自分はだいたい常に、日々のいろいろを記述して、頭の中の整理とか、動機づけとか、神さんへの報告のジャーナルとか、いろいろな意味で文章を書く習性があるけれど、ここのところ忙しくて、書きたいことはいろいろありつつも。
一週間ほど前、いや数日前。8月上旬。
「鍋島デモ」の制作が完了した。
どう言えばいいのだろう。
ちょっと今、気持ちが落ち着かず。
いろいろなことが起こっていた7月、8月だったと言える。
7月初旬に、”Jesus Wind”の仮ミックスである”Version0″を完成させて、
そこから、それで終わりではなく、「鍋島デモ」および「しましまデモ」を作らなくてはならない。
「しましまデモ」の半分は実のところ、過去のボツ曲のリサイクルだったりもするが、それでも、そのうちの何曲はデモ自体を作り直す必要があり、
鍋島デモが22曲、およびしましまデモが14曲。
合計36曲のデモを、ぱぱっと完成させる必要があった。
そりゃもう、すごい勢いでギターを弾き、すごい勢いで曲の間奏部分のアレンジをし、すごい勢いでギターソロを作り、すごい勢いでドラムを打ち込んで、とんでもない速さでベースを弾いた。速さ、というのは、速弾き、という意味ではないけれど、それでもやっぱり、ベースもわりと速い(笑)。
今、いろいろなことがたくさんあって気分が落ち着かない。
自分の人間嫌いは年々拍車がかかっているけれど、
人間の世界というものの嫌な面をちょっと垣間みることになった最近だったかもしれない。
とはいっても、自分は世間知らずなので、そういった大変な世の中にちゃんと向き合っている人々からすれば、世の中の汚い部分や苦労も知らずにいるのも同然だ。
ただキリスト教的に、人間というものの本質的な「罪」(sin)ってやつは、なんとなく認識はしている。
せっかくの自分の音楽の究極の到達点である「鍋島デモ」が完成して、そりゃもう歓喜に溢れていたけれど、忙しくてすぐに気持ちを綴ることが出来ず、こうして今、低いテンションで記録の文章を書いていてなんだか申し訳ない。
バンドのメンバーに向けた「鍋島デモ」の説明書類を書いていて気付いたのだけれど、「鍋島デモ」の楽曲のほとんどは、2014年の秋以降から、2015年の上半期にかけて書いたものだ。確か1曲だけ、2013年に書いた楽曲もあった。けれど、一番集中してそれらの曲を書いていたのは、2015年の上半期だった。これは、自分の記憶が曖昧で、覚えていなかったが、ちょっと意外だった。
言ってしまえば、「鍋島」は和風のハードロックだ。和風のメタルをやっている人たちもたくさんいると思うし、和風の音楽をバンドなりいろいろな形式でやっている人たちもとてもたくさんいると思うが、それでもこれは、自分たちにしか出来ないものを、おそらく作ったつもりだ。
僕は2013年の年末から2014年の年始にかけて、一気に”Jesus Wind”の楽曲を書いてしまったが、おそらくは2013年頃から、なんとなく自分の中から出てくる曲が、自然と和風テイストを持ったものに移行していったのだと思う。
もうひとつ平行して、アコースティックっぽい楽曲も同時期に増えていったけれど。
それは、自分の音楽の到達点である「鍋島」に向けてであると同時に、このバンドが活動を終えた後でも、静かに暮らしながら取り組んでいける「アコースティックソロ」とか、おしゃれユニットとか、そういうマテリアルが自分の中から自然に出てきているのだと解釈していた。
で、2015年上半期に、一気に集中してその「鍋島」の楽曲が書けてしまい、つまりは自分の中から出て来て、というよりは空からそれらの楽曲が降ってきて、それは「よし、作るぞ」という感じではもちろんなくて、なんかいつのまにか出来ていた、というものであったが、
そして2015年の確か7月に、「自分の最後の曲」と位置づけている”Not of This World”を書いて以来、「僕にはもう曲は書けない」とは言わないまでも、「もうImari Tonesの本道としての楽曲はこれで終了、もう書けない」という状態になり、一年後の今も、その言葉は基本的に間違っていないと考えている。
昨年の7月に楽曲を基本的に書き終えていながら、その時は「年内にはデモの形にするぞ」とか思っていたのに、とはいえ、確かに秋になればThe Extreme Tour Japan (XTJ)で忙しくなるし、昨年のXTJもいろいろあったし、そして年が開けて2016年になってからは”Jesus Wind”の録音制作で忙しく、すべてのリソースはそこに使ってしまい、またそこにStryperの来日も重なったりして、確かに忙しかったとはいえ、書き終えてから1年たってようやくデモの形にする、というのは、自分の中ではたぶん今までで一番遅いデモ制作のスパンだったろう。
今回のデモを作るにあたって、僕は和風の音楽というものを、勉強した。何をしたかというと、和風のスケールを学習した。どれくらいやったかというと、うーん、1時間くらい?
よしデモを作ろう、という時に、和風の音楽だから、それ用の勉強をしなきゃ、っていうんで、「1時間くらいかけて」勉強した(笑) それは、つまり基本的にもうリフとか楽曲は出来ているので、でもギターソロはほとんど出来てないから、ギターソロ弾くのに、和風のスケール覚えないといけないよな、と思い、勉強したのだ。1時間かよ、と思うかもしれないし、俺もまったくもってそう思うが。
だが、つまりそれは、楽曲の骨組みとかリフとかにおいては、確かに和風の楽曲なのだけれど、そこに使われている音は、別に勉強したものではなくて、なんもしなくても、自分の中から自然に出てきたものだ、ということだ。「日本人の魂のDNAをさかのぼる」みたいなことを言ったからには、その結果、魂の中から出てきたものだ、と言いたいところだ。わからんけど。それがどう響くかは、鳴らしてみて、それを皆さんに聴いてもらって、初めてわかることだ。
ちなみにその和風スケールだが、「ちょうどStryperが載ってるっていうんで嫁さんが買ってきたヤンギにたまたま載ってた和風奏法特集の記事」と、「たまたま数年前にiPhoneに興味本位でインストールしてた琴のアプリ」の2つを頼りに勉強した(笑)
そして、その中から「これかな」って思って、7つのスケールをメモした。
けれど、実際にデモを作る中で、ギターソロとか間奏のアレンジに使ったのは、その中でも「平調子」「古今調子」「雲井調子」の3つだけだった。呼び方とかが合ってるのかどうかは知らん。雅楽とか、そういう世界は知らん。そういう世界は奥が深過ぎるし、呼び方とか使い方とかもいろいろあるみたいだし、iPhoneのお琴のアプリから学んだ、ということで、容赦してほしい。
そしてまあギターソロもそれなりにそれっぽいのが弾けたし、自分としても面白い体験だったのだけれど、
これらの和風スケールを学習してみたのは、やはりそれなりにちょっとした面白い体験だった。
というのは、そのスケールを学んでみて、弾いてみると、普通は「へえ、こんなのあるんだ、知らなかった」というふうになると思うんだけれど、この和風のスケール、音階、旋法については、弾いてみると「ああー、はいはい」「ああ、あれね」みたいに、「これ知ってる」みたいな感覚だったのである。
つまり、普通は「フリジアンスケール習ったけど、これってどう使うんだろう」ってなると思うんだけれど、和風のスケールの場合、確かにギターの指板上におけるスケールの指使い自体は、初めて覚えるものであったとしても、その実際における「使い方」は、日本人である以上、すでに知っているのである。つまり、小さい頃に聴いた童謡とか、唱歌とか、テレビから流れてきた演歌とか、時代劇の音楽とか、いろんなところで、やはり常にそれらの音階には触れてきて、どのように使われるかもだいたいわかっている、ということである。
これは、なんか不思議な感覚だった。
つまり、確かに「新しい言語」「新しいしゃべり方」を習っているんだけれど、それはすでに自分の「母国語」でもあったという、そういう状態。でもこれは、なんだかいろいろなことに共通して大切な感覚じゃないかという気もする。学ぶということは、それをすでに知っている、ということに気付くことだ、みたいな。
楽曲とか、「鍋島デモ」の内容については、この段階でいちいち言葉で説明するようなことはしないし、する必要もない。
けど、記録として自分の学びの記録としては、この「鍋島デモ」の都合22曲を形にするにあたっても、自分の中に学習のテーマがあった。それは新しいツールを使ってミックスのやり方を学ぶということでもあったし、まあだいたいそういうことだった。
それはつまり、「適当にミックスすればいいや」っていうデモの姿勢から一歩踏み出して、もうちょっとちゃんとミックスに挑戦してみたかった。もちろん現段階で(1曲をのぞいて)ヴォーカルトラックは入っていないし、ちゃんと、とはいっても最低限のシンプルな簡易ミックスに過ぎないのだけれど、その簡易なミックスの能率を高めて可能にしてくれたのが、SonimusのBurnleyというプラグインだった。Burnley 73ってやつか。要するに、世の中にたくさんあるNeveの1073っていうやつのモデリングである。つまりはEQである。理由はしらんが、なんかこれを使ってみたい、と俺は思ったのである。
つまり、”Jesus Wind”の仮ミックスバージョン0を完成させた後も、やはりまだ「なんか違うな」と思っていて、また古いハードロックのアルバムとか聴いてみると「こういうクラシックな録音は違うよな、やっぱアナログで」みたいに思ったのである。何も、そういうクラシックな録音と同じにしたい、というわけではないが、でも僕の中には前から、ひとつの思いがあって、それを試してみる良い機会だ、と思い立ったのだ。
つまり、僕はエンジニアでもないし、自分の音楽はだいたい自分で録音してきてはいるが、ミックスの基本も大して知らないのである。そして、DAWをいじりながらパソコンの中でin the boxでプラグインエフェクトをもてあそびながらミックスしてきた身としては、「もしこれがアナログ環境であったなら」という想像は、常にしていたのである。
俺は整理が下手である。部屋とかそういう身の回りの整理整頓が下手なのに、ミックスの中の音の整理整頓が出来るわけがない。そしてめんどくさがりだ。それが「出来る」という、確かに触れることのできる感触がない限りは、それをすることができない。つまりは、無駄なものを捨てる、ということだ。結構捨てることは苦手な方なのである。
しかし、だからこそ、いつもどこかで思ってきた。これがアナログだったらどうだろう、と。アナログの卓で、EQのつまみが並んでいたのなら、そしてそれが「触れるような感触で」ずばっと効いたなら、きっとつまみをぐぐっとひねって、「出来る」という手応えのもとに、切り捨てられるのではないだろうか。つまり、無駄なものとか、不要なものを、である。
そういう思いがあって、なぜだか僕はこのSonimus Burnley 73に手を出してしまった。ちなみに僕はWaves V-EQ4は持っていて、自分のバンドの作品で言えば、昨年から今年の年始にかけて行った古いアルバムの”ReBuild”作業にもかなり活用したが、定番と言われている”1073″については、それを模したプラグインは持っていなかったのである。
そんな定番と言われるものを、おそらくは昔の時代とか、録音エンジニアだったら最初に覚えるであろう、録音のイロハを覚えるみたいなそんな基本の定番を、知らずにここまで来てしまう、それが少なくとも僕らの世代、僕らの環境の現実であるのだ。
で、なんとなくSonimus Burnleyを選んでしまった。
なぜ選んだのかは、わからないが、ただの勘だ。でも、だいたいたぶん、やっぱり勘は合っていた。
で、Burnley 73は期待どおり、まあ実際の本物ほどではないのだろうけれど、「触れるような感触で」ずばっと確かに効いてくれたし、確かに「出来る」という感触のもと、何のためらいもなく「整理整頓」をすることが出来た。
つまり、整理整頓を行うには、やはりそのための正しいツールが必要だったのだ。
そして、やっと少しだけ、ミックスというのか録音の基本みたいのが、ここへきてようやくわかった気がしたのである。「ああ、こうやってやるんだったのか」みたいなのが。
なにしろ1073ってやつは、選択肢が限られている。ブースト出来る周波数も、ローカットできる周波数も、選択肢は数えるほどしか無いのだ。
その中から、選ぶだけ。しかも、その効果は、笑っちゃうほどわかりやすい。そして、その音は、触れることが出来そうなくらいに生々しい。こうなると、もう「じゃんじゃん片付けよう」という気になる。ほんの何ヘルツとか何十ヘルツとかの選択肢で迷ったりすることもない。これは、非常に効率よくミックスするためのツールだということが、理解できた。
そうして、僕にも、やっと理解できたのである。
録音するとき、ミックスするときに、エンジニアが、そしてミュージシャンが、まず学ぶべきは、「スピーカー」というものの性質なのだということを。
なぜ「整理整頓」しなきゃいけないのか、というと、それは「スピーカー」の特性とか、再生能力とかに、いろいろ物理的な限界や制約が、そして法則や、お約束が、あるからだ。
もちろんスピーカーの特性や性能も、時代とともに変化するだろうが、その本質のところはたぶん変わらない。それとどうやって付き合うか、ということなのだと思うのだ、ミックスということは。
そして、この「鍋島デモ」の音作りの研究の一環として、僕は同様にSonimus社のBritsonも使ってみることにした。
だから、そのレビューというか報告を、ここに書くことが出来る。
Britsonというのは、要するにコンソールエミュレーターで、たぶん、その、俺もよくしらんが、古いNeveの卓の音を再現しますよ、というやつだと思う。
そして、似たようなプラグインとして、俺は数年前からWaves社のNLS (Non Linear Summer)を愛用している。めちゃめちゃ愛用している。
だからそのWaves NLSと比較して、両者の違いとか特性がなんとなくわかった。
それは、たぶんSonimus社のBritsonなりBurnleyは、かなり真面目に、正直に実直に、本物の音をモデリングしているのだろう、ということだ。なにしろ俺は実機など知らんので推測でしかない。だが、たぶん良くも悪くもそうなんだろうな、という気はした。
それに比して、おそらくWaves社というのは、古い機材のモデリング、シュミレートをしながらも、良くも悪くも、現代のデジタル環境の中で使いやすい音、使いやすい仕様になっているのだろうという気がした。
どちらかというと、Waves NLSの方が音がやわらかく、そして応用範囲は広い。Forgivingというか、現代の音楽の中でもいろんな使い方に対応してくれそうだ。
それに比して、Sonimus Britsonは、けっこう本気で古い音楽の「あの音」になってしまうので、こっちの方がたぶん、用途は限られそうだ。もちろん、本気でそういった古い「あの音」にしたい人にはばっちりかもしれない。
Waves NLSにも、Neveの卓のモードがあるので、比較すると、Waves NLSのNeve(Nevo)は、中域が特徴的に出っ張っていて、そのわりに上の方はなまっている印象だが、Sonimus Britsonは、確かに中域も特徴的だが、それ以上に上の方の倍音がずいぶんと出る、伸びている印象だ。それこそ、倍音じゃぎじゃぎの印象がある。質の良いアナログとはそういうものなのか。アナログ的なハイファイということなのか。よくわからん。しかし特徴的だし、魅力的な音かと問われれば、独特であるが、やはり魅力的である、としか言えない。
で、このBritsonを通した自分のギターの音を聴いてみて、なんかどっかで聴いたことのあるなじみのある音だな、と思って、ふと思い出して軽く驚いた。
これはつまり、自分が以前メインとして使っていた、Cranetortoise DD-1のペダルで作ったギターの音と、結構似ているのである。
ハイっつーのか倍音がやたら強調されている点はもちろんなんだけれど、なんだろう、もちろん、まんまではないものの、いろいろ似ているのである。ああ、そういう意味では、これを意図していたのか、とか、やはり名機だったのだな、あのペダルは、とも思うし。そして、その倍音の豊かな切れ味の良いサウンドは、ギターはMusicman Axis-EXだったから、余計に切れ味良いんだけど、その切れ味の良い倍音は、自分の楽曲におけるギターの音楽的な表現の自由度を、最大限に保証してくれたのである。
そのことは、今も思うし、この今回作った「鍋島デモ」の楽曲における、自分のギタリストとしての表現を見ても、やはりそう思う。自分はこういう音が好きなのだ、という、その事実は、たぶん変わらないし、変わっていないのだろう。
コンソールシミュレーター、なんと呼ぶのかアナログ系summerとしては、NLSとBritsonのどちらが優れているか、というのは言うことは出来ない。NLSの方が音が柔らかく、現代のデジタル環境の音楽の中で応用範囲は広いと思うが、Britsonの「これだ」っていう音も魅力があり、音作りの選択肢が増えたと思えば、それが一番正しいのだろう。ただ、間違いなくSonimus Britsonは優れたプラグインだと言えるし、実直にアナログモデリングの製品を作ることのできる真面目で優れたメーカーだと言うことができる。
Burnley 73についても同様のことを言うことが出来る。音は非常に生々しく、なんというか、生々しくずばっと効く感じで、ああEQっていうのはこういうものだったんだな、と。通しただけでこれも「あの音」になってしまうのも、それはもう。ただこれも、その「古い音」になっちゃう系だから、現代の音楽制作に、どれでも合うってわけじゃないと思うが。
俺はWaves社の製品とか、他でも1073のEQは持ってないので、フェアな比較はまったく出来ないんだけれど、先述のとおりWaves V-EQ4は持っているので、それと比較すると、やはりV-EQ4の方が、やわらかい音だと思う。で、やっぱりここでも、Wavesの方が、音がやわらかくforgivingで、良くも悪くも、現代のデジタル環境の中で、使いやすい音に仕上げてあるんじゃないか、という気がしている。「だって、本気で古くしちゃったら、誰も買わないじゃん」というWaves社の担当者の声が聴こえてきそうだ。だが、もちろんNLSにしてもV-EQ4にしても、俺はすごく気に入っているし、たくさん使っているし、とても優れたプラグインなのである。だから、音楽に、その楽曲に、合うものを選べばいいだけの話だ、たぶん、そりゃそうだ。
そんなわけでSonimus社の製品に、非常に感銘を受けると同時に、ミックスというものを教えてもらった気がする、この「鍋島デモ」の制作であったのだが、
そんなデモ音源であっても、一応の「マスタリング処理」つまりはマスタリングっぽい処理はするのだけれど、ここでもひとつトピックがあった。
いやね、デモ制作とかは、めんどくさいからギターはパソコンにつっこんでAmplitubeを使うんだけど、気のせいか、Amplitubeとかデジタルのアンプシュミレーターだから、人工的なデジタルのartifactみたいのがあるのか、マスタリング処理とかリミッターに突っ込むと、チリチリしたノイズが出やすい気がするのよ。
で、ずっと使ってる「初代T-Racks」でノイズが出て嫌だったので、ほらT-Racksって最近じゃAmplitubeと同じようにカスタムショップつって2週間限定でお試しできたりするじゃん、あれで、Stealth Limiterを使ってみた。たぶんStealth Limiter、人気があるんだろうね。カスタムショップの画面上でも、売り上げナンバーワンになってたし。
で、それでマスタリング処理してみたら、すっごい音きれいじゃない。Transparent、なんて月並みな言葉だけれど、すっごいハイファイで、現代的なクリアな音。それで、倍音の乗り方ってのか歪み方も何種類か選べるし。上の方がクリーンで、下に行くほど味が乗りますよ、ってことだと思うから、ノイズとか歪みとかの問題が生じないぎりぎりのところでなるべく下に行けってことだと解釈したけれど。
そんで、すげー音きれいだな、これは買って導入すべきなのか、と思ったんだけれど、結論から言うと導入しなかった。
つまり2週間は自由に使えるから、今回の鍋島デモの「マスタリングっぽい処理」はこのStealth Limiterでやっちゃったんだけれど、その結果、俺は出来上がった音に、必ずしも満足しなかった。
いや、やってる際はクリアでハイファイで透き通ってていいな、と思ったんだけれど、出来上がったものを聴いてみたら、いろいろと。
ハイファイ過ぎて迫力がない、とか。
ギターソロの音が、すごく細くなっちゃってる、とか。
まあBritsonの音と相まって、よけいに倍音とかハイが強調されてキレっキレの音にはなってるんだけど。そして、そのおかげで、今回の「鍋島デモ」のリズムギターパートの表現をデモとしてバンドメンバーや聴く人に伝える、という用途はばっちりなんだけれど。
でも、そういったマイナス面や副作用も感じだので、やっぱロックは、ハイファイ過ぎちゃいけないんだなー、と。
少なくとも、最も重要なことに、「バージョン0」をこれから修正していくところの”Jesus Wind”の楽曲をStealth Limiterに突っ込んでみたんだけれど、全然合わなかった。だから、自分の音楽には合わないんだな、と。
でも、衝撃的なまでにクリアでトランスペアレントなリミッターでしたね。
人気があるのもわかります、なんとなく。複雑ですが(笑)
とにもかくにも、自分の音楽人生の究極の到達地点である「鍋島」の楽曲は形にした。もちろん、これからそこに歌詞とかのっけていくのだが、肝心の音楽は、こうして形にした。
そのことに関する、感慨は、たくさんあるのだけれど、今日はあんまし書けなかったな、また、機会があれば。感慨に、浸りたいけど、そんな暇は今回は、無いのかもしれないし。
で、”Jesus Wind”の仮ミックスバージョン0が完成した時に、「今回は2年前のRevive The Worldの時みたいな、このタイミングで奇跡的に救世主的なプラグインが現れて飛躍的にここからサウンドが向上する、みたいなことは無いと思う」と書いたが、なんか、やっぱり、あったかもしれない、そういうこと。
でも、それはやってみないと、結果が出てからでないと、わからないことだ。
ここに今回書いた、SonimusのBurnely 73とかBritsonがそうなのかどうかは、わからない。
なぜなら、これらは素晴らしいプラグインで、たぶん真に迫るアナログエミュレートで、鍋島デモの制作をとても助けてくれたけれど、果たして僕は”Jesus Wind”の音を、本当にそんな古い音の方向性に持っていきたいのかと問われれば、ちょっとわからないからだ。やってみないと、わからない。でも少なくとも、これらのプラグインで鍋島デモを制作したことで、僕のミックスの腕というか、理解度は確実にレベルアップしたはずだ。
そして、マスタリングという環境において、ちょっとまた、ひとつのブレイクスルーがありそうなのだ。
それはコンプレッサーについてで、これまで本当に長いこと使ってきたおなじみIK multimedia「初代T-Racks」のClassic Compressor、これが何をエミュレートしたものなのか、俺は知らないし、発売当初はそれこそこれがFairchildなんじゃないかと思ったんだけど、後から別途Fairchildのモデルが出てきたし、どこかにTube-Techなんじゃないかと書いてあって、確かに見た目とかちょっと似てる気もするんだけれど、どっちにしろ俺はよくわかんないし、これまでも本当にこれしかないって感じで使ってきて活躍してくれたんだけれど、それに変わるコンプレッサーのプラグインに、ようやく出会えたかもしれず。それが何かは、もっちろん恥ずかしいし秘密。
ただ、同時にマスタリングのEQについてもいろいろデモ版を試してみたんだけど。いろいろつっても、試したデモ版の製品は2つだけで、あとは手持ちのEQどれがマスタリングに使えるかな、ってひととおり実験したりしてただけなんだけれど。
試したうちのひとつはelysia museqで、これはすごく良いなと思ったんだけれど、比較対象が、このずっと昔から使ってる初代T-RacksのClassic EQ。これ、俺は遠い昔に買ったものだけれど、ライセンスずっと継続して使い続けてるけど、今じゃこれ、フリーだもんね。
そんな今ではフリーで手に入るこのT-Racks Classic EQ。
elysia museqの方がいいかな、って思ったんだけれど、案外とClassic EQのQの幅を広くしていったら、おんなじような音になってね(笑) どっちが良いかわからんというか、少なくとも決定的な差は無い、ってところまでは作れて。あるいは場合によってはClassic EQの方が良いかも、くらいの気もするし。
elysia museqも素晴らしいし、お金あったらもちろん欲しいのは事実だけど、でもやっぱいらない。俺T-RacksのEQでいいわ、っていう。
俺が「マスタリング」なんていう謎の作業、謎の行程において、この初代T-Racksを使い続けてきたのは、「素人でもかんたんに出来る」設計になっているから。
そして、この初代T-RacksのClassic EQも、その良いところは、おおらかなところ。Forgivingなところ。つまりいろんな音源に対して、いろんな使い方をしても、だいたいなんとかなる。おおらかで、破綻しにくく、シロウトにも使いやすい。つまり、現実に自分にとっては実用性が高い。
そんでもって、間違いなく高級に違いないelysiaのEQと比べても、「うまく使えば大差ない」くらいなんだから、こっちを上手くつかいこなす方が、たぶんいいだろう、と。思った。
長年使ってきたんだし。
マスタリングなんていうややこしい工程では、なるべく迷いたくない。
確信のあるもので、安全にやりすごしたい。
ミックスに使う、トラックに使うEQは、他にもっと色々選択肢があると思うけれど、マスタリングにおいて、「全体をおおざっぱに音を作る」用途においては、おおらかで、味のあるEQの方がいいと思う。surgicalというか、問題を取り除く用のEQはもちろんまた別に必要だろうけれど。だから、ひとつの使い方として、Qの幅を広めにして使ってやるというのは、基本的なうまい使い方のひとつなのかもしれない。
あとは、ローカットをちゃんとかけてやることとか。こんなにタイトになるんや、みたいに、今更なんだけれど。
いろいろ試してみようと思います。