2016年9月の日記

■…2016年 9月 3日 (Sat)…….お仕事用
あたりまえのことで、誰に聞いてもそれはそうだと思うが、
やはりもっともいろんな用途に使える汎用性の高いギターとなったら、
Fender系ボルトオンタイプのギターにハムバッカーとシングルコイルの両方(おそらくはS-S-HまたはH-S-Hでコイルタップ付き)が載ったもの、となるのはほとんど間違いない。
僕は以前、すごく安いストラトを1、2本所有していたことがあるが、現在は(驚くべきことに)シングルコイルの載ったギターを持っていない(!)ので、こういった役割は、手持ちの中でほとんど唯一の[Fender寄り]のギターである2本のMusicman Axis-EXがこなすことになる。考えてみれば「他人のバック」みたいな演奏をしたときはいつもこれだった。
ただ僕の場合、今の自分のバンドの音楽性は完全にGibson系のギターが良いという結論に達しているので、「他人のための道具」であるこういった「汎用ギター」にお金を費やす動機がない。それは自分の芸術ための贅沢な道具ということであり、本来、スタジオミュージシャンとかプロの仕事であれば、仕事というのは普通は他人のためにするものであるから、プロであれば逆にこうした「他人のための汎用性の高いギター」にお金と労力をかけてしかるべきだが、僕はそういう意味ではまったく全然プロではないので自分のためのギターしか持っていないのだ。(どうしてもシングルコイルが必要だとなったら、きっとBacchusの中国製のいちばん安いやつを買うだろう。あのメーカーの楽器は、安くても結構使えるものに違いないからだ。ていうか、むしろフィリピン製Bacchusの安売りになってるやつとか2万くらいのやつもあるから、そっちのが狙い目か。)

このMusicman Axis-EXも、「売っちゃおうかな」と思うこともしばしばであるが、こうして他人のための用途に使えることを考えると、やはり売るべきではないだろう。
最近、しばらく試しながら使ってきたEX-Proのディストーション(D&Bの方)を売却してしまったのだが、あれはピッキングニュアンスも出るし、演奏のハードルは高いが、反応も正直でとても優秀だったのだが、やはり自分のバンドImari Tonesの用途においては「いろいろ足りない」ということで手放してしまった。だが、ジーザスモードで使ったこともあるし、他人のバックとかちょっとしたセッションにはとても使えるものだった。そういう意味では手放してしまったことを若干後悔しないわけではない。もっとも今は良い製品は市場にいろいろとあるので、またそういった「汎用性ペダル」に出会える機会はきっとあるだろう。

さて俺は今からビクトリアノのベースパートのコピーをしなくてはいけない。
来月、彼らが来日したときに、ベースのサポートを自分がすることになっているからだ。
時間はあんましない。特訓である。

No(4731)

■…2016年 9月10日 (Sat)…….歌詞駆けた
4度目となるXTJ (The Extreme Tour Japan)を来月に控えて、やらなくてはならないことであるとか、事務的なあれこれ、レスポンスしなければいけないメールなど、いくつもあるんだけれど、こうしてパーソナルな日記を書くことを許してもらいたい。どうせ朝のコーヒーを飲みながら書いていることだ。

9月の初旬に、歌詞をばばっと書いてしまった。
これは、7月から8月上旬にかけて作っていた「鍋島デモ」および「しましまデモ」の楽曲の歌詞のことである。
楽曲の数はとても多く、「鍋島デモ」が22曲、「しましまデモ」が14曲、という有様だ。
合計36曲、という数になるが、鍋島デモのうち2曲はインスト曲であるし、また「しましまデモ」はその用途の関係で、全部の楽曲を採用する気はないし、その半分くらいは過去に書いた楽曲のリサイクルだ。

本日はバンドのリハーサルの後に何年かぶりの「バンド会議」を予定しているし、そこにおける会議で、あるいはその後のバンドの動向により、方針は決まっていくのだが、この「鍋島デモ」および「しましまデモ」の楽曲をどう扱っていくかということに関しては。だが今現在、僕の中のイメージにおいては、「しましまデモ」の中で、「鍋島」に入れても違和感の無い楽曲がいくつかあるので、「しましま」の中から2曲を鍋島デモに加えて、「鍋島」を12曲x2のアルバム2枚のプロジェクトとする、その上で、「しましま」に関してはテーマ的に今現在のバンドの状況に合うものを4曲選び出し、そこに先月ふらっと書き上げてしまったアコースティックの弾き語りの楽曲を加えて5曲入りのEPプロジェクトとする。
こういう感じで僕の中ではイメージされている。

ただ、それが実現するかはバンドの状況次第だ。バンドのメンバーはどう考えているかわからないが、僕の中では本日行うバンド会議は「じゃあ解散しましょ」というくらいの結論になってもおかしくないもの、と捉えている。もちろん、なるべく前向きな方向に持っていくとは思うけれども(笑)

ともあれそういうイメージで構築した時の、「鍋島」の歌詞22曲、および「しましまEP」(これは”Overture EP”というタイトルで考えている)の歌詞5曲ぶん、この9月初旬の時点で、ひととおり書き上げてしまった。自分は曲を書くのはわりと速いが、歌詞を書くのは別段に速いってわけじゃないので、これだけの数の楽曲ぶんの歌詞の言葉が、これだけばばっといっぺんに出て来たのはさすがに初めての経験だ。

“Overture EP”に関しては、5曲すべてが日本語の歌詞である。
さらっと書くとどうってことのないことだが、2007年以降ずっと、基本的に英語詞で海外向けにやってきた自分たちのバンドにとってみれば、これは大事件と言っていいことだ(笑)

“鍋島”に関しては、これがおよそきれいに、英語半分、日本語半分の内容になった。ご丁寧なことに、同じような性格の曲がふたつあったとすれば、ひとつは英語、ひとつは日本語、で内容もどこか関連したもの、といった歌詞になっている。

見たまんま、EP1枚、フルアルバム2枚、ぶんのプロジェクトということで、普通からしてみたら非常にボリュームがあることだし、それを考えても、やはり「鍋島」はこのバンドにとって「最後」を飾るものになるのは間違いない。順番としては”Overture EP”に先に取り掛かることになる、その方が音楽的には自然だ。だいたい、鍋島の先に来るところの序曲だから”Overture”というタイトルを考えているのだし。

で、このように言葉が突然あふれて来たのは、不思議なことではあるが、この前ポストしてLikeを皆さんにいっぱいつけてもらったところの、うちの嫁さんとの、籍を入れて、というのか結婚10周年のささやかな記念日を祝った、そのすぐ直後にどどーっと溢れてきた、ということは事実であるので書き記しておきたい。別に意識したわけじゃないが、結果的にそういうことだ。

この”Overture EP”および「鍋島」がどのような音楽であるかは、これは完成した暁に聴いてもらうより他ないが、まあ、”Overture EP”はしょせんは序曲であり、つなぎなので、大したことないが(笑)

けれどもやはり今回のこの「鍋島」は自分の音楽人生の集大成ということは間違いなく、自分にとっては非常に大きな意味のあるものだ。そして、これをデモの形にして、歌詞を書いて、こういうものだ、と見えて来たことで、ああやはりこれは、自分の音楽人生を振り返って、また音楽だけでなく人生そのものを振り返って、すべてがmake senseする、こういうことだったんだな、と思えるものだ。

そして、これは、僕にとってだけでなく、うちの嫁さんにとってもそうであるようだ。というか、そうであって欲しいし、そうであるべきだ。これはどういうことかと言うと、高校時代に出会ってから、21年が経過しているわけだが、僕はやっと、うちの嫁さんに気に入ってもらえる音楽を書くことが出来た、ということである(笑) やっと、やっと、やっと、である。

どちらにしても、その10代の頃の原点に、はからずもある意味、何周かして戻ってきた、ということを含めても、この「鍋島」は僕たち、つまりは僕と、うちの嫁さんにとって、個人的に大事な音楽であることは間違いない。

この文脈、この流れで書くと、あまりにも思わせぶりなのであるが、そうはいっても、言葉というものは、音がそうであるように、すぐに手のひらから流れ落ちてしまうものであるから、書き記しておくが、僕は昨年だったか、2015年の個人的な内面の目標として、「ロックスターであること」という意味のわからん目標を立てていた。それはもちろん、成功して有名になるといった意味ではなく、もうちょっと内面的な、比喩的な意味合いのことであるが、とにかくも気合いの上ではそんな感じだった(笑) そして、半分くらいはそれを達成したと思う(爆笑)

だが、ここへきて、こうして自分の音楽人生の集大成である「鍋島」をおよそデモの形として書き上げて歌詞も書いてみて、自分は、この自分が目指してきた「ロックスター」なるものが(ほんとは全然目指してもいない)、いったいどういうものだったのか、やっと見えてきたような気がしている。

人間、すべてを手に入れることは出来ない。
そして、人間、山に登ることはなかなか大変だ。
山の上にお宝が、富とか名誉があるとか、そういった動機で登れるものではない。
そうではなくて、山の上で朝陽が見たいから、とか、山の上に落とし物をしたから、とか、そういう、ちょっとした個人的に「背負える」具体的な動機がないと、登れないものだ。

自分にとっての「ロックスター」たる動機は何だったのか、この「鍋島」の音楽の中に、なんとなく、いや、かなり個人的にはっきりと、見出した気がする。それはもちろん思い起こしてみれば、あの18歳の頃に、見ていたもの、求めていたもの、それがやっと具体的にこういうことだったのだ、と見えてきた、それだけのことに過ぎないけれど、やっぱり感慨がある。

そしてそれは、「これだけあれば、他のものは要らない」と言い切れるものだ。
俺のささやかな人生の中にあっては、それだけで十分なんじゃないかなあ。

鳴らしたい音がある。約束の音がある。
これを鳴らすのだ、と約束した音がある。
そんな音に、出会ったことは、まるでジョークのようだし、不思議な状況だ。
でも、この「約束」を果たすためなら、少々道のりが厳しくても、歩いていける。
僕が残りの人生で欲しいものは、そのひとつだけだからだ。
ここまで来れてありがとう。

No(4732)

■…2016年 9月15日 (Thu)…….現状維持<->未知の自由
現状維持というものは楽なものである。
人間誰しも、現状維持に甘んじていたいし、現状を維持してずっと行けたら、これほど楽なものはない。
僕は以前から、「自由」の反対に位置する言葉は「安心」だと思っていて、それは今でもそう思っているが、
自由を選ぶことは、不確定な物事に飛び込んでいくことであり、そこには「不安」が常に隣り合わせなものだ。
(そこに飛び込むことこそ、そりゃ、信念、とか、情熱、とかであり、クリスチャン的にはもちろんそれは、信仰ってことだろう。)

僕だってもうそんなに若いってわけじゃあないし、現状維持のまま、行けたら、どれほど良いか。
だけれども、先月にデモを作り終えたところの、僕の人生の究極の到達点であるところの「鍋島」なる楽曲群は、僕の背中を押してくる。
そんなものではダメだと、絶対的な回答を突き付けてくる。

先日行ったバンド会議は、楽しいながらもなかなかに厳しいものであり、良いことも悪いことも半分くらいずつあった。
まあバンドのメンバーで言えば、ジェイク先生のおとぼけぶりも期待通りであったが、はっしー先生の「ツンデレ」っぷりも、これはもう期待をはるかに上回るツンデレで、そういう趣味の人からすればなかなか隠れた魅力があるに違いない(笑)。
まあうちのバンドの関係性はそんな感じでずっと来ている。

こうやってお酒の上でバンドのあれこれを多少なりとも真剣に会議したのは、何年ぶりか。
たまには、やらなきゃね。
そして、そろそろいいかげん、やらなくてはいけないタイミングだった。
これからどうするのかは、すぐに答えなど出るわけはない。
これから、まだまだ問い続けて、何が出来るのか、何がベストなのかを選びとっていかなくてはならない。
ひとつひとつ、目の前にある、鳴らすべき音を、鳴らしていく中で、答えは出てくるだろう。

ロックンロールに殉じる、ということは、どういうことだろうか。
もう若くない、なんて俺は思っていたけれど、では自分の音楽人生を振り返って、「自分はまだ若い」なんていうふうに思っていたことが、あっただろうか。

高校生の18歳の頃ですら、「僕の人生の中で、音楽なんてものをやる時期は過ぎ去った」と思っていたのではないか。

自宅録音で「Imari Tones」と呼ぶことになるプロジェクトを始めた21歳とかそこらの時にも、「もう遅いことはわかっている」と思っていたのではないか。

そして、このバンドが形になった頃、僕は既に26歳とか27歳とかになっていたけれど、その時、僕は「もうバンドを始めるには歳を取り過ぎている」と思っていたのではなかったっけ。「普通はそろそろバンド活動から引退する年齢だ」と。そう、そんなふうに思ってたんだよ。

で、ドイツまで行ったりした2006-2007体制のImari Tonesを解散させて再スタートする時にも、「もう本気でバンドやるには歳を取り過ぎているから、趣味のローカルバンドを」って思ってた。

今、正真正銘、良い歳で、もちろん、昔よりは歳を取っている。
そりゃ年齢は足し算であって、引き算は無いのだから。
なんて、どうかな、本当かな。
僕はここ数年、人生の中でいちばん、活発にスポーツに取り組んで、アクティヴな生活をしていた。それ以外にも生活の中のいろいろな意味で、人生の中でいちばん「子供っぽい」時期を過ごしていると言っていい。

体力は、そりゃ、衰えるだろうが、スケートボードやってる時の右足のポップは、そりゃ、過去最大に強いのだ。最近、一周半っていうのか540度回すことも出来るようになってきた。着地はまだ、出来ないが。これでオーリーの高さも出るはずだが、まだそこは左足の反応が追っ付かない。そのうちね。

四ツ葉のクローバーってほどでは、さすがになくなって、探していけば少しは見つかるが、まだまだ白髪も少ない。同年代の男性と比べたら非常に少ない方には違いなかろう。

あとは、自分の気持ちをリセットするだけではないのか。
条件と、目標と、世界観と、環境を、設定し直すだけではないのか。
若返るための条件は。

俺は「不安」の中に飛び込んで行けるか。
まだそんな、力が残っているか。
ロックンロールに殉ずるとは、どういうことなのか。

とにもかくにも、死んだ時に、神さんにちゃんと顔向け出来るようにはしておきたい。与えられた音楽を、きちんと鳴らし切る努力をしました、って、言えるよう。

「鍋島」は、俺にとって、決して軽くない。

No(4733)

■…2016年 9月16日 (Fri)…….またもリヴァーブについて素人のくだらない独り言
馬鹿みたいだがリヴァーブについてまたひとりごとを書いてしまおう。
世間で評判の良い、2C AudioのB2とかBreezeの良さが、やっと少しはわかってきた。

なんというか、よくよく俺もリヴァーブってものを知っているわけではないので、「アルゴリズムリヴァーブはこういうもんだ」っていうのが、なんとなくわかってくると、この2C Audioのリバーブは、アルゴリズムリヴァーブの「全部入り」なんだな、ってことが理解出来てきた。

だが、だからといって、これが俺に向いているツールかと言われれば、はっきりと「これは俺向けじゃない」と言えるし、好きかどうか、また、良い音か、あるいは、使えるか、と聴かれれば、「こんなもん使えん。好きじゃない。」とはっきり回答できる(笑)

思うに、この2CAudioのReverbというものは、まあ世代が新しいから当たり前なんだけれど、昔のハードウェアのデジタルプロセッサーだった時代のリヴァーブではなくて、パソコンの中のプラグインとして始まった純粋にソフトウェアな「プラグイン世代」のリヴァーブとしての、ひとつのculmination (頂点)なんだと思う。

だから、ハードウェア臭さが良い意味で無いというか、僕みたいな世代からしてみたら、「初めてCubaseとかでパソコンで録音始めた時の、最初に聴いた初代プラグインのリヴァーブ」の音を、なんとなく思い起こさせる。無色無臭というのか、「こんなもんだろプラグインリヴァーブ」的な。

その意味で、プラグインってことを前提に育ってきた世代のリヴァーブ技術の、ひとつの頂点としての、この機能性であり、クリアな音であり、馬鹿みたいな重さであったりするのだと思う。

でも、その「クリア」かつ「濃密」、アルゴリズムリヴァーブとして「これ以上はない」と言われるところのその音を聴いてみると、「こんなもんか」と良くも悪くも思ったりする。リヴァーブの現実というか。頭の中で鳴っている「夢のリヴァーブ」を追いかけたりするんだけど、そんなもの現実にはありはしない、という。ギタリストの歪みに対する夢想に近いが。

結局のところ、いくつものアルゴリズムリヴァーブを比べてみれば、ある程度の品質を持っているしっかりとした製品であれば、どれも「結局のところ大差はない」というか、あとはわずかなキャラクターの違い、そして操作性(これ大事)によって選べばいいということなんだと思う。それをもって、俺としては「アルゴリズムリヴァーブっていうのは、結局はこういうもんなんだな」と思えるようになってきた。
これは、いくつものオーヴァードライヴのペダルを試して、「オーバードライブなんてみんな同じようなもんだな」(もちろん、いろいろの違いがあるのは前提の上で、実用面として突き詰めれば、の話)と思えたのと同じことである。

Reverbについて俺が偉そうなこと言えないのは、まあ「にわかエンジニア」であるに過ぎないのはもちろんだけれど、今のMacBook環境で「USBつっこまないと使えないプラグインは使わない」を貫いているので(笑)、高級とされるリヴァーブ、特にLexicon系のやつを全然試してないってことである。
もちろんそのへんにLexiconのリヴァーブのインパルスレスポンスのファイルは落ちているので、それらを適当なコンボリューションリヴァーブに突っ込んで、「へえ、こんな音なんだ」とチェックしたことは何度もあるが。

だから、偉そうなことは言えないが、USB突っ込まなくても使えるリヴァーブをいろいろ試した中では、他にはAcon Digital Verbrateなんか、真面目で堅実な音で良いなと思ったし、操作性もなかなかだし。あとはもちろんValhalla Vintage Verbは愛用しているし、あれは素晴らしいね本当に。
それからIK MultimediaのCSR (Classic Studio Reverb)も基本的には薄味だが、ミックスの中での実用性は非常に高く、良いものだと思う。
そいからこれはコンボリューション系だが、HOFAのIQ-Reverbは見た目もかっちょいいし、音もとても良くて、これはコンボリューション系が嫌いな僕としては例外的に、良いなと思って、お金があれば欲しいなと思っているものである。しかしたぶん、自分の音楽をやる上では、たぶん実用性はあまり無い(笑)

だがやっぱり、日本語英語含めてインターネッツを見ていると、EventideのUltraReverbがほとんど評判にならずにスルーされているのはやっぱり不思議だ。
何度も言っているように、俺にとって現状で最高のリヴァーブはやっぱりこれだからだ。
ネット上の世間の注目は、どっちかっていうとEventideだと飛び道具系のBlackHoleリヴァーブに集まってしまい、あとは名機の再現たる2016 Stereo Roomとか。もちろんStereo Roomも素晴らしいんだけどね。でも使ってみると、UltraReverbとあんま変わらんのよ、基本のキャラは。

これは純粋に音楽性によるところ、自分の作ってる音楽の方向性によるところだと思うんだけれど、やはり僕の思うところでは、2Cのリヴァーブはどうにも。以下省略。
であって、UltraReverbの方が、俺としては品の良い音に聞こえるのよね。
あとは、tweakability、操作性、応用性、そして、どんなにいじっても破綻しない基本性能の高さ、そんでやっぱりどんな音でも作れるところの応用性。

このUltraReverbの操作性が、たぶん自分と相性が良いのだと思う。
だから、他のリヴァーブで作れる音が、だいたい、UltraReverbをいじってると、作れちゃうんだよね。しかも、UltraReverbの方が、だいたい品が良くて、表現力が上。これは、リヴァーブの残響だけじゃなくて、初期反射とかの設定もそう。
これは、ユーザーに提供されてる操作可能なパラメータが、正直だからなんだと思う。

そんで、Hallだけじゃなくて、ChamberもPlateもRoomも全部良いじゃん。ならびにEQ、コンプ、ディレイまで付いていて、飛び道具系の使い方もばっちり可能。これがなんで、評判にならないのかわからない。

僕が、その昔、WindowsでCubaseいじってた時に、使ってたリヴァーブは、Waves TrueVerb、TC Native Reverb、あとは当時のCubase標準だったReverb32、このみっつがお気に入りだった。

TrueVerbはもちろん、ルームシュミレーターとしての用途。
TCは、ホールとか大きめの美しい空間に使うことが多くて。
そんで、Cubase標準Reverb32は、普通の良い感じのアルゴリズムリヴァーブとして使い勝手が良かった。わざとらしいRoomとか、わざとらしいPlateとか。

だから、そのみっつの用途を基本として、俺のリヴァーブのニーズはあるんだと思う。
Eventide UltraReverbはそのみっつとも、高品質にこなしてくれるしね。
特にルーム系の表現力なんかは、ギター中心の音楽をやってる自分のニーズでは、すごく重要なんだけれど、UltraReverbはここでも非常に強力な表現力を提供してくれる。
TCとか、Lexiconとか、欲しいなと思うんだけれど、もうEventideでいくつも作品作っちゃったし(まだそんなに世間に発表してないが)、もう俺の運命のリヴァーブはこれなんじゃないかなって思ってるし、こいつと心中してもいいかなと思い始めてる。

その昔、WavesのTrueVerbを愛用していた時は、あれは、「ルームシュミレーターが非常に有用だ」ということを世間に知らしめた名機と言えるリヴァーブだったに違いないと思っているけれども、
あれを僕は、いろいろな音源で、使い過ぎてしまって、常に使い過ぎる傾向があって、部屋鳴りがめっちゃする距離感のあるミックスばっかり作ってしまった。
それを反省して、ルームリヴァーブはほどほどにしておこう、と、その後思ってやっているのだけれど。それくらいTrueVerbは大好きだったから。

今はTCが使えないんだけど、ああいう美しい大きな空間は、Valhallaがうまくこなしてくれることが多いし。

もちろん、純粋に美しいリヴァーブってことで言えば、もっと他にも欲しいけど、これは音に対する欲求が、大きすぎてジャンキーみたいな、ギターでもそうだけど。
でも、先述した通り「アルゴリズムリヴァーブなんてどれも同じ」と悟ってしまうことも出来るし、まああとはこれも上記の通りコンボリューションながらHOFA IQ-Reverbは魅力的だけれど。あれはわりと、いじれるからね。

でもどちらにせよ、「実用」の上で、Eventide UltraReverbを越えるものは、僕にとっては現状ではあんまし見当たらない、これは事実なようだ。

ああ、あとね、ひとつ懺悔すると、「鍋島デモ」を作る時に、あれだけ「これはひどい」とかけなしていたところのEareckonのEarverb SEを買ってしまったのよ。まあ、値段の安いSEの方なんだけどね。すげえ、不自然でわざとらしいアルゴリズムリヴァーブだな、と思っていたんだけれど、その不自然さが、使える時があるじゃない、やっぱり。ファストフード的な炭酸入りコーラみたいな。で、鍋島デモは、急いで作らなきゃいけなかったから、ぱぱっと音を決めるのに、あの奥行きのないわざとらしいリヴァーブが案外効果的で。あとは制作のためにテンション上げる必要もあったし。まぁ、さんざんけなしておいてすみませんが、お世話になってどうもありがとう、と書き残しておきたいです。まあ、どんな道具でも、使い方次第、生かし方次第。あたりまえのことですね。

まあどちらにせよ、Eventideにせよ、Lexiconにせよ、TCにせよ、そういう昔からのアウトボードのプロセッサーの時代からあるオーディオメーカーっていうのは、なんかそういう意味で、プラグインだけ作ってる若いメーカーには無い、なんか知らんけど、上品な音を作るための、何かがあるのかもしれない。

あとは、これも同じ意味で、リヴァーブの開発っていうのは、なんか他のプラグインと違って、地道な積み重ねとか、そういったものが必要な分野なんだろうな、と、そんなふうに感じる。近道は無いというか。もちろん、近道はなくても、天才は世の中にいっぱいいるのだろうけれど。Valhalla作ってる人みたいに。

楽器とか、木材の関係で、とか、世の中の商業的な事情で、とか、旧き良き時代の、とか、ギターとか楽器とかで昔のものの方が良い、っていうのはアリだと思うんだけれど、日進月歩なはずのデジタルの音響機器ですら、そういうものがあるとすれば、いったいどういうことなんだぜ。音っていうのは、それくらい奥が深いものだと思う。

No(4734)

■…2016年 9月16日 (Fri)…….皆さんありがとう
昨日の町田ナッティーズSong of Songsありがとうございました!見ていただいた皆さん、共演の皆さん、ありがとう!クリスチャンアーティストがあの場にたくさん集まって、やたら濃い空間のやたら濃い一夜になってびっくりしました!(笑) 自分もアコースティックにしてはテンション高い系の選曲で、会心の演奏でぶっとばしました。しかしみんなすごいね!日本のクリスチャンミュージックの未来がここにあるね!そんでもって、別段クリスチャンミュージックではないですが、昨日披露して好評だった「3コードで行こう!!」はこんな曲です。高校3年の時に受験でテンションおかしくなってる最中に書いた曲です(笑)
こちら

No(4735)

■…2016年 9月16日 (Fri)…….新ネタNoオープナー
もう一度書きますが、昨日の町田ナッティーズ、皆さんありがとう。アコースティックのソロですが、良い演奏が出来ました。その場に居てくれた皆さんが素晴らしいヴァイブを作り出してくれていたからです!

以下長たらしい日記とさりげない告知。
ライブをやるときのopenerというのか、1曲目っていうのは難しいものです。ものなのです。なのである。
僕は飽きっぽいのと、妙に照れ屋な美意識で、同じようなショウを何度も繰り返したくないっていうのがある。それは、年間330本くらいライブをやっているような一流のツアーバンドならともかくも、出不精で人気もないうちみたいなバンドの場合、毎回きっちりと目標をもって内容を変えたいのである。
一番の理由は僕が飽きっぽいからだ。あとは同じものを見せるのが照れるからだ。
あとは、うちのバンドというか僕は音楽的にやたら大量に作品を作るので、楽曲のレパートリーが多過ぎるからだ。

毎年、新しく仕込む新ネタみたいのがあるわけだ。
しかし、けれども、今年2016年は僕らはコンセプトアルバム”Jesus Wind”の録音に明け暮れていたので、「新曲」を仕込んでいないのである。(ああ、本当はあの津波の曲があるんだけど、ちょっとテーマ的に重いでしょ。。。)
だから、皆さんには昨年と同じような曲をお聴かせすることになる、のは嫌なので、昨年封印していた曲を復活させるのだ。
今年、”Jesus Wind”の録音が終わった後に、バンドのレパートリーとして復活させた曲がいくつかって、それは、Victory、Steel Wheels、そしてHeaven’s Gate。

これね。
こちら

そう、Heaven’s Gateは、僕らにとっては「超弩級」の楽曲なのだ。超弩級の「弩」というのは「ドレッドノート」という意味らしいんだけど知ってた?ドレッドノートというのは、つまりはアコースティックギター、なんだけど、本当はギターじゃなくて戦艦とかそういうやつのことらしい。「大和級」とかそういうこと?

話それたが、なので、その復活させた楽曲で、皆さんの度肝を抜こうと計画しているのだ。

先日もバンド会議をシリアスにやったと日記に書いた通り、「今の形のイマリトーンズ」がいつまで続くかはわからない。
しかし、もし続くのであれば、今後、日本語の楽曲が増えていくのは間違いない。
“Jesus Wind”の次の作品として考えている”Overture EP”は5曲とも全部日本語だし、その後にくる「究極にして最後の作品」である2枚組プロジェクト「鍋島」は半分日本語半分英語だ。

昨日やったアコースティックソロでも、日本語の楽曲がとても好評だったし、人前でアコースティックとはいえ初披露した「Born Again」なんか、バンドでやれば、ショウのオープナーというか1曲目にはもってこいの曲である。しかし現時点ではまだバンドでの仕込みはもちろん出来ていない。手をつけてもいない。”Jesus Wind”の録音が完成して、「おつかれさま、さて次はどうする」と言ったばかりである。

だから何が言いたいかというと、Calling Records等で一緒にがんばっている仲間の皆さん、そして何度も見てくれているお客様。
この10月に予定しているImari Tonesのショウで、純粋に新ネタはありません。すいません。しかし、2013年の初年度のXTJではめっちゃ強力に炸裂したところの「超弩級」楽曲である”Heaven’s Gate”および”Steel Wheels”を復活させ、ならびに”Jesus Wind”からの最強楽曲であり昨年のXTJでは時期尚早ながらも対鹿専用兵器として無理矢理演奏した”Repent”を、もうちょっとましに演奏することで、代えさせていただきたいと思います。

“Steel Wheels”だって、既に海外のリスナーからはインターネットを通じて「妙に好評」なリアクションがいっぱい来ているし(YouTubeにアップすらしていないのに)、”Heaven’s Gate”なんて生で聴いたら失禁するんだからねッ! (演奏する方も難しくて失禁しますが)

1曲目って難しいのである。
昨年の重要なライヴでは、おなじみ”Testimony”を1曲目にもってくることが多かったのである。Testimonyは、僕らがクリスチャンバンドになって2枚目の作品でかつ今のメンバーになって最初の作品であるところの”Victory In Christ”の1曲目で、信仰に目覚めたところのスピリチュアルハイな状態がすごく表れている作品なので、この”Testimony”はスピリチュアルハイにすげー高揚する曲で、ぶっちゃけ、これ以上のオープナーの曲は僕らにとってなかなかない。現メンバーのImari Tonesにとっては精神的にも原点と言える曲だということもある。

他には、”The Concept” (Japan Metal Jesusの1曲目)とか、”Unlimit” (Revive The Worldの1曲目)とか、そして今年は”Jee-You”でオープンする、ということをやっていたけれど、なかなか、やはり、1曲目は難しい。

たとえばDave Lee Roth時代のVan Halenなんか、オープナーは大抵、”On Fire”か、あるいは”Unchainded”だったし、再結成後なんて1曲目はいつも”Unchained”だ。それくらい1曲目って難しいものである。

僕らとしてもいつもいつも”Testimony”でオープンするってわけにもいかない。それは僕の美意識が許さない。なんにせよ、海外向けに英語でやってきた辛さと矛盾がそこにある。
もう1、2年待ってくれ。日本語の楽曲、もっと用意するから。

というわけで、イマリトーンズが参加する10月のXTJのライブとしては以下を予定しているますです。射る鱒Death。

10月1日(土) 愛知県蒲郡市 国際クリスチャンバプテスト教会
10月8日(土) 下北沢 Cave Be
10月14日(金) 西横浜 El Puente
10月22日(土) 福生 Chicken Shack

特に来て欲しいのは10/8の下北沢。理由はCalling Recordsの一大イベントだから。
あとは10/14のエルプエンテ、理由は本気の本気で演奏するから。
かといって10/22の福生チキンシャックはなんだかんだ一番熱いイベントになると思う。
そしてそうはいっても10/1の蒲郡国際クリスチャンバプテスト教会はいちばん愛情を込めた演奏になると思います。

以上どうもありがとう!!

No(4736)

■…2016年 9月17日 (Sat)…….Stryper、ツアー後の活動「一旦」休止を発表
SSTJ (Stryper Street Team Japan)の閉鎖から約一ヶ月。こうなることは、なんとなくわかっていたような。それは、信仰を持ってバンドを見ていれば、わかるはずのこと。神の導きには、すべて理由がある。かといってもちろん、驚いたけれど。80年代にファンクラブの会長をやっておられた方も、クリスチャンだったそうで、きっとその方も、そうだったのではないかと、嫁さんと話していたところ。思えばStryperの公式から”ministry”(神のための働き)とか、pray(祈り)なんていう言葉を聞くのは、随分ひさしぶりな気がします。これが彼らにとって、かつての80年代に増して、より信仰に裏付けされたロックに導かれる機会になれば。そんで、できればもう一枚は、「これはすげえ信仰だ」とうならせるようなアルバムを作ってくれたらな。

No(4737)

■…2016年 9月17日 (Sat)…….昨年の新宿の映像
Next month October, we will go on “The Extreme Tour Japan” with our friends. It’s 4th year for XTJ. When we started this in Japan we didn’t think it was possible to do this “Christian Music Tour” in Japan. We had virtually no help from anyone. We can’t believe now we have “many” (well not so many but it’s MANY for us) friends and fellow Christian Rockers working together for this. (As you know, we have launched “Calling Records” together.)
Today we posted this video on YouTube. It’s one of the gigs we did last year with XTJ. It was not our “best” performance but it was surely one of the most “blessed” gigs we have ever played. Yes it’s a small gig in a small venue, but as you can see it was INTENSE.
We hope you can feel the PASSION. We hope you can feel the HEAT and FAITH that is burning in this still small Japanese Christian Rock scene.
Thank you very much for all the friends and all the fellow Christian Rockers in Japan, and of course all over the world.
Jesus Rocks!!
こちら

No(4738)

■…2016年 9月21日 (Wed)…….鍋島ベイビー、と、救済ウケて立つ
現状では「鍋島」を鳴らすことは出来ないと感じている。
その理由を説明するのは難しい。

だがたとえ話を用いて説明を試みることは出来る。

まったく話題が変わるように思うが、
僕はいつも言っているように、10代の頃において、まったく音楽をやりたいとかミュージシャンになりたいとか思っていなかったので、もっと堅実な人生を計画していたはずであるので。

その人生の当初の計画においては、家庭も築くつもりであったし、子供も持つつもりであった。

一応、嫁さんと一緒に暮らしているので、その意味では家庭というものは与えられているかもしれないが、少なくとも今現在、僕たちには子供はいない。

世間の皆様はどうしてもわかりやすい方に考えるのが普通であるので、傍から見れば、僕たちは、こういうバンドマン生活をしているので、そのせいで子供がいないのだろうと思っている人が大半だと思うのだけれど、実際はまったく違う。

どちらかというと人生のスタート地点での前提の時点で、
「音楽をやることにしたから仕方なく子供を持たないことにした」
のではなく、
「子供を持たない選択をせざるを得なかったので、仕方なく音楽をやることにした」
という方がずっと近いのだ。

なんで子供を持たないという選択をせざるを得なかったか、そこの説明は、たぶん説明してもわからないと思うし、いろいろな意味でつらいお話になってしまうと思うのでこの話をすることは無いだろうと思う。

だから僕たちが音楽を中心にした生活をしていることや、僕がしがないバンドマンをやっていること、ならびに、嫁さんがそれに協力しているように見えること、など、傍から見ればきっと、多くの人は、
「旦那の方が自分の夢を追いかけて、妻はそれに付き合って仕方なく応援している」みたいな構図で捉える人の方が多いのだと思う。

けれども実際はその逆であって、堅実でまっとうな人生を望んでいた僕に、少年少女だった10代の頃に、「あなたはもっと世間に反抗した生き方をしなさい」と突き付けたのはうちの嫁さんの方なのである。

うちの嫁さんは見た目けっこうまっとうな人間に見えるが、今というか特にクリスチャンになってからこっち、ずいぶん人間も成熟して丸くなったし、もちろんそれでも問題は無いではないが、もっと若い頃とかはもっと典型的なわがまま少女であったし、問題点や利己的な面ももっとむき出しであった。

そして「女性本来のエゴ」(いかにして女が男を思い通りにあやつるか)ということについてここで語ることはしないが、うちの嫁さんはたとえ見た目おとなしいタイプに見えたとしても、いろいろとアレなタイプであるので、そういうことをしれっと言い兼ねないことは、付き合いのある人であればなんとなくわかるのではないか。

だから堅実でまっとうな人生を計画していた少年の頃の僕が、「子供は何人にしようか」と言ったときに、そんな少年とか18歳くらいの僕に向かって、「子供なんていらない」と言ったのはうちの嫁さんの方であり、その構図は基本的にその後もずっと変わっていない。

「生ぬるい生き方なんて許さない」「あなたは死ぬまで意地を貫いて世間に反抗なさい」と言って僕の尻を叩き続けているのは今でも他でもないうちの嫁さんであって、だからたとえば80年代のBilly Idolの曲”Rebel Yell”を聴いて、ああこれはうちのことだよな、とか思うのは、まあ冗談ではあるが、けれどもそういう曲だったからこそ当時その曲は世の共感を得てヒットしたのだろうけれども。

まあその意味でやはりうちの嫁さんは「骨の髄までヘヴィメタルガール」で間違いない。

しかし、子供を持つ、持たないというのはもちろん非常に重要で重い議題であるからして、その後も「子供を持たない」という選択をしているのは、とてもじゃないがやはり語るまでもない理由がいろいろとあるのである。

念のために補足すればそこには経済的な理由というのは含まれない。これも上記のとおり「自分にとってわかりやすい理由でしか物事を解釈しない」人がいるといけないので補足しているだけのことである。

ただ、ひとつだけ誰にでもわかってもらえることを書くのであれば、もし子供を持つことになれば、人はだれでも、そのための環境や状況を整えるのではないだろうか。つまりは、子供を持つにふさわしい、子供を育てるのにふさわしい状況や環境を求めるのではないだろうか。
言葉はあれだがこれは人間に限らず、動物や昆虫であっても同じことであると思う。
子育てとか産卵とかそういうのに適した場所や環境を見つけて、それを行うのである。

僕にとって「鍋島」が、これと同じことになっている。
つまり、「鍋島」は、僕のみならず、僕と嫁さんにとって、個人的に非常に人生の中で重要な意味を持つ音楽になっている。そういう音楽であることが、デモを作ってみて、また歌詞を書いてみて、はっきりしてきた。

そしてこれは、「これを鳴らしてしまったら人生が終わる」、「これを鳴らしたら自分の音楽人生が完結する」という意味合いを持ったものだ。

それを、今、この時点、この状況で、鳴らしてしまっていいものか。
そして、鳴らすことが、出来るか。

どうしても、そうは、思えない。

つまり、まるで子供を産み育てるのと同じような感覚で、そのための環境を、整えなければ、この「鍋島」は鳴らすことができない、そういうものに、僕たちにとっては、なってしまっている。

生半可な状態で、何も考えずに漠然と鳴らしていい音ではない、ということだと思う。

さて、これを鳴らすところまで、果たして僕たちはたどり着けるのか。
しかし、「これを鳴らす」ということは、決定事項であり、僕たちはそれをするのだということを既に決めている。最初っから決まっている。

そういうわけで僕はしばらくBeat around the bushに終始することになる。
つまりは薮の周辺を叩き続けるわけだ。

そのための”Overture EP”っていうわけではないが、
「鍋島」の音を鳴らす、作り上げる、それに取り掛かる前に、この”Overture EP”で時間を稼ぐことになるわけである。

時間を稼ぐための”Overture EP”であるが、
けれどもその内容は、思ったよりも実りのあるものになるかもしれない。
なんてったって一応、「鍋島」の破片とか片割れくらいは入っているし、
そして、まあ「鍋島」のソングライティングを終えてからも、「くだらない」曲であれば、ちょっとは書けているのだが、先日、ひさしぶりに、これはちょっと面白いかな、というものが書けた。それはそれで、小さなささやかな祝福だ。
それで、当面皆さんに喜んでもらうことが出来れば。

あとは、先日に町田でやったアコースティックのソロ演奏でも、なんか昔の曲、昔の、日本語の曲が、けっこう評判がよかったこともあって、そういった昔に書いた、日本語の曲に、バンドとして取り組んでいくことも十分に考えられる。
そしたら、それはそれで、時間が稼げるし、また、案外と実りのあるものになるかもしれない。

さて、また話が変わって先日は、町田にオオハライチのライブを見に行った。
それは彼らのレコ発のライヴであった。

オオハライチについては、この一年間で、何度か演奏を拝見させてもらって、もちろん何度か見ただけではわからないこともたくさんあるが、それなりに長所も弱点も見せてもらっている。

だが、オオハラさんの新しいことにチャレンジしていく精神とか、オオハライチが持つコンテンポラリーな感覚とかは、もちろん評価しているし、結構楽しませてもらっている。

で、オオハライチのアルバムは、僕も1曲、提供して、ギターを弾かせてもらっているけれども、その曲ももちろん良いと思うんだけれど、アルバム全体としても結構出来の良いもので、聴いてみてなかなか感銘を受けたし、刺激になった。
刺激をもらう、というと、小さなことのように聞こえるかもしれないけれど、いまどき、「刺激をもらう」というか刺激をもらえるような音楽に出会えることも、今の時代となっては決して毎日あるようなことではないので、これは貴重なことである。

そんなオオハライチの演奏もよかったし、イベント全体としても面白かったし、アルバムの発売はとてもめでたいことであるし、今後も期待しているし、頼もしい限りなのであるけれども、その日のライブにおいて、ひさしぶりに「教育番組」さんのライブを見させてもらった。

教育番組は、Kくんのバンドであり、まあ別にイニシャルにする必要もないんだけれど、Kくんは、ソルフェイやオオハラ氏のサポートなどで何年も前からからんでいるし、僕も何度か彼が演奏するシーンを拝見している。若い子であるけれど、とても才能のある人である。とても才能のある人、というよりは、見るからに誰が見てもすごく才能のある人である。どんな楽器でも演奏できるし、その演奏のレベルも非常に高い。ああ才能のある子はいいなあ、と、僕も常に見てそう思っていた。

その彼のバンド、「教育番組」は、彼のとがった性格のゆえなのか、また難しい音楽性のせいなのか、なかなかメンバーが定着しなかったが、晴れて、素晴らしく強力なメンバーをそろえて活動を再開、進撃を開始、破竹の勢いでたぶん演奏しているし、この日もなかなかに破竹の勢いの演奏を見せてもらった。

で、僕はこの「教育番組」を見るのを、かなり楽しみにしていた。
それは、Kくんの思い描く音楽を、バンド形態でひさしぶりに拝見し、またそれを高いレベルで見ることが出来ると思っていたからである。

で、ここから先は年寄りの苦言である。

つまりは、才能のある子であるから、自分の中でやたらと高い期待値を持って拝見したし、見守ってきたし、また若い子であるから、そして友人関係の中でお世話になっている人脈の中にいる子であるから、不思議な距離感で、あたたかく見守ってきたのである。

しかし、こうして何度か拝見し、また強力なメンバーをそろえて、バンドマンとして一人前になってくると、やはり次第にシビアな見方をせざるを得なくなってくる(笑) これはどういうことかというと、僕は音楽を見るときに、けっこうシビアな見方をすることが多いということだ。

そしてまた、才能のある人については、やたらと期待して見るし、また同時に、「おまえはどこまでやれるんだ」と、ある種のライバル感覚をむき出しにして見てしまう。

だから、このタイミングで一度だけしか言わないことであるから、言うと、っていうか、書くしかできないし、本人には言葉では伝えてはいないけれども、けれどももちろん褒め言葉は伝えたし、またこうしたここに書く意味合いのことも、言葉を使わずにやたらと絡んだりと態度で伝わるように最大限伝えるように努力はしたが(笑)

君のやりたいことはこの程度のことなのか、と俺は思ったのである。
君くらい才能もあって、音楽の知識、造詣も深く、技術もあって。
それでいて、君のやりたいことはこの程度のことなのか、と俺は思ったのである。
つまり、俺はもっと期待していたのである。
この子なら、もっとすげえことをやってくれるのではないか、と。
俺をぶっとばしてくれるようなでかいことをやってくれるのではないか、と。

こういう、才能のある子に限って、志(こころざし)は小さくなってしまう、というのは、いったいどういう皮肉なんだろうか。

つまり、才能とか技術に恵まれない子は、逆に大きな志を持っていたりすることも多いというのに。

そして、やはり21世紀のインターネット時代に育った若い子たちにとっては、誰からも批判をされないこと、というのは、それほどに重要なことなのだろうか。そういう立ち位置に立つことが、彼らの夢であり憧れなのだろうか。
俺から言わせてみれば、それはつまらないことだ。
それほど批判されるのが怖いのか、と。

だから、俺が彼にも伝えた言葉として、「まるでプリンスかと思った」という褒め言葉も前提として、「もっとエロいパフォーマンスをしてくれたらいいな」と伝えたのは、そういう意味でも自分の気持ちである。つまりは、批判されてもいいから、脱ぐ勇気を持てよ、という叱咤の意味のつもりだ。その意味では君はオオハラシンイチの隣で演奏して何も学ばなかったわけではあるまい。

たとえば、俺の言うことはあてにならない。そのひとつの例として、僕は人気が出る前の「凛として時雨」を何度か見たことがある。もちろん当時すでに、評判の上り調子のバンドであったのだけれど、俺は、ちっとも良いと思わなかった。もちろん何が長所で、どういうところがウケているのか、それは理解できるが、それはそれとしてちっとも良いと思わなかったのである。で、今もそれは変わっていない。

だが世間では、まあ一部の特定の層なのかもしれないが、「凛として時雨」は有名な人気バンドになっているし、成功したバンドになっているではないか。
だから、俺の言っていることは、世間の流れとかとはまったく乖離しているので、アテにはならない。

だから、たとえばこのK君の教育番組がこれから人気バンドになって成功してもちっとも不思議ではない。

それに、メンバーの技術も演奏も圧倒的であったから、そんな「才能のある」Kくんのこと、この演奏に対して、賞賛こそすれ、批判できる人間は、たぶん今後もそれほど多くはないだろうから。だから、言える人間が言っておくだけのことである。

演奏というのは、ロックというのは、なんにせよ表現というのは、アイラブユー、と伝えるためのものだ。
そのアイラブユーと言うために、コードひとつ鳴らして伝える人もいるし、やたら複雑なリフと変拍子を絡めた上でやっと言う人もいる。

僕なんかも結構まわりくどい方だ。
やたら難解、というよりは、技術どうこうじゃなくて、立ち位置的にニッチな表現手段を選んでしまう傾向がある。
俺自身はシンプルに「愛してる」と伝えているつもりでも、人から見れば複雑だ、とか、難解だ、と言われてしまう。

けれども、どんなにシンプルに徹しようとも、また複雑に凝ろうとも、最後の最後には「アイラブユー」と伝える勇気を持たなければ、ロックをやることに意味は無い。

もちろん、この日見た教育番組さんは非常に強力なバンドであったし、たとえば対バン相手となったら手強い相手であることには違いないが(かといって、もっと強力な相手と対バンしたことも何度もあるしな)、

たとえどんなに才能や技術があろうとも、このような演奏が続くようであれば、俺の中では、「その程度の人」として認識し、そして忘れ去ることになる。

非常にスーパー大きなお世話、おおきなお節介であるが、俺のお節介は生まれつきだ。
友人関係の人脈の中にいる、若い、そして才能のある子、だからこそ、お節介な視点での感想を持ってしまい、そして、こうして書き記してしまった次第である。

なんらかの形で本人に伝わればいいなとも思うが、相手も立派な大人だし、そこは、それ。

俺はいつでもウケて立つ(笑)

とはいかないかもしれないが、努力はする(笑)

喧嘩は大好きだ。

わかってる。俺は音楽っていうものを、真面目に考え過ぎている(笑)

No(4739)

■…2016年 9月22日 (Thu)…….Stick to your guns
オーバードライブのペダルなんていうものは、世の中に星の数ほどあるし、ギタリストであればあれもこれも試したい、あれもこれも欲しいってなるんだけれど、
持ってるやつをちゃんと使いこなすってことも大事でね。
Stick to your gunsっていう言葉があるように、これだってやつを使い倒さないと。
今年に入ってから使い始めたHeavy Lid EffectsのShoalsなんだけれど、
“Jesus Wind”の録音作業にとってはまさにビンゴって感じの活躍をしてくれたんだけれど、ライヴで使うとなるといろいろとまた別の話でね。

このペダルはTS系っぽい音も出るし、ミッドはやっぱり強調されるけれど、けれどもまたちょっと違う感じで、ハイエンドもローエンドも出る。それだけに使い方が難しくてね。
そいで、よくあるTS系の、このセッティングが使える、とかじゃなくて、どのセッティングでも使えてしまうので、その使い分けがまた難しい。

基本的な音は非常に気に入っているし、品質も高いので、また練習とかライヴにここ半年使ってきて、まだまだ奥が深いと感じているし、まだ「これはダメだ」とはなってないので(笑)、やっぱり良い道具なんだと思う。
世の中にはもっと音質の良いオーバードライブとか、もっと高機能なオーバードライヴはいっぱいあると思うけれど、けれどもここまで僕のニーズにぴったりなペダルはあんまり無いだろうと思う。
モード切り替えとかクリッパー変更のスイッチがあるペダルは多いけれど、このペダルはDriveつまみの位置によって連続的にキャラクターを変化させられるし、それによって僕が過去に使ってきた音がだいたい網羅できてしまうのだ。

というわけで、使いこなすためにちょっとメモを制作してみた。
半年使った経験もあるんだけど、これは先日、家でパソコンにつないで適当に作ったセッティングとかも含まれてたりもするので、実戦だともっと違ってくるかもしれん。
しかし、これだけでもかなり使いこなす手がかりになると期待している。

んで、言うまでもなくこれはクランチないしは程良い歪み具合のチューブアンプに突っ込んで使うブースター用途である。

Heavy Lid Effects Shoals Overdrive の使い方 My Preset 一覧表

まずはこのペダルの考え方を説明する…..

*すべてはDriveの設定でキャラクターが変わる。

*GainはちょうどT-Rex MollerやDivaのclean mixのような感じで使うとちょうどいい。Gainを上げても破綻しないし、かといってGainを下げてもそれほど出力は減らない。クリーンになるだけ。

*Toneに関しては、Shoalsの最大の武器はやはりPultecのようなシルキーなハイエンドなので、
極力Toneは上げていった方が良いと考えておく。

*このペダルの良いところは、「上げても破綻しない」「上げれば上げるほど持ち味を発揮する」というところにある。

*ブースター系オーバードライブの常として、Levelは基本的に常に最大で考えておく。

なお、オーバードライブに求めるところの「音圧」であるが、
以下のどのプリセット(Driveの位置)においても、基本的に音圧はある。あとは状況と、楽曲と、どんな音を狙うか、の選択だけである。

8時のクリーンブースト (Drive 8時)
もっともクセのないブースト。Toneは高めが基本。必然的にGainは上げていくことになる。

10時のクリーンブースト (Drive 10時)
Cranetortoise真空管に近いニュアンスがもっとも出やすい。
Toneは高めが基本。いいと思うところまでGainを上げていく。

11時のチューブスクリーマー (Drive 11時)
10時と11時でかなりキャラクターが変わる。以下、11時から2時くらいまではTSゾーンである。
TS的なミッドの押しを求めるセッティングのため、Toneは必ずしも上げる必要はない。

2時の標準ドライヴ (Drive 2時)
より低音の効いた、じゃじゃ馬的なパワフルさと、どんな音楽性にも対応できるShoals基本のセッティング。(当社比)
Drive、Gain、Tone、ともに2時に設定するのが基本。そこからまずGainのクリーンミックスの最適値を求め、必要に応じてTone (ハイエンド)を上げ下げする。

3時のBritish Steel (Drive 3時)
Drive、Toneともに3時が基本。Gainは必要に応じてなるべく上げていく。
Shoalsの持ち味がもっとも美味しく出るスウィートスポット的なセッティング。スピード感とソリッドな切れ味の良さがあり、鋼のような刃のようなそんな正統派のヘヴィメタル。

4時のエクストリームメタル (Drive 4時)
Drive、Toneともに4時が基本。Gainは必要に応じて上げていく。
ローエンドに殴りつけるような圧力と、厚みのあるハイエンドの刃が加わってくる。
現在のEVHサウンドに近づくためのセッティングでもある。

未知の最大 (Drive全開)
さて問題は、どんなときにDriveを最大まで上げる必要があるか、という時だ。
最大のメタル指数を得たいとき。低音、ローエンドがそれほどまでに欲しい時。ローゲインセッティングであっても単純に音の深みを得たい時。といったところだろう。あるいはペダル単体でのディストーションが必要になってしまったケースかもしれない。(Drive最大でGainも最大となる)
そして、Drive、Toneともに全開というセッティングをどのように使うのかについては、未だに謎である。
実際にハイゲインなメタルな音が必要な場合には、上記、3時や4時の方が有効なことが多い。
爆音で調査、検証すべし。

No(4740)

■…2016年 9月23日 (Fri)…….ゾンビvs妖怪
俺はそれなりに熱心なキリスト教徒を気取ってるけれど、ゾンビを増やしたいわけではない。神の言葉を身を以て体現する人間を増やしたいだけだ。愛とか武士道とかヘヴィメタルとかそういうやつだ。言うまでもなく世の中ゾンビだらけだ。ゾンビ相手に商売するのは簡単かもしれないが、気が付けば自分もゾンビになってしまうので注意が必要だ。It’s a really fine line and it quickly becomes blurry.

No(4741)

■…2016年 9月24日 (Sat)…….デジタル的な本当
インドネシア(らしい)のKuassaっていうプラグインのメーカーが結構やばい。
手持ちのEQをいろいろチェックしてたら、フリーウェアのBasiQっていうのがあってすごく良かったことを思い出したので、どんなディベロッパーなんだろうと思ってみてみたらインドネシアってことでへぇーって思ったんだけど、なかなか面白い。
で、ギターアンプのシミュレーターのCremeってのをデモ版をインストールしてみたら、これがかなり良いじゃない。

で、今朝結構早く起きてしまったので、そしたら例のごとくPlugin Allianceが週末セールやってて、200ドル以上するギターアンプシミュレーターが20ドルくらいになってたんで、興味を持ってこれもデモ版をインストールしてみたんだけど、悪くないんだけれどなかなか残念な感じで。Brainworxのやつだったと思うけど。

いわく、アンプだけでなく、卓とかもNeveとかのレコーディングチェインをちゃんと再現してますよってことなんだけど、
確かに音はすごくすごくすごーくしっかりしてるんだけど、肝心のアンプは「ENGLしか使えない」。肝心のJCM800とか、これでいいのか、いやよくない、という感じで。BrainworxはENGLのシュミレータいくつも出してるみたいだから、その関係なのか。なんで残念かというと、俺ENGLあんまり好きじゃないんだよね(笑)あとはマイキングとかもいじれないのも痛い。確かに音は非常にリアルなんだけれども。

そこへいくと、そんなリアルさをあざわらうようにKuassaのCremeなんか、リアルかどうかはともかく、ちゃんとかっこいい音、その気になる音、がする。キャビネットやマイクのtweakなんかも的を得ている。
どうも俺の場合、パソコンの中のアンプだとたとえばWaves GTRなんかリアルだけれども、それよりもちょっとわざとらしいくらいのAmplitubeの方が良かったりと。
パソコンの中のアンプは、リアルを狙うよりも、しょせんパソコンの中のバーチャルなものなんだぜ、ということを前提に、楽しい音に仕上げる方が正解なのかもしれないと、やっぱり思う。

で、KuassaはEQも出してるので、Neveのモデリングのやつをデモ版をインストールして音を聴いてみたんだけれども。
これは、NeveのEQのモデリングとはいえ、大手が出してるやつみたいにインプットとかプリアンプとかサチュレーションとかは再現していない。単純にEQの部分だけ、ってプラグインみたいなんだけれど。
でも音を聴いてみたら、これがいいじゃない。

確かに、「プリアンプの音のアナログっぽいキャラクターが」とか「トランスフォーマーのサチュレーションが」とか無いんだけれど、「そもそも本当にそんなものが必要なのか、お前。」と言わんばかりの、ぐうの音も出ないクリアかつ実体感のある音。

これって、いくらアナログのモデリングとかシミュレーションとかしようとも、「しょせんパソコンの中のEQ」、ゼロと1を並べて計算してるだけだろ、みたいな。だったらデジタルのEQらしく、クリアな音の長所を生かせよ、みたいな。そういう方向性の方が、パソコンの中のEQとしては正しいということなのか。EQ自体のかかり方はアナログのモデリングで自然なかかり方なんだけれど、それ以外のアウトプットステージとかの色付けは無いので、そのへんがちょうどいい塩梅というかbest of both world的な位置なのかも。

もちろんパソコンの中でアナログっぽいニュアンスを追求するのも全然アリだとは思うので、要は使い分け、っていうのは当然のことだろうけれども、デジタルってこういうことなのかも、っていうことを、いろいろな意味合いで再認識させられたKuassaのプラグインの音だった。

そんな音を聴いていた朝。
でわでわ、10月のXTJの前のImari Tonesの最後のリハに出かけてきますーーー。

No(4742)

■…2016年 9月24日 (Sat)…….触れ合う時間とrockrack
先日書いたオーバードライブの「My Preset」の一覧表は、やっぱり半分くらい嘘だった!(笑)
今日はなぜかリハスタのアンプがいつものJVMではなくてJCM900だったので、その違いもあるけれど、実際にバンドで合わせてみたらやっぱりいろいろと違った。
使いこなし難し過ぎる。
結局今日のベストポジションは写真みたいなセッティングだった!

Toneを上げた方がいいと思っていたけれど、少なくとも今日のアンプだと、全然Toneは控えめでオッケーだった。Tone上げたらかえって抜けなくなっちゃった。Toneをわりとしぼっていても、ぜんぜんハイは足りていた。めっちゃOpenだから、Shoalsは。
Toneの最適値だけ、その日のアンプや環境によって見つけてしまえば、あとは曲によってDriveの位置を変えていけばいいだけだった。
メタルな曲では4時とか5時とかにして、さわやかな曲で1時、バラードの時は11時とか12時とか、そんな感じで。
で、Driveを下げたときには必要に応じてGainを上げて出力と歪み具合をcompensateする、と。

アンプの音量も控えめだったので、前半、ちょっと判断がしづらかったけれど、後半アンプの音量を上げていったらばっちりご機嫌。
これで10月のXTJに挑みます。まあそれでも半分はBlackstarのペダルを使っちゃうだろうけれども(笑)

で、帰って、もう一度、Branworxのbx_rockrackのデモ版を試してみたら、評価変わった。早朝に試したときには、ダメだなあ、と思ったけれど、もう一度試したら、うん、やっぱこれはいい、と思った。
なぜなら、パソコンの中のアンプシミュレーターなのに、現物のオーバードライブのペダルをばっちり受け付けてくれる。
これはどういうことかというと、少なくとも今まで僕が使ったことのあるパソコンの中のバーチャルなアンプは、現物のエフェクターというかオーバードライブとかブースターのペダルを通して突っ込んでも、いまいち反応しないというか、実際のアンプのようにうまくブーストしなくて、使えなかった。だから、amplitubeでもそうだけれど、amplitubeの中とか、パソコンの中のやはりバーチャルなペダルでブーストするのが常だった。
でも、このBrainworx bx_rockrackは、実際のエフェクターが使える!?少なくとも、さっきShoalsを突っ込んで鳴らしてみたら、ばっちりだった。これは初めてのことなので新鮮だ。実際のアンプと同じみたいに、オーバードライブ、ブースターに反応して挙動して音作りができる!

これで、朝に試したときに「JCM800も使えん」と思ってたけれど、ペダル突っ込むとちょうどいい音になるので、ちょうど、ここ数年録音制作に使っているJVMの緑チャンネルとおんなじみたいに(あれもJCM800がモデルのはず)、「ちょっと深みのあるクランチ」の音になる。そこにお気に入りのブースターなりオーバードライブを突っ込めば、ばっちり注文どおりだ。これは、良いかもしれない。

いや、そのままだとやはり、JCM800も、ENGLも、野暮ったい音なんだけれど、こうしてオーバードライブやブースターを突っ込めば。そもそも実際のアンプだってそうしているんだし。これは挙動がリアルだってことだから、しっかりしたギターレコーディングソフトウェアだと評価していいのかもしれない。

そんで、Recording chainの中から、その曲とかに適したセッティングを選べば。うん、これは、「一流スタジオの音はこういうものなんだ」と思って素直に学んで使うべきものかもしれない。

お気に入りのセッティングをばっちり見つけるのは、時間がかかるかもしれないけれど、これはひょっとするとひょっとするかもしれない。次の作品の録音、これ使っちゃおうかな。そしたら家で出来ちゃうな(笑)

これが今週末だけ29ドルっていうのは、これはたぶん手に入れておいた方がいいんだろうなあ・・・。うーん。

しかし、こうしてbranworkの中のアンプにShoalsを突っ込んでみると、ほんとにばっちり「これだ」って音なので、やはりShoals、良いんだろうな。近年というか最近はうちのバンドもリハの回数必ずしも多くないし。(月2回平均)
だから、ギターとの組み合わせなども含めて、いろいろとこのペダルのセッティングを詰める時間がなくて、「これで本当にいいのかな」って気持ちも時々湧いてきたけれど、こうして鳴らしてみると、やっぱこのペダルは自分の求める音を持っている、って確信できる。
必要なのはそうやって触れ合う時間だったんだろうな。
別の新しいペダルを物色するとかじゃなくて、ちゃんと自分の愛用のペダルと触れ合う時間。

で、これはきっと人間相手にも言えることなんだろうと思う。
話し合うこと、触れ合うこと、声をかけること。
恋人や夫婦だったら抱き合うこと。
バンドマンだったら、やっぱり、演奏する中で、かな。
それでしか触れ合えない(笑)

それをしていかないと、
「これで本当にいいのかな」って疑問がわいてきてしまう。
人間、やっぱ、弱いので。

たとえそれがぶつかりあいでも構わない。
やるしかないです。
やりましょう。
やってやってやりまくりましょう。

さて明日は新橋でベース弾いてきます。オオハラシンイチのバックです。
よろ。

No(4743)

■…2016年 9月24日 (Sat)…….XTJ2016告知
{[要注目!!]} <<これが告知というものだ>>
さて今年もXTJが始まるようです。
1994年からアメリカで行われている”The Extreme Tour”ってやつを、「日本でやれないか」と無茶ぶりされて、「無理無理」って言ったんだけれど、まあ神の御心だったらやるしかないか、と、なんとか無理矢理形にして、規模は小さくても、なんとか続けて、今回で4回目。4年目、というか。
おかげさまで、周囲に協力してくれる方々、手助けしてくれる方々、友人、仲間たち、皆様のおかげで、こうして4回目まで来れたわけです。
本当にありがとう。

で、これは俺は、公言してたけれど、昨年のXTJを終えた段階で、「俺はもう無理。俺はもうやらない。少なくとも、中心になってやるのは無理。」って宣言していた。だから、今年も、やらないと思っていたけれど、なぜだか、地球の裏側、南米はチリに、面白いやつらが居て、日本に来るのが夢だっていうから、じゃあ彼らの夢をかなえよう、それにはきっと意味があるはずだ、と思って、「オマケ」のつもりで、皆で協力して、もう一度やることにした。

だから、来年以降も、XTJ (The Extreme Tour Japan)は続くかもしれないけれど、少なくとも、俺は中心になってかかわることはしない。しないつもり。宣言します。しません。そう言っておかないと、ずるずるとやらされてしまうから。

今年は「オマケ」のつもりだったから、規模は小さくてもいいと思っていたし、無理のない範囲でやればいいと思っていた。ブッキングも無理にしなくても、イベントの回数も少なくていいと思っていた。
けれど、XTJに関わってくれる皆さんのご厚意とか、Calling Recordsの仲間たちの尽力によって、気付けば、愛知と、いわき、には、行けることになった。首都圏のイベントも思ったより組むことができた。

本当に、これでも、僕みたいな売れないバンドマンからしてみたら、これでも、やっぱり、つらいし、今年もなんだかんだ言ってフルの日程でVictorianoの人々と行動をともにするので(だってサポートベース弾かなきゃいけないし)、そうね、つらいのよ。やめておけばよかった、と思わないでもない。

でも、地球の裏側で、日本の音楽、日本のロックとか往年のJ-Popを、これほどまでに研究して(アルバム聴けばわかる)、たどたどしい日本語で歌って、クオリティの高い音楽を作り、なおかつそれでクリスチャンバンドで信仰について歌っている、なんて、そんなやつらが居たんだから、これはしょうがない。
彼らを日本に迎えて、一緒にやる。
それをやらなきゃ、XTJとしても、Calling Recordsとしても、意味がないというか、そういうことするためにあるんだろ、と思う。
だから、これは運命だし、デスティニーだし、いわゆるひとつのそれはロマンだ。
男ならロマンに人生をかけるべきだ(笑)

今年はどんなドラマが待っているのだろう。
Calling Recordsの仲間たちや、日本のミュージシャンは、どのような演奏と、どのようなメッセージと、どのような活躍を見せてくれるだろう。

そして、俺は、うちのバンドImari Tonesは、いったいどんな演奏をして、どんなメッセージを届けることが出来るだろうか。俺はちゃんと、歌えるだろうか。
でも、今日のリハーサルでも、また、不思議なことに、ヴォーカルの技術について、あらたなブレイクスルーがあった。まだまだ向上するんだよ、ヴォーカルについては、この歳でも、これでも。だから、良い歌を届けられたらいいな。

クリスチャンロックのツアー、なんて言っても、それでも実際は、海外バンドを交えての各所での異種格闘技戦。
いろんなドラマが交錯することになるだろうと思う。

その中に、どうか音楽と、神の導きが、それぞれの上にあって欲しい。

あ、もっといろいろ書こうと思ってたのに、締めの言葉になっちゃった(笑)


<<XTJ>>[南米チリより、噂のカタコト日本語J-Rockバンド、ビクトリアノ見参]<<XTJ>>
Victoriano単体でのブッキングも含めて、XTJのイベントは、以下のようになっています。

10月1日(土) 愛知県、豊田市にある南米系の教会でコンサート (当初予定されていたICBCから変更になりました) (詳細は、まだ不明) -> Imari Tonesも出ます!

10月2日(日) 愛知県蒲郡市のICBC (国際クリスチャンバプテスト教会)の礼拝に参加して、ビクトリアノもちょっとだけ演奏するかもしれませんし、しないかもしれません。

10月4日(火) 渋谷チェルシーホテル
ブッキングライブ Victoriano出演 20:15予定
東京初日なんだから、関係者みんな応援に来てよねッ!!

10月8日(土) 下北沢 Cave Be
Calling Recordsイベント “Busking Series 2016 Final” -> Imari Tonesも出ます。クリスチャンロックレーベルCalling Recordsの主催による、気合いの入ったクリスチャンロックのイベント。これにみんな、賭けてます。Calling Recordsのみんな、すごい気合い。この日のために。だから来てね!
Open 17:30 Start 18:00 Ticket 前売2000yen/当日2500yen +1drink

10月11日(火) 横浜寿町 音小屋
サルーキ=出演決定!石川ヨナ、三木ヒロキ、オオハライチと、クリスチャンアーティストのまさに異種格闘技戦!
Open 18:30 Start 19:00 Ticket 1600yen (1ドリンク付き)

10月14日(金) 西横浜 El Puente
B.D.Badge参戦。アンダーグラウンドの聖地西横浜エルプエンテに賛美ロックが鳴り響く。最高にハードコアな一夜。 -> Imari Tonesも出ます。
Open 18:45 Start 19:00 Ticket 1500yen (1ドリンク付き)

10月15日(土)
福島県、いわき ライブハウスR3
ビクトリアノ、オオハラシンイチ、三木ヒロキが地元アーティストと対バン!

10月16日(日)
福島県、いわき、勿来キリスト福音教会
日曜礼拝の後、午後にミニコンサートを予定。

10月18日(火)
上野公園伝道
上野公園にて、ホームレスの方々を対象とした礼拝、伝道活動にVictorianoが参加してお手伝いします。

10月22日(土)
福生チキンシャック
[The Extreme Tour Japan x GRB 合同イベント]
ロックの本場福生にヘヴィなバンドが集まって最高のお祭り騒ぎ。XTJ2016のフィナーレはチキンシャックで派手に鳴らすぜ! -> Imari Tonesも出ます!
Open 17:00 Start 17:30 Ticket 1500yen +1drink

以上です。
とりま、Victorianoが無事に日本に到着しますよう、また関わってくださる皆さんに、神の祝福が注がれますよう、お祈りください!

ありがとうございます!

In Christ,
Tone / 伊万里音色

No(4744)

■…2016年 9月26日 (Mon)…….Step into Balance
先日というか昨日は新橋ZZにてオオハラシンイチの後ろでベースを弾いてきましたが、非常に良い経験でした。ベースプレイヤーとしてステージに立つことは必ずしも多くないので、とてもありがたい経験です。またライチ君のヒューマンビートボックスと合わせるということも新鮮で、やはり現物のドラムスと合わせるのとは多少感覚が違うので戸惑いましたが、次第にコツが飲み込めてきました。
対バンの皆様も本当に本当に皆さん素晴らしかったのですが、その中で、ひとつ事件というか、出演者の方の中に私の「義理の母」つまりうちの嫁さんのお母さんに「そっくり」な方がいらして衝撃でした(笑) 楽器を持たずに、髪型を変えたらそのまま、という印象です。しかも、キャラとかしゃべりまでそっくりで、しかも同じ方向性でキャラが立っています。それだけでなくいろいろと符号点が多かったので、親戚じゃないのかと思うくらいでしたが、肝心の嫁さんが昨日はその場にいなかったので、それ以上の追求は避けておきました(笑) またご一緒する機会があれば、交流を深めたいところです。
ともあれそんな「強烈な」お母様のもとで育ったゆえにうちの嫁さんは「天然のままで」ぶっとんでいるところが多々あるのです。それゆえの「ヘヴィメタルガール」であろうかと思われます。


さて話は変わってまた音楽についてのひとりごとのメモです。
自分は望んで音楽とかバンドとかやる人生を選んだわけじゃないみたいなことを常々言ってますが、こういう生活をしている以上、音を追求する道にはずぶずぶとはまりこんでいるわけで、もちろんそうでなければこういうことはやっていません。
最近、自分の音に対する欲求というものが実はかなり巨大なもので、またその欲求が歳を追うごとに、食欲性欲睡眠欲といったものよりも大きくなってしまうということを感じており、まあ決して悪いことではないんですが、そんな自分に向き合うことに戸惑いを感じております。

かのEVHなんかもおそらく若い頃からそうだったのでしょう。
そんでもってふと思うことあり、昨晩は帰宅して後、1995年あたりの”Balance”の頃のVan Halenのライヴ映像をYouTubeで見てみるなんてことを珍しくやっておりました。
Van Halenと言えばどの時期が良いか、どっちのシンガーが好きか、とか、色々人によって意見があり、ハードコアなファンは大抵DLR時代の方が良いと言いますし、俺も本質的にはDLR時代のVHの方が本来の姿だと思います。
しかしサミー・ヘイガー時代のいわゆるVan Hagarの方が好きという方もたくさん居ます。どちらかというと日本のロックファンの中にはサミー時代の方が良いという人が多いような気がします。しかしこれは単純に自分の世代のせいかもしれません。

“Balance”と言えば、少年時代の僕が「リアルタイムで」体験したおそらくは唯一のVHのアルバムです。つまりは”For Unlawful”は既にほぼ後追いでの体験でしたし、”Van Halen 3″の時は自分は「少年」を卒業しようかという年齢でした。

だから僕とか嫁さんとかからしてみたら「これが自分たちの世代の音楽」「自分たちが青春時代に体験した僕らの時代のVan Halen」という感覚がありますし、その意味でもちろん思い入れはありますが、皮肉なことにそしてよく言われるようにこのアルバムはVan Halenの歴代のアルバムの中でももっともダークな色彩を持ったアルバムで、そして自分の中でもLeast Favoriteというのか、あまり好きではないアルバムということになります。

しかし、それでもかの偉大なるVan Halen、それであっても素晴らしい内容のアルバムに違いありませんし、実際に「この時期のVHが一番良い」という方もたくさんいらっしゃいます。そしてこのアルバム、雰囲気はダークですが、サウンドとミュージシャンシップはまさに円熟という言葉がふさわしく凄まじいものがあります。

思うに、当時というか、80年代後半とか90年代の大物アーティストのアルバムというのは、今から考えると非常に内容が高度です。
それは、音楽産業というか巨大ビジネスとしてのロックが最盛期であった頃、そして録音技術を考えても、60年代70年代とは違い、アナログ録音の円熟、そしてデジタル録音の時代に本格的に入る直前といったところでしょうか。どっちにしても、今から考えるとはるかに巨大な予算とかを以て、ノウハウと指針を持った一流のプロデューサー(このアルバムではBruce Fairbairn)と、凄腕のエンジニアが、きちんとディレクションをして(バンドの尻を叩き)高度な内容を持つ商業的にも成立する製品として仕上げているわけです。
こういうことを、当時と同じレベルで行うことは、社会的なリソースとして現代ではなかなか難しいわけです。だと思います。たぶん。
そして、70年代から活躍していた大物バンドたちも、あらゆる意味で円熟の時期に差し掛かり、それらのものが重なったことで、この時期のバンドの作品というのは[商業的な意味で]高いクオリティを持っています。それは、このバンドが、とか、このアーティストが、凄い、とかそういうのもありますが、それ以外にも、当時の音楽産業というシステムの凄さであっただろうと想像できます。

そんな時代の最後の方にこのVan Halenの”Balance”というアルバムも位置するわけです。

さていつものように、自分のひとりごと日記にもかかわらず前置きが長くなっていましたが、
昨晩、ふとこの頃のVHの映像が見たくなったのは、当時のEddieが、Musicman EVH signature、今で言うところのAxisを、どのように使って、どのような音を出していたのか、改めて見てみたくなったからです。

自分はMusicman Axis-EXを2本、長年使ってきていますし、もちろんそれは日本製の安価なEXモデルであって、本人が使っているシグネチャーモデルとはクオリティに差は多々あろうかと思いますが、基本的な性格は似ているはずです。
そして今では僕はより「これがメイン」というギターは何本も所有していますが、このMusicma Axisの音や使い勝手は自分の中でのひとつのスタンダードというか基準になっています。ライヴで使うことこそほとんど無くなりましたが、他人のサポートの演奏をするときには今でも使いますし、なにより録音をする時や、曲作り、デモ制作などでは、今でもぜんぜん普通に使っています。それくらい基本性能の高いギターであることは間違いないでしょう。

まあそんなふうに、スタジオではまだまだ使いようがあるけれどライヴの現場ではもっと良いギターがある、という自分にとってのこの楽器の位置づけですが、当時のEddie Van Halenがこのギターを使っていたのにはやはり理由があり、そしてこれはあたりまえのことですが、彼にとっての「現場」とは、何万人も収容する巨大なアリーナのことです。
小さなライヴハウスで演奏する場合に必要になる音、適した音、というものと、巨大なアリーナやスタジアムで演奏する場合に必要になる音、適した道具、というものが、違ってくるのは、考えてみれば当たり前のことで。

ひとつ考えてみれば、Eddieに関してみても、DLR時代の初期のエディは、もっと荒い、ワイルドで荒々しい音を出していました。けれども、90年代に入り、Musicman SignatureならびにPeavey 5150に切り替えてからは、もっときめの細かい、より整った音を出すようになります。
それはつまり、音においては得るものと失うものはいつだって両方ありますから、生々しいワイルドな迫力はなくなったけれども、より上質で機能性の高い音を獲得した、ということだと思うのです。
そういった中で、何をもって「良い音」とするのかは人それぞれの難しい問題ですが、音楽を作る立場の人からすれば、その時に鳴らすべき楽曲、作るべき音楽、それをきちんと鳴らすことのできる機能を持った道具、それこそが良い音、と言っていいと思います。

で、この時代のMusicman EVH signatureは、当然この時代のVHの音楽性にぴったりと合っていますし、そしてこのギターの音の機能性によって、当時のエディは非常に高度な演奏や表現が可能になったのは間違いないのです。

たとえば今、俺自身の、俺の現場、においては、「猫ポール」を始めとする[ていねいに作られた日本製のセットネック構造の]楽器がベストと思っていますが、当時のVHの「現場」においては、やはりこのMusicman EVHこそが、必要としていた機能を持った楽器であったことに間違いありません。そもそも現場が違う、ということです(笑) もちろんこれはギャグのつもりで書いています。

さて、そうやって当時のVHの演奏を見ていると、あらためて気付くことがいくつもありました。

そして、こうやって改めて当時のVHの楽曲と、Eddieのプレイを見ていると、あらためて当時のEVHの、本質的な音楽性の高さ、そして深さ、高度さといったものに気付かされます。

そして、この当時、80年代を経てきた水準からすれば少なくとも世間的にはEddie Van Halenは「もっとも上手いギタリスト」「もっともテクニカルなギタリスト」というわけではとっくになくて、もっと速く正確に弾くギタリストはいくらでも居たわけです。

けれども、この”Balance”のギタープレイなんかも、そんなに「速く」弾いているわけではないので、当時聴いて気付かなかった部分もあるのですが、こうして今、あらためて映像で見てみると、いかに創意工夫に満ちた、工夫と仕掛けがいっぱいの、高度に構築されたギタープレイだったかがよくわかります。
まさにエレクトリックギターの表現の可能性を追求し、十二分に生かす、といった感じです。

そして、その表現力と、音楽性の高度さ。そしてサウンドそのものの高度さ。

YouTubeのリンクから、その後、ついついSteve Vaiあたりの動画もいくつか見てしまったのですが、正直、このVan Halenの演奏を見た後だと、Steve Vaiの演奏はいかにもアマチュアに見えてしまいます。少なくとも今の僕は素直にそう感じます。

何がアマチュアで、プロフェッショナルとはどういうことなのか。
もちろん、Steve Vaiも世界のトッププロというかトップ中のトップ中のまたトップな人なので、この議論をすること自体がナンセンスではあるのですが、

僕だってSteve Vaiは好きですし、アルバムも何枚か持っています。Van Halenフリークとしてはやはり、David Lee Rothと一緒にやっていた時代の方が好きなのは否めませんが。
しかし、僕はDLR時代にVaiが残した2枚のうちでも、よりVaiのソロっぽい色が強く出ている”Skyscraper”がお気に入りです。(あのアルバムが退屈だ、という人は、DLRを責めるのではなく、Steve Vaiを責めるべきです。Billy Sheehanが「譜面通りに弾いた退屈なアルバムだった」と言っているとすれば、その譜面を書いたのもSteve Vaiなのでしょうから。)
そんでやはりYouTubeとか見ると”Eat’em and Smile”の頃のライヴ映像とかも見ることが出来るので、それなんか見ると本当に凄まじいです。80年代のテクニカルかつOver the topなハードロックとしては、これが頂点だろうという感じです。かといって、そのあまりの”over the top”(やりすぎ)っぷりに、ちょっと「うーん」と思ったり、笑えてきてしまうのも事実ですが。

だから僕だってSteve Vaiが好きであることを前提に、そしてVaiも世界のトップ中のトップであることも前提にして、それでもEVHと比べると、僕の耳にはどうにも、Vaiはアマチュアに思えてしまうのです。

プロフェッショナルとはどういうことなのか。
そしてトッププロとはどういうことなのか。
それは音楽というものの本質に向き合い、また同時に前人未到の音の領域にたどりつこうとする意志ではないでしょうか。
なぜなら、それは、今の僕たちから見てもすでにそうであるように、人類にとって、その時、その場所でしか鳴らせない音かもしれないからです。
ベートーヴェンのシンフォニーが人類の文化や精神の向上にどれだけ寄与したように、そういった人類にとっての魂の向上に貢献し、精神的な資産を築き上げることができるかどうか、ということです。

EVH、Eddie Van Halenは、その意味で、プロフェッショナル、そしてトッププロという言葉に、終始、もっともふさわしい人であったと思います。

現代の音楽産業の、そして現代の社会の中では、もうすでに、そういったことは行うことが難しい時代です。
ですから、21世紀に入ってからのEVHおよびVHが、あまり活動を頻繁にしてこなかったことを、責めるのは、俺はフェアではないと思います。

さてひるがえって自分はどうでしょうか。
この文脈で書くと、全部ギャグに聞こえてしまいますが、もちろん本気です。
さもなくては僕の人生は全部ギャグになってしまいますし、21世紀以降の世界中のすべてのインディーミュージシャンはギャグになってしまうでしょう。そう、今はこっちの方が現実なのです。

たとえ、音楽産業や、社会状況が、その「真のプロフェッショナル」としての音楽を行うことを難しくしてしまっていたとしても、「インディー」ならやれる。そう思ったからこそ、今僕はここにいるのですし、世界中の多くのミュージシャンたちも同様だと思います。かといって、世界の厳しい現実は言うまでもない状況です。

自分の身をふりかえり、思ってみればVan Halenがこの”Balance”を鳴らしていた頃。年齢的に考えても、そしてバンドや身の回りの状況を考えてみても、僕は、僕らは、ちょうどこの”Balance”みたいな時期にさしかかっています。

それは「危ういバランスの上にあるけれども、円熟した実りの時期」でもあります。
かの偉大なるEVHとは、すべての意味でくらべる術すら持ちませんが、それでも僕は、このミュージシャン、このバンドを、本道と考えて育ってきたことに誇りを持っています。

僕は世界でいちばん上手いギタリストでも、ましてやいちばんテクニカルなギタリストというわけでもありませんが、「音楽の本質」なんてものがあるとすれば、それに向き合う作業だけは、確かに少年の頃から、続けてきた確信があります。それは人生の中のいろいろということになりますが、神を信じてキリスト教徒になったりしたのも、その一環ということになります。

こんな立場のこんな身ではありますが、どれだけやれるか、という感じです。

そしてこれはギャグではなくて、今でも普通に、僕は自分の音楽が、最終的にはEVHと同じ場所にたどり着けると、そう思っています。
その「最終的」というのが、5年後なのか、50年後なのか、あるいは500年後なのか、それは神のみぞ知るところですが。

これは、声を上げて笑っていただいて構わないところです(笑)

これですね。1995年の映像。
こちら

No(4745)

■…2016年 9月29日 (Thu)…….day1
Day 1. ビクトリアノ無事到着し、言葉の壁に若干直面しているが(私スペイン語話せず。それなりの英語しゃべる者2名、怪しい日本語をしゃべるが英語はダメな者1名、私が本気で英語しゃべると却って通じず嫁さんの片言英語が却って有効)、幸いにしてクリスチャンの信仰という意味では思ったより真面目な面を感じる。しかしここ1ヶ月ベースパートのコピーで彼らのアルバムを聞いていたが、旧き良きJ-popを研究して職人的に上品に作り上げられたアルバムの音の印象と、いかにも世界のどこにもいるメタラー(これはマジで世界共通!!)という彼らの印象が上手くつながってくれない。まあ音を出せばもっと色々わかるだろう。本日はリハーサルをする。感謝サンキュージーザス。

No(4746)

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