現状では「鍋島」を鳴らすことは出来ないと感じている。
その理由を説明するのは難しい。
だがたとえ話を用いて説明を試みることは出来る。
まったく話題が変わるように思うが、
僕はいつも言っているように、10代の頃において、まったく音楽をやりたいとかミュージシャンになりたいとか思っていなかったので、もっと堅実な人生を計画していたはずであるので。
その人生の当初の計画においては、家庭も築くつもりであったし、子供も持つつもりであった。
一応、嫁さんと一緒に暮らしているので、その意味では家庭というものは与えられているかもしれないが、少なくとも今現在、僕たちには子供はいない。
世間の皆様はどうしてもわかりやすい方に考えるのが普通であるので、傍から見れば、僕たちは、こういうバンドマン生活をしているので、そのせいで子供がいないのだろうと思っている人が大半だと思うのだけれど、実際はまったく違う。
どちらかというと人生のスタート地点での前提の時点で、
「音楽をやることにしたから仕方なく子供を持たないことにした」
のではなく、
「子供を持たない選択をせざるを得なかったので、仕方なく音楽をやることにした」
という方がずっと近いのだ。
なんで子供を持たないという選択をせざるを得なかったか、そこの説明は、たぶん説明してもわからないと思うし、いろいろな意味でつらいお話になってしまうと思うのでこの話をすることは無いだろうと思う。
だから僕たちが音楽を中心にした生活をしていることや、僕がしがないバンドマンをやっていること、ならびに、嫁さんがそれに協力しているように見えること、など、傍から見ればきっと、多くの人は、
「旦那の方が自分の夢を追いかけて、妻はそれに付き合って仕方なく応援している」みたいな構図で捉える人の方が多いのだと思う。
けれども実際はその逆であって、堅実でまっとうな人生を望んでいた僕に、少年少女だった10代の頃に、「あなたはもっと世間に反抗した生き方をしなさい」と突き付けたのはうちの嫁さんの方なのである。
うちの嫁さんは見た目けっこうまっとうな人間に見えるが、今というか特にクリスチャンになってからこっち、ずいぶん人間も成熟して丸くなったし、もちろんそれでも問題は無いではないが、もっと若い頃とかはもっと典型的なわがまま少女であったし、問題点や利己的な面ももっとむき出しであった。
そして「女性本来のエゴ」(いかにして女が男を思い通りにあやつるか)ということについてここで語ることはしないが、うちの嫁さんはたとえ見た目おとなしいタイプに見えたとしても、いろいろとアレなタイプであるので、そういうことをしれっと言い兼ねないことは、付き合いのある人であればなんとなくわかるのではないか。
だから堅実でまっとうな人生を計画していた少年の頃の僕が、「子供は何人にしようか」と言ったときに、そんな少年とか18歳くらいの僕に向かって、「子供なんていらない」と言ったのはうちの嫁さんの方であり、その構図は基本的にその後もずっと変わっていない。
「生ぬるい生き方なんて許さない」「あなたは死ぬまで意地を貫いて世間に反抗なさい」と言って僕の尻を叩き続けているのは今でも他でもないうちの嫁さんであって、だからたとえば80年代のBilly Idolの曲”Rebel Yell”を聴いて、ああこれはうちのことだよな、とか思うのは、まあ冗談ではあるが、けれどもそういう曲だったからこそ当時その曲は世の共感を得てヒットしたのだろうけれども。
まあその意味でやはりうちの嫁さんは「骨の髄までヘヴィメタルガール」で間違いない。
しかし、子供を持つ、持たないというのはもちろん非常に重要で重い議題であるからして、その後も「子供を持たない」という選択をしているのは、とてもじゃないがやはり語るまでもない理由がいろいろとあるのである。
念のために補足すればそこには経済的な理由というのは含まれない。これも上記のとおり「自分にとってわかりやすい理由でしか物事を解釈しない」人がいるといけないので補足しているだけのことである。
ただ、ひとつだけ誰にでもわかってもらえることを書くのであれば、もし子供を持つことになれば、人はだれでも、そのための環境や状況を整えるのではないだろうか。つまりは、子供を持つにふさわしい、子供を育てるのにふさわしい状況や環境を求めるのではないだろうか。
言葉はあれだがこれは人間に限らず、動物や昆虫であっても同じことであると思う。
子育てとか産卵とかそういうのに適した場所や環境を見つけて、それを行うのである。
僕にとって「鍋島」が、これと同じことになっている。
つまり、「鍋島」は、僕のみならず、僕と嫁さんにとって、個人的に非常に人生の中で重要な意味を持つ音楽になっている。そういう音楽であることが、デモを作ってみて、また歌詞を書いてみて、はっきりしてきた。
そしてこれは、「これを鳴らしてしまったら人生が終わる」、「これを鳴らしたら自分の音楽人生が完結する」という意味合いを持ったものだ。
それを、今、この時点、この状況で、鳴らしてしまっていいものか。
そして、鳴らすことが、出来るか。
どうしても、そうは、思えない。
つまり、まるで子供を産み育てるのと同じような感覚で、そのための環境を、整えなければ、この「鍋島」は鳴らすことができない、そういうものに、僕たちにとっては、なってしまっている。
生半可な状態で、何も考えずに漠然と鳴らしていい音ではない、ということだと思う。
さて、これを鳴らすところまで、果たして僕たちはたどり着けるのか。
しかし、「これを鳴らす」ということは、決定事項であり、僕たちはそれをするのだということを既に決めている。最初っから決まっている。
そういうわけで僕はしばらくBeat around the bushに終始することになる。
つまりは薮の周辺を叩き続けるわけだ。
そのための”Overture EP”っていうわけではないが、
「鍋島」の音を鳴らす、作り上げる、それに取り掛かる前に、この”Overture EP”で時間を稼ぐことになるわけである。
時間を稼ぐための”Overture EP”であるが、
けれどもその内容は、思ったよりも実りのあるものになるかもしれない。
なんてったって一応、「鍋島」の破片とか片割れくらいは入っているし、
そして、まあ「鍋島」のソングライティングを終えてからも、「くだらない」曲であれば、ちょっとは書けているのだが、先日、ひさしぶりに、これはちょっと面白いかな、というものが書けた。それはそれで、小さなささやかな祝福だ。
それで、当面皆さんに喜んでもらうことが出来れば。
あとは、先日に町田でやったアコースティックのソロ演奏でも、なんか昔の曲、昔の、日本語の曲が、けっこう評判がよかったこともあって、そういった昔に書いた、日本語の曲に、バンドとして取り組んでいくことも十分に考えられる。
そしたら、それはそれで、時間が稼げるし、また、案外と実りのあるものになるかもしれない。
さて、また話が変わって先日は、町田にオオハライチのライブを見に行った。
それは彼らのレコ発のライヴであった。
オオハライチについては、この一年間で、何度か演奏を拝見させてもらって、もちろん何度か見ただけではわからないこともたくさんあるが、それなりに長所も弱点も見せてもらっている。
だが、オオハラさんの新しいことにチャレンジしていく精神とか、オオハライチが持つコンテンポラリーな感覚とかは、もちろん評価しているし、結構楽しませてもらっている。
で、オオハライチのアルバムは、僕も1曲、提供して、ギターを弾かせてもらっているけれども、その曲ももちろん良いと思うんだけれど、アルバム全体としても結構出来の良いもので、聴いてみてなかなか感銘を受けたし、刺激になった。
刺激をもらう、というと、小さなことのように聞こえるかもしれないけれど、いまどき、「刺激をもらう」というか刺激をもらえるような音楽に出会えることも、今の時代となっては決して毎日あるようなことではないので、これは貴重なことである。
そんなオオハライチの演奏もよかったし、イベント全体としても面白かったし、アルバムの発売はとてもめでたいことであるし、今後も期待しているし、頼もしい限りなのであるけれども、その日のライブにおいて、ひさしぶりに「教育番組」さんのライブを見させてもらった。
教育番組は、Kくんのバンドであり、まあ別にイニシャルにする必要もないんだけれど、Kくんは、ソルフェイやオオハラ氏のサポートなどで何年も前からからんでいるし、僕も何度か彼が演奏するシーンを拝見している。若い子であるけれど、とても才能のある人である。とても才能のある人、というよりは、見るからに誰が見てもすごく才能のある人である。どんな楽器でも演奏できるし、その演奏のレベルも非常に高い。ああ才能のある子はいいなあ、と、僕も常に見てそう思っていた。
その彼のバンド、「教育番組」は、彼のとがった性格のゆえなのか、また難しい音楽性のせいなのか、なかなかメンバーが定着しなかったが、晴れて、素晴らしく強力なメンバーをそろえて活動を再開、進撃を開始、破竹の勢いでたぶん演奏しているし、この日もなかなかに破竹の勢いの演奏を見せてもらった。
で、僕はこの「教育番組」を見るのを、かなり楽しみにしていた。
それは、Kくんの思い描く音楽を、バンド形態でひさしぶりに拝見し、またそれを高いレベルで見ることが出来ると思っていたからである。
で、ここから先は年寄りの苦言である。
つまりは、才能のある子であるから、自分の中でやたらと高い期待値を持って拝見したし、見守ってきたし、また若い子であるから、そして友人関係の中でお世話になっている人脈の中にいる子であるから、不思議な距離感で、あたたかく見守ってきたのである。
しかし、こうして何度か拝見し、また強力なメンバーをそろえて、バンドマンとして一人前になってくると、やはり次第にシビアな見方をせざるを得なくなってくる(笑) これはどういうことかというと、僕は音楽を見るときに、けっこうシビアな見方をすることが多いということだ。
そしてまた、才能のある人については、やたらと期待して見るし、また同時に、「おまえはどこまでやれるんだ」と、ある種のライバル感覚をむき出しにして見てしまう。
だから、このタイミングで一度だけしか言わないことであるから、言うと、っていうか、書くしかできないし、本人には言葉では伝えてはいないけれども、けれどももちろん褒め言葉は伝えたし、またこうしたここに書く意味合いのことも、言葉を使わずにやたらと絡んだりと態度で伝わるように最大限伝えるように努力はしたが(笑)
君のやりたいことはこの程度のことなのか、と俺は思ったのである。
君くらい才能もあって、音楽の知識、造詣も深く、技術もあって。
それでいて、君のやりたいことはこの程度のことなのか、と俺は思ったのである。
つまり、俺はもっと期待していたのである。
この子なら、もっとすげえことをやってくれるのではないか、と。
俺をぶっとばしてくれるようなでかいことをやってくれるのではないか、と。
こういう、才能のある子に限って、志(こころざし)は小さくなってしまう、というのは、いったいどういう皮肉なんだろうか。
つまり、才能とか技術に恵まれない子は、逆に大きな志を持っていたりすることも多いというのに。
そして、やはり21世紀のインターネット時代に育った若い子たちにとっては、誰からも批判をされないこと、というのは、それほどに重要なことなのだろうか。そういう立ち位置に立つことが、彼らの夢であり憧れなのだろうか。
俺から言わせてみれば、それはつまらないことだ。
それほど批判されるのが怖いのか、と。
だから、俺が彼にも伝えた言葉として、「まるでプリンスかと思った」という褒め言葉も前提として、「もっとエロいパフォーマンスをしてくれたらいいな」と伝えたのは、そういう意味でも自分の気持ちである。つまりは、批判されてもいいから、脱ぐ勇気を持てよ、という叱咤の意味のつもりだ。その意味では君はオオハラシンイチの隣で演奏して何も学ばなかったわけではあるまい。
たとえば、俺の言うことはあてにならない。そのひとつの例として、僕は人気が出る前の「凛として時雨」を何度か見たことがある。もちろん当時すでに、評判の上り調子のバンドであったのだけれど、俺は、ちっとも良いと思わなかった。もちろん何が長所で、どういうところがウケているのか、それは理解できるが、それはそれとしてちっとも良いと思わなかったのである。で、今もそれは変わっていない。
だが世間では、まあ一部の特定の層なのかもしれないが、「凛として時雨」は有名な人気バンドになっているし、成功したバンドになっているではないか。
だから、俺の言っていることは、世間の流れとかとはまったく乖離しているので、アテにはならない。
だから、たとえばこのK君の教育番組がこれから人気バンドになって成功してもちっとも不思議ではない。
それに、メンバーの技術も演奏も圧倒的であったから、そんな「才能のある」Kくんのこと、この演奏に対して、賞賛こそすれ、批判できる人間は、たぶん今後もそれほど多くはないだろうから。だから、言える人間が言っておくだけのことである。
演奏というのは、ロックというのは、なんにせよ表現というのは、アイラブユー、と伝えるためのものだ。
そのアイラブユーと言うために、コードひとつ鳴らして伝える人もいるし、やたら複雑なリフと変拍子を絡めた上でやっと言う人もいる。
僕なんかも結構まわりくどい方だ。
やたら難解、というよりは、技術どうこうじゃなくて、立ち位置的にニッチな表現手段を選んでしまう傾向がある。
俺自身はシンプルに「愛してる」と伝えているつもりでも、人から見れば複雑だ、とか、難解だ、と言われてしまう。
けれども、どんなにシンプルに徹しようとも、また複雑に凝ろうとも、最後の最後には「アイラブユー」と伝える勇気を持たなければ、ロックをやることに意味は無い。
もちろん、この日見た教育番組さんは非常に強力なバンドであったし、たとえば対バン相手となったら手強い相手であることには違いないが(かといって、もっと強力な相手と対バンしたことも何度もあるしな)、
たとえどんなに才能や技術があろうとも、このような演奏が続くようであれば、俺の中では、「その程度の人」として認識し、そして忘れ去ることになる。
非常にスーパー大きなお世話、おおきなお節介であるが、俺のお節介は生まれつきだ。
友人関係の人脈の中にいる、若い、そして才能のある子、だからこそ、お節介な視点での感想を持ってしまい、そして、こうして書き記してしまった次第である。
なんらかの形で本人に伝わればいいなとも思うが、相手も立派な大人だし、そこは、それ。
俺はいつでもウケて立つ(笑)
とはいかないかもしれないが、努力はする(笑)
喧嘩は大好きだ。
わかってる。俺は音楽っていうものを、真面目に考え過ぎている(笑)