けは仕様だとのことです
福生チキンシャック演奏してきました。電車で行ける小さなアメリカ、基地の街Fussaですが、久しぶりに「インターナショナルに活躍するバンド」(一応)なImari Tonesらしい演奏が出来たと思います。過去に何度かアメリカに演奏に行った際にいつも起きていた、演奏後に外人さんが「最高だった」つってビールを何杯もおごってくれる、という現象がここでもやっぱり起こり、サウンド的にも相性の良いハコだったことは否めません。また是非やりたいですね、福生チキンシャック。ありがとうございます!

No(4709)

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