世間では色々なことが起こっているので色々と気持ちを書きたいことも多々あるのだけれど、僕の意見など誰も大して聞きたくないだろうし、そんな折、録音作業にかかりきりの自分です。
研究記録というか作業の記録というか神様へのレポートというか、記録しておきたい、学んだことを。
リードヴォーカルの録音は半分終わったと言っていい。実際数えてみると半分以上終わっている。この調子でいけばおそらく6月中にはリードヴォーカルは終わるだろうし、あるいはコーラスパートも大半は終わらせることができるかもしれない。順調に行けば、の話である。
さて、コンプのかけ録りということをしてみたのである。
これが、どういうことかというと、長年自主録音活動をしているのだが、ヴォーカルの録音をする時に、コンプのかけ録りということをやったのは、実は初めてだったのだ。
もちろん、パソコンの中でプラグインのコンプをかけた状態でモニタリングして歌うことは、あったと思うけれど、ハードウェアというのか、プリアンプに付属したチャンネルストリップの中のコンプをかけて録音した、というのは、実は初めてだった。
作業はまだ半分しか終わっていないし、そのまた半分というか、初日の作業は、普通にやったのである。DAWの中で、プラグインのコンプとリヴァーブをかけて、その音をモニタリングしながら歌ったのである。しかし、二日目の作業の際に、ふとプリアンプの内蔵コンプを、使ってみたくなって、そしたら、まったく別の世界が開けたのである。
バンドで歌う、ということは、なんというか、簡単なことではない。決して。
当たり前のことではある。
エレクトリックギターとか、エレクトリックベースとか、ドラムキットが、どっかんどっかん鳴っている中で歌うのである。普通は、生身の人間が対抗できるような音ではないのである。
もちろんそこでマイクの助けを得るのであるが、それでも決して、簡単なことではない。つまり、歌うにあたって、自分の声が聴こえること、そのモニター環境の良し悪しというのは、本当にcrucialというか、決定的に重要なことなのである。これはバンドをやっている人なら当然に知っていることだと思う。とはいっても、案外ヴォーカル以外のパートの人は、この事を理解していないことが多いというのも事実かもしれない。
人が歌う(あるいは話すときであっても)、という時に、自分の声がちゃんと聴こえる、ということは、非常に重要なことなのだ。だからこそ、インナーイヤーモニターのような機器が開発され、一流のシンガーはそうしたものをステージで使用するし、またそれによって、世界中のシンガーたちのライヴでの歌唱のクオリティは、ぐんと向上したのである。(俺はしがないインディーバンドの人なので、インナーイヤーモニターは使ったことない。)
うちのバンドの前作にあたる”Revive The World”の録音を行ったのが、なんともうすでに2年の前のことである。
その際のヴォーカルの録音は、精神的に辛かったが、内容は結構頑張った。
それから2年たって、自分のヴォーカルは、これでも進化している。
この年齢になっても、進化していることとしては、ギタープレイに関しては、もともとある程度出来ていることや、あとはよほど張り切って新しいテクニックとかに取り組まない限りは、特段に進歩はしないのだけれど、こう見えてもヴォーカルに関しては、毎年少しずつ、今でも着実に進歩しているのだ。いや、もともと下手っぴだったものが、少々マシになるだけだから、誰も気付かないかもしれないが。事実進歩しているのである。
そういうわけで、今回も最初の曲を録音する際に、マイクの前に立ち、うん、前回より確実に技術的に進歩している、と感じたのだが、たとえそうであっても、やはり難しい。
それはどういうことかというと、本当に今更なのだけれど、バンドで演奏、つまりライヴで演奏する、ということと、録音で歌う、スタジオでヘッドホンをつけて歌う、ということは、これがやはりまた、まったく別の事である、ということだった。
今更、気付いたわけでは、別段にないのだけれど、あらためて感じる事実だ。
だからこそ、録音の際にも、自分の声がヘッドホンの中からきちんと聴こえるように調整するし、リヴァーブをかけたりして「その気」になるようにするし、また逆に、自分の声を聴くためにヘッドホンを半分はずして生身でモニタリングしてみたり、いろいろやるのである。ちなみにずっと昔には、ヘッドホンを使わずして小さな音でスピーカーからオケを流して歌うということもやっていた。
だが、今回の楽曲のメニューは、コンセプトアルバムということで、妙にストーリーというものがあり、そのぶん妙に、ヴォーカルというか歌にも「表現の幅」みたいなものが求められるのである。この事は、ドラム、ベース、ギターと録音を進めていくうちに、次第に明らかになった恐怖の事実だった。つまり、コンセプトアルバムイコール典型的な様式美メタルという図式から、単純きわまりない正統派メタルアルバム、だと思っていたものが、コンセプトアルバムのストーリーがあるぶん、実は今まで以上に何倍も音楽性とか音作りとか楽曲の幅が広かったのである。確かに自分で作った楽曲ではあるのだが、この作品の楽曲をナメていた事実を思い知らされた。
で、ヴォーカルである。つまり表現力が今まで以上に求められるので、いろいろな声を出して、いろいろな表現をしなければいけない。本当にいろいろな声を出さなくてはいけないのである。
で、バンドでの生演奏もそうだが、録音に関しても、「生身の人間」がそうそう太刀打ちできるようなものではないのである。録音というのは非常に残酷なものなのだ。なぜならテープであれハードディスクであれ、録音機器というものは人間の耳のように補正をしてくれないのだ。モニターに関しては録音の際にはギターやドラムの音量は下げることができるが、たとえそうであっても、ミックスの中で太刀打ちできない事実には変わりがない。そして、録音というものにはあれやこれやのプレッシャーとか、あれやこれやの調子の波とか、いろいろな「大変なこと」がある。
そして決定的なこととして、バンドの生演奏では、マイクとPAの助けがあって、その状態で歌っている。マイクを使った上での、バンドの中での歌い方というものがあるのだ。そして、ライヴというものは、リードヴォーカルとして、きちんと歌う、という仕事であるが、それは決して、完璧に歌う、ということとイコールではない。抜くべきところは力を抜いて、それで30分なり2時間なり、ワンステージを持たせるのだ。
けれども、録音の場合は、最初から最後まで、完璧に100%、全力で歌わなくてはいけない。なぜならそれは録音だからだ。記録に残り、すべて鮮明に聴こえてしまうからだ。そして、重箱の隅をつつくようにすべてが評価と批判の対象となるからである。やってられないのである。
そんな状況であるから、ノドというか声にかかる負担も自然と大きくなる。
そしてその、マイクとPAがあってバンドの中で歌う、という行為とは、また違った表現、違った発声が必要になってくる。思えば2年前の前作の録音の際にも、ちょっとそのことで戸惑ったのだと思う。もちろん今までたくさん録音して歌って作品を作ってきたし、そこは、いろいろなテンションの高さとか、気合いとか、気持ちを上げて、発声練習して、いろいろと自分を「声が出る領域」「声が出る精神状態」まで持っていって、そしてなんとか歌うのである。それはつまり精神状態ということであれば、バンドのメンバーが揃い、ライヴハウスやスタジオでステージがあり、ギターが鳴り、ベースがうなり、ドラムが炸裂する、おっしゃいくぞ、と、それは歌う気になるのである。しかし、そんなおもいっきりハイトーンとかシャウトしなくてはいけないものを、スタジオでパソコンの前でヘッドホンかぶって、「はい歌って」とか、そんな気になれへんわ、ってなもんである。
どちらにせよ、シンガーは録音の際には、(少なくともハードに歌うジャンルのシンガーは)、そんな逆境の中で、自分の限界に挑み、自分の限界まで声を出さなくてはいけないのだ。これは確かな事実である。
で、なんとか作業を進めるうちに、なんかふと思いついて、マイクプリに内蔵されているコンプのスイッチを入れてみたのである。それが自分にとってちょっと画期的な瞬間だった。
つまり、そんな辛い、難しい要素のたくさんある、大変な録音作業において、生身の状態ではやってられんので、そこで助けてくれるのが、コンプレッサーというものなのだ。
コンプが入った瞬間に、いきなり数倍に歌いやすくなったのである。
つまり、ライヴで歌う際に、マイクがあってPAスピーカーがあって、声が返ってくる、そのモニタースピーカーから聴こえる自分の声に、フィードバック現象のように反応し、次から次へと声が出てくるようになる、モニター環境の良い際のヴォーカルはそのような状態だが、このコンプを使うことで、それを同じような「声のフィードバック」状態を作り出すことが出来たのだ。
プラグインのコンプでこの状態にならず、マイクプリ内蔵のハードウェアのコンプでこの効果が得られた、というのは、ハードウェアが優れているのか、レイテンシーの問題なのか、プラグインのコンプには限界があるということなのか、理由はよくわからない。
しかしどちらにしろ、僕はもう年齢的にも若くないし、気力も体力も、ないし、特に気力とかないし、ちょっとでも楽な方がいいし、「もうこのコンプレッサーなしには、歌いたくない」という気分になった。
今回から「再び」導入したのは、かつて所有していたJoe Meekのプリである。かつて所有していたやつの後継機で、3Qというやつだが、オプティカルタイプのコンプレッサーがついているのである。で、このオプティカルのコンプが、使ってみたら、なんかとても良いじゃないか。かつて昔、何年もこの緑の箱をヴォーカル録音に使っていたのに、内蔵コンプを使わなかったとは、お馬鹿な話だ。しかし、今この歳になって、このコンプの必要性に目覚めたのである。現状、僕が今持っているハードウェアのコンプは、(ギターとかベース用を除けば)、このJoe Meekのプリだけである。なので現状、今僕は「もうこの緑の箱なしには歌いたくない」という感じになっている。
内蔵のハードウェアのコンプをかけることで、ひらたく言えばマイクの感度がよくなり、ほんのちょっとした表現や、ちょっとしたノイズや、唇を動かすニュアンスひとつに至るまで、マイクが拾ってくれて、録音されるようになる。そして、その音がヘッドホンを通じて自分の耳に返ってくる。そしてこれによって、自分のヴォーカルの歌唱というかパフォーマンスというか、表現が、劇的に変わったのである。要するに、その気になって、表現力が引き出されたのである。優れたシンガー、優れた歌手のパフォーマンスの裏には、こうした秘密というか工夫というか、こうしたことが重要なのだ、ということを改めて知った。
ひとつ例にあげるとすれば、”The Peace”という曲がある。これは曲のストーリーというか内容としては、第二次世界大戦後の日本という国の姿について歌っている。しかし、なんというかヴォーカルのスタイルや音域は、女性シンガーが本来うたってしかるべきメロディと音域なのである。しかし、実際にはそれを女性シンガーに歌わせるのではなく、僕が歌うのだ(笑)
しかし知っている人は知っていると思うが、僕がもっとも影響を受けたシンガーはどこの男臭いハイトーンメタルシンガーでもなく、妖艶なUKグラムロックの象徴であるSuedeのブレット・アンダーソンなのである。そして、だから僕は歌唱についても、男臭いシャウトではなく、どこかユニセックスな表現をいつも目指してきた。そして僕の声は、なんというか気恥ずかしいが、少年のようなきれいな声というか、ある意味女性のような細い声である。メタルシンガーとしてはあんまり実際、珍しいというか必ずしも適していない。しかしそれでも歌うことに意味があるのだ。
といったわけで、自分のファルセットヴォイス、いわゆるミックスヴォイス的な発声でもって、このどっから見ても女性シンガーが歌うべき楽曲を、妖艶かつセクシーに歌い上げたのである。そして、その際に、この内蔵オプティカルコンプをかけ録りした、モニター環境の返しの音があってこそ、初めてこの発声で歌うことが可能だった、ということは記しておく価値がある。
そんな感じで残りもがんばる。
自分はあくまでギタリストであって、ヴォーカリスト、ではない、と常に言ってきたし、思っていたが、今回のことはひとつ、自分にとって歌うことについて、きっかけというか転記になりうる可能性があるかも、しれない。
たぶん期待してくれていいし、期待してみてほしい。